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O plus E誌 2013年6月号掲載
   
  倉地さんの想い出(その1)  
  昨年11月21日に倉地紀子さんが急逝された。通夜は25日,告別式は26日であったが,授業と講演準備に追われていて,東京まで出向く余裕がなく,静かに永眠されることを願って,当日は1人で黙祷,合掌した。
 いずれこの欄に書こうと思っていたが,筆者にとっても大ショックであり,しばらくその気になれなかった。当時,ツイッターやFacebookで若過ぎる死を悼む書き込みが相次いでいたが,すべてRead Onlyで済ませていた。人それぞれの想い出が違うのは当然だが,深夜しばしば互いの原稿執筆中にメールで語り合った彼女との交流関係は,独特のものであった気がする。ある意味の同業者であり,自分にないものを求めて,業務上の相思相愛関係であったかも知れない。
 享年51歳。年齢は,急逝の知らせがあるまで知らなかった。燃え尽きた死ではない。死因が「栄養失調」と聞いて驚いた。食が細い方であったが,体調不良と不眠で,ますます拒食状態が続いていたのだろう。日々旺盛な取材や過酷な原稿執筆と戦い,まさに身を削っての戦死,憤死であったのだろうと思う。4日前まで講演をしておられたというから,その準備で最後の体力を消耗し,黄泉の国に旅立たれてしまった。
 自分では「CGジャーナリスト」と名乗っておられたが,通り一遍の記事を書く記者やライターではない。最新CG技術を常にウォッチし,それが利用された映画のメイキングも克明に調査されていた。新規技術を開発したり,学術論文は書かれないので,研究者ではないが,技術分析力,記事のレベルの高さは,CGの研究者よりもはるかに上であった。日常的に書いておられたのは,「CG WORLD (月刊)」「映像新聞(週刊)」「FDI (月刊)」の3誌であったかと思う。時として,読者層の理解力を超える難解な記事であったが,自分自身に妥協を許さない彼女の真摯な取材態度の表われであった。
 
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O plus E誌 2013年7月号掲載
   
  倉地さんの想い出(その2)  
  倉地さんが遺されたCG界への最大の貢献は,衆目の一致するところ,単行本「CG Magic:レンダリング」(2007年発行,オーム社)の出版だろう。1990年後半以降のCGレンダリング技術の最前線を記した高度な技術解説書である。2011年には,さらにその後の発展も加えた英語版「The Magic of Computer Graphics」(A K Peters/CRC Press)が出版されている。
 その前から,CG WORLD誌の記事で名前は知っていた。当欄と同様に,大作映画におけるCG/VFXを克明にレポートされていたので,ライバル関係にあったが,少し意識しつつも,その取材力には大いなる敬意を払っていた。実のところ,(失礼ながら)もっと若い女性を想像していた。名前から年齢など分かるはずないのに,なぜそう思ったのだろう? おそらく,映画評ライターは20代後半から30代の女性が多く,毎年夏のCGの祭典SIGGRAPHに参加する日本人女性CGクリエーターたちはさらに若い世代が中心だったから,勝手にその世代の代表者のように思い込んだのかも知れない。
 あるいは米国西海岸在住で,現地のVFXスタジオに勤務するCGアーティストかCGプログラマーかとも想像していた。何しろ,最新CGに関する知識がハンパではない。配給会社から提供される情報だけでは,とてもあれだけ技術内容が濃い記事は書けない。これは,現地の制作スタジオに直接取材して書いたに違いない,と思った次第である。実際は,日本から電子メールや国際電話で連絡し,時には渡米して,直接メイキング情報を得た上での記事であった。そのことを知ったのは,後年知り合って,親しく語るようになってからのことだ。当欄担当の筆者には,とてもそれだけの余裕はなかった。
 上記の書籍が出版され,大いなる衝撃を受けた。この高度な学術書を書ける女性は,一体どんな人物なのだろうかと,驚きと好奇心が入り混じった衝撃だった。
 
   
 

倉地紀子著「CG Magic: レンダリング」とその英語版

 
   
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O plus E誌 2013年11月号掲載
   
  倉地さんの想い出(その3)  
  彼女の書籍に受けた衝撃は,CGジャーナリストを名乗る人物が,CGの基礎ではなく,「フォトンマッピング」「サブサーフェススキャタリング」「HDGI」「イメージベーストライティング」といった,まさにCG分野のもっとホットな話題を,正確に理解し,克明に解説されていたことへの畏敬の念である。同時に,これは自分が先に書くべき本であり,それができずに,先を越されたことを恥じ入る気持ちも混じっていたと思う。
 彼女も私も,CGの研究者ではない。ここでいう「研究者」とは,CG技術に関する新規手法を考案し,学会に研究論文を投稿する者をいう。(後に知ったことだが)倉地さんは,早稲田大学理工学部数学科の出身で,日本のCG産業草創期を支えた名門「リンクス」に就職し,1980年からCGプログラマとして,CGアニメ制作に従事された経歴をもつ。その後,文筆業が主となり,ジャーナリストを名乗っておられても,元々数学の素養がある上に,CG映像制作に必要な技法はきちんとマスターしておられたということだ。
 筆者の場合は,画像処理やVRの研究者であっても,ピュアなCG学術論文は書いていない。CGは,既製のツールに過ぎないのである。それでも,大学教授として,この10年来,正課のCGの授業を講じた上に,毎年CGの祭典SIGGRAPHに参加し,映画産業への影響を当欄で論じてきたのだから,この内容の学術書は,私が書いても一向におかしくはなかった。
 時間がなかったことは,言い訳にならない。熱意と意欲の問題だろう。私だけでなく,毎年「CG検定」の問題を作成し,その対策用の教科書の分担執筆に関わった大学関係者なら,皆,同罪であると思う。筆者と同じように恥じ入った人も少なくなかったはずだ。
 ともあれ「CG Magic:レンダリング」は時宜を得た素晴らしい学術書であるが,「Magic」という言葉から,軽く見られがちで,損をしていると思う。そのことを倉地さんに話したら,全く意外だという顔をされた。
 
   
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O plus E誌 2013年12月号掲載
   
  倉地さんの想い出(その4)  
  この号が出る頃には,はや1周忌である(2012年11月21日逝去,26日に告別式)。当欄で追悼文連載を始めたものの,紙幅調整の都合で何号か休載してしまった。この想い出の追悼文も本号で完結させたい。
 互いに以前から名前を知っていたが,直接会ったのは僅か3年足らず前の2011年1月のことである。CV関連の学会研究会の特別講演で,CGレンダリングの最新動向と映画での利用を詳細に語っておられた。その講演の意義を,会場で最も理解していたのは筆者だっただろう。その夜の懇親会で,一気に意気投合した。彼女の著書にCG界の寵児,USC ICTのPaul Debevec博士の推薦文が寄せられている。彼女の取材先で,最も尊敬し信頼する研究者だったのだろう。その彼のラボに,私の研究室から大学院生やポスドクを送り込んでいたことから,一層信頼感が増したようだ。
 それから急速に親しい交流が始まった。早速,CGの授業での特別講義に招いた。その講義で彼女が用意し,残していってくれたpptスライドは,大いに重宝している。内容は技術の本質と最新動向を見事に解説したものだったが,スライド内のレイアウトはお世辞にも褒められたものではなかったので,私が再レイアウトし,該当するビデオを付加したものを返した。その後,ご自分の講演でそれを使っておられたようだ。
 食事も何度か一緒にしたが,大半は電子メールでの会話だった。互いに深夜に執筆するせいか,しばしばCG技術や映画ネタの質問が飛んできた。毎度体調不良の泣き言も添えられていたのに,心が痛んだ。大学教授とジャーナリストで,CG技術解説と映画評に関する立場は,むしろ逆転していたが,自分には当欄のような映画評は書けないと言っておられた。
 最大の想い出は,昨年の夏,SIGGRAPH2012の会場であるLACCのWest Wingの入口で久々に出会った時,突然思いっ切りハグされてしまったことだ。外人付き合いが多い彼女には自然な動作だったのだろうが,多数の参加者の前で,日本人同士のこれは少し恥ずかしかった。今となっては,大きな懐かしい想い出である。
 その後,深夜のメール交流の中で,「次の大きな仕事を考えている。可能なら,一部一緒に仕事できないか?」と言っておられた。その企画が何であったか,尋ねる機会は永遠になくなってしまった。
 安らかな永眠を願って,改めて,合掌!
 
   
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