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O plus E誌 非掲載
 
 
 
地球が静止する日』
(20世紀フォックス映画 )
 
  (C) 2008 TWENTIETH CENTURY FOX
  オフィシャルサイト[日本語][英語]  
 
  [12月19日より日劇1ほか全国東宝洋画系にて公開中]   2008年12月20日 TOHOシネマズ二条  
         
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  半世紀余の映像表現技術の進歩は十分感じられるが…  
 

 例によって日米ほぼ同時公開で,関西地区では試写会もなく,O plus E 誌新年号で紹介できなかった作品である。表題だけで,地球破滅の危機を描くパニック映画だと分かる。『マトリックス3部作』のキアヌ・リーブスが宇宙からの使者で,人類に警告を与えるため地球にやって来たという。派手なCGシーンを含むTVスポットがじゃんじゃん流れていたから,なるほど正月映画らしい雰囲気が漂ってくる。筆者などは,この種のCMを観ると,映画通には「いつもの大味で,派手なだけの虚仮威しか」とバカにされ,またCGが悪者になるのではと危惧する次第である。
 それにしてはやや古風な題だと思ったら,1951年のロバート・ワイズ監督作品『地球の静止する日』のリメイクだという。原題は同じ『The Day the Earth Stood Still』だが,邦題は1文字だけ変えてある。ロバート・ワイズといえば,『ウエスト・サイド物語』(61)『サウンド・オブ・ミュージック』(64)でオスカーを得た巨匠じゃないか。それ以前にこんなSFパニックものを撮っていたとは知らなかった。さすがに1951年となると,まだ朝鮮戦争の動乱期であり,幼児だった筆者も同時代では観ていない。国際政治の緊張状態に対して警告を発した作品として,ゴールデングローブ賞の国際賞を受賞しているようだ。
 どんな映画だったのか気になったのだが,幸いにも,レンタルビデオ店の「話題の旧作」コーナーにDVDが1枚だけあった。リメイク作の公開に合わせてDVD化されたのだろう。早速借りて来たが,少し迷った。この旧作を先に観て,リメイク作をどうスケールアップしているかを味わうか,先入観なく新作を観て,後から古典的SFの名作と言われる旧作を振り返るかである。少し逡巡した後,当欄の趣旨を考慮して,素直に旧作を先に自宅で観て,翌日にシネコンの大スクリーンで新作を観ることにした。
 まずは,旧作から紹介しよう。主演の異星人クラトゥを演じたのはマイケル・レニイで,ヒロインのヘレンにはパトリシア・ニールが登場している。ゲイリー・クーパーとの不倫が話題となり,後に作家のロアルド・ダール夫人となったオスカー女優である。勿論,映像はモノクロだが,ノイズは全くなく,素晴らしくキレイな画面だった。おそらく,最新のデジタル技術で徹底的に画質改善したのだろう。
 首都ワシントンDCに到来した空飛ぶ円盤から降り立った異星人クラトゥが,地球上の愚かな抗争や核兵器開発に警告を発するが,各国の指導者は彼との会談を拒む。クラトゥは捕らえられ,致命傷を負ったため,同じ宇宙船でやって来たロボットのゴートが救出に向かい,市中の破壊を開始する……。というのが物語の骨子で,それまでの能天気なSF映画とは一線を画す意欲作だったらしい。
 当時の映画は,セリフは薄っぺら,テンポも速く,音楽も驚くほど貧弱だが,それはすぐに慣れる。問題は宇宙船やロボットの造形の幼稚さであり,失笑を禁じえないレベルだった。きっと当時としては最新の特撮技術だったのだろうが,こりゃ酷い。そもそもパニック映画だというのに,まるで怖さを感じない。これでは警告にならないし,人々が逃げ惑うのが滑稽にすら感じる。大きなクライマックスもなく,エンディングも淡泊で,メッセージ映画としての主張も弱い。所詮,映画の評価というのは,公開当時の他の作品との相対的なもので,後世の観客の観賞に耐えるものは殆どないという典型だ。
 さて,リメイク作である。「衝撃と感動のクライマックスは大スクリーンで!」の誘いに乗り,公開2日目の土曜日の午後にシネコンに出かけた。一番大きいシアターだったが,前年末の『AVP2』よりはぐっと観客数は多く,半年前の『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(08年7月号)に匹敵するレベルだ。興行収入的には,正月映画の目玉としての役割は果たすことだろう。
 本作品の監督は『エミリー・ローズ』(06年2月号)のスコット・デリクソン。クラトゥを助けるヘレンには,『ビューティフル・マインド』(01)のジェニファー・コネリー。こちらもしっかりオスカー女優を配し,自立した女性らしい科学者の役になっている。その幼い息子ジェイコブ役は,ジェイデン・スミス。『幸せのちから』で父のウィル・スミスと共演したあの天才子役である。何で白人女性に黒人の子供がと思いきや,こちらも現代風らしく,黒人の孤児を引き取って育てているという設定である(写真1)。他の助演陣では,『ミザリー』(90) 『タイタニック』(97)のキャッシー・ベイツが,印象的な女性国防長官を演じている。
 宇宙船が到来するのはワシントンDCからNYセントラルパークに変更されているが,クラトゥやゴートの登場や警備隊の発砲などのやり取りは,旧作をほぼそのまま踏襲している。宇宙船は見慣れた円盤型ではなく,大きな球体を採用している(写真2)。形は単純でも,CGによる産物である。その後のクラトゥを巡る展開は,かなり書き替えられ,スケールアップしている。彼が地球の未来を案じ警告を発するのは同じだが,その対象は冷戦構造ではなく環境破壊だ。「人類が滅亡すれば,地球は生き残れる」とまで結論づけ,具体的にその危機が迫るアクション中心の脚本になっている。バーンハート博士が黒板に書いた数式をクラトゥが書き直すシーン,大都市を一斉停電させるシーンなどで旧作をなぞっているのは,ご愛嬌である。

 
   
 
写真1 異星人と接するのは,この義理の母子   写真2 球形は宇宙船がセントラルパークに飛来する
 
 

 
   映像としてのスペクタクルは期待通りだった。映像としてはお粗末極まりない旧作を前夜に観ていただけに,映像表現技術の圧倒的な進歩が強烈に感じられた。いや,映像以上に音響面,映画音楽の創造力向上も相当なものだ。劇場公開映画とTV映画やアマチュア作品との差が最も出るのが音の迫力だ。その差は年々広がっていると感じる。この音と映像ならば,人類の危機は伝わって来る。パニック映画としては十分に合格点だ。
 約500カットというCG/VFXの主担当は『ロード・オブ・ザ・リング3部作』や『キング・コング』(06年1月号)のWeta Digital社だ。視覚効果部門のオスカーを4度も獲ったスタジオが約300人を投入したのだから,質・量ともに不足な訳がない。他には,Flash Film Works,Cinesite,CosFX,Hydraulx,Digital Dimension等も参加している。以下,その見どころである。
 ■ 球形の宇宙船はシンプルかつ神秘的だが,表面の模様が色々変化する様がなかなか良い。テクスチャには気象衛星画像を使っているようだ。どの方向から見ても同じ形で大きさを感じにくいのを,この模様や構図で巧みにそれを補っている(写真3)
 ■ ロボットのゴートは,旧作では不細工なボディスーツを着ただけの人型ロボットだった。これをどう作り替えるのかも楽しみだったが,そのままのイメージを踏襲し,サイズをぐんと大きくしただけだった。この大きさはCGゆえの実現とはいえ,期待外れで,ちと残念である。
 ■ 見落としがちだが,随所に見える背景としてのNYの街(写真4)も様々な表情を見せる。人1人居ない光景や一斉停電のシーンまでを描き分けられるのは,言うまでもなくデジタル技術のお蔭だ。今やこの種の光景を描くのは,特別な技術ではない。ヘリやミサイルの描写も同様である。
 ■ 後半のCG/VFXの見どころは,宇宙小生物の大群が地球上を襲うシーンだ。静止画(写真5)だと雲や砂嵐のように見えるが,動きはそのいずれでもない。写真6は予告編でもちらっと登場するシーンだが,大型トレーラーがまさに食べられるかのように崩壊して行く。単なるパーティクル処理やMassiveによる群集シミュレーションでもないようだから,おそらく独自ソフトでこの動きを作ったのだろう。
 
   
 
写真3 この構図なら直径約90mの大きさを感じる   写真4 背景として描かれているNYの街も見応えがある
 
   
 
写真5 スタジアムを襲う小生物の大群
 
   
 
 
 

写真6 大型トレーラーが瞬く間に食べられてしまう
(C) 2008 TWENTIETH CENTURY FOX

 
   
   誌上での紙幅制限がないので長々と書いてしまったが,結論に入ろう。映画史の中で映像表現技術がいかに進歩したかを比較するには,間違いなく恰好の題材の1つである。現代の観客は,同じような入場料で随分贅沢なエンターテインメントを楽しんでいることになる。願わくば,数十年後に同じ題材でどう変化するのか試してもらいたいものだ。
 では,この映画だけ観る観客にとっての価値はと言えば……。『インデペンデンス・デイ』(97) 『ディープ・インパクト』(98) 『デイ・アフター・トゥモロー』(04年7月号)等を観た後では,衝撃度は小さく,同工異曲に思えてしまう。結末として旧作を大きく崩さなかったことが,最近のSF大作としてはアクション度は高くないレベルに留めている。映像としてのリッチさ感じるが,感動はない。
 ところで,映画の後半で「危機に瀕すれば,人間は変われるのだ」というメッセージが何度も繰り返される。「We can change」というセリフは,何やら次期米国大統領に地球環境を守る姿勢を期待しているかのようだ。でも,ちょっと待ってくれ! 地球環境も大切だが,それは1, 2年遅れてもいいから,金融危機対策の方が急務だろう。勝手にサブプライムローンを破綻させて,世界経済を大恐慌に陥れた責任もあるのだから。     
 
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