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sfxビデオ観賞室
 
O plus E誌 2000年2月号掲載
 
   
 
映像に描かれた世界の虚構性を考える2作品
 
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『トゥルーマン・ショー』
(1998年パラマウント映画)
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『カラー・オブ・ハート』
(1998年ニュー・ライン・シネマ作品)
   
  『トゥルーマン・ショー』は,主役のジム・キャリーの好演技が話題になり,助演のエド・ハリスと揃ってゴールデン・グローブ賞を受賞した。一方の『カラー・オブ・ハート』の日本公開は1999年3月で,ほぼ全編がモノクロとカラーが入り交じった特撮映画ということで話題を呼んだ。
 どちらもTV番組を題材にしているが,前提も表現法もまるで違う。それでいて両作品を見比べてみると,視覚効果 は観客のためのものなのか,監督のためのものなのか,映像の虚構性について考えてみたくなった。『トゥルーマン・ショー』の前提を知らない読者には,この先を読まずにまず映画を見てもらいたい。予備知識なしで見て,以下の雑文を読んでから,もう一度見直すことをお勧めする。
 
 
 嘘っぽく見せるための視覚効果 
  何とも妙に魅力的な映画である。映像も演出も何か変だなと感じながら見ていると,映画の半ばでタネが明かされる。主人公のトゥルーマン・バーバンクの一挙一動は5,000台のカメラで観察され,生まれてから約30年間の生活が1日も休まず高視聴率のテレビショーとして世界中に放映されている。しかも,本人だけがその事実を知らないという。なるほど,それで謎が解けた。でも,一体どうやってこの決着をつけるのだろうと訝っていると,見事な結末に感動させられる。謎を知ってからもう一度見直して,視覚効果の使い方にも演出の見事さにも感心した。恐らく,観客も業界人も二度三度と見ることを計算して作られたのだろう。
 通常,視覚効果は限られた撮影条件の中で,なるべく本物らしく見せるための映像技術である。それがこの映画の中では,逆の効果 として使われている。トゥルーマンの生活空間は,すべてがTV番組のために作られたセットである。それを観客に意識させるため,大きめの月も鮮やか過ぎる夕焼け空も,恣意的に嘘っぽく作られている。人工の街シーへブンの全景は,実在のフロリダのコミュニティをヘリコプターから撮影し,運河や地平線を書き込んで絵ハガキのように描かれている。トゥルーマンが身の回りの不可解な現象に疑問を抱くと同時に,観客もこの虚構に気づけるように配慮されている。これをリアルに描いてしまっては元も子もない。
 すべてがそうかというと,巧みなところで正統な視覚効果も使っている。シーへブンのダウンタウンエリアを描くのに,実在の街に適当な建物がなく,セット内にビジネス地区が作られた。ここで経費節減のため,1階部分だけを建て2階以上はCGで生成したのである(写真1)。平屋部分も最初からCADで設計されたので,2階以上のパース合わせも,平面 のテクスチャーを加減するのも無理はなかった。今後この手法を用いれば,容易に高層ビルも描くことができる。
 
 
(a)セット内につくられたのは平野部分だけ (b)実物テクスチャを貼って3階建に
写真1『トルゥーマン・ショウ』
(c)1998 Paramount Pictures Corporations. All rights reserved.
(Courtesy of Matt World Digital)
 
   
   もう1ケ所の圧巻は,LA郊外のバーバンク市とハリウッド丘陵の実写 映像に合成された巨大ドームのシーンである。シーへブンの街からどんどんカメラを引いていってこのドームを見せられた時,一瞬アメリカのメディア資本とハリウッドが結託すれば,これくらいはやりかねないと感じてしまった。意図を知って海に船で逃げ出したトゥルーマンに人工的な嵐が襲う。この嵐のイフェクトやドームの壁面 の描かれたマット画は,嘘と分かっていながら妙に生々しい。「トゥルーマン・ショー」の映像は,映画の中で描かれたTV番組でありながら,この映画の観客に見せる映像でもある。この二面性を巧みに演出したところを注意して見ると,面白さも倍加するだろう。  
   
 80%以上がディジタル処理の産物 
   『Pleasantville』が『カラー・オブ・ハート』の原題である。多チャネルTVで放映されている同名のホームドラマの世界に,熱狂的ファンである少年と双子の妹の2人が魔法で送り込まれる。1950年代とおぼしき純真無垢で面白みのないモノクロの世界は,2人の行動が巻き起こす衝撃で次第に色づき,やがてフルカラーの街に変貌するという展開である。
 カラー映画でも回想シーンをモノクロで描くのは常套手段であるし,モノクロ基調の映像に一部のみがカラーという表現は,一時TVコマーシャルで流行した。この映画はほぼ全編をそのアイデアで通している(写真2)。
 
   
 
写真2『カラー・オブ・ハート』
(c)1998 New Line Cinema. All rights reserved.
 
 
   これだけの長さとなると小手先の技法では通用しない。上映時間125分の80%以上のフル画面 を一旦ディジタル化し,個別にカラー処理を施したという。CG抜きでここまでディジタル技術を使ったのは例がない。スキャナーの使用頻度もディジタル・データの保存容量もハンパではなかったはずである。
 基本となるのは,マスクパターンに従ってカラーとモノクロ領域を分離することだが,じっくり見ると細部で微妙な色処理が施されている。例えば,燃え盛るカラーの炎は,モノクロの人物にうっすら赤みを帯びて照り返している。また,カラー化された人物だけが浮き上がってしまわないよう,適宜彩度調節がなされているし,モノクロ部分にもうっすらとした色づけがなされている箇所もある。
 脚本家として知られるゲーリー・ロスの監督デビュー作で,VFXスーパバイザーのクリス・ワッツに加え,美術家のマイケル・サザードをカラー・デザイナーに起用した。エディテル・ハリウッド,コンピュータ・フィルム・カンパニー,シネサイトの3社がVFXを担当し,カラー処理に関するかぎりstarstarstar級の技術を発揮した作品といえるだろう。
 
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 もう少し面白くできたはず 
 
昔から不思議だったのですが,一部だけカラーというのはどうやって作るのですか?
いくつもテクニックはあるんですよ。まず,白黒フィルムに手作業で着色。これは修復技術でもよく使う手です。次にその逆で,カラー・フィルムから欲しい物体や人物だけをマスクして背景の色を抜く。もっと幼稚な方法では,モノクロ背面投影のスクリーンの前に人物を立たせて撮影したり,部屋も家具も白黒で作っておいて,リンゴとかコーラの瓶だけカラーにするとか。
なるほどー,そうだったんですか。で,この作品はそのすべてを使い分けていると。
いや,すべてカラー・フィルムで撮影し,ディジタル化してからモノクロにしたそうです。
お金がかかっているんですね。
その割にはちっとも面 白くない(笑)。長編映画では初めてだけど,2度とこの手は使えない。そう考えると,このアイデアでもっと面白いストーリーが作れたのに残念です。テンポもスローだし…。
昔のテレビ番組がそうだったからでしょう。
周りがノンビリしている中に現代人が飛び込む違和感は,もっと楽しく描けるはずです。
主人公の2人だけは最初からカラーだと思ったのに,彼らもモノクロでしたね。どういう基準でカラーになって行くのかが分かりにくいです。
白黒かカラーかの択一でなく,中間段階が表現できればストーリーに幅が増したんですがね。でも,この映画を観ているといると,カラーって本当に綺麗だなと感じてしまいました。それでいて,全部カラーになってしまうと全然つまらない。自由と豊かさに対する飽食感と同じかも知れません。
『カラー・オブ・ハート』という邦題はよくできていますね。
ちょっとロマンチックで女性向きですね。実は,アメリカの人種差別 やリベラリズムの歴史を下敷きに,「時代の流れは止められない」というもう少し硬派のメッセージなんですけどね。
「有色人種お断り」の看板には笑ってしまいました(笑)。
私は,カラーの顔を化粧でモノクロ化するのに笑いました。ものすごい風刺ですよ,あれは(笑)。
 
   
 爽やかな笑顔のエンディング 
 
『トゥルーマン・ショー』はstarstarstarですか。私はあまり感心しませんでした。せいぜいstarです。
好き嫌いはあるけど,概ね評価は高いですよ。
TV番組化されているということを知っていて観たせいかも知れませんが,アチコチ不自然だし,親友との会話にもリアリティがないし,溶け込めませんでした。トゥルーマンにとって本当の生活というなら,もう少し何とかしてくれないと…。
あの不自然さは意図的ですよ。どう考えても,有り得る話じゃないんです。1日24時間,30年間も見ていて面 白いわけないし,「親友のマーロンはいつ真実を知った?」「奥さんは本当一緒に暮らしているのか?」と考えたら,あんなこと不可能です。それを「トゥルーマンの人権はどうなる」「マスメディアのエゴだ」などと考えること自体,この作者の術中にはまったと言えるでしょう。
真実味があって渋かったのはTVディレクターだけで,エンディングもクサイですよ。
そうかなぁ。この物語をどう終わらせるのかと考えたとき,素晴らしい落ちだと思いますよ。
今月は意見が合いませんね(笑)。
劇中,SFXを駆使した作り物の映画を批判し,生の情報を伝える番組を持ち上げる。それでいて,視聴者におもねる巨大メディアの自己正当化を風刺し,それを評論家が大真面目に論じることを知っていて,有り得ない虚構で固めている。この何重にも張り巡らした仕掛けの中,すべてを忘れさせてくれるのは,ジム・キャリー演じるトゥルーマンの最後のセリフと爽やかな笑顔でしょう。
 
  
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