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O plus E誌 2003年3月号掲載
 
 
 
 
『ピノッキオ』
(ミラマックス映画/アスミック・エース配給)
 
 
       

  オフィシャルサイト[英語][伊語]  
 
  [3月21日より全国松竹系にて公開予定]   2003年2月5日 松竹試写室   
         
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  騒々しい演技と使い方を誤ったSFXに辟易  
   1997年製作のイタリア映画で,日本では4年前に公開された『ライフ・イズ・ビューティフル』は素晴らしい作品だった。アカデミー賞主演男優賞等3部門に輝いたこの映画で,監督・脚本・主演のロベルト・ベニーニの剽軽な演技は印象的だった。ユダヤ人強制収容所で我が子を救うためのユーモア溢れる行動は,涙と感動を誘った。実の伴侶で,相手役を務めたニコレッタ・ブラスキの美貌と母親役の演技も輝いていた。
 そのR・ベニーニの最新作は,イタリアが生んだ名作童話「ピノキオの冒険」の実写映画化で,SFXをふんだんに駆使した作品だという。それもゼペット爺さんでなく,何と何と自分でピノキオを演じるのだという。「ホントかよー」という思いと,イタリア映画のSFX/VFXのレベルも確認したくて,大いに楽しみにしていた。
 イタリア映画史上最高額の4,500万ユーロ(約54億円)の製作費を投じたこの『ピノッキオ』は,イタリアでは公開後3日間の興収レコードを更新した。2週間で約2,000万ユーロを売り上げ,『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)『ロード・オブ・ザ・リング』(01)のもつ記録を圧倒するヒット作となった。フェリーニ,ビスコンティ,デ・シーカらが作り上げた伝統的で詩的な作風は異なるものの,ハリウッド流SFXの導入で「イタリア映画,鼻高々の復活」(ニューズウィーク誌2002.12.25号)と報じられた。
 ところが,英語吹替え版も用意してクリスマス・シーズンに公開した北米では,復活どころか記録的な大コケとなった。批評家の評価も観客の評価も,これだけ揃って低い映画は珍しいくらいだ。興行的にも大惨敗で,わずか3週間でスクリーンから姿を消した。アメリカ人の口に合わなくても,かつてイタリア映画を愛した日本人にはどうか,別の興味も混じる待ち遠しい一作となった。
 冒頭は夜のフィレンツェの街のシーン,青い妖精(N・ブラスキ)を乗せた白い豪華な馬車を数百匹のネズミが引いて走る。これだけの数のネズミは勿論CGで,なかなかのもの。衣装もセットもカラフルで,童話の世界の導入部として悪くない。金をかけただけのことはある。『グリンチ』(00)や『102』(00)に負けない力強さを感じた。
 続いて,イタリアらしい細い街並みを,丸太が人々をはね飛ばしながら暴走する。CGの丸太そのものの描写はあまりリアルでないが,VFXの印象は悪くない。この丸太がジェペット爺さん(カルロ・ジュフレ)の家に辿り着く。そーか,ピノッキオはこの丸太から生まれた操り人形だった。ここまでは,そんなに悪くなかった。
 ところが,ピノッキオ役のR・ベニーニが登場した途端に,この映画は台なしになる。監督・脚本・主演の彼は「皆さんが映画をご覧になる時,私がスクリーンに登場して10秒後には,きっと私のことを"ピノッキオ"だと感じていただけるでしょう」と語っているが,この中年男のどこが少年ピノッキオなのか!彼も友人のルシーニョロも木製人形という設定だが,全く何のメイクも施さない生身の人間がとてもそうは見えない。約束事でそう思えといっても無理な話だ。何のためにVFXをふんだんに使っているのか,使い方が間違っている。
 純真無垢で道化役という点だけがR・ベニーニの持ち味と近いのだろうが,『ライフ…』のユーモア溢れる過剰な演技は,この映画ではただただ騒々しい躁状態の中年男だった。ピノッキオの登場以降の残りはただただ苦痛だった。原稿書きのための試写会でなければ途中で席を立っていただろう。これほど主人公に感情移入できない映画もない。ジェペット爺さんとはとても親子に見えないから,サメの腹の中での再会シーンも全く感動的でない。やはりアメリカの観客の反応は変ではなかったと再確認した。イタリア人はこの映画のどこに感動を覚えたのだろう? カルロ・コッローディ作の誇るべき童話の映画化というだけでヒットしたのだろうか。
 VFXシーンは400以上というだけあって,いたる所でCG映像やディジタル合成が使われていた。前述のネズミや丸太の他に,蝶々,ハト,サメはCGだったが,許せたのはネズミくらいで,ハトはまるで模型をバタバタを操っているかのような動きだった。これと比べると『スチュアート・リトル2』(02)のファルコンはいかに丁寧に作られていたかが分かる。この物語で大きな役割を占めるサメも大半はCG製だが,実にチャチな出来だった。これなら今どき専門学校の学生でも描けるかというレベルだ。主担当は,Peerless Camera Company社。過去に『バーティカル・リミット』(00)や『トゥームレイダー』(01)などを手がけた英国のスタジオだが,イタリアにはこのレベルの技術もなかったということか。
 嘘をつくと長く伸びるピノッキオの鼻は勿論CGで,言葉を話すコオロギを小さく,火喰い親方を巨大に描くのはディジタル合成だ。VFXはフィレンツェの街の装飾にも多用されていたが(写真),背景となるマット画合成にはやや不自然さが目立った。まるで舞台劇の背景画のような感じだが,同じようにカラフルで誇張した表現でも『ムーラン・ルージュ』(01)の楽しさはない。ピノッキオが騒げば騒ぐほど,何か空しかった。まだしも,ジム・キャリーが演じたグリンチの方が大人しく,童話らしい味付けがあった。
 
   

写真 フィレンツェの街は,スタジオ内に作られたセット(左)を,CGとデジタル・マットで装飾して完成(右)

   
   この違和感は,我々がディズニー・アニメのピノキオやコオロギの愛くるしい姿に慣れすぎたせいだろうか? 1893年発行の原作初版本にエンリコ・マサンティが描いた挿絵や1901年出版本のカルロ・キオストリによる挿絵は,なるほどベニーニの扮したピノッキオに外観は似ている。しかし,これだけのVFXを導入しながら,新しい魅力的なピノッキオ像を示せなかったのも事実だ。アニメの名作をあえて実写で描くなら,ピノッキオはクレイでもパペットでも3D-CGでも良かった.『スチュアート・リトル』クラスのCGを導入すれば,人形のピノッキオなど容易に描けたはずだ。そうでないと,人間になったピノッキオが生きて来ないのは誰でもすぐ分かることなのに……。
そうしなかったのは,R・ベニーニがこの役を演じたかったからだけに過ぎない。かつて尊敬するフェデリコ・フェリーニに自分がピノッキオのようだと言われたかららしい。オスカーを得て有頂天になった監督が,自分と奥方だけが出演を楽しんだ偉大なる失敗作。そんな映画に誤ったVFXの使い方をして欲しくなかった。
 
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  (画像は,O plus E誌掲載分に追加しています)  
   
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