O plus E VFX映画時評 2025年7月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『ハルビン』(7月4日公開)
 今月の当欄は韓国映画からだ。例によって,この題名から何を想像したかだが,最近の韓国映画や韓国の話題でこの単語を聞いた覚えがない。何となく思い出したのは,日本の初代総理大臣・伊藤博文の暗殺事件の場所ではないかと。中学校の社会科の授業で覚えた程度の記憶で,そういえば犯人は朝鮮人だった。明治か大正であったかは定かでなく,暗殺は「ハルピン」での銃撃ではなかったかと……。
 それは当っていた。日露戦争後の明治42年の出来事で,実行犯は大韓帝国の民族運動家・安重根(アン・ジュングン)で,場所は現在の中国東北部でロシア国境に近い黒竜江省哈爾浜市とのことだ。現在は「ハルビン」と読むらしい。社会科教科書に載っていたのだから,筆者の世代でなくても,平均的日本人ならこの程度は知っているはずだ。伊藤博文の顔は旧千円札で覚えている。
 韓国史に残る歴史的大事件であるが,最近の『ソウルの春』(24年8月号)『1980 僕たちの光州事件』(25年4月号)のような韓国政治の恥部を映画化で明らかにしたのではなく,祖国独立のために闘った英雄譚として描いている。監督は『KCIA 南山の部長たち』(21年1・2月号)のウ・ミンホ,安重根を演じる主演は『コンフィデンシャル/共助』シリーズのヒョンビンである。同シリーズで北朝鮮側のイケメン刑事,『極限境界線 救出までの18日間』(23年10月号)でタフな現地工作員を演じた彼なら,さぞかし恰好いい英雄を演じるだろう。ならば,敵国の日本人は全員悪者に違いないと覚悟しつつ,この程度の予習をしておいて,本作を観た。
 映画は銃撃事件の前年の1908年から始まる。まだ日韓併合前の時代だが,日本は朝鮮半島の植民地化を狙って,ロシアの合意の上で韓国総督府を設置していた。それに反発する参謀中将・安重根率いる大韓義軍は日本軍との戦闘に勝利したが,彼は万国公法に従い,戦争捕虜の日本陸軍少佐・森辰雄(パク・フン)らを解放した。それに反対したイ・チャンソプ(イ・ドンウク)は自らの兵を引き揚げてしまった。逃した捕虜からの情報で日本軍が大韓義軍を急襲し,多数の兵を失った安重根はロシア国内クラスキノの隠れ家に逃げ込んだ。
 翌年10月,日本の枢密院議長・伊藤博文(リリー・フランキー)が大連からハルビンに向かうとの情報が入る。安重根は禹徳淳(パク・ジョンミン)らの同志と共に,ロシアのウラジオストックに集まって,伊藤を抹殺する計画を練る。彼らは大連駅に向かったが,日本軍に察知されてしまい,結局,安は1人でハルビン駅で伊藤ら一行を待ち伏せすることになる……。
 暗殺事件というからには,伊藤一行にとっては予期せぬ突然の出来事かと思ったのだが,伊藤博文自身は有り得ること,身の危険が迫っていると予期していた描写となっていた。それでいて,警備は手薄で,事件を未然に防げていない。到着&銃撃の10月26日から逆算して,映画は90日前,5日前,2日前,1日前…と,小刻みに日付が入り,緊迫感を高めていた。結果は,銃撃に成功して伊藤博文は死亡,翌年,安重根は死刑執行の歴史的事実は変わらないのだが,安重根支持者らと反体勢力,日本軍の密偵らの攻防をサスペンス映画として描いている。モンゴル,ラトビア,韓国内での大規模ロケは見応えがあり,極寒の地も登場する。当時のウラジオストック市内やハルビン駅の再現は見事で,古い列車や車内,町を走る市電や馬車等の時代考証もしっかりしていた。
 リリー・フランキーは旧千円札の伊藤博文には全く似ていないが,韓国人は気にならないだろう。その半面,日本人役の俳優の国籍は不明だが,比較的が正しい日本語を話していた。想像したほど,日本側を悪者一辺倒には描いていない。むしろ,伊藤博文の口を借りて,歴代の朝鮮王国の愚かな統治や腐敗を指摘していると思えた。所詮,韓国国内用の映画であり,安重根を英雄視することが大前提であるが,彼を支えた民衆の力を賛美することが監督のメッセージなのだと感じた。

■『ババンババンバンバンパイア』(7月4日公開)
 題名は片仮名13文字で,どう読めば好いのか,何のことかと思うだろうが,「ババンバ バンバン バンパイア」と区切れば分かり易い。要するに「バンパイア(吸血鬼)」が主人公の映画で,往年の大人気番組『8時だよ!全員集合』で毎週歌われたドリフターズ版「いい湯だな」の掛け声を織り込んだものだと思えばよい。「別冊少年チャンピオン」連載の奥嶋ひろまさの同名コミックの実写映画化である。当然,こんな題名だからコメディである。主題歌は,若手男性歌手imaseが歌う「いい湯だな 2025 imase × mabanua MIX」で,少し歌詞を変え,ゆったりした心地よいリズムで歌われていた。
 物語は2015年から始まる。黒装束で鋭い爪と牙を持ち,目が赤い男が空を飛ぶ。ところが,あるハンター集団に襲われ,死の淵を彷徨っていた。その時,幼い少年と出会い,彼の家に逃げ込んだ。彼は戦国武将・織田信長に仕えた小姓の森蘭丸であった。彼が1582年の「本能寺の変」で死なず,現代に登場したのはタイムスリップではなく,不老の吸血鬼で,実年齢は450歳だった。
 それから10年経ち,彼は少年・立野李仁(板垣李光仁)の家族が営む銭湯「こいの湯」の住み込みアルバイトの「森さん」(吉沢亮)として働いていた。吸血鬼としての彼は,至高の味である「18歳童貞の血」を求め,15歳の李仁の成長と純潔を側で見守っていたのである。ところが,李仁がクラスメイトの美少女・篠塚葵(原菜乃華)に一目惚れしてしまった。李仁の恋が成就して童貞喪失となっては一大事と,蘭丸は決死の阻止作戦を実行する。ところが,バンパイアオタクの葵が蘭丸に恋心を抱いてしまう。そこにバンパイアハンターの坂本梅太郎(満島真之介),葵の兄で脳筋番長の健(関口メンディー)らが登場し,全員の勘違いとすれ違いの大混乱となる。さらには,蘭丸に恨みをもつ吸血鬼の兄・森長可(眞栄田郷敦)の影が忍び寄る……。
 監督はCMディレクター出身の浜崎慎治。長編監督作は『一度死んでみた』(20年3・4月号)に続く2作目で,吉沢亮とは再度のタッグである。李仁役の板垣李光仁は,原作者が彼を意識した命名したというだけあって,さすがに美少年である。他の助演陣では,李仁の祖父・長次郎に笹野高史,父・春彦に音尾琢真,母・珠緒に映美くららというキャスティングだ。「本能寺の変」のプレイバックシーンでは織田信長を堤真一が演じている。
 さて問題は,主演の吉沢亮である。この映画は5月中旬にマスコミ試写で観た。一方,話題の『国宝』(25年6月号)は6月6日の公開初日に映画館で観た。もし,逆順で観ていれば,これが同じ俳優だと信じられなかったかと思う。撮影はどちらが先だったのだろう? 1年半にも及ぶ歌舞伎の稽古を経て『国宝』に臨んだというから,本作の撮影の方が先なら,厳しい稽古に合間に,こんなお気楽な吸血鬼役を演じていたことになる。『国宝』の熱演を終えてから本作撮影であったのなら,バンパイア蘭丸役は肩の力を抜いて演じたことだろう。『国宝』の175分に疲れ果てた観客は,同じように肩の力を抜いて本作の105分を愉しむのも一興である。本作の製作・配給が,日本の歌舞伎興行を支える松竹であることを考えながら観ると,なお楽しい。

■『この夏の星を見る』(7月4日公開)
 邦画が続く。まさに題名に合わせた時期の公開だ。原作は,人気作家・辻村深月の同名青春小説である。直木賞作家であるが,著書は本屋大賞の候補作となることが多い。小難しく気取った純文学でなく,比較的平易な文体で若者受けしやすいテーマが多いのが人気の原因だろう。映画化作品も多く,当欄では『朝が来る』(20年5・6月号)『かがみの孤城』(22年Web専用#7)の2本を紹介した。ところが,本屋大賞受賞作の後者は,当欄にとって大失敗であった。苦手なセル調2Dアニメで,中学生中心のファンタジーは筆者が論じる対象ではなかったと素直に敗北宣言した。それに懲りず,中高生の部活を描いた本作を観たくなったのは,本作は実写映画で,星空の観測は小説より映画向きであり,どんな絵作りをして見せるのかの興味と個人的思い入れがあったからである。
 圧倒的に女性主人公が多い辻村作品だが,本作の主演は『バジーノイズ』(24年5月号)『大きな玉ねぎの下で』(25年2月号)の桜田ひよりで,茨城県立砂浦第三高校天文部員の溪本亜紗を演じる。他にも中高生を演じる若手俳優が多数登場する青春偶像劇である。物語は2019年から始まるが,2020年はコロナ禍で部活動が大きく制限されたことから,年中行事の合宿を断念せざるを得なかった。亜紗は,各校毎に現地で天体観測を行い,結果をオンラインで報告する「スターキャッチコンテスト」のアイデアを思いつく。各チームが同時に手作り望遠鏡で指定された星を捉え,点数を競う競技である。資料を作って外部にも呼びかけたところ,東京のひばり森中学,長崎県泉水高校も参加することになった。
 基本は,この3組内での友人関係,望遠鏡の準備状況が描かれ,コンテスト実施での感動的場面へと至る。軽い恋愛感情はあるが,激しい愛憎劇や大きな事件・事故はなく,健全な青春映画である。そんな中でも,他地区からの来客を受け容れる旅館,病院勤務者がいる家族が,周囲から白い目で見られる等,コロナ騒動時代ゆえのエピソードが盛り込まれていた。
 新入部員教育で天文学の基礎が語られるシーンは分かりやすく,このまま理科教育に使えそうだ。コンテスト場面で登場する星空の画像は素晴らしく,こんな空を見たことがない都会人には感動ものだ。CGではなく,部活動で使用するレベルの望遠鏡よる実写画像のようだ。部員たちが星空を見上げるシーンは,ナイトカメラによる人物撮影と望遠鏡画像のVFX合成だと思われる。
 ここからは楽屋裏情報である。「砂浦第三高校」のモデルが「土浦第三高校」であることは明らかだ。「スターキャッチコンテスト」は,同校天文部顧問の岡村典夫氏の発案でコロナ禍以前の2015年から実施されていて,現在も続いている。ただし,空がよく見える冬季の開催で,茨城県内の高校の自然科学部・天文部だけが参加する恒例イベントである。小説&映画は実話ベースかと思ったが,他県からの参加やコロナ禍の時期のオンライン開催の事実はなく,原作者によるフィクションである。
 ただし,この映画を観たら,天文部に入りたい,天文部を作ろうという中高生が増えるに違いない。他県でも同様な活動が始まり,やがて全国競技大会に発展するなら喜ばしい。実は,筆者の小学生時代の夢は天文学者になることだった。中学生以降,そんな夢は消え失せたが,この映画で描かれたような望遠鏡を自作できたなら,まだその夢は続いていたかも知れない。

■『顔を捨てた男』(7月11日公開)
 ここから同日公開作品が6本も続く。とりわけ,前半3本には共通項がある。いずれもハリウッド作品であり,シャープでパンチの効いたスリラー/サスペンス映画である。心温まるハートフル映画とは真逆だが,間違いなく印象に残る。1作目はGG賞受賞作,アカデミー賞ノミネート作で,原題は『A Different Man』だったので,どんな邦題になるのか楽しみだった。主演は,セバスチャン・スタン。『アベンジャー』シリーズ7作でウィンター・ソルジャー,『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』(25年1月号)で若き日のD・トランプを演じていたので見慣れた顔のはずだったが,本作に登場する彼の「顔」に驚いた。醜悪を通り越して,まるで化け物だ。まさに「別人」としか思えなかった。もっとも,こうした顔の美醜は普通人に対する主観であり,「美女と野獣」の「野獣」や,『ファンタスティック・フォー』シリーズの岩男であれば,いくら異様でも気にならない。
 主人公のエドワード・レミュエルは俳優志望だったが,遺伝子疾患による難病に罹患していて,顔の異様な変形が進行していた。常人なら顔を背けるか,あからさまに侮蔑的態度をとるのに,隣人の美女・イングリッド(レナーテ・レインスヴェ)はそんな外見は気にしない態度で接してくれたので,エドワードは彼女に恋心を抱いた。主治医から「このままでは目が見えなくなり,やがて落命する」と宣告され,新しい治療法を勧められる。過激な新治療法は奏効し,彼は「新しい顔」を手に入れた。顔の古い皮膚が剥がれると,見慣れたイケメンのS・スタンの顔が登場する下りは,正に驚愕のシーンであった(単に特殊メイクを剥がしただけなのだが)。
 新しい人生を手に入れた彼は「ガイ・モラッツ」と名乗り,「エドワードは自殺した」と称して元の部屋にやって来る。劇作家のイングリッドが,『エドワード』なる戯曲を書いたと知り,そのオーディションに応募し,主演に抜擢された。ところが,かつての彼と同じ病で,異形のオズワルド(アダム・ピアソン)が現れて,その役を奪ってしまう。おまけにオズワルドがイングリッドの恋人になったことから,ガイ(=エドワード)の運命の歯車は思わぬ方向に逆転してしまう……。
 監督・脚本はアーロン・シンバーグで,自ら両唇口蓋裂であったことから,ルッキズム(外見至上主義)を痛烈に風刺した作品を作り続けているという。本作のエドワードが,自らの顔の特異性を俳優として採用されるための武器としておきながら,普通の顔になれた時に人生を謳歌する。それでいて,オズワルドの成功に対して激しい嫉妬心をもつという矛盾を描いている。ここで,S・スタンの顔は特殊メイクであるが,オズワルド役のA・ピアソンはメイクなし,実際に神経線維腫症 1 型の障害者だという。障害者の権利向上に取り組む活動家であると知って衝撃を受けた。本作は正に不条理劇であるが,その情報で本作の見方が変わるはずだ。
 本作は,アカデミー賞でメイキャップ&ヘアスタイリング賞のノミネート作であったが,ベルリン国際映画祭の最優秀主演俳優賞(銀熊賞),GG賞M/C部門の主演男優賞を受賞している。即ち,外見が変わってなりたい自分になれ,そこから転落して行く男をS・スタンが見事に演じたいたことへの賞賛である。特殊メイクに着目するか,俳優の演技に着目するか,まさに同じ映画が「別の顔」を持っていることを示している。

■『ストレンジ・ダーリン』(7月11日公開)
 2本目は見事なストーリーテリングのスリラーである。上映時間はたった97分なので,ハイテンポで物語が進行する。2018年から2020年にかけて全米を震撼させたシリアルキラーが題材で,コロラドを皮切りに,ワイオミング,アイダホに広がり,オレゴンで終結した事件だそうだ。警察,目撃者の証言,捜査資料に基づき,一連の殺人事件を映画化したという。
 映画はまず,暗い部屋で煙草を吸う男に女が「シリアルキラーなの?」と尋ねるシーンから始まる。続いて上記の事件の映画化で,全6章構成であることが提示される。それでいて,本編は第3章から始まるから,観客は驚く。そう,章番号は時間順だが,出て来る順番がランダムな非線形映画なのである。『メメント』(01年10月号)ほど登場順は複雑でなく,繋がりは分かりやすい。時間順の物語展開なら平凡過ぎるので,こういう非線形にしたことにより,頭の中で並べ直せた時に満足感が得られる。オンライン配信やDVDなら,章の区切りで一時停止し,メモを取ることができるが,暗い映画館ではそうは行かないから,多少ヒントを書いておく。
 6つの章の最後は第6章で,事件と人間関係の対応が取れて嬉しくなる。その後にエピローグが付いている。第1,2,4,5章がどういう順で登場するのかは,観てのお愉しみだ。全編で「逃げる女」の“レディ”と「追う男」の“デーモン”の関係は一貫しているが,途中で別の人物も登場する(一部は殺される)。男はずっと同じ服装で,女は髪形とその色,衣服を換えるが,対応はすぐつく。映画全体をもう一度観たくなることは確実だ。
 レディ役のウィラ・フィッツジェラルドは配信中のNetflixドラマシリーズ『パルス』(25)の主役だが,劇場映画では脇役数本で無名に近い。デーモン役のカイル・ガルナーは多数の映画,TVドラマの出演経験があるが,全くの脇役俳優である。いずれも誰でも務まりそうな役だが,面白さは非線形構成と結末に尽きる。監督・脚本のJ・T・モルナーはこれが2作目だが,スティーヴン・キングが「巧妙な傑作」と激賞しただけのことはある。次作はどんなテーマを描くのか,楽しみだ。

■『DROP/ドロップ』(7月11日公開)
 3本目は上映時間95分とさらに短く,スタイリッシュなワンシチュエーション・サスペンスである。ホラーで定評あるプラチナム・デューンズとブラムハウスの共同製作だが,悪霊や地球外生物が登場する怪奇映画ではなく,シカゴの高層ビルのレストランが舞台の殺人予告映画である。少なくともオハイオの山奥が舞台の連続殺人鬼の上記よりも,登場人物の服装も音楽も格段にお洒落だった。監督が『ハッピー・デス・デイ』シリーズ,『ザ・スイッチ』(20年Web専用#6)のクリストファー・ランドンというだけで,外れはないと期待した。
 主人公はシカゴ在住のセラピストのバイオレット・ゲイツ(メーガン・フェイヒー)で,夫の死後,幼い息子のトビーと2人暮らしだった。マッチアプリで知り合い,ネット交際で気に入った写真家のヘンリー・キャンベル(ブランドン・スクレナー)と初デートすることになった。息子を妹ジェン(ヴァイオレット・ビーン)に預け,お粧しして高層ビル最上階の高級レストラン「PLATE」に向かう。ヘンリーは仕事で遅れてやって来たが,窓際の予約席から見える街の夜景も高級料理のメニューも絶品で,美男美女の出会いには打ってつけであった。
 ヘンリーを待つ間に,見知らぬ相手から近距離通信のDROPを使ったメッセージがバイオレットのスマホに届く。最初は悪戯かと思ったが,次第にエスカレートし,映画開始約30分後頃から恐怖へと変わる。送信者からの指示は「目の前にいる男を殺せ。さもなければ、お前の息子を消す」なる脅迫であった。スマホで自宅の監視カメラを確認すると,共犯者と思しき男に妹も息子も縛られ,銃を突きつけられていた。
 DROPの性能からすると半径15m以内,即ちレストラン内からの通信しか有り得ない。声は盗聴され,2人の一挙一動が脅迫者から監視されていて絶体絶命だ。バイオレットの様子が変だと訝るヘンリーに,何とか誤魔化すバイオレットの応対に,観客も気が気でならない。様々な方法で助けを求める彼女の目論みは,悉く阻止されてしまう。説得力があり,かなり巧みな脚本である。同じフロアにいる人物では,バーテンダーのカーラ,ピアニストのフィル,他の食事客のコナーやリチャード,新任ウェイターのマットなど,誰もが疑わしく感じる。
 言わば,犯人当てのミステリー的な要素があり,大抵は当たるのだが,本作に関しては検討がつかなかった。脅迫者の意図とその正体が分かって映画は終了かと思ったのだが,それも外れた。(軽いネタバレになるが)早めに脅迫者は判明するが,その続きがあった。脅迫者からの指示で共犯者がジェンとトビーを殺すと知ったバイオレットが車を爆走させ,自宅に向うが……。ワンシチュエーションドラマから終盤は屋内アクション映画と化すが,エンタメ映画のオマケとして上出来であった。
 映画を観ている間に,筆者の知識で理解できなかったことがある。題名のDROPは,正確には「Digi-Drop」のようだ。iPhoneのAirDropならBluetooth経由で画像や文書ファイルを近距離転送できるが,Digi-Dropでは相手に拒否されずに匿名通信が可能なのだろうか? さらには,双方向チャット・遠隔操作・リアルタイム遠隔監視等も行っている。それらを実現するには,公衆回線と相互接続し,スマート家電に不正アクセスして,自宅の監視カメラの映像を取得・実時間中継できる必要がある。そんな機能がある「Digi-Drop」とやらを米国では平気で使っているのかと驚いたが,どうやらこれは映画内の創作らしい。ただし,マルウェア的なソフトを侵入させれば十分有り得る話だ。本作は,行き過ぎたネット社会への警鐘を意図した映画だったと受け取れた。

■『BAD GENIUS/バッド・ジーニアス』(7月11日公開)
 本作も米国映画で97分とコンパクトだったが,上記3本とはかなり由来が異なる。タイ映画の大ヒット作『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(17)のリメイク作なのである。当欄では紹介しなかったが,個人的には視聴していて,そのアイデアの卓抜さに驚嘆した。その後,タイ映画への関心が増すのは,この映画の貢献であるといって過言ではない。それがハリウッド・リメイクとなると,どのように化けるのかに期待した。タイ版を見ていない読者のために,概要を記しておく。
 中国系米国人の少女リン(カリーナ・リャン)は天才的頭脳の持ち主で,教育熱心な父親に勧めで,高校2年生から特別奨学金を得てシアトルの名門進学高校に編入する。親しくなった富豪の娘グレース(テイラー・ヒックソン)が落第寸前であったため,中間試験中に消しゴムに解答を書いて渡し,彼女を救う。味をしめたグレースと恋人パット(サミュエル・ブラウン)は期末試験での広範なカンニング行為を持ちかけた。同じ手は通用しないので,リンはピアノ演奏を模した指操作で解答を伝える方法を思いつき,クラス中に解答を伝達した。  1年後,高校3年生になった彼らは,全米共通のSAT(大学進学適性試験)にこの方法を適用し,多数のクライアントを募集して利益を得る違法ビジネスを持ちかける。1人で全問の解答を丸暗記して伝達するのは不可能なので,リンは同じく秀才だが貧しいバンク(ジャバリ・バンクス)を共犯者として巻き込む。2人は東部フィラデルフィアで受験してスマホ経由で解答を送信し,3時間の時差を利用してシアトルの受験生に届ける方法だった。ところが不審な行動からバンクが捕まり,リンは体調不良を装って途中退室し,会場を後にするが……。
 リメイク作は前作と基本骨格は同じでも,結末を変えてあるのが普通だ。他言語のヒット作をハリウッド・リメイクとなると,俳優,セット,ロケ等がかなり豪華になっていることを期待してしまう。スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)のリメイク作『モールス』(11年8月号),同じく『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(10年2月号)のリメイク作『ドラゴン・タトゥーの女』(12年2月号)は,その成功例であった。ところが,本作は殆どコピーと思えるほどそっくりで,主人公父娘が中国系あること,4人の名前も全員同じだった。タイ版では世界共通テストSTICをリンとバンクが豪州シドニーで受験して時差を稼いでいたが,本作では米国内仕様に留めている。この改編は妥当だが,残念だったのは,タイ版と変わらぬ低予算映画であったことだ。
 お粗末だったのは,4人組全員が余り実績のある俳優でなく,しかも彼らも級友もとても高校生には見えなかったことだ。リン役は時折愛らしい笑顔もあるが,挑戦的口調が多く,頭脳明晰でも悪知恵が働く女にしか見えない。グレースとパットは見るからに「馬鹿ップル」で,彼らを助ける必要があるのかと感じた。通常,この種の犯罪映画は主人公たちに感情移入し,うまく警察の追及から逃げおおせて欲しいと願うことが多い。本作に関しては,こんな連中は早く捕まってしまえと思ってしまう。改めてネット配信のタイ版を見直したが,リン役は清楚な少女で,グレースは愛らしく,助けてやりたくなる。米国版の本作は,不正行為を働く若者を悪人扱いし,こんな真似はしないようにと諭す映画に思えた。
 そんな欠点は感じたものの,原典のタイ版の着想が卓抜なため,本作も試験会場での緊迫感は維持されており,タイ版未見の観客はサスペンス映画として十分楽しめる。意図的に書かなかったが,指操作で解答をコード化するアイデア,解答を顧客の受験生に届ける手法は一見に値する。タイ版と異なる結末も痛快だった。勧善懲悪の一形態として,映画全体の一貫性は保てていた。

(以下,7月公開作品を順次追加します)

()


Page Top