O plus E VFX映画時評 2025年12月号掲載

その他の作品の論評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


(12月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『ボディビルダー』(12月19日公開)
 簡潔な題名で,テーマも主人公もすぐ分かる。予告編も映画本編も,筋骨隆々たる黒人男性がポーズをとっているシーンで始まる。間違いなく彼はボディビルダーだ。原題は少し違っていて『Magazine Dreams』であるが,その意味はあまり無理なく映画中で理解できる。
 この映画のあらすじを読んだ時,試写を観るのは止めようかと思った。精神異常のある孤独な主人公はボディビルダーの世界一を目指していたが,拘りのある性格から些細なことで周囲との摩擦が絶えず,職場を解雇される。堂々たる体躯の彼が癇癪を起こし,暴力的になると手が付けられない。行き場がなくなった彼は,銃に興味をもち,人を殺して,自らも自殺しようと計画する……。
 そんな殺伐とした救いのない映画を観て,当欄で紹介する価値があるのだろうか? そう思ったのだが,予告編の終盤の1行「映画史に刻まれる伝説的名演」を見て,少し気が変わった。主演は『クリード 過去の逆襲』(23年5月号)で主人公アドニスの兄貴分の元天才ボクサーを演じたジョナサン・メジャースである。重量級ボクサーらしい堂々たる体躯であったが,筋肉だらけではなかった。本作の役作りのため,見事な上腕三頭筋と腹筋を鍛え上げたのだろう。その体躯の彼がどんな伝説的名演を見せるのか愉しみにした。
 米国の田舎町に住む黒人青年のキリアン・マドックス(J・メジャース)は,父親が母親を殺害して自殺したため,祖父を介護しながら暮らしていた。スーパーの店員で給料は安かったが,日々筋トレに励み,ボディビル大会で優勝して有名になり,「雑誌の表紙を飾るという夢」があった。チャンピオンのブラッド・ヴァンダーホーン(マイク・オハーン)の大ファンで,部屋中に彼の写真を貼っていた。何度も彼にファンレターを書き,返事か電話が欲しいと望んだが応答はなかった。同じ勤務先の白人女性ジェシー(ヘイリー・ベネット)に恋をして,ようやくデートにこぎ着けたが,食事中に父母の死を語り,彼女にボディビルの知識がないことを責めたため,返答に困ったジェシーは途中で帰ってしまった。
 キリアンは情緒不安定で,時々感情が制御できなくなる。祖父の部屋のペンキ塗りが不十分だと,塗装店に塗り直しを要求したが拒絶され,店主を脅迫し,店内を破壊した。勤務先でも再三客と悶着を起こし,遂に解雇されてしまった。ある日,ボディビル競技会に向かう途中,塗装店オーナーの甥の一味に襲われ,ボコボコされた。それでも大会に出場したが,途中で意識を失ってしまった。精神的に追い詰められたキリアンは,銃を購入し,組み立てる。自分を袖にしたブラッドを逆恨みし,彼を演技ショーの舞台上で射殺し,自殺しようとするが……。
 キリアンや大会出場者らの肉体は見事で,ボディビル演技のポーズには惚れ惚れした。ブラッド役のM・オハーンはイケメンの白人男優で,ボディビル世界大会に4回優勝という実力者である。彼は現実に400以上の雑誌の表紙を飾っている。一方,キリアンは社会の底辺に生きる黒人男性として描かれていて,J・メジャースの演技は真に迫っていた。ジェシーとのデートに向かうウキウキとした様子は微笑ましく,応援したくなった。苛立ちを隠せず,暴力に走ってしまう彼には思わず同情してしまう。それは映画観客としての感情であり,自分の傍らにこんな自分がいたら,きっと避けてしまうだろう。
 本作の監督・脚本はイライジャ・バイナムで,これが監督2作目である。彼は意図的に黒人俳優を起用し,反差別のブラックムービーとして描いたのではない。監督の実体験として,自らが通うジムに毎日通って来る立派な体格の黒人男性には孤独の影と精神的な苦痛が感じられ,誰もが彼が現われた瞬間,目を反らせたという。即ち,これが米国における黒人の構図であり,恐れられながら無視されている存在と考え,映画化を思い立った。ボディビルダーのキリアンは「脆弱な魂と強靭な肉体」として描いたが,「仲間に入れてほしい」「認められたい」という要求は普遍的なものだと語っている。黒人だけでなく,白人でもアジア人でも,承認要求や社会への不満がある人物が起こした事件は,毎日のようにメディアが報じている。本作のキリアンの憎悪の対象は特定の人物であり,結局,殺人は犯していない。一方,現実社会では,絶望感からの無差別殺人が頻発している。
 本作は2年前に完成していたが,驚くべき事件が起きて,オクラ入りになったという。主演のメジャースが元交際相手の女性への暴行・ハラスメント容疑で逮捕され,裁判が公開直前に開廷されることになったからだ。判決では,暴力は故意ではないと認定され,重罪とはならず,懲役刑は免れた。それでも,メジャースは所属会社から解雇され,大作への出演も見送られた。メジャーのディズニー配給網は本作の公開を断念したが,米国ではインディペンデント系からようやく公開の運びとなった。劇中のキリアンと暴力事件のメジャースを重ねたくなりがちだが,彼が事件前に撮り終えていた名演技は本物である。それが日本国内で公開されることは素直に喜ばしい。

■『チャップリン』(12月19日公開)
 こちらもシンプルな題名だ。言うまでもなく,「喜劇王」として映画の発展に多大な寄与をした「チャールズ・チャップリン」のことであり,ファーストネームを入れなくても世界中の誰もが知っている。本作は,極貧の少年時代から,映画俳優&監督としての大成功,スイスで過ごした晩年までの伝記と業績を綴ったドキュメンタリー映画である。
 原題は少し長く,『Chaplin: Spirit of the Tramp』だった。といっても,ドナルド・トランプ大統領とは無関係だ。あちらは「Trump」,こちらは「Tramp」である。「放浪者・流れ者・浮浪者」を意味する言葉で,チャップリンはそれを「ちょび髭,だぶだぶズボンにドタ靴,山高帽にステッキ」という親しみやすい姿で演じ,しばしば「小さな放浪紳士」と呼ばれた。貧しいが誇り高く,優しさとユーモアを失わない主人公で,いずれも人間愛・反骨精神・弱者への眼差しに満ちた映画であった。
 彼の映画を何本も観た読者は少なくないだろうが,彼が被写体の伝記映画は珍しい。映画史を語る番組で経歴や業績は散々紹介されているが,劇場用のドキュメンタリー映画は観たことがない。調べてみると,TV用の映画史シリーズ中の一編はあり,劇場用では俳優が彼の生涯を演じた劇映画は存在している。おそらく,神格視された存在で客観的に描くのが難しく,著作権・肖像権の管理も厳しかったに違いない。本作はチャップリン家初の公認ドキュメンタリーだという。監督・脚本は,孫娘で女優のカルメン・チャップリンで,これが長編監督デビュー作である。なるほど,それなら家族の視点で私生活を語ることができ,肖像権問題もない訳だ。
 映画の冒頭から四男のマイケル(カルメンの父)が語り始め,その後もナレーターとしてこの映画を牽引する。「自分は父と仲が悪かった。子供時代の米国生活は楽しかったが,スイスに移ってからの関係は最悪で,早々と家を出た」という告白に衝撃を受ける。こんな伝記映画は初めてだ。その後,姉で長女のジュラルディン,妹で三女のヴィクトリアと四女のジェーン,弟で六男のクリストファーが父チャーリーの想い出を語る。この計5人の姉弟妹は,全員が4度目の妻で,死別するまでの34年間配偶者であったウーナの子供である。
 チャールズ本人の子供の頃の写真,映画監督初期のインタビュー映像も登場するが,私生活は共産主義者のレッテルを貼られて米国を追放され,スイスに移住してからが中心となっている。チャップリン映画は,初期の『寄席見物』(15)『偽牧師』(23),著名な『独裁者』(40),音楽が美しい『ライムライト』(52)等の10作品のシーンが流れる。家族以外では,映画監督,伝記作家,博物館館長ら12人のインタビューが収録されていたが,少し驚いたのはジョニー・デップが登場したことである。直接チャーリーと親しい交流があった訳ではなく,マイケルの友人で,映画『妹の恋人』(93)で『黄金郷時代』(25)の「パンのダンス」をオマージュしたという関係だった。
 全編を通じて最も印象的だったのは,チャールズにはロマ人の血が1/4流れていたが,それを恥じることなく,むしろ誇りにしていたことであった。ロマ族とは,インドに起源をもつ移動型の流浪民族で,かつては「ジプシー」と呼ばれていた(現在は差別用語とされ,字幕は「ロマ」で統一されている)。「Tramp」とは同義語ではないが,「放浪紳士」にはロマ的な精神性,反権力,階級制度への反発が含まれていたとも考えられる。
 映画の最後にもマイケルが登場し,「父とは対立し,欠点の多い息子だったが,父の思い出はこれからも忘れない」と語る。若き日のマイケルは,有名人の息子であることに反発していたに過ぎない。伝記映画でありながら,まるで息子が父と和解する劇映画の結末のようだった。孫娘が父と祖父の関係を修復させる映画だとも感じられた。監督を含めた家族6人は全員チャップリン姓である。短い邦題の『チャップリン』は「チャップリン家」の実録映画を意味しているのだと受け取れた。

■『楓』(12月19日公開)
 3本続きでシンプルな題名で,しかも漢字1文字である。ロックバンド「スピッツ」が1998年にリリースしたヒット曲をモチーフにした若い男女のラブストーリーとのことだ。その種の邦画はいくつもあるが,食指が動いたのは,監督が名匠・行定勲であったからだ。当欄で紹介したのは『今度は愛妻家』(10年1月号) 『ピンクとグレー』(16年1月号)『ナラタージュ』(17年10月号)の3作品だけで,必ずしも高評価はしていないのだが,大ヒット作『世界の中心で,愛をさけぶ』(04)の記憶が鮮明で,恋愛映画が得意のイメージが強い。
 本作の主人公は木下亜子(福原遥)で,恋人の須永恵(福士蒼汰)と共に天文オタクであり,星の本や望遠鏡に囲まれながらの幸せな生活を送っていた。しかし,毎朝,亜子が出かけるのを見送ると,恵は眼鏡を外し,髪を崩して,別人のような顔立ちになる。この不思議な行動は,観客にはすぐに種明かしされる。実は彼は双子の兄の須永涼であった。約1ヶ月前に,弟の恵はニュージーランドで事故死していた。ショックで混乱した亜子が,目の前に現れた涼を恋人の恵だと思い込んでしまったため,本当のことを伝えられず,ずっと弟のふりをし続けていたのだった。幼馴染の梶野茂(宮沢氷魚)だけは真実を知っていて,双子の両親(加藤雅也と大塚寧々)と共に涼と亜子の行方を見守っていた。その一方で,涼に想いを寄せる後輩の遠藤日和(石井杏奈)や亜子の行きつけの店の店長・辻雄介(宮近海斗)は違和感を覚え始める。二重生活に戸惑いながら,次第に涼にとって亜子は大切な存在になって行く……。
 少し歯の浮くような恋愛映画だと思いつつ見ていたが,しっかり涼に感情移入してしまっていることに気がついた。美しいラブストーリーで,さすが行定勲監督である。恵と亜子が出会った高校時代の回想シーンが何度か流れ,現代の涼と亜子がその高校を再訪する描写にも感心した。天文学,星観察に関する知識もしっかり盛り込まれたいたし,家庭内に設置されていた望遠鏡のレベルも納得できた。ラストシーンの落し所も好い出来であった。
 劇伴音楽も上出来だったが,主題歌「楓」が何度も使われるのかと思ったが,エンドロールで流れるだけであった。ビジュアル的には大きめの楓の葉が少し登場するが,一体「楓」は物語とどう関係しているのか?
 実を言うと,その時代の邦楽には全く興味がなかった筆者には,世代を超えて愛される名曲「楓」とやらを知らなかった。スピッツと言えば,「ロビンソン」しか知らない。エンドロールでようやく「聴いたことはある曲」の程度だった。改めて,この曲の歌詞を調べたが,双子にも天文学にも全く関係がない。どこにでもある平凡な歌詞で,素人レベルの作詞である。ここからよくぞ映画1本分の物語を作り上げたものだ。強いて言えば,「かわるがわるのぞいた穴から何を見てたか」の下りを無理やり望遠鏡だとこじつけたのだろうか。

■『星と月は天の穴』(12月19日公開)
 上記の『楓』を先に観ていて,歌詞の「穴」や「望遠鏡」のことに触れた後だったので,本作の題名こそそれに相応しいと感じてしまった。本作は天文学にも望遠鏡にも全く縁がない。原作は吉行淳之介の同名小説で,『火口のふたり』(19)『花腐し』(23年11月号)の荒井晴彦が映画化している。本業は日本を代表する脚本家だが,監督業はこれが5作目だ。前作『花腐し』の原作は詩人・純文学者の松浦寿輝の同名小説だが,それを大幅に脚色し,モノクロ映像で裸体や性交シーンを何度も登場させていた。その意味では本作も相似形である。ただし,『花腐し』は綾野剛と柄本佑のW主演であったが,本作では綾野剛が主人公の小説家を演じ,柄本佑は久々に再会した同級生役で,少し会話を交わすだけの登場である。
 時代は激動の1969年,東大・安田講堂の攻防やアポロ11号の月面着淕があった年である。主人公の純文学作家・矢添克二は妻に逃げられた43歳の中年男で,馴染みの娼婦・千枝子(田中麗奈)と決まった娼館で身体を重ね,心に空いた穴を埋める日々であった。Part 1の『殺し屋のプロット』の主人公を思い出すが,矢添には裏稼業はない。新作小説の主人公を作家・Aとして自らを投影し, 20 歳年下の大学生・B子(岬あかり)との恋模様を綴り,「精神的な愛の可能性」を探求していた。映画の中では,綾野剛が2役としてAを演じる物語が同時進行するので,注意して観ていないと少し混乱する。『花腐し』のように,この劇中劇をフルカラーにしてくれれば識別しやすかったのだが,そうはしなかった。全編がモノクロ映像ベースであり,口紅,赤信号,盲腸の手術跡等々だけを鮮やかな赤色のパートカラーにして強調するという演出方法を採用していた。
 吉行淳之介がこの原作を上梓したのは1966年で,当時42歳,映画の前半の1969年冬は44歳でバツイチであったから,矢添にも作家・Aにも自らを投影していたと思われる。かなり女性にモテた半面,女性蔑視・女性差別の作家として知られているが,劇中の矢添克二の発言にもそれが感じられた。まさに吉行の分身である。
 映画中の現実世界での矢添は,ある日画廊で出会った大学生・瀬川紀子(咲耶)と会話を交わし,食事を共にする。帰路の途中で紀子が失禁したことから,2人の距離は一気縮まり,男女関係の一線を越えた上に,頻繁に互いを求め合う関係となる。良家の子女で教養ある女性と思われた紀子との激しいSEXシーンは5回に及ぶ。その恥態は驚くばかりで,これじゃ純文学の衣を着たポルノ映画だ。原作が芸術選奨文部大臣賞受賞作とは信じがたい。純文学性を感じたのは,矢添が書く原稿用紙上の文体だけだったから,ポルノ映画出身の荒井監督独自のビジュアル化に違いない。咲耶の体当たり演技は,荒井監督が「いやらしい」と言うほどの濃厚さであった。
 咲耶以外でも,小説中のB子との情事のシーンや別の娼婦(MINAMO)の裸体もしっかり登場させている(個人的には,彼女をもっと観たかった)。それでいて,娼婦役の田中麗奈には全く脱がせていない。かつての日活ロマンポルノの女王・宮下順子は娼家「乗馬倶楽部」の女主人役を演じていたが,さすがに現在76歳の彼女も情交シーンには登場させていなかった。
 ともあれ,ポルノ風の味付けばかりが目立つ荒井映画であったが,矢添の部屋から見える公園のブランコの描き方には,純文学の香りが感じられた。ちなみに荒井監督と筆者はほぼ同世代であるが,理系出身の筆者には,早稲田一文出身の荒井晴彦が学生時代に読んだ吉行淳之介の小説から何を学んだかを論じる自信はない。

■『映画ラストマン -FIRST LOVE-』(12月24日公開)
 福山雅治と大泉洋がコンビを組むバディものの刑事ドラマというだけで食指が動く。ただし,題名の冒頭に「映画」があるから,オリジナル企画ではなく,舞台劇かTVドラマを映画化した作品だと分かる。2023年4月からTBS系の日曜劇場枠で放映され,人気を博した全10話の『ラストマン 全盲の捜査官』の続編として製作された映画版である。噂には聞いていたが,新作映画を当欄で紹介するだけで精一杯で,地上波放送のTVドラマまで追う余裕のない筆者には,有難い企画である。同じような嗜好で,TVシリーズは観ていない読者のために,この映画に至るまでの人物関係を整理しておこう。
「全盲の捜査官」とは,福山雅治演じるFBI捜査官・皆実広見であり,10歳の時に強盗放火事件に遭遇し,両親を殺害された上に視力も失った。祖父母に引き取られて米国で育ち,大学在学中の心理学論文でFBIにスカウトされ,特別捜査官となった。並外れた嗅覚・聴覚で難事件を解決する最後の切り札という意味で「ラストマン」と呼ばれている。両親の殺害事件を追うため,交換研修生として日本にやって来た。福山雅治は,英語が堪能で,頭脳明晰な捜査官には似合わないと思うが,視聴率目当てのTVドラマならあり得るキャスティングだ。
 大泉洋が演じるのは,日本での相棒役に指名された警視庁捜査一課の警部補・護道心太朗で,東大法学部卒のキャリアながら,一介の刑事として犯人逮捕のためには手段を選ばない孤高の無頼漢である。こちらもとても東大卒と思えない風貌と品性であるが,意外性を強調するゆえの人選なのだろう。残念なことに,水と油の関係の方が面白かったのに,既に2人は実の兄弟であったことがTV シリーズ内で判明している。助演陣では,心太朗の甥で警察庁の管理官・護道泉役の永瀬廉,皆実の目となりアシストする捜査官・吾妻ゆうき役の今田美桜,その他,木村多江,吉田羊,上川隆也,松尾諭,今井朋彦,奥智哉らがTV版から引き続き,同じ役で登場する。
 本作のヒロインで,映画版に相応しいビッグネームは宮沢りえで,何と,天才エンジニアで世界中が注目する衛星自動監視システム“グラッズ”の開発責任者という役柄だ。軍事転用を意図して類い稀なる頭脳が狙われ,ロシアからの亡命を希望している人物である。こちらも「りえちゃん」には似合わない大仰な役であるが,その一方で,皆美の初恋の人という設定が物語の根幹をなしていた。福山雅治と宮沢りえという組み合わせは,美男・美女であり,実年齢56歳と52歳という年齢差も,似合いのカップルように思えるが,筆者らの世代には少し違和感がある。芸歴では圧倒的に宮沢りえの方が長く,主演の福山雅治が貫録負けしていると感じるのである。
 事件は北海道で起き,ナギサと娘のニナ(月島琉衣)を国際テロ組織が追い詰める。FBI, CIA,北海道道警の合同チームが親子を保護しようとするが,内通者によって情報が漏れ,襲撃を受ける……。真冬の北海道が舞台となると,活き活きとして活躍するのが大泉洋であり,地元人気を当てにしての映画企画でもある。札幌に始まり,ニセコから見た羊蹄山の美しさ,そして函館の見事な夜景で結ぶ等,観光映画としては秀逸であった。
 監督・平野俊一,脚本・黒岩勉はTVシリーズから継続登板である。盛り沢山で,サービス精神には溢れていたが,物語の緊迫感も俳優陣の演技もTVレベルを超えていなかった。もっとズバリいえば,安っぽ過ぎる。そんな中で,初々しく好感がもてたカップルがいた。皆美とナギサの若き日を演じた若手男優と女優である。公開日まで名前を出さないよう箝口令が敷かれていたので,ここでも伏せておこう。どちらかと言えば,いま注目の若手女優が主だが,男優も釣り合いが取れていた。次はこの2人が主演の本格ラブストーリーを観たくなった。

(以下,12月後半の公開作品を順次追加します。)

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