O plus E VFX映画時評 2024年5月号
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
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7年ぶりの新作がやって来た。このフランチャイズでの10作目,前3部作の続編として4作目に当たる。公式サイトには「完全新作」と書かれている。それを忖度してか,主要映画雑誌や映画紹介サイトもこの言葉を踏襲している。その正確な意味は理解できなかったが,本作の冒頭を観れば,前3部作の正統な続編であることは明らかだ。ただし,時代設定で300年後と少し間が空いているので,一区切り入っているという印象を与えようとしたのかも知れない。まだ公式表明されていないが,エンディングを観れば,続編が作られることは確実と思われる。結論を先に言えば,新シリーズの幕開けを飾るに相応しい意欲作であると感じた。
過去作を振り返ろう。既に何度も述べたように,第1作『猿の惑星』(68)は,フランス人作家ピエール・ブールが1963年に発表した同名SF小説の映画化作品であるが,原作の結末を大胆に変更したラストシーンが衝撃を与えた。猿顔の特殊メイクも好評で,SF映画史に残る名作とされている。1973年までに続編4作が製作されたが,低予算に比例して,見事なまでの駄作揃いだった。それでも結構興行収益を上げたのだから,始末が悪い。
当欄が紹介し始めたのは,ティム・バートン監督のリメイク作『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(01年8月号)からである。監督は「リ・イマジネーション(再創造)」だと主張していたが,およそそうは感じられない凡作で,ラジー賞の「最低リメイク賞」を受賞した。鬼才T・バートンの汚点とも言われている。せいぜい特殊メイクが改良された程度で,CG/VFX的にも見どころはなかった。
一転して,猿をすべてCG描画したリブート3部作はVFX史に残る良作であった。『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(11年10月号)『同:新世紀(ライジング)』(14年10月号)『同:聖戦記(グレート・ウォー)』(17年10月号)の3作に対して,当欄は高評価を与えている。前2作は,オスカーは逃したものの,アカデミー賞視覚効果賞部門にノミネートされていた。
シリーズものに関して言えば,昔から邦画各社は『旗本退屈男』『座頭市』『ゴジラ』『男はつらいよ』等々の長寿シリーズを製作していたが,ハリウッド映画ではそう多くない。現在まで続いているのは,「007シリーズ」(第1作は『007は殺しの番号』(62))が最長で,本シリーズが2番目だろう。第1作は『スター・ウォーズ』(77)『エイリアン』(79)よりもかなり前なので,SF映画では最古のフランチャイズだと言える。単なる宇宙映画,アクション映画ではなく,猿と人間の関係は,人間の醜さ,社会制度を皮肉ったパロディとなっていて,人類社会への警鐘的側面を色濃く打ち出していた。前3部作は,人類絶滅の危機を,定番の核戦争ではなく,ウイルスによるパンデミックにするなど,時代を先取りした企画になっていた。遺伝子工学の進歩も積極的に反映していた。この挑戦が今後も続くことを期待し,本稿では過去作での描写を整理した上で,本作を論評することにした。
最近の日本語字幕では,「Ape」のカタカナ表記「エイプ」が使われているが,本稿では単に「猿」と表記する。チンパンジー,オランウータン,ゴリラ等の類人猿の総称であり,いかに退化していても人間はそれに含まない。
●A-1『猿の惑星』 1968年
[時代&場所設定]宇宙船リバティ1号の地球発は1972年,船内での半年後の地球時間表示は2673年,惑星への不時着時には3978年だ。目的地は320光年離れたオリオン座の恒星周辺の惑星の予定だったが,ラストで地球であったことが判明する(原作とは違う)。
[人間の能力とその描写]猿との立場が逆転し,人間の知能は退化し,言葉は話せない。着衣は最低限で,原始生活を送っている。宇宙船で来たテイラー大佐だけが例外だ。
[猿の能力とその描写]人間を支配している。言葉を話し,文字も読み書きできる。医療技術はあり,人間の去勢や脳手術はできる。馬に乗れ,馬車はあるが,自動車や飛行機はない。銃はあるが,その他の機械類は見かけない。教会,法廷,研究所はあり,チンパンジーのコーネリアスは考古学者,婚約者のジーラは動物心理学者。行政官は主にオランウータン,ゴリラは傭兵。
●A-2『続・猿の惑星』 1970年
[時代&場所設定]1号の航跡を追って,リバティ2号も同じ惑星(即ち,地球)に着陸する。これは地球時間の3955年(それだと,ブレント少佐はテイラー大佐に会えないはずだが,この表記だった)。
[人間の能力とその描写]地表の人間はA-1と同じ。NYの地下に,放射能でミュータント化した人類が生存している。幻覚で他者を操って,苦痛を与えることができる。強力なコバルト核爆弾を開発。テイラー大佐がそのスイッチを押して,地球は消滅する。
[猿の能力とその描写]A-1と同じ。
●A-3『新・猿の惑星』 1971年
[時代&場所設定]天才マイロ博士が水没していた1号を引き揚げて修理し,コーネリアスとジーラを伴って,爆発直前に惑星を脱出。爆発の衝撃でタイムワープし,1973年の地球の南カリフォルニアの海に到着。その後の物語はLA市内が舞台。惑星発は3955年のはずだが,ジーラが喚問時に3950年頃と答えたため,A-3以降では,3950年の世界からの到来と扱われている。
[人間の能力とその描写]大統領を含み,米国人しか登場しない。映画公開年に近い時代設定のため,市中の様子は当時の風俗そのもの。政治家,弁護士,軍人等,様々な人間が登場する。
[猿の能力とその描写]未来のA-2から来たチンパンジー3体だが,いずれも学者で知能は高い。最初は宇宙服だが,すぐに持参した衣類に着替える。マイロ博士は野性のゴリラに殺される。コーネリアスとジーラは国賓扱いを受けるが,やがて未来を怖れた人間たちに殺される。妊娠していたジーラの子供(マイロと命名)は,出産後にサーカスに匿われ,言葉を発する。
●A-4『猿の惑星・征服』 1972年
[時代&場所設定]18年後の1991年。北米の大都市だが,場所は不明。
[人間の能力とその描写]サーカス団のアーマンドがマイロの保護者だったが,転落死する。最高権力者はブレック知事で「言葉を話す猿」を抹殺しようとする。彼の側近のマクドナルドは,言葉を話すシーザーを逃がす。
[猿の能力とその描写]未知のウイルス蔓延で犬猫が絶滅し,猿がペット化されるが,やがて奴隷労働者として扱われる。海外から大量に輸入され,売買対象となる。即ち,かつての黒人奴隷の扱い。3種類の猿は全部いて,衣服を着用し,色分けされている。教育・訓練され,ベッドメイク,ファイル整理,料理等をする知能はある(その知能の説明はない)。やがて反抗的な猿たちは集会を開く。言葉を封じたマイロも売買され,シーザーと名付けられる。シーザー以外の猿は言葉を話せず,馬にも乗れない。シーザーの指示で武器準備できる能力はあり,反乱に加わる。このA-3での反乱で一気に猿が支配権を得る。一都市で反乱(革命)に成功しただけで,まるで地球全体がそうなったかのような描写に違和感を感じた。
●A-5『最後の猿の惑星・征服』 1973年
[時代&場所設定]北米のある場所での2670年の設定で,2003年の出来事を振り返っている。
[2003年の人間と猿との関係]シーザー率いる猿たちは緑の園で暮らしている。既に人間は猿の奴隷だが,まだ言葉は話せる。猿のための学校があり,人間の教師が言葉や文字を教えている。教育を受けた猿たちは言葉を話せるようになり,銃を使い,馬にも乗れる(A-1に近い状態)。都市の地下には放射能耐性のある人間たちが生存し,大砲や戦闘車両も有している。誤解から猿たちとの戦争が始まるが,敗北する。2670年に戻ると,人間は解放されていて,猿と人間が仲良く暮す平和な社会が訪れている(それだと,3978年のA-1と矛盾するのだが,その間に人間がさらに退化したということか)。
[感想]A-4の1991年の12年後にここまで進むのかと思う。また,公開年の1973年に,いくら絵空事のSF映画とはいえ,30年後の21世紀にこんな社会になっていると描いていることが,恐ろしく,かつバカバカしく感じる。
●B『PLANET OF THE APES/猿の惑星』 2001年
[時代&場所設定]時代は2029年。米空軍の宇宙探査USSオベロン号は,土星周辺の空間を探査中に磁気嵐に遭遇して,ある惑星に不時着する。
[人間の能力とその描写]その惑星にいた人間は猿に支配され,原始的な生活を送っていた。着衣は少し多いが,基本的にはA-1とほぼ同じ。オベロン号の操縦士レオ・デイヴィッドソン大尉がこの惑星の禁断の地で発見した物は,A-1とはかなり違う(即ち,この惑星は地球ではない)。
[猿の能力とその描写]言葉を話し,文化的な生活を送っている。女性の猿は化粧をしている。衣装や甲冑類も豪華だが,基本はA-1と同じ(同じ原作だから,当然だが)。
●C-1『猿の惑星:創世記』 2011年
[時代&場所設定]年代は特定されていないが,C-2から逆算すると,2005年と2010年である。場所はサンフランシスコ市中心で,研究施設はシリコンバレーだろう。最後にシーザーたちは,金門橋を渡った北部郊外のミュアウッズの森を住み処とする。
[人間の能力とその描写]アルツハイマー治療薬を研究するジェネシス社の研究員ウィルとその会社の上司や同僚,霊長類保護施設の従業員,警官隊,一般市民等が登場する。
[猿の能力とその描写]最初に登場する猿たちはただの実験動物だったが,治療薬ALZ-112を投与された牝チンパンジーが高い知能を発揮する。この猿は殺処分になったが,その遺伝子を受け継いだ息子シーザーは更に高い知的能力を有した。施設で虐待を受け人間への敵意をもったシーザーは,施設仲間や動物園の猿たちに改良薬ALZ-113を投与して知能を強化する。猿の軍団を組織し,捕獲に来た警官隊を撃退する。銃は使っていないが,棒状の武器は巧みに使い,戦闘能力は高い。言葉は,最後にシーザーが発した一言だけだった。
[その後の展開]ALZ-113は猿には無害で,知能を高めたが,変異して人間には有害な殺人ウイルスとなり,人間は免疫力をもたなかった。感染した機長がSFO空港からNYに向ったため,そこから世界中に猿インフルエンザを拡散することがエンドロールで暗示されていた。
●C-2『猿の惑星:新世紀』 2014年
[時代&場所設定]C-1の10年後の2020年。場所はC-1と同じで,サンフランシスコ市内とその郊外のミュアウッズ国定公園内。
[人間の能力とその描写]世界的なパンデミックで,既に多数の人間が死亡し,町の荒廃も進んでいる。免疫力を得て生き残った人間への電力確保のため,誠実な人間マルコムがシーザーの集落を訪れるが,その一方で猿との全面戦争を意図した軍隊も集結しつつある。
[猿の能力とその描写]シーザーの指導下で平和な集落が形成され,「猿は猿を殺さない」の掟も作られた。教育により,猿たちは言葉を話し,手話もできる。馬に乗れるようになり,銃の扱いも習得した。シーザーに反発するコバはクーデターを起こし,人間の集落を襲う。シーザーはこの反乱を収め,コバを粛清するが,人間との全面戦争も覚悟するようになる。
●C-3『猿の惑星:聖戦記』 2017年
[時代&場所設定]前作から2年後,即ち2022年のはず。猿たち安心して暮らせる新天地を見つけ,そこへの移動中や,あくまでシーザーたちを殲滅しようとする人間のアルファ・オメガ部隊の基地でのバトルが描かれる。
[人間の能力とその描写]更にパンデミックは進み,人間は絶滅危惧種となっていた。ALZ-113ウイルスは再度変異し,生き残った人間から言葉を話す能力を奪いつつあった。それを怖れたマカロー大佐は感染者である人間を抹殺する。その一方で言葉を失った孤児の少女ノヴァは,オランウータンのモーリスに助けられ,シーザーたちの一行に加わる。
[猿の能力とその描写]基本的に猿たちの能力に変化はないが,人間側に寝返ってスパイとなったゴリラのレッドや,動物園で育ったため英語は話せるが手話できない変わり者の猿バッドエイプも登場する。アルファ・オメガ部隊に捕らえられ強制労働を強いられる猿たちもいて,リーダーのシーザーは苦労が絶えない。重厚なドラマであったが,戦いも多く,楽しい映画ではなかった。
本作の監督は,『メイズ・ランナー』3部作 (14〜17)のウェス・ボール。グラフィック・デザイナー,VFXアーティスト出身であるから,この3部作のCG/VFXを振り返らなくても,VFXに通暁していることは明らかだ。現在43歳だが,映画界では若手の部類に入る。現在,人気ビデオゲーム「ゼルダの伝説」の実写映画化が進行中である。この監督の起用は,若者の視点からの本ファランチャイズの刷新が期待されていると思われる。
いつものように,映画後半の物語の詳細には触れず,結末のネタバレは避けるが,当欄の性格上,CG/VFXシーンや猿の行動等に触れざるを得ないことを断っておきたい。また,予告編に登場するシーンも既知であると考える。
【本作の概要と登場キャラクター】
マスコミ試写当日に配られたプレスシートでも,Web上の公式サイトでも,登場キャラは若き猿ノア,人間の女性ノヴァ,独裁者プロキシマス・シーザーの名前とその俳優名しかなかった。英語の公式サイトにはもう2人俳優名があったが,どんな役か分からなかった。特に箝口令はなかったので,猿の動作と声だけで,素顔を見せない俳優名は不要との判断だったのかもしれない。IMDbやWikipediaには多くの情報があったので,本稿はそれらと,公開されているメイキング映像を基に解説・論評する。
上映時間は145分と少し長めだが,C-3『聖戦記』の140分とさほど変わらない。映画の冒頭は,前3作の英雄シーザーの葬儀から始まる。C-3のラストで仲間に見送られながら息を引き取ったが,本作で改めて臨終シーンがあり,そして厳かに火葬される。これだけで,C-3の続編であることは明らかだが,その300年後の時代設定で本格的物語が始まる。
主人公の青年チンパンジーのノアの種族が美しい森で暮らしている。鳥使いのイーグル族の集落を,仮面を付けた猿の武装集団が襲う。ノアの父コロを殺害し,集落に火を放ち,生き残った一族を連れ去ってしまう。1人だけ難を逃れたノアは,オランウータンのラカと人間のノヴァと知り合って行動を共にするが,再度武装集団に襲われ,川に落ちたラカは濁流に流される。ノアとノヴァは拉致され,プロキシマスが支配する地域に連れて行かれる。
自らの帝国を築きつつあったプロキシマスは,人間の復権を恐れ,人間が残した貯蔵庫の中身を欲しがっていた。同時にノヴァもある物を狙っていた。ノヴァと3匹の猿は貯蔵庫に潜入し,爆発を起こした上に,プロキシマスを倒す。目的を果たしたノヴァはノアに別れを告げる。その後,彼女が訪れた場所で,驚くべきことが起こる……。
主人公ノア(写真1)を演じるのはオーウェン・ティーグ。さほど有名な俳優ではない。『IT/イット “それ”が見えたら,終わり。』(17年11月号)に出演していたようだが,不良少年の1人だったに過ぎない。ノアの幼馴染みは牡猿のアナヤと牝猿スーナなだが,このトリオは『ハリー・ポッター』シリーズの3人組を彷彿とさせる。ノアは一族を取り戻し,集落を再建するという使命感から,次第に自覚のある顔つきになってくる。本作は彼の成長物語であり,今後,次第にシーザーの後継者的役割を果たすに違いない。
高潔な牡オランウータンのラカを演じたのはピーター・メイコンなる黒人俳優だが,こちらも無名に近い。落ち着きのある低音ゆえに,知識豊富で見識が高く,シーザーの教えをノアに語るラカ役に抜擢されたのだろう。A-5に登場するヴァージルがモデルかも知れない。ルックス的には,C-1〜C-3に登場した牝のモーリンに近い(写真2)。続編では,モーリンの子孫であったことが明かされるかも知れない。
人間の若い女性ノヴァを演じたのは,英国人女優のフレイヤ・アーランだ(写真3)。『ガンパウダー・ミルクシェイク』(22年3・4月号)で主人公の暗殺者サムの若き日を演じたのが長編初出演で,本作が2作目である。個性的な顔立ちの美女なので,本作でブレイクすることだろう。ところで,劇中で彼女をノヴァと名付けたのはラカである。「人間の女性はノヴァと決まっている」と言う場面で,笑いが起きる。A-1, A-2, A-5に登場する女性がノヴァだったからだ。彼女自身が「私の名前は,メイ」と言葉を発するシーンは予告編にも含まれていた。これだけで,退化した人間とは一線を画す存在であることが分かる。拳銃を所持し,爆薬をセットする能力まで有しているから,女秘密諜報員的な描かれ方をされていた。もう1人,名前が出ていたベテラン俳優ウィリアム・H・メイシーも,言葉を話し,文書を読める人間トレヴェイサン役だった。独裁者プロキスマスに仕え,古代ローマ史等を教える顧問という存在である。
プロキシマス・シーザー(写真4)を演じたのは,ケヴィン・デュランドだ。主役級ではないが,既に25本の長編映画に出演している中堅男優である。その内,当欄では『ロビン・フッド』(10年11月号)『リアル・スティール』(11年12月号)『ノア 約束の舟』(14年7月号)等の10本を紹介しているので,脇役俳優としては売れっ子だと言える。独裁者プロキシマスはチンパンジーのボノボなる亜種で,C-1〜C-3に登場して反乱を起こしたコバと同種だ。ただし,コバほど好戦的ではなく,知能は高く,かつての人類が空を飛ぶ技術を有し,海を渡って交流していたことも知っている。猿の王国を維持するため,人間の技術を活用し,自分が支配者として君臨するという理屈は,最近の全体主義国家の指導者を皮肉っているように思えた。また,偉大な指導者シーザーの名を出して,他の猿たちの信頼を得るカリスマ性は,新興宗教の教祖のように描かれていた。彼の右腕で武装集団の指揮官シルヴァ(写真5)は,ニシローランド・ゴリラなる亜種で,最も典型的なゴリラの種族である。シリーズを通じて,ゴリラはやや知能が低く,常に暴力的な役柄として描かれている。
【本作における人間と猿の描かれ方】
C-3の想定年は2022年で,シーザーが聖戦後に猿の群れを率いて新天地に移ったのが数年後としても,それから300年後は,2325〜2330年頃である。日本の歴史で現在から300年前は文化文政の時代で,明治維新後からはまだ150余年しか経ってない。300年前に米国はまだ建国もされていない。原始時代からの300年は僅かな時間だが,現代文明があってからの300年で,猿がどこまで進化し,人間がどこまで退化するかの描写にリアリティをもたせるのが,監督や脚本家の腕の見せ所だ。
映画の冒頭で,シーザーの死から数世代後で,人類はパンデミックで絶滅寸前になり,抗体をもつ人間も退化して言葉を失ったと明言されている。C-3の軍隊の兵士はまともな軍服を着て,装備を有していたが,本作で「人間狩り」される対象は,既に着衣も知能もA-1, A-2(3950年頃)並みの描かれ方である(写真6)。300年でここまでになるのかとの思いだ。上記のメイやトレヴェイサンも抗体をもっているはずだが,書物を読み,言葉を話せるのは,例外的な存在として描かれている。
一方,猿たちの言語能力はC-3よりも進化し,いずれも流暢な言葉を話す。装飾品や武具は身に付けているが,かつての人間並みの衣類は着けていない。A-1, A-2は人間と猿の逆転を強調するため猿に服を着せ,A-3〜A-5でもそれを踏襲していた。ラカによると,人間は寒さを感じるというので,ノヴァに布を渡していた。猿には体毛があるので衣服は不要なのだろう。C-1〜C-3も衣服はなしだった。その方が自然に感じるし,映画としても描きやすいためと思われる。
シーザーが見つけた新天地は拡大し,既に複数の種族に分れ,各々の集落を形成していた。それぞれ独自の掟があり,儀式が行われている。イーグル族の場合,ワシに魚を捕らせ,魚は干して保存している。権力者のプロキシマスはノアとメイを晩餐に招いていたから,食事文明は生まれているようだ。武装集団は勿論,ノアやラカも馬に乗ることはでき,鐙や鞍等の馬具は利用していた(写真7)。人間というお手本があったからだろうが,300年もあればその模倣には十分だったのだろう。
集落では,猿たちは自然の樹木の上でなく,人間が残したと思われる鉄骨を基に,集めた草木で作った上部の居宅で暮らしている(写真8)。そこには,ランプのような物が備わっていたが,電気がある訳はなく,燃料を調達する技術は取得していたのだろうか? 森には荒れ果てたトンネルと線路が残っていた(写真9)。生活はかなり原始的で,人間が残した技術的遺産を十分活用しているように見えない。A-4, A-5の猿たちは,人間が輸入し,奴隷として働けるよう訓練・教育していたが,C-1でシーザーが集めた猿たちは動物園やサーカスの猿たちであり,知能は進化しても生活習慣はほぼ本能のままだった。それで,彼はミュアウッズの森に入ったのだろう。その点では,人間の技術を獲得しようとするプロキシマスには先見の明があり,炯眼の持ち主だ。
【ビジュアルデザインとCG/VFXの見どころ】
■ C-1以降,すべての猿はCG製であり,Performance Capturing(PerCap)で俳優の演技や顔の表情を描写している。背景もセット内はごく僅かで,大半は自然風景のVFX加工やフルCGと思われる。恐らく90%以上のシーンは,CG/VFXの産物である。全体の計算時間は946 million時間というが,これがC-3よりどれだけ増えたのか,他のVFX大作と比べてどうなのかは不明だ。Weta Digital社が『ロード・オブ・ザ・リング』3部作,『キング・コング』(06年1月号)『アバター』(10年2月号)で培ったPerCap技術を前3部作でさらに進化させたことは,既に何度も述べた。その後,主担当として参加した『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(22年Web専用#7)で開発した技術を本作で改良して用いたという。
■ シーザーの葬儀の300年後の世界のオープニングシーケンスは,見事な森と滝のシーンで,その景観に圧倒された。こんな滝を見つけるのは容易ではないから,フルCGだろう。C-1やC-2のミュアウッズの森よりも格段に雄大だ。その後の馬を走らせたり,戦いのシーンは,どこかの森や草原でのロケだろうが,かなりVFX加工してあっても不思議はない。
■ 技術が進歩しただけあって,間違いなく,猿の表情や動きの表現も進化していた。当時は最高レベルと思ったC-1のCG製の猿たちは,改めて映像を観ると,かなり稚拙に感じる。C-2紹介時に,シーザーと他の猿は容易に見分けられるし,息子のブルーアイズとも区別できると書いたが,個体の識別は益々しやすくなり,老若や男女差も見分けやすくなっている(写真10)。Facial Capturingを単眼カメラでなく,2台のカメラで行うことで精度が上がり,演技者の顔つきに応じた3D猿モデルも半自動で生成できるようになったようだ。ノアは,前半ではまだ青年猿の印象だったが,物語が進むにつれ,責任感のある顔立ちになり,シーザーに似てきた。そう感じさせる演技と,3D顔モデルの微妙な調整の併せ技と思われる。
■ 既にPerCapは,個体の演技ではなく,ボリュームと呼ばれるドーム状の空間内で10人程度を同時に動作させることが常態化している。ここにDeep Learningを導入にすることにより,複数体の同時演技での個体のマッチングも自動でできるようになっている。動き表現の精度や空間移動の範囲も増え,本作では,木の上,崖,橋からのぶら下がり等,上下落差のあるシーンが目立っていた。C-2では,雨が滴り落ちる顔,C-3では雪の中での顔や体毛の表現に触れたが,本作の終盤では押し寄せる水の中での動きが見どころであった。メイが起こした爆発(写真11)により,海との間の堤防が決壊し,大量の水が洪水として押し寄せる。その洪水自体の描写が見事だったが,その中で戦うシルヴァとノアの動きも秀逸だった(写真12)。
■ ビジュアル的には,人間が残した施設の老朽化が注目に値した。C-2の写真7では,既に荒廃化が始まったサンフランシスコ市街地を示したが,写真13はそれから300年後の高層ビルの姿である。ここまで朽ちるのかという思いがするが,まだこれだけの躯体が残存しているのかとも感じる。ノアとメイが連れられて行くプロキシマスの居留地の海岸には,朽ち果てた廃船の姿があった(写真14)。この大型廃船の外観も,その中で暮すプロキシマスやトレヴェイサンの部屋の美術セットも,良い出来映えだった。
■ それに隣接する貯蔵庫(写真15)には,衣服,武器,戦車,ハイテク機器類が保管されていた。美術セットとしては,こちらも妥当だ。そこに潜入したメイが電源を入れるが,その電源はどこから供給されているのか不思議だった。 見えないところに太陽光パネルが設置されている設定かも知れないが,パネルもバッテリーも300年の耐用年数はないと思われる。もう1点科学的根拠の曖昧さを指摘するなら,ゴリラ軍団のシルヴァやノアが手にする武器である(写真16)。先端部が光り輝き,そこから発する高電圧で敵に苦痛を与える仕掛けのようだ。護身用の防犯グッズの強力版と思われる。一見もっともらしいが,この電力はどうやってチャージするのだろうか?
■ その他では,退化した人間達の近くにいたシマウマが目についた(写真17)。多頭数のシマウマを用意して,ロケ地の運ぶのは容易ではないから,CG/VFXの産物だろう。丸ごとCGでもおかしくはないが,普通の馬の皮膚表面に縞模様のテクスチャマッピングを施したと思われる。技術的には何でもないが,楽しい演出だった(監督の好みか?)。逸品だったのは,イーグル族が飼育する鷲である(写真18)。飛翔する姿だけでなく,羽根を拡げてノアの腕に停まる姿に見惚れた。終盤,物語を左右する大きな出番があるとだけ言っておこう。本作のCG/VFX担当は,前3部作と同様,Weta FX(旧Weta Digital)で,単独1社で全編を仕上げている。PreVis担当のHalon Entertainmentとの組み合わせはC-3と同じだ。
【総合評価】
新シリーズの幕開けに相応しい出来映えで,脚本が素晴らしいと感じた。原典のA-1を別格とすれば,脚本,物語の流れの良さでは,C-2と双璧だと思う。重厚さではC-3に負けるが,激しい戦闘や重苦しい描写がなく,むしろこの軽快さの方が好ましく感じた。前3部作(C1〜C3)の正統な続編と位置づけられていて,その上,旧シリーズ(A1〜A5)へのオマージュと思しきシーンも盛り込んでいる。過去作は単なるディストピア映画であったり,せいぜい公民権運動のパロディであったのが,プロキシマスの為政者としての矜持や独裁者としての権力維持を描いたことに新しさを感じた。
当然続編は作られるであろうから,最近の女性映画の傾向を反映して,メイがどんな役割を果たすのかに注目したい(名前がノヴァのままでないのが,飾り物でない証拠だ)。主人公ノアの名前は「ノアの方舟」を暗示しているので,その意味での物語展開も楽しみだ。ラストのサプライズから,次は何が起こるのだろう? ノアやメイが覗き込んでいた望遠鏡(写真19)は「光のトンネル」と表現されていた。彼らはそこに何を見たのだろうか? 個人的見解として,濁流に流されたラカはきっと生きていて,再登場すると予想しておこう。
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