O plus E VFX映画時評 2025年3月号
(C)2025 Disney Enterprises, Inc.
2025年3月17日 大手広告試写室(大阪)(大阪)]
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
をつけています)
世界最初の長編アニメであり,ディズニーアニメの至宝の原点とも言うべき『白雪姫』(37)の実写リメイク作品である。本作は,大いなる期待とかなりの心配をしながら,試写を待った。期待の大きさは,ディズニーアニメ史上で前作が締める重要度に比例している。既にかつての名作アニメの実写化は多数に登るが,その原点のリメイクともなれば,恥ずかしい作品に仕上げてこないだろうとの期待である。心配は『リトル・マーメイド』(23年6月号)の主演に黒人女優を起用したことから,世界中の猛反発を受けたことの後遺症である。長年,ディズニアニメは「Political Correctness」(以下,PC)に関する批判を受け続けてきたが,それに配慮するあまり,作品の質が劣化していた。それが上記『リトル…』の酷評の結果,さらに悪い方に向かわないかの「心配」だったのである。
最近,当欄のメイン記事のアップロードが遅れる主原因は,記録に残す記事としての有用性を考え,掲載する画像の選択に時間がかかっているためである。本作の場合は,それだけでなく,意図的に公開日から数日遅らせることにした。公開後の世間一般の評価を見て,どう紹介するか,どう記録に留めるかを決めたかったからである。本作のマスコミ試写を観たのは,公開日の3日前であった。その第一印象による評価は揺らがないが,世評によっては,庇うべき点,当欄独自の評価で強調すべき点を調整しようとしたのである。
果たせるかな,既にネット上は酷評のオンパレートである。IMDbでの一般評価値は,過去のディズニー映画での最低得点と言われている。国内外の批評家の評価も高くない。結論を先に言うなら,そこまで酷い映画ではない。これが著名な「白雪姫」であること,ディズニーアニメの金字塔のリメイクであることなど知らない児童が観たなら,素直に楽しめる映画である。ただし,極上品ではなく,多数あるキッズ対象映画の平均レベルではあるが……。
そこで,当欄独自の視点,ビジュアル面での評価を語るのに,今月既に書いた『ウィキッド ふたりの魔女』(25年3月号)と同じ評価視点を採ることにした。ライバルのユニバーサル映画配給作品であるが,事前知識なしに観たら,ディズニー映画かと思える作品であったからである。
【本作の概要と第一印象】
よく知られた童話であるが,原作は19世紀初めの「グリム童話」であり,元はドイツ民話であるという。勿論,1937年のディズニーアニメはそのままではなく,デイズニー流にアレンジを加えている。例えば,グリム童話では継母の女王は白雪姫の殺害を3度試みるが,ディズニー版は毒リンゴによる一度だけで,白雪姫は息絶える。また通りがかった王子が棺を揺らしたことにより,喉に詰まったトゲが外れて蘇生するが,ディズニー版では既に愛し合っていた王子のキスで永遠の眠りの呪縛から解放される,等々である。
その後,ディズニー版が世界標準のように思われているが,多数の絵本,児童小説,TVアニメ,舞台劇,映画等に翻案されているのは言うまでもない。当欄では『スノーホワイト』(12年7月号)と『白雪姫と鏡の女王』(同9月号)を紹介している。いずれも実写映画で,前者の方が優れていた。白雪姫は『トワイライト』シリーズのクリステン・スチュワート,美しい継母はシャーリーズ・セロンが演じていた。イケメンの王子がいたのに,白雪姫が恋するのは森の樵夫であり,それに『マイティ・ソー』(11年7月号)のクリス・ヘムズワースを配するという豪華キャストで,見応えのあるVFX多用作であった。
以下では,37年版アニメを,「原点」「前作」「アニメ版」のように言及する。その前作も本作も邦題は単純な『白雪姫』であるが,前作の原題は『Snow White and the Seven Dwarf』で,「7人の小人」が強調されていた。一方,本作の原題は『Snow White』もしくは『Disney’s Snow White』であり,同じ題名の映画が多いことから,後者を使っているサイトも少なくない。
さて,本作の監督は,デビュー作『(500)日のサマー』(09年12月号)が高い評価を受けたマーク・ウェブである。その後の彼の『アメージング・スパイダーマン』シリーズ (12, 14),『gifted/ギフテッド』(17年12月号)『さよなら,僕のマンハッタン』(18年3・4月号)もすべて当欄で紹介している。脚本は,『ガール・オン・ザ・トレイン』(16年12月号)等のエリン・C・ウィルソンで,物語展開は以下の通りである。
①国王夫妻は,猛吹雪の後に生まれた子供なので,娘を「白雪姫」と名付けた。幼児期までは3人で幸せに暮らしていたが,王妃は病で他界する(写真1)。国王はすぐに再婚したが,新しい王妃は虚栄心の強い女性だった。国王は国境近くの戦闘に出かけて戻らなかったため,王妃は「女王」となり,白雪姫を下女扱いにする(後に,王妃が国王を殺したことが判明する)。
②白雪姫は城の食料を盗もうとした盗賊ジョナサンを見つけるが,食料を持って立ち去ることを許す。白雪姫は重税を課す継母の女王に国民に優しくするよう頼むが,無視された(写真2)。女王は毎日「魔法の鏡」に向かって「世界で一番美しいのは誰?」と問いかける(写真3)。いつもは「それは女王様」と答えていた鏡が,ある日「心が美しいのは白雪姫」と答えたことから激怒し,猟師に白雪姫を殺し,心臓を届けるように命じる。
③猟師にはそれが出来ず,代わりに豚の心臓を届ける。身の危険を感じた白雪姫は森に逃げ込み,鹿の誘導で森の奥の小屋にたどり着く(写真4)。それは鉱山で働く「7人の小人」の家だった(写真5)。事情を聞いた小人たちは白雪姫に同情し,仲良く一緒に暮らすようになる。
④白雪姫が生きていることを知った女王は,白雪姫を殺すための毒リンゴを作る。魔法の力で老女姿になり,ジョナサンの仲間だと称して小屋を訪れ,毒リンゴを手渡す(写真6)。家に戻った小人たちは,白雪姫の遺体を見つけて悲しみに暮れる。
⑤城の地下牢に捕えられていたジョナサンは,猟師の助けで城から逃げ出して小屋に辿りつく。それまでの感謝の気持ちを込めて白雪姫にキスをすると,白雪姫は眠りから覚める。
⑥白雪姫は,小人たちやジョナサンの盗賊仲間らと共に邪悪な女王を倒すことを決意する。女王は力づくで白雪姫を抹殺しようとするが,城の衛兵や一般市民も白雪姫の味方となって……。
細部で前作との違いはあるが,「魔法の鏡」「7人の小人」「毒リンゴ」「キスで蘇る」等の基本骨格は維持されていた。試写(日本語吹替版)を観ての筆者の第一印象は以下の通りであった。
(a) 主演女優のレイチェル・ゼグラ-はラテン系で,白人でないのは分かっていたが,過去作からの愛らしさから,白雪姫を演じることを楽しみにしていた。ところが本作の彼女は全く可愛くなく,白雪姫には見えなかった。
(b) 女王/魔女役は『ワンダーウーマン』シリーズのガル・ガドット。威厳もあり,圧倒的に美しい。「魔法の鏡」は「心が美しいのは白雪姫」としか答えていないので,それ自体は間違っていない。
(c) 王子様ではないが,盗賊ジョナサン役のアンドリュー・バーナップはそこそこイケメンで,王子様でも十分通用する(写真7)。本業はブロードウェイで活躍するミュージカル男優のようだが,過去の映画出演作は国内未公開作品ばかりで,無名に近い。毒にも薬にもならない役であるから,誰でも構わない(もっとも,キスは毒消しにはなったが)。
(d) 7人の小人は,体形はほぼ前作のアニメ版を踏襲しているように見えたが,アップになると顔が大き過ぎて不気味に感じた。
(e) 余りにも当たり前の「白雪姫」過ぎて,感動も感激もなく,さすがディズニーと思わせる豪華さも大作感もなかった。大きな欠点はないのだが,全くのお子様映画としか思えなかった。
【前作との違いと第一印象の分析】
基本骨格は踏襲されていたが,細部は前作からかなり変更されている。まず①だが,白雪姫の命名理由を豪雪体験にして,肌の白い主演女優を起用しなかった言い訳をしている。「雪のように純粋で美しい心をもつ」とは余りにも苦しいこじつけだ。前作も他の映画も冒頭から女王である継母が登場するので,白雪姫の少女時代や両親が一緒のシーンは初めてだった。主演のR・ゼグラ-の母親はコロンビア系で,有色人種として扱われていることは周知の通りだが,母親役のロレーナ・アンドレアも同じくコロンビア系,少女役のエミリア・フォーシェもヒスパニック系である。これは,R・ゼグラ-の起用は人種的には矛盾がないよう配慮してあると言っているかのように思えた。
白馬に乗った王子様は登場しないので,劇中歌として名曲“いつか王子様が (Someday My Prince Will Come)”も歌われない。もはや王子様が迎えに来ることを憧れる時代ではないとするのは,PCの中では許せる方だが,恋のお相手のジョナサンを盗賊にまでする必要があるのかと感じた。
白雪姫が眠りから覚めた後,前作では王子様の白馬に乗って去って行くだけだが,本作では⑥のように女王を倒そうとする白雪姫が登場する。いかにも現代女性らしさを強調してPCに配慮した味付けである。それを意識してか,主演のR・ゼグラ-は映画公開前から「戦う白雪姫」「リーダーを目指す女性」と発言して,SNS上は炎上していた。「そんな白雪姫は見たくもない」という前作ファンの声も判らなくはない。
前項で列挙した筆者の第一印象を,その後自己分析した。結果は以下の通りである。
■ さすがに黒人の人魚姫は違和感があったが,黄色人種の我々日本人からすれば,白人とラテン系ではさほど違わないように感じる。その一方で,「白雪姫」だけは雪のような白い肌の俳優を起用すれば良かったのにとも思う。色味だけなら,VFX処理でR・ゼグラ-の顔や手の色を白くすれば済むことだ。問題はそれではなく,WASP至上主義の米国人にとっては,白雪姫にラテン系を起用すること自体が許せないのだろう。PCにひれ伏すディズニーの態度が気にくわないのだとも解釈できる。『ウエスト・サイド・ストーリー』(22年1・2月号)のヒロインのマリアはプエルトリコ系移民であるから,R・ゼグラ-の起用は全く問題にならなかったのだと思われる。
■ 筆者の価値基準は人種問題ではない。リメイクであるなら,物語を充実させた上に,ビジュアル面でも前作を踏襲するか,それ以上であるべきだと考える。映画は観客から入場料を得る商品であるから,観客を満足させるのに主演男女優のルックスは大きなウエイトを占めて当然だ。『ウエスト…』や『シャザム!~神々の怒り~』(23年3月号)で,あれだけ愛らしかったR・ゼグラ-が,本作では見事なまでに可愛くない。時折,愛らしい表情もないではないが,大半は仏頂面で,まるで嫌々白雪姫を演じているようだった。何よりも,気品のある白雪姫のように見えない(写真8)。その主原因は,前作を踏襲したこの髪形が似合わないのだと思う。まさか,意図的に可愛く見せない,男性観客の期待通りにはしないことが現代風PCだと思っているなら,大間違いだ。映画ファンを馬鹿にしている。R・ゼグラ-は演技力も歌唱力もある前途有望な女優であるが,白雪姫らしくなかったのが残念だ。歌唱力で選んだのなら,『ウィッキッド…』のグリンダ役のアリアナ・グランデか,『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(25年2月号)のジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロを起用していれば,まだしも白雪姫らしく見えたと思う(スケジュール的にその起用は有り得ないが)。
■ 一方,女王/魔女役のガル・ガドットは,見事なハマり役だった。上述の『スノーホワイト』の女王役のC・セロンも美しく冷酷であったが,本作のG・ガドットには魔女らしさが備わっている。何よりも,圧倒的に白雪姫よりも美しい(写真9)。元々グリム童話でもアニメ版の前作でも女王は美しいとされていたが,それを実写映画で見事に実証している。魔法の鏡に「心が美しいのは白雪姫」と言わせているのは,本作の製作陣も脚本家も,純然たる美貌では大差がついていると認めているようなものだ。本作の女王はしっかり歌“美しさがすべて (All Is Fair)”も披露してくれる。平凡なリメイク映画の中で,唯一原作超えをしているキャラクターである。かくなる上は,本作からスピンオフして単独主演映画を作り,『101匹わんちゃん』(61)から生まれた『クルエラ』(21年Web専用#3), 『眠れる森の美女』(59)から生まれた『マレフィセント』(14年7月号)とともに「3大悪女トリオ」を結成すれば,大人のファンは大満足すると思う。
■「7人の小人」はシルエットで観るとまさに前作の小人たちそのものであり,かなり離れた位置から見たシーンでは違和感は生じない(写真10)。ぴったり前作のアニメ版の体形を踏襲しているためと考えられる。ところが,一体ずつアップで顔を観ると,かなり醜悪で不気味と言わざるを得ない(写真11)。首から下の小さな胴体に巨大な顔を乗せた印象であり,しかも顔の中身がリアル過ぎる上に鼻が異様に大きいからだと思われる。7人の内,「おとぼけ(Dopey)」だけ髭がなく,少し小顔で別格的存在として描かれている。これは前作と同様の扱いだ。いずれも普通の体格の俳優が演じているのを,CG/VFXを駆使して小人として描いている。このため,小人役の俳優(軟骨無形成症の成人)の出演機会を奪ったと訴えられている。体躯も大きな鼻もCGで描くなら,もう少し漫画的で親しみのある顔立ちにすべきだったと思う。一方,写真12は,ジョナサンの盗賊仲間たちである。こちらも小人と同数の7人だ。肌の色はバラエティに富み,女性も入っている。盗賊の構成にまでPCを気にする必要があるのかと呆れてしまった。
■ 写真13は,小人たちが小屋の中で白雪姫と一緒に踊るシーンである。前作の見せ場の1つを本作で再現している。この他にも,公開されているメイキング映像で,前作のシーンをなぞって本作を描いた事例が紹介されている。小人の山小屋の外観(写真14),白雪姫が赤い籠をもって丘を登って来る光景(写真15),小鳥が白雪姫の指に停まるシーン(写真16),森の中で動物たちと戯れる様子(写真17)等々である。意図的にかなり前作に似せた実写リメイクであり,観客に既視感を感じさせようとしている。それが強過ぎて,平凡で新規性に欠ける映画に留まった印象が強い。
■ 本作の試写は,狭い試写室でのマスコミ試写を日本語吹替版で観た。字幕版での試写がなかったからである。そのためか,『ソニック × シャドウ TOKYO MISSION』(24年12月号)と同様,かなり幼稚なお子様映画に思えてしまった。日本語吹替の声優の口調が,まるでNHK-Eテレの子供番組然としているからである。さすがに映画館での上映には字幕版も用意されているが,まるで子供に同伴する大人以外の観賞を諦めているかのような印象を受けた。従来なら,ディズニー映画の大作には大規模な完成披露試写会が実施され,シネコンの一番大きなシアター,時にはIMAX上映されることがしばしばであった。それが本作では,マスコミ試写だけで,しかも回数が少なかった。事前調査で興行的失敗が予想されたため,米国本社から極力広報宣伝費をかけずに,お子様映画に徹しろとの指示が出ていたように感じられた。もしそうなら,歴史的名作の実写リメイク作として残念至極である。
【本作の衣装と美術セット】
ここからは,同系列のミュージカル映画『ウィキッド ふたりの魔女』と比較対照しながら,ビジュアル面での見どころを論じる。と書き出してみたものの,圧倒的に『ウィキッド…』が優れていて,まともな比較になりそうにない。まず白雪姫の衣装は,大作の主演女優にしては驚くほど少ない。城内にいて下女扱いの地味な服装(写真18)の後,城の外では着た切り雀状態だった。前作アニメ版の青を青緑にし,なぜか長袖にしているだけで,デザインはほぼそのままだ。他には,その上に羽織るフード付きの赤いマントがある程度だ(写真19)。前作との対応に配慮したと言えば聞こえはいいが,随分安上がりである。申し訳け程度に最後の全員が白い服で踊るシーンに彼女も参加していた。
ドレスに関しても,女王が圧倒していた。まさに女王に相応しく,何着も作られていたが,色合いも装飾も落ち着いた美しさだった(写真2,写真9下)。街の人々が歌い踊るシーンは,中盤では個人毎にカラフル,終盤は白一色の衣装が印象的だったが,全員分を用意する手間はあったとしても,大作なら驚くほどのことではない(写真20)。衣装デザイナーはアカデミー賞を3度受賞のサンディ・パウエルだというが,全体として特筆に値しない出来映えであった。
美術セットに関しても全く同様である。城内(写真21)も市街地(写真20)もそれなりの大きさでしっかりセットが組まれていたが,遠景はVFX加工だろう。城の外観は前作を踏襲し,かつ美しく仕上げているが,これはCGの産物と思われ,ごく標準的な出来映えである(写真22)。『ウィキッド…』では,マンチキン国,シズ大学,エメラルド・シティの描写に大掛かりなオープンセット組み,かつCG/VFX加工しているのに比べると,ほぼ何も印象に残らなかった。
小人たちが住む森は丁寧に描写されていた(写真23)。どこまでが本物の森で,どの程度VFX加工したのかは分からない。細々と描かれているが,大半がパンフォーカスであったので,煩わしく感じたこともしばしばであった。実写化すればすべてを精緻に描けば好いという訳ではない。人物中心である場合は,背景はシンプルにするか,ぼかした方が好ましいのに,森も街中もクソ丁寧に描いているので,目障りなシーンが多々あった。実写化の意義を取り違えているとしか思えなかった。要するに,ビジュアルデザインの方針が中途半端なのである。前作の既視感を重視するとしても,その他の部分では,さすがハリウッド大作と感じさせる豪華さ,斬新さをウリにすべきだったのである。その点では,旧作『オズの魔法使』(39)を新解釈した舞台ミュージカルをベースにしながらも,舞台劇では表現できない実写映画にした『ウィキッド…』に到底敵わない出来映えだったと評価するしかない。
【その他のCG/VFXの見どころ】
こちらも『ウィキッド…』と同じ項目名を使ったのだが,本作は比較対照するほどの出来映えではなかった。
■ まずは同じように動物からだが,本作のCG/VFX担当はMPC 1社である。そのMPCは,実写版の『ジャングル・ブック』(16年8月号)『ライオン・キング』(19年Web専用#4)『ライオン・キング:ムファサ』(24年12月号)を担当したVFXスタジオであるので,動物描写に関しては得意中の得意のNo.1スタジオだ。よって,本作の動物描写などは朝飯前で,鹿,ウサギ,リス,亀,小鳥等は卒なく仕上げている(写真24)。前作の森でも多数の動物に囲まれて白雪姫が過ごすが,何と本作の方が動物の数が少なかった。CGモデルがあれば,いくらでも描けるはずなのに,これはどうしたことだろう? 物語として原作(前作)を崩しているなら,「7人の小人」が率いた動物の大群が城に押し寄せ,女王を取り囲むシーンくらいはあっても良かったかと思う。唯一のユニークな新登場は,ハリネズミの子供と思しき可愛い動物だ(写真25)。グッズ市場では人気するだろうが,これだけが新しさというのは余りにも淋しい。
■「7人の小人」が実質フルCG描写であることは既に述べた。その描写にパワーを割いたためかも知れないが,その他のCG/VFX活躍シーンは殆ど思い出せない。せいぜい小人たちを乗せて洞窟内を疾走するトロッコ程度である(写真26)。本作の総製作費は$240〜290millionと言われている。『ウィキッド…』の$145~150millionの倍近い金額である。再三の作り直しで,実質はもっと膨らんでしまい,$400 millionを超えたという噂もある。最近のハリウッドVFX大作の相場は『ザ・クリエイター/創造者』(23年10月号)で書いたが,元の額面通りだとしても,ひけを取らない高額である。それにしては見せ場が少なく,観賞後の満足感,高揚感がない。筆者が製作責任者であれば,「白雪姫」の品位を穢さない範囲で,エンタメ性のあるクライマックスを挿入して盛り上げる。例えば,ジョナサン率いる盗賊軍をもっと大軍団にして,女王の衛兵軍との派手な大バトル後に一件落着で平和が訪れる脚本にすれば,観客もカタルシスを感じたはずだ。もっと翔ぶならば,ジョナサンか「おとぼけ」を超能力のあるスーパーヒーローに変身させ,ワンダーウーマン並みの魔女に変身した女王と対決させるという手もありだ(笑)。それなら,心優しい白雪姫は傍観しているだけで済む。
【総合評価】
繰り返し言うが,本作は予備知識なしに,「白雪姫」を知らずに年少者が観れば,水準以上のファンタジー映画である。映像も綺麗,音楽も素晴らしいと言える。SNS上での炎上は,元がアニメ史に燦然と輝く『白雪姫』(37)であるゆえ,世界中が多くを期待し,裏切られた思いで酷評しているに過ぎない。
主演女優がアニメ版を「時代遅れ」と公言するのはリスペクトがなさ過ぎるが,確かに前作は古過ぎる。今回,Disney+で旧作を見直したが,そのかったるさに参った。最近の子供たちは,もっとハイテンポで大げさなアクションのあるアニメを見慣れているので,前作を観始めても途中で投げ出してしまうと思われる。では,子供たちはこの実写リメイク作を受け容れるかと言えば,投げ出しはしないが,感動もしないだろう。
本稿はビジュアル面を評価して,応援するつもりで書き始めたのだが,冷静に評価すれば,『ウィキッド…』に完敗だと言わざるを得ない。W主人公のエルファバとグリンダの方が,本作の白雪姫よりも数倍魅力的である。オスカーを得た美術&衣装デザインには到底敵わない。実写版『リトル・マーメイド』よりも上にしたったが,本作も同じ評点になってしまった。
『リトル…』の記事の最後で,「ディズニーの経営陣,製作部門のトップは,自分たちの過去の知的財産の価値を貶めようとしている」「夢を与えることが社是であったはずのディズニーが,その立場から転げ落ちようとしていることが悲しい」と書いてしまった。その思いは,本作に関しても同じである。既に古くなってしまった前作をリメイクするならば,実写でなく,フルCGアニメ化した方が正解だったと思う。それなら,主演女優の人種や小人俳優の起用に悩むことはない。前者のキャラクターは活かしつつ,もっとハイテンポにしてアクションも充実させれば,十分魅力的にできる。少し事例は異なるが,実写版の『スパイダーマン』シリーズがマンネリ化している中で,フルCGの『スパイダーマン:スパイダーバース』シリーズは新しい魅力を見せてくれた。伝統あるWalt Disney Animation Studiosであれば,ワクワクするリメイク版『白雪姫』を作れたと思う。
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