head
titlehome略歴表彰学協会等委員会歴主要編著書論文・解説コンピュータイメージフロンティア
| INDEX | 年間ベスト5 | DVD特典映像ガイド | SFXビデオ観賞室 | SFX/VFX映画時評 |
   
title
 
O plus E誌 非掲載
 
 
 
20世紀少年』
(東宝配給)
 
      (C)2008 映画「20世紀少年」製作委員会  
  オフィシャルサイト[日本語]  
 
  [8月30日より日劇2ほか全国東宝系にて公開中]   2008年8月18日 東宝試写室(大阪)  
         
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  邦画界話題の大作,主要登場人物のキャスティングが意欲的  
 

 夏から秋にかけての邦画界最大の話題作だ。原作は浦沢直樹作の同名の超人気コミックで,映画化不可能と言われた作品を,3部作,総製作費60億円で実写映画化するという。東宝なら60億円くらい1作で軽く稼ぎ出すではないかと思うのだが,一大プロジェクトであることは間違いない。連載中からいくつもの漫画賞を受賞し,累計発行部数は2,000万部を超え,インターネット上のブログでもその結末を巡って様々な議論がなされていたから,映画化自体が話題になるのも必然である。TVスポットや各種広告で,奇妙なシンボルマーク(写真1)の露出度が上がっているから,作品の認知度も一気に上昇している。

 
   
 
写真1 この奇妙なマークが全編を通じてのシンボル  
 
     
 

 この種の話題作を映画でも成功させるには,コミックの読者に親近感と既視感を抱かせ,時間制約のある映画のボリューム内で彼らを満足させる必要がある。原作がベストセラーであればあるほど,読者の思い入れも強くなるので,原作と映画は別物と納得させるのが一苦労だ。その一方で,劇場公開の映画である以上,予備知識のない映画ファンにも十分理解でき,満足できる完成度を備えていなければならない。そのバランスのほどを,お手並み拝見である。
 ハリポタ・シリーズは1作毎に前者の視点での苦労を強いられている。『ダ・ヴィンチ・コード』(06年6&7月号)が,多数の小説読者から厳しい評価を受けたことも記憶に新しい。一方,007シリーズは原作よりも映画化での大成功事例であるし,『ボーン・アイデンティティ』(02)から『ボーン・アルティメイタム』(07年11月号)に至るジェイソン・ボーン3部作もしかりだ。その点,『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズは,児童文学としても映画としても,見事なまでに完成度が高かったと言えるだろう。
 さて,この映画だが,最近の日本映画の現状からすれば,徹底してコミックの読者やその知人たちを主ターゲットにするのだろう。何しろ我が国の映画市場では,TVシリーズ,小説・コミック,ゲーム等が先にあり,既に内容や主人公を既に知っている作品しか映画館に足を運ばない観客が大半だという。本作品がそうした観客を呼べることは確実である。しからば,この3部作の真価は,コミック未見の批評家や一般観客の観賞に堪え得る水準であるかどうかだ。60億円も投じるからには,そうあって欲しいではないか。
 物語は,ロックスターになる夢を捨て,コンビニを経営する冴えない主人公ケンヂ(唐沢寿明)と彼の仲間たちが,悪の新興宗教教団が目論む世界滅亡計画を阻止するために立ち上がる話である。その計画は,彼らが少年時代に原っぱの秘密基地に集い,そこに埋めた「よげんの書」の通りに進行していた。世界の主要都市が細菌兵器の攻撃を受け,羽田空港や国会議事堂が爆破され,20世紀最後の日に原子力で動く巨大ロボットが東京の町を破壊しようとしていた……。
 原作は1969年から約50年にわたる時代を描いているが,その間の挿話は細切れで,頻繁に時代を行きつ戻りつする。第1部の本作では,2000年12月31日の大事件をクライマックスとして扱っている。アポロ11号の月面着陸,大阪万博,チキンラーメン,平凡パンチ,伝説のウッドストック・フェスティバル,ユリ・ゲラーのスプーン曲げ等は,そのまま時代を表わす象徴として登場し,ノストラダムスの大予言,オウム真理教をモデルとして社会現象がちりばめられている。表題通り「20世紀」を「少年たち」の目を通して見た世相・風俗史にもなっている。
 監督は,『大帝の剣』(07年4月号)『自虐の詩』(同11月号)の堤幸彦。いま日本映画界で最も売れっ子の監督の1人であり,原作のある作品も手慣れている。キャストは,ケンヂ役の唐沢寿明の他に,オッチョ役に豊川悦司,ユキジ役に常盤貴子,ヨシツネ役に香川照之,その他,黒木瞳,石塚英彦,佐々木蔵之介,小日向文世,石橋蓮司,竹中直人,中村嘉葎雄,竜雷太,研ナオコ等,多数の出演者が登場する。3部作で約300人というから壮観だ。何よりも,コミックの登場人物に似た顔立ちの俳優ばかりを選んだというのがウリである。それだけでも,大いなる意欲が感じられる。

 
     
  ●映画だけ観ての評価:スカッとしないながらも,絶対に続編は観たくなる!  
 

 さて,筆者はといえば,この映画の試写を観た時点では,原作コミックは全く未見であった。ただし,浦沢直樹作品は初期の「パイナップルARMY」から「MASTERキートン」「MONSTER」「PLUTO」までの代表作を読んでいる。気になりながらも,この原作に接していなかったのは,単に「ビッグコミックオリジナル」は欠かさず毎号愛読しているのに,「ビッグコミックスピリッツ」が嫌いで読まないからに過ぎない。
 まず,先入観のない一観客の視点で言えば,この映画の描写や物語の展開はワクワクさせるものがあった。一体,この先どうなるのだろうと何度も思わされる。その点は,浦沢作品の映画化としては合格点だ。それでいて,目まぐるしい回顧シーンに幻惑され,多数の登場人物がきちんと把握できず,何か消化不良を感じつつ,見終わった後もスカッとしない映画である。これは第1部であって,きっと次作からはもっと本格化するのだろうという期待を抱かせてくれる。その点でも,雑誌連載に適した浦沢流の「思わせぶりで,引き伸ばし作戦」をそのまま踏襲していると言える。
 各俳優は,なるほどキャスト一覧に添えられている原作コミックの登場人物とよく似ている。マルオ(「ホンジャマカ」の石塚英彦)は生き写しだし,オッチョの豊川悦司,モンちゃんの宇梶剛士,ドンキーの生瀬勝久も原作のイメージを壊さない。ケロヨン役に「雨上がり決死隊」の宮迫博之などは,よくぞ探して来たものだと思う。
 それに加えてもっと嬉しくなるのは,回想シーンで再三再四登場する子供たちまで,約30年後を演じる大人の俳優に似た子役を起用していることだ(写真2)。堤監督のこだわりだろう。『自虐の詩』でも主人公・幸江の少女時代に中谷美紀にかなり似た新進女優を起用していた。本作では,ケンヂの少年時代を演じる西山潤が,出て来ただけで唐沢寿明の少年期だと分かってしまうほどだ。それに対して,相棒のオッチョは,成人以降(豊川悦司)と少年時代でまるで似ていないが,それはコミック上でも同じらしい。少年期のオッチョは,目玉が大きな子供であり,そのイメージに合う子役(澤畠流星)がしっかり選ばれている。
 そこまでのこだわりを発揮しながら,残念だったのが,CG/VFXの出来映えである。羽田空港や国会議事堂の爆破シーンはまだ許せる水準にある。お粗末なのは「血の大みそか」を描いたクライマックスだ(写真3)。巨大ロボットも破壊シーンも,あまりにチープな表現なのに参ってしまう。まるで,ゴジラやモスラが登場する,数十年前の特撮映画を観ているかのようだ。これは意図的に,これだけ稚拙で初歩的なタッチで表現したかったのだろうか?そりゃないだろう。20世紀末を描く劇場映画なら,ここに最大限のパワーを投じて観客を魅了すべきだ。それとも,精一杯の努力をしながら,この程度のクライマックス・シーンしか描けなかったのだろうか?俳優のギャラで製作費の大半を使ってしまい,VFXに回せる予算が残っていなかったかと想像させる出来映えに終わっている。
 第2部の大半は第1部と同時に撮影し,来年1月末公開が予定されている。誰もが,絶対に観たくなること必定だ。「こんなはずはない。きっともっと面白くなるはずだ」と感じるからである。

 
   
 
写真2 少年時代の出来事が頻繁に登場する。子役たちが大人の俳優と似ているのが嬉しい。
 
   
 
 
 

写真3 予言通り2000年大晦日に出現した巨大ロボット
(C)2008 映画「20世紀少年」製作委員会

 
   
  ●原作を読み始めた後の感想:どこまで原作離れできるか,2作目以降に期待  
 

 原作は,コミック単行本で全22巻,『21世紀少年』と題した結末編2巻が刊行されている。筆者はこの稿を書き始める前に読み始め,第5巻までを読了し,「2000年血の大みそか」を描いた第7巻と第8巻の一部を斜め読みしている。
 予想通りの「浦沢ワールド」であった。どんどん登場人物が増え,全体の流れが散漫になり,お得意の「思わせぶり」なシーンが頻出する。洋画のテイストを振りかけた他の代表作に比べ,本作は人物のネーミングにも少々おふざけの度合いが強過ぎる。それでいて,オッチョが帰国前にタイの麻薬工場を爆破するエピソードなどは,手に汗握る迫真のアクション・シーンを展開している。
 映画第1作は,驚くばかりにこの原作に忠実に作られていた。構図やカット割りまでが,コミックそっくりだと感じるシーンが多々ある。そのままなら,コミックの方がじっくり楽しめる。映画の方が有利なのは,音楽を挿入できることくらいだ。独立した作品としての完成度は目指さないのか,映画人としての誇りはないのかと問いたくなるほどである。製作委員会には小学館も入っているから,原作コミックを売るための手段に過ぎないのかと疑われても仕方ない。
 そこまで志は低くないだろうが,こんな徹底コピー作戦で,残り2作で原作を描き切れるのだろうかという不安が先に立つ。いや,浦沢作品は話を拡げ過ぎて,尻つぼみに終わることが多いから,原作後半の冗長な部分をバッサリ切り落とせる余地がある。1作目でコミック読者へのサービスは終わったから,2作目以降はもっと大胆な組み換えで,ぐいぐい引っ張って行くことを期待する。
 ワーナー作品の『DEATH NOTE デスノート』(06年7月号&12月号)は,原作コミックの第2部の退屈な部分を大幅に割愛し,異なった結末にして成功を収めた。当然,その手口は承知の上のことだろう。その点でも,大いなる期待をもって,お手並み拝見である。

 
  ()  
   
  Page Top  
  sen  
 
back index next
 
     
   
<>br