O plus E VFX映画時評 2026年2月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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(2月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『おさるのベン』(2月20日公開)![]()
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翌週の2/27公開作品が沢山あったので,2/20公開分の試写を観るのは少し控えた。話題作『センチメンタル・バリュー』をGG賞ノミネート作品のページで先に紹介したため,残ったのは本作と次の『幻愛』の2本だけになってしまった。どちらをトップにしようかと迷ったが,Part 1を「パンダ」で始めたので,Part 2は「おさる」からにした。
この題名からは,動物たちだけが登場する童話か,人々に可愛がられて暮らす「愛すべき猿」を予想する人が多いだろう。後者は人気TVアニメ『おさるのジョージ』からの連想である。原題は『Primate』で霊長類を意味する単語に過ぎないのに,名前を入れ,仮名文字の「おさるの…」を冠したのは,国内配給会社の担当者が,ジョージを連想することを当てにしたのかも知れない。
筆者の興味は,この猿が本物なのか,CGなのかであった(その結果は後で語ろう)。予告編で確かめるべく,公式サイトを開けたところ,まず「かわいい動物が出るからといって安心できる映画でありません」という警告文があった。「覚悟して入る」を押したら,ほんの数秒の映像が流れた。若い女性たちの絶叫シーンだけだったが,どうやらホラー映画らしい。最後に「本予告」「海外版予告」等の一覧があったが,何とその内の1つは既に試写を観終えていた『ランニング・マン』(25年1月号)の予告編であった。同じ東和ピクチャーズの配給,主人公名まで同じ「ベン」だというので,宣伝担当者が洒落っ気(悪ノリ?)で,それも入れたのかと思う。
映画の冒頭シーンは,獣医師が猿らしき動物に近づいて襲われるシーンから始まる。この凄惨な描写で,ホラー映画として本格派であることが分かる。時間は36時間前に戻り,若い女子学生のルーシー(ジョニー・セコイヤ)が友人たちを連れ,夏休みを一緒に過ごそうと,ハワイにある実家に向かう。家族や長年可愛がっていたチンパンジーのベンとの再会を楽しみにしていた。言語学者であった亡き母の教育で,ベンはタブレット端末を使って人間と意志疎通できる能力があった。崖沿いの家に到着すると,ベンはルーシーから土産のテディベアをもらい,大喜びする。この時点では,まだ愛すべきペットであった。ところが,その夜からベンの様子が少し変になる。翌朝,有名な作家の父アダムが出かけたので,残されたのはルーシーと妹のエリン,自宅に招かれたニック,ケイト,ハンナになった。その夜,ベンは凶暴化し,エリンに噛みつく。捕えようとしたニックは崖から転落死した。ベンは水が苦手で怖がるので,女性4人はプールに飛び込むが,簡単には出られない。その後は,ベンとルーシーたちとの駆け引き,知恵比べとなる。
この時点で,ベンはマングースに噛まれて「狂犬病」を発症していることが判明していた。咬まれた人間も死亡するので,緊急のワクチン接種が必要なことも知らされていて,観客も恐怖と緊迫感を共有する。ベンが1人ずつ人間を襲う場面が激烈で,サバイバルホラーとして固唾を呑む。スマホで警察に連絡しようとするが,様々な理由でそれが達成できない。途中から機内で知り合った男どもがナンパしにやって来る。こんなバカ男たちはさっさと死んでしまえと思ってしまう。ようやく父アダムが帰宅するが,彼は聴覚障害者であったため,助けを呼ぶ声や物音に気付かないという演出が見事だった。
日本では余り知られていない「狂犬病」に対する啓蒙映画の役割を果たしていた。監督・脚本は『海底47m』(17年8月号)のヨハネス・ロバーツで,パニック映画の演出はお手のものだ。父アダム役は『コーダ あいのうた』(22年1・2月号)でアカデミー賞助演男優賞を受賞したトロイ・コッツァーだった。本物の聴覚障害者であるから,手話のリアリティも高かった。
さて,ベンの実現方法である。CGは殆ど利用せず,ワイヤーアクションも含め,小柄で特殊な身体動作が専門の俳優2人が猿メイクをして演じたという。その代わりに,SFXやVFXの出番はベンが人間に噛みついたり,顔を破壊したり,下顎を引き抜くシーンであった。ベンの歯や人間の下顎は3Dプリンタで制作し,破壊された顔面はCG/VFXで描いている。大した技巧だ。
■『幻愛 夢の向こうに』(2月20日公開)![]()
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題名だけでラブストーリーだと分かる。「幻愛」なる言葉は初めて聞いたが,「現実と幻の境界を彷徨う男女の切ない愛」とまで説明されなくても想像はできた。この映画のために作られた中国語の原題であり,英題が『Beyond the Dream』であるから,邦題はそれを繋ぎ合わせたに過ぎない。予告編には美しいピアノ曲が流れていた。
若い女性リンが市中で発作を起こし,衣服を脱ぎ捨て,下着1枚で座り込むシーンから物語は始まる。通りがかりの女性が咄嗟に自分の上着を被せて人目から遮り,知人らしき男性がリンに声をかける。男は小学校教師のレイ・ジーロック(李志楽)で,後日,手を差し延べた女性が同じ団地の上階に住むヤンヤン(欣欣)だと知り,上着を返却する。通勤電車で2人は意識し合うが,ある夜,酒乱の父親に追い出された欣欣をロックは自室に招き入れる。まもなく2人は恋人同士になる。
リンと同様,ロックも統合失語症を患い,何とか日常生活を送っていた。病状が悪化した彼は職を失った挙げ句,欣欣が幻覚であったことを知り,絶望状態になった。グループカウンセリングに参加したロックは,そこで欣欣そっくりのイップ・ラム(葉嵐)に出会う。葉嵐は心理学専攻の大学院生で,「恋愛妄想」に関する論文執筆のため,理想的な研究対象としてロックに協力要請をした。欣欣に瓜二つの葉嵐に心を奪われたロックは,勿論快諾した。自らの研究に彼を利用する後ろめたさ感じる葉嵐も,次第にロックに惹かれて行く。やがて,2人の関係を大学当局が知るところとなり,指導教授から「患者との恋愛は許されない」と諭され,葉嵐は「臨床心理士となる道を捨てるかどうか」の決断を迫られる……。
ロック役は本作が長編デビューのテレンス・ヤンが演じ,欣欣と葉嵐は一人二役で,セシリア・チョイが演じていた。少し情緒不安定に見えた欣欣に対し,爽やかな笑顔の葉嵐に,観客の誰もが恋したに違いない。本作は台湾製か中国製か分からずに観ていたが,本作が香港映画とは全く気付かなかった。アクション中心との先入観があり,こんな美しいラブストーリーが香港製とは意外だった。そもそも「恋愛妄想」が心理学の本格論文になり得るのか疑問だったが,キウィ・チョウ監督は大学時代に心理学を学んだというので納得した。葉嵐が欣欣にそっくりという展開は安直過ぎると感じたが,それが必然であった理由も物語の中で理解できた。
香港映画と思えなかったもう1つの理由は,劇中で何度も登場する小型の魅力的な軌道電車である。香港で有名なのは,山頂から眺めが名所の香港島と対岸の九龍地区にあるペニンシュラホテルで,いずれも名作『慕情』(55)で描かれていた。両地区で,こんな路線と駅は見かけたことがなかった。ロケ地は九龍地区から大きく外れた「屯門」で,電車は「軽電」と呼ばれているそうだ。香港出身の監督も脚本家に勧められるまで考えつかなかったというから,我々日本人が知らないのも無理はない。香港の西の外れで,深圳に近い新興住宅地である。
退学処分からの救済措置を提示された葉嵐がどちらを選択するのか,物語の行方が気になる映画だった。この種の恋愛劇は結ばれるのが相場だが,いずれかが命を絶つ不幸な結果も頭をよぎった。それだけ見事な脚本だと言える。結末は観てのお愉しみとしておこう。
余談だが,本作は7年前に撮影された映画で,香港電影評論學會大奨で最優秀男優賞と最優秀女優賞に輝いている。その後の2人の活躍は目覚ましい。本作出演後に彼らは本格交際を始め,昨年秋に軽井沢で結婚式を挙げたそうだ。それが契機で本作の日本公開が決まったという。そうと知れば,さらに映画の結末が気になるはずだ。
■『レンタル・ファミリー』(2月27日公開)![]()
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いい映画だ。文句なしに心温まる映画だ。観終わって,同伴者にそう語りかけることは容易いが,こうしたレビュー記事を書く場合には,少し躊躇する。監督が意図したことをきちんと理解したのか,何か他に意図があったのを見落としてはいないかと考えるからである。実は最初この題名を見た時には,その意味が分からなかった。ファミリー用家具や衣装ならともかく,ファミリー自体を貸し借りするとは,一体誰がどんな場合にするのかと。
あらすじを読むと,その名もずばり「レンタル・ファミリー社」があり,場所は東京,日本人従業員の他,米国人俳優も貸し出されるらしい。通訳や司会者,運転代行等なら分かるが,依頼を受けて「家族」になりすます業務だという。誰かを騙すための代役なら,胡散臭く思え,犯罪に繋がるネタではないかと懸念したのである。
主人公はTV-CM出演がきっかけで7年前に東京に移住した米国人のフィリップ(ブレンダン・フレイザー)で,その後の活躍は芳しくなかった。ある日,黒のスーツを着て,葬儀の弔問客を装う仕事が舞い込んだ。遺体と思いきや,何と,棺桶の中の男性は生きていた。自分の死後の扱いを知りたく,葬儀を丸ごとレンタルしていたのであった。それを契機に,フィリップは「レンタル・ファミリー社」の社長・多田信二(平岳大)から,正規社員になることを勧められた。俳優業を捨てる勇気のないフィリップは逡巡したが,同社の愛子(山本真理)や光太(木村文)に持ち上げられ,所属することにした。
最初の仕事は,結婚式の新郎役だった。当日の新婦・佳恵は訳ありの女性で,両親を安心させるため,偽の結婚式への出演を依頼したのであった。その後も,同社には様々な仕事が舞い込むが,フィリップの次の2つの役目を中心に物語は進行する。1つは,シングルマザーの瞳(篠崎しの)からの依頼で,ハーフの娘・美亜(ゴーマン シャノン 眞陽)に対して,初めて出会う「外国人の父親」役であった。もう1つは,老優・長谷川喜久雄(柄本明)にかつての栄光を思い出させるため,娘から「外国人記者」として架空のインタビューをして欲しいという依頼だった。フィリップは悪戦苦闘し,美亜との間で本当の親子のような繋がりを築いたが,彼が「俳優」だったことを知り,美亜は母・瞳にも心を閉ざす。一方,喜久雄からも信頼され,故郷・天草への同行を求められた。フィリップも自分の存在価値に自信を持ち始めた矢先,高齢の喜久雄は旅先で倒れた……。
詳しくは書けないが,「いい映画だ」と書いた以上,見事なエンディングであることは言うまでもないだろう。監督・脚本は,大阪出身でダンサー,歌手,画家,写真家等の経歴をもつHIKARIである。並行する2つのドラマの絶妙なバランスに感心した。渋谷駅のガードをJR山手線が走る光景から始まり,小田急線でフィリップが通勤する模様,彼の行く先々での電車/列車で,現代日本の日常を巧みに描いていた。また,風光明媚な島原や天草,富士山の絶景は,この映画を通して日本の美しさを世界に伝えようとしていると感じられた。
助演陣では名優・柄本明の枯れた味が光っていたが,何と言っても本作の要は,主演にB・フレーザーを起用したことである。かつての『ハムナプトラ』シリーズのヒーローとは似ても似つかぬ巨漢で登場した『ザ・ホエール』(23年4月号)の演技でオスカー主演男優となり,見事なカムバックを果したことは記憶に新しい。その時の体重272kgという超肥満体は特殊メイクであったが,本作のメイクなしの体型もかなりの巨漢である。彼が醸し出すユーモラスな人間味を,「レンタル外人」に仕立てたことが本作の最大の成功要因だと思う。やはり,冒頭の言葉通り,「心温まる映画」としてお勧めしたい。
■『死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ』(2月27日公開)![]()
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一転して,恐ろしい,身の毛もよだつ映画である。と言っても,ホラー映画ではない。「おぞましい」と言った方が正確で,「心安らぐことのない映画」である。「ヨーゼフ・メンゲレ」の名前は聞いたことがある程度で,詳しくは知らなかった。「死の天使」というからには,何人も殺害したに違いない。「<ナチス最大の悪>と呼ばれた男の生涯を追う映画」というので,ドキュメンタリーを想像してしまったが,ドキュメンタリー以上にリアルで,固唾を呑んで観てしまうノンフィクションドラマである。「アドルフ・アイヒマン」よりも知名度は低いが,悪業の度合いは勝るとも劣らずで,逃亡を重ね,怯えながらも逮捕・処刑されずに,1979年に心臓発作で死亡するまでの30余年の実話を描いている。
ヨーゼフ・メンゲレは,アウシュビッツ強制収容所に勤務していた人類学者・医師だが,貨物車で到着したユダヤ人たちを手慣れた様子で「ガス室行き」か否かを選別し,残した人間には凄絶極まる「人体実験」を行ったという。とりわけ,双子や嬰児に対する実験に執着したらしい。本作の原作は,フランス人ジャーナリストのオリヴィエ・ゲーズが書いた2冊目の小説「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」で,この作者は『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(17年1月号)の脚本を担当した。ナチス戦犯の南米への逃亡を調査する内に,この2人の悪業が他を圧倒していることを確信したのだろう。映画を介して,この作家のナチスを弾劾する欧州人の執念,真実を伝えようとするジャーナリスト魂を感じた。
本作の監督・脚本・製作は,『LETO -レト-』(20年7・8月号)『チャイコフスキーの妻』(22)で知られるロシア出身の鬼才キリル・セレブレンニコフだ。収容所での「過去」をカラー,大戦後南米に逃亡したメンゲレの「現在」をモノクロで描いている。普通は過去がモノクロだが,凄惨で鮮烈な史実をカラーにして,観客の脳裏に焼き付けようという意図なのだろう。ただし,カラーシーンはごく僅かで,大半はモノクロの潜伏生活である。
このモノクロ映像が,大きく2つの時代区分に分かれる。1つは,1956年アルゼンチン・ブエノスアイレスの隠れ家のアパートから始まり,1962年ブラジル・サンタルチアの農家に寄宿し,TVでアイヒマンの処刑やビートルズの米国進出のニュースを見る頃までの時系列である。もう1つは,息子ロルフがブラジル・サンパウロに到着して,父との共同生活を送ることから始まり,1979年同地の海で溺れて引き上げられるまでの時系列である。この2つの時系列が縄を綯うように交互に登場する。その間,何度も偽名を変え,パラグアイに滞在したことも語られている。常に怯え,死を恐れる生活だが,ある時期は弟の元愛人を妻にしたり,晩年は若い家政婦に思いを寄せたりする生活も送っていた。
モサドの追撃から身をかわす逃亡劇で驚いたことが3つある。1つ目は,逃亡中であるのに,偽パスポートでドイツに入国し,ギュンツブルグの父親の家を訪ねていることだ。2つ目は,自分は収容所でも常に医師として正しい医療行為をしたという信念である。厚顔というより,歪んだ思想,狂気としか言いようがない。最後は,彼の逃亡・潜伏を助け,経済的支援を行っている組織が存在していたことだ。「心安らぐことがない」のはメンゲレであるはずが,こんな人物を守り通すナチス残党組織が今も存在しているなら,近い将来何を企てるのかと,観客側が不安を感じてしまう。
メンゲレを演じたのは,ドイツ人男優のアウグスト・ディール。主演作『名もなき生涯』(20年1・2月号)では妻子をナチスに殺され,ヒトラーへの忠誠を拒んで処刑された農夫役,『復讐者たち』(21年7・8月号)ではホロコーストを生き延びたユダヤ人役で,こちらも妻子をナチスに殺されている。その彼が「死の天使 メンデレ」役とは皮肉としか思えないが,よくぞこんな悪役を引き受けたものだ。ドイツ人ゆえにさぞかし逡巡したことだろう。「彼のような<怪物>を箱に閉じ込めるのではなく,今もこの種の人物は現在進行形で存在するので,その人間性は<抑えることができる>と意識することが大切だ」というこの男優の言葉には含蓄があった。
■『嵐が丘』(2月27日公開)![]()
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原作は,言わずと知れた世界的名作である。昔の世界文学全集には大抵入っていたし,今も中学校・高校の図書室には何らかの形で収蔵されているはずだから,誰でも題名くらいは知っている。筆者も,映画は若い頃に観た記憶がある。何度も映画化されているので,いつの時代の映画だったかは曖昧で,内容は古風な恋愛劇だった程度しか覚えていない。同じ原作者の「ジェーン・エア」と内容を混同している可能性も大である。
調べてみると,洋画としてはこれが7度目の映画化で,邦画としても吉田喜重監督が1988年に,松田優作&田中裕子の主演で映画化したという。知らなかった。映画史に残る作品は,ウィリアム・ワイラー監督,ローレンス・オリヴィエ主演の1939年公開のハリウッド黄金期の映画である。筆者が観たのは3度目の映画化となるロバート・フュースト監督の1970年公開(日本では翌年公開)版だったと思われる。男性主人公のヒースクリフ役にティモシー・ダルトンが配されている。4代目ジェームズ・ボンドを演じる17年も前のことである。混同するのも当然で,「ジェーン・エア」の2度目の映画化も同じ1970年12月である。日本公開は両作とも翌71年で,2本とも観たようだ。原作者が同じというのは勘違いだった。「ジェーン・エア」は姉シャーロット・ブロンテの作品で,こちら「嵐が丘」は妹エミリー・ブロンテの書いた生涯唯一の小説とのことだ。それが「世界三大悲劇」の1つとされているとは,大した才能である。
予習のつもりで,原作の「あらすじ」を読んでから試写会に出かけた。亡霊が出てくるので,ただの恋愛劇でなく,ホラー要素もあるらしい。7回目の映画化となると,オーソドックスでなく,独自の解釈で個性的に描いてあるはずだ。タッチを変えているのか,それとも物語の結末まで変えているのか。現代風のアレンジを加えているなら,それを楽しむことにした。あまりにも著名な原作なので,以下では,登場人物個々の紹介は省き,リメイクの要点,見どころと感想を中心に紹介する。
映画の冒頭は,罪人の処刑シーンから始まる。大仰な作りで,スケールは大きく,衣装・調度類等でも大作の香りがした。さすがメジャーのワーナー作品で,前週,北米での公開週の興収No.1作品だけのことはある。原作は親子3代の物語であるが,本作は,大半の映画化,舞台劇化と同様,幼い頃から一緒に育ったお嬢様のキャシーと孤児のヒースクリフ中心の恋愛劇・愛憎劇に絞られていた。大人になってからの2人は,マーゴット・ロビーとジェイコブ・エロルディが演じていた。
重要な登場人物では,キャシーの結婚相手エドガー・リントンやその妹イザベラは登場するが,キャシーの兄ヒンドリーが出て来ない。既に死んだことになっていて,ここまで改変するのは珍しい。さらに意外だったのは,物語の語り手のネリーを,キャシーの使用人扱いにして,しかも中国系の女優ホン・チャウが配されていたことである(勿論,子供時代も中国系)。従来はキャシーの良き相談相手で,白人中年女性が演じていた。今回は上から目線で彼女を虐げるのに適した意図的な配役のように感じられ,好感が持てなかった。これじゃ人種的偏見で,19世紀半ばの英国で中国人を召使いで雇用する風習があったのか疑問に感じた。監督・脚本は『プロミシング・ヤング・ウーマン』(21年7・8月号)のエメラルド・フェネルだったが,彼女がこの配役を選んだのだろうか?
全体として,古典的な恋愛劇ではなく,文学的な深みのない現代風再解釈と受け取れた。音楽が騒々しかった。劇伴音楽だけでなく,ミュージカルではないのに歌詞のある挿入歌も多かった。結局は,ヒースクリフとキャシーの純愛劇として描いていて,復讐劇の感じがしない。亡霊も出てこない。現代風のLGBTQ要素がないのが救いだった。終盤はかなり激しい恋愛劇で,若い女性観客はこれに感動するのか,白けるのかが知りたくなった。
徹底してマーゴット・ロビーのための映画であった。製作陣も配給会社も同じであるので,能天気で明るい『バービー』(23年8月号)と対比させ,何でも演じられることを強調しているように思えた。ネリーの扱いだけでなく,この脚本では,エドガーもイザベラも立場がないじゃないのと感じる。その意味では,まさに昔風のスター映画である。日本での評価が楽しみだが,興行的には成功しないと予想しておこう。
[追記]個性的で印象に残る顔立ちなのに,ヒースクリフ役のジェイコブ・エルロディを過去作で見た覚えがなかった。調べてみると,『フランケンシュタイン』(25年11月号)の怪物役を演じた俳優で,助演男優賞部門でオスカー・ノミネートされているではないか。そーか,同作では怪物のメイクであったので,ヒースクリフ役に素顔で登場しても,同じ俳優だと気がつかなかったのだ。
■『Shiva Baby シヴァ・ベイビー』(2月27日公開)![]()
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重いテーマや古典の再解釈が続いたので,軽めのコメディ映画に移ろう。「Shiva シヴァ」とは「ユダヤ教の葬儀で,親族が他界した時の7日間の服喪期間」というので,日本人には馴染みのない宗教的儀式が続くのではとたじろいだが,その心配は無用だった。何しろ,若い女子大学生がその葬儀に出席して,元カノ(即ち,同性愛の相手)やパパ活の相手に遭遇するというから,全くのコメディであることは間違いない。7日間連続で関係者が集うのは大仰に感じるが,仏教の中陰は,死亡日から「初七日」「二七日」…と続き,四十九日目で「忌明け」となる。もっとも,最近は告別式の夜に「初七日」を済ませ,後は忌明けまで何もしない家庭が増えている。
ついでに,公式サイトや劇中の字幕でも堂々と使われている「パパ活」についても調べてみた。「就活」「婚活」同様の現代語と知っていたが,筆者の世代には「援助交際」との違いが分からなかったからだ。若い女性が資金力のある年長の男性と交際し,経済的援助を受ける点では同じだが,「援助交際」は性的行為を伴うことを指し,「パパ活」はお茶や食事だけの場合も含むとのことだ。劇中の英語で何と呼ぶのかと思ったら,「Sugar Dating」で,女性側を「Sugar Baby」,援助する男性側を「Sugar Daddy」というそうだ。即ち,本作の題名『Shiva Baby』は「Sugar Baby」のもじりとなっている。
映画は,大学4年生のダニエル(レイチェル・セノット)と愛人男性マックス(ダニー・デフェラーリ)とのセックス直後のシーンから始まる。しっかりお小遣いを受け取っているから,彼はSugar Daddyであり,援助交際でもある。ダニエルは,誰の葬儀かも知らずに,両親のジョエル(フレッド・メラメッド)とデビー(ポリー・ドレイパー)からシヴァへの参加を強要され,会場に到着した。既に会場には地元ユダヤ人コミュニティの多数が集まり,酒や食事を楽しんでいた。幼馴染みで元カノのマヤ(モリー・ゴードン)も来ていて,彼女が名門コロンビア大学の法科大学院に合格したことが称賛されていた。卒業後の進路が決まっていないダニエルは,親類縁者からそのことを詮索され,身の置き場がなかった。
母デビーは夫の元同僚が参加するので,彼にダニエルの就職斡旋を依頼する気でいた。何と,現われたのはパパ活相手のマックスだった。マックスもジョエルが父親かと驚いた。知り合いかと問われたので,昔,礼拝所で知り合ったと言って誤魔化した。マックスの妻キム(ダイアナ・アグロン)は,依頼してあったベビーシッターが急にキャンセルしたので,乳児を連れ,遅れてやって来た。彼女は絶世の美女で,複数社を経営する女性起業家でもあった。ダニエルはパパ活を隠すため,両親にはベビーシッターとしてバイトしていると伝えていたので,キムから会場での乳児の世話役を求められる。
それからの時間はダニエルにとって大混乱の生き地獄であった。マヤとヨリを戻して屋外でキスをしたり,過去にマヤとマックスに関係があったことが明かされたり,揚げ句の果ては,パパ活の記録が入ったスマホをどこかに置き忘れてパニックとなる……。そんな中で,何度も入る赤ん坊の激しい泣き声に,観ている側も苛立った。
竜頭蛇尾に終わるコメディが多い中,本作は最後まで徹底したコメディに徹していた点が賞賛に値する。監督・脚本・製作は,NY大学出身で,これが長編デビュー作となるエマ・セリグマン。学内の親しい友人の何人もがパパ活をしていたので,「Sugar Baby」と「Shiba」を結びつけ,卒業制作で短編『Shiva Baby』を作ったという。洋の東西を問わず,この映画は人生の岐路で悩む若い女性たちへの清涼剤になることだろう。
■『木挽町のあだ討ち』(2月27日公開)![]()
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「木挽町」は「こびきちょう」と読む。現在の町名表記には残っていないから,何処にあったか知らない人の方が多いかと思う。筆者には懐かしく,少し思い入れのある場所である。約半世紀前,筆者の元勤務先の国立研究所の本部は東京・永田町(現在の地下鉄・溜池山王駅近く)にあったが,しばしば「木挽町分室」にも足を運んだ。銀座駅か東銀座駅から数分の場所だったと記憶している。銀座通りから少し離れるだけで,高いビルは殆どなく,洋食屋や雑貨屋等の個人商店が少しあるだけで,下町の香りがした。まさに池波正太郎のエッセイの世界である。
その空気感が好きで,用務が終わってもすぐには職場に戻らず,その地区の散策を楽しんだ。今回の映画で,江戸時代,「木挽町」は芝居小屋の客で賑わう歓楽街であったことを知った。そういえば,分室の近くに歌舞伎座があった。地図で調べると,歌舞伎座近くに「木挽町通り」が残っている。1970年代末期,首都圏の国研はすべて筑波移転させられ,本部跡地は首相官邸の一部になった。木挽町分室の跡地はどうなったのだろう?
この映画の原作は,2023年出版の永井紗耶子の同名小説で,直木賞と山本周五郎賞をW受賞している。「このミステリーがすごい!」等の3大ランキングのすべてでベスト10に入っているので,ミステリーとしても一級品である。時代小説で本格的な謎解きミステリーというのは珍しい。この映画化より先に,新作歌舞伎として昨年4月に歌舞伎座で上演されている。今回,映画を観終わった後で,原作本をざっと眺めた。探偵役の侍が芝居小屋関係者数名を訪れ,それぞれに事件の顛末や本懐を遂げた若者の仇討ちに至るまでの状況を語らせている。推理小説の定番の構成法の1つあるが,映画はこの形を少し崩している。ミステリー要素もやや希薄だが,結末は映画として少し豪華に見せるための改変に過ぎない。その代わり,時代劇としての作法や美術は一級品で,見事な出来映えであった。題名が「仇討ち」でなく,「あだ討ち」である理由は,劇中で明らかになる。
物語は,文化7年(1810年)1月16日の雪の夜から始まる。江戸・木挽町の芝居小屋「森田座」では,歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が大入満員で千穐楽を迎えていた。舞台がはねた後,小屋の外を歩く博徒(北村一輝)が,赤い振り袖を着た人物を若い女性と思い声をかけた。その途端,振り袖を脱ぎ捨てて白装束姿になった若武者(長尾謙杜)は,「伊納清左衛門が一子,菊之助」と名乗り,父の仇の作兵衛に尋常な勝負を求めた。大勢の野次馬が見守る中,激しい真剣勝負が続いたが,返り血で赤く染まった装束の菊之助は,討ち取った作兵衛の首を掲げた。「木挽町の仇討ち」は直ちに市中の噂として広まった。
その1年半後,菊之助と同じ美濃遠山藩の武士・加瀬総一郎(柄本佑)が森田座を訪れた。軟弱な菊之助が大男の作兵衛をどうやって討ち取ったか,腑に落ちない点を解明したいと言う。かくして,木戸芸者・一八(瀬戸康史),立師・相良与三郎(滝藤賢一),衣裳方・芳澤ほたる(高橋和也),小道具方・久蔵(正名僕蔵),森田座を仕切る立作者・篠田金治(渡辺謙)への聞き取りが続き,菊之助が森田座に滞在し,世話になっていたことが判明する。その一方で,遠山藩側での過去の出来事も描かれる。馬廻り役の伊納清左衛門(山口馬木也)は家老・滝川主馬(石橋蓮司)の悪事を暴こうとしていたが,乱心して,下男の作兵衛に斬られたのであった……。
ミステリー要素が希薄と書いたが,すべての謎を明かす訳には行かないので,少しだけヒントを書いておこう。菊之助と作兵衛の攻防は小屋の中に持ち込まれ,しばらく時間が経った後に,菊之助が首を抱えて出て来る。その首はいかにも作り物に見えた。即ち,これは明らかに観客に対する前半での種明かしである。終盤,歌舞伎上演中の舞台裏から,仇討ちに至るまでの時間経過の再現劇が描かれているが,そこで登場する「首」は冒頭より数段生々しく見えた。美術班はリアルな首くらい簡単に作れますよと実力を誇示しているようであった。この舞台裏再現は実に楽しく,ジャンルは異なるが『カメラを止めるな!』(18年Web専用#3)を思い出した。
監督・脚本は『大停電の夜に』(05年11月号)の源孝志である。豪華出演陣だが,やはり主演の柄本佑の軽妙な演技と渡辺謙の存在感が光っていた。そして何よりも絶賛に値するのは,東映・京都撮影所の時代劇制作の伝統と美術班の実力である。衣装,小道具,セットの細部に至るまで,目配りが利いていた。最近の『十一人の賊軍』(24年11月号)『室町無頼』(25年1月号)も力作であったが,細部への拘りでは本作が一番だ。森田座の内部や歌舞伎の所作まで完璧に近い。『国宝』(25年6月号)が東宝作品であったので,本作もこれでは松竹の立場がないじゃないかと思ったが,エンドロールではしっかり松竹の当該部門が参加していたことが明記されていた。こうした協力関係は嬉しい。
(以下,2月後半の公開作品を順次追加します。)
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