O plus E VFX映画時評 2024年12月号

『ライオン・キング:ムファサ』

(ウォルト・ディズニー映画)




オフィシャルサイト[日本語]
[12月20日より全国ロードショー公開中]

(C)2024 Disney Enterprises, Inc.


2024年12月16日 T・ジョイ梅田[完成披露試写会(大阪)]

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


「超現実」描画は一段と進化したが, 新たな違和感も

 5年前に「超現実映画」と称して話題を呼んだ『ライオン・キング』(19年Web専用#4)の続編である。確かに映画の冒頭は前作の数年後から始まるが,すぐに昔の出来事を語り聞かせる展開となるので,実質は前日譚である。前作はディズニーアニメの大ヒット作で,ミュージカルとしても大成功を収めた『ライオン・キング』(94)の同名の実写リメイク作品であった。前作も本作もその意義と価値を語るには,ディズニー映画本社の企画・製作方針に触れざるを得ない。よって,伝統あるディズニーアニメの実写リメイクの歴史と実績を整理することから始める。
 実写リメイク作と言えば,昨年の『リトル・マーメイド』(23年6月号)が,主人公の人魚アリエルを演じた女優の肌の色を巡って賛否両論(多くは,否定的コメントであった)となり,物議を醸したことが記憶に新しい。今月号の『モアナと伝説の海2』はWDA (Walt Disney Animation)製作の63作目であったが,第36作『ムーラン』(98)までの内,13作品が実写リメイクされている。別途,アニメ版の悪役の視点から描いた実写映画で『マレフィセント』(14年7月号)『クルエラ』(21年Web専用#3)の2本がある。さらにそれらの続編として『102』(01年3月号)『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』(16年7月号)『マレフィセント2』(19年Web専用#5)の3本が作られたので,計18作品となる。これらはすべて実写映画部門のWalt Disney Picturesの製作扱いであり,アニメ部門のWDAは全くタッチしていない。
 この18本の内,15本が劇場公開作品で,いきなりDisney+配信が3本である。アニメ版の続編の殆どがDisneyToon Studios製作のお手軽低予算映画で,ビデオパッケージ販売(現在は,Disney+配信)であったことを考えると,実写リメイク作は製作費をかけた大作が多く,対象観客層もアニメ版よりも上の世代をターゲットにしていた。また,上記の18作品の内,当欄が紹介したものが15本,未見で紹介しなかったのが3本と,同じ15:3の比率である。その3本は,当欄の連載開始前の『101』(96)と,直接Disney+配信の『わんわん物語』(19) 『ピノキオ』(22) であった。このことから,実写リメイクにはCG/VFXを多用した映像的な充実がほぼ必須条件になっていたことが分かる。全く同じ路線で作られた『白雪姫』(25年3月号予定)と『リロ・アンド・スティッチ』(25年夏)が,来年の公開を控えている。
 必ずしも興行的に成功したとは言えない映画もあったが,概ねCG/VFX的には見どころの多い作品揃いであった。とりわけ,ディズニーアニメの第2黄金期と言われる4作品第28作『リトル・マーメイド』(89),第30作『美女と野獣』(91),第31作『アラジン』(92),第32作『ライオン・キング』(94)の実写リメイクには,かなり気合いが入っていた。それゆえ,その頂点とも言える前作には,過去最大の製作費が投じられていて,恐るべき映像クオリティゆえに「超実写映画」(恐らく,Super Real Movieのつもり)なる新用語も飛び出した。当欄として論じざるを得なかった作品だが,そのCGのリアルさゆえに苦言も呈した。その続編/前日譚となると,今回も精魂込めて論じるべき対象なのである。

【前作の位置づけと概要】
 舞台となるのはアフリカのタンザニアで,偉大なる王ムファサが治めるプライドランドで,息子シンバのお披露目の式典の日から映画は始まる。王になれない弟スカーは卑屈で,ヌーの暴走で落命しかけたシンバを救ったムファサ王が崖から足を滑らせたところを,突き落として命を奪う。その罪をシンバに着せて追放し,スカーは念願の王位に就いた。砂漠を彷徨ったシンバは,成長して立派な牡ライオンとなり,スカーとハイエナたちに復讐して,プライドランドの新たな王となるまでが描かれていた。典型的な「貴種流離譚」である。
 高額製作費を投じただけあって,ライオンや他の動物だけでなく,背景となるプライドランドの光景も実写と区別がつかないリアリティであった。監督は『ジャングル・ブック』(16年8月号)のジョン・ファヴローで,同作でもオオカミに育てたられた少年以外はすべてCGで描かれていた。冷静に考えれば,人間が1人も登場しないこの映画では,すべてがCGであって不思議はないはずだったが,余りの写実性の高さゆえに,背景はアフリカで現地撮影した実写映像で,そこにCG製の動物を合成したのかと思ってしまった(実際には,1シーンだけ実写背景を使用したという)。他の実写リメイク作は,『ダンボ』(19年Web専用#2)ではダンボ母子や他のサーカスの動物たち,『美女と野獣』』(17年5月号)では野獣の頭部,時計やティーポット等の家具たち,『アラジン』(19年5・6月号)では魔人ジーニー,猿のアブー,空飛ぶ絨毯,等々はCG描画であり,特殊な光景以外の背景は実写映像であった。これがオーソドックスなVFX映画の流儀である。従って,背景までほぼすべてCGで描いた上記2作品のみが,かなり異色のリメイク作であったと言える。
 前作の紹介記事中での多数の画像を掲載したが,改めて別の画像を示しておこう。写真1は代表的なライオン親子の画像だ。写真2の大人のライオンは叔父のスカーだが,意図的に肌の色を変え,傷だらけの体躯で悪役らしく見せている。それを知らないと,こちらも親子に見えてしまう。写真3の2枚は存命時のムファサ王と成長したシンバである。シンバはまだ青年期なので鬣が短いが,それを指摘されないと簡単には見分けられない。写真4はサバンナ草原に棲息する象やシマウマであるが,これもすべてCG描画である。全編がほぼこの高クオリティで描かれている。
 であれば,フルCGアニメと称していいはずだが,そう分類されることは多くない。ディズニー側では,WDA担当作品でなく,Walt Disney Pictures製作なので実写リメイク作扱いされたいのだろう。それを忖度してか,各映画祭ではアニメ部門よりもVFX部門でのノミネートの方が多い。ただし,アカデミー賞は視覚効果賞部門であったのに対して,GG賞は長編アニメ部門の候補作であった。これはGG賞には視覚効果賞がなかったためと思われる。


写真1 厶ファサ王と子供時代のシンバが登場する典型的なシーン

写真2 スカー(右)はみすぼらしく描かれているが, 親子のように見えなくもない

写真3 厶ファサ王(上)と青年期のシンバ(下)は, 鬣の長さが違う

写真4 他の動物や草原の描写も, 既にこのレベルに達していた
(C)2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

【前作での違和感の再確認】
 写実的で高臨場感の背景CG映像には感激しつつも,前作の紹介記事では,ライオンが言葉を話すことの違和感を問題視した。所謂「不気味の谷 (Uncanny Valley; UV)」の変形版だと感じたのである。即ち,CG製の人間の写実性が向上し,あるレベルを超えた時に表情や仕草の僅かな不一致が急に気になる通常のUVに対して,前作ではリアルなムファサ,スカー,シンバ等が人間の言葉を話すことに違和感を感じたのである。CG描写は完璧に近いので,これが動物らしい唸り声であったなら,全く違和感はなかったと思う。
 そもそも実写映画中でCG製の動物に言葉を話させるのは,豪州映画『ベイブ』(95)が嚆矢である。今思えば,さほどのCGレベルではなかったものの,主人公の子豚のベイブの表情変化が愛くるしく,口の動きとセリフとのリップシンクが取れていて,アカデミー賞視覚効果賞を受賞した。その後,こうした利用法は「アニマルトーク」と呼ばれるようになり,多数のファンタジー映画で採用された。超実写の前作『ライオン・キング』でも,イボイノシシのプンバァやサイチョウのザズーの会話には,不自然さを感じなかった。これは,こうしたサブキャラ動物たちの表情や動きが大袈裟であったため,擬人化された動物だと感じたためであると考えられた。即ち,擬人化度が高いと「アニマルトーク」の違和感は少なく,リアルすぎて擬人化度が低いとトークの不自然さが増すという仮説が思い浮かんだ。
 前作の完成披露試写会は字幕版上映であった。即ち,シンバもスカーも英語を話すのである。日本語吹替版の本編は観ていなかったが,日本語の予告編はそう不自然に感じなかった。これは,英語音声に比べて日本語吹替音声はライオンの口とのリップシンク度が低いため,逆に擬人化度が高くなり,「不気味の谷」への到達の手前で踏み留まっているのだと解釈できた。こちらの仮説は正しいか,音声が言語を簡単に切り替えられるDisney+で前作をじっくり眺めることにした。
 結論を先に言えば,英語のセリフの方が日本語吹替よりやや違和感は大きいものの,逆の場合もあった。ライオン個体の口の開き具合や表情,声優の声色とセリフの抑揚,各シーンでのセリフの量にも依存していた。それでも,ムファサの声を演じる大和田伸也のセリフは違和感が少なく,大人になったシンバの声を演じるドナルド・グローヴァーの方が明らかに違和感は大きかった。前者は口数が少なく,大和田伸也の落ち着いた声と言い回しが,威厳あるムファサ王の表情にマッチしていた。一方,後者のシンバも口元の動きは少ないのに,多弁で滑らかな英語音声とフィットしていなくて,ライオンがこんな流暢に言葉を話す訳はないと感じてしまった。その一方で,子供時代のシンバやタラの日本語音声は,大人の女性の声優が甲高く大袈裟な口調で子供を真似て話すので,逆にこれは擬人化された子供ライオンの声だと感じてしまう。不自然かどうか以前に,吹替えとはこんなものだと思う慣れのせいだろう。TVアニメや人形劇のセリフ,さらには人形を使った昔ながらの腹話術も,これに近い感覚で受け止めていると思われる。
 では,実写リメイク『ジャングル・ブック』(16)はどうだったのだろうと,こちらもDisney+配信動画を日英両方で確認した。いま改めて観ると,動物の発話に少し違和感があるシーンも存在した。当時のスクリーン試写でそう感じなかったのは,人間の少年が多種類の動物たちと平気で話すこと自体が「現実には有り得ない童話」だと思って眺めていたので,擬人化の最たるものであり,こちらも「不気味の谷」を感じる以前の心理状態であったのだと思われる。
 以上をまとめると,対象動物,表情(特に,口元の動き),セリフの量,声優の声色にも依存するので,違和感の発生原因は一概には言えない。さらに感じ方にも個人差もあり,単純な仮説では通用しなかった。ただし,擬人化度(≒ファンタジー度)が高いと「不気味の谷」に達することなく,不自然に感じないことは確かなようだ。

【本作の概要と新登場キャラクター】
 さて,ようやく「超現実映画」2作目の本作である。前日譚で,ムファサとスカーの「兄第の絆」の物語という触れ込みである。だとすると,弟スカーがいかにしてダークサイドに墜ちたかを確認する映画であるから,『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(05年7月号)を観る気分で,眺めることにした。
 映画自体は,プライドランドの王シンバと王妃サラの間にできた可愛い娘キアラの登場から始まる(写真5)。94アニメ版に姿は出していたが,前作には登場しなかったので,前作の数年後の時代設定ということになる。シンバの鬣がかなり長くなっていることからも,それは伺える。シンバの要請により,キアラがある年齢に達した時に聞かせるとの約束で,マンドリルで祈祷師のラフィキが,洞窟の中でキアラ相手にムファサ王がいかに王国を築いたかを語り始める(写真6)。ここからが前日譚であるが,途中で何度も(この映画の)現代に戻る。ここにお馴染みのティモンとプンバァのコンビが登場し,合いの手を入れる(写真7)


写真5 まず登場するのは, シンバの可愛い娘キアラ

写真6 祈祷師のラフィキが, キアラに祖父の過去を話して聞かせる

写真7 お馴染みのティモン(右)とプンバァもちゃっかり再登場

 昔話はムファサの少年時代から始まる(写真8)。父マセゴと母アフィアの子供として平和に暮らしていたが,突然の大洪水で濁流に飲まれてしまう。両親とはぐれて流されたムファサは,タカ(後のスカー)に助けられる。タカは別の王国の王子だった。よそ者は排除しろと諭す両親の意に逆らって,タカはムファサを庇い,義兄弟として共に成長する。少年期から青年期までの常に一緒に行動をする姿が微笑ましい(写真9)。ある日,突然現われた凶暴な2匹の白ライオン襲われたが,ムファサは1匹を殺す。逃げ帰った1匹から報告を受けた群れの首領キロス(写真10)はタカの両親を殺し,息子の敵であるムファサらを追う。


写真8 平凡な家庭に生まれた牡ライオンのムファサ

写真9 常に一緒に行動し仲の良い義兄弟のムファサとタカ。
長いノンストップ・シーケンスの中で, 成長の過程が描かれている。

写真10 白ライオンの群れを率いるキロス。本作の悪役。

 からくも難を逃れたムファサとタカは,逃避行の途中で牝ライオンのサラビと知り合い,若き日のラフィキの案内で新天地のミレーレを目指す旅に出る。道中でタカはサラビに恋をするが,彼女が想いを寄せていたのはムファサだった。要するに典型的な男女間の三角関係である(写真11)。傷ついたタカは,追っ手のキロスに居所を教え,彼がムファサに復讐するように仕向ける……。


写真11 サラビ(左手前)が想いを寄せていたのはムファサ(右)だった

 94アニメ版でも前作でも,スカーはムファサ王の実弟とされていたが,実は義兄弟の契りを結んでいたに過ぎなかった。後づけの物語とはいえ,自分が助けたムファサを兄と慕ってきたのに,初恋の結果は残酷で,傷心のタカの嫉妬心は察する余りある。再度の洪水時に,タカがムファサを見捨てる機会はあったが,良心の呵責から,またしてもムファサを助けてしまう。彼に同情する観客も少ないないことだろう。とは言え,ムファサ側に責任はなく,見識も統率力もある実に立派な人格(?)者として描かれている。白ライオン軍の襲撃を前に,無関心を装う他の動物たちに対して,彼は「他人事のように考えていては,この後もどんどん侵略される。ライオン同士の争いと考えず,一致団結して戦うべきだ」と演説する。まるでNATO諸国に対するゼレンスキー大統領の警告のようで,キロスがプーチンに見えてしまった(笑)。
 前作を観ている観客には,結果は分かっている。ムファサと結ばれたサラビは王妃になり,タカは卑屈なスカーと名を変えて生き残るのであるから,本作の悪役のキロスが落命するのも自明である。前作が94アニメ版に酷似し過ぎていてつまらなかったのに対して,本作はそこそこ良くできた物語であった。それでも,人間が演じる劇映画であれば,よくあるストーリーの1つに過ぎない。
 脚本担当は,前作に引き続きジェフ・ナサンソンであるから,両作間の辻褄合わせはしっかりできていた。一方,監督はジョン・ファヴローから,バリー・ジェンキンスに交替していた。監督2作目の『ムーンライト』(16)がアカデミー賞で作品賞,助演男優賞,脚色賞の3つのオスカーを得て,一気に注目を集めた監督である。同じく監督・脚本を担当した『ビール・ストリートの恋人たち』(19年Web専用#1)でも,主人公の母を演じたレジーナ・キングが助演女優賞でオスカーを得た。両作とも黒人社会を描いたブラックムービーであったのに,白人を通り越して,4作目の本作でライオンと動物だけのフルCG映画を撮るとは,全く意外な人選であった。
 新旧の登場キャラクターを整理しておこう。ライオンは4世代が描かれている。ムファサとその両親マセゴとアフィア,王子タカ(後のスカー)と両親オバシとエシェ,ムファサとサラビの子供のシンバ,その妻のナラと娘キアラで,終盤でその弟も登場する。
 継続登場は大人のシンバとサラで,見かけは少し加齢したが,声優は英日ともに同じであった。一方,ムファサもタカ(=スカー)も子供時代は勿論,青年期も前作とは別の声優が演じている。サラビや白ライオン群はすべて新登場である。他のセリフを話す動物では,ディモンとプンバァは現代のシーンでしか登場しないので,印象も同じだった。ラフィキ,ザズーも前作から継続登場していたが,前日譚の中で,サラビの同行者であったことが判明する(写真12)。この中では,サイチョウのザズーだけ声の出演者が交替している(写真13)。これは,日本語吹替も同様だった。今回の完成披露試写は日本語吹替版であったので,英語版の声は予告編でしか確認していない。


写真12 若き日のラフィキ(右)がミレーレへの先導役に

写真13 こちら若き日のザズーで, 元気一杯

【超現実の進化と見どころ】
 ■ 再度「超現実」を標榜している本作の見どころは。景観の美しさである。前作よりもさらに進化していると感じた。何も考えずに観る観客には単なるアフリカの自然風景に見えるだろうが,四半世紀以上CG/VFX技術の進歩を見守って来た当欄としては,これがフルCGとは驚嘆すべき出来事なのである。静止画だと前作とあまり違わないように見えるだろうが,ワイド画面の動画で観ると,よくぞここまで描いたものだと感激する。カメラアングル,カメラワークも絶妙に選択し,太陽光の角度から生じる陰影,天候状態も考慮し,IMAX級のスクリーンで観た時に映えるよう仕上げた映像だと感じる。数シーンだけに限るなら,人海戦術で如何ようにも調整できるだろうが,数多くのシーンでこれをやってのけていることが凄いのである。写真14は,これまで下から見上げ来たお馴染みのプライド岩の上に立って見下ろすシーンである。これが本シリーズ内のサバンナの標準的な光景で,この周辺一帯は完全にCGモデル化されているはずだ。その他,美しい花畑,砂漠に近い砂地,雪に覆われ始めた岩山等々が次々と登場する(写真15)


写真14 プライド岩の上から見下ろしたプライドランドの光景

写真15 前作に比べて, 様々な景観が登場するのが本作の特長

 ■ つららや雪原も美しく,その雪原の新雪を踏みしめた足跡も見事に描いている(写真16)。ライオンの棲息地に雪山があるのかと一瞬驚くが,物語は追手の追撃を避けながらミレーレを目指す逃避行であるから,タンザニア名物のキリマンジェロの中腹より上まで回り道していたと考えれば不思議ではない。水辺や大洪水もしっかり描いてあったが,滝の描写も圧巻だった。大滝をCGで描くこと自体は珍しくないが,白ライオンに追われた厶ファサとタカが滝の上部からジャンプして,下の川の中から浮かび上がるまでの一連の描写が秀逸だ(写真17)


写真16 雪山の描写も感動的。道中であって, ここにライオンが棲息している訳ではない。

写真17 滝の上部からジャンプして何を逃れるムファサとタカ。
この一連のシーケンスでのカメラワークと水の描写が秀逸。

 ■ 当のライオンは,もはや完成の域と思ったのだが,やはり表現力は増している。毛の一本一本を丁寧に描いているので,鬣の質感は増し,表情も豊かになっている(写真18)。顔面の筋肉モデルを精緻化し,その制御方法を改良すれば,表情自体は豊かにできる。加えて,顔の骨格,部品を少し変えれば,少しだけ異なったライオンは何匹でも作れるし,個性のある表情にもできる。ただし,観ている側は,人間ほど簡単に個体識別できるわけでなく,どれも同じように見えてしまう。ここで,読者にテストを出してみよう(写真19)。既に本作を観終えていた場合も,4世代の中のどのライオンなのか,答えられるだろうか? 映画本編中では,会話相手が名前を出し,一度分かるとそのシーンが続く限りは判別できるよう工夫されている。間違いなく,前作よりもセリフに見合う大げさな表情をさせている。そのため,本物そっくりのライオンが言葉を話す違和感は軽減されていた。その反面,ライオンがこんな表情や挙動をする訳はないだろうと感じるシーンがいくつもある。漫画風の2Dキャラやおよそリアルでない3Dキャラのライオンであれば,どんな大仰な表情をしようと不自然でないのは,前作についての議論と同じである。


写真18 (上)鬣の質感も口の中の描写も一段とリアルに
(下)悪役のキロスは, 嫌な表情も描けるようにパワーアップ

写真19 読者へのライオン識別力テスト(答は最下行に掲載)
問1:(上)(中)それぞれのライオン一家の構成メンバーは?
問2:(下)この2匹の関係と名前は?

 ■ 余り厳密に分析していないが,他の動物の種類も頭数も増え,それぞれの描写もより詳細化しているように見えた(写真20)。その多頭数が崩れた崖を一気に下るシーンは正に圧巻で,見応え十分だった(写真21)。動物ものドキュメンタリーではまず有り得ないシーンなだけに,余計にこの「超現実映画」の映像クオリティの高さ感じるシーンだ。ただし,この種のシーンが加わったことにより,今回の前日譚が格段に面白くなった訳ではないのが辛いところだ。本作のCG/VFX担当は,前作同様MPCで,ほぼ1社だけで全シーンの処理している。前作と本作を合わせて,VFX史に残る偉業と言えば偉業なのだが,一般観客の作品評価と興行成績がそれに比例していないことが残念である。


写真20 本作に登場する動物たち(写真4と見比べると良い)

写真21 前作のヌーの大群の疾走に比べると, 動物は多彩で, 構図も複雑
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【総合評価:超現実映像の必要性】
 再度「超現実映画」を名乗る本作を,技術的には高く評価するものの,当欄の評点は前作以下の平凡な評価に留めた。これだけの写実性で動物の表情や挙動を描き,かつ動物に言葉を話させる意義が感じられなかったからである。
 昔から,絵画では「鳥獣戯画」,物語では「浦島太郎」「イソップ」等で,動物たちを擬人化して描き,言葉を話させることは童話の常套手段であった。そのやり方で人間社会を皮肉ったり,あるべき姿を語ることを否定する必要はないし,これからも続くだろう。当欄で変形版「不気味の谷」と呼んだように,CG製のリアルな動物のアニマルトークや過剰な表情変化を本物らしくないと感じてしまうなら,「超実写映画」はむしろ逆効果である。個人差があるので,筆者らように「違和感」を感じない人々もいることだろう。百歩譲って,それを認めるとしても,前作が多くの識者から批判を浴びたように,そもそも「超実写映画」が童話の実写映画化に必要なのかという問題に直面する。人間は生身の俳優が演じ,動物はシンプルな漫画風の描画で十分だということになる。即ち,前作や本作のような「超実写映画」は,CGの正しい使い方であると思えないのである。
 その意味では,フルCGアニメで背景はそこそこリアルに描き,人間や動物を簡素化した描画に戻している最近の傾向は合理的と言える。コストをかけた「超実写映画」には,メリットを見出せない。当欄では再三述べたが,かつて人物も極力リアルに描こうとした『ベオウルフ/呪われし勇者』(07年12月号)『Disney's クリスマス・キャロル』(09年12月号)の試みは見事に失敗し,全くその路線は継承されなかった。せいぜい,今月号で紹介した『クリスマスはすぐそこに』程度の味付けで十分なのである。
 ただし,人物をリアルなCGで描こうとした技術は,デジタルダブルなる用途で生き残り,最近の映画制作では当たり前のように採用されている。そう考えれば,動物や背景を本作のように描く技術は,もっと限られた用途で威力を発揮すると思われる。リアルな景観は,既にデジタルマット画としてロケ地撮影のコストを軽減しているし,本物の動物では演技し切れないシーンでのデジタルアニマルの利用が増加することは容易に考えられる。劇場用映画以外で,科学技術解説映像,シミュレーション映像,MVやPVでの活用まで拡げれば,フルCGの「超現実映像」は大いに有り得ると考えられる。


写真19のテストの答
問1:(上)父=マセゴ, 母=アフィア, 子供=ムファサ
   (中)父=オバシ, 母=エシェ, 子供=タカ
問2:父シンバと娘のキアナ


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