O plus E VFX映画時評 2024年7月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
■『ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー』(7月3日配信開始)
まさかこのシリーズの新作が出るとは思いも寄らなかった。エディ・マーフィー主演したポリス・コメディで,1980年代から90年代前半にかけて3部作が大ヒットしたことは,先月の『バッドボーイズ RIDE OR DIE』(24年6月号)の中で触れたばかりだ。その直後に,1作目から40年,3作目から30年も経っての4作目が登場したから驚いたのである。『マッドマックス』シリーズも同じく4作目が30年後だったが,同作は主演がメル・メルギブソンからトム・ハーディに交替していた。これまで,同じ主演俳優での3部作から4作目への間隔が長かったのは,『インディ・ショーンズ』シリーズの19年,『マトリックス』シリーズの18年であるから,本作は断トツに長いご無沙汰後の新作なのである。意図的に遅らせたのでも,急に話が持ち上がったのでもなく,前作から数年後の予定が,紆余曲折があり,ようやく実現しただけのようだ。ただし,劇場公開ではなく,Netflixでのネット配信である。手軽に観られるので,懐かしくなり,すぐに観てしまった。
数々の武勇伝を残した伝説のアクセル・フォーリー刑事(E・マーフィー)は,30年後もデトロイト市警に在籍していた。かつてのビバリーヒルズでの盟友ビリー・ローズウッド刑事(ジャッジ・ラインホルド)は既に探偵業に転じていたが,突然アクセルに電話をしてきた。彼の娘で弁護士のジェーン(テイラー・ペイジ)が,担当案件から陰謀に巻き込まれ,命を落としそうになったという。長らく疎遠になっている娘であったが,アクセルは急ぎLAに向かった。空港に迎えに来るはずのビリーは見当たらず,ビバリーヒルズ警察を訪れると,既に引退したはずのタガート巡査部長(ジョン・アシュトン)は警察署長として復帰していた。再会は果したものの,タガートからは関与を止められたが,ジェーンを襲った連中は麻薬取引に関わる組織で,警察内部の腐敗に関係していると思われた。アクセルは例のごとく破天荒な捜査で騒動を起こすが,ジェーンの元カレで停職中のアボット刑事(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)とコンビを組むことになる。彼らは独自ルートから黒幕を追い詰めるが,ジェーンにも危険が迫っていた……。
旧作を知る者にとっては,E・マーフィーの口八丁手八丁で型破りな刑事ぶりは相変わらずで,間違いなく楽しかった。かつて盟友だったタガートとローズウッドをしっかり再登場させているのも嬉しかった。さすがに3人とも老けたなと感じたが,他の2人の変わりように比べて,E・マーフィーはさほどでもない。この点は黒人の方が老醜は目立たず,得なのかもしれない。
彼のマシンガントーク健在で,映画のテンポも悪くない。シリーズの同窓会とだけ考えるならこれでもいいが,最近のポリスアクション映画としては,物足りない。申し訳け程度のカーチェイスも銃撃戦あるが,これじゃ1990年代のレベルだ。警察内部の腐敗と聞いただけで,誰が黒幕かはすぐ分かってしまうし,父と娘の再会&和解も余りにもワンパターン過ぎる。これは1900円払って映画館で観るレベルの映画ではなく,定額のネット配信で,家庭内で気楽に観るゆえに許せるだけだ。何でもありで粗製乱造のNetflixとはいえ,名のあるシリーズの続編なら,もう少し内容吟味した上で配信して欲しい。
■『SCRAPPER/スクラッパー』(7月5日公開)
題名の英単語の意味を知らなかった。「scrap」なら,「断片,廃棄物,残飯,(新聞・雑誌の)切り抜き」だが,「er」がついて人間となると,まさか「ゴミ収集人」や「残飯あさり」ではあるまい。英和辞典を引くと「戦士,武士,戦闘員」が出て来た。戦争映画なのかと思ったが,英国映画で「父と娘のハートフルな物語」らしい。疎遠だった娘の危機を救うため,父親が敵地に乗り込んで戦うのなら,上記の能天気な『ビバリーヒルズ…』と大差はない。本作の公式サイトを見ると,「閉ざした心を<解体>しながら<闘う>人=<SCRAPPER>」となっていた。それならと安心して一気に観た。結論を先に言えば,まさにハートフルで,爽やかな結末の映画だった。
主人公は12歳の少女ジョージー(ローラ・キャンベル)で,母子家庭だったが,癌で母が急逝したため,母の思い出が詰まったロンドン郊外のアパートで独り暮しをしていた。「叔父と暮している」と嘘をついて住み続けているが,生活費を得るため,親友の少年アリの協力で自転車泥棒をし,それを転売して小銭を稼いでいた。そんな中,自分が父親だと名乗る金髪の男ジェイソン(ハリス・ディキンソン)が現れる。12年間全く顔を見せなかった初対面の男を,当然ジョージーは拒絶するが,「児童相談所に通報する」と言われ,渋々共同生活が始まる。2人の間を取り持っていたアリが家族旅行に出かけたため,全く2人だけの生活になるが,自転車泥棒が見つかって一緒に警官から逃げたことから,徐々に父と娘の距離が縮まり,ジョージーが心を開いて行く……。
少女ジョージーは,大人びたしっかり者で,自立心が強く,悪知恵も働く。すぐにキレるが,根っからの不良ではなさそうだ。同じ12歳の少女でも,『ブルー きみは大丈夫』(24年6月号)の主人公のビーとは素直さが段違いだ。なるほど,このしたたか娘の心を掴むため,「闘う人Scrapper」は,父親のジェイソンだった。家庭を捨てた男であったが,酒浸りでデブのDV男ではない。不器用な男だが,なかなかのイケメンだ。それもそのはず,演じるH・ディキンソンは,『マレフィセント2』(19年Web専用#5)ではオーロラ姫に求婚するフィリップ王子役だった。その他の出演作『キングスマン:ファースト・エージェント』(21年Web専用#6)『逆転のトライアングル』(23年2月号)『アイアンクロー』(24年4月号)でも,長身の美男役や人気者役ばかりだ。現在の実年齢は27歳で,本作の役柄よりも若い。凛々しい王子らしさは抑え,軽薄で無責任だった男が娘のために人生を見つめ直そうという感じをうまく出していた。
突っ張り,反発しながらも,似た者親子がいずれ寄り添うことは最初から自明だ。アテレコ遊びは楽しそうで,色々な遊びをしながら打ち解けて行く。この過程の描写が秀逸だった。映画の冒頭から,どのシーンもカラフルで,衣装,室内だけでなく,建物の外観までが色鮮やかに色分けされていた。セリフは多くて早く,展開もハイテンポで,只ものでない様相を呈していた。監督・脚本は,ロンドン生まれで,現在29歳のシャーロット・リーガン。10代の頃から200本以上のMV制作経験があり,短編数本を経て,本作が長編デビュー作である。ある時期,パパラッチカメラマンとして活動したそうで,このスピード感はその時に養ったのかも知れない。
■『フェラーリ』(7月5日公開)
この2週間ほど,ネット記事やYouTubeを見ようとすると,ほぼ必ず本作のスポットCMが登場した。お馴染みのロッソコルサ・カラーの車体が轟音を立てて走る姿を見ただけで,ワクワクし,激しいカーレース映画を期待したファンも多かったに違いない。その要素もないではないが,本作は,レースが主テーマではなく,しっかりしたドラマがあり,ブロック・イェーツの著書「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」の映画化作品である。
若き日は花形レーサーであり,その後,スポーツカーの設計・製造のフェラーリ社を創業して,数々のレースを制覇した男が苦悩する姿を描いている。といっても,幼少期からの経歴を辿る伝記映画ではなく,1957年の激動の1年間だけを切り取っている。彼は,カーレース映画の名作『ラッシュ/プライドと友情』(14年2月号)『フォードvsフェラーリ』(19年Web専用#6)にも登場していたが,本作は時代的にはこの2作よりも前で,彼が59歳の時の出来事だ。監督はフェラーリ愛好家の名匠マイケル・マンで,実在の人物を描く名人である。
フェラーリ社は設立10年を迎え,レース界では名を成したものの,経営は危機的状況で,倒産の危機に瀕していた。オーナーのエンツォ(アダム・ドライバー)は,前年に難病の長男を亡くし,妻ラウラ(ペネロペ・クルス)との間は冷え切っていた。愛人リナ(シェイリーン・ウッドリー)との間に生まれた12歳の息子ピエロを後継者にしたかったが,妻にはその存在を伏せていた。当時のカソリック教徒の家では,愛人や私生児を設けることは御法度だったからだ。リナからは息子の認知を迫られ,会社を身売りするには共同経営者である妻の合意が必要で,板挟みの苦悩の日々であった。経営状況を好転させるため,一発逆転を狙って,イタリア全土を走る公道レース「ミッレミリア」に5台を送り込むが……。
地元名士となったエンツォは長身白髪で風格があり,しばし演じているのがA・ドライバーであることに気付かなかった。実年齢40歳の彼が59歳を演じていたからである(名前はレーサーにピッタリだが(笑))。一方,正妻役のペネロペの実年齢は50歳だが,少し人生に疲れた老け役は珍しい。それでも相変わらず美しく,この物語の行方を見事にまとめてくれる。愛人役のS・ウッドリーは『ダイバージェント』シリーズの異端者少女のイメージが強く,もう母親役なのかの思いだった。絶妙のキャスティングで,3人とも好演の部類に入る。
上記2作ほどではないが,カーレース・シーンもしっかり作られていた。むしろ,レーシングドライバーの人選やテスト走行時の描き方が優れていたと思う。1957年当時のレーシングカーを再現するのには,残っていた実車を3Dスキャンしてボディを作り,現在のエンジンを搭載して走行させたという。さすが,ハリウッド映画のリアリティだ。レース中に9人を死亡させた大事故シーンも忠実に描かれていたが,勿論CG/VFXの産物である。会社の再建にはフォードかフィアットに身売りする案が出て来て,エンツォが両社と交渉する駆け引きも描かれていた。後日譚である『フォードvsフェラーリ』で結果が分かっているので,余計に興味深かった。
■『Shirley シャーリイ』(7月5日公開)
次も実在した人物シャーリイ・ジャクスンを描いた映画だ。全くこの名前を知らなかったが,1916年サンフランシスコ生まれで,NY州ロチェスターに移った女性で,スティーブン・キングも影響を受けた怪奇幻想作家とのことだ。本作は彼女の伝記小説を基に,配偶者で大学教授のスタンリー・ハイマンと交わした数百通の手紙の内容を盛り込み,監督が新解釈を加えた物語である。その監督は,1981年英国ロンドン生まれ,米国テキサス育ちの女性ジョゼフィン・デッカーで,本作が長編4作目に当たる。脚本担当のサラ・ガビンズ,伝記小説の原作者スーザン・スカーフ・メレルも女性だ。女性作家や女性監督が女性主人公を描いた映画はもはや珍しくないが,これまでに観た女性映画とは一味も二味も違っていて,女性にしか描けない新感覚の女性映画だと感じた。
1948年に短編「くじ」が大きな評判を呼び,シャーリイ(エリザベス・モス)は近くで起きた女子大生失踪事件を題材とした新作長編に取りかかった。ところが,大スランプに陥り,家に引き籠って寝てばかりいる。彼女の心身を案じた夫スタンリー(マイケル・スタールバーグ)は,彼の大学に着任し,新居を探していた若い夫妻フレッド(ローガン・ラーマン)とローズ(オデッサ・ヤング)を自宅に居候させ,シャーリイの負担を軽減しようと考えた。当初,他人との共同生活を嫌悪したシャーリイは,ローズに対して邪険な態度を取るが,懲りずに世話を焼いてくれるローズに対して,次第に心を開いて行く。ローズが適切な小説のヒントを与えるようになると,シャーリイは高揚し,2人の絆は強固になり,やがて誰も介入できない特別な関係に進んでしまった。そのことにそれぞれの夫スタンリーもフレッドも激しい嫉妬心をもち始めた。さらに学問上の成果を出し始めた教授補佐のフレッドに対して,専任教授のスタンリーがアカハラ行動を起こしてしまう一方,フレッドの不倫が発覚し,若い夫妻の関係も元に戻れなくなる……。
2人の女性が接近する過程,小説ネタの追いつめ方,トリプル嫉妬の描き方,いずれをとっても刺激的かつ文学的で,この映画自体がS・ジャクスンの小説世界なのかと思わせる。主演のE・モスは『透明人間』(20年Web専用#3)でタフな主人公を演じた女優だが,本作はまるで違った印象で,迫真の演技は魔女的な雰囲気を漂わしていた。一方,最初は可憐で純朴に見えたローズはしたたかな女性で,次第にシャーリイが可愛く,子供っぽく思えてくる。学者社会の権威的で陰湿な体質の一方,教員を誘惑する女子大生の行動は,おいおいこれが米国の大学の実態なのかと驚きを禁じ得ない。まさに伝記映画に監督独自の視点と虚構を加えた異色作品である。ジャクスン文学の幻想的な文体を映像化し,それを音楽で強化して完成度を高めた監督の手腕に感心した。
■『潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断』(7月5日公開)
実話に基づく映画を続けよう。第二次世界大戦中の出来事で潜水艦映画となると,まず思い出すのはドイツ製の名作『U・ボート』(81)だ。本作はイタリア映画で,潜水艦名は「コマンダンテ・カッペリーニ」。同じ枢軸国だが,イタリア製潜水艦映画を観るのは初めてだ。意表を突く作戦遂行や敵艦を次々と撃沈する戦闘映画ではなく,敵国船の乗務員を救助した物語を描く,珍しい潜水艦映画である。まずは,物語を素直に追う。
冒頭シーンは,1940年9月29日の王国海軍工廠で,女性たちが出航を見送っている。1939年に建造されて就役した艦とのことだ。前半の地中海を航行中は艦内での出来事ばかりで,10月15日にようやくジブラルタル海峡を抜け,大西洋上に出る。夜間,灯火管制をした船籍不明の貨物船を発見したが,艦砲を備えていたため,洋上1000mの距離から発砲し,貨物船は炎上して沈没する。実際には,中立国ベルギーの貨物船カバロ号であったが,敵国英国軍の兵器を搭載していた。
救命ボートで脱出した乗組員が多数生存していた。見棄てても軍規違反ではなかったが,海軍少佐・サルヴァトーレ・トーダロ艦長は「敵艦は沈めるが,人間は救う」と決断し,全員を艦内に収容し,最寄りの安全な港に送り届ける命令を下す。ただし,重量超過のため,潜水航行はできず,英国軍支配海域を無防備で洋上航行せざるを得なかった。艦内は狭く,将校は相部屋で,他の乗員は食堂,トイレ,司令塔にも交替で収容し,全員立ったままで48時間を過ごす過酷な状況だった。10月19日に無事アゾレス諸島サンタマリア島ヴィラ・ド・ポルトに到着し,救出した乗員26名を島に上陸させた。
古い潜水艦の装備や艦内での過ごし方が見ものだった。潜水艦はCGではなく,海軍の協力を得て,3D設計して実物大の艦を作り,海中シーンでも使ったそうだ。ハッチを開けて,艦外作業をする様子も生々しい。艦内は勿論セットだが,古い昔の映画のように見えるのは,それだけリアルな再現である証拠だ。深度120mで圧壊の危険という性能は時代を感じさせる[『沈黙の艦隊 シーズン1~東京湾大海戦~』(24年2月号)のシーバット(やまと)は深度1800mまで潜航していた]。貨物船の船体や炎上はCG製か模型かは不明だが,上空の戦闘機はCGだろう。カバロ号の乗員には,ベルギー人俳優を起用し,オランダ語を話させている。
艦内の会話では,宗教,信仰,歴史に関する詩的なセリフが多いのは,さすがイタリア映画だ。日本の明治天皇の言葉が引用されていたのが驚きだった。艦内でフライドポテトを作ったり,マンドリンを弾いて1曲歌うシーンが微笑ましかった。艦長役は,名優ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ。老けて見えるが,実年齢はまだ54歳で,『天使と悪魔』(09年6月号)『ワールド・ウォーZ 』(13年8月号)等,ハリウッド大作にも多数出演している。実在のトローダ艦長は,当時まだ32歳。2年後にチュニジア沖で戦死したという。本作も「潜水艦映画に外れなし」だったが,前半が少し退屈だった。願わくば,後半の艦内描写をもっと増やして欲しかった。
■『郷愁鉄路~台湾,こころの旅~』(7月5日公開)
台湾映画の鉄道ドキュメンタリーであるから,勿論もこれも実話である。題名だけで,ほのぼの感が感じられる。台湾南部の枋寮駅から台東駅を結ぶ「南廻線」がその対象である。パイナップル畑や海沿いをSLやディーゼル列車走る美しい光景が人気の観光路線であったが,2020年全線完全電化されることになった。その前に原風景を記録映像として残そうと,2017年から4年かけて制作されたドキュメンタリー映画である。
映画は,美しい朝焼けと海のシーンから始まる。そこにSLの出発進行シーンだ。鉄ちゃんじゃなくても,誰もがこの列車が走る姿を気に入るに違いない。路線は勿論単線だ。高架部分を走る姿は,琵琶湖畔の湖西線や山陰本線の余部鉄橋付近を思い出した。山岳部は気候の影響で,かなり危険な場所で,脱線や水没することも多々あるようだ。観光客以外の乗客は少なく,記念乗車券(硬券)の発売で収入を確保しているらしい。日本でも,自販機が出来る前の切符は殆ど硬券だった。駅舎も古く,こちらも日本の昔の地方駅を思い出す。筆者の場合は,昔の山陰本線や奈良線の駅がこの感じだった。
そもそも最南部の山岳地帯の工事はかなりの難工事であり,その開通までの出来事も描かれている。1947年に着工し,ようやく1992年に完成したのだから,日本統治の時代ではない。技術が追いつかなかったため,長期間に及んだようだ。苦労話は,まるで「プロジェクトX」そのものだ。それ以外にも,運転士,整備士等,関係者の個々の思い出話が語られ,廃品グッズ類狙っている「乗り鉄」や「撮り鉄」たちも続々と登場する。
そして遂に2020年の完全電化の記念式典の日がやって来る。これを機に運航中止となる青いディーゼル機関車「藍皮号」の最後の運行や,かつてのSLの勇姿がカメラに収められている。人のそれぞれ人生の想い出が一杯詰まっていて,「いいね!」と言いたくなる。 監督は,ドキュメンタリー専門のシャオ・ジュイジェン(蕭菊貞)。本作は,釜山国際映画祭のワイド・アングル部門にノミネートされたというから,「鉄ちゃん」や「ぽっぽや」の思いは万国共通で,相通じるものがあるのだろう。
■『エンドレス・サマー(デジタルリマスター版)』(7月12日公開)
ドキュメンタリー映画が続く。舞台は,数年前の台湾最南部から,一気に1960年代の米国西海岸へとワープする。いや,LA近くの海だけでなく,「Endless Summer」を求めて,若きサーファー達が世界中を巡る記録映像である。今回は,4Kリマスターしたデジタル映像でのリバイバル公開だが,オリジナルのフィルム版は1964年に限定公開され,全米での一般公開は2年後の1966年と記録されている。日本では1968年に『終わりなき夏』の邦題での公開だったが,当時この映画を観た人はもう少なくなっていることだろう。
その頃の筆者はまだ学生で,京都の映画館で上映される洋画はほぼすべて見まくっていたが,記憶にない。ところが,今回のリバイバルこの前に,この映画の存在は知っていた。2010年頃サーフィン関連のCDを20数枚個人輸入で購入した時に,本作のサントラ盤が含まれていたからだ。ただし,題名を知っていただけで,ドキュメンタリーだとは思わず,ジョージ・ルーカス監督の出世作『アメリカン・グラフィティ』(73)のような若者の生態を描いた劇映画だと思っていた。なぜそう思ったかは,サントラ盤ガイドのページで詳しく述べる。
この『アメリカン…』と同様,本作も米国議会図書館の「国立フィルム登録簿」に収録され,ニューヨーク近代美術館にも所蔵されているという。即ち,数あるサーフィン映画中でも,元祖的な存在であり,記念碑的な実録映画だということだ。それならばと,気合いを入れてしっかり観たが,予想した以上の秀作であった。
製作・監督・編集・ナレーションは,サンフランシスコ生まれのブルース・ブラウン。1950年代からハワイとカリフォルニアでサーフィンに没頭し,短編数本を発表の後,本作に取りかかる。映画の冒頭から,彼の語りで,サーフィンの魅力,基礎知識や用語,西海岸の名所の解説がある。「Wipe Out」は海に落ちることで,「Pull Out」がボードからの降り方,難しいのは「Nose Riding」で大波の先端に乗ること,等々である。加州では冬も不可能ではないが,当時26歳の彼は,夏を追い求め,21歳のマイク・ヒンソン,18歳のロバート・オーガストを伴って,11月に世界一周4ヶ月間のサーフトリップへと出発する。
まずは,アフリカに渡り,セネガルのダカールだ。パリ・ダカール・ラリーの「ダカール」である。砂漠を走るオフロードレースの印象があったが,ラリー終着地のダカール市はアフリカ西端の岬であり,なるほどサーフィンには好適だ。そこからガーナ,ナイジェリアを経て赤道を越え,南アのケープタウンやセントフランシス岬へと向かう。「喜望峰」を映像で見たのは初めてで,感激ものだった。大西洋とインド洋で水温が6度も違うというのも驚きだ。その後,彼らの旅は,豪州,ニュージーランド,タヒチを巡る。道中で現地の子供にサーフィンを教えたり,ヒッチハイク,魚釣り,希少動物との触れ合い等々,話題は尽きない。そして,懐かしのハワイを再訪する。サーフィンは若い2人に任せ,16mmカメラを回し続けていた監督にとって,この常夏の島のワイキキ,アラモアナ,ワイメア湾や荒波のパイプラインは,やはり最高の場所のようだ。
地球を一回りして米国西海岸に戻ったのは,当時パンナム航空の世界一周チケット(1年間有効)が格安だったからだ。これぞ青春と思わせるサーフムービーの金字塔である。筆者が’60年代にこの映画を観ていれば,初めてワイキキに行った時に挑戦していたに違いなく,首都圏では湘南海岸近くに居を構えていたかも知れない。
■『メイ・ディセンバー ゆれる真実』(7月12日公開)
尚も実話ベースの映画が続く。GG賞では4部門,アカデミー賞では脚本賞部門にノミネートされた話題作である。題名の『May December』の意味が分からなかった。「親子ほど年の違うカップル」の慣用句だそうだ。映画の基となった実話「メイ・ディセンバー事件」を知って驚いた。初老の男が若い嫁を貰うなら事件にはならない。男女が逆で,36歳の女性教師が,息子と同級生の13歳の少年と不倫して妊娠し,彼女は児童レイプ罪で逮捕された。その後,獄中出産し,彼女は家庭を捨てて離婚し,7年間の服役後に少年と結婚して平和な家庭を築いたというから,なるほど23歳違いのこのカップルは一大スキャンダルだ。そう言えば,フランスの¯マクロン大統領も同級生の母で24歳年上の高校教師と恋に落ちたが,正式に結婚したのは29歳であり,彼女は妊娠していなかったので,それは事件ではない。
本作は,ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアのW主演である。既に同じ事件をヒントにした『あるスキャンダルの覚え書き』(07年6月号)があり,少年は15歳の設定で,不倫の女性教師をケイト・ブランシェット(当時37歳)が,相談に乗る年長の同僚教師をジュディ・デンチ(当時62歳)が演じるという配役であった。であれば,本作では,前者はN・ポートマン(出演時,41歳)が演じていると思ったのに,何とJ・ムーアが少年と不倫した女性教師役だという。いくら何でも,出演時61歳の女優に36歳の教師役は無茶過ぎる!と思ったのだが,これは杞憂だった。当の少年が36歳になった時,過去の事件を映画化する企画が持ち上がり,その主演女優役がポートマンだった。それなら,女優から取材を受ける女性教師は59歳になっているはずだから,全く問題はない。面白いキャスティングの映画だ。
人気女優のエリザベス(N・ポートマン)は,かつての大事件を描いた映画の役作りのため,ジョージア州サバンナにやって来る。事件の当時者であったグレイシー(J・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)は,獄中出産の長女の後,双子の男女も設けていた。彼らはエリザベスを快く受け容れたが,エリザベスは遠慮会釈なく,当時から現在に至るまでの彼らの心情を執拗に聞き質し,後悔や後ろめたさを引き出そうとする。さらに,2人が知り合ったペットショップの店長,グレイシーの弁護士,前夫や残してきた子供たち,ジョーの家族たちにも会いに行き,探偵まがいの行動で過去の真実を探る。演技のためとはいえ,自分の一挙一動を観察して,真似されることにグレイシーは苛立ちを覚える。一方のジョーは,長年彼女を庇い続けて来たが,あの時の行動は正しかったのかと過去の自分を疑い始める……。
直接事件当時を描かず,23年後に女優に2人の過去の心情を探らせるという設定がユニークだ。勿論,そんな女優は実在せず,フィクションである。脚本はサミー・バーチで,彼の初の長編脚本を読んだトッド・ヘインズ監督が気に入り,過去に4度組んだムーアをグレイシー役に選んだという。オスカー女優2人が火花を散らす演技合戦が見事だった。これは真実を探るサスペンスなのか,それとも部外者の解釈が揺れ動いて行くのか…。答えを明確にしないまま映画は終わる。楽しい映画ではないが,女優の演技が印象に残る映画であった。
■『密輸 1970』(7月12日公開)
次も史実に基づく韓国映画だ。時代は1970年代,裏社会の密輸品取引を巡る海洋クライムアクションで,500万人超動員の大ヒット作らしい。まあ韓国映画なら,それも有りかなと思った。ところが,海女たちが素潜りで海底にある金塊やダイヤを取りに行くと聞き,おいおい,それが実話かよ驚いた。どうやら,密輸品を沖合の海底に投棄しておいて,それを後で引き揚げる犯罪が横行したことまでは史実らしい。それに着想を得て,海女たちを登場させ,海中アクションで悪人たちと戦わせるのは,エンタメ映画としての脚色のようだ。それならば納得できる。
1970年代の韓国は朴正煕長期政権下で,後に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長の反面,裏社会では密輸も横行していた。西海岸の漁村クンチョンでは,素潜りで海産物を得て生計を立てる海女たちの姿があったが,近くの化学工場が垂れ流す廃液のせいで,海中の鮑が死滅する非常事態に見舞われる。背に腹は変えられず,海女チームのリーダーのジンスク(ヨム・ジョンア)は,外航船が海底に投じた密輸品を引き揚げる仕事を請け負うことを決断する。作業は順調に進んだが,ある日,税関の監視船が現われ,その混乱の中でジンスクの父と弟は落命し,海女たちは逮捕され,刑務所送りとなった。
2年後,辛くも泳いで脱出した海女の1人,チュンジャ(キム・ヘス)はソウルの明洞で密輸品を売りさばいていた。裏社会の密輸王・クォン軍曹(チョ・インソン)に脅され,苦し紛れにクンチョンに戻っての密輸ビジネスを持ちかける。クンチョンでは,出所していた親友のジンスクに共同戦線を持ちかけるが,若造だったドリ(パク・ジョンミン)が漁村を仕切っていた。さらには,税関の鬼係長ジャンチュン(キム・ジョンス)が犯罪摘発から得た密輸品を横領していた。かくして,四つ巴の駆け引きと陰謀が絡む中,海底に眠るダイヤを巡って,鮫が生息する海中でのバトルが展開する……。
監督・脚本のリュ・スンワンとクォン軍曹役のチョ・インソンは,ヒット作の『モガディシュ 脱出までの14日間』(22年Web専用#4)のコンビで,サスペンス演出の息は合っていた。元々,海女なる女性漁師は,日本と韓国だけにあった職業で,海外では珍しく, 彼女らをアクション映画と絡める構想は,意外性があり,エンタメとしては合格だ。韓国人にとっても今では懐かしい存在なので,全編で流れる韓国歌謡(かなり通俗で,およそ上品ではない)と相俟って,映画はヒットしたのだろう。
主演のキム・ヘスとヨム・ジョンアは,既に50代のベテラン女優だが,なかなかの美形で,海女の姿が初々しい。彼女らは,アーティスティックスイミング国家代表コーチの特訓を受け,水中バレエチームと一緒に水中アクションを演じたという。本物の海女の姿は,伊勢志摩での観光用ショーでしか見たことがないが,違和感はなかった。強いて言えば,海に沈む際の足の運びは,海女というより,かつての五輪でのシンクロナイズドスイミングの演技を思い出してしまった(笑)。
■『クレオの夏休み』(7月12日公開)
ご存知のように,題名がシンプルな場合,当欄ではしばしば,そこからどんな映画を想像したかを記している。題名から受ける印象を考えて邦題を付けて欲しいという願いが主目的だが,内容を想像する愉しみを自ら味わっているからでもある。本作の場合,以下のように想像した。家族全員か1人で,祖父母か伯父伯母の家に滞在した少年の物語で,一夏の想い出か,毎年通った夏の出来事を大人になって振り返るスタイルだ。場所は欧州のどこかで,名前からアジア,季節から南半球は考えにくい。色々な出来事の一部で,美少女との淡い恋の想い出も有り得るが,主テーマではない(その場合は題名に反映される)。野山を駆け巡り,当初邪険だったガキ大将と心を通わせるようになるヒューマンドラマが本命だ。
といった定番のドラマを想像したのだが,前提で大きな誤りがあった。「クレオ」は少年ではなく,少女の名前であった。日本人ゆえに「オ」がつくと,その響きから男性と思い込んだのか,「マリオ」「トニオ」等から勝手に想像してしまったのか…。「クレオパトラ」の「クレオ」なら当然女性であるし,過去作を調べるとディズニーの『ピノキオ』(40)でゼペット爺さんが飼っていた金魚がこの名前で,よく見ると女性らしい顔立ちであった。
ともあれ,本作はフランス映画で,主人公のクレオ(ルイーズ・モーロワ=パンザニ)は,父親とパリで暮す6歳の少女である。いつも面倒を見てくれるナニー(乳母)のグロリア(イルサ・モレノ・ゼーゴ)が大好きで,互いに本当の母娘のように感じていた。ところが,グロリアの母親が死んだとの報せが入り,家族の世話をするため,彼女は故郷のカーボベルテに帰ってしまう。突然の別れに悲しみにくれるクレオに対して,グロリアは自分の子供たちと暮すアフリカの家に招待する。そして待ちに待った夏休み,クレオは独りで海を渡って遠く離れた島へと旅立つ。美しい島国での慣れない生活に,幼いクレオは恐る恐るながらも溶け込んで行く……。
6歳の少女が単身で海を渡るというのに驚いたが,大きな事件もなく,無事島に到着した。カーボベルテはモーリタリアとセネガルの沖にある火山群島の島国で,アフリカ最西端の独立国とのことだ。人口は約50万人,人種的にはポルトガル人とアフリカ系クレオール人が大半である。少女クレオの名前もそれに因んでつけたのだろう。農業・漁業だけでは生活できず,島に寄港する船舶や航空機のサービス業が主産業らしい。家族を島に残し,欧州に出稼ぎに出かける島民が多いことが,この映画からも読み取れる。
明るい太陽光,真っ青な海は想像できたが,民族衣装も驚くほどカラフルだった。冒頭と途中に水彩画調のアニメが入り,少女の揺れる心象風景を描いている。挿入歌も上質で,女声のシャンソンは歌詞の響きが美しい。異文化と接しながら,成長して行く少女の人生体験が心を打つ。監督・脚本は,ジョージア系フランス人のマリー・アマシュケリ。撮影,編集,音楽担当も全員女性で作り上げた映画だった。少年と少女が違っていただけで,筆者の予想は大筋で外れていなかった。主人公の少女クレオは毎年この島を訪れると考えるのが自然だろう。数年後に,続編が作られることを期待したい。
■『お母さんが一緒』(7月12日公開)
今月号で最初の邦画である。実はここまでにもう2本邦画を観ていたのだが,観客を不快にさせるだけの映画と思い,書かなかった(題名は伏せておく)。低評価で酷評せざる場合は,掲載しないのも礼儀だと思い,それらは外している。かくして,本作が1本目となった次第だ。このフィルタをくぐり抜けただけあって,本作は抜群に面白かった。寡作の橋口亮輔監督の7年ぶりの新作だけのことはある演出で,当欄に愛読者にはオススメだ。ただし,この題名からはどんな映画か全く想像できなかった。
親孝行として,三姉妹が誕生日に母を連れて温泉旅行に出かける。そこで展開する姉妹喧嘩の一部始終を描いたホームドラマである。まず,深い山に囲まれた温泉旅館に向う道中から諍いが始まる。宿に到着後,次女が担当した宿選びに長女が難癖をつける。母親の悪口を言い始めると,それも際限なく続く。夕食時のサプライズに母に贈るプレゼントを巡って,また一悶着だ。さらには,温泉に入ろうと着替え始め,派手な下着を見て……。
三姉妹の性格とキャスティングを整理しておく。長女・弥生を演じるのは江口のり子。既に40歳の独身女性で,典型的なモテない嫌味女だ。美人姉妹の次女,三女に対して容姿の劣等感をもっている(との設定だが,他の2人もさほど美人に思えない)。江口のり子はこの役にぴったりだ。『あまろっく』(24年4月号)でも高学歴の独身女性で,父親の再婚相手をいびっていたが,その個性を10数倍にしたような役柄である。
次女・愛美役は内田慈。本作の橋口監督の『ぐるりのこと』(08)でデビューした女優だ。優等生の姉に劣等感があり,不倫経験があるらしい。長女とは対照的な役柄だ。姉からの口撃に対して堂々と渡り合うのが,凄まじい姉妹喧嘩の核となっている。母親と同居している三女・清美役は古川琴音。大人しくて客観的で,姉2人の口論の仲裁役だったが,後半は発言も多くなり,自己主張を通す。前作『言えない秘密』(24年6月号)で,演技派の彼女には純愛ドラマは似合わないと書いたが,本作は仲裁役ゆえ,余り演技力は必要としていない。
この三女が母親へのプレゼントとして,婚約発表するつもりで婚約者・タカヒロ(青山フォール勝ち)を呼び寄せていたことから,事態は紛糾する。当然姉2人の嫉妬心は凄まじいが,バツイチの子連れと判明して,さらに騒動は加速する。それでいて,最後は穏やかで和気あいあいとしたエンディングで締めくくっていた。
旅館の和室内が大半で,この3人+1人の会話だけで成立する見事な1シチュエーションドラマである。では,肝心の母親役はと言えば,前半の途中で気付くが,最後まで顔を見せない。三姉妹のセリフだけで,母親の性格まで感じ取れるのが味噌である。長回しのシーンも多く,さぞかし俳優はセリフを覚えるのが大半だっただろう。喧嘩しながら笑っているシーンもあったが,これは本来NGシーンを,洒落でそのまま入れたのだろうか?
てっきり舞台劇をそのまま映画化したものと思ったが,少しだけ違っていた。原案・脚本のペヤンヌマキが主宰する演劇ユニット「ブス会」が上演した2015年の同名舞台劇が基で,橋口監督が自ら脚色を手がけたCS放送「ホームドラマチャンネル」が制作したドラマシリーズ(全5回)を再編集したのが本作とのことである。道理で,罵詈雑言のセリフもこなれていた訳だ。
(7月後半の公開作品は,Part 2に掲載しています)
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