O plus E VFX映画時評 2023年12月号掲載

その他の作品の短評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『エクソシスト 信じる者』(12月1日公開)
 ホラー映画の金字塔『エクソシスト』(73)が登場したのは50年前で,爆発的なヒットとなった。続編は4作製作されたが(1本は日本未公開),本作は第1作の正統な続編で新3部作の1作目とのことだ。同系統の『オーメン』(76)『キャリー』(76)『死霊のはらわた』(81)やその続編も登場し,1970〜80年代は超自然現象のオカルト映画の一大ブームであった。ホラー映画は,幽霊,悪魔,殺人鬼,吸血鬼等が登場する恐怖映画の総称であるので,少し整理しておこう。「エクソシスト(exorcist)」とはキリスト教のカソリック教会用語で,サタンやデビル等の悪魔に取り憑かれた者から,悪霊を追い出す「祓魔師」を意味している。宗教上の厳格な儀式があることを知っておいた方が,本作を理解する助けとなる。
 本作の主人公ヴィクター(レスリー・オドム・Jr.)は13年前に妻を亡くし,1人娘のアンジェラ(リディア・ジュエット)と暮していた。ある日,アンジェラは親友のキャサリン(オリヴィア・オニール)と森に出かけたまま行方不明となる。3日後に無事保護されたが,その後2人は突然暴れ出し,大声で叫び,自傷行為を繰り返す。困り果てたヴィクターは,娘の悪魔憑きを経験した元女優のクリス・マクニールに助けを求め,悪魔祓いの儀式を始めるが,想像を絶する危険な試みであった…。
 憑依状態での行動は定番パターンだが,少女2人が同時にそうなるというのが少し新しい。少女2人の演技も真に迫っている。完成映像を後で眺めて,自分たちの姿に驚くのではと思うほどだ。本作が正統な続編たる所以は,第1作に登場した母娘(クリストとリーガン)を演じたエレン・バースティン(現在,90歳)とリンダ・Blair(現在,64歳)が再登場することである。また,本作ではキリスト教の神父だけでなく,ペンテコステ派やバプテスト派の牧師,ヴードゥーの祈祷師らも登場させ,それぞれの流派での呪文や治療法を正確に取り入れているという。キリストを崇める言葉の多さには呆れるが,警察,病院,教会等の描写は成程と合点が行く。ホラーの大手ブラムハウス・プロダクションズが製作,『ハロウィン』シリーズのリブート3部作(18, 21, 23)のデヴィッド・ゴードン・グリーンが監督・脚本を担当しているので,結末のひねりまで万事抜かりはない。

■『バッド・デイ・ドライブ』(12月1日公開)
 先月号で,リーアム・ニーソンとジェイソン・ステイサム主演のアクション映画は粗製乱造と書いてしまった。そのL・ニーソン主演作で,今年国内での公開は4本目となる。よくあるカーアクション映画でもあるが,懸念したほど陳腐ではなく,結構引き込まれて観てしまう。それもそのはず,スペイン映画『暴走車 ランナウェイ・カー』(15)の英語リメイク作で,ドイツや韓国でもリメイクされたという。それなら,着想は悪くなく,物語の骨格がしっかりしていることも納得できる。元CIAやMI6のエージェントのような抜群の戦闘能力をもっている訳ではなく,本作の役柄は金融会社役員のマット・ターナーで,妻と一男一女の4人家族である。妻のヘザー役のエンベス・デイヴィッツは,L・ニーソンとは『シンドラーのリスト』(93)以来30年ぶりの共演となる。
 英国映画だが,舞台はベルリンで,ある朝,マットが子供たちを学校に送り届けようと運転を始めると,車内にあった携帯電話に着信があり,声の主が「その車に爆弾を仕掛けた。降りてはいけない。通報してもいけない。これから伝える指示に従わなければ爆破する」と告げる。座席の下にセットされているので,立ち上がると爆発し,脅迫犯の遠隔操作でも爆発するという。目的,要求は不明のまま,男の指示をはぐらかしていると,同様な脅迫を受けていた職場の同僚のクルマが近くで爆発する。ここまで来て,類似作品を観たことを思い出した。そう思いつつも,ノンストップ・カーアクションと迫る危機に気を揉みながら,最後まで楽しんで観てしまった。
 調べてみると,既視感があったのも当然で,韓国版の『ハード・ヒット 発信制限』(22年Web専用#2)を昨年紹介していたのだった。その折,原作のDVDも観て,両作を比べていた。気に入った映画を何度も観るのは不思議でないとしても,自らの短期記憶の劣化に驚いた。若干違いがあるのは,原作や韓国版で大怪我をするのは姉弟の弟であるのに対して,本作では兄妹の妹である。資金源も要求額も違い,結末も少し変更されている。1点,不可解な箇所を見つけた。終盤,犯人がマットの車両の後部座席に現われ,要求額を振り込まないと爆破スイッチ押すぞと最終通告をする。そんなことをすれば,犯人自身も吹っ飛ぶので,これは脅しにならない。そうしたリメイク時のミスや変更をほじくりながら,(自分の物忘れは棚に上げ)良質のエンタメ作品は何度リメイクしても通用することを確認した気分になっている。

■『ペルリンプスと秘密の森』(12月1日公開)
 12月1日は「映画の日」であるためか,この日の公開作品がかなり多い。少し欲張ってマスコミ試写を観たが,全部は紹介し切れず,オンライン試写を申し込んでおきながら見切れない映画も出てきた。そんな中で,紹介の是非を迷いつつも取り上げるのが,このブラジル製のアニメ映画である。理由はただ1つ,絵が飛び切り美しく,色使いも見事で,幻想的であるからだ。監督・脚本・編集は,第88回アカデミー賞長編アニメ部門にノミネートされた『父を探して』(14)のアレ・アブレウで,淡い色使いは高畑勲監督の『かぐや姫の物語』(13)の影響を強く受けていると感じられた。
 登場キャラの画調は『父を探して』の線画タッチとはかなり違う。テクノロジーを駆使する太陽の王国と自然との結びつきを大切にする月の王国が,それぞれ秘密エージェントを魔法の森に派遣する。オオカミにキツネのしっぽの「クラエ」,クマにライオンのしっぽの「ブルーオ」で,いずれもホタルの目をもっている不思議な姿だ。地方都市で流行の「ゆるキャラ」風の絵柄である。100年以上対立する国から来た2人は,反発し合っていた。しかし,巨人の支配が進む森を救う唯一の方法として,光として森に入り込んだ謎の存在「ペルリンプス」を見つけることで協力し合うようになる。その手がかりを探すうち,物語は思いがけない結末に辿り着く……。
 一見童話風の物語でありながら,大国間の政治的緊張や強い権力への反攻姿勢が明確に感じられる。森が破壊され,ダムとコンクリートの都会になる展開は,環境破壊に抵抗する強烈なメッセージである。「ペルリンプス」とは何なのかもよく分からない。これが童話なのか? 政治的かつ抽象的すぎて,子供には難し過ぎるテーマだ。ブラジルの「星の王子さま」という評があったが,言い得て妙だと感心した。音楽にもかなり力を入れているようだが,この騒々しい電子音楽は,台詞や美しい映像とは合わず,ミスマッチだと感じた。惜しい。音はなく,読み返せる絵本であった方が向いていたと思う。

■『ポッド・ジェネレーション』(12月1日公開)
 ここから3本,奇妙な設定の映画が続く。いずれもある種のSFだ。まず筆頭の本作は,「ポッド世代」といっても携帯音楽プレーヤーのiPodやワイヤレスヘッドフォンのAirPodsを愛用する連中のことではない。卵形の容器(ポッド)に入れて赤ちゃんを育てるという新時代の妊娠・出産方法がテーマである。働く女性の負担を軽減し,最新技術を駆使して出生率の改善にも寄与しようという方策だという。てっきり出産後の乳児を容器に入れて見守る育児支援なのかと思ったら,母親の体内でなく,出産前の胎児を育てるハイテク容器で,言わば人工子宮なのである。それゆえ,「卵形」の意味がある訳だ。この容器は持ち運び可能で,職場に預けることもできる。
 舞台はAIが進化した22世紀のニューヨークで,ハイテク企業の役員として働くレイチェル(エミリア・クラーク)は,植物学者の夫アルヴィー(キウェテル・イジョフォー)と暮している。ある日,上司から最近傘下に収めたペガサス社が開発した卵形ポッドが,社内割引で優先的に利用できると勧められ,新しい妊娠方法に興味をもち,子宮センターに予約してしまう。自然な妊娠を望んでいた夫は当初猛反対するが,妻の熱意に負けて承諾し,ポッド妊娠期間になると卵形カプセルを触れて親子の絆を築こうとする。出産が近づくとポッドは子宮センターに預ける規定だったが,自ら立会いたい2人はポッドを抱えて自然豊かな小島の別荘に向かう……。
 ポッドは,最初は小さく,どんどん大きなサイズになっても不思議はないが,最初から新生児が入るくらいの大きさだ。ポッドキャリアで腹部前方に配置した時に妊婦を思わせ,抱いた時の姿が乳児の扱いに近いためだろう。未来を感じさせるグッズや住環境も色々登場する。寝室のデザインは斬新で,室内栽培の植物は酸素吸収用に使っている。卓上AIエージェントは目玉型で,まるで「ゲゲゲの鬼太郎」の親父だ。大型壁掛けモニターに登場するセラピストの大きな目玉は少し気味が悪い。その反面,PC,スマホ,タブレット等はあまり進歩がない。通勤電車も旧態依然としている。そうした欠点はあるものの,徹底したコメディタッチの語り口は心地よかった。
 人工授精や体外受精が実用になって久しいから,人工子宮へと発展する可能性もあり得ると思えてくる。監督・脚本は,『ボヴァリー夫人』(14)のソフィー・バーテス。フランス系アメリカ人でこれが長編3作目だが,女性監督が自らこのテーマを選択したことに意義がある。真剣に考えれば,倫理的視点から社会的な議論となりかねないシリアスなテーマを,さらりとしたSFコメディでまとめた力量はなかなかのものだと感心した。

■『スイッチ 人生最高の贈り物』(12月1日公開)
 次は韓国映画で,こちらもコメディだ。人気タレントとそのマネージャーが,ある日突然入れ替わってしまい,主人公が困惑するドタバタ劇を描いている。心はそのままで身体だけが入れ替わるタイプではなく,過去の成功体験記憶はそのままで,立場だけ入れ替わってしまう形態だ。即ち,パラレルワールドにワープしてしまった感覚だ。それとて珍しくないが,映画としては結構面白い。副題は,この入れ替わりが素晴らしい出来事で,人生讃歌のヒューマンドラマであることを示唆している。
 主人公は人気絶頂のトップ俳優パク・ガン(クォン・サンウ)で,若手女優との情事にも不自由せず,華麗な独身生活を謳歌していた。相棒のマネージャーのチョ・ユン(オ・ジョンセ)は敏腕ながら,ルックス的には冴えない男で,パク・ガンのスケジュール管理やスキャンダルの事後処理に奔走していた。Xmasイブに2人で飲んだ後,タクシーに乗ったところ,運転手から「人生をやり直せたら,どうする?」と尋ねられる。翌朝,パク・ガンが目を覚ますと,かつて別れたはずの恋人スヒョン(イ・ミンジョン)と結婚していた。2人の子供があり,売れない俳優で生活にも困窮している。一方,チョ・ユンは演技派俳優として大活躍していて,立場が逆転したことを知る。パク・ガンの惨状を見かねたチョ・ユンは,自分のマネージャーにならないかと持ちかけるが……。
 辛辣な妻の発言や子供をめぐっての騒動が楽しく,ギャップに戸惑うパク・ガンの表情や行動が笑いを誘う。チョ・ユン側のドタバタがあっても良かったと感じた。そうならないのは,W主演ではなく,これは徹底してクォン・サンウの主演映画であるからだ。韓国映画は,イケメン男優と非イケメン男優の扱いが,人種差別と思えるほどに違う(笑)。英題は『Switch』なのに,公式ページのURLは「sangwoo-movie.com」なのである。それはともかく,パク・ガンの新しい人生は,ホームドラマとしても好くできていた。家族のある人生の礼賛は少しクサいが,ハリウッド映画のような「家族,家族…」の連呼ほど嫌味はない。エンディングも悪くない。監督はシナリオ脚色作家出身のマ・デユンで,これが監督2作目である。

■『隣人X -疑惑の彼女-』(12月1日公開)
 奇妙な話の3本目は邦画のSFで,宇宙から難民としてやってきた地球外生命体Xの物語である。原作は,フランス在住のパリュスあや子の小説家デビュー作「隣人X」で,小説現代長編新人賞を受賞している。ただし,映画化に当たり,登場人物は整理されているようだ。Xに関する前提は同じで,惑星Xで紛争があり,助けを求めて地球にやってきたX星人を米国政府は【惑星難民 X】として受け入れた。Xには,地球人の姿に擬態化でき,人を傷つけないという特性があったからだ。日本もこれに追随することを決定し,受け入れが始まった。外観では見分けがつかないため,自分の隣人はXではないかと,日本中が疑心暗鬼になり,週刊誌報道がそれを助長する。
 ミステリータッチの展開だが,2組の男女のラブストーリーを絡めている。男性の1人は,週刊東部の駆け出し記者の笹憲太郎(林遣都)で,調査会社の情報でX疑惑のある女性2人の行動を追う。対象の1人は,コンビニと宝くじ売り場で働く女性・柏木良子(上野樹里)で,接触を試みる内,彼女に好意を抱き,2人は恋仲になる。もう1人は,良子と同じコンビニで働く台湾人の留学生のレン(ファン・ペイチャ)で,彼女は居酒屋で働き,バンドマンを夢見る青年・仁村拓真(野村周平)と心を通わせている。良子の両親や編集部内を含め,誰が一体Xなのかを想像するのが,この映画の愉しみにもなっている(セリフから大体読めるが,細部を要注視)。
 監督・脚本・編集は熊澤尚人で,上野樹里とは『虹の女神 Rainbow Song』(06)以来 17 年ぶり,林遣都とは『ダイブ!!』(08)以来 15 年ぶりのタッグである。上野樹里は7年ぶりの主演で,実年齢と同じ36歳の役柄だが,とてもそうは見えず,若々しく,以前より綺麗になったと感じた。台湾人女優の実年齢は35歳だが,こちらも同じく若く見える。やはり,美人は得だ。ただし,恋人同士の会話もラブストーリーの展開も,魅力的ではなかった。マスコミの過激さ,横暴は意図的な描写なのだろうが,少しずれていると感じた。今どき週刊誌の購読者は少なく,特ダネ報道で一気に部数が伸びたりはしない。あるとすれば,週刊誌に出ているというSNS投稿で,噂が広まるだけだ。見かけでなく,心で評価することの大切さを訴えているが,真面目過ぎる脚本で,余裕が感じられなかった。それでもラストシーンは上出来で,好感がもてた。奇妙な3作のいずれもがそうだった。

■『怪物の木こり』(12月1日公開)
 邦画が続く。ワーナー製の邦画は力作が多いが,「サイコパスvs連続猟奇殺人鬼!」というので,予備知識なしに,気合いを入れて観てしまった。 本格的なホラーサスペンスで,見応えは十分だった。後で調べたら,原作は倉井眉介作の同名小説で,第17回「このミステリーがすごい!」の大賞受賞作である。道理で,物語の筋立てがしっかりしている。まず,殺人犯が狙う相手の頭を斧で割り,脳を持ち去るという手口に驚愕してしまう。しかも「怪物の木こり」なる絵本に出てくる怪物の仮面を着けて,猟奇殺人を繰り返すというから,ワクワクするではないか。
 犯人の次のターゲットが主人公の弁護士・二宮彰(亀梨和也)で,これが犯人も顔負けの狂気のサイコパスであり,返り討ちの機会を狙っている。なぜ脳を持ち去り,二宮が標的なのか,事件を追う警視庁の天才プロファイラー・戸城(菜々緒),二宮の協力者で同じくサイコパスの外科医・杉谷(染谷将太),過去の殺人事件の容疑者・剣持(中村獅童),暴力行為で左遷された刑事・乾(渋川清彦)と,助演陣も曲者揃いだ。比較的まともなのは,二宮の婚約者の映美(吉岡里帆)だけだった。
 何と言っても,主演の亀梨和也の卑しい顔立ちが,サイコパス役にぴったりだ(昔はもっと美少年だったのだろうが)。誰かに似ていると思ったが,そうだ,卑しい役の時の「阿部サダヲ」だ。染谷将太と中村獅童の演技力は流石だが,プロファイラー役の菜々緒は今イチだった。もう少し胆力がありそうに見える演技派女優が望ましかった。途中で猟奇殺人鬼の正体は読める。それが判明してからの展開&描写が秀逸だ。ぐいぐい聞き込まれる展開,見事なストーリーテリング力である。これが若手監督なら注目株で,ずっと追いかける価値ありと確信した。監督名を確認せず,試写を観てしまったが,エンドロールの最後の行まで名前が出て来なかった。果たせるかな,三池崇史監督だった。何だ,それならこれくらいは当然だ。やっぱり,この監督は上手い!

■『市子』(12月8日公開)
 邦画の3本目は,かなりの秀作だ。気になる映画であったので,3ヶ月前に試写を観てしまったが,本稿の執筆に当たり,オンライン試写でメモを取りながら,タイムラインを含め,細部を徹底して観直した。それだけの価値があるヒューマンドラマだ。興味をもったのは,3つの理由からである。①市子を演じる杉咲花は,かねてより若手女優で演技力No.1と評価していた。②映画監督&演出家の戸田彬弘が主宰する劇団「チーズtheater」の旗揚げ公演用に書き下ろした戯曲「川辺市子のために」が原作で,これを自ら映画化して監督を務めている。即ち,ストーリーは練れていて,しかも映画向きに脚色されているはずだ。③3年間一緒に暮した男性からプロポーズされた翌日に,主人公の女性が姿を消すという。単純なラブストーリーでなく,複雑な人間模様の物語であると予想できた。
 市子が慌てて家を出たのは,同居者の長谷川義則(若葉竜也)の求婚が原因ではなく,TVのニュースを見たための失踪だとすぐ分かる。何やら事件性がありそうで,『八日目の蝉』(11年5月号)のような訳ありドラマの臭いを感じた。途方にくれる長谷川の前に後藤刑事(宇野祥平)が現われ,市子の写真を見せて「これは誰か?」と尋ねる。市子の行方を追うべく,長谷川は市子の幼馴染みや高校時代の同級生を訪ね,かつては別の名前(月子)であったことを知る。この辺りから,『ある男』(22年11・12月号)のように,主人公の過去を探る物語となる。両作とも日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作であるが,本作にもそれらに近い格調の高さを感じた。
 時代は公開時の今ではなく,舞台初演時の2015年8月が「現在」である。そこから時代は1999年7月に戻り,「現在」との間を往き来する。過去の時代の流れは一方向ではなく,時間軸上を少し前後する。主人公は1987年生まれと明かされるが,主人公の年齢も物語を解読する上での大きな手掛かりだ(時代と年齢に矛盾はなかった)。同級生の北秀和(森永悠希)も重要な役柄であるが,若手男優2人はなかなかの好演であった。詳しくは書けないが,「過酷な宿命を背負ったひとりの女性の切なくも壮絶な人生」なるコピーに相応しい力作である。
 少し気になったことがある。ある少女の難病が,物語の根幹をなす役割を果たしていた。「福山型筋ジストロフィー」だというが,それなら少し変だ。この先天性疾患は,(僅かな例外を除いて)母親が遺伝子キャリアで,男児のみが発症する。役柄を少年に変えたら物語は成り立たないので,本作では別の難病にすべきであったと思う。その欠点はあっても,本作の価値は揺るがない。杉咲花が全身全霊を傾けた演技が心に焼き付く。完璧な演技だ。東京都出身であるのに,全く違和感のない関西弁を話していた(若葉竜也を除き,助演陣は意図的に関西出身の俳優たちが選ばれている)。

■『あの花が咲く丘で,君とまた出会えたら。』(12月8日公開)
 邦画の4本目は,題名から容易に想像できるように,若い男女の純愛物語である。汐見夏衛作の同名小説の映画化作品で,女子学生が太平洋戦争中にタイムワープする。マーベルのスーパーヒーロー映画は平行世界のマルチバースにご執心だが,邦画の青春映画はタームリープ,タイムスリップが大好きだ。大別すると,『BALLAD 名もなき恋のうた』(09年9月号) 『幕末高校生』(14)『信長協奏曲』(16)のように思いがけず戦国時代や幕末に時代移動してしまうタイプと,『江ノ島プリズム』(13)『コーヒーが冷めないうちに』(18)『東京リベンジャーズ』(21年Web専用#3)のように,主人公が意図的にタイムトラベルを実行するタイプがある。後者の場合,恋人の危機を救ったり,人生をやり直したり,比較的近い時代での自己都合の年月移動が多い。青春映画にとって,好都合な物語設定なのだろう。
 本作は前者に属するが,時代劇になるほど昔ではない。主人公は女子高生の加納百合(福原遥)で,母親と大喧嘩して家を飛び出し,近くの防空壕跡で一夜を過ごして目が覚めると,1945年6月の戦時中だった。右も左も分からずに戸惑う百合を,特攻兵の佐久間彰(水上恒司)が助け,軍の指定食堂・鶴屋に連れて行く。そこで働くことになった百合は,彰以外の特攻隊員たちとも接することになるが,次第に誠実な彰に惹かれてゆく…。事実上終戦直前から始まる時代設定も,特攻兵が恋のお相手なのも,話題の『ゴジラ−1.0』とそっくりだ。勿論,凶暴な「呉爾羅」は登場しない(当たり前だ)。最も異なるのは,2人が知り合ったのは終戦後ではなく,敗色の濃い戦争末期で,特攻作戦の真っ只中のまま物語が推移することである。即ち,死ぬことを覚悟で戦地に飛び立つのを待つ隊員たちと過ごす日々であり,成就しない悲恋物語がほぼ確定している。もっと軽い映画を想像していたが,大真面目な映画であり,涙を誘う。
 未来人の登場によるタイムパラドックスはなく,その面白さもない。もんぺ姿の女性達の中に,セーラー服姿の女子高生が現れたことを問題視する場面もない。タイプスリップは小説としての色付けであり,戦時中に都会から田舎に疎開してきた少女と特攻隊員の恋物語であっても十分通用する。福原遥が演じる百合は,小生意気で反抗的な高校生だったが,タイムスリップ後は見事に素直で愛らしい少女になる。なかなかの演技力だ。戦時中の厳しい生活でここまで「好い子」になってくれるのなら,親世代は,半グレ息子やヤンキー娘を,自衛隊入隊体験並みに時間旅行に送り出したくなるだろう(笑)。
 助演陣の中で最も注目したのは,食堂経営者のツルだった。声ですぐに松坂慶子であることは分かったが,顔では全く識別できなかった。黒いドレス姿で大ヒット曲「愛の水中花」を歌い,世の男性を悩殺した頃の面影はないが,さすがと思える存在感であった。

■『Winter Boy』(12月8日公開)
 フランス映画で,舞台となるのは冬のパリ,主人公は交通事故で父親を亡くした17歳のゲイの少年リュカである。彼の悲しみと混乱,大きな喪失感,思春期の揺れ動く心,年上の青年との新たな出会いを,詩情溢れるタッチで繊細に描いている。注目すべき俳優が3人登場する。まずは,リュカの兄カンタンを演じるヴァンサン・ラコストで,弟に厳しい言葉を浴びせながらも,愛情溢れる接し方の演技が見事だった。出演作を観るのは初めてだが,注目すべき若手男優である。次に2人の息子をもつ母親イザベルを演じるのが,名優ジュリエット・ビノシュだ。登場するだけで満足で,今更この名女優の演技で述べることはない。そして何よりも注目は,リュカを演じるポール・キルシュだ。「全フランスが恋に落ちた新星」と言われる美少年で,物語は彼のナレーションで進行する。
 実家のあるアルプス山麓も兄に連れられて滞在するパリの景観も美しい。リュカの赤いマフラーが可愛く,随所で監督の美意識の高さが感じられる。音楽も素晴らしい。日本人ミュージシャン半野喜弘が音楽担当だが,オリジナルスコアもさることながら,軽快な既存曲の挿入が秀逸だった。とりわけ,シルヴィ・ヴァルタンの1968年の 大ヒット曲“Irrésistiblement (あなたのとりこ)”の登場させ方に痺れた。曲調も歌詞も見事に映画にマッチしていた。
 とここまでの書き方なら,大満足と思われるだろう。問題は,事故死した父親として出演しているクリストフ・オノレ監督の演出のスタンスだ。監督の自伝的物語なので,10代の頃に亡くなった父親をこの役に投影させ,当時の自分自身はリュカとして描いていると考えられる。おそらく,監督自身もゲイなのだろうが,男性同性愛者の露骨な情交シーンには目を覆いたくなった。ここまで赤裸々な性愛場面は珍しい。時節柄,同性愛者の法的に平等な権利,行政的な扱いには理解を示したいが,こんなシーンは見たくもない。見せられる側の不快感は考えたこともないのだろうか? 描く自由も,拒否する自由もあるが,筆者にはこの詩的な映画がぶち壊しになったと感じられた。

■『ファミリー・ディナー』(12月8日公開)
 オーストリア製のホラー映画だが,悪魔もゾンビも心霊現象も登場しない。単純に不気味で,恐怖心を煽る映画なので,「スリラー」と言った方が近い。「命をたくさん召し上がれ」なる宣伝文句に度肝を抜かれる。迫り来る危機という感じはないので「サスペンススリラー」ではない。
 主人公は10代の少女のシミー(ニーナ・カトライン)で,かなりの肥満体型である。復活祭休暇を利用して,料理研究家の叔母クラウディア(ピア・ヒアツェッガー)の家を訪ねる。栄養士でもある彼女から減量指導を受けたいと望んでいた。叔母と言っても,血のつながりはなく,母の弟の伴侶であったが,既に離婚していて,再婚相手のシュテファンと従弟のフィリップの3人家族であった。登場人物はこの4人だけであり,最後までこの家とその周辺の森だけで展開するワンシチュエーションドラマである。
 滞在は受け容れてくれたものの,最初から不気味な雰囲気が漂っていた。従弟のフィリップはシミーに悪意のある程度で接する。義父のシュテファンはフィリップを嫌っていて,フィリップも彼を避けようとしている。叔母は息子を溺愛し,過保護と言えるほどだ。毎日,息子のために豪華な食事を出すが,どれも美味しそうだった。それでいて,減量指導するシミーには絶食を命じる。日増しに家族間の異様な関係が高まり始め,音楽もそれを助長する。叔母,息子,義父それぞれの言い分はもっともらしく,シミーには誰の言うことが正しいのか分からない。ミステリー的な様相を呈してくる。
 ビジュアル的には,フィリップが射撃で得たウサギをシュテファンがさばくシーンが,リアル過ぎて,グロかった。デブではあるが,気立てのいい優しい女の子のレミーに感情移入してしまい,彼女の無事を祈りたくなってくる。さて,復活祭の日には……。これ以上は書けないが,最後に題名の意味がようやく理解できる。監督・脚本はペーター・ヘングルで,これが監督デビュー作だという。学生時代に名匠ミヒャエル・ハネケの薫陶を受けたというだけのことはある。今後が楽しみだ。

(12 月後半の公開作品は Part 2に掲載しています)

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