O plus E VFX映画時評 2026年4月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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■『黄金泥棒』(4月3日公開)![]()
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今月は明るく楽しいこの邦画から始めることにした。題名の「黄金」は,「黄金ルーキー」「ゴールデンタイム」といった形容詞ではなく,正に金製品を盗む「窃盗犯」が主人公の映画だ。実在の事件から着想を得たクライムムービーだという。さぞかし手練手管を使って侵入し,気付かれない内に大量の金を運び出すプロの犯罪を描いているのかと想像した。真っ赤な背景に「金のおりん」を持って微笑む田中麗奈のポスターを見て,そんな想像は吹っ飛んだ。
主人公の藤根美香子(田中麗奈)は平凡な専業主婦で,人生に退屈していた。ある日訪れた百貨店の「大黄金展」を眺めている内に,思わず純金製の仏具の「おりん」を盗んでしまう。特に欲しかった訳でもなく,中年女性によくある衝動的な万引きである。数百万円もするらしい。自宅に帰って処分に困ったのか,バーナーを持ち出し,それを溶かそうとする。溶けた「金」はどうするのか,最近TV-CMによく出て来る金製品の買取店に持ち込む訳には行かないなと想像している内に,早くも主催業者SGCとの示談が成立し,同社の社員・金城光輝(森崎ウィン)と美香子の夫・路範(阿諏訪泰義)が談笑している。途中が省略されているが,監視カメラから犯行が発覚し,犯人が特定されたようだ。「おりん」は溶けていなくて,側面に穴が空いただけだった。
続いて,別の中年女性が同じ手口で「おりん」盗む映像が流れる。これは美香子の犯行を再現したニュース映像で,SGC社がそれを宣伝材料に使っていた。金城は,事件で知り合った美香子が退屈しているのを知り,言葉巧みに一緒に北海道旅行に誘い出す。となれば,2人が男女関係になることを想像するが,何も起こらない。途中で切り上げて帰宅した美香子は,夫・路範と愛人の土屋瞳(石川恋)との不倫現場を目撃する…。
監督・脚本は『断捨離パラダイス』(23)の萱野孝幸。上記のように,物語展開の描き方も登場人物のセリフもユニークだった。省略が多く,場面切替えが意外で,予想通りの展開にならない。後半は,金の魅力に取り憑かれた美香子が,豊臣秀吉が遺したとされる「金の茶碗」(時価100億円)の存在を知り,それを盗み出す一大計画の実行である。夫や愛人も巻き込んだ大博打だが,今度は会場のミニチュア模型を作って,逃走経路までシミュレーションという綿密な計画であった。『オーシャンズ11』シリーズを参考にしているのは明らかだが,サンドラ・ブロック主演の『オーシャンズ8』(18年7・8月号)を思い出した。あちらは宝石,こちらは金製品だが,撮影で使用された金の時価総額は数百億円だという。正に「大黄金展」そのものの「金ぴか映画」であった。SGC社は銀座に本店を構え,金の精錬,金工芸品の制作・販売まで手掛ける実在の会社で,本作とタイアップしていたようだ。それじゃ,貸出料は要らなかったはずだ。
田中麗奈の魅力たっぷりの楽しい映画であった。この監督の読めない展開は,ノートPCの複製やドローンまで登場する「金の茶碗」の強奪シーンから,美香子のラストシーンまで続く。主題歌は,シンガーソングライターの広瀬香美が歌う「Let It Flow」であった。ハワイ在住で英語が堪能とはいえ,なぜこの映画に英語のエンドソングが必要なのかは不思議に感じた。
■『ザッケン!』(4月3日公開)![]()
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次も分かりやすいテーマで,好感がもてる映画だった。ただし,題名の意味は全く想像できなかった。かな漢字変換しても,「雑件」しか出て来ない。東京都立日比谷高校に実在する部活動「雑草研究部」がモチーフで,その略称であった。原作は,脚本家の上村奈帆&モノガタリラボが「マンガワン」と「裏サンデー」に連載した同名コミックで,それを原作者自身が監督・脚本で映画化している。
主人公は高校1年生の杉野ゆかりと徳田みみで,それぞれを中島瑠菜と大島美優がW主演で演じている。ゆかりは,どこにでもいる平凡な少女で,何かに夢中になることもなく,高校での部活動に何を選ぶかに迷っていた。ある日,ふとしたことから知り合った徳田みみから,「雑草研究部=ザッケン」への入部勧誘を受ける。 風変わりだがピュアな心をもつ少女で,ひたすら雑草を愛し,自らの愛称を「ドクダミ」と称していた。指導教員の道草四太郎が定年退職したことから,指導者も部員もいなくなった「ザッケン」の復活を彼女は強く願っていた。ゆかりはその情熱に圧倒され,次第に引きずり込まれて行く。正式の部活動の復活には部員5人が必要で,秋の文化祭までの時間的猶予が与えられる。ドクダミちゃんはドクダミ茶を作って振舞い,部員勧誘に務めた。何とか男子生徒2人を獲得して計4人に達したが,あと1人が埋まらず,文化祭も終わろうとしていた……。
全くの青春映画であったが,恋愛劇とは無縁であった。何よりも,ドクダミちゃんのキャラクター設定が素晴らしい。彼女が解説してくれる「雑草」の1つずつが勉強になる。部室に飾られていた色紙の言葉「足元にある小宇宙」は言い得て妙である。ゆかりが描く,各雑草の絵も秀逸だった。これぞ中高生の部活動のあるべき姿だと感じる。同じ高校で「雑草魂」を標語とする野球部の活動も描かれる。多数の部員を抱え,甲子園を目指し,厳しい練習と「やる気」を求める主将の態度に,こうした花形運動部だけが部活動ではないと感じさせる脚本だ。
ザッケンに対して,簡単には部の復活は認めないと言っていた福澤先生(中島歩)が,次第に彼女らを応援する側に回る心情が理解できる。受験勉強や進路選択に熱を入れない「ゆかり」を叱る母親(板谷由夏)も同様であった。最後は5人目の希望者が現われ,ハッピーエンドで終わると想像するのが普通だが,そうはならなかった。ただし,この結末も悪くない。
■『落下音』(4月3日公開)![]()
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ここから暗い映画が続く。来月『廃用身』『名無し』といった3文字の邦画が控えているので,本作もそうかと思ったが,れっきとしたドイツ映画であり,カンヌ国際映画祭の審査員賞受賞作である。邦題は英題の『Sound of Falling』の直訳だが,独語での原題は『In die Sonne schauen』で「太陽を見つめる」であるから,英題/邦題とはまるで違う。視覚的を聴覚的に変えただけでなく,それ以上の意図がありそうだ。その考察は後述する。
冒頭で「暗い」と書いたが,映像が暗く,見にくい訳ではない。明るい太陽光の下での鮮やかな場面が多かったから,「心理的に重苦しい映画」と言った方が正確だ。「不可解/不愉快な出来事ばかり」「主人公が感じる不安や孤独感が,観客にも伝染する」だとも言える。長年の読者なら,筆者とカンヌの相性は悪く,その受賞作というだけで毛嫌いすると思われるだろうが,まさにその通りの映画だった。審査員賞だから尚更だ。その一方で,アカデミー賞ドイツ代表に選ばれながら,最終的な「国際長編映画賞」候補の5作品に入らなかったことからも,一般受けする映画でないことも分かる。それでも世界各国40以上の映画祭で上映されて高評価を得て,既に「大傑作!」「精緻で圧倒的」「今年どころか歴代級の作品」といった賛辞も贈られていた。配給会社もそれを吹聴している。ここまで来ると,「お手並み拝見」でしっかり視聴し,当欄としての評価を下さざるを得ない。
舞台となるのは一貫してドイツ北部のアルトマルク地方にある大きな農場で,異なる4つの時代を生きた4人の少女が主人公である。100年以上の物語が順に登場するのでなく,時間軸上を何度も往き来する非線形な物語であり,観客の目を幻惑する。この手法自体はオリジナルではなく,1年前に公開の『HERE 時を越えて』(25年4月号)と同工異曲である。いずれも家族劇だが,『HERE…』は米国NJ州の家屋の居間だけが舞台で,5つの時代を往き来して描かれていた。第3世代と第4世代が親子である以外は,全く別の家族が移り住んでいた。ところが,本作の4人の内3人は血縁関係にあり,同じ屋根裏部屋や森での体験を通じて繋がっている。
第1部は1910年代で,第一次世界大戦が始まる1914年を中心に展開する。少女アルマは,幼くして死んだ姉が自分と同じ名前と顔であったことを知り,姉の気配を感じて未来への不安を募らせる。大家族の葬儀のシーンが印象的だった。第2部は第二次世界大戦末期で,ナチス支配下の1944年が中心だ。少女エリカは両親に左足を切断された叔父フリッツに思いを寄せ,自らも左足を縛って片足で歩く。後半はソ連兵による陵辱を恐れ,命を絶つ。第3部は戦後東ドイツとなった1984年と1991年が中心で,エリカの妹イルムの娘アンゲリカが主人公だ。彼女は挑発的な態度を取りながら,叔父や従兄が自分の身体をなめ回すような視線に怯えている。第4部は2020年の現代で,家族と共に移り住んだ12歳のレンカが主人公だ。農場全体に死の影が漂っていて,レンカは自分の存在が消えてしまいそうな孤独感を感じる……。
多数のエピソードが盛り込まれているので語り尽くせないが,全時代に共通して登場するのは「ハエ」で,その存在が不気味だった。時代の切替えが曖昧で,似たシーンで繋いでいるため,主人公やその家族を識別して頭に入れるのが苦痛だった。オンライン試写で観たので,1度目は時間軸上の移動を把握し,物語の流れを頭の中で再構築するのに精一杯だった。2度目でようやく監督の意図の半分程度が理解できた気になった。3度目を観れば理解度は上がっただろうが,その時間的余裕はなかった。全編で説明的なセリフを入れず,余白を多く残して観客の解釈に委ねる手口を採用していた。
「Falling」は物理的な物体の落下だけではなく,「精神的な落ち込み」「死の淵から落下」等も意味しているようだ。それを何かが崩れ落ちるような音で暗示している。それゆえ,英題は視覚よりも聴覚に訴える題名に意訳したのだと思われる。それが英語圏の配給会社の配慮なのか,元の製作陣の指定によるものかは不明である。
監督・共同脚本は,ドイツ・ハンブルグ生まれの女性監督マーシャ・シリンスキで,現在41歳である。自ら,「中心テーマは,女性に向けられる心理的・身体的暴力」だと語っている。その意図通り,「女性の不安を世紀をまたいで描くタペストリーのような作品」「映画とは何かという概念を問い直す,催眠的で詩的なクロニクル」「少女期の秘密の詩学を掘り起こし,映画の力で深層心理に迫る」といった評価を受けている。監督にとっては「思う壺」「計算(策略)通りの賛辞」であっただろう。
さて,当欄の評価である。いつもと同じように,観客よりも批評家,映画祭の審査員を対象にしたような映画は好きになれない。とりわけ,ラストシーンには虫酸が走る。筆者としては「大嫌い」の部類だが,それでも「評判だから観たい」「観客の嗜好や理解力を試そうというなら,受けて立とう」という読者には向いていると思う。
難解な映画は,大別して「着想は良いが,表現力不足で分かりにくい映画」と,実績ある大家がもったいをつけて「高級に見えるよう,難解に見せている映画」に分類できる。本作はそのどちらもでない。この監督は実力があり,批評家の性向や高評価を得る手口は熟知していて,意図的に難解にしている。彼女の意図通りに批評家を手玉にとっているのだから,大したものだ。その監督の映画を平均点の![]()
に留める訳には行かない。さりとて,無節操に最高評価![]()
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にする気にもなれない。
■『済州島四・三事件 ハラン』(4月3日公開)![]()
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「暗い映画」の2本目は韓国映画で,韓国史に残る忌まわしい大虐殺事件を描いている。夜のシーンも何度か登場し,森の中の逃避行も映像として暗いが,無差別虐殺の凄惨さに目を背けたくなる映画,見ているのが辛い映画である。ただし,上記の『落下音』のような難解さはなく,物語展開は極めて分かりやすい。ほんの少しであるが心温まるシーンもある。原題はシンプルな『Hallan』で,漢字で書けば「蘭」だ。冬に山に咲く美しい花で,圧政下を強い意志と生命力で生き抜こうとした主人公を象徴する言葉として使われているようだ。
舞台となるのは,韓国西南部にある最南端の離島「済州島(チェジュ島)」で,全編がこの島で撮影されている。日本に比べて圧倒的に観光地が少ない韓国の最大のリゾート地であり,世界遺産にも登録されている。ラブストーリーの舞台として何度も使われた。火山島であることから「韓国のハワイ」と呼ばれている。韓国本土とは約90km離れていて,釜山-対馬間の50kmよりも遠い。面積は沖縄本島の約1.5倍,佐渡島の約2倍もある。
第二次世界大戦後,日本の統治から解放された朝鮮半島には,北はソ連軍,南は米国軍が進駐し,占領されたことは周知の事実だ。1947年当時,まだ国際的に認められた合法的な政府は存在していなかった。離島の済州島では米国軍政下にあることへの反発が強く,1947 年 3 月の三・一節記念集会で警察官の発砲で⺠間人が死亡したのを機に,島民の怒りが沸騰する。翌1948年4月3日,南の単独政府樹立に反対した島⺠たちが武装蜂起すると,政府は「討伐」と称して数多くの島⺠の虐殺を始めた。これが「済州島四・三事件」である。同年9月に誕生した大韓民国政府は,10月に「赤狩り」の焦土化作戦を開始し,済州島では漢拏山 (ハルラサン) 一帯に潜伏しているゲリラを一掃するため,海岸線より5キロ入った地域での入山を禁止し,「山にいる者は暴徒と見做し,射殺する」と布告した。
主人公は村に住む海女のアジン(キム・ヒャンギ)で,夫イチョルの安否を確かめるべく,老義母と6歳の娘ヘセンを村に残して,他の村民たちと山に向かった。軍人が村を焼き払い,皆殺しにしたとの情報を得たアジンは,娘が心配でたまらず,独りで下山する。その途中で,反政府の武装隊と出くわし,夫イチョルも殺されたことを知る。一方,義母は射殺されたが,娘ヘセンはかろうじて生き残り,母を探して山に登る。健脚で気丈なアジンは武装隊から逃げ出し,奇跡的に母子が再会する下りは感動ものだった。そこからは,軍や警察の追跡を交わしながらの母子の命がけの逃避行が始まり,ロードムービーとして見応えがあった。できれば母子揃って,それが無理なら,せめて幼いヘセンだけでも生き延びて欲しいと,観客の誰もが祈る気持ちで見守る映画である。
この母子の行動はフィクションだろうが,1954年までに無辜の民間人が3万人虐殺されたのは史実である。ただし,韓国政府はこの無差別殺人を長い間隠蔽していたが,ようやく2000年になって真相究明に乗り出した。この事件を映画化したのは,女性脚本家のハ・ミョンミで ,これが長編2作目の監督作品である。なるほど,女性ならではの視点での脚本だ。その期待に応えたのは,『神と共に』2部作(19年5・6月号)で助演女優賞を受賞したキム・ヒャンギで,彼女の熱演が見事だった。
韓国人観客は,この忌まわしい史実をどういう気持ちで受け止めるのだろうか? 南北間の対立以前に,同じ南朝鮮内の同一民族内で,「反共」という名目だけでここまで無差別殺人を行えるものなのか。日本も同じく米国の進駐軍に統治された国であるが,こんな虐殺事件は聞いたこともない(あるいは,隠しているだけか?)。韓国で退任した大統領を訴追する伝統は,80年弱経った今も政府を信用していないことの表われかも知れない。
(以下,4月公開作品を順次追加します)
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