head
titlehome略歴表彰学協会等委員会歴主要編著書論文・解説コンピュータイメージフロンティア
| INDEX | 年間ベスト5 | DVD特典映像ガイド | SFXビデオ観賞室 | SFX/VFX映画時評 |
title
 
O plus E誌 1999年9月号掲載
 
 
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』
(製作:ルーカスフィルム,配給:20世紀FOX映画)
 
(c) Lucasfilm Ltd. & TM. All Right Reserved
       
      (1999/7/14 相鉄ムービル)  
         
     
   とにかく公開前から話題騒然,ルーカス一流の前宣伝の華々しさと評論家筋の酷評,配収以上にメディア露出度も史上随一で,それを見ているだけでも疲れてしまった。
 騒ぎが大きければ大きいほどケチをつけたくなる心情は,評論家も一映画ファンも同じである。自分の推す名作に比べて,何をそれほど騒ぐのかと。好き嫌いは別にして,観客動員数の記録を塗りかえる作品には,それに見合うだけの存在感を求めたくなるようだ。せめて「敵ながらあっぱれ」と言いたいのだろう。『タイタニック』ファンの女性にその傾向が強いように見受けられる。
 映画は独立した文化的作品で,観客数はその感動の度合いと比例すると考えるからこの錯覚が起こる。公開前から泊まり込んで列をなすファンやメディアの注目度は,事前プロモーションの功拙によるに過ぎない。それは,一昨年にリニューアルされた特別篇3作の反響から判っていた。
 原作者であるG.ルーカスが22年ぶりにメガホンを取り,ファンが喜ぶならそれでいいではないか。所詮シリーズ6作中の1作品に過ぎない。駄作もあれば,単なるつなぎの一作もある。マニアが待望久しい新作に2,000円を投じるのを,他がとやかく言う筋合いはない。
 そういう擁護論をかざして見に行ったのだが,やはり感心しなかった。期待外れではないが,ワクワクするものもなかった。「感情移入できる主人公がいない」「話の辻褄を合わせるためのセリフが多すぎる」「ルーカスの感性は鈍い。進歩も成長もない」「特撮を生かそうとするあまり,人物が生きていない」等々の批評もうなずける。
 ハイライト・シーンのうち,タトゥイーン星のポッド・レースは『ベン・ハー』の戦車レース,バトル・ドロイド軍対グンガン族の戦いは黒沢明の『乱』の戦闘シーンを彷彿させるという。G.ルーカスやF.コッポラが故黒沢明に私淑し,大きな影響を受けたというのは有名な話である。そういえば,黒沢作品の話題作『影武者』『乱』も前宣伝はすごかったが,大味で失望させられた。なるほど,これはG.ルーカスの『乱』なんだと納得してしまった。
 ビートルズの中期以降の作品,ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンド』などは,青春の琴線に触れる初期のみずみずしいサウンドとは打って変わって,音楽的成熟度と難解さが増していった。ファンは戸惑いながらも,その成長過程を共にし,やがて後世に残る音楽性を理解するようになった。この成長があったから,現代の若者にも受け入れられる普遍性が築かれたのだろう。(評者も含めて)20年以上前に『スター・ウォーズ』第1作に感動した子供の心を持った大人達は,ビートルズと同じ成長をG.ルーカスに求めたのではあるまいか。
 成長したのは,監督・脚本家としてのG. ルーカスではなく,キャラクター・ビジネスを成功させる実業家G. ルーカスであり,彼の作ったILM(Industrial Light &Magic社)による特撮技術である。
 CG技術,ディジタル合成技術の可能性をいち早く見抜いていたのは間違いなくジョージ・ルーカスその人であり,ILM抜きに今日の視覚効果 技術は語れない。
 そのG.ルーカスが,ようやくILMのディジタル技術が自分のイメージするエピソード1を実現するレベルに達したとして脚本を書き,85%の満足度というからには,視覚効果の面でも大いに期待したのも当然だ。実際,この映画の95%にディジタル処理が施され,『タイタニック』の約4倍の2000カット以上を生み出したという。それでいて「特撮技術に新味なし」(大口孝之氏)などと評されている。確かに,タトゥイーン星の街を歩く怪獣もナブー星の首都の街並み(写真1)も,特別篇の延長の域を出ていない。66体に及ぶクリーチャーのデザイン(写真2)やバトル・ドロイドの圧倒的な数も,『ジュラシック・パーク』や『ロスト・ワールド』の技術をもってすれば,十分達成可能と感じられた。
 
 
写真1 ナブー星の首都。フルCGでここまで表現するのは,大変な作業だが…   写真2 がらくた屋の主人ワトー。モデリングもアニメーションも苦労したらしい。
(Photo: KEITH HMSHERE) (c) Lucasfilm Ltd. & TM. All Right Reserved
 
 
   実際,これだけのVFXショットを生み出すには,ILMの総力をあげたに違いない。まさに物量作戦である。ルーカスがこの映画のためにILMを設立し,これまで腕を磨いてきたというなら,新味に欠けるという批評は余計なお世話かもしれない。マット画とCGモデルと模型セットの複雑な合成,キーフレーム・アニメーションとモーション・キャプチャの使い分け,等々にかなりの技術が駆使されているに違いない。
 そう分かっていながらも,やはり印象が乏しいのである。ルーカスなら,ILMなら,後発のJ.キャメロン,R.ゼメキス,エメリッヒ&デブリンのコンビに,あっと言わせるだけの技と仕掛けを見せてほしかった。そう感じたのは私だけではあるまい。
 それでも,これだけのディジタル・シーンをこなすには,細部ではかなりの工夫もあったと想像される。SIGGRAPH 99では,この映画のメイキングだけで2つのセッションが組まれている。次号では,それを見聞きして来てから,再度論じることにしよう。
 
  ()  
   
  Page Top  
  sen  
 
back index next
 
     
<>br