既に公開中のこの映画,VFX的には見るべきものがないのだが,取り上げるべきか見過ごすべきか迷った挙句,あえて語っておくことにした。もっと製作費をかけ,せめてCG技術でスケールアップしていれば,ずっといい映画になったのに,という逆説的な意味からである。
第2次世界大戦末期,もはや為す術がなくなった大日本帝国の奇襲作戦,人間魚雷「回天」に関する物語で,原作は「半落ち」の横山秀夫の著した同名小説である。潜水艦も登場するという意味では昨年春公開の『ローレライ』(05年3月号)を思い出させ,暮の大作『男たちの大和/YAMATO』(06年1月号)とも比較したくなる。配給会社は「昨年は戦後60周年ということで色々な大型企画があった。我々はあえてその年を避け,じっくり人間ドラマを観てもらいたくて,翌年の今年公開にした」と言う。本当か?
単に出遅れただけじゃないか,あるいはまともに競合すると負けるので,止むを得ず遅らせただけじゃないのか?
監督は『陽はまた昇る』(02)『半落ち』(04)の佐々部清。主人公の並木浩二を演じるのは,歌舞伎界から市川海老蔵。そして,ヒロインの鳴海美奈子には上野樹里,戦友たちを伊勢谷友介,伊藤伸夫,潜水艦長を香川照之が演じ,浩二の両親に三浦友和,古手川祐子という布陣だから,まずまずのキャスティングだ。
筆者がもっとも注目したのは,『男はつらいよ』の山田洋次監督が脚本を担当しているという点であった。自身は藤沢周平原作の時代劇の3作目『武士の一分』(木村拓哉主演)を撮影中のはずだが,この大監督に(共同)脚本を依頼したということに松竹の並々ならぬ意欲を感じるではないか。かつてこの監督の作品で,涙しなかったことはない。どんな人間ドラマを見せてくれるかを大いに期待した。
結果は……。感情移入できることなく,涙腺がゆるむシーンもなく淡々と終わってしまった。なるほど,小ざっぱりとした物語には仕上がっている。真面目な映画作りには嫌味はない。同日試写を観た『地下鉄(メトロ)に乗って』に比べると,通行人やその他大勢の描き方もぐっと丁寧だ。ただし,それだけであって,この映画には戦争映画がもつべき迫力に欠けている。パワーがなく,リアリティ不足なのである。『男たちの大和/YAMATO』と同工異曲でありながら,比較するほどの製作費をかけなかったため,じゃんけん後出しでありながら,完全に負けている。超えるところが,何もない。
最近出版された『ハリウッドで勝て!』(新潮新書)を読んだ。『リング』『らせん』シリーズを成功させ『JUON/呪怨』(05年3月号)
を製作して全米No .1に輝いた辣腕プロデューサ,一瀬隆重氏の著作である。同氏自身は低予算で「Jホラー」ブームを巻き起こしたが,日本映画が「リアリティーの対価」を払わない欠点を力説し,警鐘を鳴らしてる。即ち「適正なコストをかけなければ,まともな映画は作れない」「かけるべきところに,ちゃんとお金をかける」という主張である。全くの同感である。図らずもこの映画は,この警鐘をまともに実証したかのような作品だ。
例えば,潜水艦が攻撃されるシーンにもっと迫力があれば,戦争の激しさ,命を懸ける悲壮感,追いつめられている切迫感が感じられただろう。「回天」の成功シーンも,その水中での進路を克明に描き,敵艦が撃沈する模様を最新CGを駆使してリアルに描くべきだった。単に「ハイ,一例成功しました」というだけでは,生命を賭して乗り込む兵士たちの緊迫感は描き出せない。
本作品のCGの利用は,水中シーンでの伊号潜水艦,回天のシーン,洋上の大和等,ごくごく僅かだ。あまりに素朴かつお粗末なので,スチル写真を入手・掲載することすら断念した。真面目な映画だけに,このケチり方が残念でならない。『ワールド・トレード・センター』の悲劇はVFXあってのリアリティだ。『もしも昨日が…』の金のかけ方も羨ましい限りだ。
さらに欠点を上げれば,市川海老蔵はミスキャストだと思う。この大作りな顔立ち,大仰な演技は,この映画の主人公に相応しくない。松竹が売り出したい梨園の御曹司なのだろうが,この役にはもっと繊細な男優が欲しかった。あちこちに気を遣い,中途半端に終わった感じがする。企画も弱い。これでは少々脚本に力を入れてもカバーできない。フィルムパートナー(製作委員会)方式の限界を感じた一作であった。
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