O plus E VFX映画時評 2025年8月号掲載

その他の作品の論評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


(8月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『六つの顔』(8月22日公開)
 今月後半の一推しは,邦画のドキュメンタリーである。人間国宝の狂言師・二世野村万作が,2023年に文化勲章を受章した。本作は,93歳の誕生日の2024年6月22日に宝生能楽堂で開催された「受章記念狂言会」当日の模様を中心に,彼が歩んできた伝統芸能への想いとその会で上演された狂言「川上」を収めた映像記録である。
 この人物のことはよく知らなかった。昔ネスカフェのCMに出ていたという記憶はあるが,約50年前のことゆえ,顔ははっきりとは覚えていない。野村萬斎の顔なら,すぐに思い浮かぶ。『陰陽師』(01年10月号)『同 II』(03年10月号)での安倍晴明役も『のぼうの城』(12年11月号)の主人公・成田長親役も存在感が抜群であり,さすが狂言界のプリンスだと感じた。もっとも,『シン・ゴジラ』(16)でCG製のゴジラに動きを与えるMoCapアクターに起用されていたのは不可解で,製作者の話題作りとしか思えなかった。
 本作の監督・脚本は犬童一心で,監督作『のぼうの城』で野村萬斎とタッグを組んで以来,能楽堂に通い,今や能・狂言通とのことである。本作の監修・出演に野村萬斎の名前もあったので,どういう関係かと思ったら,萬斎の父が万作であった。本作は,万作が自らの芸の境地を映画という形で残しておきたいという希望で,交流のある犬童監督に依頼したとのことである。
 日頃,馴染みの少ない能・狂言の映画を観る以上,少し事前勉強してみた。ルーツは飛鳥時代に中国から伝わり,約650年前の室町時代に成立した「猿楽」である。明治以降に,派手な衣装で能面を着けて踊る音楽劇の「能」と道化や風刺を交えた人間劇の「狂言」とに分類され,神事の「式三番」と合わせて「能楽」と呼ばれているとのことだ。個人的には,日本開催の国際会議の晩餐会での出し物として「能」は何度か見たが,面白いと感じたことは一度もなかった。「狂言」は,小学生の頃,親に連れられて節分に京都・壬生寺で見た記憶がある。子供心にも楽しく感じ,大人になったら改めて見たいと思った。これは鉦や太鼓の音で囃す無言劇の「壬生狂言」と呼ばれるもので,今回の野村万作が受け継いできた格式ある「和泉流」の狂言とは別物のようだ。
 映画はモノクロ映像で,オダギリジョーのナレーションとともに始まった。93歳の万作が矍鑠とした足取りで,稽古場に向かっている。題名からは,狂言師として舞台で6つの顔を使い分けるのかと思ったが,違っていた。3歳での初舞台以降の狂言の道90年を振り返り,彼が思い浮かんだ顔とのことである。戦争中の大空襲で家も装束も失った父・六世野村万蔵の背中,金沢から上京して東京の狂言界を確立した祖父の初世野村萬斎への想い,狂言「靱猿」に登場する子猿の顔や狂言「釣狐」の老狐の顔,等々が登場する。それらはカラーイラストやアニメで登場するが,残りは味気ないモノクロドキュメンタリーで終るのかと思ったが,それは杞憂であった。
 丁度30分過ぎたところで,珠玉の狂言「川上」が始まる。この約40分の舞台劇は丸ごとカラー映像だった。なるほど,この部分を際出させたいために,他をモノクロ映像にしてあったのだ。勿論,シテ(主役)の盲目の男は野村万作が演じ,その妻を息子の二世野村萬斎がアド(相手役)として演じている。多少は滑稽なセリフもあったが,かなりシリアスな夫婦愛の物語であった。「狂言」としては異色の作品で,和泉流にのみ伝承される演目なのである。この名人芸をクローズアップやパンを多用し,映画ならではカメラアングルを縦横に使って,「狂言」の魅力を堪能させてくれる。映画として残しておきたいという思いがひしひしと伝わってきた。もうこれ以上の感想・解説は不要だ。是非映画館で観て頂きたい。

■『パルテノペ ナポリの宝石』(8月22日公開)
 ここから数本,副題つきの映画が続く。単純な原題の洋画に,内容を的確に要約した副題が付くことが多々あるが,本作はまさにその典型である。原題の『Parthenope』はギリシャ神話に登場する人魚の名前で,ナポリの街を意味しているそうだ。監督・脚本は,そのナポリ出身のパオロ・ソレンティーノ。今回「イタリアの巨匠」と紹介されているのに少し驚いた。この映画評を始めた後に監督デビューした人物で,現在まだ55歳である。カンヌの常連となり,既に多数の映画賞を受賞しているので,もはや「駆け出し」「若造」とは思わないが,老境に達した至芸の映画人ではない。有能な演出家であるが,筆者から見れば「やんちゃ坊主」「観客の理解度を意識しない監督」である。過去に当欄では,『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(14年9月号)『グランドフィナーレ』(16年4月号)の2本を紹介している。いずれも映像美に溢れた映画であったが,本作もしかりである。
 先に読者に本作の楽しみ方を2つ紹介しておこう。1つは,内容を理解しようとせず,映像の美しさだけを徹底的に味わうことである。もう1つは,この映画をどう解説し,褒めているか,評論家の見解を比べることである。見事に的を射ていると感じることもあれば,中身を理解して書いたのかと訝ることも多々あるはずだ。
 映画は1950年から始まる。南イタリアの海も屋敷も馬車も頗る美しい。さすがイタリア映画だ。裕福な家庭に生まれた女児は「パルテノペ」と名付けられ,人々の寵愛を受けて育てられた。とりわけ,繊細な兄ライモンド(ダニエレ・リエンツォ)とは深い絆で結ばれた兄妹であり,一緒に育った使用人の息子サンドリーノ(ダリオ・アイタ)は彼女を本気で愛するようになった。
 大人になったパルテノペ(セレステ・ダッラ・ポルタ)は,街行く人々が振り返って眺めるほどの美しさだった。その一方で,大学では人類学のマロッタ教授(シルヴィオ・オルランド)が一目をおくほどの聡明さであった。1973年になり,ライモンドの提案でパルテノペとサンドリーノは3人でカプリ島に夏旅行に出かける。その島で敬愛する作家ジョン・チーヴァー(ゲイリー・オールドマン)と運命的な出会いを果たしたパルテノペは,自らの美しさがもつ力を自覚する。奔放に振る舞う彼女がサンドリーノに身を任せたことを知ったライモンドは,絶望のあまり,翌朝,崖から身を投じて命を断った。
 そのことでパルテノペは心を乱し,学業を中断し,女優になる道を選んだ。そこから先は,彼女の美貌と愛の遍歴が誰をも幸せにしないことが延々と描かれる。それを恥じた彼女はマロッタ教授の導きで学問の道に戻り,やがてナポリを離れてトレント大学の教授に着任する。そして,40年後の2023年,73歳のパルテノペ(ステファニア・サンドレッリ)は大学を去り,思い出のカプリ島を経てナポリに戻り,自らの人生を振り返る。
 数奇な人生を歩んだ1人の女性の生涯を克明に描いたドラマであったが,中盤は感情移入できず,退屈した。終盤に姿を見せる異常なまでの肥満男(かなり極端な特殊メイク)や73歳のパルテノペを登場させる必要があるとは思えなかった。イタリアの学術事情は詳しくないが,こんな経歴の女性を学界が受け容れるとは思えず,不自然さを感じた。そのマイナス面をすべて相殺できるほどナポリの景観は美しく,パルテノペを演じる新人女優もそれに相応しい美貌であった。改めて11年前に書いた自らの『グレート・ビューティー…』の紹介記事を読み直したが,印象は酷似している。主人公の性別と経歴,対象都市は違えど,監督の美意識は衰えていないと再確認した。いや,景観の美しさは本作の方が上である。

■『バレリーナ:The World of John Wick』(8月22日公開)
 本作も「バレリーナ」だけではジャンル的に誤解を生みかねないが,副題がそのものズバリなのでそんな懸念はない。キアヌ・リーブス主演のアクション映画『ジョン・ウィック』シリーズのスピンオフ作品である。当初は低予算映画で知名度は低かったが,第4作『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(23年9月号)で一気にスケールアップし,メイン欄で取り上げたので,それでファンになった読者も少なくないはずだ。
 ちょっと珍しいのは,スピンオフとしての位置づけである。主シリーズの脇役が思わぬ人気を得たので,その俳優を主演にしたという独立作品ではない。確かに第3作『同:パラベラム』(19)に「バレリーナ」は少しだけ登場するのだが,全く別の人気女優を主演にして物語を展開させている。時間軸では,第4作の後でなく,むしろ第3作と同時進行とも言えるクロスオーバー設定である。出演者欄に堂々とK・リーブスの名前があるので,JWが本作に登場することは容易に分かるだろう。予告編でもしっかり姿を見せている。
 既に第4作の紹介記事の中で触れておいたが,表向きはバレエダンサー,実は凄腕の暗殺者を演じるのが当代切っての人気女優の1人アナ・デ・アルマスであるから,注目度は否が応でも高まっていた。最近,トム・クルーズとの熱愛関係が報じられているので,彼女が『M:I』シリーズのチームメンバーだと思われがちだが,彼女には同シリーズへの出演歴はない。彼女がブレイクしたのは,『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』』(21年Web専用#5)での新米CIAエージェント役であった。即ち,現時点では最新のボンドガールなのである。その後,『グレイマン』(22年Web専用#5)『ゴーステッド Ghosted』(23)等でアクション映画づいているので,本作でどんな女殺し屋を演じるのかが大いに楽しみであった。
 前置きを長く書いたのは,実は物語に深入りするとネタバレだらけになるからだ。映画は主人公イヴ・マカロの少女時代から始まる。イヴ(ヴィクトリア・コンテ)は孤島で父ハビエル(デヴィッド・カスタニェーダ)と平和に暮らしていたが,ある日,彼らの家を謎の武装集団が襲撃する。隙を見て反撃を試みた父は,娘を脱出させ,激闘の末に息絶える。身寄りがなくなったイブの前に現われたのは,父の友人と思しき人物で,NYコンチネンタルホテルの支配人ウィンストン(イアン・マクシェーン)であった。彼はイヴに孤児を集めてバレリーナと暗殺者を養成する組織「ルスカ・ロマ」に行くことを勧める。その指導者のディレクター(アンジェリカ・ヒューストン)に受け容れられたイヴは,父もその闇の組織の一員であったことを知らされる。
 12年間の厳しいバレエ・レッスンと暗殺者訓練で優秀な成績を残したイヴ(アナ・デ・アルマス)は,暗殺者としての初仕事にも成功する。その2ヶ月後,倒した敵に父を殺した集団の手首にあったのと同じ傷を見つける。手掛かりを追うイヴは,ウィンストンとその部下のシャロン(ランス・レディック)を頼る。冷酷な指導者(ガブリエル・バーン)が主宰するカルト教団がその正体であり,教団に多額の懸賞金をかけられた教団員ダニエル・パイン(ノーマン・リーダス)がプラハコンチネンタルホテルに滞在しているとの情報を得たイヴは,一路プラハに向かうが,そこで彼女が遭遇するのは……。
 JWシリーズ全作品の監督を務めたチャド・スタエルスキは,その第5作準備のため,本作では製作に回り,監督にはレン・ワイズマンが起用されている。『アンダーワールド』シリーズ(03〜16),リメイク版『トータル・リコール』(12年9月号)等の監督であるから,アクション演出経験では何の問題もない。脚本担当は,主シリーズ第3作,第4作の脚本に参加したシェイ・ハッテンであるから,クロスオーバーは万全と言える。となると,観客の関心事は,どこでJWが登場するのか,JWとイヴとの対決シーンはあるのかどうかである。A・アルマスの格闘演技は予想以上に本格的でありであり,期待を裏切らないとだけ言っておこう。プラハコンチネンタルHも頗る豪華で,その点での見応えも十分であった。
 スピンオフであるから,過去作は観ていなくても本作だけで十分楽しめると言いたいところだが,予めコンチネンタルホテル,主席連合とJWとの関係を知らないと本作のエッセンスが理解できない。未見者には,過去作の内,第3作だけでも予習しておくことを勧めておきたい。一方,従来からのJWファンは,JWワールドがそっくりキープされているのに安堵することだろう。とりわけ,コンシェルジュ役のシャロンは,第4作で見せしめに射殺されるが,本作ではまだ生きているというのが嬉しい。さらに演じていた男優L・レディックは本作のクランクアップ直後の2023年3月17日に急逝したと聞くと,全作に登場した彼の姿が気になる。第3作だけでなく,JWワールド全作品を観直したくなるはずだ。

■『大統領暗殺裁判 16日間の真実』(8月22日公開)
 韓国映画でこの題名となると,最近の関連映画の続出から,1979年10月の朴正煕大統領事件(10・26事件)のことだと想像がつく。いや想像するまでもない。大統領退任後に逮捕され,裁判にかけられた人物は多数で,今も服役中が2人いる。亡命したのは李承晩,自殺したのは盧武鉉という騒々しい国だが,歴代大統領17人の内,在職中に暗殺されたのは朴正煕一人だけである。
 関連映画を整理しておこう。『KCIA 南山の部長たち』(21年1・2月号)はKCIA部長の金載圭が独裁者の大統領と側近の警護室長・車智澈を射殺した事件そのものを描いていた。クーデターとしては未遂に終わるが,独裁者を排除したことを快挙と考えた社会的風潮から,実行犯に好意的な物語として描かれていた。『ソウルの春』(24年8月号)は,この事件により一時的に民主化への期待が膨らんだ時期を題名にしているが,映画の中身は同年12月の軍事クーデターでその期待が崩れ去る過程を描いていた。その張本人の悪役は反乱軍の保安司令官・全斗煥,対決する鎮圧軍の正義の男は首都警備司令官・張泰玩で,「悪と善の対決」で「悪が勝つ」という図式であった。その後,民主化運動が徹底的に弾圧され,消滅してしまう象徴的な出来事は,翌1980年に起きた「光州事件」である。『光州5・18』(07) 『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(17)『1980 僕たちの光州事件』(25年4月号)等が,弾圧される側の視点で描かれていた。ここでも極悪人,卑劣感として描かれているのは,後の第11・12代大統領の全斗煥である。
 本作は『KCIA 南山の部長たち』から『ソウルの春』の間のピースを埋める役割を果たしている。10・26事件で金載圭が直接射殺したのは朴正煕と車智澈の2人であったが,金載圭は部下の秘書官やKCIA職員に控え室の大統領府警護員の射殺を命じている。この結果,他に4名が死亡し,3名が重傷を負った。ただちに陸軍少将の全斗煥による捜査が開始され,11名が逮捕され,内6名が絞首刑になるという韓国近代史の一大事件である。
 映画中では仮名を使った上にカタカナ表記であり,それでは分かりにくいため,上記ではモデルとなった実在人物を漢字表記にした。本作の内容を語るのにそうは行かないから,以下では,字幕に登場する名前で表記する。
 本作の主人公は,韓国弁護士会のエースのチョン・インフ(チョ・ジョンソク)である。手段を選ばぬ法廷戦術の達人で,難事件を担当して輝かしい実績を残していた。彼は,主犯のKCIA部長の随行秘書官であったパク・テジュ(イ・ソンギュン)[モデルは朴善浩]の弁護を託された。被告の内,彼だけが軍人であったため,民主的な裁判の対象とはならず,一審制の軍事裁判にかけられ,僅か16日間で判決が言い渡されることになっていた。
 ここからチョン弁護士の戦いが始まる。彼は一般の三審制で裁かれるべきだと主張して奔走するが,不当な裁判手続きに苛立つ。また,朴被告の行動は「上司の命令への服従」で有罪には当たらないと弁護するが,厳格で律義な被告は自らの信念を貫き,弁護人の法廷戦術に合わせようしない。そして,陸軍参謀総長の賛同を得て裁判を公開しようとしたが,その寸前で合同捜査団長チョン・サンドゥ(ユ・ジェミョン)[モデルは勿論,全斗煥]の卑劣な策略に阻止され,打つ手がなくなった……。
 監督・脚本は,大ヒット作『王になった男』(13年2月号)のチュ・チャンミン。史実から裁判の行方は分かっているが,法廷劇としての迫力は抜群であった。独房における被告と弁護士とのやり取りも見どころ十分である。被告は高潔な人柄だが,融通が利かない人物として描かれ,これでは家族が可哀想と感じさせる。この人物を現在の韓国人観客がどう受け止めるのかが興味深い。
 その一方,チョン弁護士は熱血漢の真の弁護士として描かれていて,少し芝居がかっていた。かなりフィクション性が高い。被告人全体の実際の弁護団は約30人の大所帯であったというから,その中の理想的な人物として描いたと思われる。1979年の韓国は非民主的な軍人社会で,クソみたいな国,権力者にはクズしかいないという視点が本作の前提になっている。ようやく,当時の実情を映画にして構わない国になったことから,最近の一連の政治映画が作られているが,もう一皮剥けて,冷静な大人の映画作りに向かって欲しいと感じた。

■『ベスト・キッド:レジェンズ』(8月29日公開)
 久々に目にする題名だが,既にシリーズ6作目だという。筆者の世代は,大ヒットした第1作『ベスト・キッド』(84)(日本公開は翌85年)が懐かしい。「ひ弱な少年が暴力的なガキ大将のイジメに遭うが,秘かに武道家の老人の指導を受けて成長し,最終的な戦い(試合)で彼に勝つ」という定番の物語であった。同作が大ヒットしたことにより,このパターンが定番化したとも言える。当時,立て続けに4作目『ベスト・キッド4』(94)まで作られていたことを思い出した。同じく,一気に4本が作られた『スーパーマン』シリーズが,先月超大作『スーパーマン』(25年7月号)として蘇ったので,それを真似た企画なのかと思ったが,少し様子が違う。
 副題で複数形の「レジェンズ」が気になった。原シリーズで「レジェンド」と呼ぶべき存在は老師匠・宮城成義であり,彼を演じたパット・モリタは約20年前に鬼籍に入っている。ところが,予告編を観るとジャッキー・チェンの姿ばかりが目立つ。空手をカンフーに置き換えたリメイク版『ベスト・キッド』(10年8月号)では,ジャッキーがカンフー名人の師匠役であった。となると,本作は原シリーズでなく,リメイク版の続編ということになる。だとしても複数形はどうなる? カンフーを教わった少年役のジェイデン・スミス(ウィル・スミスの息子)は既に27歳になっているが,続編であってもまだ「レジェンド」と呼ぶべき存在ではない。
 一体どうする気か訝っていたが,見事な回答が示された。何と原シリーズ4作で主人公の青年ダニエルを演じたラルフ・マッチオが,31年ぶりに本シリーズに再登場する。なるほど,既に還暦を過ぎた年齢なので,そのまま宮城道空手を続けて達人になっている設定ならば,2人目のレジェンドになるわけだ。ただし,それでは空手ワールドとカンフーワールドを合体させてしまうことになる。まさかMCUのように複数の時空間が存在し,別次元間を往復する訳ではないだろう。これに関しても,なかなか見事な前提で,納得できる筋書きであった。
 主人公は北京在住の17歳の高校生のリー・フォン(ベン・ウォン)で,ハン師匠(J・チェン)からカンフーの指導を受けていた。最愛の兄を失った悲しみから,リーは武術を捨て,母と共にNYに移住する。リーの心を癒やしてくれたのは級友のミア(セイディ・スターリー)で,彼らは互いに恋心を抱く。それが,彼女の元恋人で格闘技界を仕切る絶対王者のコナー(アラミス・ナイト)の恨みを買ってしまい,ミアの家族を巻き込む大きなトラブルに発展してしまう。愛する人を守るため,リーは再び戦うことを決意し,ハン師匠の力を借りながら,究極の格闘大会に挑む決意をする……。
 リメイク版に続き,本作もまた青春映画であり,師匠の指導を受けながら宿敵と戦うという定番パターンを踏襲している。注意すべきは,空手でもカンフーでもなく,あらゆる格闘技の要素を取り込んだ大会であるという設定である。相談を受けたハン師匠は北京からやって来て,LA在住の空手の達人ダニエルに協力を求め,2人でNYに向かう。戦い方も哲学も異なる2人のレジェンドとの屋上庭園での格闘練習で,リーが新たな技を身に付けるという算段であった。
 そうなるための話の伏線として,映画の冒頭で,宮城師匠の祖先は漂流して中国に辿りつき,ハン家のカンフーを学んで,それを基に宮城道空手を興したというエピソードが語られる。本作のために思いついたご都合主義の言い訳に違いないが,シリーズのファンにとっては,許せる範囲の脚色ではないかと思われる。

■『グラン・ブルー 完全版 4K』(8月29日公開)
 フランスの巨匠リュック・ベッソン監督が1988年に29歳で発表した出世作で,フランス国内では1千万人以上を動員し,「Grand Bleu Generation」と呼ばれる若者達の支持を得たという。オリジナル版137分に対して,日本では国際版(120分)が『グレート・ブルー』の題名で公開されたが,殆ど話題にならず,2週間で打ち切りになったそうだ。この監督の知名度が上がったのは,次々と話題作『レオン』(94)『フィフス・エレメント』(97)『ジャンヌ・ダルク』(98)と生み出した頃からである。TVでは何度か放映され,それを観た覚えがある。映画館ではこれが4度目の再上映となるが,完全版(168分)は観たことがなかったので,改めて眺めることにした。
 実在の無呼吸潜水の記録をもつ2人の伝説ダイバーをモデルにした物語である。10代の頃からダイビングに熱中したベッソン監督自身が脚本も書いている。映画は,1960年代のギリシャのアモルゴス島から始まる。ガキ大将のエンゾは素潜りが得意なことを自慢していたが,1人だけ一目を置いていた少年がいた。潜水夫の息子のジャックで,彼の父は潜水事故で溺死していた。
 1980年代,大人になったイタリア人エンゾ・モリナーリ(ジャン・レノ)は無呼吸潜水の世界チャンピンになっていた。彼はNYの保険調査員ジョアンナ・ベイカー(ロザンナ・アークエット)に,かつてギリシャで素潜りを競った少年を見つけ出すことを依頼する。そして,ペルーのアンデス山中で氷結して湖に酸素ボンベなしで潜水する男を見つけた。彼が大人になったフランス人のジャック・マイヨール(ジャン=マルク・バール)であった。エンゾはジャックをフリーダイビングの競技会に誘い,その後,2人が競い合って世界記録を更新する模様が描かれている。この間に,ジャックと愛し合うようになったジョアンナは,NYを離れて一緒に暮らすようになったが,彼女の妊娠が判明する。情熱的で負けず嫌いのエンゾ,イルカと対話し海を愛する孤高のジャックには,皮肉な運命が待っていた……。
 約30年ぶりに観た本作には,少し複雑な印象をもったので,それを列挙しておこう。この映画は始めて見る時期と,映画観賞歴で評価が異なると感じた。ボリュームたっぷりであるが,168分は長過ぎる。オリジナル版でも長いくらいだ。物語は意外と単純で,後のベッソン作品と比べると,洒脱な演出は少なく,冗長な部分が少なくない。少年時代の丸眼鏡のエンゾを演じた少年は,ジャン・レノそっくりで,思わず笑ってしまう。ダイビングに思い入れがある監督ゆえに,海中の表現は美しかったが,海の表面や海から観た景観は上記の『パルテノペ ナポリの宝石』の方が素晴らしい。その一方で,主演女優は本作のR・アークエットの方が魅力的だった。いかにも米国人的な美しさであるが,本作で一気に人気女優になり,多数のハリウッド作品に起用されたことも頷ける。既に66歳だが,最近殆ど出演作がない。どんな老女優になっているのか,一度姿を見せて欲しいものだ。

■『愛はステロイド』(8月29日公開)
 若い女性2人のLGBTQ映画だが,刺激的な題名だ。原題は『Love Lies Bleeding』だから,全く「ステロイド」は出て来ない。昨年,ユアン・マクレガー父娘主演の『ブリーディング・ラブ はじまりの旅』(24)があったので,それとの混同を避けたのかも知れない。同作でも挿入歌として使われていた“Bleeding Love”は,2007年にレオナ・ルイスが歌った大ヒット曲である。直訳すれば「血まみれの愛」だが,意訳すれば「心の痛みを伴う愛」になるのだろうか。「Love Lies Bleeding」も「Bleeding Love」も決まり文句で,既に多数の映像作品の題名として使われている。本作は,そのいずれとも無縁で,『セイント・モード/狂信』(19)の英国人監督ローズ・グラスのオリジナル脚本によるノワール・スリラーである。共同脚本はポーランド生まれ,ロンドン在住のヴェロニカ・トフィウスカであるので,女性2人が描いた女性2人のクィア映画でもある。では,「ステロイド」はと言えば,お馴染みの「筋肉増強剤」なのだが,本作ではこれがしっかり主人公2人の愛の増強剤になっている。
 時代は1989年,舞台はニューメキシコ州の田舎町で,トレーニング・ジムのマネージャーとして働くルー(クリステン・スチュワート) は,裏社会を仕切る父親ルー・シニア(エド・ハリス)を嫌悪していて,姉ベス(ジェナ・マローン)にDV を働く夫JJ(デイヴ・フランコ)の存在も悩みの種だった。ある日,ラスベガスの競技会に出場する道中に町に立ち寄ったボディビルダーのジャッキー(ケイティ・オブライアン)と知り合う。2人ともバイセクシュアルであり,たちまち惹かれ合い,同居して身体を重ね合う関係となる。ルーがジムで大量購入しているステロイド剤の利用を勧めたことから,ジャッキーはその常用者となった。筋肉増強効果があるだけでなく,興奮剤でもあったので,ジャッキーは次第に感情の制御ができなくなってしまう。
 JJの暴力で姉ベスが重傷を負って入院したことを知ったルーが「JJを殺したい」と告げたことから,ジャッキーはJJの自宅に向かい,彼を撲殺してしまう。それを知ったルーは,犯罪の常習者である父シニアの犯行に見せかける細工を思いつき,JJの死体の遺棄に向かう。その道中を目撃した友人デイジー(アンナ・バリシニコフ)から脅迫されるようになる。中盤までは濃厚な同性愛映画かと思ったが,後半は驚くばかりのクライムムービーと化した。父やFBIからも追われるようになった2人の運命の行き着き先は,予測不能の結末を迎える……。
 『トワイライト』シリーズで一気に男性ファンの注目を集めたK・スチュアートは,『スノーホワイト』(12年7月号)ではそのままのイメージであったが,その後『ロスト・エモーション』(17年3月号)や『スペンサー ダイアナの決意』(22年9・10月号)等で演技の幅を拡げ,すっかり大人の女優になった。本作でも相変わらず美形だと感じる。既にバイセクシャルであることをカミングアウトしているので,この役も時間の問題であった。それでも犯罪映画には似合わないと思ったのだが,それがどうしてどうして,結構様になっていた。一方のK・オブライアンもチャーミングな女優であった。本作の後で,『ツイスターズ』(24年8月号)『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』(25年5月号)に出演していたようだが,どんな役柄であったのか,まるで覚えていない。着痩せするのか,少し大柄な女性に見えただけだったが,一旦肩と両腕を露出すると,その筋骨隆々ぶりに目を見張る。さすが本物の元ボディビルダーである。彼女もまたクィアであることを公表しているので,最初から主演の2人を意識して書いたオリジナル脚本であることは明らかだった。
 その他の出演者では,エド・ハリスの存在感が圧倒的だった。上述『ブリーディング・ラブ…』も舞台はニューメキシコで原題も似ているのに,父と娘の関係はここまで違うのかと感じる。女性2人がどんどん深みに嵌って行くのは『テルマ&ルィーズ』(91)を彷彿とさせるという感想を目にした。なるほどこちらも逃亡劇であるが,結末の印象がまるで違う。本作の内容豊富,サービス精神満載は,明らかにステロイドの過剰摂取で興奮が醒めやらない。いかにもA24らしい異色作で,もう満腹だ。

■『メイソウ家族』(8月29日公開)
 全く食指が動かない題名だった。まず普通に思い浮かぶのが「迷走」だが,意図的にカタカナ表記しているからには,複数の意味を持たせているに違いない。「瞑想」か「明窓」か,まさか「名僧」ではないと思うが,破天荒な映画ならあり得るかも知れない。窓から明るい日差しが差す部屋で,名のある僧侶の導きで,日頃勝手気ままな行動をする家族一同が瞑想する……。そんなファミリー映画など見たくもないと思ったのだが,製作陣を知って気が変わった。大阪芸術大学映像学部の教員&在学生たちが,プロの映画人たちとのタッグを組んだ「産学協同プロジェクト」から生まれたオムニバス映画だという。
 大阪芸大といえば,かつて宮川一夫,大森一樹らのレジェンドを講師/教授に迎え,石井裕也,呉美保,庵野秀明らの母校として知られる名門である。その大学の過去の学生が書いた膨大な数のシナリオの中から3本を選び,それを在学生が現代風にアップデートし,卒業生で現役監督の熊切和嘉,金田敬がメガホンをとっている。しかも,その3編は独立でなく,登場人物に関係性をもたせる脚本にし,共通アイテムも登場するという。そこまで知ると,観ない訳には行かない。
 第1編「YUI」(監督・熊切和嘉):4人家族の吉田家で,母・梨恵(戶田菜穂)は毎日精魂込めて朝食・夕食を作り,家族の絆を保とうとしていた。反抗期の女子高生の長女・由依(三浦理奈)は何も言わず席を立ち,父親・雅史(高村佳偉人)はロクに食事を共にしない。唯一,優等生だった長男・優輝(永野宗典)は,ある日,白いペンキまみれて帰宅し,理由も言わずに自室に引き籠ってしまう。家庭崩壊に直面した梨恵は新興宗教に取り込まれ,連日奇妙なポーズで神に祈りを捧げる。次第に他の家族もそれに巻き込まれる……。
 第2編「MONOS」(監督・金田敬):雨の夜にドライブしている若いカップルの山田恵一(秋庭悠佑)と吉田由依(第1編と同じ)。由依は恵一に妊娠を告げようとするが,恵一は耳を貸さない。その瞬間,飛び出して来た「何か」を轢き殺してしまう。死骸を見た恵一は宇宙から来たUMA(未確認生物)で数億円の価値があるとはしゃぎ,「MONOS」と名付けて自宅に持ち帰る。話を聞かない恵一に腹を立てた由依が家を飛び出した。後を追った恵一は事故死してしまう。彼の両親とのやり取りに由依は疲れ果てるが,やがて新生児を産む……。
 第3編「UMI」(監督・熊切和嘉):主人公は小さな町の中学校に赴任した国語教師の風間隼也(木村了)。彼が託されたのは,失声症の女子生徒・中江羽美(⻄岡奏)の個別指導だった。筆談を通して意志伝達を図る内に,羽美と気持ちが通じ合うようになった。やがて,期間限定雇用の1年間が過ぎ,風間は羽美に何も告げずに最終授業を終える。翌日,それを知った羽美は駆け出し,バスで去る風間を追うが……。
 3編の共通アイテムはしっかり登場する。「YUI」と「MONOS」の繋がりは明白だが,他は観てのお愉しみとしておこう。「メイソウ家族」に相当するのは,第1編に配した「YUI」だった。梨恵以外は不愉快な人物ばかりで,正に家族は迷走するが,由依の学校も家族もありそうだなと感じる。新興宗教の描き方はステレオタイプだが,かつての在学生の家庭はこんな状態だったのかと心配してしまった。第2編は打って変わってSF仕立てのコメディだ。途中までにUMAの姿は登場しないので,そのまま終らせるのかと思ったが,後半にしっかり姿を見せる。ただし,CG製のクリーチャーではなく,手作りの造形物だった。恵一の両親の阿呆ぶりには呆れたが,短編を引き締める役割は果たしていた。
 筆者が最も好ましく感じたのは第3編の「UMI」だった。高校教師と女子学生が次第に心を通わせる学園ものに過ぎないが,上記『愛はステロイド』の苛烈な描写と衝撃の結末,「YUI」のハチャメチャぶりを観た後だったので,心が洗われる思いがした。この短編を長編に引き伸ばしたのでは,平凡な純愛映画になってしまうが,オムニバスの他の2編と対比させ,最後に配置したゆえに価値がある。このシナリオ書いた女子学生の実体験だったのだろうか,あるいは憧れの教師像をフィクションにしただけだったのかと考えるだけで楽しい(注:実際は男子学生の脚本で,女子学生が脚色した)。

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