O plus E VFX映画時評 2023年2月号
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
これまで正式名称をフルスペルで付記してきたが,当欄の読者にもはやMCUとは何かを説明する必要はないだろう。そのMCUの31作目(Disney+配信作品は含まない)であり,本作からフェーズ5が始まるとのことだ。「アントマン」シリーズとしては3作目に当たる。MCUがVFX映画史に残した功績は正に賞賛に値するものであり,『アイアンマン』(08年10月号)以降の10数年間,当欄の評価基準もMCUを中心に推移して来たと言える。若者の間にもマーベルファンは増え,アメコミ自体の購読者も増えた。そんな輝かしい栄光のMCUであるが,次第にその出来映えを疑うものになり,残念ながら,本作は過去最低評価となってしまった。なぜこうなったのかを,少し詳しく考えてみたい。まず,評点の推移を集計してみた。
◆フェーズ1(2008 - 2011年): 2本, 4本
◆フェーズ2(2013 - 2015年): 3本, 2本, 1本
◆フェーズ3(2016 - 2019年): 6本, 5本
◆フェーズ4(2021 - 2022年): 1本, 2本, 3本,:1本
こう眺めてみると,尻上がりに作品の総合的クオリティは向上し,フェーズ3が絶頂期で,『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19年Web専用#2)で盛り上がりも頂点に達した。コロナ禍で,公開も製作も水を差された形になったが,フェーズ4から急速に評価が下がっている。筆者としても,公開延期からの再開が待ち遠しかったはずなのに,この低評価は何が原因なのだろう?
後追いで「フェーズ1〜3」を束ねて「インフィニティ・サーガ」と呼び,今後の分も含めて「フェーズ4〜6」を「マルチバース・サーガ」(以下,MVS)と呼ぶことが公表された。ただし,『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』(22年Web専用#3)で時空の扉が開いてしまったのはフェーズ4の途中であり,MVSとしては序章に過ぎず,フェーズ5からが本格的なMVSの始まりだそうだ。その第1作である本作には,新世代のアベンジャーズの前にはだかるシリーズ最凶の敵カーンが登場するという。複数の時間を自由に操れる「征服者カーン」に対して,アントマンとワスプがどう戦うのか,当然MVSの鍵を握る意欲作であることが予想された。
最近のマーベルファンのために,「アントマン」シリーズを振り返ってみよう。主人公のスコット・ラング(ポール・ラッド)は特殊能力などない一般人のバツイチ男であり,しかもコソ泥での収監経験もある前科者だ。ところが,天才科学者のハンク・ピム博士(マイケル・ダグラス)の自宅に忍びこんだところ,博士が発見した「ピム粒子」の実験台にされ,体長1.5cmの「蟻男=アントマン」になってしまう。といっても,常時このサイズでいるのではなく,博士の開発した「アントマン・スーツ」を着用した時のみ,物質を拡大・縮小する機能をもつ液体「ピム粒子」の作用で蟻の大きさになり,運動能力も増し,多数の蟻たちを率いることもできる。即ち,「スパイダーマン」のように体質が変化したのではなく,「アイアンマン」のようにスーツ着用時のみ超人的な能力を発揮できる訳だ。第1作『アントマン』(15年10月号)では,ピム博士と袂を分かった助手のダレンの陰謀を粉砕する役目を担う。映画としては,ミニチュア目線でのアクションが心地よかった。この能力を買われて,アントマンはアベンジャーズに参加することになり,『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(16)ではキャプテン・アメリカ組に加わり,アイアンマン組と戦っている。
2作目『アントマン・アンド・ワスプ』(18年Web専用#4)はMCU20作目で,「ワスプ」とはスーパーヒロインの名前である。ピム博士の娘ホープ(エヴァンジェリン・リリー)が「ワスプ・スーツ」を着用し,空を飛べる牝の「羽蟻」として活躍する。彼女は2代目で,初代ワスプは母のジャネット(ミシェル・ファイファー)だった。彼女は死んだと思われていたが,原子よりも小さい量子世界に20年間閉じ込められていたことが判明し,ピム博士が量子トンネルを通って妻の救出に向かう。アントマンのスコットも,この2作目で2度量子世界を訪れている。スコットとホープは心を通わせ,恋人同士のような関係になる。『…エンドゲーム』でもカップルとして登場し,サノスを倒して世界を取り戻すための重要な役割を演じていた。
この2作目では,体長1.5cmから24mまでの変幻自在が楽しかった。1作目も2作目の☆☆+評価にしたが,「なぜ最高点評価ではないのかと言えば,次回作以降のさらなる進歩に☆☆☆を残しておきたいだけである」と書いている。それが☆+を飛ばし,4ランク下の☆評価にせざるを得ないとは,筆者自身も意外だった。正確に言えば,同じフェーズ4の『ソー ラブ&サンダー』(22年Web専用#4)も同評点であったが,本作は★にしたかったところをぐっと堪えただけで,実質はMCUシリーズ中の最低の出来映えである。CG/VFX史の今後に関わる重大事であるので,以下,その原因を考察することにした。
監督は,前2作のペイトン・リードが引き続きメガホンをとっている。製作も同じく御大ケヴィン・ファイギで,マーベル・スタジオの社長であり,MCU全作品のプロデューサーであるから当然だ。主要登場人物も,アントマン=スコット・ラングとピム親子3人は,前作までの俳優が演じている。即ち,キャスト&スタッフの基本骨格は同じであるから,製作や撮影の方針も継続しているはずだ。
主要キャストで俳優が変わったのは,スコットの娘のキャシー役だけだ。1&2作目はアビー・ライダー・フォートソンが演じていたが,『…エンドゲーム』ではエマ・ファーマンに代わり,本作ではキャスリン・ニュートンが配されている。第1作では離婚した母マギーと住む10歳の少女で,別居している父スコットを溺愛していた。『…エンドゲーム』時には14歳の想定で,公開年通りの設定だった。それを踏襲するなら,本作では18歳前後ということになる。であれば,以前の俳優をそのまま起用すればいいはずだが,本作ではより重い役になるため,それに相応しい女優に演じさせたかったのだろう。
公開前に公表されていた写真1で,「ワスプって,こんなに若くて可愛かったっけ?」と思ったのだが,これが愛娘のキャシーだった。現在26歳,撮影時には24歳のはずだが,18歳に見えなくもない。『名探偵ピカチュウ』(19年Web専用#2)で,主人公の青年ティムと共にピカチュウを見守る新米記者役だったようだが,殆ど記憶にない。それでも「美形の白人若手女優」と記しているので,美しさは光っていたのだろう。本作では,彼女がほぼずっと父と行動を共にするため,相棒で恋人同士であるはずのワスプの存在感が薄かった。E・リリーも整った顔立ちなのだが,K・ニュートンと比べると完全に中年のオバサンに見えてしまう(写真2)。カメラは残酷だ。
本作では,キャシーは再会した父のために,量子世界に信号を送る人工衛星を開発する。いつの間にか,大人の科学者に成長したのである。この装置を稼働させたところ,突如光を発してしまい,スコット,キャシー,ピム一家3人の計5人は量子世界へと吸い込まれてしまう。そこには,サノスを凌ぐ最凶の征服者カーンが待ち受けていた……。物語のこの骨格は,試写を観てから知ったことで,ほぼ完璧に事前情報が封じられていた。最近,ディズニー配給映画はこの方針が徹底している。それでは興味も湧きにくいし,映画が始まっても,物語に付いて行けない。
配給会社も,さすがにそれではまずいと思ったのか,大阪での完成披露試写会では,本編上映前に約30分もの舞台挨拶があり,そこで本編のヒントが少し語られていた。ただし,監督や主演俳優が登壇したのではなく,吉本興業所属の漫才コンビ3組が他愛もない「しゃべり」を披露しただけだった。今にして思えば,この苦痛の30分こそ「最凶の時間」であり,本編観賞への集中力を妨げるものでしかなかった。
以下,当欄の視点からの本作への批評と愛の鞭である。
■ 前作でピム博士やアントマンが量子世界に向かったとはいえ,登場場面はわずかだった。量子トンネル通過時以外は,せいぜい写真3のような意味不明の光景が登場したに過ぎない。本作では,スコットとキャシー父娘が量子世界に踏み入れた途端,ここは地獄かと思う荒んだ光景を目の当たりにする(写真4)。静止画で見ると溶岩流が降ってきているようにも見えるが,動画だと光を帯びた水が下から上に流れる異世界だそうだ。映画の冒頭と最後だけ,普通人のスコットが街を歩くシーンが登場するが,その他はほぼ全編「量子世界」の中で,この種の得体の知れない光景が延々と続く。いくら戦っても,次々と毛色の違う異世界が現れるから,真剣に見る気になれず,退屈する。およそ物語の楽しさはなく,見せ場のない映画だった。
■ そもそも「量子世界」(Quantum Realm)とはMCU用語で,物理学(特に,量子力学)で定義されている用語ではない。「ピム粒子」を(原子よりも小さい)「亜原子粒子」の1種だとしているので,その作用で原子より小さな「量子世界」が存在すると考えることはできる。ただし,スコットやハンク・ピム博士のような原子や分子で構成される人間が縮小され,原子以下の世界でも人間の形を保てることが可能なのか,原理的な説明がない。無機物であれ,有機物であれ,地下世界のような空間や社会が構成されていることも説明できていない。いくら荒唐無稽なSF映画とはいえ,何らかの理由付けは欲しい。まだしも,他の惑星にこんな世界が存在していたという方が納得しやすい。それがないから,登場するシーンが合理的と思えないし,そんなSF世界には没入しにくい。
■ 比較的マシだったのは,写真5のような未来都市風の景観だ。まるで昔の腕時計の裏蓋を開けた時のような光景である。カーンが時間を自在に操るというので,時計をモチーフにしたのだろうか。いくつかの大きな円環が空間中移動していたから,3D上映で効果的に見せる配慮だろう(試写会は2D上映だった)。円盤状の台座に立脚した方が,俳優も演技しやすいし,色々描き加えやすかったことも理解できる(写真6)。勘弁して欲しいのは,写真7のような醜悪な生物のオンパレードだ。本稿に掲載しているのは,ほぼ予告編に登場するシーンの範囲内だが,この他に「キノコ」「クラゲ」「エイ」「ヘビ」等々を醜悪にしたかのようなクリーチャーが続々と登場する。デザイナやCGアーティストに「とにかく醜悪な生物」と発注すれば,この種の映像が納品されるのだろうが,CGパワーの浪費としか思えない。まだしも,『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』(22年Web専用#7)の地下世界の方が許せた。本作の予告編が公開された時,すぐに“ugly”だという評判が立ったが,映画本編を観た後は“too ugly”だという声に変わることだろう。巨大な顔と短い手足だけの存在になってしまったダレン(2作目の悪役)も醜悪そのものだった。
■ 別の意味で醜悪だが,さほどの敵役と思えなかったのが「征服者カーン」だ(写真8)。「スタートレック」シリーズにもカーンという悪役がいて,『スタートレックII カーンの逆襲』(82)なる映画があったが,それとは無関係だ。あちらは「Kahn」であり,こちらは「Kang」である。Disney+配信のドラマシリーズ『ロキ』(21)の第6話に登場した「在り続ける者」の変異体で,このフェーズ5のために「カーン」なる名前にしたそうだ。「最凶の敵」との触れ込みだけで,そう感じる極悪非道の振舞いが映画中にある訳ではない。人間社会に害をもたらしてこそ敵役なのに,現実味のない「量子世界」で何をしようと,悪のリアリティを感じない。ただし,演じているジョナサン・メジャースのルックスは最悪だった。まるで,黒人男性の醜さを強調したような顔立ちだ。黒人俳優でも結構イケメンはいるし,このJ・メジャースも素顔は人の良さそうな顔立ちである。それをここまで醜悪なメイクにしたのでは,白人警官でなくても身構えたくなるではないか。敵役には,インド系でも中国系でも,はたまたプーチンのようなスラブ系でもいいのに,なぜアフリカ系米国人を起用するのか。これは製作陣の人種的偏見ではないかと感じた。
■ 少し笑えたのは写真9だ。スコット(アントマン)が2つ身,4つ身と分身を繰り返して,無数のスコットの集合が三角錐のように積み上がったシーンである。この画像が典型例だが,本作のCG物体のエレメント数,描画時のポリゴン数はMCU内でも最大に違いない。いや,全世界の映画史上での最大で,ギネス記録かも知れない。それが作品のクオリティに貢献していないことは明らかだ。したり顔の映画批評家が「映画はCGではない。シナリオだ」などと当り前のことを言いそうなのが癪だ。この映画に付き合わされたCGアーティスト達が不憫で,本作に最低ランクの★までは付けられなかった。CG/VFXの主担当は老舗ILMで,副担当はDigital Domain 3.0,さらにSony Pictures Imageworks, MPC Montreal, MPC Adelaide, Rising Sun Pictures, Spin VFX, Atomic Arts, Territory Studio, Barnstorm VFX, Method Studios, Folks VFX, Pixomondo,Luma Pictures等々がクレジットされていたが,ここまでしかメモできなかった。
■ 栄光の10年間を歩んだMCUが,なぜこんな大凋落の道を歩み出したのだろうか? CG/VFXの進歩が,スーパーヒーローものを楽しく描けることに着目し,徹底してその路線に集中した手腕は大したものだと思う。個別ヒーロー作品のクロスオーバーというアイデアが,熱心なファンの心理を加速させたことも間違いない。それが曲がり角に来たのは,拡大路線が甚だし過ぎるからだと思う。フェーズ4は,劇場公開作7本に対して,ネット配信番組が11作品もあった。フェーズ5では,劇場公開作7本に対して,既にネット配信番組が少なくとも6作品が予定されている。これらが全部MCUというのは,いくら何でも多過ぎる。その作品間で密接な関係があっても,とてもそれを覚え切れないので,興味も減じてしまう。加えて,マルチバースなどという麻薬に手を付けてしまった以上,安直な物語をいくらでも粗製乱造できる。当然,脚本の質は下がる。事業拡大しか頭になく,観客を楽しませることが娯楽映画の原点だということを忘れているとしか思えない。劇場公開映画は,TVドラマシリーズやビデオゲームでは描けないCGシーンで豪華に見せようとするから,虚仮威しのCGばかりが増加することになる。これではスーパーヒーローもののワクワク感は期待できない。その典型が,図らずもフェーズ5の第1作目である本作で露呈してしまった。「マルチバース・サーガ」などと名乗って悦に入っているようでは,フェーズ6の終りまで反省の色はないかも知れない。当欄は役目上,CG/VFX映画の進化も停滞も,その反動も同時代進行で見守ることになる。
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