O plus E VFX映画時評 2025年9月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
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■『遠い山なみの光』(9月5日公開)
ノーベル賞作家カズオ・イシグロが1982年に発表した長編デビュー作の映画化作品である。監督・脚本・編集は石川慶。監督デビュー作『愚行録』(17年3月号)以来,全作品を観ているが,当欄で「本年度邦画のBest 1」と絶賛した『ある男』(22年11・12月号)が日本アカデミー賞の主要部門を制覇した以上,一層気になる存在となった。原作者が芥川賞の平野啓一郎から,ブッカー賞,ノーベル賞作家になり,彼が製作総指揮に名を連ねている以上,本作の純文学度も増しているに違いない。配給会社の力の入れようから,力作であることも確実だった。
映画は1950年代の長崎と1980年代の英国を往き来して進行するという。そこで,特にある点に注目して熟視することにした。原作者の故郷である1950年代の長崎の描写と日英の文化の描き分けである。意識して比べた対象は,先月,強烈な印象を受けた『長崎―閃光の影で―』(25年8月号)と今年初めの『TOUCH/タッチ』(同1月号)である。後者はロンドンと広島が舞台で,都市は違えど,原爆被災が物語に影響を及ぼしていた。
映画は1952年の長崎から始まる。主人公・悦子(広瀬すず)は団地住まいで,会社員の夫・緒方二郎(松下洸平)と暮していたが,既に体内には胎児が宿っていた。終戦後かなり年数が経ち,生活は向上しつつあったが,川向こうの森に幼児連続殺人が起きていた。彼女が見下ろす窓の下には,米兵と親しく語り合っている佐知子(二階堂ふみ)の姿もあった。続いて,当時の長崎の様子と思われるモノクロ写真10数枚が次々と登場する。
一転して,画面は1982年の英国の戸建て庭付き住宅に移る。既に「売約済み」の表示がある。その後,悦子(吉田羊)は英国人と結婚し,長女・景子を連れて英国の田舎町に移り済んでいた。夫に先立たれ,景子も亡くしたことから,狭い家に転居するための身辺整理をしていた。大学を中退し,作家を目指しているロンドン在住の次女・ニキ(カミラ・アイコ)が訪ねて来て,原爆被災者である母の激動の半生を作品にしたいと言って,レコーダーを前に置く。そこから悦子の昔話が始まる。
悪ガキどもに虐められている少女・万里子(鈴木蒼桜)を気遣ったことから,母・佐知子とも親しくなった。被爆体験者で生活に困窮していた佐知子から仕事の紹介を依頼され,大衆食堂の店員職を世話する。万里子は母親に反抗的で,家出をしたり,川向こうに連れて行かれると騒いだり,不愉快な子供であった。近々米国に移住すると言う佐和子の自由奔放さに悦子は憧れを感じ,佐和子との交流が増えていった。一方の英国側では,取材の合間に母娘は,長女・景子の思い出を振り返り,彼女が不幸な死を迎えることを悦子は予期していたと語る。ニキは,悦子の語る話に「嘘」があることに気付く。そして,思いがけない真実が明らかになる……。
3人の女性(4人の女優)と夫の父・誠二(三浦友和)の描き方が丁寧で,見事な脚本と演出であった。広瀬すずが主役扱いで,『ゆきてかへらぬ』(25年2月号)よりも一段と大人の女優になったと感じた。二階堂ふみ,吉田羊は元々演技派だが,実力通りの好演である。英国部分は全員すべて英語でのセリフだったが,帰国子女や留学経験のない吉田羊の英語力に感心した。カミラ・アイコの年齢や出身地は不明だが,個性的な目鼻立ちの魅力的な女優である。本作でブレイクすることだろう。
と褒めてみたものの,いくつか欠点も指摘したい。まず,広瀬すずと吉田羊は全く似ていないので,同一人物の30年後に感じない。『長崎―閃光の影で―』と比べて,長崎の描写が不自然であった。衣装,台所用品,書籍等の小道具はそれらしいが,市中は作り物感が強かった。市電を走らせるのはわざとらしい。二郎と悦子が住む団地は5階建てで外観が立派過ぎ,本当に1952年の長崎にこんな住宅があったのか? 日本住宅公団が「公団住宅」の建設を始めたのは1955年であり,4階建てであった。最も違和感があったのは,1952年の悦子だ。当時こんな顔立ちの女性はいなかった。髪形だけは古風だが,眉や化粧が現代的であり,肌は綺麗で目鼻立ちがはっきりし過ぎている。当時の女性はもっと地味で,貧相だった。往時の原節子の写真を見ても,美人であるが昔の女優としか感じない。当時の日本人女性に見せるには,意図的なメイクで広瀬すずの美形度を劣化させるべきだった。まさか,この不自然さは「悦子の嘘」を際出させるための映像的作為であったとは思えないが…。
■『侵蝕』(9月5日公開)
上記の万里子は実に嫌な少女であったが,全く本作の少女の比でない。7歳の娘の異常な行動に悩む母親,20年の時を経て暴かれる「怪物」の正体を描く韓国製の「精神崩壊」サスペンススリラーとのことである。キャッチコピーは「一体,何者。」「その子を前にあなた “正気”を保てるか」となっている。監督は,キム・ヨジョンとイ・ジョンチャンのコンビだが,当欄で紹介するのは初めてだ。
映画は大きく2つのパートに分かれている。前半の主人公は,シングルマザーで水泳インストラクターのヨンウン(クァク・ソニョン)である。なかなかの美人だ。元々幼い娘ソヒョン(キ・ソユ)の奇妙な言動に悩まされていたが,日ごとにエスカレートする自宅での異常な事態を看過できず,勤務先のプールに連れて行き,危険な行為をさせないよう見張ることにした。接する時間が足りなかったのかと反省し,水を怖がるソヒョンに勤務時間後に水泳の個人指導を始めたが効果はなかった。このプールで,ソヒョンが原因と思われる恐ろしい出来事が起こる。対応に困ったヨンウンは離婚した元夫に助けを求めたが,彼はにべもなく拒絶した。彼は娘が恐ろしく,家庭を捨てて逃げ出したのだった。万策尽きたヨンウンは遂に最後の手段に出るが……。
一転して,20年後の世界が舞台となる。登場人物も一新され,後半の主人公は孤独死等の事件現場の「特殊清掃員」として働くミン(クォン・ユリ)である。彼女はある幼少期の「ある出来事」がトラウマとなり,過去の記憶をすべて失った女性だった。家族がなく施設で育ち,他人と交われない気難しいミンを実の娘のように受け容れてくれたヒョンギョンと数年間同居し,ようやく平穏な生活を味わっていた。ある日,その職場の新入社員としてヘヨン(イ・ソル)が加わる。ヘヨンは明るく社交性に富み,チームにも仕事にもすぐに溶け込んで行った。彼女もまた家族を事故で失って身寄りがなかったため,心優しいヒョンギョンは自宅への同居を勧めた。ヘヨンは似た境遇のミンに惹かれ,距離を縮めようとしたが,警戒心が強いミンにはヘヨンの馴れ馴れしさが堪え難く,自分とヒョンギョンとの平和に生活を脅かす「侵入者」と見做した。ミンとヘヨンの間には次第に不穏な緊張感が漂い始め,やがて物語は恐ろしい結末へと向かう…。
ネタバレになるのでこれ以上は書けないが,監督が観客に問いかけているのは,前半の20年前の母娘の出来事と後半がどう繋がると想像するかである。1つだけコメントしておくなら,通常のスリラーは平和なハッピーエンドで終わるが,この映画にそれを期待しない方が良い。よく出来た恐怖映画ではあるが,全編が不愉快であり,観終って救い難い映画だと感じる人が多いことだろう。それでも,最後まで真剣に観てしまうに違いない。
■『ふつうの子ども』(9月5日公開)
今月の冒頭の3本は,この順で観た。『遠い山なみの光』の万里子だけならまだしも,『侵蝕』の少女・ソヒョンを観た方には分かって頂けるだろう。とても「正気」ではいられず,「解毒剤」「口直し」の映画を観る必要があった。そこにこの題名の映画だったので,飛びついた。邦画で時代は現代,森の中の小道を走る3人の少年少女の楽しそうな笑顔の画像を見て,これならと安堵した。
勿論,それだけではない。監督が呉美保というのも大きな安心材料だった。注目したのは監督4作目の『オカンの嫁入り』(10年9月号)だったが,それ以来,常に気になる女性監督である。丁度1年前の『ぼくが生きてる,ふたつの世界』(24年9月号)は9年ぶりのカンバック作であった。聾者の両親をもつ主人公という難しいテーマだったが,過剰演出を避けた淡々とした語り口に改めて好感をもった。9年間のブランクは育児休業期間だったというから,既に男児を出産し,子育て経験もある。加えて,脚本が多数の映画賞を得た『そこのみにて光輝く』(14)『きみはいい子』(15)の高田亮で,本作で3度目にタッグというから,全く何の心配もない。
主人公は10歳の小学4年生・上田唯士(嶋田鉄太)で,両親との3人家族である。呉監督の長男は2015年生であるから,意図的な人物&家庭設定となっている。唯士は駄菓子が大好きで,おなかが空いたらご飯をたべる「ふつうの男の子」だった。彼の通う小学校の級友全員と担任教師・浅井裕介(風間俊介)のいる教室から物語は始まる。各生徒が宿題の作文を読み上げるが,いかにも子供らしい内容だった。1人だけ異彩を放ったのは,三宅心愛(瑠璃)だった。毅然とした口調で,地球温暖化への警鐘を鳴らし,環境破壊への危機感を訴え,何もしなかった大人を糾弾する。まるでグレタ・トゥーンベリだが,それが小学4年生だというのに驚く。
心愛に思いを寄せていた唯士は,気に入られたい一心で環境問題をにわか勉強し,しきりに話しかける。心愛が心を開いたところに割って入ったのは,行動力のある橋本陽斗(味元耀大)だった。「大人の意識を変えるため,何か行動を起こす」ことで同意した3人は,陽斗が見つけてきた空き家を拠点に活動を開始する。新聞・雑誌から切り抜いた文字で「車を使うナ!!」のアジビラを作り,街中に貼りまくる。食肉の大量消費が温室効果ガス排出に直結するという主張から,精肉店にロケット花火を打ち込み,さらには夜に牧場に忍び込んで柵を破壊する。それで脱走した牛が市中で現れて,交通事故を誘発し,怪我人まで出てしまう。遂に3人の仕業だと判明してしまい,母親3人が学校に呼び出される……。
監督と脚本家が意図したのは,『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(18年Web専用#2)の邦画での再現だったという。ディズニー・ワールド隣接地のモーテルで暮らす貧民たちの生態を描いた映画で,3人の子供たちのハシャギぶりが印象的だった。なるほど,主役の少女ムーニーを心愛に置き換えて物語を展開させている。本作の3人は,いずれも映画・TVドラマへの出演歴のある子役だが,心愛役の瑠璃と唯士役の嶋田鉄太の演技力が際立っていた。将来,どんな俳優に成長するのか楽しみだ。残るクラス全員の児童は,約半年間のワークショップ形式のオーディションで選んだという。その成果は作文読み上げでの如実に出ていたが,エンドロールで再登場する各児童個々の表情が素晴らしい。映画館で見る時は,席を立たずに最後まで見て頂きたい。
母親役にも触れておこう。唯士の母・恵子役は蒼井優だった。既に四十路で,産休後の初出演なので何の不思議もないのだが,今でも『フラガール』(06年12月号)のイメージが抜けない筆者の世代には,もう母親なのかと感じてしまう。本作ではさほど個性的な役でなく,「ふつうの優しい母親」であった。一方,驚きは,心愛の母・冬役の瀧内公美だった。校長や担任教師がいる前でのその舌鋒に驚いた。少女ムーニーの母・ヘイリーのように暴力事件は起こさないが,本作の母親は言葉の暴力を娘を追い詰め,周りを圧倒する。『彼女の人生は間違いじゃない』(17年7月号)『火口のふたり』(19)も個性的な役柄だったが,この鬼母ぶりには負ける。最近の『敵』(25年1月号)の妖艶な美女役で改めて惚れ直していたのに,そのイメージが吹っ飛んでしまった(笑)。
■『シャッフル・フライデー』(9月5日公開)
過去作を予習しておかなくても,初見の観客が当該作品だけで十分楽しめるべきというのが当欄の持論である。ところが,本作は典型的な例外で,前作をDisney+で観てから本作に進むことをお勧めする。その前作とは『フォーチュン・クッキー』(03)だ。20年以上経っていて,しかも題名がまるで違うので,30分以上経過するまで,本作が続編であることに気付かなかった。あるきっかけで主要登場人物の心と体が入れ替わる映画はよくあるので,またその種の映画かとしか思わなかったのである。
個人的な体験を書いておこう。前作は日本公開前に米国出張の往路の機内で観て面白かった。主演は母役ジェイミー・リー・カーティスと娘役リンジー・ローハンで,中華料理店で渡された「紙片入りのおみくじ菓子」が原因で,翌13日の金曜日に2人の身体が入れ替わる。米国での大ヒット作と知り,復路もこの映画を観てしまった。既にアクション映画『フェイス/オフ』(97)でJ・トラボルタとN・ケイジの入替は経験していたが,コメディ・タッチのディズニー映画であるのが嬉しかった。
最近のディズニー配給作品は,SWシリーズ,マーベルもの,ピクサーアニメに加えて20世紀スタジオ作品まで取り込んでいるが,かつてはお得意のセル調童話アニメの印象が強かった。その他に,実際にはあり得ない現象がテーマの実写コメディ映画にも秀作が多かった。『ぼくはむく犬』(59)『うっかり博士の大発明 フラバァ』(61)『ラブ・バッグ』(68)はその代表作で,複数の続編やリメイク作が作られた。この『フォーチュン…』は,久々にその路線のヒット作だと喜んだ。原題は『Freaky Friday』だが,今回調べるとディズニーは3回もこの題名の映画を作っていた。1作目は日本未公開の『フリーキー・フライデー』(76),3作目は同名のミュージカル映画(18)で,2作目だけ邦題が違う『フォーチュン…』である。基本骨格は同じだが,リメイク2作で母娘名も俳優も変えている。今回の『シャッフル…』の原題は『Freakier Friday』と比較級になっていて,第2作の正統な続編として,多数の俳優が継続出演している。
前作から22年後のアンナ・コールマン(L・ローハン)はシングルマザーの音楽プロデューサーであり,母テス(J・L・カーティス)の助けを借りて10代の娘ハーパー(ジュリア・バターズ)を育てていた。セラピストの母テスは夫ライアン(マーク・ハーモン)との平和な結婚生活を続け,執筆活動も順調だった。高校生の孫ハーパーは英国からの転入新入生リリー・レイエス(ソフィア・ハモンズ)と仲が悪く,化学実験中の大喧嘩で事故を起こし,親が学校に呼び出される。校長室でリリーの父エリック(マニー・ジャシント)と顔を合わせたアンナは一目惚れし,2人は6ヶ月後に結婚を決意する。ハーパーはLAからロンドンに転居することを嫌い,リリーは父親の結婚そのものに反対で,そりが合わない2人は結託して親同士の結婚を妨害することで合意した。
アンナの「独身さよならパーティ」が開催され,テスとアンナと母娘,同盟を結んだハーパーとリリーは,それぞれ別々に霊能者の占い師マダム・シェン(ヴァネッサ・ベイヤー)に手相鑑定を依頼するが,そのお告げを聞いた4人だけが激しい地震を感じてしまう。そして,翌金曜日の朝,目が覚めるとアンナと娘ハーパー,テスと義理の孫リリーの体が入れ替わっていた……。その後のドタバタ劇の面白さや次第に互いの思いを認め合う展開は,お愉しみとしておこう。
約30分でかつて観た傑作コメディの続編であることに気付いたが,本作では誰と誰が入れ替わったのか,少し混乱した。本作が初見の観客にはもっと分かりにくいに違いない。テスとライアンが結ばれる顛末,ハーパー(身体はアンナ)がアンナの元カレのジャッキー(チャッド・マイケル・マーレイ)を利用しようとする下りなどは,前作を観ていないと理解できない。クライマックスはアンナが所属していたバンド「ピンク・スリップ」の再結成コンサートであるが,これが前作と相似形となっている。何よりも,テスとアンナだけが過去に類似体験をしていて,その解消法まで知っていることが本作の前提となっている。それゆえ,前作が必見なのである。
2人ずつ2組計4人の入れ替わりは観客の頭が混乱するので,せめて祖母・母・孫娘の3人にできなかったのかと思うが,それだと内2人の入替は既出なので避けたのだろう。2度も観たはずの前作に,なぜ30分も気付かなかったのかと言えば,同時10代の人気シンガーであったL・ローハンは,最近その名前を聞いたことがなく,かつ外見がまるで変わっていたからだ。一方のJ・L・カーティスは,オスカー助演女優賞を得た『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(23年3月号)での健在ぶりが記憶に新しい。かつて「胸美人」と言われたが,本作では豊かな胸の谷間が再三強調されていたのに驚いた(中身は高校生の孫娘という設定)。
若手の2人では,ハーパー役のJ・バターズが驚くほど可憐で美しい。出演歴を見ると『グレイマン』(22年Web専用#5)や『フェイブルマンズ』(23年3月号)に出ていたはずだが,ほとんど印象に残っていない。10代の前半で3歳違うと,女性としての魅力がまるで違い,女優としての役柄もかなり異なるという典型例だ。次の数年間で,数多くの映画に起用されるだろうから,注目しておきたい。
■『ベートーヴェン捏造』(9月12日公開)
この題名は衝撃的で,どんな内容か気になった。「19世紀ウィーンで起きた音楽史上最大のスキャンダルの真相に迫ったノンフィクション書籍『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』の実写映画化」だという。てっきり欧州で新事実が発見されて書籍になり,それを映画化した洋画だと思うではないか。何と,原作本は日本人作家・かげはら史帆が2018年に出版した書籍(柏書房刊)で,本作は出演者全員が日本人俳優という邦画であった。「ベートーヴェンの秘書が楽聖の伝記を執筆する際に,彼の会話帳を改竄したという捏造疑惑に基づいている」というもっともらしい理屈がついていたが,これはフィクションとしか思えなかった。
それでも興味が失せなかったのは,脚本・バカリズム,監督・関和亮というコンビであったからだ。お笑い芸人出身のバカリズムが脚本家としての才能があることはヤンキー女子映画『地獄の花園』(21年5・6月号)で分かっていたし,その時の監督が関和亮であった。俳優だけでなく,スタッフも全員日本人であったが,西洋人名前の登場人物全員を日本人が演じた『進撃の巨人』シリーズの例もあったので,まあいいかと考えた。配給は松竹だが,製作に「Amazon MGMスタジオ 」の名前があるので,海外配信する気なのかも知れない。
映画は,ある中学校の音楽室から始まる。音楽教師(山田裕貴)が語るベートーヴェンの逸話に生徒達が聞き入る(原作になく,バカリズムの脚色)。一転して舞台は19世紀のウィーンの街へと移る(CGだろうが,当時の雰囲気は出ていた)。主人公のアントン・シンドラー(山田裕貴の2役)は,片田舎出身であったが,ウィーン大学工学部の学生であった。学生運動に傾倒して警察に逮捕されたことから大学は中退し,ヴァイオリニストとして音楽の道に進むことにした。あるパーティで,子供の頃から憧れであった孤高の天才作曲家ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(古田新太)と対面するが,既に彼は聴力を失っていて,筆談には会話帳を使用していた。想像とは違い,ベートーヴェンは下品で小汚い初老の男であったが,シンドラーは翌月から秘書になる(1822年12月)。身の回りのことは何もしないので,細々と世話を焼いたが,癇癪もちのベートーヴェンはそれを疎ましく思い,シンドラーは解雇される(1824年)。最愛の甥のカール(前田旺志郎)の自殺未遂事件が原因でベートーヴェンは肺炎を起こし,シンドラーとの交流は復活するが,翌年,彼は他界してしまった(1827年)。
そこから彼の伝記執筆にまつわる物語が始まる。後任秘書のボルツ(神尾楓珠)が伝記出版を計画していることを知ったシンドラーは対抗心を燃やす。1840年に伝記第1版出版,翌年英訳版の出版,その後も版を重ねる内に,シンドラーはベートーヴェンの真実の姿ではなく,彼が偶像視する「聖なる天才音楽家」に仕立てようとした。遂に残された会話帳の改竄に手を染めるが,それを疑い始めた米国人音楽ジャーナリストのセイヤー(染谷将太)と対決することになる……。
上記の他にも,ベートーヴェンの弟ヨハン役に小澤征悦,友人ヴェーゲラー役に遠藤憲一等の豪華助演陣である。それぞれ当時の正装をしているので,日本人俳優が演じていることは余り気にならなかった。ただし,古田新太はかなり恰幅がいいので,小汚く貧相な老人に見せるのなら,笹野高史か柄本明の方が似合っていたと思う。
何かある毎に該当年が入るので,試写を観た後,もしやと思って調べたら,原作は全くのフィクションではなかった。19世紀当時からシンドラー著の伝記には「誇張・脚色が多い」という批判があり,20世紀初頭には会話帳の「偽造・改竄」が疑われて始めたそうだ。1970年代には学術的にも捏造は事実と認定されたが,1980年代になると,改竄や誇張は事実だが,会話帳やシンドラーの証言の一部は歴史的価値があると再評価されているようだ。ともあれ,本作の原作本はノンフィクション小説と呼ぶに値するものであることは間違いない。
■『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』(9月12日公開)
邦画が続く。と言っても,純然たる邦画ではない。先週公開の『遠い山なみの光』は日本・イギリス・ポーランド合作であったが,本作は日本・台湾・アメリカの組み合わせである。単に製作費を分担してもらっているだけではない。主演は,西島秀俊と台湾映画界を代表する女優のグイ・ルイメイが夫婦役で,舞台となるのは彼らが住むNYで,全編NYロケを敢行したというので,しっかり3ヶ国が関与している。監督・脚本は日本人監督の真利子哲也で,撮影技師,録音担当も日本人スタッフであり,東映が製作・配給の中心的存在である。一方,編集担当はフランス出身,台湾が活動拠点の人物で,照明技師,音楽担当,美術担当は米国人スタッフであるから,この点でも3ヶ国共同製作だ。
予告編を観ただけでワクワクしたので,早く観たくなって7月初めにマスコミ試写に出かけた。間違いなくヒューマンサスペンスであり,期待を裏切らなかった。ところが,いざ紹介記事を書くとなって,はたと困った。プレスシートにも公式サイトにも,主演の2人の名前しか出ていない。Story欄もほんの数行で,どの映画サイトを調べてもそれ以上の情報がない。ここまで徹底して情報統制しているということは,登場人物に関して余計なことは書くなということである。それでは紹介記事にならないので,適当に膨らませることにした。
才賀賢治はNYにある大学の建築学の助教授だが,日本での大震災の記憶が鮮明で,最新の建築方式よりも廃虚をテーマとした研究に専心している。彼の妻は台湾系米国人のジェーン・ヤンで,人形劇団のアートディレクターとしての夢を追いながら,父親が所有している地域密着型ストアの切り盛りをし,老父の介護と育児に奔走していた。そんな中で,一人息子の幼いカイが行方不明になった。警察は誘拐事件と判断して,両親の事情聴取を始める。様々な質問を浴びせられる中で,2人がそれまでに秘めていた本音や秘密が明らかになり,次第に夫婦間の溝が深まって行く……。
それ以上は明かせないのだが,ネタバレにならない範囲で少しだけ書いておこう。誰の目にも明らかなのは,公式サイトとTopページや予告編中でも描かれている人間の等身大の人形だ。いかにも手作りで,顔が気味悪い。勿論,ジェーンが所属する人形劇団と深い関係がある。犯罪としては,誘拐だけでなく,しっかり殺人事件も登場する。といっても,息子が殺されて,賢治が復讐のために殺人鬼になったり,絶望したジェーンが自害することはない。誘拐・殺人となると,当然刑事の出番がある。もう1人,救いがたい男が登場するが,その恋人も重要な役割を果たすとだけ言っておく。
台湾女優グイ・ルンメイは既に30本以上の映画出演歴があるが,本欄で紹介したのは,『ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝』(13年1月号)『鵞鳥湖の夜』(20年9・10月号)の2本だけである。後者では娼婦役だったが,かなり美しく魅力的だった。本作で素っぴんに近いメイクであったのは,憔悴した感じを出すためだったのだろう。来月紹介予定のフランス映画『ドライブ・クレイジー:タイペイ・ミッション』に出演していて,美形の天才ドライバー役だというので,楽しみにしている。
真利子監督はこれが長編5作目,その内,商業映画は3作目となる。現在44歳だから,既に中堅監督の部類だ。前作はコミックが原作の『宮本から君へ』(19年9・10月号)で,多数の賞を受賞した。本作のテーマは,1年間の米国滞在中に「自分のアイデンティティの曖昧さ」を自覚して思いついたという。彼の作風からすると,本作のバイオレンス度は従来よりもやや低いが,それでもラストはかなり衝撃的だった。個人的には好きな結末でないが,本作を絶賛する批評家は少なくないと思う。
(以下,9月公開作品を順次追加します)
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