O plus E VFX映画時評 2026年2月号
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視覚効果賞候補の『ロスト・バス』に続いては,長編アニメ賞部門にノミネートされた2本で,両方ともフランス製の2Dアニメーションである。同部門で米国以外から同じ国から2本がノミネートされるのは初めてのことだ。例年6月に開催されるアヌシー国際アニメ映画祭では,『ARCO/アルコ』は長編部門のグランプリ,『アメリと雨の物語』は観客賞を受賞している。フランス東部のアヌシー湖畔で開催される映画祭であるから,地元有利なのは当然だが,アカデミー賞でのノミネートで,フランスが欧州随一のアニメ大国であることを証明したと言える。商業的には日本製アニメが国際競争力を得ているが,こうした映画祭では広報力で負けてしまうようだ。
先月のGG賞アニメ賞部門には,米国からは『星つなぎのエリオ』(25年8月号)『ズートピア』(25年12月号)『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』(26年1月号)の3本,日本の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』,そして前評判通りフランス製のこの2本もノミネートされていた。結果は,米国製の『KPOP…』の受賞であった。アカデミー賞ノミネートは1本減るので,日本の『鬼滅の刃…』が外れた。その結果,米3:仏2の争いとなっている。数日前に米国LAで開催されたばかりのアニメ映画界の祭典「第53回アニー賞」の結果は,この勢い通りで,『KPOP…』が作品賞,監督賞を含む10部門受賞の圧勝であった。日本勢は『果てしなきスカーレット』『チェンソーマン レゼ編』も歯が立たず,無冠に終わった。フランスの2本はかろうじて『ARCO/アルコ』が「インディペンデント作品賞」を獲得したので,アカデミー賞でフランス勢の逆転なるかが興味の的である。
米国勢3本は既に紹介済みなので,以下では残るフランス製の2本を今回紹介する。日本国内の公開はまだ先なので,まずは恒例の「概要&感想」に代表シーン数点のみを掲載してアカデミー賞予想を楽しんでもらい,後日加筆して「完全版」を書くことにした。以下では,フランスや日本での公開順で紹介する。
パリに住む若いフランス人女性のラブストーリーを描いた『アメリ』(02年1月号)は,日本でも大ヒットしたが,それとは全く無関係だ。そもそも「アメリー(Amélie)」はフランス語圏の女性に多いファーストネームだが,この映画も音引きしていないのは,上記の女性映画の影響かも知れない。原作はベルギー人女性作家アメリー・ノートンによる自伝的小説「チューブな形而上学」(Métaphysique des tubes)で,フランス人監督のマイリス・ヴァラードとリアン=チョー・ハンがアニメ映画化した。
パリの美しい光景を期待すると全く裏切られる。父親が外交官であった原作者は,日本の神戸で生まれ,5歳まで日本に滞在し,その後,中国・ニューヨーク・バングラデシュ・ビルマ・ラオス等に住んだという。その原作者が神戸で過ごした少女時代を,美しい日本の光景と日本の伝統行事を交えて絵画化した2Dアニメが本作なのである。
1966年生まれのアメリは,2歳になった時,地震によって目覚める。それまでの自分は植物状態で,自らを神のような存在だと意識していた。覚醒後は周囲の対応に不満を漏らすが,1968年8月13日に世の中が激変した。日本に尋ねて来た祖母からくれたホワイトチョコレートがきっかけだった。それから家中を走り回り,家政婦のニシオさんに連れられ,さまざまな日本文化を体験する。自分の名前にぴったりの「雨」という字も覚える。帰国した祖母の死を知りショックを受けるが,さらに3歳の誕生日に彼女のすべてを変えてしまう出来事が起こる……。
映画の題名は,フランス語,英語,日本語でまるで違っていた。映画の原題『Amélie et la métaphysique des tubes』は原作の題名に主人公名を加えただけである。この「チューブ」というのは,まさに「管」の意味であり,人生は入って出るだけの存在であることを意味しているようだ。随分,哲学的で抽象的である。それが英題では『Little Amélie or the Character of Rain』となっている。小説にも映画にも登場する「雨」を,「管」(無自我)から覚醒させるきっかけと解釈し,それを映画の中心テーマ扱いしている。さらにそれを,日本語の「雨」が少女の名前の一部の語呂合わせにしたのは,映画制作陣の独自の解釈だと思われる。
ごく一部で3D-CGによる造形も見られたが,このアニメ作品は基本的には伝統的な手書きの2Dアニメであった。人物の輪郭を描かない画法が採用されている。そのタッチで描いた水彩画風の描写が頗る美しい。広い庭や池は,まるでモネの印象画であった。伝統的な和風の家屋や日本の伝統文化を映像化したのも,監督たちの独自の解釈であり,原作をかなり脚色しているようだ。題名を巡る解釈違いを知ると,かなり小難しい映画に思えてしまうが,日本人の観客はそんなことは意識せず,美しい1960年代の日本を描いた「セル調2Dアニメ」として観れば十分だと思う。
筆写は個人的に,この監督たちのスタンスを高く評価する。是非,日本人の若い世代にこのアニメを観て欲しい。日本文化に対する相当な造詣と尊敬の念がなければ,こんな映画は作れない。明示されていなかったが,伝統的日本文化に通暁した人物の協力なしには,このアニメは作れないはずだ。余りにそれが見事なゆえに,いくつか不満や疑問点もあるが,それは「完成版」で詳しく語ることにした。
不思議な出来事,哲学的背景と絵画的な描写という点では『アメリと雨の物語』と似ている。フランス製アニメの特長とも言えるが,ベースとなるテーマはかなり違う。本作は,日本人にとっての特別な意味はない。
時代は西暦2932年と2075年,主人公は10歳の少年アルコと同じ10歳の少女イリスの2人である。舞台となる星の名前には言及されていないが,地球の未来のようだ。物語は2932年から始まる,少年アルコには12歳になるまでタイムトラベルできないのが不満だった。時間旅行するのには,宝石を付けた虹色のスーツが必要で,恐竜の時代に行きたいアルコは姉のスーツを盗んで大空へと飛び立った。
2075年は気候変動で荒廃した世界である。学校を抜け出し,森で絵を描いていた少女イリスが見上げると,空には虹がかかっていた。その虹から落ちて来た虹色マントの少年を見つけたが,彼は森の中で倒れてしまった。不思議な気味の悪い3兄弟が少年を探して現われたので,イリスは彼を隠し,自宅へと連れ帰る。両親が都会暮らしのイリスは,小さな弟,お世話ロボットのミッキと暮らしていた。イリスはアルコが2075年に不時着したことを知り,自宅に帰そうとするが,3兄弟が宝石を盗んだために未来に帰れなくなった。ようやく宝石は取り戻したが,アルコの存在を知った警察に追われて逃げ惑うことになる。そんな時,山火事が起こり,危険を避けるため洞窟に逃げ込んだが,虹色マントの裾が焼けてしまった。果してアルコはこの洞窟を抜け出し,未来へと無事帰ることができるのだろうか…。
監督・脚本はウーゴ・ビアンヴニュで,彼が5年間をかけて製作した。『ARCO/アルコ』のような原作は存在せず,彼のオリジナルストーリーである。この監督の名前は初めて知った。これが長編アニメのデビュー作というだけで,経歴もよく分からない。プロデューサーの1人にナタリー・ポートマンが入っていて,それがセールスポイントとなっている。彼女は英語版の吹替にも参加しているそうだが,オリジナル版のセリフはすべてフランス語で,そこそこ名のあるフランス映画界の俳優たちが声の出演をしているようだ。
未来社会の描写では,2932年には大きな庭付きの家が,木の枝風の建築物の上に作られている。このデザインが斬新だ。一方,2075年の世界では,ホログラム姿の両親がイリス,ミッキらと一緒に夕食を食べている。ミッキは旧式だが,他にも多数のロボットが登場し,SFアニメらしさを強調している。登場人物は単純な顔立ちだが,背景となる世界は3D-CGベースで制作し,それを標準的なトゥーンシェーディングで2D化していると見て取れた。『ARCO/アルコ』のような輪郭なしではなく,人物にはしっかり輪郭が描かれている。描画法に関しては,特にオリジナリティはない。
ストーリーの意味を余り深く考えずに観るならば,アルコとイリスのサバイバルアドベンチャーであり,子供レベルでも十分楽しめる。この種の物語は,無事アルコが元の世界に帰り着くのが定番だから,それなら『E.T.』(82)の変形版であり,SF版「かぐや姫」である。時間旅行から元の世界に戻ることを意識するなら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)的結末を期待することになる。一方,イリスがアルコと一緒に異世界に移ってしまうならば,『星つなぎのエリオ』と同工異曲になってしまう。どの結末になるかは,観てのお愉しみとしておこう。『ターミネーター』(84)『同 2』(92)のように,未来からの到来者が2075年の世界で死んでしまうことはない。
それだけなら童話風のSFファンタジーであり,高い評価を受けていることが理解できないと思う。フランスの批評家たちは,本作を「視覚的ポエム」と呼び,「異世界で体験する自己アイデンティティ」「他社との共存」「記憶と時間」「感情の可視化と色との対応付け」といった点を評価しているようだ。即ち,本作のもつ哲学的意味を高く評価している。その分,抽象的な表現が多く,観客の解釈に委ねるシーンを多用している。
筆者は,個人的には,この種の映画作りは好まない。特に日本語字幕版では分かりにくい。「休閑」「大休閑」が何を意味するのか,さっぱり分からなかった。「バブル」という言葉も,場面で全く異なり,二重の意味を持たせているようだ。純文学的と言えば,高尚に聞こえるが,製作者側の思い入れと自己陶酔ではないかと感じる。アニー賞で「インデペンデント作品賞」扱いとなったのは,その表われだと思う。
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