O plus E VFX映画時評 2025年3月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『エルトン・ジョン:Never Too Late』(2024年12月13日配信開始)
 昨年末にDisney+から配信開始されていた映画だが,この映画のために作られた新曲がアカデミー賞主題歌賞部門にノミネートされていたので,全編を観た。題名通り,世界的な人気歌手エルトン・ジョンの半生を描いた伝記映画である。彼の伝記ドラマは,既にタロン・エガートンが彼を演じた『ロケットマン』(19年7・8月号)があり,かなり高評価を得たが,本作はエルトン・ジョン自身のステージが見られ,しかも彼自身がナレーター務めている。ファンにとっては,別の魅力があると思う。素直なドキュメンタリーでネタバレにはならないので,映画全体の概略をざっと紹介する。
 映画はまず1975年のステージから始まる。LAのドジャー・スタジアムで11万人の観客を集めた伝説のコンサートだ。頭髪は既に薄いが,まだ痩せていて,エネルギッシュに動き回っている。1970年デビューで,5年間に13枚のアルバムを発表し,7枚がビルボード誌の1位というのは見事な実績だ。ビートルズ解散後の英国音楽界が生んだ27歳のロック界のトップスターである。
 その後,映画は2つのパートに分かれ,交互に登場する。1つは幼少期の思い出から始まり,ピアノ演奏で頭角を現わし,プロ歌手として人気を得る過程を描き,冒頭の1975年より後の出来事も語る映像記録集である。もう一方は,歌手生活から引退を表明した直後の2022年1月のニューオーリンズでの公演から始まり,北米ラストツアーを10ヶ月後のLAドジャー・スタジアムでのFinal Concertで終えるまでの日記風の映像記録である。47年前と同じ10万人以上を集める公演の再現であり,その準備の模様が克明に綴られている。
 前者をやや詳しく紹介する。両親には馴染まず,かなり暴力を振るわれた思い出しかないという。4歳でピアノを始め,クラシック音楽教育を受けたことが,後の作曲活動に繋がったと述懐している。15歳からピアニストとしてパブで働く。本名はReginald Kenneth Dwightだったが,1969年のソロデビュー時に,覚えやすいElton Johnを芸名とした。作詞は全くダメで,バーニー・トーピンを相棒とし,その後も作曲と歌唱に専念する。1970年が初レコーディングで,1年毎に辿る展開はが判りやすかった。年4枚ペースのアルバム発表で,リハーサルやサービス精神旺盛なステージ模様が続く。
 女性との結婚歴もあるが,次第にバイセクシャルになり,マネージャーのジョン・ライドとは恋仲になったが,破局したことも赤裸々に語られている。その後はゲイに専念し,現在の配偶者との関係が継続している。薬物では,コカイン中毒になり,酒とコカインに溺れる生活が1990年まで続いた。他のミュージシャンとの交流では,ジョン・レノンの登場シーンが長かったのが嬉しかった。オノ・ヨーコと破局時期に彼と別れたヨーコとの復縁と仲介したというエピソードが興味深かった。
 一方のLA公演までの経過記録は長くなるので省略するが,その準備をしつつ歌手生活を振り返る下りも感情がこもっていた。そして,大観衆が待つスタジアムにはドジャーズのユニフォーム調のガウンを着て登場する。コンサートのラストソングは勿論“Your Song”(僕の歌は君の歌)であり,その余韻の中で主題歌“Never Too Late”が流れた。この展開の運びが上手く,いやでも名曲に聞こえる。ボブ・ディランの伝記ドラマ『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(24年2月号)が,ディランのたった4年間半しか描いていないのに対して。本作はエルトン・ジョンの充実した人生を描いた堂々たる伝記ドキュメンタリーであり,一見に値すると思う。

■『フライト・リスク』(3月7日公開)
 カタカナ題名だが,きっと原題はもっと抽象的な単語か人名だろうと想像したのだが,そのものの『Flight Risk』だった。これから飛行機に乗るのに,最初からリスクがあると言われりゃ普通はキャンセルするものだ。それでも乗らざるを得ないか,無理やり乗せられたか,あるいは全くの想定外の出来事で緊急事態に陥るかのどれかに決まっている。密室である飛行機内でのテロ行為や機体トラブル発生で無事生還できるかの危機を描いた映画は山ほどある。わざわざこんな陳腐な題名にしたなら,よほど面白くなければ承知しないぞの思いで観ることにした。
 宣伝文句は「上空10,000フィート/タイムリミットまで残り90分/搭乗者全員ワケあり/史上最悪のフライトへようこそ」である。高度1万米じゃないのか,随分低いな。上映時間91分であるから,テンポよく緊迫感があるなら,それでいいなと思った。全員訳アリの演出は,望むところだ。監督は9年ぶりのメル・ギブソン,主演がマーク・ウォールバーグというのが気に入った。きっと彼が快刀乱麻の活躍でハイジャック犯を片づけてくれるのだと,この時点では考えていた。ポスターを観ると,M・ウォールバーグが血まみれの極悪人風の顔をしている。なるほど,何か訳アリのようだ。
 舞台はアラスカ。NYから極寒の地まで追いかけてきた女性保安官補のハリス(ミシェル・ドッカリー)が,ある事件の重要参考人のウィンストン(トファー・グレイス)の身柄を拘束する。これからシアトル経由でNYまで空輸で連行する任務である。迎えに来た専用機は小さなプロペラ機だった。それなら高度3千米で十分だ。経験15年のベテラン・パイロットのダリル役がM・ウォールバーグだった。離陸後,彼は本物の操縦士ではなく,偽物であることが判明する。なるほど,かなりの訳アリである。正体がバレたと知ったダリルはハリスと格闘になるが,ハリスはスタンガンで彼を気絶させ,手錠をかけ機体に拘束する。パイロット不在で,ハリスは重要証人を時間までにNYに連行することができるのか…。
 ここまでで、まだ30分以下だった。基本的に登場人物はこの3人のようで,かなり低予算のB級パニック映画である。それでも,この種の映画の最後はハッピーエンドに決まっているから,裏切りやドンデン返しがあるのか,黒幕が登場するのか,本当にM・ウォールバーグが悪役なのか,等々が関心事であった。
 ネタバレになるので,これ以上は書けない。LGBTQとは無縁で,オカルトやアダルト映画でもない。重厚なヒューマンドラマは期待できず,映画史に残る傑作でもない。それでも入場料分の緊迫感は十分楽しめる。幸い,機体の下に見えるアラスカの景観は美しかったので,それも目の保養になると言っておこう。

■『35年目のラブレター』(3月7日公開)
 一転して,邦画の話題作である。先月の『大きな玉ねぎの下で』と同じ日に試写を観て,「35年後」繋がりに何か理由があるのかと思った,その当の映画である。本作の方を先に知っていた。映画中も実名で登場する夫妻の夫婦愛を描いた完全な実話である。主人公の名前は西畑保。彼は諸般の事情から小学校には2年生までしか通わず,大人になっても字の読み書きができなかった。『美晴に傘を』(25年1月号)の父親は漢字が書けなかっただけだが,こちらはカナを読むこともできない。この夫妻の感動の物語が報道され,それが創作落語になり,その後,小説化,映画化の順で進行した。
 物語は1999年,保(笑福亭鶴瓶)の64歳から始まる。舞台は奈良で,寿司職人として働いていた。まもなく定年を迎える彼は,長年支えてくれた妻・皎子(原田知世)のために,どのように報いるかを考え始めた。彼は小学生の頃,落とした貯金が見つかって名乗り出たが,教師から信用されなかったことで学校嫌いになり,文字の読み書きができない生きづらい人生を送っていた。
 時代は1964年に遡る。就職しても帳簿や書類を読めず,行き先表示も読めない保(重岡大毅)は職場を転々としたが,事情を知った上で雇ってくれた寿司屋では働くことができた。1972年に24歳の皎子(上白石萌音)見合いし,一目惚れで結婚する。文盲は皎子にも隠していたが,半年後に露見し,皎子は「今日から私があなたの手になる」と告げてくれた。代読,代書はしてくれたが,妻に教えられての読み書き訓練は長続きしなかった。
 定年を迎えた保は一念発起し,夜間中学校に通い始める。なかなか読み書きは上達しなかったが,2007年結婚35周年に妻にラブレターを贈る決意をする。皎子への愛は伝わったが,中身はお粗末で,周りからは酷評される。再度書き直して2015年のXmasに贈るつもりが,それを待てずに皎子は他界してしまう……。
 物語としては,保が20年かけて夜間中学を卒業するまで続く。夜間中学校の様子や同級生のバラエティは,山田洋次監督の『学校』(93)にそっくりだった。監督・脚本は,『今日も嫌がらせ弁当』(19年5・6月号)の塚本連平で,ヒューマンドラマは経験済みである。熟年の夫妻も若き日のカップルも好演で,夜間中学教師役の安田顕,寿司屋の親方役の笹野高史,皎子の姉役の江口のり子等の助演陣も充実していた。ハートフルドラマとしては十分合格点をつけることができる。
 それを承知の上で欠点を指摘するなら,夫婦の組み合わせが絶悪だ。主演の笑福亭鶴瓶は外せないとして,妻・皎子役に原田知世を選び,原作の年齢差を変更したことで無理が生じている。俳優2人の実年齢は16歳差だが,映画では13歳差にしている。それ以上に,原田知世は都会的で若く見える。重岡大毅と上白石萌音のカップルは,普通に考えれば仲睦まじいが,13歳違いには見えない(実年齢は5歳差)。重岡大毅が老いて鶴瓶になる訳はないし,上白石萌音は婚期が遅れた女性に見えない。年齢計算を間違えたのか,1972年に24歳の皎子は1947年か1948年生まれのはずで,両親が戦争・空襲で死んだという設定はあり得ない。現在57歳の原田知世もそろそろ老け役をやってもよい年齢であるが,それならもっと老けメイクにすべきだった。それらをすべてクリアしたとしても,『時をかける少女』(83)時代からのファンにとっては,笑福亭鶴瓶が彼女の夫というのは断じて許せないはずだ(江口のり子が妻なら許そう(笑))。
 と苦言を呈したが,物語自体は好い話だ。評点を平凡にしたのは,同じ東映作品の『花まんま』(4月紹介予定)と比較してしまったからである。同作は,配役・脚本・演出,そして登場人物の関西弁まで完璧である。

■『私たちは天国には行けないけど,愛することはできる』(3月14日公開)
 韓国映画で,飛び切り長い題名だ。英題は『No Heaven, But Love』の4単語で完結だが,原題はハングルで19文字,邦題は22文字もある。キャッチコピーは「1999年,世紀末の初恋」である。本作も3人の女性に焦点を当てているが,初恋のお相手に男性はいない。まだ階級差別や性差別が色濃く残る時代に生きる少女たちの愛と成長を描いた青春映画とのことだ。これが長編2作目となるハン・ジェイ監督は,1990年代を過ごした人々にノスタルジアを感じられる映画を目指したと語っている。
 高校のテコンドー部所属の少女たちには,厳しい練習と体罰の日々だったが,試合はコーチたちが仕組んだ八百長が横行していた。部の先輩たちから暴行を受けていたジュヨン(パク・スヨン)は,近くのファーストフード店で働くイェジ(イ・ユミ)の機転に助けられる。ジュヨンの母親が推進する少年院出身者の家庭体験プロジェクトで,イェジが在宅することになり,同室で起居する内に2人は愛し合うようになる。その関係を知った母親はイェジが家から出て行くように仕向ける。
 一方,有力選手のソンヒ(シン・ギファン)は暴力的なコーチの性加害の標的となり,自殺を考えるほど悩んでいた。ある日,その現場を目撃したジュヨンとイェジがソウンを救い,コーチの悪業を告発する。ソウンとの接触を禁じられたコーチの毒牙はイェジに向けられ,さらにジュヨンも暴行を受ける。絶体絶命の2人が取った行動が,大きな不幸の原因となってしまう……。
 Y2Kという言葉を久々に聞き,2000年にコンピュータが暴走すると大騒ぎしていた頃を思い出した。韓国内では,ノストラダムスの大予言による地球終末論の方が大きな話題であったようだ。低成長が続いた日本では,この四半世紀は東日本大震災以外に大きな変化はなかったように感じるが,高度成長が続き,1人当たりのGDPで日本を抜いた韓国にとっては,Y2Kなど「今は昔」と懐古する時代感覚なのかと思われる。
 3人の少女の内,美形度ではイェジを演じるイ・ユミが断トツだった。長い髪も美しい。観客の大半が彼女に恋するに違いない。ジュヨンは素直で好感度がもてる少女,ソンヒは同情を誘う少女と描き分けている。筆者はソンヒに最も感情移入して観てしまった。
 ジュヨンとイェジの同性愛はかなりプラトニックなもので,せいぜいキスし,抱き合う程度で,それ以上の性愛描写はない。母親としてはこの関係は看過し難いだろうが,観客は2人の関係が永続することを望むはずだ。最近のLGBTQ映画からすれば,極めて大人しい方で,これを「レズビアン」と分類するのかと思うほどである。かつて女学校で流行した「エス」(女生徒同士の擬似恋愛)のレベルではないかと感じた(上級生と下級生の関係でなく,本作は同年齢であるが)。ジュヨンが2人で過ごした夢のような日々を懐かしむ心情は丁寧に描かれていて,監督の意図は見事に達成されていたと感じた。

■『ロングレッグス』(3月14日公開)
 本作だけアップロードが遅くなってしまった。どこまで物語展開を明かすべきか,かなり迷ったからである。最初,題名から著名な「あしながおじさん」の実写映画かと思った。そんな心温まる児童文学ではなく,身の毛もよだつ恐怖映画だった。主人公は資産家から奨学金を得て大学を目指す孤児院の少女ではなく,連続殺人鬼を追う女性捜査官である。では,難事件を解決する痛快ポリスアクションかと言えば,それも違う。「『羊たちの沈黙』以来,最高の連続殺人鬼映画」「『サイコ』の息子が書いたサイコホラー」とも言われている。米国では殆ど事前情報を流さない「思わせぶり作戦」で人気を得たそうだが,本邦ではニコラス・ケイジが殺人鬼であることが明かされている。むしろ,それをウリにしていると言ってもよい。
 まず,1974年,米国のオレゴン州で,ポラロイドカメラをも持った少女が謎の声に誘導され,青白い化粧をした男に遭遇する。もうこの時点でこれが殺人鬼であることを暗示している。すぐに時代は20年後に移る。同州では30年間に10件の類似した惨殺事件が起きていた。父親が家族全員を殺害し,自らは自殺した。部外者が侵入した痕跡はないのに,現場には暗号文と「LONG LEGS」なる署名が入った書類が残されていた。
 若い女性刑事リー・ハーカー(マイカ・モンロー)が,この事件の捜査担当を任された。彼女には,犯人の居場所をイメージできる特殊能力が備わっていたからだ。ある夜,彼女の自宅のテーブルに誕生日カードが置かれていて「暗号の出所を明かすと,母親が死ぬ」と書かれていた。その文から暗号を解読できたリーは,いずれにも「14日生まれの9歳の娘」が含まれていて,誕生日の前後6日間以内に事件が起きていたことを発見する。さらに自分の母親ルース(アリシア・ウィット)が事件に関与をしていたと知り,実家に向かい,9歳の自分が写したポラロイド写真を見つける。その写真から,FBIはロングレッグスを逮捕するが,彼は「サタン万歳」と叫び,取調室の机に頭を打ちつけて自害する……。
 全く先の読めない映画であった。犯人の自殺後も物語は続き,上司ウィリアム・カーターの娘ルビーに危険が迫っていた。普通の映画なら,このルビーの危機を救ってハッピーエンドとなるところだが,それで終わらないのが本作である。ここまで情報は開示したので,ホラーファンは是非この映画の手口を自ら楽しんで頂きたい。
 日頃,大抵のホラーには恐怖を感じない筆者も,本作は十分怖かった。ただし,大きな音で驚かせ,惨殺死体や自害の手口がおぞましいだけで,本格派ホラーの王道の怖さではない。この映画を観終わってから,「そういえば,ニコラス・ケイジの出演作のはずだった。自害した白塗り男がそうだったのか」と,ようやく気付いた。整形と白塗りメイクで誰だか識別できない犯人ゆえに,国内配給会社はニコラス・ケイジの名前を強調する宣伝作戦を選んだのである。ちなみに,監督・脚本はオズグッド・パーキンス。ヒッチコック映画の代表作『サイコ』(60)の主演男優アンソニー・パーキンスの息子である。

(3月後半の公開作品は,Part 2に掲載しています)

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