1960年代末から70年代にかけて,米国中を震撼させた連続殺人事件を扱った映画である。「Zodiac」とは元来「黄道十二宮」の意味だが,犯人自身がこう名乗ったことから,連続殺人の代名詞にもなっているという。日本での知名度は低いが,犯罪史上の話題性では,19世紀末ロンドンで起こった「切り裂きジャック事件」に匹敵する。共通点は,新聞社に自らの犯行声明を送りつける「劇場型犯罪」であり,未解決で迷宮入りした連続殺人事件であることだ。犯行声明文に暗号が使われた点がユニークだ。日本でいうなら,お騒がせ度では「3億円事件」か「ロス疑惑」,犯行声明では「グリコ・森永事件」,連続殺人という点では「小平義雄事件」や「大久保清事件」に相当するのだろう。
原作は,ロバート・グレイスミスが著した2冊の本「Zodiac」と「Zodiac Unmasked」で,サンフランシスコ・クロニクル紙の見習い風刺漫画家であった彼が,事件を個人的に調査して約10年後に書き上げた大部の力作である。その調査の模様を1人称で語る日記体の著作なので,映画もまた同氏を演じるジェイク・ギレンホールの視点で描かれる。
監督は『セブン』(95)『ファイト・クラブ』(99年12月号)のデビット・フィンチャーで,『パニック・ルーム』(02年5月号)以来の監督作品だ。筆者は癖のあるこの監督のタッチは好きになれず,いつもあまり面白く感じないが,この作品もそうだった。徹底調査からなる原作の香りを残したかったのだろうが,2時間37分は長過ぎる。終盤の盛り上げは見事だが,そこに至るまでの途中が平坦で,少し退屈してしまう。
技術的には,この映画も全編デジタルカメラでの撮影で,最初からデジタル処理で加工することが前提になっている。フィンチャー監督はマット・ペインティング出身のビジュアリストだけあって,事件当時のサンフランシスコ市街を再現することに意欲的だ。随所に,素晴らしいインビジブルVFXショットが登場する。
まず,サンフランシスコ湾から観たウォーターフロントとビル群の光景が印象的だった。市内の主要なスポットは,Matte World Digital社が専業らしく見事な背景景観合成を達成している。タクシー襲撃の現場(写真1)などは,1969年の事件当時と1977年の現場再調査時でそれぞれの景観を再現し,それをぐるっと見渡せるパノラマで見せるという凝りようだ。まだ当時様子を覚えている住民も少なくないから,手を抜けないのだろう。同じ時代を描きながら,日本映画の『パッチギ!』(05)などは,とてもそこまでの配慮はなされていない。いつもながら,ハリウッドのこだわりとパワーを感じる。
サンフランシスコ市のシンボルである「トランスアメリカピラミッド」(1972年完成)の建設過程の描写も秀逸だ。昼夜の連続を早回しにするのに,実写とCGの光学的整合性がきちんと達成されるのが素晴らしい。その一方で,金門橋の片方の主塔の上から橋を見下ろす光景などは,特に必要なシーンではないが,遊びとしては楽しい。これだけ注力しておきながら,そうしたスチル画像を一切提供してくれないのが欠点だ。
新聞社社内のシーンが多く,グレイスミスとエイブリー記者が事件を追う姿は『大統領の陰謀』(76)のバーンスタインとウッドワードのコンビを彷彿とさせ,真犯人探しと後日談を伝えるエンディングは『JFK』(91)を思い出す。佐木隆三のノンフィクション作品を読む感覚にも近い。この原作者の探求心に監督が惚れ込んでいることが素直に伝わってくるが,映画としてはもう少し面白く描いても良かったのではないかと思う。
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