O plus E VFX映画時評 2025年2月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
をつけています)
(2月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『ブルータリスト』(2月21日公開)
噂通りの大した映画だ。GG賞3部門受賞,オスカー10部門ノミネートだけのことはある。15分の休憩を挟み,前後半各100分という最近には珍しい上映方式である。監督・共同脚本・製作は,まだ36歳のブラディ・コーベット。俳優・声優から監督業に転じ,長編3作目である。2作目『ポップスター』(20年3・4月号)は気をてらった映画過ぎて感心しなかったが,本作には圧倒された。それをたった15億円の製作費で作ったという手腕に驚いた。
主人公はハンガリー系ユダヤ人のラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)で,第二次世界大戦時のホロコーストから生き延びたが,家族とは強制的に引き裂かれ,1947年に単身で米国NYにやって来る。出迎えてくれた従兄のアッティラ(アレッサンドロ・ニヴォラ)が営むペンシルベニア州の建具屋のオフィス内に寄宿する。実業家のハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)がラースローの天才的な建築家としての才能に惚れ込み,コミュニティセンターの建設や母を追悼する礼拝堂の建築を依頼する。極貧生活を送っていたラースローには,腕が発揮できる夢のような出来事であった。
第2部になって,映画のモードが一変する。ハリソンの手配でラースローの妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)と姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)が米国にやって来る。順調に思えた礼拝堂建築も事故で中止となり,数年後に工事は再開するが,またも問題だらけとなる。車椅子生活の妻との微妙な夫婦関係,薬物中毒になったラースローと作業員とのトラブル等々,多彩な内容が描かれ,息を呑む展開であった。
長さを感じさせない見事なストーリーテリングであるが,全体を振り返れば,150分程度に圧縮できる映画だと感じた。演出力の秀逸さは音楽にも表れていた。冒頭は当時のヒット曲が小さな音量で流れるだけだが,冗談音楽であるスパイク・ジョーンズ楽団の「ウィリアム・テル序曲」まで入っていたのに驚いた。第2部では静かなピアノ中心となるが,その一方,パーティ場面で流れる曲“You Are My Destiny”の使い方が圧巻だった。さらに,エンドソングは全く違う曲調になり,その後は全くの無音であることが映画を引き締めていた。
題名の「ブルータリスト」は,当時斬新だった素材を剥き出しにする建築様式「ブルータニズム」派の建築家を意味している。礼拝堂での十字架の見せ方も含め,相当実力のある建築家に思えたが,実在の人物ではなく,複数の人物の実績や性格を混ぜて描いたようだ。この人物を好きになれなかった。夢を抱いて米国に来ておきながら,自分のことは棚に上げ,恩人や米国社会を激しく批判し,挙句の果てはイスラエルに移ろうとする。A・ブロディは脚本通りに演じたに過ぎないが,彼も映画も嫌いになってしまう。そうした主人公の一面まで盛り込んだ監督の腕に感心すべきだと思うのだが……。
■『あの歌を憶えている』(2月21日公開)
原題は単なる『Memory』なのだが,この邦題からは,一体どんな歌なのだろうと気になった。中年の男女が見つめ合うポスターからは,ハートウォーミングなラブストーリーで,最後は心を癒される映画だと想像してしまう。ところが,監督・脚本がミシェル・フランコだと知って,少したじろいだ。『母という名の女』(18年Web専用#3)は「毒母」と言うべき母親を描いた強烈な映画で,『ニューオーダー』(22年5・6月号)は主人公が体験する地獄絵図が不愉快そのものの映画だったからだ。
本作の主人公は,13歳の娘アナ(ブルック・ティンバー)とNYのアパートに住むシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)で,ソーシャルワーカーとして働いていた。ある日,同窓会に参加した帰路,先ほどまで隣席にいた男が後を着けてくることに気付く。無視して自宅を施錠するが,男は朝までアパート前で蹲っていた。連絡先に電話すると男の弟アイザック(ジョシュ・チャールズ)が迎えに来た。男の名前はソール(ピーター・サースガード)で,若年性認知症による記憶障害があった。
その後,アイザックの娘サラ(エルシー・フィッシャー)から,昼間だけでも自宅に来て伯父ソールの面倒を見て欲しいと依頼される。当初は渋々引き受けたシルヴィアだったが,心優しいソールに惹かれ,2人の仲は急接近する。2人が寄り添って寝ているところをサラに見られる。さらにソールがシルヴィアの家に宿泊したことからアイザックが激怒して,シルヴィアは解雇され,ソールは自宅に軟禁状態になる……。
それだけなら障害をもつ兄の恋愛を弟が引き裂く物語であるが,シルヴィア側にも複雑な過去があった。12歳の時に男子生徒達から性的暴行を受け,さらに幼女時代からのトラウマには重大な原因があるようだ。縁を切った母親サマンサ(ジェシカ・パーパー)との再会時に,シルヴィアの感情が爆発する。前2作ほどではないが,本作でもこの監督が描く家族の物語は強烈だった。やはり一筋縄では行かないドラマしか描かない。
待ち望んでいた曲は,ソールが「亡き妻が好きだった」と語るProcol Harumの“A Whiter Shade of Pale”(邦題「青い影」)で,後半に何度か流れる。1967年にヒットした名曲中の名曲であるが,歌が入っていたことをすっかり忘れていた。それほど演奏に一体化した神聖な楽曲であった。エンドロールで再度流れるこの曲の直前は,間違いなく観客が心を癒されるシーンで,オスカー女優J・チャステインの名演技が光っていた。
■『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(2月21日公開)
来たる第96回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門のノミネート作品である。既にベルリン国際映画祭の同賞&観客賞を始め,世界中で60以上の受賞を果たしている話題作だ。この題名からは,どこが故郷なのかが気になる。イスラエルに隣接したパレスチナ人居住区と言えば,世界の耳目が集まるガザ地区だと思うだろうが,イスラエルを挟んだ逆の東側の「ヨルダン川西岸地区」である。当欄でかつてこの地区に触れたのは,『テルアビブ・オン・ファイア』(19年11・12月号)だけだった。同作はブラックユーモアを交えながらパレスチナが直面する問題を描いたコメディであったが,本作はもっとストレートに深刻な状況を伝えるドキュメンタリーである。面積はガザよりかなり広いが,イスラエルの破壊行為と占領が進んでいる。
映像記録の対象と拠点となっているのは,同地区内の「マサーフェル・ヤッタ」である。地図で見ると,西岸地区の南端の国境沿いにある村だ。同地で生まれ育ったバーセル・アドラーは,イスラエル軍の侵略を幼い頃からカメラに収めて世界に発信してきた。この映画は,2019年の住民1千人の追放から始まる。彼らが1900年以来住んできた土地であるというのに,イスラエル軍はここを軍の訓練地域にしようとしていた。そのために,粗末で住むのもやっとの貧しい家を次々と破壊し,更地にして行く。個人の住宅だけでなく,小学校やライフラインまでも破壊する。彼らはカメラのバッテリー充電もままならない生活環境なのに,哀れで見るに耐えない強制執行の模様が何度も続く。軍の兵士にすれば上層部から命令に過ぎないのだろうが,人道的に考えれば,血が通った人間がやれる行為ではない。
国際政治問題は迂闊に発言できないが,常識的に考えれば,イスラエル政府の軍への指示は蛮行であり,それを支持する米国政府の態度は国際条約違反である。イスラエル人青年のユヴァル・アブラハームがバーゼルの行動に興味をもち,協力を申し出る。彼が自国政府の非人道行為に抗議し,敵味方の壁を越えて共同作業を続けている。何が正しい行為なのかはこれで明らかだ。
正直言って,この映画は面白くなかった。見続けているのが苦痛だった。同じような犠牲者の記録が,2024年10月のハマスのイスラエル攻撃,イスラエル軍のガザへの逆襲まで続く。それ以上,撮影を続けられなくなったからに過ぎない。娯楽映画ではないのだから,2人の青年(カメラマンを入れると4人)の決死の行動記録に,映画としての面白さを求めるのは筋違いである。
本稿を読まれた読者は,映画館に観に行く余裕がなければ,せめて予告編だけでも見て,こういう映画があることを口コミで知人に伝えてもらいたい。この映画は,てっきりパレスチナ人医師の活動を描いた『私は憎まない』(24年10月号)の「ユナイテッドピープル」の配給だと思っていたが,娯楽作品も配給する「トランスフォーマー」からの公開であった。そして,本日この記事を書いている途中に「ユナイテッドピープル」からのメールニュースが届いた。驚いたことに,自社配給作品ではないのに,本作の視聴を勧めているではないか! 同じ日本人同士であるから,バーセルとユヴァルの友情ほどではないにせよ,本作の存在を知った以上,その意義を伝えて行くのがあるべき行動だと思う。
■『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』(2月21日公開)
同じ2月21日公開で視聴機会のある映画が多数あり,数本は見送らざるを得なかった。そんな中で本作を残したのは,一重に上記の次に語りたかったからである。こちらの被写体は副題通り,ロシアの侵攻で今も苦しむウクライナである。その惨状を報じた映画も多数あるが,本作は戦争に巻き込まれた動物たちの命を救うために奔走する人々の活動を描いたドキュメンタリーである。製作・監督は山田あかね。元はTVディレクターで,東日本大震災で置き去りにされた動物の保護を取材したことから,動物保護問題に本格的に取り組んでいる人物である。飼い主のいない犬と猫の医療費支援団体「ハナコプロジェクト」の創設者の1人であり,当映画評では動物保護サークルがテーマの『犬部!』(21年7・8月号)の脚本担当として言及している。
ロシアの侵攻から38日目の2022年4月2日,彼女はウクライナとの国境近くにあるポーランドのメディカに到着し,同地の動物愛護団体で状況説明を受けることから始まる。何度か日本との間を往復し,約3年間に撮影した映像を中心に,戦禍での動物シェルターの実情や欧州各国からの支援を描いている。大半は現地通訳とカメラマンと彼女の3人での行動だが,完成映像のナレーターは東出昌大が務めている。
最も衝撃的な出来事は,ロシア軍に封鎖され,キーウ州ボロディアンカのシェルターが置き去りにされたため,閉じ込められた犬485匹の内,222匹が落命したことである。人間の死者はもっと多数だと言われればそれまでだが,動物たちの死骸の映像を見るのも辛い。誰もが「プーチンが憎い」と語る映像には,同意するしかない。この映画に関しても,悲惨な状況を描いたシーンは余り紹介したくないし,思い出したくもない。
この映画で学んだのは,欧州各国からの人々の支援と連携の強さである。犬たちのエサ代の寄付は元より,ケージ,首からぶら下げるアニマルID,体内に埋め込むICチップ等は無料で提供されている。2006年創立のケンタウルス財団が発行する動物パスポートは,検疫証明書があれば,EU内移動の自由を保証しているという。日本にも動物愛護団体や動物シェルターは多数あるはずだが,結束力,連帯力は欧州には敵わないと感じた。
映画中には動物愛護関係者が多数登場するが,英国の動物救助隊「BREAKING THE CHAINS」代表のトムは特に印象的だった。彼はウクライナで活動していたが,ある日居所不明で姿が見えなくなる。ようやく連絡が取れた彼は,ガザ地区で動物たちの治療やワクチン接種を行っていた。彼の「命を救うことは,戦うことよりも勇気がいる」という言葉には重みがある。そして,この映画を締め括る「小さな命を犠牲にしないという覚悟が,戦争という大きな暴力に対する揺るぎない意義のあるレジスタンス」という言葉に,誰もが賛同するはずだ。。
■『ゆきてかへらぬ』(2月21日公開)
主演は広瀬すず。文芸調の古風な題名で,配給会社の力の入れ方から,かなりの力作だと予想できた。かつて鈴木清順とコンビを組んだ名脚本家・田中陽造(現在,85歳)の作で,業界人が熱望した「幻の企画」がようやく実現した。監督は『遠雷』(81)『雪に願うこと』(05)の名匠・根岸吉太郎で,『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(09)以来,16年ぶりのタッグである。彼にとってはそれ以来の監督作,脚本家にとっても『最後の忠臣蔵』(10年12月号)から15年ぶりの映画脚本という曰く付きだ。
映画は1924年(大正13年)の雨の京都から始まる。まず広瀬すず演じる長谷川泰子が2階の部屋から屋根の上に出て柿を拾い,続いて彼女が路地に出たところに,赤い蛇の目傘をさした詩人・中原中也(木戸大聖)が通りかかる。これが2人の出会いで,見事に詩的な冒頭シーンだった。こんな屋根瓦と石畳の路地など現存せず,大型セットを組んだ美術班の気合いが伝わって来た。
後の天才詩人の中原はまだ17歳の学生,泰子はマキノ映画の大部屋女優で3歳年上だった。この日から2人の同居生活が始まる。翌年彼らが東京に居を移した後に,中原の才能を高く評価する文芸評論家・小林秀雄(岡田将生)が不意に2人の自宅にやって来る。3人での交流の中で,小林も泰子に恋心を抱くようになり,2人に愛された泰子は,中原と別れ,小林と同棲する決意をする。その後もずっとこの3人の奇妙な三角関係が続く……。
「長谷川泰子」なる名前は知らなかったのでフィクションかと思ったが,実在の女優だった。中原と泰子の愛人関係,それが破綻して小林との同棲,潔癖症の泰子は神経病(精神疾患とは言及されていない)に苦しみ,中原は結婚後に脳膜炎で死亡する。これらはすべて史実であった。この3人中心の物語だが,その他は中原の先輩・富永太郎(田仲俊介)が少し絡む程度である。
試写を観ながら,この古風で奇妙な映画が興行的に成功するには,次の3条件を満足する必要があると感じた。①広瀬すず(現在26歳)の大人の女優への脱皮,②大正から昭和初期を描く映画での美術セットの出来映え,③一般観客の中原中也,小林秀雄の理解度,である。
①『流浪の月』(22年Web専用#3)はその転機の1作だったが,松阪桃李の演技力ばかりが目立った。『水は海に向かって流れる』(23)は完全に失敗作だった。本作でも大袈裟な演技で,固さも目立ち,監督の演出について行けない感じだった。ところが,時計の音に過剰反応する辺りから,ぐんぐん良くなる。完全に順撮りだったようで,難役であることを考慮すれば,十分合格点である。
②描かれることが少なく,再現が難しい時代だが,衣装,小道具,セットの全てが秀逸だった。けん玉はまだしも,花札,調理道具,射的等々は,小細工過剰に感じた。市電(まだ都電ではない)の走行,メリーゴーランド,火葬場の煙突からの煙等を,どうやって描いたのか感心したが,一部はCG/VFXの産物かと思われる。
③団塊の世代には,文芸評論家・作家として小林秀雄の力量・知名度は抜群で,学生時代は少し背伸びをして彼の著作に挑戦した。一方,1937年に没した中原中也は既に過去の人であり,著名な詩人の1人との認識だけだった。若い世代の一般観客向きには,格調高さをキープしつつ,物語をシンプルにし,主人公たちの人生観,恋愛観を理解できるよう噛み砕く必要があると感じた。もっとも,アクション漫画「文豪ストレイドッグス」で,中原中也は太宰治と戦うキャラクターであり,黒い帽子,黒いマント姿で登場する。本作の冒頭もまさにその恰好なので,それがウケるだけで十分なのかも知れない。
■『銀幕の夜』(2月21日公開)
題名だけで,映画自体がテーマの映画だと分かる。試写案内が届いて上映時間を見たら,たった24分だった。内容以前に,他作品との併映でなく,この短編だけで普通の長編と同じ入場料を取るのかが気になった。同じだとしたら,余程中身に価値がある短編でないと割が合わない。オンライン試写もあったので,それなら出かけずに,その価値ある短編映画を観られるのかと,早速申し込んだ。
中国映画で,監督・脚本はチャン・ダーレイ。この監督の作品を見るのか初めてだ。男性主人公は,ワン・イーボー(王一博)。『無名』(24年5月号)で,日本軍が中国国民党に送り込んだダブルスパイを演じていた準主役の若手俳優である。その後,主演の『熱烈』(23),トリプル主演の『FPU ~若き勇者たち~』(24)はいずれも日本で公開され,いま最も注目集める中国人男優である。それもあって,短編も劇場公開となったのだろう。ただし,本作は上記3作より前の2022年製作であるから,まだ人気が沸騰する前の主演作である。
時代は1990年10月8日,北京で開催された第11回アジア競技大会の閉幕式の翌日である。舞台はある地方都市で,大会のマスコットの大きなパンダ人形像の片づけが行われていた。映画会社の受付で働く女性シャオ・ジョウは,夜の映画観賞会の入場券を社員に手渡していた。そこにやって来たのは旅から帰って来た内気な詩人のリー・モーで,友人が昼休みで不在だったため,シャオと言葉を交わす。夜になると,シャオが受付をする会場にリーがやって来て,尋ねもしないのに「友人にチケットを貰った」と話しかける。短編でこれ以上語るとネタバレになるので,ここから先は観賞後に読んで頂きたい。この後2人はどうなるのか,館内ではどんな映画が上映されていたのかは,読者の想像にお任せする。
正直なところ「あれっ,もう終わるのか」の思いだった。24分の短編なのに予告編があったが,余り情報量は変わらない。監督は「1990年代に連れ戻したかった。映画を見ることが共同体験だった時代で,仲間意識を育むことができた」と発言している。原題の『我的朋友』や英題の『All Tomorrow’s Parties』にも,その思いが込められている。それをオンライン試写で観るとは,邪道中の邪道とお叱りを受けそうだ。ただし,予告編に「あの人はそよ風のように私の前に現れた」「そして,また新たな出会いが訪れる」が入り,ポスターに「あの人はささやかなぬくもりを私にくれました」とまで書かれているのは,この通りに感じろとのお節介に思えた。
以下は,筆者の邪推である。受付女性のシャオを演じていたのはジョウ・シュン(周迅)で,中国の四大人気女優の1人である。当欄で過去に紹介した『ウィンター・ソングック!』(06年11月号)『女帝[エンペラー]』(07年6月号)『孔子の教え』(11年11月号)『クラウド アトラス』(13年3月号),そして上記『無名』の5本に出演していた。この経歴から分かるように,実年齢は50歳で,王一博よりも23歳も年長である。日本で言えば,横浜流星の恋人役に内田有紀か米倉涼子を起用するようなものだ。いくら美形とはいえ,親子ほど年の差がある2人をこれから結ばれる恋人同士のように描くのは,詐欺に近い。こうした魔法が使えるのが映画だと,監督は示したかったのかも知れない。
■『ニッケル・ボーイズ』(2月27日配信開始)
今年のアカデミー賞の作品賞&脚色賞のノミネート作品である。2部門ノミネートは,作品賞候補作10本の中では最低数だ。1960年代の米国の少年院で黒人少年が受けた虐待を描いた映画であるから,典型的なブラックムービーである。本作が作品賞部門,『シンシン SING SING』(4月号掲載予定)が主演男優賞部門にノミネートされたのは,多様性をアピールするために意図的にブラックムービーを1本ずつ入れたのではと想像した。
その一方,製作側は昨年10月から北米と欧州での20弱の映画祭に出品した後に,12月にNYとLAの映画館で期間限定上映を行っている。それ自体はアカデミー賞対象となるための常套手段であるが,授賞式の前週に全世界にAmazon Primeから配信開始という方法と時期を選んだことは注目に値する。受賞が目当てなのではなく,最終候補作になり,世界中の人々にこの映画の内容を意識させることが目的なのだと感じられた。それだけの自信作であり,目論見通りにノミネートされたのは,それに値する出来映えだったのだと解釈した。
その前提で配信開始日に観たのだが,アメリカの負の遺産を正面から取り上げた良作であった。原作は2019年に出版されたコルソン・ホワイトヘッド著の同名小説である。ピューリッツァー賞を始め,多数の文学賞を受賞しているが,本作は映像作品ならでは巧みな演出手法を駆使して,訴求力の高い作品に仕上げている。監督・脚本はドキュメンタリー分野出身のラメル・ロスで,本作は極めてドキュメンタリー性が高い劇映画である。
舞台となるのは1960年代後半のフロリダ州の田舎町タラハシーで,同州では「ジム・クロウ法」なる人種差別を容認した悪法が罷り通っていた。本格的物語が始まる前に,時代背景が分かるTVニュースや市中で黒人住民が虐待を受けている映像が流れる。手や腕の肌の色を強調して見せるシーンも頻出する。主人公は愛情豊かな祖母(アーンジャニュー・エリス=テイラー)に育てられた高校生のエルウッド・カーティス(イーサン・ヘリス)で公民権運動の成り行きに興味をもっていた。成績優秀の彼は担任教師から,授業料無償の大学に進学することを勧められる。同校に入学のために歩いている時,通りがかった車に同乗を勧められた。これが盗難車であったため共犯者扱いで逮捕され,未成年の彼は更生施設「ニッケル校」に強制入学させられてしまう。まともな教育を受けられるのは白人だけで,黒人少年たちは強制労働,虐待の対象であり,従わないと処刑されていた。
そんな中,エルウッドはヒューストン出身のターナー(ブランドン・ウィルソン)と親友になる。何事にも冷静沈着な彼に導かれ,施設管理者に逆らわず,期間満了を待っていた。ところが,ある出来事からエルウッドが抹殺されると察知したターナーは,彼を伴い,準備していた自転車での脱走を敢行する。果たして2人は,無事に生きて自由な世界に戻れるのか……。
気ぜわしいハイテンポの映画が多い中で,極めてゆったりとしたペースで進行する映画であった。このまま虐待と不法行為だけ描いて終るのかと思ったら,脱走以降の展開と結末に驚いた。すべて計算づくの凄い映画だ。
この映画の演出には大きな特徴が2つあった。1つはキング牧師の演説,シドニー・ポワチエ主演の映画,公民権運動のデモ行進等の映像の他に,ワニが路上を闊歩する姿,アポロ8号の打上げから帰還までの推移がモンタージュ的に何度も劇中で登場する。さらに,フラッシュフォーワード方式で,1988年にエルウッドは引っ越し会社の経営者となっているシーンが何度か出て来る。
もう1つは,徹底して1人称視点の映像であることだ。当人の手足と時々後頭部だけ見える映像だったので,最後までエルウッドの顔は見せないのかと思ったが,途中からターナー視点の映像も加わる。即ち,2人のいずれかの視点の映像だけで構成されている。この演出手法を採用した理由は,すべて最後に明らかになる。
物語終了後に延々と流れる史実の映像も衝撃であった。「ニッケル校」は仮名であるが,更生施設は実在していて,跡地から多数の白骨死体が見つかっている。ワニに食べさせたと暗示する画像も出て来る。Elwood Curtisは実在の人物のようだが,「アポロ8号」を登場させた意味は分からなかった。初めて月の裏側を見て地球に帰還させる有人宇宙計画であったので,「更生施設の裏側」を意味しているのか,「無事帰還」を強調しているのか……。ともあれ,一見に値する映画であるので,受賞の有無に関わらず,この映画を是非観て頂きたい。
■『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(2月28日公開)
とにかく嬉しくなる映画,ワクワクする映画であった。それは同時代に生き,フォークに傾倒し,反戦歌を共に歌い続けた団塊の世代ゆえの想いである。米国のベビーブーマーも同じ感慨に浸るに違いない。伝記映画で,その主人公はシンガー・ソングライターのボブ・ディラン。今や世界中で名前を知らない人を探すのが難しいくらいだ。ただし,ノーベル文学賞受賞者に相応しい教養と詩的な香りを期待したら外れる。描かれているのは,1961年f冬〜65年夏の4年半だけだからだ。題名通り,無名の駆け出し時代から人気歌手になるまでの苦闘を描いているかといえば,それも違う。映画が始まり,前半の内に人気歌手になっている。それでも,日本ではラジオで聴き,音楽雑誌で写真を見るしか情報がなかった時代,生々しい米国の音楽界の出来事が描かれているだけでも嬉しかった。
19歳のボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)が,ギター1つを抱えて故郷のミネソタからNYにやって来たところから物語は始まる。酒場で憧れのウディ・ガズリーが重病で入院していることを知ったボブは,早速病床を見舞う。病室には既にフォーク界の大御所であったピート・シーガー(エドワード・ノートン)が居た。2人の前で,「ウディに捧げる歌」を歌ったことから,その才能の豊かさが認められ,ピートの自宅に寄宿することになる。
ピートの計らいでレコード会社に紹介され,ステージ上では既に人気歌手であったジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)とのデュットが観衆を魅了し,たちまち人気が沸騰する。恋人シルヴィ(エル・ファニング)との同棲生活も始まった。ベトナム戦争反対の波が押し寄せ,反戦歌を歌うボブは,「フォーク界のプリンス」「若者の代弁者」に祭り上げられる。その一方で,フォークの定番曲を求められるボブには,自作曲を歌えない不満が募る。ボブとバエズとの男女関係に嫉妬したジョディは彼の元を去って行く。そして,1965年のニューポートでのフォークの祭典で,エレキバンドを帯同して登場して歌い出したボブの新曲に観客は罵声を浴びせかけ,会場は大混乱に陥る……。
監督・脚本は,『フォードvsフェラーリ』(19年Web専用#6)『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(23年6月号)のジェームズ・マンゴールド。ジョニー・キャッシュの伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(05)も撮っているので,音楽映画の経験もある。ただし,主演がT・シャラメと知った時には,イメージが合わなかった。偏屈男のボブ・ディランを演じるには,素直なイケメン俳優すぎる。J・バエズ役のM・バルバロもしかりで,美男美女のカップルだ。歌,歌,歌の音楽映画となると,オースティン・バトラー主演の『エルヴィス』(22年Web専用#4)と同様,T・シャラメは口パクで,映画では本人の歌唱に置き換えられているのだと思った。ところが,試写の前にサントラ盤音源を聴いて,ぶっ飛んだ。シャラメ自身の歌唱で,しかもボブ・ディランそのものではないか! いや,初期のディランよりも歌唱力は上で,その上,本物そっくりの歌い方にしている。しかもアフレコではなく,俳優全員の歌唱は生録したという。フォークからロックに転身するボブ・ディランの反骨精神,自らの主義主張と音楽性を追求し続けた男の人生が,1965年に決まったことを見事に描いている。音楽映画としても大成功である。
本作はアカデミー賞に8部門ノミネートされたが,何部門受賞できそうかは「第97回アカデミー賞の予想」を,1960年代の音楽シーンとボブ・ディランの位置づけについては,別項の「サントラ盤ガイド」をご覧頂きたい。
■『プロジェクト・サイレンス』(2月28日公開)
韓国映画が2本続く。まずは,パニック&サバイバル映画からだ。深い霧の夜,空港に向かうハイウエイ上で起きた凄まじい多重衝突事故が原因で,その道路上で生じるパニック状態を描いている。中堅監督のキム・テゴンは当欄では初めてたが,『新感染 ファイナル・エクスプレス』(17年9月号)の脚本家パク・ジュスクと『神と共に』(19年5・6月号)の監督キム・ヨンファが共同脚本というので,どんな物語になるのか楽しみだった。
主人公のジョンウォン(イ・ソンギュン)は国家安保室の行政官で,次期大統領候補の側近として,選挙対策のためには手段を選ばない非情な男だ。海外留学する娘ギョンミンを見送るため,自ら運転して空港に向かっていた。生憎の悪天候で,空港の周りは霧が立ち込め,僅か先までしか見えなかった。そんな中で暴走運転車が接触事故を起こし、後続車数十台が次々と玉突き衝突となる。空港大橋上は完全にパンク状態となった。さらにタンクローリーの横転により有毒ガスが蔓延し,救助のヘリコプターも墜落する。その爆発の影響で橋の一部は崩落してしまう。そんな中で,政府が秘密裏に開発していた獰猛で攻撃性の高い多数の犬が逃げ出し,人々を襲う。それを隠蔽しようとした関係者が妨害電波で通信を遮断したため,橋上からの携帯電話もインターネット通信も通じなくなってしまった。孤立状態になった116人は,果たして生きて帰ることができるのか……。
題名の「プロジェクト・サイレンス」は,声と臭いで相手を識別し,噛み殺す実験動物を生み出す秘密計画の名称である。当初は救助犬のつもりが,軍がテロリスト対策用に変更してしまった。最初の成功例E9が「エコー」なるリーダーで,他の多数はそのクローンというSF映画的な設定である。それに見合うように,360度を海に囲まれた空港を始め,それに通じる空港大橋,ヘリの墜落,橋の崩落,人を襲う犬たち等々はCG/VFXで描かれていた。濃霧はシーンのVFX加工,玉突き衝突の大半もトリック撮影だろう。CG/VFXシーンの多用によって,パニック映画のスケールが向上していたが,肝心の実験動物「エコー」が魅力的ではなかった。今やネット上で犬や猫の無料CGデータが転がっている時代に,この獰猛犬のデザインが今イチであった。
パニック状態からのサバイバルを描くヒューマンドラマが平凡だった。政治的背景からの発言も多いが,いずれも薄っぺらでリアリティが低い。複数組の家族が登場する群像劇はパニック映画の定番であるが,どの組も中途半端な描写で掘り下げ方が足りない。前半が大混乱の演出の割には,後半の窮地を脱する部分のサスペンス度が低かった。ハリウッド大作なら,そこでもっと盛り上がるはずだ。面白い題材であったのに,詰め込み過ぎが仇となっていると感じた。残念だ。今月はアカデミー賞ノミネート作が多かったため,それに比べると相対的に厳しい評価となってしまった。
■『リボルバー』(2月28日公開)
韓国映画の2本目は,元女性刑事の復讐譚である。ある汚職事件の罪を1人で被り,2年間の刑期を終えて出所したが,見返りが得られはずの約束は反故にされていた。すべてを失った彼女は裏切り者を見つけ,復讐を果たすために決死の闘いに向かう…。たったこれだけのシンプルな物語展開である。上記の詰め込み過ぎの『プロジェクト…』とは大違いで,製作費もかなり低予算である。監督オ・スンウク,主演女優のチョン・ドヨンのいずれもこれまで縁がなかった。
もう少し詳しく展開を追う。映画は主人公のハ・スヨンの出所シーンから始まる。警察内の麻薬絡みの汚職スキャンダルの罪を認めれば,執行猶予がつくはずが,実刑判決で収監されてしまった。服役の見返りとして,7億ウォンの現金とタワーマンションの一室が与えられる約束だったが,入居予定の部屋は聞き覚えのない女性名義に変わっていた。スヨンの元上司で不倫相手であったイム・ソギョン捜査課長(イ・ジョンジェ)は,2ヵ月前に不可解な拳銃自殺を遂げていた。裏切り者は警察と癒着していたイースタン・プロミス社だと思われたので,その資金洗浄を行っていた実業家実業家のチョ社長(チョン・マンシク),元同僚の若手刑事ドンホ(キム・ジュンハン)に接触するが,「手に負える相手ではない。二度と顔を出すな」と一蹴される。途方に暮れたスヨンは先輩刑事のヒギョン(チョン・ジェヨン)から一丁のリボルバーと伸縮式の警棒を譲り受け,罪を負うことを持ちかけたイースタン社のアンディ(チ・チャンウク)の居場所を探す……。
復讐ノワールというべきジャンルなので,当然,陰謀と裏切り,何人かが落命する激しい銃撃戦,生け捕りになって受ける激しい拷問等を期待したのだが,極めて淡泊だった。大きなアクションシーンもない。武器として登場するのは,拳銃二丁と警棒と金属バットだけで,警棒がこれだけ活躍する映画も珍しい。スヨンはアンディを痛めつける程度で,当初約束の金額以上を求めない。そもそも登場人物が少なく,主人公も韓国映画の主演女優にしては,少し年配で美形とは言い難かった。
そんな貧相な映画でありながら,思わず真剣に観てしまった。主演のチョン・ドヨンは,現在52歳。若い頃は美人で,韓国では名のある女優らしいが,多数の映画賞を得ていたのは1990〜2000年代だったようだ。結婚・出産後に復帰し,演技派に転じている。本作では,寡黙で渋い演技の彼女のアップの映像が多く,不幸なスヨンに同情しながら,物語の展開を見守る観客が多かったのかと思われる。装飾過多の大作よりも,主人公に感情移入できる脚本の方が大事だと感じた映画であった。
■『ANORA アノーラ』(2月28日公開)
2月号のトリは本作だと決めていた。アカデミー賞6部門ノミネート作だが,マスコミ試写の機会がなく,公開日の夕刻に映画館で観ざるを得なかったからである。年間多数の映画を観ていると,概要と予告編だけで当欄の嗜好と合うかどうかは大抵分かるのだが,本作はそれが見事に外れた。その失敗談も含めた紹介としよう。
今年の有力候補には監督の手腕は評価しつつも,個人的には好きになれない映画が多かった(その典型は上記の『ブルータリスト』)。予想記事の第一報では,本作を「余り好きでない方に入りそう」と書いてしまった。その根拠の第一は,カンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作であることだ。愛読者ならお分かりのように,当欄の高評価とカンヌの受賞作の相関は極めて低い。斜に構えた審査員が好む,主義主張の強い映画が選ばれることが多いからだ。本作の主人公はセックスワーカーの女性である。監督・脚本のショーン・ベイカーは『レッド・ロケット』(23年4月号)を始め,アダルト業界人が登場する映画を多数撮っている。それがカンヌのお眼鏡にかなったということは,「性産業の犠牲者の味方」ぶった映画になっているのではないかと。予告編には,主人公が暴力を受け,絶叫するシーンも含まれていた。きっとロシアンマフィアや薬物取引まで登場するに違いないと推測し,嫌悪感を感じる方に分類してしまった。
主人公のアノーラ,愛称アニー(マイキー・マディソン)はNYのクラブで働く23歳のストリップダンサーだ。ロシア語が少し話せることから,ロシア新興財閥の御曹司イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)の相手を務め,早速関係をもつ。すっかり気に入られ,出張サービス(自宅での肉体関係),1週間の専属契約へと発展する。その勢いでイヴァンはアニーに求婚し,ラスベガスの教会で結婚してしまう。ここまでは『プリティ・ウーマン』(90)のシンデレラ・ストーリーを彷彿とさせた。
その報告を受けたロシア在住の両親は激怒し,自家用機でNYに飛んでくる。それまでに結婚破棄手続きを進めるよう厳命を受けた息子の世話係のトロス(カレン・カラグリアン)は,早速屈強な手下のガルニク(ヴァチェ・トヴマシアン)とイゴール(ユーリー・ボリソフ)を自宅に向わせた。ところが,イヴァンはアニーをおいて逃げ出してしまい,アニーは離婚を拒否して暴れまくる(これが予告編のシーンだ)。両親の到着が迫る中,4人は行方不明のイヴァンを一晩中探し回る。果たして,アニーは念願の妻の座を守れるのか……。
前半はセックスシーンの連続で,いくらR18指定とはいえ,少しやり過ぎだ。アニーが結婚破棄を迫られる辺りからコメディタッチが強くなり,心地よくなる。とりわけ,3人組の性格の描き分けが見事だった。特にトロスの自己保身の言い訳が笑いを誘い,終盤に最近の若者の行動をこき下ろす発言は小気味よかった。なるほど見事な快作である。そう言えば,カンヌのパルムドール(最高賞)受賞作には,『パラサイト 半地下の家族』(19年Web専用#6)のような大衆受けする佳作もあったなと思い出した。その意味では,本作の作品賞,監督賞でのオスカー受賞も大いに可能性がある。
という風に,映画館を出る頃には豹変して,本作の応援側に回った次第である。褒めてばかりも沽券に関わるので,少し難点も指摘しておこう。性交シーンの量はここまでである必要はないし,ラストシーンは安直で軟弱過ぎる。リアリティを感じなかったのは,アニーの描き方である。本物のセックスワーカーであれば,こんなバカ息子の嫁になってロシアに行くことはなく,さっさともっと多額の手切れ金を要求して別れることを選ぶだろう。ロシアまで行ったなら,きっと闇の手で抹殺されてしまうに違いない。いっそ,その危機が迫る中での救出劇にした方がもっと大衆受けしたかと思う。
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