O plus E VFX映画時評 2024年8月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
(8月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『モンキーマン』(8月23日公開)
「モンキーマン」と言っても,『猿の惑星』シリーズに登場するような言葉を話す類人猿ではない。猿のDNAを得て超能力者に変身したアメコミ・ヒーローでもない。試合中ずっと猿のマスクを着けて戦う格闘技の悪役である。「タイガーマスク」のゴリラ版だと思えばいい。リング上だけでなく,その他のシーンでも壮絶な戦いが続くので,アクション映画の枠を超えるバイオレンス映画である。主演はインド系英国人俳優のデヴ・パテル。彼の出演作は,これまで当欄では『スラムドッグ$ミリオネア』(09年4月号)から『グリーン・ナイト』(22年11・12月号)まで10作品を数えるが,内6本で主演,他の4本で準主役級であった。その大半でインドが舞台,知的なインテリ系の人物を演じていた。本作で格闘技選手を演じるのが意外な上に,彼自身の構想の映画化であり,自ら製作・監督・主演を担当しているというのに驚いた。
舞台となるのは,インドの架空の都市ヤタナで,主人公のキッドは,夜な夜な開催される闇の格闘技試合で,猿のマスクを被り,「モンキーマン」と名乗る「殴られ屋」を演じて生計を立てていた。彼がこのどん底生活を続けているのは,貧しい人々を搾取する悪党たち(警察署長のラナと宗教指導者のババ)に復讐を果たすためであった。幼い頃,キッドは田舎の村で平穏に暮していたが,その土地を得たいババがラナに命じて村を焼き打ちにし,その惨劇の中でキッドの母親もラナに殺された。彼は復讐の化身「モンキーマン」として機会を狙っていたが,ようやく彼らのアジトを見つける。回りの人々の助力を得てアジトに潜入し,凄絶な死闘が始まる……。
舞台設定はインド国内で,インド文化や宗教「ハヌマーン」に基づいて描かれているが,撮影の大半はインドネシアで行ったという。映画国籍は4ヶ国の合作だが,テイストとしてはハリウッド製のバイオレンス映画だ。これがボリウッド作品で歌と踊りが入ると,興醒めになるに違いない。打楽器とシンクした身体鍛練のシーンが心地よかった。トイレでのアクションシーンが圧巻で,それが終わってようやく半分だった。物語は起承転結がはっきりしていて,没入しやすい。大都会の高層ビルと貧民の生活の対比も対照的だった。8年間暖めていた企画というので,デヴ・パテル自身にも気合いが入っていたし,彼には監督の才能がある。
当初Netflixでの独占ネット配信予定だったが,劇場公開すべきとの声に押され,新たな提携先を探したという。持ち込まれた先が,その名も「モンキーパウ・プロダクション」。『ゲット・アウト』(17年11月号)『アス』(19年Web専用#4)の鬼才ジョーダン・ピール監督が設立した映画製作会社である。彼がすっかり気に入り,同社総動員で支援し,ユニバーサル映画配給となったというだけで品質保証付きだ。今年一番の快作である。
■『ポライト・ソサエティ』(8月23日公開)
カラフルな衣装から,こちらもインド映画なのかと思ったが,英国へのパンキスタン人移民の2世姉妹を描いた映画であった。姉が仕組まれた陰謀の結婚の犠牲者になるところを,危機を察知した妹がこの結婚の阻止に向かうアクションコメディである。昨年観た『きっと,それは愛じゃない』(23年12月号)でも,ロンドン在住のパキスタン人一家は親や親族が息子の縁談に口出ししていた。同作は題名通りのラブストーリーであったが,本作はハイテンポで騒々しく,楽しい青春映画である。
ロンドンのムスリム家庭に生まれた高校生のリア・カーン(プリヤ・カンサラ)で,スタントウーマン志望で,カンフー等の格闘技の修行に励んでいた。学校では変人扱いされ,両親からも将来を心配されていたが,唯一の理解者は芸術家志望で美大に通う姉リーナ(リトゥ・アリヤ)だった。その姉が,母親が勧める富豪のイケメン男性と恋に落ち,画家になる夢を捨て,結婚して海外に住むという。一見似合いのカップルで,経済的にも玉の輿のように見えたが,相手の男性には何度も離婚歴があり,強圧的な彼の母親の態度を怪訝に感じたリアは,裏に恐るべき陰謀があることを知る。仲間の協力を得て,結婚式の妨害行動に出るが,敵もさるもの,リアたちを排除して結婚式を強行しようとする。果たしてリアは姉の目を覚まさせ,この結婚を阻止できるのか…。
『卒業』(67)や上記の『きっと,それは…』のように,主人公が結婚式当日に式場に現われ,新郎or 新婦を奪い取るのが定番だ。本作は妹が会場内で新郎の母親と戦い,姉を説得して姉妹で逃げ出すという珍しいパターンである。その他にも,学校の図書館内でのカンフーバトル,姉とのボクシングのスパーリングや凄まじい姉妹喧嘩,空手の練習試合等々,ファイトシーンが何度も登場する。監督・脚本は,正にパキスタン系英国人女性のニダ・マンズールだが,2世ではなくシンガポール生まれだ。例によって,これが長編監督デビュー作である。長年暖めてきた企画であるが,彼女の実体験ではない。
驚いたのは,劇中の中盤で日本語の歌が流れ,歌詞が見事にフィットしていたことである。昔,聴いた覚えはあったが,歌手も曲名も分からなかった。調べると,シンガーソングライターの浅川マキが最初に作った「ちっちゃな時から」で,シングル盤は彼女のヒット曲「夜が明けたら」より後の1970年に発売されていた。英国の若手監督がなぜ半世紀以上も前のこの曲を知っているのかが不思議だった。ロンドン大学アラン・カミングス教授の企画で,2015年に英国で浅川マキのアルバムが発売されていたとのことで,ようやく納得した。
■『カンフーマスター!』(8月23日公開)
上記映画の妹リアのカンフー演技が様になっていた。その勢いで,次は未見のオンライン視聴リストの中から本作を選んでしまった。新作ではなく,1988年の映画のリバイバル上映だという。それじゃ香港製で,主演は若き日のジャッキー・チェンかジェット・リーなのかと…。全く違っていた上に,本作の中にカンフーアクションは登場しない(理由は後述)。主演はというと,大女優兼歌手のジェーン・バーキンだった。ここまで来て,ようやく思い出した。彼女の追悼上映企画「ジェーン B.とアニエス V. 〜二人の時間,二人の映画。」として,次項の映画とペアで公開されるフランス映画であった。
粗筋を読んで,さらに驚いた。何と40歳の女性が,娘の同級生の15歳の少年と恋に落ち,周りの顰蹙を買う物語である。先月紹介したばかりの『メイ・ディセンバー ゆれる真実-』(24年7月号)とそっくりではないか! 年齢差は36歳と13歳の23歳違いよりもさらに大きい。同作の基となったスキャンダルは1996年の出来事だったので,その8年も前に本作は作られている。
本作の主人公マリー・ジェーン(J・バーキン)は,娘ルシーが自宅の庭で開いたパーティで,泥酔した少年ジュリアンを介抱し,彼に恋愛感情を覚える。少年もマリーを慕い,ラブレターを寄越したり,ホテルで密会する関係となる。ある日,2人がキスするのを見たルシーは激しく母親をなじる。ジュリアンに求められ,マリーは復活祭休暇を2人の娘とロンドンの実家で過ごす計画に彼を連れて行く。無人島で幸せな時間を過ごし,パリの自宅に戻ると,2人の関係が学校に知れ渡った。「恥ずべき女」と罵られ,2人は引き離されてしまう……。
「メイ・ディセンバー事件」のような児童レイプ罪で収監,獄中出産といった驚愕の出来事ではないが,中年女性の恋愛感情が微妙なタッチで描かれている。ちなみに「カンフーマスター!」は,劇中に登場するアーケードゲームの名称である。いかにも1980年代のビデオゲームで,「スーパーマリオブラザース」風の2D横スクロールのスプライト方式が採用されていた。マリーは,少年がこのゲームに夢中になる姿をいとおしく感じていた。
撮影当時のJ・バーキンの実年齢は41歳だが,映画女優としての全盛期で,若く見え,かなり美しい。娘ルシー役が実の次女のシャルロット・ゲンズブールであることはすぐに分かったが,彼女も少女時代から魅力的で目立つ存在である。劇中でマリーがルシーに語りかけるセリフは,母から娘への人生のメッセージのように受け取れた。ルシーとジュリアンにはかなり身長差があり,同級生には見えなかった。ジュリアンを演じたのはアニエス・ヴァルダ監督の息子マチュー・ドゥミで,実際は2歳年下である。バーキンの発案の物語だけあって,実の両親,兄アンドリュー・バーキン,三女ルー・ドワイヨンも出演し,彼女の家族と監督の家族を動員して,バーキンのパリの自宅とロンドンの実家で撮影された。まるでホームビデオかと思う,少し特殊な映画なのである。
■『アニエス V.によるジェーン B.』(8月23日公開)
『ジェーンとシャルロット』(23年8月号)は,娘シャルロットの初監督作品で,母娘が本音で語り合うドキュメンタリーであった。その紹介記事中でも触れたが,同作の本邦公開の直前の昨年7月16日に母ジェーンは76歳の生涯を閉じている。彼女の一周期の追悼上映企画の中心となる映画で,本作の方が数段ユニークな構成のドキュメンタリーだ。「エッセイフィルム」と称されている。「監督名+女優名」を題名にしたように,「ヌーヴェルヴァーグの祖母」とも呼ばれる伝説の女性監督が,人気絶頂の女優の魅力を自分流に活写している。
1988年の公開作品だが,映画は1986年のJ・バーキンの40歳の誕生日の前に,名画「ウルビーノのヴィーナス」を模した室内で,彼女が30歳の誕生日を語るシーンから始まる。2人で出会っての会話,鏡談義,名画と同じポーズでカメラが裸体を追うシーンが続く。定番の幼少期からの履歴は少しだけで,現在のバッグの中身を見せ,彼女が購入した家で昔の想い出を再現映像の形にしている。異色の伝記映画風もここまでで,後は監督の凄まじい突っ込みだ。「スターで,人々に見つめられている感情をあぶり出す」「有名と無名とを求めるあなたに人は夢を抱き,私もこの映画を企画した」と監督は語る。
通常のインタビュー形式でなく,監督がもつこの女優のイメージを,様々な寸劇の形で観客に見せる。監督の空想は,犯罪映画の妖婦,サイレントシネマの凸凹コンビ,マリリン・モンローのような男達の憧れ,メロドラマの恋人たちから,さらに「ターザン」のジェーン,西部劇のカラミティー・ジェーン,ジャンヌ・ダルクの火炙りにまで及ぶ。正に創造的だ。そして,冒頭と同じ構図で40歳の誕生日に皆の祝福を受けて映画は終わる。女優としての充実期のポートレートであり,18歳年長の監督は同性の人気女優に憧れに近い感情を抱いているように思えた。追悼での再上映に,この変則ドキュメンタリー映画が選ばれたことが納得できる。
この映画の中で,被写体の女優バーキンは上記『カンフーマスター!』の構想を話すが,登場するのは完成した映画の一部だった。即ち,本作の撮影中に彼女が日頃書き溜めていた物語を語り,A・ヴァルダ監督が劇映画として独立させることに決め,家族を巻き込んで同時進行で撮影した。その結果,先に仕上がった映像を挿入し,本作を後で完成させたのである。追悼には両作品を対で観るべきことも理解できた。筆者にとっては,歌手としてしか意識していなかったJ・バーキンの全盛期の姿をレストアした映像で観られたのは眼福であった。
■『ソウルの春』(8月23日公開)
韓国映画で,昨年の観客動員数No.1の大ヒットだそうだ。シンプルな題名だが,青春映画ではない。1968年のチェコスロバキアの民主化の「プラハの春」を真似てつけられた言葉だそうだ。本家「プラハの春」はソ連軍の侵攻により短期間で終わったことは知っていたが,こちらは知らなかった。1979年10月26日に独裁者の朴正煕大統領が暗殺されたことによって民主化への期待が膨らんだ時期を指すそうだ。同年12月の全斗煥による軍事クーデターと翌年5月の光州事件の武力制圧により,こちらの民主化も短期間で挫折したという。思えば,我々は韓国映画を多数観るが,よほどの専門家でない限り,韓国のその時代の政治情勢は知らない。長らく軍事政権が続き,大統領名以外は殆ど伝わって来なかった。多くの日本人が知るのは,日本滞在中の金大中がKCIAに拉致された1973年の主権侵害事件程度で,韓国大統領選の話題が日本で報道されるのは,1987年の16年ぶりの民主的選挙からのことである(軍部出身の盧泰愚が当選した)。
本作が描くのは1979年12月の軍事クーデターの詳細である。これまで言及されることはあったが,クーデターの推移が映画化されたことはなかったそうだ。監督のキム・ソンスは,19歳の12月12日の寒い夜,20分以上に渡って至近距離からの銃声を聞き,身を縮めて恐怖に怯えていたという。たった9時間の出来事で体制が転覆し,徹底的に真実が隠蔽されたことに今も憤りを感じ,本作の映画化を成し遂げた。その思いが生で伝わって来る緊迫感のある政治ドラマである。
多数が出演する韓国映画の欠点は,カタカナ表記で区別がつきにくいことだ。後任大統領を演じるのがチョン・ドンファン(鄭東煥)で,クーデターの張本人の悪役はチョン・ドゥグァン保安司令官,そのモデルはチョン・ドゥファン(全斗煥)となると,殊更紛らわしい。それに対して,最後まで首都を守ろうとした正義の男は首都警備司令官イ・テシンで,モデルはチャン・テワン(張泰玩),演じているのはチョン・ウソン(鄭雨盛)である。さらに,彼を登用した陸軍参謀総長チョン・サンホのモデルはチョン・スンファ(鄭昇和)で,演じているのはイ・ソンミン(李成民)だ。漢字表記は筆者が調べただけであって,プレス資料,公式サイト,字幕はすべてカナカナ表記なので,頭が混乱してくる。ハイウッド映画,フランス映画の登場人物や俳優名は憶えられるのに,韓国人名は音も文字数も近く,全くのお手上げた。
幸い,「反乱軍vs. 鎮圧軍」は「悪と善の対決」で,「悪が勝つ」という分かりやすい図式だった。加えて,イ・テシン警備司令官を演じる鄭雨盛は,風格のある堂々たる2枚目だが,一方の悪役の保安司令官を演じるファン・ジョンミンは,いかにも軽薄で強引な悪人面に描かれていて,すぐ識別できる。後者は『工作 黒金星と呼ばれた男』(19年7・8月号)の主人公とはまるで印象が違っていたから,絶妙の演技と薄い頭髪のメイクで,許しが難い悪人に見せていた訳である。全斗煥は独裁者・虐殺者の印象が強く,韓国では今でも評判が悪いというから,この描き方が観客を喜ばせるのだろう。
監督の解釈によるフィクションもかなりあると感じられたが,緊急の空挺旅団の派遣を巡っての政治的駆け引きの描写は見事だった。対応するのは日本の二・二六事件ではなく,ドラマ性では幕末の「討幕の密勅」「大政奉還」に匹敵する一大事と思われる。それを初めて映画で描いた作品ゆえ,大ヒットしたことが頷ける。
■『箱男』(8月23日公開)
原作は,安部公房が1973年に発表した同名小説である。この書が映画化されるとは思っていなかった。稀代の難解な書で,作家自身が従来の物語や小説の構造を否定した「アンチ・小説(反・小説)」であることを認めている以上,ストーリー性のある劇場用映画になると思えなかったからである。個人的体験を言えば,この作家の小説は学生時代に何冊も読んだ。当然,代表作「砂の女」「他人の顔」「燃えつきた地図」は読み,映画も観た記憶がある。1973年は既に社会人であったが,異色作として話題になり,購入しようと2度立ち読みしたが,とても歯が立たず,挫折するだけと考えて断念した。
本作の監督・脚本は,『五条霊戦記 GOJOE』(00)の鬼才・石井岳龍(当時の名義は石井聰亙)である。当欄では『シャニダールの花』(13年8月号)を取り上げている。この異色監督なら,異色同士で映画化に成功するかも知れないと感じた。ところが,既に1997年に挑戦しようとし,ロケ地のドイツ・ハンブルグに着いたが,ある理由で撮影直前に頓挫してしまったという。なぜ27年後のいま再挑戦するかと言えば,今年が安部公房生誕100周年であるためだろう。かつて出演予定だった永瀬正敏,佐藤浩市はそのまま起用し,残りは新キャストと「共同脚本:いながききよたか」の陣容で,VFXも駆使した作品とのことだ。
段ボールを頭から被り,都市を徘徊し,覗き窓から世界を眺めて妄想を克明にノートに書き留めるのが「箱男」である。主人公の“わたし”(永瀬正敏)はカメラマンであったが,ある日「箱男」を目にして,自分もなろうと決意する。本物の「箱男」になるには,数々の試練が待ち受けていた。他の登場人物は,「箱男」を乗っ取ろうとする贋医者(浅野忠信),「箱男」を完全犯罪に利用しようとする軍医(佐藤浩市),“わたし”を誘惑する贋医者の診療所の看護師・葉子(白本彩奈)で,ほぼこの4人で物語が展開する。といっても,ストーリー性が高い訳ではなく,原作が突きつける「見る/見られるという自他関係」「書くという行為の意味」「都市における匿名性と不在証明」といったテーマを,石井監督流の解釈で散逸的に綴っている。
一度スクリーン試写を観ただけでは,やはり難解であった。世界,社会,迷路,妄想,輪廻,自己満足,帰属,自殺,最終形態…といった言葉が並んでいるだけのように思えた。原著は完成稿300枚に対して,書き潰しが3000枚以上というから,大作家も自分の着想を整理し切れなかったに違いない。「2度読んで,バラバラに記憶したもの積み変える」ことを勧める原作者の言葉に従い,改めてオンライン試写で,行きつ戻りつ映像を見直した。映像表現と音楽の助けがあったので,少し分かったような気になった。
筆者にとっての最大の成果は,文章だけではイメージできなかった「箱」の大きさが掴めたことである。この映画では,一貫して洗濯機大の段ボールが登場する。即ち,この映画を観た観客にとっての「箱男」は,既に石井岳龍版「箱男」の世界の中にいる訳である。
この映画の解釈に正解があるはずはない。石井版を経由して,自分流の解釈で「箱男」の意味を位置づけ,難解と言われる原著を分かった気になれば十分だ。そのための映画なのである。「箱男」のもつ匿名性は,現代のネット社会の匿名性を予見したものとする論評をいくつか見かけた。個人的には,少し違うのではないか,SNS投稿の内容は妄想ではなく,実社会に多大な影響を及ぼす現実ではないかと思うのだが,これも意見の分れるところだろう。
■『ラストマイル』(8月23日公開)
邦画が続く。こちらは宅配された段ボールが次々と爆発する連続爆破事件を描いたクライムムービーである。この題名が気になって,観たくなった。正式には「Last One Mile」のことで,元々は通信回線のエンドユーザ端末までの最終区間のことである。物流業界の宅配サービスでは,最終の中継点から配達先までの配送業者のこともこう呼ばれている。本作では,圧倒的なシェアをもつ外資系ネット通販サイト「Daily Fast」の大イベント「ブラックフライデー」での販売品を狙った爆発事件が起こり,同社の物流センターを中心に物語が展開する。個人宅へ宅配する「羊急便」が抱える過酷な労働環境問題も扱っているというので,誰が考えても,モデルはAmazonとヤマト運輸だと分かる。
巨大倉庫の管理システムや物流ネットワークが克明に描かれることを期待した。予告編を見ると,数年前に放映されたTVシリーズとの「シェアードユニバース」であることが強調されていた。即ち,TBS番組『アンナチュラル』と『MIU404』のお馴染みの登場人物たちが本作にも出演する東宝配給映画なのである。両方とも未見であるが,以下の2つの興味から,映画館で観ることにした。1つは,事前知識なしの観客とって,まともな映画になっているかである。もう1つは,巨大物流倉庫がどれだけのスケールで描かれているかの興味である。
主人公は,Daily Fast社の関東センターの新任センター長の舟渡エレナ(満島ひかり)と勤務歴2年のチームマネージャー梨本孔(岡田将生)の2人である。まず,同センターの正社員9名に対して,契約社員とアルバイトが計700人であり,その出勤時のゲート通過風景に圧倒された。エレナの着任後,宅配便が次々と爆発する。すべて同センターから羊急便営業所に配送された商品で,開梱された時にスイッチが入って薬物が爆発することが判明する。2人の社内調査と警察の捜査から,爆発物は計12個,元同センター職員が爆破予告ビデオを事前投稿していたことも分かった。その後は,過去の記録と個人の記憶から,真犯人を突き止める展開となる。本格ミステリーの謎解きではない。
助演陣の筆頭は,2人のクールな上司・五十嵐役のディーン・フジオカで,外資系の効率第一主義の人物である。羊急便の関東局局長・八木竜平役の阿部サダヲのコミカルかつ人間味溢れる演技で,中間管理職の悲哀が感じられる。最終配送の委託ドライバー親子を火野正平と宇野祥平が演じ,好い味を出していた。配達料はたった150円/個で,届けられなかった時は無報酬という扱いに驚く。後は,両TV番組の出演者と思しき人物が続々と登場して,すぐそれと分かるが,登場人物数が多過ぎて目障りだった。
満島ひかりが,過去作品のいずれよりも可愛かった。女性管理職エレナなる役柄は,いかにも女性脚本家が描いた人物造形であった。監督・塚原あゆ子と脚本家・野木亜紀子のコンビはTV番組と同じである。サスペンス映画としての出来映えは,世界レベルでは「中の上」だが,邦画としては上の部類で,宣伝効果でヒットすることだろう。盛り沢山過ぎてサスペンス性を損なっているのが残念だったが,映画の成り立ちからして,機動捜査隊や法医解剖のエピソードを入れざるを得なかった事情は理解出来る。それでいて,予備知識なく,この映画を単独で観ても十分楽しめる映画に仕上がっていた。TBSと映画観客という2つの顧客を満足させる脚本が書けるとは,この脚本家はプロ中のプロだ。「すべてはお客様のために」の社内標語の欺瞞を暴く下りは痛快だった。この脚本家に座布団2枚である。
物流倉庫は壮観で,ベルトコンベアの配置や動作も十分満足できるレベルであった。日々稼働しているAmazon等の現場を借用できる訳はなく,取材で参考にはしたのだろうが,本作独自のセットとCG/VFXで描き加えた映像だと見て取れた。邦画にしては,良い出来映えだと思う。
■『ボストン1947』(8月30日公開)
題名に「ボストン」はあるが,米国映画ではない。韓国映画で,実話に基づくマラソン映画である。そこまで言うとすぐ分かるだろうが,伝統ある「ボストンマラソン」の1947年の大会に,韓国人選手が出場して好成績を収める物語である。80年弱も昔の話なので,韓国でも高齢者以外は殆ど覚えていないし,TV中継もなかった。「祖国の英雄」の偉業を再現し,韓国人が感動する映画であるが,前提が少し複雑だった。
朝鮮戦争前であるが,既に北と南に分断されていて,「大韓民国」は国際的には独立国扱いされていなかった。メダルを狙える有力選手を出場させ,その成果で国名を世界に認知させ,独立国としての地位向上を図ろうという政治的背景があったのである。それだけではない。1936年のベルリン五輪に日本人名で出場した孫基禎(=ソン・ギジョン)が世界新記録で金メダルを,南昇竜(=ナム・スンニョン)が銅メダルを獲得した。太平洋戦争の終結とともに韓国は日本から分離されたが,五輪記録は日本のままだった。この屈辱を晴らすため,彼らは若手選手を育て,韓国人名で国際競技の栄光を得ることを目指した。そのことを第一義として強く打ち出した映画である。
1946年のソウルから物語は始まる。荒んだ生活を送っていたソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)の前にナム・スンニョン(ペ・ソンウ)が現れ,「第2のソン・ギジョンを育てよう」「若手をボストンマラソンに参加させ,本名で走らせてやろう」と持ちかける。国際レース実績がないと参加できなかったが,著名人のソンが旧友ジョン・ケリーに掛け合うことで招請状を得ることができた。ところが難民国の韓国からの参加には,保証金900 万ウォンを要求されて当惑する。スポンサーが見つからなかったが,一般市民からの募金で目標額に達し,メダルを狙える有望若手選手・ソ・ユンボク(ペ・ソンウ)を連れてボントン入りしたが,次の難題が待ち受けていた。祖国の国旗(太極旗)をつけて走ることが最大の目的であったのに,星条旗をつけることを強要される。何とかこの障害もクリアでき,晴れてスタート地点に立ったユンボクは,「祖国の栄光」を示す順位でゴールを通過できるのか……。
実話であり,調べれば結果は最初から分かっているが,それでは映画を楽しめないので,ここでは伏せておこう。ただし,孫基禎の日本に対する個人的恨みと政治的問題の解決ばかりが強調されていて,練習風景やレース経過の描写は単純で,スポーツ映画としては今イチだった。それで,も,ゴール手前からはかなり盛り上がる。走る姿勢やウエアからは,NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(19)を思い出した。同作は「日本マラソンの父・金栗四三」の生い立ちや1940年の東京五輪が開催中止となる経緯が描かれていたので,時代的にはそう離れていない。走法が似ているのは当然だ。この大河ドラマはマラソンを扱いながら,孫基禎と南昇竜を直接描いていなかった。
今年のパリ五輪のメダル獲得数でも,連日日本を意識していた韓国であるから,この映画を観て多くの韓国人が溜飲を下げたことだろう。1946年のソウル,1947年のボストンの景観再現は優れていた。後者はメルボルンで撮影したというが,かなりブルースクリーン利用の撮影でVFX合成を多用している。監督は,大ヒット作『シュリ』(99)で名声を得たカン・ジェギュで,元々政治ドラマの脚本は得意だったようだ。意外と寡作で,その後本作までに3本しか監督していない。当欄では,その内の2本『ブラザーフッド』(04年6月号)と『マイウェイ 12,000キロの真実』(12年2月号)を取り上げている。
■『パドレ・プロジェクト/父の影を追って』(8月31日公開)
原作小説やコミックがある訳ではなく,人気俳優が出演する劇映画でもなく,ベテラン監督の作品でもない。お笑い芸人が被写体のドキュメンタリーで,自らが監督であり,単館系配給ルートでの全国順次公開となると,どう考えてもマイナーな存在だ。ヒットする可能性は小さく,話題になりそうにもない。そう考えて,スキップしようとしたのだが,ある点が気になって観ることにした。
出演者はお笑い芸人「ぶらっくさむらい」で,副題にあるように,彼の父親探しの旅を実録映画として描いている。本名の「武内剛」は日本人そのものだが,父親は外国人,母親は日本人だ。2歳の時に両親が別れて,女手一つで育てられ,父親の顔も知らないという。それじゃ,NHK番組『ファミリーヒストリー』で見た草刈正雄の場合とそっくりではないか。その環境は酷似しているが,その他の条件が違い過ぎる。「草刈正雄」は若い頃から長身の美男俳優で,数年前の大河ドラマで再ブレイクし,知名度も抜群だ。天下のNHKが番組作りのため,長時間をかけて精力的に米国での父親探しをやってくれた。一方の「武内剛」の父親はアフリカのカメルーン出身で,武内の肌は褐色だが黒人に近く,人懐っこい顔立ちであるがイケメンとは言い難い。芸能人としての格や人気は段違いだ。それならと,違いを対比しながら,彼の父親探しの旅を追うことにした。
お笑いの世界に身をおいて40歳を超え,「死ぬまでに一度でいいから,父親に会いたい」と思い始めた。折からのパンデミックで,もう2度と会えない可能性も増した。父親探しを本格化させ,映画化するプロジェクトを立ち上げた。製作費はクラウドファンディングで調達した。米国滞在経験はあるが,父と母が暮したミラノに行くのにイタリア語は話せない。カメラマンと通訳を雇うと,ミラノに滞在できる許容日数は10日間だった。事前準備し,探し終えてから会いに行くのでは「ヤラセ映像」になるので,現地到着後にぶっつけで探し始めることになった。ちなみに「パドレ」とはイタリア語で「父親」のことである。
草刈正雄の場合,結果的に父親は既に他界していたが,伯母やその親族との交流が始まった。武内剛の場合,父の生死は不明で,ミラノに住んでいる確証もない。名前と1枚の写真,若い頃に映画監督を志し,DJをやっていたらしいという情報だけだった。ただし,映画公開する以上,全部失敗ではなく,何か意義ある結果は得たはずだと想像することはできた。
コロナ禍の中,何とか空港を出発できたから映画は始まる。現地のTV局を当てにしたが,全く進展はなく3日間が過ぎた。旧住所に行ってみたが,父母は結婚していなかったので,戸籍的情報が乏しい。名前と写真が頼りで,アフリカ人のネットワークを利用した。昔の知り合いに会えて,父が昔DJをしていたことが確認できた。今はスイスにいるのではとの噂だが,正確な居所は分からない。スマホはもっていそうにない。果たして,まだ生きているのか,生きていても残り期間中に会えるのか……。これ以上はネタバレになるので書けないが,この先どうなるのか分からない魅力があった。なかなかチャンネルを変えられないTV番組に似ている。草刈正雄の場合も同様で,偶然見始めた番組を最後まで観てしまい,さらに後日談の追加番組も観てしまった。
劇中のナレーションも編集も武内剛自身の担当で,ドキュメンタリー進行の構成が巧みだった。本作1本で気になる存在になった。これを機に,映画監督に転身する道も開けるかと思う。彼の今後に注目したい。
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