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O plus E誌 2004年5月号掲載
 
 
『パッション』
(イコンプロダクション作品
/日本ヘラルド映画配給)
 
       
  オフィシャルサイト[日本語][英語]   2004年4月1日 リサイタルホール(大阪))  
  [4月24日より全国東宝洋画系にて公開中]      
         
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  ドキュメンタリーかと錯覚させるキリストの受難  
   今月の3本はアクションはなしで,いずれもハートフル or シリアス系だが,最後は飛びきりの話題作だ。ただし,ここまで宗教色が強いと迂闊な発言は憚られ,全く配給会社や批評家泣かせの作品である。
 原題は『The Passion of the Christ』。ここでのPassionは「受難」の意だろうが,「情熱」という意味も込められている。イエス・キリストが捕らえられ,ゴルゴダの丘で処刑されるまでの最後の12時間を描く。世界一高額ギャラの男優メル・ギブソンが,『ブレーブハート』(95)以来のメガホンを取り,12年の構想年月と私財2,500万ドル(約27億円)を投じて製作した意欲作だ(写真1)。セリフは英語ではなく,当時使われていたラテン語とアラム語で自ら脚本も書いたという。なるほど,その情熱のかけ方は尋常ではない。
 北米では2月25日の公開以来,そんな宣伝文句が軽々と吹っ飛ぶメガヒットとなった。Box Office(興行収入)チャートでは,3週連続首位の後,一旦5位まで順位を下げたが,イースター(復活祭)休暇に再び首位に返り咲くという文字通りの「復活」劇も演じている。興収は既に3億5千万ドル(約380億円)で,まだまだ伸びそうだ。話題が話題を呼んで大ヒットするという典型的パターンである。
 メル・ギブソンにキリスト役は似合わないなと思ったが,自らは製作・監督に徹して出演はせず,イエス・キリストはジム・カヴィーゼルに白羽の矢を立てていた。『シン・レッド・ライン』(98)でウィット二等兵,『オーロラの彼方』(00)で父親と無線交信する息子役を演じたあの青年俳優である。少し若過ぎるのではと懸念したが,いつの間にかイエス役に相応しい男優に成長していた。なるほど,風貌はイエス・キリストに見える(写真2)。難を言えば,その裸体はたくまし過ぎるので,もう少し痩身のひ弱そうな俳優が良かったのではないかと感じた。
     
 
写真1 特大ヒットの源泉は,出演せずに監督に徹したメル・ギブソン(右)の「情熱」   写真2 キリスト役はジム・カヴィーゼル(左)。風貌は合格点。
 
 
 
   紀元1世紀のエルサレム。十二使徒の1人,ユダの裏切りによって捕らえられナザレのイエスは,ローマ兵に捕らえられ,荒れ狂う群衆の弾劾により,十字架に掛ける磔の刑に処せられる。信者なくても,誰もが知っている事実である。2時間7分の映画の半分以上は,イエスが鞭打たれ,傷つき,惨刑の苦痛に耐える様を克明に描写する。個々のカットはこれまで数々の宗教画でよく見た光景だが,映画としてここまでリアルに凄惨な処刑シーンを描いた作品はなかった。キリスト教の信者にとっては,この映画はある種のドキュメンタリーのように映ったのではないか。
 公開前後から,欧米ではこの映画に関する報道が連日続いた。反ユダヤ主義を煽るものという反対の声もあれば,ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がこの映画の描写を支持した,しない報道が騒ぎを倍加した。キリスト教徒にとって,この映画を観ることが宗教的にどういう意味があるのか,信者でない筆者にはよく分からない。配給会社もしかりだろう。実際,完成披露試写会には教会関係者が多数招待され,他の聴衆とは区別して,感想・意見が求められていたようだ。
 宗教的意味を排除して映像だけを論じよう。福音書の記述を引き伸ばして描写しているだけだから,物語は単純そのもの,論じるレベルではない。処刑シーンを生々しく伝えるという点では,大成功だろう。信者ならずともイエスの受難を自らの体験のように没入してしまう。手を変え品を変え,執拗な鞭打ちの刑が進むたびに,隣席の女性はのけ反っていた。十字架に両手両足を釘打ちされる場面では,悲鳴を上げ,目を塞ぐ観客も少なくなかった。欧米で失神者が続出したのも理解できる。
 社会的影響を配慮してか,傷ついたイエスの身体が映ったスチル画像は提供されず,掲載も許可されていない。特殊メイクや視覚効果の観点からは,語るに足る新技術が駆使されていたようなのに,その正確な情報が伝わってこないのも残念だ。視覚効果の担当はCaptive Audience Productionsで,特殊メイク,模型の製作,ディジタルVFXまでを一貫して請け負ったという。
 わずかな情報と映画から想像して述べるなら,鞭打ち傷は最初のうちはペイントがほとんどで,やがて傷素材を身体に貼り付け,激しく動く鞭はCGで描いているのだろう。エスカレートしたレベルでは,ジム・カヴィーゼルに似た体形の代役を雇ってその動きを解析し,しかる後にジムの身体に傷のCG映像を重ね合わせたというが,その詳細がよく分からない。また,ジムと寸分違わぬ人体レプリカも製作されたというから,十字架に磔になったシーンで使われたのだろう。このゴルゴダの丘のから見える背景は,ミニチュアやマットペイングによる合成だなと観て取れた。
 これまでに描かれたことのない処刑シーン。今なぜこの映画を製作する意味があったのだろうか。「キリストが我々の罪を償うために味わった恐ろしい苦難を目にし,理解することで,人の心の深いところに影響をあたえ,希望,愛,赦しのメッセージを届ける」ことを目的として作ったという。その是非はともかく,技術的には,ドキュメンタリーと錯覚させるだけの映像を苦もなく表現できるレベルに達したということだ。
 この映画は,歴史的出来事のビジュアル・シミュレーションであり,ある種のバーチャル・リアリティである。正しい歴史的解釈であれば,生々しい疑似体験を提供する意義は高いが,反面,虚構に満ちた解釈を史実のように思わせる危険性も内包している。ここまで映像表現力が増した以上,観衆は映像の嘘を見抜く力を養う必要が出てくるだろう。
 
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