O plus E VFX映画時評 2025年3月号

『BETTER MAN/ベター・マン』

(パラマウント映画/東和ピクチャーズ配給)




オフィシャルサイト[日本語]
[3月28日よりTOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー公開中]

(C)2024 Better Man AU Pty Ltd.


2025年2月13日 TOHOシネマズ梅田[完成披露試写会(大阪)]
2025年3月3日&6日 東宝東和試写室(東京)

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


拘りの衣装とCG表現で描いた音楽伝記映画の大傑作

 当欄の長年の読者なら,年初来,評価の作品数が多く,とりわけメイン欄記事はかなりの長文であり,掲載画像数も数年前の数倍もあり,眺めるのも大変だと感じておられることだろう。GG賞,アカデミー賞のノミネート作の紹介がこの時期に集中するので,1〜3月号の平均スコアは高く,実際にはの数はさほど代わりはない。今年はメイン欄に一推し映画が多く,その分,気合いを入れて書いたため,掲載したくなる画像が増えてしまった。その選定に数日かけているため,最近はアップロード時期も常に遅れ気味である。
 アカデミー賞予想記事中で述べた通り,今年は長編アニメ部門ノミネート作に,飛び切り上質の3本が重なってしまった。『ウォレスとグルミット 仕返しなんてコワくない!』(25年1月号)『野生の島のロズ』『Flow 』(同2月号)はまさに甲乙つけ難かった。音楽映画にも良作が多く,衣装デザインを論じたくなる映画にもをつけてしまった。『野生の…』は音楽的にも上質であり,ミュージシャンの伝記映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(同2月号)の衣装も優れていたし,衣装デザイン賞の受賞作『ウィキッド ふたりの魔女』(本号)が,CG/VFXを多用した良質のミュージカル映画であることは,各々のノミネート部門がそれを証明している。
 そして,その全てで論じるに値するのが,本作『BETTER MAN/ベター・マン』である。本作も現役歌手の伝記映画でありながら,CG/VFX多用作であり,主人公の登場のさせ方も衣装デザインの描き方も極めてユニークなのである。当欄の過去5年間で,最もCG/VFXの使い方が斬新で,クオリティも高く,VFX史に残る作品だと確信した。それゆえ,上記のオスカー予想で本命◎をつけたのだが,受賞は逃した。思わず「『BETTER MAN…』の革新性を見抜けないようでは,アカデミー会員も眼力のない素人同然の集団である。何をそこまで惚れ込んだかは,今月号の作品紹介でじっくり語ることにする」と書いてしまった。その責を果たすべく,この映画のマスコミ試写は3度も見せてもらった。公開されている予告編,特報映像,メイキング映像も何度も眺めて,CG/VFXの使われ方を分析した。以下は,その結果を当欄の読者向きに整理したものである。

【主人公の紹介と本作の概要】
 英国の人気ポップ歌手ロビー・ウィリアムス(以下,ロビーもしくはRWと略す)の伝記映画である。ドキュメンタリー映画でなく,劇映画仕立てだが,多数のヒット曲が流れ,コンサートシーンも登場するのは,音楽伝記映画の定番だ。上記『名もなき者…』ではボブ・ディランをティモシー・シャラメが,5年前の『ロケットマン』(19年7・8月号)ではエルトン・ジョンをタロン・エガートンが演じて,それぞれ見事な歌唱も披露した。本作では,歌唱もナレーションもRW自身であるが,本人の素顔は登場しない(予告編には登場する)。ポスターや予告編でお分かりのように,全編がチンパンジーの姿で描かれているからである。
 RWは大成功を収めた現役人気歌手だが,日本では一部の音楽ファンを除いて知名度が低い。国際的な知名度でもエルトン・ジョンに劣るが,英国内ではソロ・アーティストとして最多アルバム売り上げを記録している。本作のサントラ盤は15枚目のNo.1ヒットとなり,ビートルズの記録に並んだという。歌手デビュー時に所属したボーイズバンド「Take That」がビートルズ以降で最大の人気グループであったことも,その後のソロ活動での成功要因である。ところが,その「Take That」も日本では殆ど知られていなかった。
 なぜ全編サルの姿で登場するかと言えば,RW自身が自分は人より劣っていると感じ,しばしば自分をサルに譬えることがあるからだ(『猿の惑星』シリーズのシーザーが聞いたら,自分の方が優れていると怒るかも知れないが(笑))。それを聞いたマイケル・グレイシー監督が,全編をサルの姿で登場させるという斬新な映像表現を思いついたという。さすが監督デビュー作『グレイテスト・ショーマン』(18年2月号)をヒットさせ,元VFXクリエイターというだけのことはある。ミュージックビデオやCM制作の出身であり,上記『ロケットマン』の製作総指揮も担当していた。
 物語は,1974年スタフォードシャー州ストーク・オン・トレント生まれのロビーが8歳の時から始まる。最初からチンパンジーのルックスでの登場である(写真1)。遊び相手からは屈辱を受ける等の少し屈折した少年時代だったが,家庭では祖母ベティ(アリソン・ステッドマン)に深い愛情で育てられ,フランク・シナトラを敬愛する父ピーター(スティーヴ・ペンバートン)と毎日一緒に歌う生活だった(写真2)。やがて,この父親は家族を捨てて,家を出てしまう。


写真1 映画の冒頭からチンパンジーの顔で登場。予備知識なしに見たら驚く。

写真2 (上)祖母ベディに深い愛情に包まれて育つ
(下)ラジオをかけ, フランク・シナトラ狂いの父と一緒にコーラス

 10代になったロビーは有名歌手になることを目標にし,ボーイズバンドTake Thatのオーディションに合格して,正式メンバーとなる(1990年)。当初はゲイバー中心のドサ回りだったが,次第に人気バンドとなり多数のステージをこなす(写真3)。その一方でロビーは自信をなくし,マネージャーのナイジェル・マーティン・スミス(デイモン・ヘリマン)と意見が対立する(写真4)。薬物に手を染めたロビーはバンドを解雇され(1995年),翌年Take Thatも解散する。


写真3 ようやく人気も出て, 多数のコンサートをこなす

写真4 Take Thatのメンバーと辣腕マネージャー(前列右から2人目)

 1996年にソロ・デビューしたロビーは成功を収める。All Saintsのメンバー,ニコール・アップルトンとの交際も始まる(写真5)。その一方で,薬物依存から幻覚が生じ,精神疾患を繰り返す。ニコールと別れ,祖母を失った彼は,リハビリ施設に入って厳しい毒物排出に耐え,人生をやり直す決意をする。祖母の墓前で「より良い人間 (Better Man)」になることを誓ったロビーは,両親を招いたコンサートの舞台に立つ……(写真6)


写真5 女性シンガーのニコール・アップルトンと恋愛関係に

写真6 立ち直ったボビーはロイヤル・アルバート・ホールの舞台に立つ

 華々しい音楽人生の一方で,薬物中毒や精神疾患は,大スターの伝記映画に付きものの脚本,演出である。その点での新規性はないが,ネガティブ面を盛り込んで人気歌手の内面に触れたことで,華やかなステージとの対比が生々しかった。とりわけ,歌詞と物語中のロビーの心情が見事にマッチしていた。新曲を使ったミュージカルでなく,既存のヒット曲を使った伝記劇映画で,これだけの対応は珍しい。
 全編チンパンジーでの登場はキワモノ扱いされがちだが,極めて真っ当な伝記映画であった。サル描写は,慣れて来ると違和感はなくなり,主人公を識別するのに好都合だった。苦しみ悩む表情や有頂天での派手なステージパフォーマンスも,誇張された演技と感じられ,生身の俳優の演技よりも適していると感じた。

【サルRWの実現方法】
 劇中のRWは,すべてチンパンジーの顔をしたCG表現である。CG/VFXの担当はWētā FX社で,1社ですべてを処理している。元々は1990年代にピーター・ジャクソンが自作『乙女の祈り』(94)のためにニュージーランドに設立した特撮スタジオで,『ロード・オブ・リング (LOTR)』3部作(01〜03)で一躍その名を知られるようになった。ミニチュア模型や武具の設計・制作を得意とするWeta WorkshopとCG/VFX専門のWeta Digitalの両社に分離された後,後者が2022年から現在の名前になっている。
 ■ サルのロビーの描写の基本は,チンパンジー然とした軀体にフィットする衣装を着せ,小物や背景や書き加え,照明を調整する一般的なVFX工程である(写真7)。ロビーの動きは,例外的に手付けアニメーションを用いることもあるが,基本は演じる俳優の動きをお得意のMotion Capturing(MoCap)で得たデジタルデータである(写真8)。顔面の表情を正確に反映させる場合は,顔に複数のマーカーを貼り,表情変化を眼前のカメラで撮影するFacial Capturing (FaceCap)を採用している(写真9)


写真7 VFX工程はオーソドックスだが, サルに衣装を着せるというのが本作のミソ

写真8 ほぼ全編でジョノ・デイヴィスがMoCapスーツを着て演じている

写真9 ヘルメットを被り, 顔面に多数のマーカーを貼って, 2台の小型カメラで撮影する

 ■ MoCapもFaceCapもWētā社の得意中の得意技であり,『LOTR』シリーズのゴラムを手始めに,『キング・コング』(06年1月号) 『アバター』シリーズ(09, 22)『ホビット』3部作 (12〜14) 『猿の惑星』シリーズ (11〜24)でその実力を遺憾なく発揮し,多数のオスカーを得たことは当欄で何度も紹介している。主担当作品以外には,昨年以降当欄で紹介した映画だけでも,『アクアマン/失われた王国』(24年1月号)『REBEL MOON ― パート1&2パート2』(同4月号)『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(同)『デッドプール&ウルヴァリン』(同7月号)『エイリアン:ロムルス』(同9月号)『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』(25年2月号)を数えるから,いかにそのMoCapデータ活用が秀でていて,信頼されているかが分かる。Weta FXでなく,本作からWētā FXなる表記を用いていることからも,自信のほどが伺える。
 ■ 当初,『猿の惑星』シリーズで多数の類人遠を描いた経験から,本作でRW 1人を描くのは朝飯前だと思ったのだが,実際はかなり違っていて,複雑な工程で見事な技を使っていた。少し考えれば分かることだが,本作で描きたいのは,チンパンジーの体形と動作ではなく,エンターテイナーRWの少年期から成年期までの表情と動きである。このため,少年期は子役のカーター・J・マーフィー,青年期以降はジョノ・デイヴィス(以下,JD)が配され,そして最後のロイヤル・アルバート・ホール(RAH)のステージ上の一部のみをRW自身がMoCapスーツを着て演じている。3D-CGモデルによる体形は,厳密には演じた俳優ではなく,年齢に応じたRW自身と思しき体形の幾何モデルデータであり,それにMoCapデータをマッピングしているはずである。
 ■ 動き以前に,頭部は当然年齢に応じた描写を達成している(写真10)。改めて静止画で観ても,子供らしい顔が青年らしく変化しているが,動画で観るともっとよく分かる。このベースとなる顔面のモデルはどうやって作ったのだろう? おそらく『猿の惑星:創世記』(11年10月号)でシーザーの誕生から大きくなる過程を描くのに,様々な年齢のチンパンジーを観察して顔面幾何モデルを作ったと思われる。本作での顔面描画で最も感心したのは,顔のアップのシーンでの目の表現である。一目で,これはサルの目ではなく,RW自身の目なのだと感じられた。この後,サルのRWは涙する。RWの目の色を気にしたことはなかったのに,これは彼自身だと確信できたのである。実際,目の部分だけ,RWを撮影した実写画像と差し替えられていた(写真11)


写真10 少年から青年へ顔立ちが徐々に変化してくる

写真11 目の部分はくり貫いて, 本物のRWの目の画像を挿入している

 ■ もう1つ感心したのは,絶妙のLip Sync(唇の動きと音声との同期)である。過去に観た音楽映画で最高レベルであった。歌はRW本人,顔面の動きはJDのFaceCapなのに,どうしてここまで完璧な同期が実現できたのかが不思議だった。RWの歌を流しておいて,JDが口パクするにしても,ここまでの正確な一致は見たことがない。実際のサウンドトラックは後日再収録のアフレコだという。その再録音源に合わせて,音節ごとに,口の形や開く大きさ,歯と舌の見え方を調整して感情表現が的確になるよう,1年以上かけて修正したという。音楽アフレコの後で,口元だけCGデータを再調節していた訳である。これは同期というレベルを越えている。CG製のサルRWゆえに可能であった技法であり,実写映像ではこうは行かない。
 ■ 映画の物語進行が進むに連れ,髪形も様々に変化させ,衣装にも大きな意味を持たせていることが分かって来た。髪形の変更はCGであれば,ごく簡単なことである。フルCGアニメの歴史では,光沢感や長髪の揺れる表現をマスターするまでに少し時間がかかったが,今ではRPGゲームでも簡単に好みの髪形に変更できる。写真12は,お遊び感覚で髪形と顎髭部分を換えた描画だが,劇中では当時のRWが使っていた髪形を模して描いたと思われる。



写真12 体毛の描写技術が進歩したので, 髪形の変更は容易にできる

 ■ 衣装もまた,最近のゲームでは利用するアバターの服の色やデザインを簡単に変えられる。本作でサルのロビーが着る衣服は,衣装デザイナ-のカッピ・アイルランドが258着もデザインしたという。写真13はそのほんの一部である。同じ服をTake Thatが着る以外はデジタル・デザインだけ済むはずなのに,何着も本物の服を縫製し,各衣装の布地素材を物理的に計測して反射率や伸縮率を求め,想定シーンの照明条件下での光沢感,皺の寄り具合を描いている。そのため,身体へのフィット感は本物としか思えない。とりわけレザースーツは絶品だ。これは監督や担当スタッフの拘りとしか言い様がない。


写真13 衣装デザイナーが258種類もデジタルデザインした

【VFX史に残る斬新な利用法の意義】
 この表題で語る前に,映画制作に利用されるCG技術の歴史を振り返る。CG技術が線画表現から面画表現に大旋回するのは1970末から1980年代であり,CGレンダリングの基本骨格はこの時期に出来上がった。それゆえ,その試験的利用により『アビス』(89)『タ-ミネーター』(91)『ジュラシック・パーク』(93)のような斬新な実写+VFX映画が生まれた。ハリウッドがCG/VFXの本格的利用に目覚めるのは『タイタニック』(98年2月号)と『マトリックス』(99年9月号)の大ヒットを見たからと言って過言ではない。まさに不定期掲載だった当映画評を毎月掲載にした時期である。
 映画制作というハイレベルの利用分野を得たことにより,一旦は落ち着いていたCG分野も再活性化し,2000年代は価値ある学術発表も相次いだ。肌の質感表現に直接役立つ「サブサーフェス・スキャタリング」,大域照明の「フォトン・マッピング」,従来のシェーディングモデルを見直す「物理ベースレンダリング」といったコンセプトの登場は,その典型例である。さすがに2010年代に入ると,そうした新技術も息切れし,後は重箱の隅をつついたような論文しか登場しなくなる。
 それに反比例するように,CG技術の祭典SIGGRAPHには大手スタジオの最新VFX多用作のメイキング解説講演が単調増加した。筆者が毎年夏のSIGGRAPHに参加するようになったのは1997年からだが,学術発表よりもそうしたメイキング解説にせっせと通うようになった。数百人以上のCGアーティストが参加する大手VFXスタジオでも,その種の解説講演を行うのは,僅か10人余の常設R&D部門のメンバーであった。残る人数や中堅以下のスタジオは,ひたすらツールを駆使して,連日モデリングとレンダリング作業に従事するだけ労働者集団である。MCU (Marvel Cinematic Universe)が猛威を発揮し始めるのはこの頃からである。
 やがて,メイキング講演にも魅力がなくたった。単なる映画宣伝の場であり,実力あるCGアーティストたちの求職活動の場と化したからである。そもそもR&D部門をなくし,すべて受注したVFX制作にしかマンパワーを割かなくなったスタジオが殆どである。新規技術を自ら開拓しなくても,今や既存ソフトウェアツールだけあれば,大抵のCG/VFXシーンを描くことができる。映画としての価値は,CGの新技術利用ではなく,脚本と映像表現が優れているかどうかであるから,製作責任者はそれで十分だと言うだろう。当VFX映画評が技術解説をせずに,単なる見どころの列挙だけになってしまったのは,こうした背景事情からである。
 かくして,コロナ禍を機に,20年以上続いたSIGGRAPH通いやその時期の大手スタジオ訪問も止めてしまった。同時期にVFX専門誌Cinefexが廃刊となった。このため,この数年間,新技術の情報収集をせずに映画を見続けているが,映画本編を観ても,「Behind the Scenes」映像を観ても,CG/VFX的の斬新さを感じることがなくなった。その勉強不足気味の筆者から見て,本作はVFX史に残る快作であり,VFX史を塗り替える転機となる作品であると感じた。以下は,その要点である。
 ■ 本作を「サルを擬人化した映画」と評している紹介記事を見かけた。これはとんでもない考え違いだ。本作は,童話や子供向きのアニメのように,動物を歩かせ,人間の言葉を話させている訳ではない。シーザーのようにチンパンジーが人間並みの知能と歌唱力を得て,人気歌手になる物語でもない。RWは人間の両親から生まれた純然たる人間であり,現役歌手のRWをチンパンジーのルックスで描いているに過ぎない。強いて言えば,「擬猿化」と言う方が,まだマシだ。それとて正しくないのは,RWに木登りをさせたり,落花生の皮むきをさせたりしてはいない。筆者が名付けるなら,これは「チンパンジー衣服でのコスプレ」だ。もう少し広く言うなら,「デジタルコスプレ」である。
 ■ 阪神タイガースの「トラッキー」や先日亡くなった東京ヤクルトスワローズの「つば九郎」等のマスコットキャラクターは,まさにこのコスプレである。ディズニーランドの園内にいるミッキー・マウスもその類いだ。既存の映画で言えば,前身のWeta Digital社が描いた『アバター』(10年2月号)でパンドラ星に住むナヴィ族は技術的に最も近い。ただし,サム・ワーシントン演じる主人公のジェイク自らはカプセルの中で寝たまま分身に指令を出すだけだから,「コスプレ」ではなく,やはり「アバター」だ。同作でゾーイ・サルダナが演じるヒロインのネイチェリは元々ナヴィ族であるから,女優がナヴィ族のコスプレ演技をしていた訳である。第2作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(22年Web専用#7)に登場するメトカイナ族も同様で,各俳優がデジタルコスプレ演技をしていたと見做すことができる。
 ■ では,『LOTR』のゴラム,『キング・コング』のコング,『猿の惑星』のシーザーはと言えば,筆者の言う「デジタルコスプレ」ではない。アンディ・サーキスを代表とするMoCap俳優は,怪物や類人猿らしく見えるようにMoCap演技したのであり,人間に見えるように動作していない。怪物,動物,エイリアンを演じるのは,単なるCG表現の一形態に過ぎない。やはり人間そのものか人間に近い存在の挙動をCGで描いてこそ意味がある。だから「コスプレ」なのである。
 ■ なぜ「デジタルコスプレ」に拘るか,何の意義があるのかと言えば,この概念を用いることで「デジタルヒューマン」の利用価値が広まると思うからである。既に俳優をCGで複製した「デジタルダブル」の利用は進んでいる。この場合は,危険なシーン等で利用する代役に過ぎない。筆者の言う「デジタルコスプレ」は,チンパンジーとまでは行かなくても,俳優本人の容姿と違う顔立ちや体形の人物を演じるのを助けるツールと考えることができる。ホビットやドワーフを演じるのに役立つことは自明だろう。顔立ちが似た親子や兄弟姉妹を演じる場合や,ある人物を昔の容姿&体形や未来の容姿&体形で登場させたい場合にも役立つ。『ジェミニマン』(19年Web専用#5)では,同じ俳優(ウィル・スミス)の老若2人を対決させていた。来月紹介する『HERE 時を越えて』では,主要登場人物が,複数回年齢を変えて登場する。ただし,いずれも顔をVFX加工して年齢操作しているだけで,体形までは変化させていなかった。本人が許すなら,実話ベースの映画に,実在の人物そっくりの姿で演じることができる。これぞ究極のリアリティだ。また,遺族が許可するなら,故人を「デジタルヒューマン」として復活させることも可能になる。元々俳優は,演技力で他人に化ける職業であるから,その化け方を助長していることに相当する。本作で培った拘りの技術を巧みに使うことで,映画制作の大きな転換点となる可能性を秘めていると思うのだが,如何だろうか。

【代表的なシーンの見どころ】
 本作の見どころであるシーケンスがいかに作られたかをCG/VFXの観点から分析した。それらのキーとなる場面は,公式サイトの充実した予告編や特報映像に含まれているので,それも眺めて頂きたい。

(A) リージェントSt.での“Rock DJ”
「リージェント・ストリート」はロンドンの中心部にある目抜き通りの繁華街で,とりわけ地下鉄のピカデリー・サーカス駅からオックスフォード・サーカス駅間の通りの両側に高級ブランドの旗艦店が並んでいる。筆者はまさにTake Thatの活動期の1990年代前半に年数回英国出張し,ピカデリー・サーカス駅の至近距離のホテルに滞在して,毎回この通りでのショッピングと散策を楽しんだ。
 夜中の3時にこの通りを通行止めにして撮影した3分半強のミュージックビデオが,映画前半の最大の見どころだ(公式サイトに特報映像として掲載されている)。ここで流れる曲“Rock DJ”は,RWがソロになって以降の軽快なヒット曲だが,この映像ではTake That時代との想定で,5人組と共に約500人のエキストラもこの大通り狭しと踊る。『ラ・ラ・ランド』(17年3月号)の冒頭のLAフリーウェイ上の長いワンカット映像と並び,映画史上に残るミュージカルシーンとして記憶に残ることだろう。さすがミュージックビデオ出身の監督と思わせる完璧な映像だ。
 ■ 基本的にJDはMoCapスーツを着用して現地で踊り,その実写映像に脚本通りのデジタル衣装を着せる後処理を施している(写真14)。MoCap専用スタジオで収集した動きデータを使ったのではなく,大通りの数地点に多数のMoCapカメラを配しての生撮り現場撮影であるから,かなりのノウハウが必要で,Wētā社の長年の技術蓄積ゆえに挑戦できた代物である。


写真14 午前3時のリージェントSt.の光景にサルRWの姿を描き込んでいる

 ■ 一連のシーケンス中にTake That 5人組は,瞬時に3回衣装を替える。サルのロビーは後処理で着衣できるが,他の生身の4人はそうは行かないから,小刻みにカット割りした映像を後で編集している。曲の前半のキーフレームは写真15である。青緑色のスーツになり,2基のハンガーラックを体操の平行棒にように見立てている。JDはかなり運動能力の高い俳優のようだが,本当に現場で後方1回転宙返り着地をきめたか,それともこの部分は手付けのアニメーションなのかは不明である。続いて,同じ服装のままで1人ずつポゴスティック(ホッピング)に乗って上下しながら,歩道を移動する。ある店舗に入り,白いスーツ姿で踊りならら,店を出る。サルのロビー1人だけが白のつなぎを着ている。この店はこの通り沿いの実店舗ではなく,スタジオ内撮影を編集で繋いだのだろう。そして,路上のミニスクーターと戯れる。赤と青の傘が美しいシーンだが,高い位置のカメラ視点に移動して行く。現地にクレーンカメラを持ち込んでの撮影のようだ。

   

写真15 前半のシーケンス。 平行棒からの着地や衣装の早変わりは見事。

 ■ 後半のキーフレームは写真16である。通り行く人々のコートを拝借してふざけた後,カラフルなジャンパー姿で楽器店に入る。この楽器店は通り沿いの本物で,店内は長回しの1テイク映像である。そして赤いダブルデッカーに飛び乗って,2階の乗客を驚かせる。この前後で何度もバック転を行うが,一部はJDが現場で実際に演じたのかも知れない。そして曲の終わりが近づき,500人でのダンスシーンとなる。解説映像で監督は,この部分は一切CGは使っていないと語っているが,それは大勢のダンス自体は現場撮影したという意味だろう。写真7で見たように電球色の電飾はCGの重畳であり,MoCap姿のRWもCGに置き換えられているはずだ。約3分半のMVで様々な映像技術が駆使されているのは不思議ではないが,一貫してサルのロビーを登場させているというのが斬新であり,しかもその大半が現地での生撮りというのが凄いことなのである。


写真16 前半のシーケンス。 平行棒からの着地や衣装の早変わりは見事。

 ■ 約3分半の映像に登場するダンスは,スタジオ内で何度も練習し,すべてCG製のプレビズ映像になっていた。それを現地に持ち込んで重ね合わせ,改めて大通り上でのダンス撮影を細切れに撮影したようだ。そもそもこの通り沿いの建物はすべてCGデータとして準備されていて,巧みにそれを背景映像として使ったVFX合成も行っている(写真7,写真15,写真16の背景の一部はCGに見える)。映画中ではこの通りを俯瞰するシーンが登場していて,実写のように見えたが,本物でないようにも思える(写真17)


写真17 (上)Regent StreetのCGデータ。この円弧が美しい。
(下)実写にもCGにも見えるが,多分CGだろう

(B) ヨット上のダンスと“She’s The One”
 ■ 海に浮かぶヨットの上でのRWとN・アップルトンのラブリーンで,流れる曲はまさに彼女に捧げる“She's The One”であった。こちらもかなりのカット割りを含む複雑なシーケンスで,ダンスシーンを中心に本編映像の一部が1分強の特報映像として公式サイトに掲載されている。
 ■ かなり身体を密着させて激しく踊る高度なダンスで,女性を持ち上げるリフティングまでが登場する(写真18)。女性に関しては,N・アップルトンを演じたR・バンノのことを,「子供の頃,バレエを習っていたので,あれだけ踊れて幸運だった」という監督談話があった。果たして男性側は,本当にヨット上でJDがMoCap着用してリフティングまでやってのけたのか,3度試写を観ても信用できなかった。普通に考えれば,ダンスの専門家に本物の衣装を着て,R・バンノと踊ってもらい,後からその顔と手の部分だけサルのロビーと差し替えれば済むことである。


写真18 ヨット上でのダンスシーン。MoCapスーツを着てこれは踊ったのか?

 ■ 配給会社の担当者から来日された衣装担当者に尋ねてもらったところ,サルRWの衣装はすべてデジタル製とのことだった。その後,メイキング映像の中から写真19を見つけて,ようやくMoCap衣装を着てのダンスデータ収録であったことを納得した。おそらく,これだけ激しい動きの中で頭部位置を正確に検出することは難しく,その精度を保てないと不自然な合成になってしまう。それなら身体全体をCGで差し替える方が容易と考えて,それを選択したのではないかと思われる。


写真19 このメイキング画像を見て, ようやく納得した

 ■ ダンス自体の動きは予めデザインされているので,他のシーケンスと同様,プレビズ映像があって,それと合わせながら,現場で位置を調整したようだ。即ち,一気に踊った結果ではなく,細切れに撮影し,それを繋ぎ合わせている可能性も大である。映画制作ならそれくらいは当然と言えるが,オンサイト・プレビズ参照が進歩したゆえ可能になった芸当である。それにしてもJDはアクロバット演技だけでなく,ダンスも踊れるという極めて身体能力の高い男優のようだ。

(C) コンサートシーンとネブワースの大観衆
 大観衆を前にしたステージ風景が何度も登場するのが本作の特徴である。最初は人気が出始めた頃にTake Thatとしての公演であり,ソロ歌手になってからは自らのバックバンドを従えての公演である。最初に観た時は,ストーリーを追うのと歌を愉しむのに精一杯で,これだけの観衆を集めるのは凄いなとしか思わず,深く考えなかった(写真20)。前述のように字幕の歌詞の意味を考えたり,Lip Syncの見事さに感心していたので,大観衆は定番のCG/VFX処理で表現しているのだろうと考えていたのである。


写真20 最初,この大観衆は凄いなとしか思わなかった

 コンサートシーンも(A)(B)と同様,単純な構図ではなく,複雑なカット割りがあり,途中でロビーの回想や彼の心情を表わしたシーンが挿入される。とりわけ,史上最高の観衆を集めたネブワース公演は複雑で,2度目に見た時に一体どうやってこの映像を表現したのか分からなかった。
 ちなみに,「ネブワース」とはロンドン郊外のハートフォードシャー州の村の名前だが,そこにある「ネブワース・ハウス」に付設の庭園で大観衆を集めるロック・ミュージシャンの野外コンサートの代名詞のようになっている。筆者が最初のこの名前を知ったのはビーチ・ボーイズのライヴ・アルバム「Live At Knebworth 1980」であったが,オアシスの1996年のコンサートは映画『オアシス:ネブワース1996』となっている。RWのコンサートは2003年8月1日〜3日に行われ,3日間合計37.5万人(連日12.5万人)の動員記録は今も破られていない。その模様の本作での映像表現は,プレス資料を熟読し,メイキング映像を熟視して以下のように分析した。
 ■ コンサートだけでなく,F1レースもサッカーW杯の試合も,観客席を埋めるのにCG/VFXでの描画が四半世紀前から使われていた。『グラディエーター』(00年7月号)では2,000人のエキストラを着席させて演技させ,これをコピペして闘技場の33,000人の観客に見せていた。やがてエキストラは使わず,CGだけで表現するようになる。1人ずつ別の色の服を着せ,軽く身体を動かすことなどCGなら訳もない。最近紹介した『デューン 砂の惑星 PART2』(24年3月号)『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』(同11月号)では,勿論この技法を使っている。背景として観客席を描く場合は少しぼかすことも自然であり,上空からの映像なら細部は見えないので,それで十分なのである。
 ■ 観客の大半が立ち上がり,両手を挙げてリズムをとるようなロック・コンサートでのステージ近くの描写は,そう簡単には行かない。その場合は,アリーナ席の観客はエキストラを動員して実写映像で描き,遠方のスタンド席はCGで描くのが普通である(写真21)。本作の場合は,ステージ上のサルのロビーはJDにMoCap演技をさせ,VFX加工して置き換える処理を加える必要がある(写真22)。概ねこの方法であったが,本作の監督はそれで満足せず,Take Thatのコンサート映像演出のためにメルボンルで2晩に3万人の観衆を集めるコンサートを実際に開催したという。400人以上のクルーと18台の可動カメラ,屋上に50台以上のMoCapカメラが設置したというのに畏れ入る。これなら滑らかなカメラ移動でも頻繁なカット割りでも,観客の映像はびくともしない。サルRWが登場するステージ映像は別撮りで,観客席映像と合成したのかと言えば,さらに加工が施されていた。ペンライトの灯はよく見えるようCGで描き直し,ステージ上のドライアイスによるスモーク効果もCG映像を描き加えている(写真23)


写真21 ステージ近くのアリーナ席をCGで描くのはほぼ不可能

写真22 観客は実写でも, サルのロビーはCGで描き加える必要あり

写真23 ペンライトは見やすくし, ドライアイスはCGで描き加えている

 ■ ネブワース・コンサート関しては,DVDが発売されていて,当時の映像が残っている。ステージ映像だけでなく,12.5万人/日の観客を舐め回す空撮映像もあるという。その記録映像とセルビアでMoCapスーツのJDがステージに立って演技した追加素材とのミックスだというので,単純な合成処理かと思いきや,デジタル処理は遥かに複雑だった。まず,GPSデータによるネブワースの地形の分析から始まり,当時の映像からステージのCGモデルを再現している(写真24)。当時の観客は映像から1人ずつ抽出し,デジタル観客と置き換えている(写真25)。その執着心にも畏れ入るが,おそらくDVD用の当時の映像では解像度が足りず,IMAX上映に耐える画質ではなかったからだろう。


写真24 (上)2003年のネブワース・コンサート風景(実写)
(中)GPSデータを用いて会場をCG化, (下)ステージ部分の幾何データ

写真25 (上)写真24上の画像から観客と施設を検出
(中)上記の検出結果の個々にCG観客を埋める
(下)レンダリング処理を経た完成映像。見事だ。

 ■ 12.5万人分の頭部抽出,CGモデルでの置き換え,一体ずつレンダリングするのは,気の遠くなるような膨大な時間を想像してしまう。よく考えれば,最近では抽出も置き換えも手作業ではなく,自動処理でできるから,ソフトウェアが完備していれば,手間はそうかからない。少しずれていても誰も文句は言わないし,著しく異常なデータを間引くだけだ。それでも24コマ/秒を1コマずつレンダリングする必要があるが,カメラ視点からの陰面処理で見えている部分だけを描画すれば済むので,12.5人分の全身を描く訳ではない。最近のコンピュータの計算能力を考えての決定だったのだろう。その結果は,記録映像と比べて,見事な再現映像となっている(写真26)(写真27)


写真26 2003年の記録映像。RWは逆さ吊りで登場(上)。

写真27 写真26に対応する本作のシーン。衣装もマイクを持つ姿もそっくり。

 ■ 少し余談になるが,このネブワースの頃のRWの精神状態は最悪で,ステージ上でも妄想と自己嫌悪に陥る状態が曲の最中にも描かれている。観客がサルの姿に見えてしまうのは,嫌悪すべき過去の自分の姿のようだ(写真28)。悩めるステージ上のロビーは,彼らを惨殺する。CG描写ならではの面白い着想のシーンである。


写真28 ステージ上のRWは幻覚で, 観客席に過去の自分を見た

(D) RAHにおける父との“My Way”のデュエット
 映画のエンディングを飾るRAH公演は,まさに感動のクライマックスである。Royal Albert Hall of Arts and Sciencesは,ヴィクトリア女王の夫君のアルバート公を記念した1871年開業の歴史的建造物で,ロンドン中心部にあり,約8,000名の観客を収容できるという。日本の大相撲ロンドン公演もここで開催したらしい。時代は2003年のネブワース公演とは逆転しているが,RWの2001年公演を再現し,感動を呼ぶように少し脚色されているようだ。
 ■ 83m × 72mの楕円形の床に,高さ42mの偉容の建物であるが,勿論,外観も内部も既に精緻なCGデータがある(写真29)。本作で必要なのは内部だけであり,どのアングルからの撮影映像を使うかを予めシミュレーションした上で,歌唱シーンのプレビス映像を作っている。


写真29 (上)RAHの外観(実写),(下)RAHの内部(CG)

 ■ この撮影計画に基づき,歌唱シーンは1000人のエキストラを集めてメルボルンの撮影スタジオで収録された。RAHに見立てた装飾の上,メインカメラに他にMoCap情報を収録する多数のカメラが配置されたことは言うまでもない。ところがそれだけでは満足できず,約半年後に本物のRAHで2日間RWのコンサートを開催し,観客席の模様を追加撮影している。1階席でイブニング・ドレスを着用する観客には割引料金でチケットが購入できたという。
 ■ クライマックスは観客席にいる父親を呼び,ステージ上で“My Way”をデュエットするシーンである(写真30)。このシーンのロビーはJDが演じ,椅子に座って観客に語りかけるシーンはRW自身がMoCapスーツを着用して演じていたようだ(写真31)


写真30 観客に父ピーターを紹介し, 2人でMy Wayを歌う

写真31 RW本人も檀上でMoCapスーツを着て演じている。
メルボルンで撮影したので, 観客はエキストラ, ホールはCG。
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 ■ “My Way”の歌唱は,これまでに聴いた同曲の中で最も感動的なものだった。ホール・アンカがフランク・シナトラのために作った歌詞が,まるでこのシーンの父子のために書かれたかのように思えた。この歌唱中にも,観客席には若きの日のサルのRWの姿があった。こちらはネブワースのような憎しみの象徴ではなく,RWが歩んで来た過去を回顧する対象となっていた。まさに,My Wayである。当欄の読者なら,この映画を観ずに済ますことは出来ないはずだ。

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