O plus E VFX映画時評 2025年3月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
をつけています)
(3月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『教皇選挙』(3月20日公開)
邦題は簡潔だが,原題もシンプルな『Conclave』である。言うまでもなく,キリスト教の最大の教派・カトリック教会の最高指導者で,バチカン市国の元首である新教皇を決めるための選挙である。過去に部分的にこの選挙の模様を描いた映画は何本もあった。当欄では,『天使と悪魔』(09年6月号)『ローマ法王の休日』(12年8月号)『ローマ法王になる日まで』(17年6月号)『2人のローマ教皇』(19年Web専用#6)がそれに当たる。現教皇の死去から新教皇の選出までだけを描いた映画は初めてだ。なかなか決着がつかず,延々と再投票が繰り返され,何度も黒い煙しか見られない展開が予想された。
この映画の存在を知ったのは,昨年暮のGG 賞ノミネート作の発表時である。6部門にノミネートされ,「脚本賞」を受賞した。続くアカデミー賞では8部門にノミネートされた。試写を観たのは,それから授賞式のまでの間だが,期待に違わぬ良作で,文句なしに素晴らしい映画と断言できた。当欄の予想記事では,「衣装デザイン部門」で対抗○,「脚色賞部門」で獲らせたい願望☆をつけたが,後者が達成された。絶賛しておきながら「作品賞部門」で無印にしたのは,本作の結末にカトリック教会からの反発が予想されたからで,同じ予想をするアカデミー会員は本作に投票しないと考えたからである。
映画は,現教皇が心臓発作で急逝するシーンから始まる。「使徒座空位」期間中に新教皇を選出する「コンクラーベ」を執り仕切るのは,英国人のローレンス首席枢機卿(レイフ・ファインズ)であった。世界中から100余名の枢機卿が呼び集められ,重い扉で仕切られた密室内で互選の無記名投票を行う。2/3以上の票を得る者が決まるまで,枢機卿たちは宿泊施設の聖マルタの家と選挙会場のシスティーナ礼拝堂の間を行き来する。有力候補者は,アメリカ人のベリーニ(スタンリー・トゥッチ),ナイジェリア人のアデイエミ(ルシアン・ムサマティ),イタリア人のテデスコ(セルジオ・カステリット),カナダ人のトランブレ(ジョン・リスゴー)の4名であったが,主義主張が異なり,互いに敵対視していた。
選挙管理入ローレンスを悩ませたのは,選挙名簿にないメキシコ人でカブール教区から選出されたベニテス(カルロス・ディエス)の急な参加,修道女の訴えによるアデイエミが30 年前に犯した性的スキャンダル,聖マルタの家の運営責任者のシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)の証言によるトランブレの不正疑惑,等々であった。保守派とリベラル派の対立の上に,陰謀,露骨な差別,強引な票集め,タレコミが登場し,まさに政治劇そのものだ。聖職者がここまで泥試合とは呆れた。観客の誰もが穏健で人格者のローレンスが適任だと思うが,彼にはその野心が全くなかった。
原作はジャーナリストのロバート・ハリスが著した同名小説で,監督はオスカー4冠の『西部戦線異状なし』(23年1月号)のエドワード・ベルガーである。システィーナ礼拝堂内部の映画撮影は許可されないので,本物そっくりの大規模セットがローマ・チネチッタ撮影所に組まれた。枢機卿の赤い法衣は定番だが,貸衣装は採用せず,新たな布地選択から始め,本物より深みのある色にしたという。黒地に赤のボタンやラインが入ったコートとの組合せが見事だった。枢機卿たちが白い傘をさして広場にいる光景を上空から捉えた映像にはうっとりした。美術部門のオスカー候補であったことも頷ける。
本作が意外な結末であることは,広く知られている。終盤の展開から,選出される新教皇を想像するのは難しくないが,この結末だけはまず予想できまい。それくらい衝撃のエンディングである。
■『ネムルバカ』(3月20日公開)
例によって,この若者映画を観る気になった理由から始める。何と言っても,この強烈な題名が最大の要因だ。レベルが高い単館系の洋画に,配給会社がこんな題名をつけるはずはないから,間違いなく邦画で,原作は人気コミックだろうと予想した。その通りだったが,定番のTVアニメ化はされていなくて,いきなり実写映画化である。
原作は2006年11月から2008年3月まで月刊誌に不定期連載された石黒正数作画の同名コミックで,全1巻で単行本化された。監督は『ベイビーわるきゅーれ』シリーズの阪元裕吾だが,当欄で取り上げるのは初めてである。大学の女子寮に住む2人の女子学生の日常を描いた作品であり,等身大の主人公に共感する読者に人気があったようだ。適切な評価をする自信はないが,若者文化を勉強するつもりで本作の試写を観た。当欄の読者の参考になるかは怪しいが,素直な感想を述べる。
主人公の1人,入巣柚実(久保史緒里)は平均的な女子学生で,入学当初の意欲は失せ,特に打ち込むこともなく,古本屋でアルバイトをするだけの自堕落な学生生活を送っていた。一方,同室の先輩・鯨井ルカ(平祐奈)はインディーズバンド「ピートモス」でギター&ヴォーカルを担当し,自らの夢を追いかけていたが,いつも金欠状態だった。映画の前半は柚実中心に描かれていて,ルカを誘って安い居酒屋でダラダラ飲んだり,暇つぶしに古い海外ドラマを見る日常であった。柚実の同級生・田口(綱啓永)と伊藤(樋口幸平)が遊び仲間だが,田口が先輩のルカに一目惚れして大声で告白したり,柚実が下心ミエミエの下品な先輩(「ロングコートダディ」の兎)に口説かれそうになるエピソードが描かれている。
後半は一転してルカ中心の物語となる。大手レコード会社から注目されたルカは,バンドを捨てて,匿名の歌手「A」としてデビューするよう勧誘される。音楽業界のアイドル売り出し作戦の実態が描かれている。ある日,ルカからチケットが届き,柚実と「ピートモス」のメンバーはルカのライヴに駆けつけるが,ステージ上のルカは大観衆を前に驚くべき行動をとる……。
難病や悲恋,暴走族の縄張り争いや薬物中毒,LGBTQ,タイムリープ等は一切なく,終盤のルカの行動以外,全く意外性はなかった。「ネムルバカ」は劇中でルカが歌う曲名だが,漫画で音は描けないので,曲はこの映画で初登場のようだ。2008年当時,SNSはさほど普及していなかったので,最近の若者のSNS中毒も映画で付加されたのだろう。原作者も監督も男性であるのに,男は徹底してバカにされている。憧れであったはずの音楽業界の描き方からは,大人社会への反発も感じられた。
全体として,自分たちの世代をシニカルに見ているのが印象的だった。最も目立ったのは,自分の生き方に「目的をもった人間」と「何ももてない人間」の区別である。後者の前者に対する憧れや,自分が後者であることの焦りが描かれていた。卒業後の人生は長く,いくらでも転機はあるのに,学生時代からそこまで自虐的になる必要はあるのかと感じたのが,素直な感想である。
■『エミリア・ペレス』(3月28日公開):本作の存在を知ったのは,上記の『教皇選挙』と同じく,GG賞ノミネート作発表時であり,試写を観たのも同様に,アカデミー賞ノミネート作発表から,授賞式までの間であった。『教皇選挙』がほぼ第一印象そのままで紹介できたのに対して,本作に関してはかなり複雑な心境で,どんな文言で評価・紹介しようかと迷ってしまった。今年のアカデミー賞で,最多の12部門,13ノミネートされ,作品賞,主演女優賞,国際長編映画賞部門の受賞は確実視されていたのに,結果は助演女優賞,主題歌賞の2冠に終ってしまったからである。これは,作品内容に対する公平な評価ではない。主演女優の過去の発言がほじくり返され,それがネット上で炎上したことにより,一気に賞獲りレースの表舞台から退場したような雰囲気になってしまったためと考えられる。
もう少し詳しく振り返ろう。GG賞には11部門にノミネートされ,M/C部門の作品賞を含む,4冠に輝いた。授賞式前に本作の試写を見ていれば,1月号に掲載し,この個性的な映画の演出や演技を絶賛していたはずだ。醜聞報道があった後も,主演女優賞部門では脱落しても,作品自体の評価は下がらないと考え,アカデミー賞予想記事では,作品賞や監督賞の本命予想をした。もし本作が2月公開であったならば,むしろ応援の意味を込めた記事を授賞式前の2月号に書いていたと思う。それがたった2冠で終ったのには,理不尽だと憤慨した。GG賞の同部門で5ノミネートながら,無冠で終った『ANORA アノーラ』(25年2月号)が,アカデミー賞では最多の5冠を得たのだから,まさに漁夫の利,棚ぼたである。本作の監督にとっては,まるでエースキッカーがレッドカードで退場した上に,オウンゴールまでやらかして,W杯決勝戦で敗退したようなものだ。どういう慰めの言葉をかけようかと迷う心境だったのである。
閑話休題。本作の舞台はメキシコシティで,女性弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)は麻薬カルテルのボスのマニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)から驚くべき極秘の依頼を受ける。彼は「女性としての新しい人生」を望んでいたので,リタはテルアビブでの性別適合手術を手配した。手術は成功し,妻子はスイスに移住させ,マニタスは自らの死を偽装した。4年後,マニタスは女性「エミリア・ペレス」となって,ロンドンでリタに再会する。エミリアは我が子と暮らすことを切望したので,妻子をメキシコシティに呼び戻し,マニタスの裕福な従妹のエミリアと称して,豪邸での同居を始める。ところが,妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)は昔の恋人グスタボ(エドガー・ラミレス)との関係を再燃させ,彼と結婚して,子供と一緒に家を出て行こうとする。激怒したエミリアが暴力を振るい,メキシコからグスタボを追放しようとするが,彼らの逆襲に合い,エミリアが誘拐される。リタが雇った警備チームとの銃撃戦が始まる中,エミリアはジッシーに真実を告げたことから,不幸な出来事が起こる……。
上記の物語進行と並行して,かつてマニタス時代に犯した罪を恥じて,その犠牲者の家族を救済し,行方不明者の捜索活動を行う慈善団体「ラ・ルセシタ(小さな光)」を立ち上げる。 その活動を通して知り合った女性エピファニア(アドリアーナ・パス)にエミリアが恋をすることも描かれている。何と言っても,本作の最大の話題は,マニタス/エミリアを演じるのが本物のトランスジェンダー女性であったことだ。マニタスはいかにも悪のギャングらしく演じ,エミリアは女性としての演技を見せる。かなり大柄で,最初は女性に見えなかったのだが,次第に本物の女性としか思えない表情や仕草となる。
監督・脚本はフランスの名症ジャック・オーディアールで,当欄では『ディーパンの闘い』(16年2月号)『ゴールデン・リバー』(19年Web専用#3)を紹介しているが,いずれも評価を与えた逸品だった。本作は殺伐とした「サスペンス×アクション」となりがちなテーマを,「ミュージカル×ヒューマンドラマ」の形式で見事に結実させている。さすがの名匠の演出力で,観客をエメリアに感情移入させてしまう。病院,手術室の描き方,銃の準備の様子も見事だった。その半面,かつて平然と犯罪に手を染めていた男が,性別移行後に慈善事業に没頭するという設定には,少し不自然さを感じた。それを物ともせずに物語の行方を追ってしまうのは,ミュージカル仕立てでの監督の緻密な演出力である。
幸い,オンライン試写を選択していたので,本稿を執筆するに辺り,もう一度本作をじっくり眺めた。改めて,エメリアは心の中まで女性である俳優にしか表現できない演技だと感じた。どう考えても,今年の作品賞,監督賞のオスカーは本作に与えられるべきであったと思う。
■『ベイビーガール』(3月28日配信開始)
:原題は2語でなく,1単語の『Babygirl』だ。幼女ではなく,主人公は社会的地位の高い熟年女性である。主演はニコール・キッドマン。相手が成人でも,恋人の若い女性に対する愛情表現で「Baby」と呼ぶことは,流行歌の歌詞でも当たり前に登場する。還暦近い熟年女性がこのように呼ばれるとは只事ではない。果たしてどんな映画なのかが興味の的だが,女性監督が撮った女性視点のセクシャルムービーであった。GG賞では主演女優賞部門にノミネートされた作品で,上記のトランス女性とは全く違った形で,映画ならではの現代女性像を描いている。
主人公のロミー(N・キッドマン)は,NY在住の女性で,巨大通販会社のCEOである。舞台演出家の夫ジェイコブ(アントニオ・バンデラス)や子供たちと暮らす富豪であった。ある日の出勤途中に犬に襲われる危機を助けてくれた青年サミュエル(ハリス・ディキンソン)が気になっていた。彼はロミーの会社のインターンであり,こともあろうにCEOのロミーが彼の導入教育担当者になる。個別指導中に2人の距離が急速に縮まり,男女関係に発展する。ロミーの中に眠っていた欲望に気づいたサミュエルは挑発をエスカレートさせる。ロミーは行き過ぎた関係を清算しようとするが,主導権をサミーに握られて逃げ出せず,彼らの情事は秘書のエスメに知られてしまう……。
監督・脚本のハリナ・ラインは,ドイツ出身の女優・脚本家で,長編映画はこれが3作目である。音楽とカメラワークが優れていた。N・キッドマンは既に57歳だが,相変わらず美しい。多少はメイクで誤魔化せるとはいえ,今でもこの美貌と体形を維持していることに驚嘆にする。その点では,『ナイトビッチ』(25年1月号)で同じGG賞主演女優賞にノミネートされたエイミー・アダムスとは雲泥の差だった。サミュエルはロミーを犬のように扱い,戯れる。SEXシーンは多々あったが,N・キッドマンの裸体は登場しない。一度だけ,お尻が露出しているシーンがあったが,後ろ向きであったので,本人か代役かは不明だ。それを除いても,体当たり演技であり,主演女優賞ノミネートに値する演技であった。
夫との結婚生活に刺激を感じなくなった熟年女性が,こういう野性的で傲慢な若い男に惹かれることは理解できる。観客として,主人公と若い間男のどちらに感情移入すべきか迷いながら観ていたが,答えは簡単だった。彼女の配偶者の視点で眺めれば良かったのだ。
この映画に関して,少し興味深かったことがある。「主人公の熟年女性をBabygirlと呼ぶとは,一体どういう関係なのか?」とChatGPTに尋ねると,「その女性が若さや社会的立場,あるいは自己認識に関して葛藤を抱えていて,自身のアイデンティティや人生の選択に対して抱える悩み,欲望,そして時には困難に向き合うことを象徴しているとも解釈できます」「Babygirlという言葉には,熟年女性の外見や内面での若さへの欲求や,あるいは他者からの扱われ方に対する反応も含まれているかもしれません」と答えてきた。サミュエルのロミーに対する扱いまで推測しているのに感心したが,その一方で,答えは断定的でなく,「…とも解釈できます」「…かもしれません」のように少しぼかして答えている。まるで政治家の答弁だ。言語能力が未熟な若者よりも,AIの方が遥かに優れた日本語能力を有していることに感心した。
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