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O plus E 2021年Webページ専用記事#4
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
 
   『トゥモロー・ウォー』:隔月刊の間を埋める「21Web専用#4」の今回は,VFX大作のラッシュである。とても全部を長いメイン記事で書くだけの時間的余裕がなく,何本かは(長めの)短評で済まさざるを得ない。その筆頭はこのSFアクション映画で,7月2日からAmazon Primeで独占配信されている。当初は2020年12月25日にパラマウント映画として公開予定だったのが,例によってコロナ禍で,7ヶ月間の公開延期がアナウンスされていた。それでも劇場公開の見通しが立たず,配給権をAmazonに売却したということのようだ。Prime会員なら追加料金なしでいつでも見られ,これで面白ければ何の文句もない。物語は2022年12月末から始まる。W杯の競技場に,突如30年後の未来からやって来た武装兵士たちが現われ,助けを求める。30年後の世界は「ホワイトスパイク」なるエイリアンに侵略され,人類は滅亡寸前だという。そこで,時間転送に適性がある人間が選ばれ,2051年の世界で1週間エイリアンと戦い,年が明けた2023年の現代に戻って来るという軍事任務に就くことになる。過去を書き換えるために未来人がタイムワープして来る物語は多いが,自分の先祖たちに援助を求めに来るという設定がユニークだ。主演はイケメン男優のクリス・プラットで,元軍人の高校教師という役柄である。未来で大人になった実の娘(イヴォンヌ・ストラホフスキー)と出会い,ホワイトスパイクを絶滅させる毒物の開発に成功するという筋立てである。ズバリ言えば,タイムワープ要素を加えたエイリアンとのバトル・アクション映画だ。30年後の未来は荒廃した町で,さほど未来らしい描写は登場しない。人間を捕食するホワイトスパイクは醜悪で,まずまず平均的なエイリアンの水準に達している。その他,戦闘機,軍用ヘリ,町の爆撃と炎上等々,VFXシーンの分量は多いが,さほど斬新でも画期的でもない。本作を見ている間ずっと,30年後の未来と言いながら,2022年と2051年では29年しか差がないことが気になっていた。おそらく,公開延期になったため,物語の開始時期を単純に1年ずらしたのだろう(ならば,未来も2052年とすればいいのに)。そうした杜撰な管理,安易な脚本が,SF映画としてのリアリティのなさにも表れている。毒物の合成に成功したなら,それをもっと活かした結末にできたと思うのに,エイリアンの退治方法,物語の着地点が少しお粗末だった。それでも,余り難しく考えないなら,エンタメとしてはそこそこ楽しめると言っておこう。
 『ジャングル・クルーズ』:次も1年以上公開延期となっていた映画で,本来なら当然本誌メイン欄で取り上げるべきVFX大作だ。数日の差で本誌7・8月号の締切に間に合わず,さらに短評欄にせざるを得なかった作品である。最大の理由は,CG/VFXを多用しておきながら,解説に値する重要なシーンのスチル画像が殆ど提供されないことだ。ディズニーランドの人気アトラクション「ジャングルクルーズ」を実写映画化した作品であり,ピクサーやマーベル・ブランドの作品群よりも注目されるべきディズニー本家筋の映画のはずなのに,やや凡庸な出来映えであったためでもある。この題を聞いた時も,予告編を観た時も,ワクワク感は少なく,観客の記憶に残らない映画で終わるのではと危惧した。まず第1に,ディズニーで「ジャングルもの」と言えば,圧倒的な迫力と精緻さで動物たちをCGで描き,オスカー受賞作となった『ジャングル・ブック』(16年8月号)を思い出し,本作の印象が薄いのでは感じた。第2の理由は,主演がドウェイン・ジョンソンであることだ。ジャングルと彼の組み合わせでは,『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』(18年3・4月号)『ジュマンジ/ネクスト・レベル』(19年Web専用#6)の続編なのか,「もういいよ」と思わせてしまう。第3に,原アトラクションは水上をクルーズ船で遊覧し,洞窟にも入ることは覚えているが,細部は「カリブの海賊」と区別がつかなくなっている観客が少なくないことである。即ち,映画も『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズと混同して,明確な記憶に残らない可能性が大と予想されたからだ。本作を,時には物語をマクロな視点で眺め,時にはCG/VFXの細部を熟視したのだが,予想通り,記憶に残りにくい映画であった。もう1人の主演は,植物学博士のリリーを演じるエミリー・ブラントで,不老不死の生命力をもたらすという「奇跡の花」の秘密を解き明かすべく,アマゾンのジャングルにやって来る。そこで,クルーズツアーの船長フランク(D・ジョンソン)を雇い入れ,先住民の村や滝の裏側へも訪れ,悪役のドイツ人たちと「奇跡の花」の争奪戦を演じる冒険物語である。この映画のためのオリジナル脚本だが,特に知られた原作がある訳ではなく,どこかで聞いたような筋立てだ。下手なジョークやギャグがわざとらしく,笑えない。大物俳優2人をこのレベルの映画に使うのはもったいないと感じた。ILM,Weta Digital, DNEG等の一流スタジオが手がけたCG/VFXは,質が悪かろうはずがなく,分量的にも何の不満もない。大滝や洞窟内で水が引いて行く様はなかなかの出来映えだ。フランク船長のペットの豹は勿論CG製だが,仕草や人間との絡みが良くできていた。高額の製作費を投じただけあって,美術的にもかなり凝っているが,少しものものしい。この映画だけ単独で観れば,結構楽しめるファミリー・ムービーなのだが,この数年間のディズニー配給作品のクオリティの高さを考えれば,その中での相対的評価は高くできなかった。
 『すべてが変わった日』:主演はダイアン・レインとケビン・コスナーで,これが4度目の共演である。またまた初老の夫婦役となると,誰もがクリプトン星からやって来たカル゠エル(スーパーマン)の育ての親のケント夫妻を思い出す。本作の時代設定は1963年で,元保安官のジョージと妻マーガレットはモンタナ州の牧場で長男夫婦と平穏な生活を送っていた。息子は超人のクラークではないので,不慮の落馬事故で落命してしまう。その後,残された義理の妻ローナは子供ジミーを連れて再婚するが,夫ドニーがDV男でジミーに暴力をふるう。おまけに何の連絡もなく,ドニーの実家のノースダコタ州に転居してしまったので,マーガレットは義理の娘と孫を取り戻すべく,同地に向う決意をする。ところが,ドニーの実家のウィーボーイ家は女家長ブランチが支配する異様な一族だった。まるで「犬神家」のような時代遅れの不気味な大家族である。物語途中で,先住民の青年と知り合って交流が始まると,今度は『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)的な展開を期待してしまう。そんな観客の勝手な思いはともかく,しっかり者の妻と少し不器用だが誠実な夫の熟年夫婦は,実直なケント夫妻のイメージを崩さず,物語は進展する。サイコスリラー調の演出で,彼らがいかにして孫ジミーを救出するのか,終盤は息もつかせない。元保安官というので,夫ジョージが敵を一網打尽にする無敵ぶりを期待してしまうのだが,彼が多数の敵を相手に傷つけられるのを見て,我に帰る。女家長を演じるレスリー・マンヴィルの怪演ぶりが印象的だった。ならば,ウィーボーイ邸の装飾ももっと異様にし,各家族の人物描写ももっと極端にした方が良かったかと思う。日頃,派手なアクション映画に毒されていると,平凡な熟年夫婦が長い結婚生活を振り返る会話や,大きな決断をするまでの過程をじっくり描いたこういう映画もいいなと感じる。原作はラリー・ワトソンの「Let Him Go」で,監督・脚本はこれが長編4作目となるトーマス・ベズーチャ。古風に見えて,妻マーガレットの描き方は存在感のある現代風女性であり,その半面,夫ジョージは古き好き時代のアメリカ人男性の姿である。そのバランスが絶妙だ。
 『リル・バック ストリートから世界へ』:世界的ダンサーの「リル・バック」に焦点を当て,彼の驚くべき表現能力と,いかにして注目されるに至ったかを描いたドキュメンタリー映画である。当短評欄で取り上げるアート,ファッション,音楽,スポーツ等に関する映画は,筆者が日頃得られない知識や教養の源泉として選択しているが,本作はまさに普段は接することのない,凄いものを見せてくれる映像作品の典型だった。黒人主流の音楽都市メンフィスで生まれた「メンフィス・ジューキン」のストリート・ダンサーで,自らの生い立ちや有名になった今も自分の原点への熱き思いを語る。エルヴィス・プレスリーの邸宅グレースランドがある街としても知られるが,犯罪多発都市でもあるテネシー州メンフィスの風景が,この映画のもう1つの主役である。そのゲットーで育った彼は少年時代から「ジューキン」に傾倒し,やがて奨学金を得てクラシック・バレエにも挑戦する。何しろ,もの凄い運動神経,リズム感で,くるぶし,つま先の動きが凄まじい。一流のバレエ・ダンサーでもこうは行かない。ジューキンとバレエを融合させ,名曲「白鳥」(バレエ分野の「瀕死の白鳥」)を踊って,ヨーヨー・マに認められる。彼のチェロ演奏で踊った様子を映画監督スパイク・ジョーンズが映像に収め,それをYouTubeに投稿したことから人気が爆発したという訳だ。本作の中で,その踊りも紹介されるが,表現力の豊かさに圧倒される。彼の昔の姿を捕えたビデオ,代表的な舞台でのダンス,そして本作のために新たに撮影されたダンスシーンが,バランス良く配されている。そのすべてで,足元の動きに注意が向いてしまう。監督は,クラシック音楽やオペラのドキュメンタリーを撮り続けてきたフランス人監督のルイ・ウォレカンで,構成も巧みだ。
 『モンタナの目撃者』:アンジェリーナ・ジョリー主演のサバイバル・サスペンス映画である。こうしたタフなアクション女優としてのアンジーを見るのは,随分久々のことだと感じた。CGアニメ『カンフー・パンダ』シリーズの雌トラ,『ゴリラのアイヴァン』(21年Web専用#2)の老いた雌ゾウの声の出演は別格としても,堂々たる主演の『マレフィセント』(14年7月号)『同 2』(19年Web専用#5)は大きな翼をもつ魔女役で,かなり特殊な役柄だった。その前の『チェンジリング』(09年2月号)『マイティ・ハート/愛と絆』(07年12月号)は,演技派に転じたのかと感心する好演だった。アクション女優の印象は,原点である『トゥームレイダー』(01年9月号)『同 2』(03年10月号)のララ・クロフト役まで遡ってしまうが,もはや巨乳,タラコ唇のゲームキャラを演じた頃の豊満な体形は維持していない。すっかりスリムになってしまい,本作では相手役の少年コナー(フィン・リトル)から,劇中で「随分痩せている」と言われるほどだ。本作で演じる主人公ハンナは,過去の体験から心に傷をもつ山火事担当の森林消防隊員である。父が残した重要機密書類を狙う暗殺者から,このコナー少年を守り抜くというのが物語の骨格だ。それだけなら単純極まりないエンタメ映画なのだが,そこに山火事が加わるゆえに,かなり見応えがあった。まず,舞台となる米国モンタナ州の森林が頗る美しい。そこで起こる山火事の描写も素晴らしく,暗殺者と山火事の両方の危機が存在することで,緊迫感が倍増している。悪役がいい映画は引き締まるが,殺し屋兄弟のジャック(エイダン・ギレン)とパトリック(ニコラス・ホルト)の冷徹無比な行動が印象的だった。これまでにも多数の火災映画があったが,炎の表現が一段と進化していると感じた。選んだ撮影場所に186本もの本物の木を植え,それを順次燃やして撮影したというが,CG製の炎でそれを増強していることは確実だ。監督・脚本は,『ウインド・リバー』(18年7・8月号)のテイラー・シェリダン。同作はワイオミング州の雪原が舞台の秀作だったが,雪と火災の違いはあれど,大自然をバックとした物語展開は本作と好一対だ。
 『ブライズ・スピリット〜夫をシェアしたくはありません!』:お軽い副題からB級の邦画を想像したのだが,洋画で原題は単なる『Blithe Spirit』だった。配給会社がこの派出な副題をつけるからには,女性上位の現代風ドタバタ喜劇かと思ったら,何と,元は英国の著名な戯曲「陽気な幽霊」とのことだ。原作者ノエル・カワードは1920〜1940年代に活躍した英国人で,俳優・作家・戯曲家・脚本家・演出家・作曲家・歌手・映画監督だという。1941年の初演当時だけで約2千回も上演されたというから,相当な名作に違いない。1945年に名匠デヴィッド・リーン監督が映画化し,TV番組化,ミュージカル化もなされている。今回の75年ぶりの再映画化は,大ヒットTVシリーズ『ダウントン・アビー』のスタッフ&キャストで実行され,監督はエドワード・ホール,主演はダン・スティーブンスというタッグである。再映画化で現代化することはせず,1937年の英国を舞台とした物語設定は同じだ。主人公はベストセラー作家のチャールズ・コンドで,最新作をハリウッド映画化する計画が重荷となり,脚本が全く手に付かず,彼はスランプに陥っていた。実は,彼の著作の殆どは,7年前に事故死した愛妻エルヴィラ(レスリー・マン)のアイディアを流用しただけだったからだ。そこで,怪しげな霊媒師(ジュディ・デンチ)の力を借りて,エルヴィラを霊界から呼び戻すことに成功するが,そこには新しい妻ルース(アイラ・フィッシャー)がいたために,女性同士の綱引きが始まる……。いかにも舞台劇と感じるわざとらしい会話が,多彩で誇張された音楽にマッチしている。大げさな演技や作り物っぽさは,サーカスやマジックショーの楽しさと通じるものがある。劇中でのハリウッド映画は,主演はクラーク・ゲーブルとグレタ・ガルボという設定で,それらしき俳優が登場する。当時の英国から見ても,ハリウッドの銀幕スターは憧れの存在だったことが読み取れる。コメディ自体はさほど面白くなかったが,見どころは美術と衣装だ。1930年代のアールデコ風の邸宅で撮影され,当時の調度類,アンティーク・ファッションの再現は,まさに見ものだった。
 『偽りの隣人 ある諜報員の告白』:韓国映画でこの題名だったので,西島秀俊主演のサイコサスペンス『クリーピー 偽りの隣人』(16年6月号)の韓国版リメイク作かと思ったのだが,全く別作品だった。1985年の大統領選挙をめぐる候補者の軟禁事件が描かれている。大統領選に出馬すべく,野党の有力政治家イ・ウィシク(オ・ダルス)が海外から帰国したところ,国家安全政策部が彼を空港で拘束し,自宅に軟禁し,24時間体制で監視下においてしまう。実話ではなく,全くのフィクションだ。拉致・監禁・盗聴というから,緊迫した政治ドラマを想像したのだが,前半は完全なコメディタッチだった。軟禁場所の自宅に多数のマイクを設置し,それを隣家に潜んで盗聴する役目を命じられた諜報員ユ・デグォン役には『王の預言書』(18)のチョン・ウが配されていた。精悍な顔立ちで,果敢な諜報員でも冷酷な悪役も似合うのに,本作では愛嬌のあるコメディアンに徹していた。例によって,韓国語が滑稽かつ下品な響きのため,ギャグ映画を盛り上げる役目も果たしている。かなり楽しませてくれた後,後半は予定通り政治ドラマの色彩が前面に出て,アクションサスペンスが展開する。この大統領候補はなかなか立派な人物に描かれているが,政治ドラマとしては少し薄っぺらな感じがした。敵役のキム室長がただの悪で,行動や発言が極端過ぎて,周到に計画した政治的な謀略活動とは思えない。それにしても,なぜ今,1985年の大統領選挙を描くのだろう? 記録を調べたら,この年の選挙は野党候補の出馬も容認した初の民主選挙だったが,結果は全斗煥大統領の再選で軍事政権が継続している。その後も続いた軍事政権や,現在大統領のお粗末な外交政策に懲りた民衆の声を代弁すべく,この映画のイ・ウィシクのような高潔な政治家を望むというメッセージなのだろうか?
 『スイング・ステート』:大統領選挙が話題の映画が続く。こちらは2016年の米国大統領選挙で,大方の予想に反して,共和党のドナルド・トランプが勝利したところから物語は始まる。思わぬ敗北で打ちひしがれた民主党のヒラリー・クリントン陣営の選挙参謀が,4年後の大統領選での巻き返しを狙って,田舎町の町長選挙で引き起こす大騒動を描いている。こちらも全くのフィクションだ。原題は『Irresistible』で,「抵抗できない(力)」「抗えぬ(魅力)」等のように使われる単語だが,映画中では複数の意味に使われていることが最後で分かる。邦題の基となった「Swing State」とは,民主党と共和党の勢力が拮抗し,選挙結果が振り子のように揺れる「激戦州」のことで,アリゾナ州,ウィスコンシン州,オハイオ州,フロリダ州,ミシガン州等々の名前が挙がる。本作の舞台となっているのはウィスコンシン州で,実際,この州の大領選勝利者は,2012年民主党オバマ,16年共和党トランプ,20年民主党バイデンと,見事に揺れ動いている。主演は民主党選挙参謀のゲイリー・ジマーを演じるスティーヴ・カレルで,最近演技派づいていたが,彼本来のコメディ作品に戻ってきた感じだ。彼はYouTube動画で見た退役軍人ヘイスティングス大佐(クリス・クーパー)の演説に惚れ込み,これぞ民主党の顔として育てようと,まずは小さな町ディアラケン町長選挙に立候補させる。ところが,対立候補の現役町長側に共和党がトランプの選挙参謀であった女性フェイス・ブルースター(ローズ・バーン)を送り込んで来たため,地味なはずの町長選が,民主党対共和党の巨額を投じた代理戦争と化してしまう。製作会社はブラッド・ピット率いるPLAN Bで,監督・脚本はジョン・スチュワート。16年間もパロディ番組「ザ・デイリー・ショー」の司会を務め,スパイスの利いた政治風刺を発信してきただけあって,本作で米国の選挙事情をこき下ろすスタンスが小気味いい。噂には聞いていたが,選挙のためにはそこまでやるのかという驚きにつぐ驚きで,笑いの連続でもある。結末の着地も見事に決まっている。米国では,本作の映画館公開を諦め,2020年6月26日にネット配信が開始された。大統領候補指名争いに決着がついた頃で,観客もこの選挙エンターテインメント映画を楽しんだことだろう。日本公開の9月17日は,このままで行くと自民党総裁戦の告示日のようだが,茶番劇にはなっても,エンタメとして楽しめるほど迫力ある選挙にはなりそうもない。
 『アイダよ,何処へ?』:時代は1990年代,ユーゴスラヴィア連邦崩壊後のいわゆるボスニア・ヘルツェエゴビア紛争にまつわる実話である。中でも,1995年7月に起きた「スレブレニツァの虐殺」に焦点を絞って映画化し,アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた作品だ。東部ボスニアの町スレブレニツァは国連の保護下で「安全地帯」であったはずなのに,セルビア人勢力の突然の侵攻により,8千人以上のボシュニャク人男性が拘束され,移送され,殺害されたという。こんなジェノサイドの様子が克明に描かれているというだけで,腰が引けてしまいそうだったが,その反面,是非見ておくべきだと感じた映画だった。この種の海外の紛争は,当時の報道を日々耳にしていても,なかなか全容を見通せないが,後年こうした映画という形式で経緯や実情が語られることにより,歴史的意義も理解できるようになるからだ。監督・脚本は,『サラエボの花』(06) 『サラエボ,希望の街角』(11年3月号)のヤスミラ・ジュバニッチ。ボスニア出身の女性監督であり,過去2作品は紛争後の時代が舞台で,戦争により傷ついた人々の心,愛と憎しみと絶望感を描いていた。3作目となる本作では,この部族間戦争の末期の悪夢のような虐殺事件に真正面から向き合っている。多感な10代の時に自国で起きた惨劇に衝撃を受け,これを映像記録として残し,世界の人々の記憶に焼き付けたいと考えたようだ。主人公のアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)は,国連に雇われる通訳者で,国連軍(実質はオランダ軍部隊),セルビア人勢力,スレブレニツァ市民の間での通訳を務めている。迫り来る危機の中,市民は安全を求めて国連基地に押し寄せるが,とても収容し切れない。避難民全員を別の場所に移送するという決定に危険を感じたアイダは,夫と2人の息子を撤退する国連職員のリストに加えてくれと交渉するが,国連軍の幹部からは「例外や不正は認められない」と一蹴される。この映画のエッセンスは,母としてのアイダの鬼気迫る振る舞いをリアルに描き切っていることにあるが,傍観者である観客には(不謹慎ながら)その無茶ぶりが少し滑稽に映ってしまうことだろう。そう感じつつ観ていたが,戦争終結後の遺体発掘,人骨まで開示しての身元確認のシーンでは,思わず身が引き締まった。この監督が放つメッセージは,全観客にしかと伝わることだろう。この映画は8月19日に試写を観た。即ち,アフガニスタンの首都カブール陥落の数日後のことだ。セルビア軍でこれなら,政権を得たタリバンの振る舞いはもっと酷いのではないか,その模様は20〜25年後,どのように映画化されるのだろうかと思わずにはいられなかった。さらには,米軍が守ってくれなくなった日本に中国軍が押し寄せた時,我々はどう行動するだろうかとまで考えてしまった。
 
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