O plus E VFX映画時評 2024年6月号
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
迂闊であった。現代美術を代表する芸術家を描いたこの圧巻のドキュメンタリー映画が3D上映されていることを知らなかった。当映画評が好んで取り上げる世界的アーティストの伝記映画であり,しっかり紹介記事を書き終えてWebサイトにアップロードしたつもりだった。監督は3D映像に拘り,3D&6K映像を収録していたことは分かっていたが,まさか日本国内で3D上映されているとは思わなかったのである。
刺激的な題名と概要を見て,これはじっくり観たいと思い,配給会社にオンライン試写での視聴を希望した。試写室で1回だけ観て満足できると思わなかったので,3回まで視聴可能で,一時停止も,繰り返し再生もできる「オンライン試写」を選んだ訳である。それ自体は正解だった。驚くべき芸術作品の数々を何度も見直すことができた。「その他の作品の論評」欄の記事を書いて配給会社に報告し,同社から指摘を受けて,3D上映で公開されていることを知った次第である。
10数年前に『アバター』(10年2月号)が契機となって,何度目かの3D映画ブームがやって来た。今度こそ本物との声もあったが,案の定,徐々にその火は消えていった。米国では,現在でもハリウッドメジャーのアクション大作やフルCGアニメはかなりの比率で3D製作&上映されているのに,日本の配給ルートではそれを2Dでしか興行しようとしない(最近,少しは3D上映も復活し始めたが)。失礼を省みずに言うなら,現状こうした単館系作品が,その配給ルートで3D上映されるとは思いもよらなかった。東京で2館,大阪と仙台で各1館の計4館だけとはいえ,これだけのスクリーンを確保したのは,立派なものだ。その心意気やよしである(追記:この4館は6月21日の公開時のことで,その後,別の地域での3D上映も計画されているようだ)。
かつてのブームの最中では,当欄でも積極的に3D作品を取り上げた。世の中からは「3D映画評論家」扱いされて,何度かインタビューを受けた身としては,本作を3Dで観ないのは「大恥」である。既に公開が始まっていて,2週目からは上映回数も減っていたが,先約をキャンセルして,1週間遅れで「TOHOシネマズ日比谷」に駆け付けた。同時に,Topページにメイン記事として「追加掲載予定」を予告した。CG/VFX多用作ではないが,貴重な3D作品は画像入りのメイン欄で語るのが妥当であり,この映画を世に出した監督に対する礼儀であると考えたのである。
という訳で,以下は既に「その他の作品の論評 Part 2」に掲載していた記事を格上げし,大幅に加筆したものである。画像は,配給会社から入手したもの以外に,この芸術家を紹介しているサイトからも調達している。
【偉大な芸術家と3Dに拘る映像作家】
被写体は,戦後ドイツ最大の芸術家と言われるアンゼルム・キーファーである。当初は,大方の芸術家と同様,画家としてスタートしたが,次第に写真,彫刻,版画,建築など幅広いジャンルの作品を創作するようになった。現代美術の中の「新表現主義」の代表的作家で,抽象表現主義の影響も受けているという。1960年代後半からナチスや戦争を題材とした作品を発表したことから,大きな批判にさらされたが,それをものともせずタブーに挑戦したという。ドイツにとって蓋をしたい暗い過去に向き合ったことから,特にアメリカで人気を得たようだ。その他の題材としては,古代神話,聖書,宇宙をテーマにしたものが多く,絵画であっても,藁・砂・鉛などを素材とした異色作品を生み出している。反骨精神が豊かなため,「いらだちの巨匠」とも呼ばれている。
本作は,この偉大な芸術家の生涯と現在を追う圧巻のドキュメンタリーだ。2年半かけて彼を徹底取材したのは,同国出身で同じ1945年生まれの名匠ヴィム・ヴェンダース監督である。この名前は,昨年末公開の役所広司主演の『PERFECT DAYS』(23年12月号)がアカデミー賞国際長編映画賞部門にノミネートされたことで,本邦でも広く知られるところとなった。日本アカデミー賞では,同作で最優秀監督賞に選ばれ,外国人で初めての受賞となった。ベルリン,ヴェネチア,カンヌ等の映画祭の常連で,劇映画でも秀作を生み出しているが,元々ドキュメンタリー映画が得意であり,数々の表彰を受けている。
彼が四半世紀前に手がけた音楽映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(99)は大ヒットし,キューバ音楽を広く世界に知らしめた。当欄で紹介した『同★アディオス』(18年7・8月号)は,このバンドの解散公演記録であり,ヴェンダース監督は製作総指揮のみを担当していた。一方,『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(12年3月号)は前衛芸術すぎて,筆者には全く理解不能で,歯が立たなかった。本作の芸術作品も全てを理解できたとは言えないが,映画の構成は分かりやすく,この芸術家の創作の変遷や思想が克明に描かれている。
本作は,ドイツを代表する現代芸術家と輝かしい実績をもつ映画監督が,長年の交友関係を得て生み出した記念碑的な映画である(写真1)。
【意表を突く作品群と広大なアトリエ】
映像は明るくシャープだった。映画の冒頭から,次々と意表をつく作品群が登場し,驚かされた。林の中に白い女性のドレスが置かれている(写真2)。オペラ風の歌曲に乗って,カメラが林の中を移動し,もうこれだけで3D性をたっぷりと感じる。近くに温室のようなガラス外壁の小屋があり,同じような白いドレスが多数あった(写真3)。頭部には別々の奇妙なオブフェが配されていて,「古代の女性」なる作品群らしい。その隣の空き地には,立方体状のブロックを積み上げて塔のように見える物体が何本もあり,「ホワイト・ブロック」というそうだ(写真4)。これらは常時この場所にあるのか,それともこの映画の撮影のために配置したのか,不思議だったが,この芸術家の代表作であることは間違いない。
続いて登場するのは,パリ近郊クロアシーにあるアトリエだった。絵画もオブジェも巨大だが,アトリエ自体が凄まじい広さで,アンゼルムはその中を自転車で回遊していた(写真5)。先ほどのブロックが積まれていたので,ここは創作現場であると同時に,過去作品の保管場所と素材の倉庫も兼ねているようだ。ここまでたった10分だったが,完璧に圧倒された。
【創作の意欲と場所を年代順に追う】
一転して,伝記映画らしく,彼の創作の歴史を辿るモードに入る。童話の挿画風のアニメで始まり,アンゼルムの幼少期を演じているのは,監督の孫甥(兄弟姉妹の孫に当たる男性)のアントン・ヴェンダースだった(写真6)。一方,青年期のアンゼルムを演じていたのは,息子のダニエル・キーファーである(写真7)。既にかなりの年配で,青年期には無理があると感じたのが,若き日の創作風景は息子に演じさせたかったのだろう。その他の部分では,アンゼルム自身は再三登場するが,インタビュー形式ではなく,それは過去に取材を受けた映像が流れる。ヴェンダース監督の語りはない。
両親はウクライナで殺されたそうだ。初期作品の多くに瓦礫や戦争の爪痕が描かれているのは,大戦後のドイツがいかに「傷ついた世界」であり,その時代に青少年期を送ったことの表われであるかが分かる。大きなキャンバスに藁や枯れ木を貼り付け,それをガスバーナーで焼いている制作風景に驚いた(写真8)。
自然風景を題材にした作品作りが始まり,息子のダニエルが雪原や林の中での写真撮影を再現している。オーデンヴァルト山地に拠点を設け,ホルンバッハのアトリエ(1971-1982),ブーヘンのアトリエ(1983-1993),ヘプフィンゲンのレンガ工場跡(1988-1993)等,制作場所を頻繁に移しながら,活発な創作活動を続けていたようだ。早くから工場跡地を取得して,巨大なインスタレーションや独自の彫刻作品を作り始めている。各時代の作品が次々に登場するが,現在の作品に比べて暗く感じた。
ドイツでは高く評価されなかったためか,フランスに移り,南仏バルジャックのアトリエ(1992-2020)を設けている。200エーカーの土地を確保し,建築家の力を借りず,助手たちとこのエリア自体をアートに変えている。冒頭の林はその一部のようだ。2020年以降は,エシャトン財団として活動しているが,創作活動への情熱は全く衰えていない。
【さらに続く驚異的な作品群と哲学的思索】
終盤の約30分で,少年時代のアンゼルムと現在のアンゼルムが交互に登場する。何やら,これまでの創作活動を改めて振り返り,少年時代の心で人生と創作を振り返っているようだ。向日葵畑に寝そべったり,夜空の星を眺めたり,自転車で草地を走り回ったりは,少年時代の体験なのだろう。それを思い出しての素朴な作品(写真9)もあれば,自らの芸術の到達点に関する思索的な発言がある。どうやら,根底に自分は追放されたとの思いがあるようだ。圧倒的な完成度の作品(写真10)をもってしても,まだ軽きに走り,高みに達していないと感じている。困った人だ(笑)。
W・ヴェンダース監督は,2年間で7回アンゼルムに会って撮影し,その後,さらに2年半かけて編集したという。この映画は,アンゼルムの人生と作品の紹介映画であると同時に,ヴェンダース監督が編み出した芸術作品となっている。随所に作品名は登場するが,もう少し各作品の補足説明が欲しかったと感じた。そんなものはどこかの解説書を読めと言うのだろう。それでも,彼の人物と業績を知るのに,これ以上のドキュメンタリーはないと断言できる。
アンゼルム・キーファーのことは,本作まで全く知らなかったが,こんなスケールの大きい作品を創り続ける芸術家がいるということだけで感嘆した。本稿の加筆に当たり,ネット上でも情報収集したが,ますます興味をもった。日本で作品は観られるのだろうかと思ったら,現在,25年ぶりの個展「Opus Magnum」が,北青山の「ファーガス・マカフリー東京」で開催中であった(7月13日まで)。ただし,残念ながら,ガラスケ-ス内の小作品と小さな絵画だけのようだ。大規模個展は,来年(2025年)の3月から6月まで,京都・二条城での開催が決定している。二の丸御殿や城内庭園を利用するようで,それなら大きな作品も展示できる。今から楽しみだ。
【3D映像の意義と表現技法】
本作における3D上映の意義を整理しておく。両眼立体視で立体感を得るためには,撮影時に基線長が既知の2台以上のカメラを利用するのが定番であった。ところが,現在のハリウッド3D作品の大半は,1台のカメラで撮影し,後処理で「2D→3D変換」する「Fake 3D」を採用している。フェイク技術が進歩したため,対象オブジェクトを適切に配置し,運動視差が生じるようにカメラ移動をすれば,何とか我慢できる3D情報が得られるようになったからである。深層学習系の画像AI技術の進歩により,連続フレーム間の対応点探索の精度が上がり,実用性も増している。言うまでもないが,フルCGアニメの場合は,視点位置は自由に変えられるので,元々何の心配もない(それでも3D上映しようとしない)。
本作の撮影方法に関する情報はなかったが,3D映像に拘りのあるヴェンダース監督が「Fake 3D」を使うとは思えない。エンドロールには,3Dリグの担当者の名前はあったが,3D Conversionの担当者はいなかったので,2台のビデオカメラでの「Real 3D」で撮影したと思われる。これで3D作品は4作目とのことだ。派手な飛び出しの演出はなく,全編で奥行き情報を感じさせる3D映像であった。
演出的には,大別して以下のような対象の場合に,3D効果が高かった。
①アンゼルム作品単体が,複雑な形状をしているもの(写真11)。
②複数の作品が配置された空間(写真12)。写真3もこれに相当する。
③透視図法による消失点が分かりやすいように配置された映像(写真13)。
④周りが囲われ,手前が空いている空間(写真14) or 多数の木や柱が林立している空間(写真15)。
いずれの場合も,物体の周りをカメラが回り込んだり,左右や前後方向に移動することで運動視差が生じやすいカメラワークを採用していた。アトリエ内を自転車で移動する写真5は,いくつもの要素が組み合わさっていたと言える。
筆者の場合,オンライン試写で映像を行きつ戻りつを観たので,画集のページを好きに繰っている感覚であった。それに対して劇場内で3D上映を観た時には,ヴェンダース監督の引率で,作品観賞しながら美術館内を移動している気分になった。後者の場合,3D上映がより効果的であったことは言うまでもない。
本作は全国順次公開だが,3D上映のロングランは期待できず,まもなくスクリーンは他作品に明け渡すことを余儀なくされるだろう。それまでに是非3Dで観ることをお勧めしたい。同時に,本作を輸入して,3D上映に踏み切った配給会社には敬意を表したい。
【付記:VFXの利用シーン】
折角,特例として大幅加筆し,画像入りのメイン記事に格上げして差替えたのだからVFX利用シーンにも触れておきたい。3D映像に関しては上記のように配慮がなされていたが,SFアクション映画のように明らかなCG/VFXシーンがあった訳ではない。唯一,終盤のモノクロ映像の中に,誰が考えてもVFX合成と分かるシーンがあったので,それに言及する。その画像を追加入手するのが遅れたため,再度「付記」として加筆することにした。
ビルの大半は破壊され,瓦礫だらけの廃虚となった都市の空中に張られたロープ上をアンゼルムが綱渡りで歩くシーンである(写真16)。おそらく,大戦直後のドイツの都市なのだろう。綱渡りは,昔から曲芸師が披露する空中曲芸の一種だが,近年屋外スポーツとして楽しむ競技は「スラックライン」(本来はそのロープのこと)と呼ばれている。ビル間や渓谷の上の場合,「スカイウォーク」とも言う。地上から100m以上,歩行距離も数十m以上のことも珍しくないようだ。当欄で紹介したロバート・ゼメキス監督の『ザ・ウォーク』(16年1月号)は,今はなきNYのワールドトレードセンターのツインビルの間,高さ411mに張ったロープを歩く映画であった。
その映画ですら,スタジオ内の低い位置のロープを俳優が歩く姿をグリーンバック撮影し,屋外の実写映像に合成していた。CG製のデジタル俳優にCG製のビル間に渡したロープを歩かせていたシーンもあった。アンゼルムが綱渡りの達人である可能性もなくはないが,彼の伝記映画とはいえ,そんな曲乗りを大芸術家にさせるとは思えない。そもそも大戦直後の廃虚の時代には,1945年生まれのアンゼルムはまだ子供であり,写真5は合成でしか有り得ない。彼の足指はロープをしっかり把持していないので,スタジオ内にはロープすら張らず,床を歩いている映像と昔の廃虚の画像とを合成しただけだろう。少し高さがあるロープ上を歩く足元を捉えたシーンもあったが,上半身はなかったので,その部分は別人が演じていたと考えるのが普通だ。
綱渡りには,バランスを保つため,両端部が少し重い長い棒をもつのが普通だ。「やじろべえ」の原理である。このシーンでアンゼルムが手にしているのは棒ではなく,枯れた向日葵の茎のようだ。他のシーンにも何度か登場し,大きな絵画でも描いていたように,彼の少年時代を象徴するアイテムである。
足下の廃虚の町は,深い森の中の流れる美しい川(ライン川?)のシーンへと変わる。これは戦後ドイツの復興を示しているのか,あるいは少年アンゼルムが豊な心をもつ芸術家に成長したことのメタファーなのだろうか? この綱渡りの後,大人のアンゼルムが少年アンゼルムを肩車し,「子供時代は空っぽの部屋だ」と語る。「この空白から戦後の復興や彼の人生は始まった」と言いたいのかと思われる。
廃虚の町は実在の白黒写真であったため,綱渡りシーンもモノクロ映像にせざるを得なかったのだろう。であれば,峡谷のシーンになるとともに,徐々にカラーにして行く演出でも良かったか思う。
この一連の綱渡りVFXシーンは,アンゼルム自身の希望であったのか,それともヴェンダース監督の発案だったのだろうか。いずれにせよ3D効果をしっかり感じさせるシーンであった。
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