O plus E VFX映画時評 2026年8月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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(8月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『マイ・リトル・クイーンズ』(8月21日公開)![]()
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『今日からぼくが村の映画館』(26年4月号)は,当欄が初めて取り上げたペルー映画であった。ペルー版『ニュー・シネマ・パラダイス』というべき映画愛に満ちた佳作で,すっかり気に入った。そこで同じペルー映画の『雲と大地のはざまで』(同6月号)も観たが,同じくアンデス山中の小さな村が舞台で,サッカーオタクの少年が主人公だった。本作も同じ配給会社からの案内だったので,当然ペルー映画だと思ったのだが,「アカデミー賞アカデミー賞国際長編映画賞スイス代表」とある。それでいて,舞台はペルーの首都リマなのである。一体どういうことなのかと訝ったが,映画国籍としてはスイス,スペイン,ペルーの順であり,セリフの言語はスペイン語とケチュア語であった。
この問題は,すぐに氷解した。監督・脚本のクラウディア・レイニケは,リマ生まれで,10歳の時にペルーを離れ,欧州を経て米国に移住した女性である。NYにあった芸大を卒業し,その後,スイスの美術学校,造詣芸大で修士号を取得して,現在はスイス在住の映画監督,脚本家だというから,本作の製作費の大半はスイスで調達したのだろう。年齢とともに故郷が恋しくなり,自らのルーツと家族観を確認するため,母国に戻って映画的視点でそれを語ることにしたという。
描かれているのは,政情不安な1990年代初頭の首都リマで,日系人2世のアルベルト・フジモリが大統領に就任し,新政策を打ち出した直後の時代である。ほのぼのとした前2作とは時代も場所も全く異なる。A・フジモリ氏は複数の罪で有罪判決を受けて,毀誉褒貶が激しかった人物であるが,国家財政を建て直した経済政策や貧民対策での実績は高く評価されている。彼の実績の継承を訴え続けていた長女ケイコ・フジモリが先月第67代大統領に就任したことが報じられた。本作の主人公たちは日系人ではなく,早々と故郷を捨てたという点では,真逆の存在であるが,1990年代のフジモリ大統領統治下のリマをどのように描いているのかが気になった。
連日テロリストが跋扈する国内情勢に嫌気がさし,シングルマザーの母エレナ(ヒメナ・リンド)は,娘アウロラ(ルアナ・ベガ・ソウサ)とルシア(アブリル・ジュリノビッチ)を連れて,安定した仕事のある米国ミネソタへの移住を決意していた。パスポートを取得し,3週間後の出発便の手配も済んだというのに,元夫カルロス(ゴンサロ・モリナ)は一向に娘たちの渡航同意書に署名しようとしない。彼の正業はタクシー運転手だが,乗客や友人たちには,本業は役者や輸入業者だと嘯いたり,娘の前では実はスパイだと,口から出任せをいういい加減な男だった。それでも,監督の経歴からして,彼を説き伏せ,最後に母娘は出国できると思って観ていた。
久々に娘たちに会いに来た父に,姉アウロラが「海に行きたい」と希望したので,父娘3人は夏の海辺で楽しい時間を過ごす。数日後,口うるさいエレナに内緒で,3人は再度海に出かけた。思いがけない父親の優しさに接したアウロラは,自分はリマに残り,父と一緒に暮すと言い出す。渋る妹ルシアを連れ,アウロラは夜間外出禁止令が出されている市街地へ父を探しに向かったが,警察に捕まり,留置場に入れられてしまった……。
姉アウロラはかなり美形のティーンエイジャーで,少し肉感的で,彼氏もいる。一方,妹ルシアもまだまだ子供で,何事も母親の言いなりである。とても実年齢が5歳しか違わないとは思えなかった。3人は祖母に家に住み,そこに訪ねて来る親族を囲んでの団欒は,レイニケ監督のペルー時代の思い出を再現しているように思えた。次第にアウロラに感情移入し,何事にも毅然として論理的な母エレナよりも,一見だらしないカルロスの父性愛を好ましく感じるようになる。いずれもペルーの名優らしく,本作でペルー映画記者協会の最優秀主演男優賞&助演女優賞に輝いている。
題名中の「クイーンズ」は劇中で,父が娘たちを「女王様」と呼んでいたのに由来している。姉アウロラが監督の少女時代の姿かと思いながら観ていたが,計算すると年齢的には妹ルシアに近い。深く考えず,母について移住したことへ後悔の念もあり,おそらく姉妹両方とも監督の若き日の姿なのだろう。監督がインタビューで「私と母とその夫は……母国を後にした」と語っていることからすると,一緒に移住したのは継父であり,実の父はリマに残ったと考えられる。その実父への想いを込めた映画だと解釈すれば,すべて辻褄が合う。
■『グレイ・ミッション』(8月21日公開)![]()
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CG/VFX多用作の解説が看板の当映画評であるが,ある時期から画像なしで文字だけの「短評」欄も始めた。芸術系や社会告発のドキュメンタリー,心温まるヒューマンドラマ等,硬派の単館系映画を積極的に取り上げて来たが,一般の娯楽映画を避けている訳ではない。最近はホラー系が圧倒的に多いが,気がつけば,勧善懲悪の痛快アクション映画を殆ど取り上げていない。たまには観たいなと思ったところに,恰好の映画2本の案内が届いた。
1本目が本作で,監督・脚本は当欄でお馴染みのガイ・リッチーで,過去に10作以上も紹介している。かつての格調高い『シャーロック・ホームズ』シリーズを思い出すが,近年の『ジェントルメン』(21年Web専用#2)はお得意のギャング映画で,続く『キャッシュトラック』(同9・10月号)『オペレーション・フォーチュン』(23年10月号)はジェイソン・ステイサム主演であるから,文字通り痛快アクション映画であった。本作のキャッチコピーは「型破りのノンストップ・バディアクション!」だったので,これは外せない。大いに期待した。
バディものとなると,白人&黒人コンビを想像してしまうが,本作はヘンリー・カヴィルとジェイク・ギレンホールの白人コンビである。それぞれ,『コードネームU.N.C.L.E.』(15年11月号),『コヴェナント/約束の救出』(24年2月号)等で,リッチー作品に起用されているが,2人は全くの初共演らしい。「悪を葬る,異能の共演」と,共演自体がセールスポイントになっていた。
天才的な頭脳を持つ元SBS(英海軍特殊舟艇部隊)のシド(H・カヴィル),並外れた戦闘能力を誇る元Navy SEAL(米海軍特殊部隊)のブロンコ(J・ギレンホール)の2人が,法と正義が通用しない「グレイ・ゾーン」に潜入して大暴れする作戦実行が「グレイ・ミッション」もようだ。彼らの雇用主は若い敏腕弁護士のレイチェル・ワイルド(エイザ・ゴンザレス)で,刑務所に収監中の2人を合法的に釈放させ,チームを組ませ,自ら指揮して合法と非合法の両面作戦で目的を達成していた。
物語の発端は,裏社会を仕切る独裁者マニー・サラザール(カルロス・バルデム)が,投資銀行スペンサー・ゴールドスタイン社から借り受けた10億ドルを返済せず,回収しようとしたブラクストン弁護士を殺害することから始まる。同社幹部のボビー・シーン(ロザムンド・パイク)は,後任のレイチェルに10億ドル丸ごとの回収を命じたが,レイチェルはしたたかで,10%の報酬を要求した。遣り手の上に,なかなかの美形で魅力的だ。
中盤までは,法廷戦術と現場工作の両面作戦でサラザールを追いつめた。シドが役人を買収して,鋼材を差し抑えて彼を事業に打撃を与える。一方のブロンコは油田を破壊し,盗聴や潜入も厭わないといった具合だ。プライベートジェット機やスーパーヨットを差し押さえられ上に,合法的に彼の資産を凍結されて,サラザールも根を上げ,10億ドルの返済に合意する……。
アクション映画というより,経済ドラマ,スパイの情報戦の趣きだった。そう描くのが,ガイ・リッチー監督の方針だったようだ。それでも,レイチェルが拉致されて,サラザールの支配下にある「無法の孤島」に幽閉されてからは,その救出作戦は一大アクションとなった。その点では大満足であったが,「バディ映画」という感じがしなかった。シドやブロンコには,それぞれに右腕というべき参謀や多数の実行役がいて,2チームで活躍するので,2人がバディという印象が希薄だっただった。それでも,さすがガイ・リッチーと思える出来映えだった。
■『シェルター』(8月28日公開)![]()
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一方,こちらは正真正銘の痛快アクション映画だった。上記でも名前を出したように,主演はデビュー作以来G・リッチー監督が5回も起用したジェイソン・ステイサムであるから,その身体能力の高さは品質保証付きである。この10数年,リーアム・ニーソンと彼が2大アクションスターであり,当欄での紹介作品はいずれも十指に余る。L・ニーソンは時折,本来得意なシリアス・ドラマにも出演するのに対して,J・ステイサムはいつも単純明快な無敵の男であるので,分かりやすく,気持ちがいい。
ところが,そのお気に入りの彼の近作を,諸般の事情で2本も見逃してしまった。『ビーキーパー』(24)と『ワーキングマン』(25)である。3連敗はすまじと待ち構えていたところに,本作の案内が届き一安心した。「最強の精密機械」で「極限のリベンジ・スリラー 」というから,きっとCIAかMI6の元秘密工作員か,極悪犯罪組織から足を洗った凄腕の用心棒あたりかと想像した。
本作の主人公の名前はマイケル・メイソンで,スコットランド北西沖,アウター・ヘブリディーズ諸島の中の灯台のある孤島で,愛犬と共に静かに暮らしている男である。灯台守ではない。週に一度,叔父の船で少女ジェシー(ボディ・レイ・ブレスナック)が生活物資を届けに来る。彼はロクに口を利かず,少女に礼も言わない。何か訳ありで,工作員でなければ,犯罪者なのだろうか。
ある嵐の日,船が転覆し,海に投げ出されたジェシーを,急いで海に飛び込んだメイソンが救出する。逃げ出せなかった叔父は死亡し,孤児となったジェシーとメイソンの奇妙な共同生活が始まる。しばらくして,ジェシーの体調は回復したが,足の傷が化膿したため,メイソンはボートで本土に向かい,薬と着替えを購入して持ち帰った。数日後の夜,島に武装集団が襲って来たので,メイソンはかねて仕掛けておいた罠で彼らを撹乱し,全員を制圧した。アクション映画はこうでなくっちゃ,と思わせる手際の良さだった。
武装集団はMI6が送り込んだ奇襲部隊であることが判明する。メイソンはエリート諜報員養成プログラム「ブラックカイト」の最優秀メンバーであったが,上司のマナフォート(ビル・ナイ)の非道な暗殺命令に背いて逃亡したため,彼は政府の「抹殺リスト」に登録されていた。それで孤島で隠遁生活を送っていたが,薬を買った時にMI6 の高度監視システム「シア」に捕捉されてしまい,追っ手がやって来たのだった。なるほど,元工作員であると同時に犯罪者扱いの逃亡者であり,ジェシーの叔父も元MI6の同僚で彼を匿っていたのだった。
もはや島に隠れていることはできず,ジェシーを連れて本土に上陸したが,マナフォートが放った凄腕の暗殺者ワークマン(ブライアン・ヴィジエ)の襲撃を受ける。彼の追撃を交しながら,マナフォートへの逆襲に転じたいメイソンであったが,ジェシーが足手纏いになる……。
ここから先は書くだけ野暮だろう。何度も危機に遭遇しながら,それを切り抜けて復讐を果せるかどうかは自明であり,緊迫感と爽快感を感じながら,どんな粋なエンディングにしてくれるかを楽しむ映画である。監督は『エンド・オブ・ステイツ』(19)のリック・ローマン・ウォーで,ジェシー役のB・R・ブレスナックは『ハムネット』(26年4月号)でシェイクスピアの長女役でデビューした新星である。現在まだ15歳だが,存在感のある少女で,将来が楽しみだ。いつも善人役のビル・ナイが徹底した悪役であったことが,少し意外だった。
■『ラスト・サバイバー』(8月28日公開)![]()
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老匠リドリー・スコット監督の最新作だが,ディズニー配給で日米同時公開だというので,公開日直前までマスコミ試写は期待できなかった。おまけにディストピア小説の映画化作品という以外に殆ど情報がない。サバイバル映画らしいが,宇宙空間が舞台のSFかと思った。米国人作家ピーター・ヘラーの原作小説の題名が「The Dog Stars」であったからだ。「Dog Star」とは「天狼星」,おおいぬ座にある一等星の「シリウス」のことで,夜空で最も明るく見える恒星である。「おおいぬ座」の英語は「Canis Major」なので,複数形にした意味が分からない。原作の邦題は「いつかぼくが帰る場所」であった。
試写案内が届いて驚いた。嬉しいことに,大きなシネコンでの完成披露試写の上に,IMAX上映だという。かなりの意欲作で,自信作らしい。映画の冒頭は,荒廃した土地に多数の軽飛行機が並んでいたが,どれもオンボロに見える。地球上のようだが,なるほどこれが本作のディストピアかと感じる。主人公は元整備士のヒッグ(ジェイコブ・エロルディ)で,愛犬ジャスパーと暮している。この点では上記の『シェルター』にそっくりだった。
彼は黄色いセスナ機に乗って,デンバーの町に出かける。人気のない町で,水,食料,燃料等を仕入れている。荒廃の様子から,核戦争後の世界には見えない。彼はかつて亡き妻とこの町に住んでいたらしい。謎のパンデミックで人類の90%が死滅したのが2035年で,その数年後の世界のようだ。ヒッグの現在の住まいはコロラド州エリーの飛行場跡地で,近くの建物には元海兵隊員バングリー(ジョシュ・ブローリン)が住んでいる。彼は凄腕の射撃手で,時折現われる略奪者たちを見事に射殺する。ヒッグは近隣の土地に住む数十人のメノナイト教徒のコミュニティにも食料を供給し,子供たちとも親しく交流していること等々が,順次判明した。
略奪者集団の襲撃で愛犬ジャスパーを亡くした失意から,ヒッグはかかねてより無線から声が聞こえた「グランドジャンクション(GJ)」なる空港を探しに,空に飛び立つ決意をした。途中の機体不良で谷に不時着する。そこには若い娘シーマ(マーガレット・クアリー)とその父親(ガイ・ピアース)が農場を営んでいた。傷の手当てと機体修理の間,この父娘と暮らす内に,ヒッグとシーマは恋に落ちる。この農場にも武装集団が現われ,3人はからくもセスナに乗ってGJに向かった。無事到着したこの空港には,多数の生存者がいて,物資も豊かであったが,女性リーダーのダーリーン(アリソン・ジャネイ)率いる集団はとんでもない面々であった……。
R・スコット監督が「劇場で見て楽しめる作品」と語るように,映像的には見応えのある映画であった。その半面,筆者はこの映画をどう評価するか,頭が混乱して整理するのに日数がかかってしまった。同じ日に『シェルター』を観たので,愛犬の種類と名前を混同し,どんな死に方をしたのか記憶が定かでない。加えて,J・ステイサムの愛犬も本作でシーマの父親の本名も「ジャック」であったので始末が悪い。別の女性観客2人が,B・ブローリン演じるバングリーとG・ピアース演じるジャックの区別がつかないと嘆いていた。筆者は体格の差で区別できたが,前者は元海兵隊員,後者は元Navy SEALというのは『グレイ・ミッション』のバディ2人と同じだ。2人共が抜群の狙撃手役で,しかも同年齢である。同じような人物を2人も登場させる必要はない。
ヒッグ役のJ・エロルディは,『フランケンシュタイン』(25年11月号)の怪物役でブレイクし,『嵐が丘』(26年2月号)ではマーゴット・ロビーのお相手役を卒なくこなしていた。本作の飛行機乗りはひたすら恰好いい。一方のM・クアリーは,『サブスタンス』(25年5月号)ではデミ・ムーアの背中が割れて,中から登場する若い美女なる奇抜な役,『ブルームーン』(26年3月号)ではイーサン・ホークが思いを寄せる美大生という無難な役の後,本作のシーマは魅力的な女性だった。この美男美女2人のロマンスが余りに映画的過ぎて,ポストアポカリプス映画には不向きに感じてしまった。
原作は「史上最高のディストピア小説」との評判だが,その映画化はさほどのものとは思えなかった。原作は主人公の「詩情豊かな内面の美しさ」「他者との人間的なつながり」で高評価を得たようだが,映画の前半から中盤はスローテンポでかったるく感じた。原作が「絶望の中での未来への希望」がセールスポイントであるのに対して,映画の終盤はB級アクション映画然としていた。とりわけ,GJ空港での描写は醜悪過ぎる。
その反面,CG/VFXを活用した荒廃した世界の描写は見事で,それに劇伴するカントリーミュージックの数々も上質だった。なかんずく,デンバーの町の荒んだ景観が絶品だった。本稿をその映像を入れたメイン記事に格上げしようという誘惑にかられたが,他のメイン記事完成版を積み残しているので,止むなく断念した。ヒッグのセスナ機が山々の間を飛ぶ姿が何度も登場するが,いずれも美しく,見惚れてしまう。見終えてから気付いた。勿論,しかるべき箇所では実機を利用しているが,大空を飛ぶシーンの半分以上はCG/VFXの産物ではないか。GJ空港の景観や手榴弾投下による爆発は勿論CGだ。
■『私はあなたを知らない、』(8月28日公開)![]()
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少し遅くなり,月が変わってしまったが,この邦画で締め括っておこう。当初予定していて,記事もほぼ書き終えていた『劇場版TOKYO MER 走る緊急救命室 CAPITAL CRISIS』が熊本地震の影響で公開中止になってしまった。それを補うための急遽の格上げであるが,内容的に劣る訳ではない。観終えて心に沁みる映画であり,主演の坂口健太郎の演技力に改めて感心した映画であった。原案・監督・脚本は『湯を沸かすほどの熱い愛』(16年11月号)の中野量太。同作のプロデューサーであった深瀬和美が,「もう一度,中野監督のオリジナル脚本の映画を作りたい」と熱望し,10年ぶりに実現した企画のヒューマンサスペンスである。
主人公の西山夕平(坂口健太郎)は,ゴム手袋製造工場で働く28歳の冴えない独身男で,毎日決まり切ったルーチンワークをこなしていた。ところが,新しいパート職員の東浜紗月(堀田真由)が着任したことから,夕平の人生が一変する。最初は紗月が誘いかけ,2人は終業後や休日も逢瀬を重ね,恋仲になって行く。ある日,紗月のアパートに招かれた夕平は,5歳の少女・朝子(倉田瑛茉)を紹介される。少女は紗月の実の娘で,紗月はシングルマザーであったのだ。やがて,夕平は母娘との共同生活を始め,朝子の幼稚園への送り迎えも担当する。天涯孤独だった夕平は「家族」という幸せの形に触れ,心が開放されて行く…。
物語は一変して13年後の時代に移る。紗月を殺害した夕平は刑務所に収監されていた。祖母(原田美枝子)に育てられた朝子(早瀬憩)には,夕平との生活の記憶が殆どなかったが,なぜ彼が母を殺したかの疑問が解けなかった。当時,夕平の弁護を担当した町村弁護士(滝藤賢一)を訪ね,動機や事件の状況を尋ねたが,夕平は罪を認めるだけで,他は何も語らず,殺害意志があったか事故死であったかも不明だと言う。朝子は何度も獄中の夕平の面会に行き,13年前の事件を知ろうとするが…。
過去と現代が何度も切り替わり,朝子の面会も複数回繰り返される。監督自らが意図的にミステリータッチにしたと語っているように,13年前の出来事が小出しに明らかになる。巧みなストーリーテリング術であるが,その一方で,ここまで思わせぶりな演出で観客を翻弄しなくていいじゃないかとも感じた。主要出演者たちはいずれも好演であるし,東京スカイツリー,夕平が紗月のために買ったサボテン,紗月が夕平に貸したパン切り包丁等のアイテムも,謎を解く重要な鍵となっていた。
最後の10分間までは,絶賛に値する映画だと感じて観ていたのだが,最終的には好きになれない映画となってしまった。もう少し別の結末であって欲しかったとの思いが強かったからである。自ら誘惑しながら,幼稚園でのたったあれだけの出来事で,夕平を退け,ストーカー扱いする紗月の心情も理解できなかった。この物語は実在の交際相手殺害事件をヒントにしたというが,それが縛りとなり,意図的に気負った脚本になったと思う。
時代も物語展開も全く異なるが,筆者が結末に最も強い不満を感じた邦画は『八日目の蝉』(11年5月号)である。同作に殺人事件はなく,誘拐事件だけであるが,その後,大人になった少女が取った態度と結末に不満を感じたという点では共通している。そう言えば,同作のマスコミ試写を観たのは「東日本大震災」の真っ只中で,試写室内でも大きな揺れを感じた。この大震災関連の報道に接する度に『八日目の蝉』を思い出す。間接的に今回の「令和8年熊本地震」でも思い出し,それが本作の結末への不満にリンクしてしまったのかも知れない。
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