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O plus E誌 2000年8月号掲載
 
 
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『英雄の条件』
(パラマウント映画
/ギャガ・ヒューマックス配給)
 
       
      (6/29 ギャガ試写室)  
         
     
  期待を裏切らない軍事法廷  
   原題をカタカナにしただけの洋画が横行する中で,こういう邦題がつくことは好ましい。配給会社の担当者のセンスやコピー制作能力が問われて楽しいではないか。原題は『Rules of Engagement』。軍隊が作戦を遂行する上での「交戦規定」だそうだ。
 中東のイエメン共和国で過激派デモにアメリカ大使館が包囲され,大使にも身の危険が迫る。特命を受けた歴戦の勇者チルダース大佐は,大使家族の救出に成功するが,暴徒と化した群集からの発砲で海兵隊員は命を落とす。大佐は反撃命令を下し,83名の死者,100数十名の負傷者を生んだ。この命令が「交戦規定」に反する殺戮行為とされ,チルダース大佐は軍事法廷で弾劾裁判にかけられる。国際世論の追及を恐れる軍上層部の証拠隠蔽工作に対して,ベトナム戦争で命を助けられた戦友ホッジス大佐が弁護人となり,正当な軍事行為であることを立証しようとする。一見実話の映画化かと思わせるが,これは全くのフィクションだ。
監督は『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』のウィリアム・フリードキン。弁護人は『逃亡者』『メン・イン・ブラック』のトミー・リー・ジョーンズ,被告役は『交渉人』のサミュエル・L・ジャクソンで,個性派2大スターはそれぞれの持ち味がよく出ていた。長身のS・L・ジャクソンの背筋をピンと伸ばした軍服姿は,実に決まっている。検察官ビッグス少佐役のガイ・ピアースも『L.A.コンフィデンシャル』での歯切れのいい演技を再現していた。彼も警官や軍人役がよく似合う。
 軍事法廷ものといえば『ア・フュー・グッドメン』(1992)が代表作だが,S・L・ジャクソンの被告役は『評決のとき』(1996)も思い出させる(写真1)。両作品とも弁護団に魅力的な女性の姿があったが,この映画にはそれもない。あるのは弁護士と被告人との男の友情だけだ。
 法廷論争の迫力も陪審員への訴えも,そして結末もほぼ予想通りと言えるだろう。特筆すべき点はないが大きな欠点もなく,法廷ものの好きな観客(筆者は結構好きなほうである)には,期待を裏切らない水準の作品だ。
 
写真1 S・L・ジャクソンは被告席がよく似合う 写真2 この程度の群衆は本物か
ハリウッドは民主党支持?
 SFX担当はデジタル・ドメイン社。これも特に画期的なものはないが,違和感もない。
 ■冒頭のベトナム戦争のシーン。『プライベート・ライアン』ほどの凄惨さはないが,かなり見ごたえはある。撃たれて飛び散る血しぶきや銃口に残る火炎,スローモーションとVFXをうまく組み合わせている。これは印象に残る新しい感覚の用法だ。
 ■モロッコで撮影したというイエメンの風景。街の中からところどころに見える遠景のイスラム寺院等は,当然ディジタル合成だろう。
 ■米国大使館に詰めかける群集(写真2)。そう大した数ではないので,これは全部本物だろう。
 ■米軍海兵隊の反撃で片足を失ったイエメンの女の子は,重要な役回りで登場する。本当に片足の可能性もなくはないが,おそらくディジタル処理で片足を消しているのだろう。『フォレスト・ガンプ/一期一会』『ワイルド・ワイルド・ウエスト』でも使われたテクニックだ。今回は屋外だけに誤魔化しにくいが,じっくり見ると,脚を消した後を埋めやすそうな背景を選んでいる。
 米国大統領選挙を前に面白いシーンもあった。国家安全保障局顧問の執務室には,ワシントンの彫像,ケネディの肖像等が飾られている。そして,襲われたイエメンのアメリカ大使館の大使館室には,現職大統領とおぼしきところにアル・ゴアの写真が掛かっていた。ハリウッドは民主党支持で,ゴア副大統領への選挙応援ということだろうか。傾いた額縁が落ちかかっていながら,かろうじて留まっていたのが象徴的だ。主演のT・L・ジョーンズはハーバード大学の同窓だから,というエピソードも伝わってきた。なるほど。
 映画は,悲惨な結果を生んだ米軍のデモ隊への攻撃に,ここまでやるべきだったのかと感じさせる。そして,監視カメラの映像を見て暴徒からの発砲を知り,観客は愕然とする。最後はホッジス大佐の大弁論を聞き,軍人間の強い絆や忠誠心を感じさせられてエンディングを迎える。ベトナム戦争戦没者の慰霊の役を果たしているし,軍隊経験者の自尊心も満足させられるだろう。
 見終わった後,死者や負傷者の姿を思い出す度に,正当性はあっても適切な行為だったのかという疑問が残った。こうして映画という文化的手段で,アメリカの軍事活動のプロパガンダを浸透させられてはたまったものではない。そう感じる人は世界中にいるはずだし,アメリカ人の中にもいるだろう。
 ということは,軍人の誇りを描きながら,実は軍隊のもつ独善性,その自己正当化の恐ろしさを訴えようとしているのではないか。深読みすれば,軍関係者へのサービス的な営業政策を取りながら,分かる人間には分かる反戦メッセージを送っていることになる。このバランスは微妙で,周到な計算の上に成り立つものだ。一見分かりやすいハリウッド映画は,そこまでの計算をしているのだろうか。
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