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O plus E誌 2007年4月号掲載
 
 
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バベル
(ギャガ・コミュニケーションズ配給)
 
      (C) 2006 by Babel Productions, Inc.  
  オフィシャルサイト[日本語][英語]  
 
  [4月28日より日比谷スカラ座他全国東宝洋画系にて公開予定]   2007年1月30日 ナビオTOHOプレックス[完成披露試写会(大阪)]  
         
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  緻密に構成された佳作で,余韻を残すエンディング  
 

 今月の洋画は,最後に取り上げるこの1本だけだ。書幅がないので,残りは短評欄に譲らざるを得なかった。
 日本人女優・菊地凛子が助演女優賞にノミネートされた。ナンシー梅木以来49年ぶりのオスカー獲得の快挙か,という過熱報道で,この作品の存在を知った日本人も少なくないだろう。前哨戦であるゴールデングローブ賞(ドラマ部門)の作品賞に輝いたこの映画は,他の批評家協会賞も多数獲得し,アカデミー賞でも作品賞,監督賞等,6部門にノミネートされていた。結果はご存知の通り,前評判に反して『ディパーテッド』に逆転負けし,地味な「作曲賞」(original score)だけしか取れず,凛子フィーバーも沈静化した。
 この映画の完成披露試写を観たのは,1月末のことである。前述のアカデミー賞のノミネートが公表されたばかりで,「今,最もアカデミー賞に近い作品」という触れ込みであった。観衆は皆,その品定めをしようと固唾を呑んでいた。聞いたこともない菊地凛子とはどんな女優なのか,英語は流暢なのか,一体どんな演技がハリウッドで注目されたのかと。
 モロッコで放たれた一発の銃弾から物語は始まる。アメリカからメキシコへ,そして日本の東京も舞台となり,3大陸,4カ国語で物語が展開する。3つの話は独立ではなく,同時並行でもない。モロッコ山岳部で事件に巻き込まれたアメリカ人夫婦の苦境,留守宅で両親を待つ子供2人とメキシコ人の乳母の話は時間差をおいて語られるので,少しパズルめいた趣がある。そして,東京に住む1人の会社員と聾唖の娘の物語も,どう繋がるのか分からないまま進行して行く……。
 監督・製作・原案は,メキシコ人監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。『21グラム』(03)の印象は強烈だった。モロッコ編の夫妻は,ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット。言葉も通じない辺境で重傷の妻を案じるブラビの好演が光っている。アメリカ・メキシコ編の乳母役で助演女優賞にノミネートされたのはアドリアナ・バラッザで,同監督の『アモーレス・ペロス』(99)と同様,息子役をガエル・ガルシア・ベルナルが演じている。そして東京編では,妻を亡くした会社員が役所広司で,菊地凛子はその娘役だった。
 何だ,ハリウッドに乗り込んで演技したのではなく,オール東京ロケであり,すべて日本語での会話じゃないか。おまけに聾唖ではセリフもない。これじゃ英語力は要らない。なるほど,クライマックスの登場場面は体当たりで,印象に残るのは当然だ(お愉しみに)。それはさておき,モロッコの貧しさ,素朴さに比べて,東京は何と猥雑で奇妙な町であることか。外国人の眼にはこのようにしか映っていないのかと,少し衝撃を覚える。
「言葉が通じない。心も通じない。想いはどこにも届かない」というミスコミュニケーションが主テーマとなっている。表題は言うまでもなく,「旧約聖書 」の「創世記」に登場する「バベルの塔」から取ったもので,神の怒りに触れ,異なった言語を話すように分かたれたという逸話に基づいている。アカデミー賞有力候補というと,どうしてもその先入観をもって構えて観てしまう。何やら有難いお話を拝聴するかのようだ。賞狙いがミエミエの演出なので,「どうだ。いい映画だろう」と言わんがばかりの臭さを感じながら,少しでも欠点を探してやろうかと疑問を感じながら熟視してしまった。
 (1) 3つの話は完全へ並行で時間順にしないのか? 不必要に時間を戻されると,頭が混乱するだけだ。
 (2) ここに,なぜ日本が要る? 物語の展開を左右するほどの繋がりも必然性もないのに不自然だ。
 この2つの疑問は,最後まで観れば両方とも氷解する。モロッコとメキシコの時間差は,こうでなくては収まらない。そのまま時間順に描いたのでは,焦燥感も緊迫感も伝えられないだろう。さらに日本がこの話に加わらないと,世界が矮小になり,この映画の主張が伝わりにくい。やはり,この構成でいい。しっかり緻密に計算されたいい映画だ。カンヌ映画祭の最優秀監督賞を得ただけのことはある。アカデミー賞を獲った『ディパーテッド』より数段優れていると思う。マーティン・スコセッシへの功労賞として監督賞が与えられると予想したが,作品賞まではオマケにする必要はなかったと感じた。
 さてVFXはと言えば,途中いくつかのシーンでインビジブルVFXがあったようだが,特筆するほどのものではない。誰もがVFXだとすぐ理解できるのは,父娘が抱きあった場面(写真1)からカメラをどんどん引いて行って東京の夜景を写すエンディングだろう。既に使い古された手法だが,どの監督も一度は使ってみたいテクニックだという(S・スピルバーグはしつこく2度も使ったが)。この映画としては,これでいい。余韻を残し,主テーマを何度も味わわせるのに適している。
 ではなぜ☆☆☆の評価でないかといえば,この後で短評欄の『ブラッド・ダイヤモンド』を観てしまったからだ。この『バベル』には,どうしても作り手の作為を感じてしまう。余韻は残るが,映画を観ながらの素直な感情移入はない。絶妙の変化球より,力のある直球勝負の方が好ましく感じてしまったため,評価を下げた。  

     
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写真1 この場面からカメラがどんどん遠ざかる
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