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O plus E誌 2003年2月号掲載
 
 
『ギャング・オブ・ニューヨーク』
(ミラマックス・フィルムズ/松竹&日本へラルド映画共同配給)
 
       
  オフィシャルサイト[日本語][英語]   2002年12月22日 相鉄ムービル  
  [12月21日より全国松竹・東急系にて公開中]      
         
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  NYを描き続けた巨匠のライフワーク  
   とっくに公開済の正月映画だが,どうしてもこの映画のことは書いておきたい。構想30年というだけあって,『ミーン・ストリート』(73)『タクシードライバー』(76)から『救命士』(99)まで,ニューヨークを撮り続けてきた巨匠マーティン・スコセッシ入魂のライフワークだ。
 2001年3月に撮影終了,同年9月下旬に公開予定だったのが,あの忌まわしいテロの影響で1年以上も延期された。2002年12月下旬日米同時公開。十分時間はあったはずなのに,完全主義者の監督がぎりぎりまで編集を重ねたために,12月号どころか1月号にも間に合わなかった。それでも,本欄としてこの作品は論じておきたい。
 主演は『タイタニック』(97)のレオナルド・ディカプリオと『チャーリーズ・エンジェル』(00)のキャメロン・ディアス。公開直後の週末のシネコンは,レオ様人気で若い女性やカップルばかりかと思ったが,予想に反して熟年男性1人や年輩女性の2人連れなど,意外な年齢層のファンが列を作っていた。目の肥えた映画ファンを引きつける何かがあったのだろう。
 舞台は19世紀半ばのニューヨーク。アイルランド系移民と先住の英国系住民の利権抗争の中で,目の前で父ヴァロン神父(リーアム・ニーソン)を殺されたアムステルダム(L・ディカプリオ)は,16年の投獄生活の後,父の仇ビル(ダニエル・デイ=ルイス)のギャング組織に入って復讐の機会を窺う。ところが,ビルの信頼を得るうちに憎しみを超えた感情が芽生え,街で知り合った美しいスリのジェニー(C・ディアス)との恋はビルとの3角関係を生む。そんな3人を,初の徴兵制度を巡って揺れる激動の時代が包み込む大叙事詩である。
 この稿の執筆時点で,この映画はゴールデングラブ賞の主要5部門にノミネートされているが,結果はまだ出ていない。アカデミー賞の多数の部門にも名を連ねることだろう。概ね専門家筋の評価は高いが,観客の好みは分かれている。建物,衣装,下層階級の生活まで徹底した時代考証とボリューム感への賛辞もあれば,ドラマ性の希薄さを不満とする声も少なくない。もまた,残虐シーンの多さと盛り上がりのなさを指摘した1人だ。
 筆者はその評価には与しない。暴力を交えて,映像の中で淡々と時代と風俗を語るのがM・スコセッシのフィルムメーカーとしての一貫した姿勢である。恋愛劇や復讐劇に大仰な演出を好むなら,他のハリウッド映画を探してくれと彼は言うだろう。スコセッシが撮りたかったのは,今まで映画で一度も描かれたことのない南北戦争真っ只中のニューヨーク,貧困と緊張感溢れる街の様子である。これは他のスコセッシ作品と見比べて,アメリカの象徴たるNYの成り立ちを見る映画だ。なるほどそう考えると,テロ直後で誰もが冷静さを失っていた時期に見て欲しくなかったというのは理解できる。
 助演でなく,主演男優賞にノミネートされたD・デイ=ルイスは,大方の評価通り,圧倒的な存在感だ。一方のC・ディアスは,顔立ちが現代的過ぎて,筆者には違和感すら感じた。L・ディカプリオは,『タイタニック』よりも名実ともに一回り大きくなった演技が光る。主人公のナレーションを多用するのはスコセッシ映画の定番だが,ディカプリオの少し癖のある語りは味があり,音楽との相性も良かった。
     
  安易なVFXシーンが画竜点睛を欠く  
   製作費約150億円。巨匠が時間の限り編集を重ねたスペクタクルというから,ビジュアル面でも大いに期待した。なるほど,女性客が顔を背けるほどナイフや斧での戦闘シーンは迫力ある。これも『プライベート・ライアン』(98)以降の映画が避けて通れないリアリティ追及の1つだろう。
 VFXの担当は天下のILMだ。同時代を扱った『パトリオット』(00)のような屋外合成シーンや,都市部のデジタル描写は『ロード・トゥ・パーディション』(01)のそれを想像し,良質の視覚効果を期待したが,これは半分当たりで,半分外れた。19世紀のNYの街並みは,ローマ郊外にある伝説のチネチッタ・スタジオ内に作られた(写真1)。かつて『ベン・ハー』(59)等が撮影されたという巨大スタジオに,19世紀アメリカの住居から,ホテル,レストラン,博物館,大聖堂までも再現したのである。これでは,VFXの出番はそうそうない。
 主要なデジタル合成シーンは,次の4つである。
 (1) 1846年のNYファイブ・ポインツ地区からどんどんカメラを引いて,マンハッタン全景の俯瞰にいた連続シーンが登場する。途中から最後まではどう見てもフルCGだろう。
 (2) 二隻の帆船をチネチッタ・スタジオの水槽に浮かべ,港の風景も本当に作られたが,他の多数の船や外洋や遠景は大きなブルースクリーンを利用してクロマキー合成されていた(写真2)。
 (3) 長く続く道路の果てなど,2~3のシーンの背景でCG映像によるデジタル・マットが使われていた。

 
     
 
写真1 スタジオ内で19世紀のNYの街を徹底再現 写真2 ブルースクリーン前の二隻の帆船は本物
 
     
   (4) エンディングでイースト・リバーの対岸から臨むマンハッタン地区は,戦火で燃え盛る1863年の光景から数カットを経てディゾルブ風に現代の高層ビル群へと変化する。言うまでもなく,ここはデジタル処理だ。
 どれも期待外れだった。ILMだけに,その名を辱めるほど低レベルではないが,さして良い出来とは言えない。そう大人数をかけていないから,クライアントの要望と予算に応じて2線級を投入したのだろう。(3)はまずまずとして,なぜ(1)や(4)のような,取ってつけたような安直なCG映像シーンをこの映画で使う必要があるのだろう? 大作だから流行を取り入れただけとしか思えない。画竜点睛を欠くとはこのことだ。本映画時評としては,減点せざるを得ない。
 つまるところ,古い時代の映画人のマーティン・スコセッシやその仲間たちは,デジタル視覚効果の使い方をよく分かっていないのだろう。J・キャメロン,R・ゼメキス,S・スピルバークとまでは行かなくても,年長のリドリー・スコットは『グラディエーター』(00)『ブラックホーク・ダウン』(01)で,もう少しうまくCGを使ってみせている。最近のPreVizの威力やCG的な視点移動が分かっていれば,(2)の使い方はもっともっと効果的で,スケールの大きなものになっていたと考えられる。巨大スタジオで忠実に再現したとはいえ,最近の映画に比べると,この作品の描くNYの風景はどことなく箱庭的な感じがした。『タイタニック』『プライベート・ライアン』『グラディエーター』とのスケール感の違いは,カメラワークの制約の差だと考えられる。
 かといって,M・スコセッシにそれを求めたかった訳ではない。なまじっかそれを指向すれば,この映画のプロダクション・デザインは破綻しただろう。この大監督には,過去10年の視覚効果の進歩など気にせずに,徹底した昔流の映画作りを貫いて欲しかった。
 
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