O plus E VFX映画時評 2026年4月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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■『黄金泥棒』(4月3日公開)![]()
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今月は明るく楽しいこの邦画から始めることにした。題名の「黄金」は,「黄金ルーキー」「ゴールデンタイム」といった形容詞ではなく,正に金製品を盗む「窃盗犯」が主人公の映画だ。実在の事件から着想を得たクライムムービーだという。さぞかし手練手管を使って侵入し,気付かれない内に大量の金を運び出すプロの犯罪を描いているのかと想像した。真っ赤な背景に「金のおりん」を持って微笑む田中麗奈のポスターを見て,そんな想像は吹っ飛んだ。
主人公の藤根美香子(田中麗奈)は平凡な専業主婦で,人生に退屈していた。ある日訪れた百貨店の「大黄金展」を眺めている内に,思わず純金製の仏具の「おりん」を盗んでしまう。特に欲しかった訳でもなく,中年女性によくある衝動的な万引きである。数百万円もするらしい。自宅に帰って処分に困ったのか,バーナーを持ち出し,それを溶かそうとする。溶けた「金」はどうするのか,最近TV-CMによく出て来る金製品の買取店に持ち込む訳には行かないなと想像している内に,早くも主催業者SGCとの示談が成立し,同社の社員・金城光輝(森崎ウィン)と美香子の夫・路範(阿諏訪泰義)が談笑している。途中が省略されているが,監視カメラから犯行が発覚し,犯人が特定されたようだ。「おりん」は溶けていなくて,側面に穴が空いただけだった。
続いて,別の中年女性が同じ手口で「おりん」盗む映像が流れる。これは美香子の犯行を再現したニュース映像で,SGC社がそれを宣伝材料に使っていた。金城は,事件で知り合った美香子が退屈しているのを知り,言葉巧みに一緒に北海道旅行に誘い出す。となれば,2人が男女関係になることを想像するが,何も起こらない。途中で切り上げて帰宅した美香子は,夫・路範と愛人の土屋瞳(石川恋)との不倫現場を目撃する…。
監督・脚本は『断捨離パラダイス』(23)の萱野孝幸。上記のように,物語展開の描き方も登場人物のセリフもユニークだった。省略が多く,場面切替えが意外で,予想通りの展開にならない。後半は,金の魅力に取り憑かれた美香子が,豊臣秀吉が遺したとされる「金の茶碗」(時価100億円)の存在を知り,それを盗み出す一大計画の実行である。夫や愛人も巻き込んだ大博打だが,今度は会場のミニチュア模型を作って,逃走経路までシミュレーションという綿密な計画であった。『オーシャンズ11』シリーズを参考にしているのは明らかだが,サンドラ・ブロック主演の『オーシャンズ8』(18年7・8月号)を思い出した。あちらは宝石,こちらは金製品だが,撮影で使用された金の時価総額は数百億円だという。正に「大黄金展」そのものの「金ぴか映画」であった。SGC社は銀座に本店を構え,金の精錬,金工芸品の制作・販売まで手掛ける実在の会社で,本作とタイアップしていたようだ。それじゃ,貸出料は要らなかったはずだ。
田中麗奈の魅力たっぷりの楽しい映画であった。この監督の読めない展開は,ノートPCの複製やドローンまで登場する「金の茶碗」の強奪シーンから,美香子のラストシーンまで続く。主題歌は,シンガーソングライターの広瀬香美が歌う「Let It Flow」であった。ハワイ在住で英語が堪能とはいえ,なぜこの映画に英語のエンドソングが必要なのかは不思議に感じた。
■『ザッケン!』(4月3日公開)![]()
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次も分かりやすいテーマで,好感がもてる映画だった。ただし,題名の意味は全く想像できなかった。かな漢字変換しても,「雑件」しか出て来ない。東京都立日比谷高校に実在する部活動「雑草研究部」がモチーフで,その略称であった。原作は,脚本家の上村奈帆&モノガタリラボが「マンガワン」と「裏サンデー」に連載した同名コミックで,それを原作者自身が監督・脚本で映画化している。
主人公は高校1年生の杉野ゆかりと徳田みみで,それぞれを中島瑠菜と大島美優がW主演で演じている。ゆかりは,どこにでもいる平凡な少女で,何かに夢中になることもなく,高校での部活動に何を選ぶかに迷っていた。ある日,ふとしたことから知り合った徳田みみから,「雑草研究部=ザッケン」への入部勧誘を受ける。 風変わりだがピュアな心をもつ少女で,ひたすら雑草を愛し,自らの愛称を「ドクダミ」と称していた。指導教員の道草四太郎が定年退職したことから,指導者も部員もいなくなった「ザッケン」の復活を彼女は強く願っていた。ゆかりはその情熱に圧倒され,次第に引きずり込まれて行く。正式の部活動の復活には部員5人が必要で,秋の文化祭までの時間的猶予が与えられる。ドクダミちゃんはドクダミ茶を作って振舞い,部員勧誘に務めた。何とか男子生徒2人を獲得して計4人に達したが,あと1人が埋まらず,文化祭も終わろうとしていた……。
全くの青春映画であったが,恋愛劇とは無縁であった。何よりも,ドクダミちゃんのキャラクター設定が素晴らしい。彼女が解説してくれる「雑草」の1つずつが勉強になる。部室に飾られていた色紙の言葉「足元にある小宇宙」は言い得て妙である。ゆかりが描く,各雑草の絵も秀逸だった。これぞ中高生の部活動のあるべき姿だと感じる。同じ高校で「雑草魂」を標語とする野球部の活動も描かれる。多数の部員を抱え,甲子園を目指し,厳しい練習と「やる気」を求める主将の態度に,こうした花形運動部だけが部活動ではないと感じさせる脚本だ。
ザッケンに対して,簡単には部の復活は認めないと言っていた福澤先生(中島歩)が,次第に彼女らを応援する側に回る心情が理解できる。受験勉強や進路選択に熱を入れない「ゆかり」を叱る母親(板谷由夏)も同様であった。最後は5人目の希望者が現われ,ハッピーエンドで終わると想像するのが普通だが,そうはならなかった。ただし,この結末も悪くない。
■『落下音』(4月3日公開)![]()
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ここから暗い映画が続く。来月『廃用身』『名無し』といった3文字の邦画が控えているので,本作もそうかと思ったが,れっきとしたドイツ映画であり,カンヌ国際映画祭の審査員賞受賞作である。邦題は英題の『Sound of Falling』の直訳だが,独語での原題は『In die Sonne schauen』で「太陽を見つめる」であるから,英題/邦題とはまるで違う。視覚的を聴覚的に変えただけでなく,それ以上の意図がありそうだ。その考察は後述する。
冒頭で「暗い」と書いたが,映像が暗く,見にくい訳ではない。明るい太陽光の下での鮮やかな場面が多かったから,「心理的に重苦しい映画」と言った方が正確だ。「不可解/不愉快な出来事ばかり」「主人公が感じる不安や孤独感が,観客にも伝染する」だとも言える。長年の読者なら,筆者とカンヌの相性は悪く,その受賞作というだけで毛嫌いすると思われるだろうが,まさにその通りの映画だった。審査員賞だから尚更だ。その一方で,アカデミー賞ドイツ代表に選ばれながら,最終的な「国際長編映画賞」候補の5作品に入らなかったことからも,一般受けする映画でないことも分かる。それでも世界各国40以上の映画祭で上映されて高評価を得て,既に「大傑作!」「精緻で圧倒的」「今年どころか歴代級の作品」といった賛辞も贈られていた。配給会社もそれを吹聴している。ここまで来ると,「お手並み拝見」でしっかり視聴し,当欄としての評価を下さざるを得ない。
舞台となるのは一貫してドイツ北部のアルトマルク地方にある大きな農場で,異なる4つの時代を生きた4人の少女が主人公である。100年以上の物語が順に登場するのでなく,時間軸上を何度も往き来する非線形な物語であり,観客の目を幻惑する。この手法自体はオリジナルではなく,1年前に公開の『HERE 時を越えて』(25年4月号)と同工異曲である。いずれも家族劇だが,『HERE…』は米国NJ州の家屋の居間だけが舞台で,5つの時代を往き来して描かれていた。第3世代と第4世代が親子である以外は,全く別の家族が移り住んでいた。ところが,本作の4人の内3人は血縁関係にあり,同じ屋根裏部屋や森での体験を通じて繋がっている。
第1部は1910年代で,第一次世界大戦が始まる1914年を中心に展開する。少女アルマは,幼くして死んだ姉が自分と同じ名前と顔であったことを知り,姉の気配を感じて未来への不安を募らせる。大家族の葬儀のシーンが印象的だった。第2部は第二次世界大戦末期で,ナチス支配下の1944年が中心だ。少女エリカは両親に左足を切断された叔父フリッツに思いを寄せ,自らも左足を縛って片足で歩く。後半はソ連兵による陵辱を恐れ,命を絶つ。第3部は戦後東ドイツとなった1984年と1991年が中心で,エリカの妹イルムの娘アンゲリカが主人公だ。彼女は挑発的な態度を取りながら,叔父や従兄が自分の身体をなめ回すような視線に怯えている。第4部は2020年の現代で,家族と共に移り住んだ12歳のレンカが主人公だ。農場全体に死の影が漂っていて,レンカは自分の存在が消えてしまいそうな孤独感を感じる……。
多数のエピソードが盛り込まれているので語り尽くせないが,全時代に共通して登場するのは「ハエ」で,その存在が不気味だった。時代の切替えが曖昧で,似たシーンで繋いでいるため,主人公やその家族を識別して頭に入れるのが苦痛だった。オンライン試写で観たので,1度目は時間軸上の移動を把握し,物語の流れを頭の中で再構築するのに精一杯だった。2度目でようやく監督の意図の半分程度が理解できた気になった。3度目を観れば理解度は上がっただろうが,その時間的余裕はなかった。全編で説明的なセリフを入れず,余白を多く残して観客の解釈に委ねる手口を採用していた。
「Falling」は物理的な物体の落下だけではなく,「精神的な落ち込み」「死の淵から落下」等も意味しているようだ。それを何かが崩れ落ちるような音で暗示している。それゆえ,英題は視覚よりも聴覚に訴える題名に意訳したのだと思われる。それが英語圏の配給会社の配慮なのか,元の製作陣の指定によるものかは不明である。
監督・共同脚本は,ドイツ・ハンブルグ生まれの女性監督マーシャ・シリンスキで,現在41歳である。自ら,「中心テーマは,女性に向けられる心理的・身体的暴力」だと語っている。その意図通り,「女性の不安を世紀をまたいで描くタペストリーのような作品」「映画とは何かという概念を問い直す,催眠的で詩的なクロニクル」「少女期の秘密の詩学を掘り起こし,映画の力で深層心理に迫る」といった評価を受けている。監督にとっては「思う壺」「計算(策略)通りの賛辞」であっただろう。
さて,当欄の評価である。いつもと同じように,観客よりも批評家,映画祭の審査員を対象にしたような映画は好きになれない。とりわけ,ラストシーンには虫酸が走る。筆者としては「大嫌い」の部類だが,それでも「評判だから観たい」「観客の嗜好や理解力を試そうというなら,受けて立とう」という読者には向いていると思う。
難解な映画は,大別して「着想は良いが,表現力不足で分かりにくい映画」と,実績ある大家がもったいをつけて「高級に見えるよう,難解に見せている映画」に分類できる。本作はそのどちらもでない。この監督は実力があり,批評家の性向や高評価を得る手口は熟知していて,意図的に難解にしている。彼女の意図通りに批評家を手玉にとっているのだから,大したものだ。その監督の映画を平均点の![]()
に留める訳には行かない。さりとて,無節操に最高評価![]()
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にする気にもなれない。
■『済州島四・三事件 ハラン』(4月3日公開)![]()
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「暗い映画」の2本目は韓国映画で,韓国史に残る忌まわしい大虐殺事件を描いている。夜のシーンも何度か登場し,森の中の逃避行も映像として暗いが,無差別虐殺の凄惨さに目を背けたくなる映画,見ているのが辛い映画である。ただし,上記の『落下音』のような難解さはなく,物語展開は極めて分かりやすい。ほんの少しであるが心温まるシーンもある。原題はシンプルな『Hallan』で,漢字で書けば「蘭」だ。冬に山に咲く美しい花で,圧政下を強い意志と生命力で生き抜こうとした主人公を象徴する言葉として使われているようだ。
舞台となるのは,韓国西南部にある最南端の離島「済州島(チェジュ島)」で,全編がこの島で撮影されている。日本に比べて圧倒的に観光地が少ない韓国の最大のリゾート地であり,世界遺産にも登録されている。ラブストーリーの舞台として何度も使われた。火山島であることから「韓国のハワイ」と呼ばれている。韓国本土とは約90km離れていて,釜山-対馬間の50kmよりも遠い。面積は沖縄本島の約1.5倍,佐渡島の約2倍もある。
第二次世界大戦後,日本の統治から解放された朝鮮半島には,北はソ連軍,南は米国軍が進駐し,占領されたことは周知の事実だ。1947年当時,まだ国際的に認められた合法的な政府は存在していなかった。離島の済州島では米国軍政下にあることへの反発が強く,1947 年 3 月の三・一節記念集会で警察官の発砲で⺠間人が死亡したのを機に,島民の怒りが沸騰する。翌1948年4月3日,南の単独政府樹立に反対した島⺠たちが武装蜂起すると,政府は「討伐」と称して数多くの島⺠の虐殺を始めた。これが「済州島四・三事件」である。同年9月に誕生した大韓民国政府は,10月に「赤狩り」の焦土化作戦を開始し,済州島では漢拏山 (ハルラサン) 一帯に潜伏しているゲリラを一掃するため,海岸線より5キロ入った地域での入山を禁止し,「山にいる者は暴徒と見做し,射殺する」と布告した。
主人公は村に住む海女のアジン(キム・ヒャンギ)で,夫イチョルの安否を確かめるべく,老義母と6歳の娘ヘセンを村に残して,他の村民たちと山に向かった。軍人が村を焼き払い,皆殺しにしたとの情報を得たアジンは,娘が心配でたまらず,独りで下山する。その途中で,反政府の武装隊と出くわし,夫イチョルも殺されたことを知る。一方,義母は射殺されたが,娘ヘセンはかろうじて生き残り,母を探して山に登る。健脚で気丈なアジンは武装隊から逃げ出し,奇跡的に母子が再会する下りは感動ものだった。そこからは,軍や警察の追跡を交わしながらの母子の命がけの逃避行が始まり,ロードムービーとして見応えがあった。できれば母子揃って,それが無理なら,せめて幼いヘセンだけでも生き延びて欲しいと,観客の誰もが祈る気持ちで見守る映画である。
この母子の行動はフィクションだろうが,1954年までに無辜の民間人が3万人虐殺されたのは史実である。ただし,韓国政府はこの無差別殺人を長い間隠蔽していたが,ようやく2000年になって真相究明に乗り出した。この事件を映画化したのは,女性脚本家のハ・ミョンミで ,これが長編2作目の監督作品である。なるほど,女性ならではの視点での脚本だ。その期待に応えたのは,『神と共に』2部作(19年5・6月号)で助演女優賞を受賞したキム・ヒャンギで,彼女の熱演が見事だった。
韓国人観客は,この忌まわしい史実をどういう気持ちで受け止めるのだろうか? 南北間の対立以前に,同じ南朝鮮内の同一民族内で,「反共」という名目だけでここまで無差別殺人を行えるものなのか。日本も同じく米国の進駐軍に統治された国であるが,こんな虐殺事件は聞いたこともない(あるいは,隠しているだけか?)。韓国で退任した大統領を訴追する伝統は,80年弱経った今も政府を信用していないことの表われかも知れない。
■『ハムネット』(4月10日公開)![]()
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ようやくこの映画を紹介する時期になった。今年のアカデミー賞予想でかなり推した作品で,8部門にノミネートされていたが,結果はジェシー・バックリーの主演女優賞受賞だけだった。作品賞,監督賞は無理としても,もう1, 2部門で受賞してしかるべき意欲作であったと思う。
英国の文豪ウィリアム・シェイクスピアの代表的戯曲「ハムレット」の誕生背景を描いたドラマである。そう聞くと,オスカー7冠でグウィネス・パルトロー主演の『恋におちたシェイクスピア』(98)を思い出す。同作は「ロミオとジュリエット」の初演の背景を,既婚者の劇作家が上流階級の娘ヴァイオラと禁断の恋をするラブコメディであった。本作の原作は,北アイルランドの作家マギー・オファーレルが2020年に発表した同名小説だが,『恋におちた…』を意識して書かれたのかと思わせる設定であった。主人公のアグネスは,シェイクスピアの正夫人だが,元は農家の出身であり,夫が家庭を省みなかったため,子育てに苦労し,伝染病で長男を亡くす。その長男を意識して書かれたのが四大悲劇の最高峰の「ハムレット」なのである。その誕生物語に相応しく,映画も重厚かつ感動の人間ドラマとなっていた。
予備知識なしにこの題名を見ると,誤植ではないかと思う人が大半だろう。それを意識して,映画の冒頭画面には「16〜17世紀の英国ストラトフォードでは,ハムレットとハムネットは同じ意味であり,どちらを使ってもよかった」という字句が書かれていた。とはいえ,劇中で同じ人物を両方の名前で呼ぶことはない。長男の名前は一貫して「ハムネット」であり,戯曲名やその主人公は勿論「ハムレット」だ。注意を惹くため,小説も映画も意図的に「ハムネット」にしたのだと思われる。
裕福な革手袋屋シェイクスピア家の息子ウィリアム(ポール・メルカル)は,子供たちに語学を教えていて,教室の窓から見えた鷹を操る女性(J・バックレイ)に心惹かれた。森の洞窟近くに住む彼女の名はアグネス・ハサウェイで,薬草の知識と未来を予見する力をもち,魔女の孫と噂されていた。アグネスは6歳年上であったが,熱烈なウィリアムの求愛を受け容れ,2人は恋仲となる。すぐにアグネスが妊娠したため,ウィリアムの家に引き取られた。即ち,「できちゃった婚」である。アグネスは,森の中で女児スザンナを出産した。
ウィリアムは肉体労働を嫌い,執筆活動に執心したため,父親から軟弱だと殴打される。彼は劇作家になるためロンドンに出たが,滅多に家に帰って来なかった。その間に,アグネスは双子の男児ハムネットと女児ジュディスを出産する。ジュディスは死産と思われたが,アグネスは新生児を抱き抱え,不思議な力で蘇らせた。その後,夫不在で3人の子育てに奮闘するアグネスであったが,しばし平穏な日々が続いた。ところが,恐ろしい腺ペストにジュディスが感染する。ハムネットは鷹の話をして彼女を励ました甲斐あって,ジュディスは回復したが,今度はハムネットが感染した。11歳の彼は,死の床で,舞台上で母を呼ぶ自分の姿を思い描いた……。
ここから先,少しネタバレを含むことを断っておきたい。本作のクライマックスは,ウィリアムが書いた「ハムレット」の初演興行の場面である。アグネスは弟バーソロミューとその舞台を観に会場に来たが,最初は夫が息子の名前を冒涜したと憤る。劇中のハムレットが父の亡霊に会う場面を見て,これは夫が亡き息子に捧げた物語であることに気付き,客席最前列から舞台に手を差し出し,演者の手を握る。他の観客も思わず,それに従う。約10分に及ぶ観劇シーンであるが,アグネスのセリフは殆どなく,表情だけによる見事な演技であった。
ウィリアムの妻・子供との関係はほぼ史実通りだが,物語の大半はフィクションのようだ。その基本骨格は,ずっと不在で家族をないがしろにした映画監督の父が,娘を主人公にした新作映画を撮る『センチメンタル・バリュー』(26年1月号)と同工異曲であった。ただし,感動度においては本作の方が圧倒的に上である。
本作の登場人物名は原作小説通りだが,シェイクスピアの配偶者の実名を知って驚いた。何と「アン・ハサウェイ」である。『プラダを着た悪魔』(06年11月号)『魔女がいっぱい』(20年11・12月号)のハリウッド人気女優と同じであり,彼女も本名である。父親のジェラルド・ハサウェイは分かっていて。シェイクスピア夫人名を娘の名前にしたようだ。「ハムレット」「ハムネット」と同様,かつて「アン」と「アグネス」も同じように使われたというので,原作は「アグネス」を採用したようだ。いっそ洒落で,当のハリウッド女優を起用する手もあったと思うが,それでは軽過ぎる。クライマックスの名演技を観ると,J・バックレイで正解だと思う。その半面,ウィリアム役のP・メルカルはピンと来なかった。『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』(24年11月号)に主演した堂々たる偉丈夫である。これでは軟弱には見えず,大劇作家の肖像画ともかなり印象が違っていた。
本作の監督・共同脚本は,中国系女性監督のクロエ・ジャオ。長編監督3作目の『ノマドランド』(21年3・4月号)がアカデミー賞の作品賞,監督賞,主演女優賞でオスカーを得た時は,これはフロックか,非白人監督に受賞させる忖度かと思った。ところが,長編5作目の本作での堂々たる演出を目にして,これは本物の実力だと確信した。
■『ヴィットリア 抱きしめて』(4月10日公開)![]()
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イタリア映画のヒューマンドラマである。そう聞いただけで嬉しくなる。既に何度か書いたように,筆者の学生時代はフランス映画やイタリア映画がメジャーな存在であったからである。近年は,フランス映画に比べて,当欄でイタリア映画を紹介できる機会は少なく,せいぜい年に1, 2本だろうか。少し調べてみると,2024年は当たり年で,ネット配信映画や55年後の日本初公開作を含め計5本を紹介した。一転して昨年は『パルテノペ ナポリの宝石』(25年8月号)の1本だけであった。本作はそれ以来の8ヶ月ぶりということになる。
テーマは養子縁組で,そのことが引き起こす家族内の複雑な問題,社会制度や倫理観を描いているという。これまでも,承知の上で子供を手放した親が後年取り戻しに来た場合,大人になった養子が実の親を知りたがる場合等々を描いた映画を何本も紹介してきた。本作はそのどれとも違う。何よりも実子がない夫婦が養子を欲しがるのではなく,既に3人の息子をもつ母親が,女の子を養子として欲しがるという物語なのである。それに加えて,主人公夫妻に起用されたのは,演技経験のない一般人で,養子縁組経験のある実の夫婦であり,本作のベースは彼らが実際に体験した実話なのである。
主人公はナポリ南部のトッレ・アンヌンツィアータでヘヤサロンを経営する40過ぎの女性ジャスミン(マレリーナ・アマート)で,夫リーノ(ジェンナーロ・スカーリカ)は大工であり,長男ヴィチェンソは美容師として母親の店で働き,次男,三男は中学生と小学生であった。生活は豊かで家族仲も円満であったが,父の死後, 不思議な夢を繰り返し見るようになる。父から金髪の少女を託され,自分の胸で抱きしめる夢であった。彼女は「自分の人生には娘が必要だ」と思い込むようになり,養子縁組で養女を迎える決意をする。必要性を感じない家族は大反対であったが,それでも妻の決意が固いと知った優しい夫は,彼女の希望を叶えることにした。
ところが,実際に養女を探すのは,制度的に困難を極めた。イタリア国内では,受け入れ側の親の年齢制限があり,高額の費用がかかった。その上,三親等以内の親族全員の合意が必要であり,養子となる子供の性別を選択できなかった。諦め切れないジャスミンは,制約が緩い国際養子縁組制度を利用することにし,夫と2人でベラルーシに向かった。施設で待っていた5歳の金髪少女ヴィットリアは,やせ細っていた上に,言葉を殆ど話せず,認知障害がある子供であった……。
本作の監督・脚本は,アレッサンドロ・カッシゴリ&ケイシー・カウフマンのコンビで,これが長編劇映画2作目である。彼らの監督デビュー作『カリフォルニエ』(21)で美容師として協力したマレリーナから養女を迎えた顛末を聞き,この映画の構想が浮かんだという。上記は簡略化して書いたが,物語はなかなか進行せず,まず不同意で家庭内がギクシャクし,長男がパニックで入院する騒動も描かれている。制度説明も長く,資金調達にも苦労し,養子縁組は簡単ではないことも実感できた。ようやく夫妻が雪深いベラルーシの向かうのは,殆ど映画の終盤であった。実話である以上,この縁組が成立しないはずはない。映画の副題通りになるはずだというのが,せめてもの救いであった。とうとう待ち切れなくなった夫リーノが取った行動に驚くが,それは観てのお愉しみとしておこう。
夫妻と長男の3人は,実の夫婦と息子であり,彼らの絶妙のやり取りがこの映画の魅力となっている。長男ヴィチェンソは,俳優並みのイケメンである。実在のヴィットリアは現在13歳であり,5歳の少女役は子役俳優のはずだが,この子の演技も真に迫っていた。
■『万博追跡 2Kレストア版』(4月10日公開)![]()
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この映画の題名には,敢えて「2Kレストア版」を付した。それがないと旧作のデジタル修復版と分からず,読者が新作と思い込む恐れがあるからである。正式の題名は前の4文字だけであるから,最初はそれで大きな誤解をしてしまった。てっきり,昨年開催された「大阪・関西万博」の盛況を振り返った上で,会場跡地(特に大屋根リング)がどれだけ保存されたのかを見せてくれるドキュメンタリーだと思った。大人気だった公式キャラクターの「ミャクミャク」が,その後も様々なイベントで活躍している追跡調査結果があることも期待した。
何と,この「万博」は1970年の「大阪万博 (EXPO’70)」のことだった。何を今更…と思った。広大な跡地内にある日本庭園や国立民族学博物館には何度も行ったことがあるし,シンボル「太陽の塔」の内部展示が48年ぶりに再開したことは映画『太陽の塔』(18年9・10月号)の記事中で言及したからである。ところが,本作は過去の映像を利用してEXPO’70の意義や文化的遺産を振り返る新作映画ではなく,1970年に撮影・製作された台湾映画であり,それが2025年の大阪アジアン映画祭のオープニングで日本初上映されたそうだ。会期中の熱気をカメラに収めているだけでなく,女性主人公が大阪,神戸,京都,奈良,北海道を巡る劇映画であるという。そのため,台湾人がEXPO’70をどう捉えていたかを,タイプカプセルを開けてみる思いで観ることにした。
まず,予告編を眺めた。しっかり広い会場内の様子が登場し,台湾パビリオン内では女性コンパニオンが中国文化を伝える展示物を入館者に解説している。主人公と思しき小柄な女性は,若き日のジュディ・オングに似ていた。やはり,これが平均的台湾美人なのかと思ったのも束の間,J・オング(翁倩玉)本人が主演だと判明した。1979年に派手な衣装を着て大ヒット曲「魅せられて」をステージで歌う姿しか覚えていない。その大人の女性の印象が強過ぎたので,9年前のまだあどけなさが残る顔は,よく似た別人としか思えなかったのである。
主人公の雪子(J・オング)は,台湾生まれ,日本育ちの台湾人で,母親と2人で暮していた。大阪万博・中華民国館のコンパニオンに応募して合格したことから,大阪に向かうことになった。その機会に台湾からずっと生活費を送ってくれていた「陳春木」を探し出し,父の死の真相を突き止めるという使命を母から与えられた。雪子には大学の同級生の恋人・藤本哲男(フォン・ハイ)がいたが,彼は父親から雪子とは交際しないように言われていた。雪子が気になる哲男は父の反対を押し切り,万博会場内のレストランに職を見つけ,雪子の後を追って大阪にやって来た。雪子は手当たり次第に「陳春木を知らないか」と尋ねて回り,ようやく神戸に住む彼の妹に辿り着く。ところが,彼女は別人から依頼され,台湾に住む兄に送金依頼しただけだと言う…。
劇映画としては,その後も関係者を見つけるが,誰もが口を閉ざすというミステリータッチの進行だった。関係者が万博見物に現われると,会場内を哲男と2人で後を追い,次の人物を探して各地を巡るというロードムービーでもあった。ミステリーとしては単純だが,当時も観光映画として成功していたと思う。万博会場内のシーンは上映時間の半分近くを締めていた。
デジタル修復で映像は鮮やかだったが,音域が狭く,音はプアであった。会場内のレイアウトは覚えていないが,中華民国館の近くにあったのだろうか,フィリピン館,シンガポール館,ベトナム館,韓国館等の名前が見えた。アメリカ館,カナダ館,日立グループ館も識別できた。コンパニオンは全員,入場者の若い女性もほぼミニスカートだったが,年配者に和服姿が多かったのが懐かしい。京都の寺院や奈良の鹿等,観光名所巡りも抜かりなく,当時の日本の世相を正確に伝えていた。
少し嬉しかったのは囲碁のシーンで,台湾出身,京都在住の名人・本因坊(当時)の林海峰が特別出演していた。その半面,残念だったのは,セリフがすべて台湾語であったことである。雪子が市井の日本人に台湾語で話しかけて,台湾語で答えるのは有り得ないし,日本人同士が台湾語で会話するのも不自然極まりない。せめてその部分は日本語で会話させ,台湾版,海外版は字幕にして欲しかったところだ。
(4月後半の公開作品はPart 2に掲載しています)
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