O plus E VFX映画時評 2025年4月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『アンジーのBARで逢いましょう』(4月4日配信開始)
 粋な題名だが,アンジェリーナ・ジョリー主演の洋画ではない。草笛光子主演の邦画である。『九十歳。何がめでたい』(24年6月号)の主人公がそのまま登場したかのような意気軒高な老女がアンジーなのである。いや,言いたい放題,毒筆三昧の老作家よりも自由人で,もっと洒脱な老婦人が主役のコメディである。
 舞台となる地名は明かされていないが,離陸する飛行機と工業地帯の煙突の白煙が見えるから,川崎市のどこかだろう。トンネルを抜けて町に来た老女(草笛光子)が,目にした廃屋同然の店舗が気に入り,ポンと札束を取り出して,大家の熊坂(寺尾聡)からこの店舗を借り受ける。歴代の借り主が,突然死,事故死,自殺等で死亡した曰く付きの物件だったが,そんなことは物ともせず,ここでBarを開くという。元大工のホームレス男・百田(六平直政)に改装を依頼する。彼が集めた工事仲間達も一癖も二癖もある面々だったが,仕事の手際は良く,皆,活き活きと働き始めた。出来上がったBarの名前は「Nobody’s Fool」で,思わず笑ってしまった。
 この間に,上記の他に,近所の美容師・満代(松田陽子)とその息子・麟太郎(青木柚),美容院の客の梓(石田ひかり),石材屋の息子・政志(田中偉登),女性格闘家を目指す治子(駿河メイ)等々の住民との交流が始まるが,それぞれ悩みを抱えて生きていた。自らを「お尋ね者」と称するアンジーの凛とした生き様に触れ,彼らは魔法をかけられたように自分を取り戻して行く。そんな中,怪しい男たちが店の回りに出没し……。
 基本はコメディタッチであるが,人生賛歌のヒューマンドラマとしても心地良かった。監督は,TV畑出身の松本動で,劇場映画はこれが2作目だ。ディーン・フジオカの名前があったのに,一向に出て来ない。ようやく姿を見せるが,その登場の仕方に驚いた。映画全体の音楽も上々で,とりわけジャズの選曲が秀逸だった。やりたい邦題で,作り手が楽しんだ感のある映画である。もっと観たかったのに,たった88分で終ってしまった。

■『おいしくて泣くとき』(4月4日配信開始)
 青春映画で,主演の若手男優&女優も監督も全く知らない名前だったので躊躇したが,配給会社が「絶対に涙する映画」というので,話半分程度のつもりで観た。成程,題名通り泣ける映画で,「号泣必至」は誇張ではなかった。
 映画は,ある飲食店に飲酒運転の車が突入するシーンから始まる。しばらく営業再開できないほど大破した店の店主(ディーン・フジオカ)は,父親が始めた「かざま食堂」の後を継いでいた。30年前,たった1人の女性を救えなかったことを,いつまでも悔やんでいた。
 物語はその30年前に戻る。ある高校のクラス内で,「学級新聞コンクール」の編集係として,部活をやっていない2人が半強制的に選ばれた。サッカーで大怪我を負った風間心也(長尾謙杜)と継父に虐待され自宅に居場所がない新井夕花(當真あみ)だった。心也の自宅「かざま食堂」では,父・耕平(安田顕)が貧しい子供に無料で食事を提供していた。幼い頃の夕花は弟と通っていたので,心也とは幼馴染みだったが,いつしか距離ができていた。学級新聞の準備で会う機会増え,「ひま部」を結成し,共に母を亡くした2人は互いに支え合う関係となる。かなり古典的な純愛物語の展開であった。
 ある日,酒乱の継父に殴られ,家から投げ出された夕花を,心也と級友の石村が目撃し,屈強な石村が継父を押さえつけている間に,心也は夕花の手を取り全速力で逃げ出す。「遠くに逃げたい」という悲痛な叫びを聞いた心也は夕花を連れて一晩中歩き,亡き母(美村里江)と「四つ葉のクローバー」を探しに行った公園に辿り着く。2人は互いの心を告白し合うが,思わぬ形で継父の魔の手が迫り,夕花は行方不明になってしまう……。
 純愛物語の途中に,何度か30年後の店の復旧状態が登場するが,ある日,若い女性(芋生悠)がやって来て,思いがけない提案をする。もうこの辺りで,誰が何を食べて涙するのかは,想像がついてしまう。実際にその場面が来て,それでもやはり涙してしまう訳である。
 原作は人気作家・森沢明夫の同名長編小説で,監督はMV畑出身の横尾初喜だった。これが長編6作目だが,これまで縁がなかった。オーソドックスな演出で,嫌味がない。現代風若者映画ではないので,製作年を伏せて見せられたら,年代は言い当てられないだろう。上記『アンジー…』でなかなか登場しなかったディーン・フジオカは,本作では冒頭もラストも登場し,彼も嫌味のない素直な役だ。イケメン男優は得だなと実感する。一方,父親役の個性派俳優・安田顕が人間味のある好い味を出していた。数年前は奇妙な役が続いたので,「好きになれない俳優」のトップに挙げていたが,最近は全くその逆である。原作・脚本・演出・演技が,いずれも素直で,心温まる物語,泣ける映画に相応しい出来映えだった。

■『天国の日々 4K』(4月4日公開)
 巨匠テレンス・マリック監督の作品で,当欄が最初に取り上げたのは『ツリー・オブ・ライフ』(11年8月号)だった。それまでの40年間でたった4本しか撮らなかったという伝説の超寡作監督であったが,一転して2010年代には同数の4本を発表したことは既に述べた。初期は普通の劇映画だったのに。晩年は哲学的,抽象的で難解になるのは,巨匠にありがちなことである。本作は1978年の監督2作目の4Kリストア版でのリバイバル上映である。マリック監督の名を業界内に知らしめた佳作だが,リチャード・ギアの初主演作,音楽担当が円熟期のエンニオ・モリコーネというのにも食指が動く。
 時代は第1次世界大戦の初期で,少女リンダ(リンダ・マンズ)のナレーションで映画は始まる。シカゴの石炭工場で働く兄のビル(R・ギア)がトラブルを起こして解雇され,ビルの恋人アビー(ブルック・アダムス)との3人でテキサスの農場に流れ着く。世渡り術として,ビルはアビーも妹だと偽り,過酷な草刈り人夫として雇われた。このことが禍根を残す。裕福な農場主のチャック(サム・シェパード)がアビーを見初めて求愛する。偶然,チャックの余命が1年と知ったビルは,農場を乗っ取る好機と考え,アビーに求婚を受け容れるよう仕向ける。ビルとリンダも新婦の家族扱いで住み着き,しばらくは平穏な日々が続いたが,ある日ビルとアビーがキスする現場を見たチャックが激怒する……。
 原題『Days of Heaven』もアビーを妹と偽る設定も旧約聖書に基づいているが,哲学的ではなく,よくある三角関係の物語として描いている。痴情のもつれから殺人に発展し,お尋ね者となる展開もこの時代の劇映画として標準的なレベルだった。では,何がそれほど高く評価されたかと言えば,広々としたテキサスの麦畑,イナゴの大群,それを追い払おうとした火が燃え移って生じた大火災の光景等の映像美である。とりわけ,徹底して「マジックアワー」と言われる日没直後に撮影した頗る美しい映像と,それにマッチした音楽が絶品であった。アカデミー賞には,撮影賞,衣装デザイン賞,作曲賞,音響賞の4部門にノミネートされ,マリック監督が指名した撮影監督のネストール・アルメンドロスがオスカー(撮影賞)を得た。一方,カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞し,ほぼ無名だったテレンス・マリックの名前が一躍知られるところとなった。
 既に名作扱いされている本作は,DVDではいつでも観られたのに,新作に追われてその機会を逸していた。こうしたリバイバル上映が観賞意欲を後押ししてくれるのは嬉しいことだ。オンライン試写で観たのだが,4Kリストアの価値は十分感じられ,音楽も作曲賞,音響賞ノミネートに値する出来映えだった。マリック監督の映像美への拘りは,この映画が発端だったのかと納得した。劇場公開後に,なるべく音響効果の良い,大きなスクリーンでもう一度観るつもりでいる。

■『1980 僕たちの光州事件』(4月4日公開)
 まさに題名通り,1980年に韓国の光州で起きた歴史的悲劇を描いた映画である。今でこそ我々日本人もこの「光州事件」という名前は知っているが,当時は余程の国際政治通でなければ,韓国の政治経済情勢は知らなかった。日本のマスコミが韓国政治を報じるようになったのは,1987年12月の初の大統領直接選挙からであった。当欄の熱心な読者であれば,『KCIA 南山の部長たち』(21年1・2月号)『ソウルの春』(24年8月号)の結果が,本作のテーマである「光州事件」に繋がっていることをご存知かと思う。少しおさらいしてみよう。
 前者は1979年10月に起きた朴正煕大統領殺害事件(10・26事件)を描いた映画であった。KCIA部長の金載圭が朴大統領と側近の車智澈警護室長を射殺したが,彼は軍の上層部を把握できず,大統領殺害犯として逮捕され,クーデターは失敗に終わる。映画としては,野心と愛国心の間で揺れ動く主人公の心情を好意的に描いていた。長きに渡る独裁者の死から,しばし民主化の期待が膨らんだことが「ソウルの春」と呼ばれたが,同名映画の後者の中身は,むしろそれが消滅する過程を描いていた。同年12月に陸軍保安司令官の全斗煥が策謀の限りを尽して,実権を握る。全斗煥は徹底した卑劣感として描かれ,今も韓国では極悪人扱いされている。
 その全斗煥政権下で,翌年5月に起きた民主化運動弾圧の最も忌まわしい歴史的悲劇が「光州事件」である。本作には,政治家や軍部の政争は登場せず,市井の人々が権力に翻弄された出来事だけが描かれている。
 主人公の少年チョルスは,幼馴染みの隣家の少女・ヨンヒが大好きで,毎日仲良く遊んでいた。祖父(カン・シニル)が念願の中国料理店を開店し,街の人々に祝福される。大学に通う長男である父(イ・ジョンウ)は不在だったが,記念写真には,チョルスの他,祖父,母(キム・ギュリ),次男の叔父(ペク・ソンヒョン)とその婚約者,母の妹の叔母(キム・ミンソ)に,ヨンヒとその母(ハン・スヨン)が加わり,計7人が幸せそうな顔をして写っている。この人々を引き裂く不幸な事件は,とてもこれ以上書く気になれない。
 過去にも暴動に市民が巻き込まれる映画は何本か紹介したが,ここまで理不尽と感じた映画は初めてだ。軍部は何の罪もない市民を反政府主義者と見做し,拷問だけで済ませず,命までも奪ってしまう。実在の家族ではなく,典型的な事例を類型化した脚本で,繰り返してはならない記録として語り継ぐことを目的として映画化したと思われる。軍人同士の殺し合いなら良いとは言わないが,無辜の市民を巻き込む戦闘には心が痛む。今もウクライナやガザでは日常茶飯事であり,かつての日本軍も東アジアで同じことを平気でやっていたのだろう。
 監督・脚本は,『王の男』(06年12月号)等の美術監督を務めたカン・スンヨン。これが長篇監督デビュー作だが,人情の機微を描くのは得意なようだ。この監督には,もっと幸せを感じる映画を撮らせたい。

■『終わりの鳥』(4月4日公開)
[この記事は,加筆し,画像入れてメイン欄に移動しました]

■『HERE 時を越えて』(4月4日公開)
 監督・共同脚本はロバート・ゼメキス。最近大きな話題になることが少ないので,若い映画ファンには彼の業績は余り知られていないかも知れない。彼の『バック・トゥ・ザ・フューチャー (BTTF)』(85)は,特撮を縦横に駆使した20世紀後半のSF娯楽映画の金字塔であり,2〜3年おきにTV放映されているので,監督名は知らなくても,映画の題名はかなり浸透しているはずだ。既に舞台ミュージカル化もされている。今年は映画の初公開から40周年であり,国内では劇団四季がロングラン上演中なので,知名度も増していることだろう。
 1980年代のゼメキスは,スティーヴン・スピルバーグ監督の弟分的存在(6歳年下)で,彼の『E. T.』(82)『インディ・ジョーンズ』シリーズ3部作(81, 84, 89)に対して,ゼメキスの『BTTF』3部作(85, 89, 90)と『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)は,興行的には全く退けを取らない実績を示した。『フォレスト…』はアカデミー賞13部門ノミネートで,作品賞,監督賞,視覚効果賞を含む6部門受賞の快挙を成し遂げている。
 映像表現に関する拘りはスピルバーグよりも強く,『フォレスト…』以降もCG/VFXの使い方が斬新で,常に当映画評のメイン欄を賑わしてきた。本作の原題は単純な『Here』だが,副題の「時を越えて」に大きな意味がある。米国のある一軒の家の居間が舞台であり,この家に住んだ幾世代もの家族の人生の転機を定点カメラ観測の形式で描き,しかも時間軸上を往き来させている。これは,リチャード・マグワイア作の同名のグラフィック・ノベル(邦題は「HERE ヒア」)の基本コンセプトを映画として具現化した形になっている。ただし,原作は紀元前30億50万年から22175年(即ち222世紀)までの途方もない時間を対象にしているが,映画では恐竜が跋扈していた原始時代から,先住民が暮していた17世紀を経て,コロナ禍に揺れた最近までに限定している。
 NJ州の家に住んだ家族は,以下の通りである。
①ジョンとポーリーン(1907〜 ):最初に家を購入した夫婦。女の子が生まれるが,父親はスペイン風邪で死亡。
②レオとステラ(1925年〜 ):2番目の住民。発明家とモデルのカップル。発明に成功して西海岸に転居。
③アルとローズ(1945年〜 ):戦地から帰還した兵士とその妻。2男1女を育てるが,老夫妻は施設に移る。
④リチャードとマーガレット(1964年〜 ):アルは上記夫妻の長男で,10代で結婚し両親と同居。
⑤デヴォンとヘレン(2015年〜 ):息子ジャスティンと3人で入居。家政婦ラケルがコロナ感染で死亡。
 最も長く登場するのは④のカップルで,演じるトム・ハンクスとロビン・ライトが『フォレスト…』の主人公とヒロインで,エリック・ロスが同作も本作も脚本を執筆したというのが大きな話題である。
 時代を往き来するビジュアル表現とトム・ハンクスが10代から70代までを演じるのに使われたCG/VFXは語るに値するが,画像を使って説明しなければ,その価値は理解できない。
付記:という訳で,上記『終わりの鳥』と同様,しかるべき画像を集め,本文も大幅加筆して,メイン欄記事に格上げして掲載することにしました。]

■『シンシン SING SING』(4月11日公開)
 2月,3月はGG賞,アカデミー賞ノミネート作の紹介が多かったが,今月以降にも有力候補作が残っている。ミュージカルや音楽関連映画の良作が多かったので,題名からは本作もそれを期待したくなるが,内容は舞台劇がテーマのヒューマンドラマだ。GG賞ではドラマ部門の主演男優賞,アカデミー賞ではさらに脚色賞,主題歌賞の計3部門にノミネートされていたので,脚本もエンドソングもしっかり作られていた映画なのである。
「シンシン」は米国NY州オシニングに実在する刑務所名で,最高警備刑務所の1つだそうだ。名称は,同地の先住民族の集落名Sinksinkに由来している。本作は,刑務所内で実施されている「収監者更正プログラムRTA」の「舞台演劇グループ」内での友情と再生を描いている。そう聞くとすぐに思い出すのは,『塀の中のジュリアス・シーザー』(13年2月号)と『アプローズ,アプローズ! 囚人たちの大舞台』(22年7・8月号)だ。前者はイタリア映画で刑務所内でのシェークスピア劇の上演,後者はフランス映画で,刑務所内の囚人劇団が大劇場パリ・オデオン座での公演を目指す物語であった。この両作と対比しながら,本作の見どころを紹介する。
 主人公の通称“ディヴァインG”ことジョン・ホイットフィールド(コールマン・ドミンゴ)は,無実の罪で有罪判決を受けて収監されていた。大半の時間を図書室で過ごし,何作もの舞台劇脚本を書くという教養人で,演劇Gr.内でも尊敬を集めていた。劇団の新作準備で新メンバーを募集したところ,所内一の悪党で攻撃的な“ディヴァイン・アイ”ことクラレンス・マクリンが応募してきた。正式メンバーとなった彼は,演劇に対する考え方でことごとくGと対立する。重厚なドラマを主張するGに対して,軽快な喜劇を好むアイの提案が他のメンバーの支持を得た。その中での重要な役を得たアイの演技力は次第に向上し,演技指導者ブレント・ビュエル(ポール・レイシー)やGもそれを認めるところとなる。
 劇中では配役の決定や練習風景も丁寧に描かれていた。恩赦による仮釈放の審問があり,アイが簡単に承認されたのに対して,Gは審問で無実の証拠を熱弁し,それは演技かと疑われて仮釈放は不許可となる。失望と幻滅で落ち込んだGはRTAを脱退してしまうが,彼に寄り添い励ましてくれたのはアイだった。数年後,Gも仮釈放となるが,塀の外で彼を待ち受けていたのは……。
 監督・脚本・製作のグレッグ・クウェダーは,通常の元収監者が再度有罪で刑務所に戻って来る率が60%以上であるのに対し,RTA経験者のそれは5%未満であることに衝撃を受け,映画化することを決めたという。『塀の中の…』は実際の受刑者の演技を刑務所内で撮影したが,『アプローズ…』はドラマ性を重視したフィクションで俳優が演じていた。本作は出演者の85%がRTA経験者(元収監者)で,プロの俳優はほんの数名である。特に,ディヴァイン・アイのC・マクリンは本人が演じている。一方,ディヴァインGことJ・ホイットフィールドは,無実が証明され,現在はプロの劇作家として活躍し,既に数度の受賞経験がある。本作にはカメオ主演している。彼を演じたC・ドミンゴは前年『ラスティン:ワシントンの「あの日」を作った男』(24年1月号)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされていたので,2年連続は黒人俳優初の快挙となった。
『アプローズ…』も実在の刑務所内で撮影されたので,本作のRTA経験のある出演者たちもシンシン刑務所の壁の中でのロケを希望したが,それは不許可となり,2022年3月に廃止されたばかりのダウンステート刑務所での撮影が敢行された。本作は『アプローズ…』の終盤ほど劇的な展開ではないので,地味に思えるが,真骨頂は劇団員1人ずつへのインタビュー場面である。RTAに参加しようとした動機,どんな役を望むか,演じることで自分は変わったか等々が語られている。名目はフィクションであるが,真実の思いが語られていると考えられる。「いい映画を観た」と思えることは確実だ。

■『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』(4月11日公開)
 女性に大人気のシリーズの4作目である。大団円の前作から9年後にまだ作るのかと驚いたが,今度こそ最終作の完結編らしい。ポスター画像を見ると,新たな男性2人とラブラブのようで,元カレと夫の2人は左下隅に追いやられている。主人公のブリジットも演じるレネー・ゼルウィガーも既に50代のはずなのに,相変わらずお盛んなことだ。これが現代女性の憧れの姿なのかと,急に興味が涌いてきた。同じ思いの読者のために前3作の男性関係をおさらいし,外野の声としての感想を述べることにした。
 1作目(01)のブリジットは32歳で,太めでアル中気味の独身女性。出版社勤務で編集長のダニエル・クリーヴァー(ヒュー・グラント)と男女関係になるが,彼が婚約して破局。TV局に転職。最終的にはバツイチの弁護士マーク・ダーシー(コリン・ファース)と恋仲に。2作目『…きれそうな私の12ヶ月』(05年4月号)では,タイへの出張時にダニエルと寄りが戻る。結局はマークにプロポーズされOKする。3作目『…ダメな私の最後のモテ期』(16年11月号)では,マークは別の女性と結婚していて,ダンディなジャックと関係をもつが,離婚調停中のマークとも復縁。ブリジットは妊娠したが父親がどちらかは不明。無事男児を出産し,マークの子供と判明したので,1年後に子連れで結婚式を挙げた。
 以上のように,常に2人以上の男性と関係をもったブリジットだが,4作目の本作では既に2児の母になっていた。長男ビリーの後,長女メイベルが生まれたが,4年前にマークはスーダンでの人道支援活動中に他界していた(回想シーンでC・ファースは何度か登場する)。小学生2人の子育てに悪戦苦闘し,立ち直れない「サイテーな日々」が続いた。元カレのダニエルが2児のベビーシッターをして支えてくれていた。友人らの勧めで人生をやり直す決心をしたブリジットは,TV局の番組プロデューサーに返り咲き,恋愛も再開すると宣言する。
 早速,29歳の公園管理人のロクスター(レオ・ウッドール)と親しくなり,たちまち愛人関係に発展し,メイベルは彼を「新しいパパ」と呼ぶ。その一方で,番組収録で息子ビリーの理科教師ミスター・ウォーラカー(キウェテル・イジョフォー)にインタビューしたことから,彼にも好意をもつ。彼は息子ビリーに優しく接していた。またしても2人の男性から想いを寄せられるが,最終的にどちらを選ぶかは観てのお愉しみとしておこう。
 最初の2作は,これが等身大の独身女性像だとしても,さほど美人でもないデブ女がなぜモテるのか不思議だった。3作目では,懲りずに男性2人との同時進行はご苦労さん,43歳での出産は好かったねの思いだった。これはアラフォー独身女性に結婚・出産を勧めるメッセージなのだと解釈した。本作の監督は『To Leslie トゥ・レスリー』(23年6月号)のマイケル・モリスで,これが長編2作目である。前作もシングルマザーを描いた優れた女性映画であったが,本作のブリジットが50代の2児の母親となると,もはや若い独身女性がターゲット観客ではないだろう。明らかに1作目からのファンのための映画である。自分らしく生きようとする人生再スタートを,初めて愛らしく感じた。これは,ダニエルでなく,ブリジットの父親世代の視点での感想である。

■『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』(4月11日公開)
 ここからアクション映画が5本続く。まずは,韓国製のポリスアクション映画である。と聞けば,ワンパンチで決着をつけるマ刑事の『犯罪都市』シリーズを期待してしまう。知名度では負けるが,本作の韓国での興行成績はそれに勝るとも劣らない大ヒット作とのことだ。既にこちらもシリーズ化されていて,大ヒットした『ベテラン』(15)に続く9年ぶりの2作目である。今回,前作が「期間限定カンバック上映」と称して本作の1週間前に再公開されていた。それを観なくても本作は十分楽しめるが,前作もなかなかの秀作である。監督は『モガディシュ 脱出までの14日間』(22年Web専用#4)のリュ・スンワンで,本シリーズの生みの親である。
 ベテラン刑事とは,前作では韓国の「広域捜査隊」所属のソ・ドチョル刑事(ファン・ジョンミン)であったが,本作では「凶悪犯罪捜査班」所属となっている。検挙率100%の熱血漢だが,無鉄砲で組織を乱すことしばしばなのは,ポリスものの主人公の定番である。劇中での時代設定は不明だが,特に出世することもなく,チーム長オ・ジェピョン(オ・ダルス),同僚の肉体派ワン刑事(オ・デファン),イケメンのユン刑事(キム・シフ)らも,その関係のまま継続出演しているので,気の合ったチームがほぼ丸ごと異動したのだろう。本作では,ドチョルに心酔する新人刑事パク・ソヌ(チョン・へイン)が加わる。彼もなかなかのイケメンだ。
 前作では巨大財閥と広域捜査隊との対決であったが,本作の追う相手は連続殺人鬼である。ただし,単純な殺人犯ではなく,司法で裁かれなかった被告を次々と殺害するシリアルキラーなのである。法の網をくぐり抜けた悪人に報復の鉄槌を下すことから,世論はこの殺人犯をヒーローのように囃し立て,善悪を裁く伝説上の生き物「ヘチ」の名で呼ぶようになった。ヘチは捜査班を嘲笑うかのように,ネット上に次の標的を名指しする予告動画を公開する。ドチョルとパク・ソヌの必死の努力により,事件が解決に向かっているように見えたが……。
 人気シリーズだけあって,テンポもよく,コメディタッチでのおふざけも楽しく,アクションシーンもハイレベルだった。捜査と並行して,ドチョルの家庭内が再三描かれ,特に息子のユジンの扱いに困るシーンが何度か出て来る。これは何かのサインかなと思ったら,案の定,終盤に彼が捕えられ,ドチョルを困らせる。さらに言うなら,この種の映画を見慣れた筆者には,ヘチの正体は最初の一目で分かった。別の味方をすれば,極めてオーソドックスなポリス映画の作り方なのだと言える。
 逆にお恥ずかしいことも白状しておこう。映画が始まってしばらくの間,誰が「ベテラン刑事」のドチョルだか分からなかった。ついつい『犯罪都市』のマ刑事のような個性派を想像したためか,中肉中背で余り特徴のない顔立ちの主演男優が分からなかった。勿論,中盤までにはしっかり判別できたのだが,観終わってからこの男優「ファン・ジョンミン」の過去の出演作を見て驚いた。何と,上記の『1980 僕たちの光州事件』の中で触れた『ソウルの春』で全斗煥をモデルとした極悪人の保安司令官を演じていた俳優ではないか! 同作の紹介で触れたように,韓国人の役名と俳優名が覚えにくい挙句に,禿頭かつ悪人メイクであったため,本作の主人公と同一人物に見えなかったのである。その意味では,やはりマ刑事(マ・ドンソク)の方が圧倒的に親しみやすい(笑)。

■『プロフェッショナル』(4月11日公開)
「ベテラン」の次は「プロフェッショナル」だ。主演がリーアム・ニーソンと聞いただけで,何のプロかはすぐ分かるだろう。勿論,「狙撃のプロ」であり,本作では「凄腕の殺し屋(ヒットマン)」である。彼の大きな転機となった『96時間』(09年8月号)以来のアクション俳優としての主演作16本はすべて観ているが,本作はいくつかの点で異色である。『96時間』シリーズは元CIA工作員だったが,他もFBI捜査官,元警官や保安官,元海兵隊員役等が多く,意外とヒットマンはなかった。もう1つは,舞台が1970年代の北アイルランドの小都市であることだ。彼の母国ではあるが,現代ではなく,北アイルランド紛争の真只中という半世紀前を描いている。
 映画は1974年の首府ベルファストの市街地から始まる。武装集団IRAの過激派4人が起こした爆弾テロで6人が落命する。この4人組は海辺の田舎町グレン・コルム・キルレンに逃げ込む。冷酷な女性リーダーのデラン(ケリー・コンドン)の血縁者が「ライツ・パブ」を経営していたので,ここに身を潜めたのであった。
 同地には,伝説の暗殺者のフィンバー・マーフィー(L・ニーソン)が身分を隠し,古書売買業として余生を送っていた。既に妻を亡くして愛猫と暮らし,隣家の女性リタ(ニーヴ・キューザック)に家庭菜園の作り方を教わり,地元警官の警察官のビンセント(キリアン・ハインズ)とも親しく交流していた。血塗られた人生に疲れ果てた彼は,次の仕事を最後と決めていた。ならば,その最後の暗殺が計画通りに進まず,壮絶なクライマックスとなると予想してしまうが,これがいとも簡単に終わってしまう。となると,標的となるのは,テロリスト4人組に違いない。
 フィンバーが決心を翻したのは,「ライツ・パブ」の店主シニード(サラ・グリーン)の幼い娘モヤがデランの弟カーティス(デスモンド・イーストウッド)から日々虐待を受けていると知ったからである。それを見逃すことが出来ないフォンバーはカーティスに制裁を加えることを決意するが,実際にカーティスを射殺したのは……。
 弟を殺されて逆上したデランら3人との壮絶な銃撃戦はしっかり描かれていて,「狙撃のプロ」の面目躍如たる活躍にカタルシスを感じた。それには,『イニシェリン島の精霊』(23年1月号)で主人公の賢明な妹役を演じたK・コンドンの本作での非情なリーダーぶりが際立っていたためとも言える。監督はロバート・ロレンツで,L・ニーソンとは『マークスマン』(21年Web専用#6)以来の2度目のタッグである。同作の主人公は元海兵隊員の狙撃手で,妻を亡くして愛犬と暮す牧場主という似たような設定で,メキシコから不法侵入の少年をシガゴの親族の送り届けるロードムービーであった。
 この少年との心の交流も見どころであったが,人情味溢れるという意味では本作の方が数段上だった。シニード,リタ,ビンセントとの交流での会話は味わい深く,若手殺し屋のケビン(ジャック・グリークソン)に与える言葉には含蓄があった。そして何よりも素晴らしかったのは,北アイルランドの海岸の景観の美しさである。俯瞰視点から捉えた,海沿いの道を颯爽と走る赤いマスタングの姿がひたすら格好良かった。

■『アマチュア』(4月11日公開)
「プロフェッショナル」の次は「アマチュア」だ。ちょっと出来過ぎだと思われるだろうが,たまたま同日公開でこの種の映画が数本あったので,対比して述べるのに好都合なため,この順に並べたに過ぎない。上記の原題が『In The Land of Saints and Sinners』であるのに対して,本作の原題はそのもの『The Amateur』である。「The」がついているので,これぞ正真正銘,唯一無二の「ド素人」だと強調している。原作は米国人作家ロバート・リテル作の同名小説だが,邦訳本の題名は主人公名を入れた「チャーリー・ヘラーの復讐」となっている。既にカナダ映画『ザ・アマチュア』(82)として製作・公開されているので,本作が2度目の映画化のリメイク作品である。
 主人公は,CIA暗号解読分析課所属のサイバー捜査官のチャーリー・へラー(ラミ・マレック)だ。ならば犯罪捜査のプロに思えるが,彼は一日中オフィスでPCに向かって情報分析や調査を行うデスクワークばかりで,CIA工作員としての戦闘経験はなく,銃の扱いも「ド素人」なのである。彼は愛妻のサラ(レイチェル・ブロズナハン)のロンドン出張を空港まで見送ったが,翌日彼女の死を知らされる。ロンドンで無差別テロの犠牲者となったのだが,人質として連行され,銃口が向けられた映像が監視カメラに残されていた。チャーリーは記録映像からテロリストの顔の一部を抽出し,マイクが拾った声の波形から犯人を特定し,自らの手で復讐することを心に誓う。かくして,邦訳本の題名通りの展開となる。
 上司のムーア(ホルト・マッキャラニー)に掛け合ったが,「90歳の老尼との腕相撲でもお前は負ける」とバカにされ,長期休暇で心を落ち着けることを言い渡される。それでも彼を脅して,訓練プログラムへの参加を認めさせ,訓練担当教官ヘンダーソン(ローレンス・フィッシュバーン)の指導の下で,銃の扱いや格闘技のトレーニングに励む。そして訓練を抜け出したチャーリーは偽造パスポートでロンドンに向い,監視カメラに映っていた謎の女を追って,パリ,マルセイユ,インタンブールに到る。CIAが彼の行動を察知したと知ると,ルーマニア経由でベルリンにいると見せかけ,フィンランド湾近くのロシアの地方都市でターゲットと対峙する……。
 主役のR・マレックは『ボヘミアン・ラプソディ』(18年Web専用#5)のフレディ・マーキュリー役でブレイクしたが,「IQ 170,腕力なし」の天才分析官には見えなかった。元来は悪人面で,『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(21年Web専用#5)『アムステルダム』(22年Web専用#6)のような悪役の方が似合っている。一見小柄で細身だが,上半身裸のシーンでは鍛え上げた身体に見え,老女に負けるとは思えない。激しいチェイスシーンもしっかりこなしている。何だこれじゃ,普通のアクション映画じゃないかと思ってしまうが,終盤の壮大なトリックは見事だった。なるほど腕力不足を頭脳で補っている。看板に偽りはなく,オチとしては秀逸だ。
 欧州各地を次々と巡るのも,カナダ版とは場所も数も違う。ジュームズ・ボンドやイーサン・ハント並みの活躍だ。さすがハリウッドメジャー作品だけのことはある。その反面,大きな欠点は劇伴音楽の騒々しさであった。「このシーンに注意して下さい,いよいよここから緊迫感が増しますよ」と一々指定されているかのようで,「少し音量を下げろよ。無音であっても展開は理解出来るよ」と言いたくなる。監督はドキュメンタリー畑出身のジェームズ・ホーズで,監督デビュー作の『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』(24年6月号)は,実話ベースの感動作だった。まだエンタメ大作は不慣れなようだ。

■『サイレントナイト』(4月11日公開)
 題名だけ見るとクリスマス映画に思える。『バイオレント・ナイト』(23年2月号)は強盗相手にサンタクロースが戦うアクションコメディだったが,その類いではない。「きよしこの夜」のメロディは流れるが,本作にサンタは登場しないし,雪も降らない。上記の『アマチュア』と相似形のアクション映画だった。妻をテロリストに殺された男の復讐ではなく,息子をキャングに殺された父親の復讐譚である。主人公は一介の電気技師であるから,銃撃や戦闘に関しては彼もアマチュアなのである。
 本作を観る前に大いに興味をもったことが2つある。劇中で主人公が声を失い,全編でセリフが一切ない映画だという。アクション中心とはいえ,それで長編映画が成り立つのかが大きな関心事となった。もう1つは,監督がジョン・ウーであったことだ。アクション映画界で彼の名前を知らない者はいない。1980年代から90年代にかけて香港ノワールなるジャンルを確立した後,ハリウッド進出を果たして数々のヒット作を生み出した。久々だったので,まだ現役なのかと少し驚いた。現在78歳である。C・イーストウッドの94歳,R・スコットの87歳に比べると,十分に若い。記録を調べると,『M:I-2』(00年7月号)以降の彼の長編はすべて当欄で紹介していた。大阪を舞台にした『マンハント』(18年2月号)以来,7年ぶりのメガホンということになる。
 舞台はテキサス州の小さな町で,2021年12月24日の昼間,ブライアン・ゴッドロック(ジョエル・キナマン)は幼い息子のテイラーと新しい自転車で遊んでいた。銃撃音とともに走って来た2台のギャングの車からの流れ弾で,テイラーが落命してしまう。すぐに後を追った父ブライアンは,車からギャングを引き摺り出そうとするが,ギャング団のリーダー(ハロルド・トレス)に喉を撃たれてしまう。顔にまで刺青を入れた男だった。救急搬送されたブライアンは難手術で一命は取り留めたが,声を失ってしまった。警察署を訪れてヴァッセル刑事(スコット・メスカディ)に協力を求めた際に,彼は壁に貼られていた写真からリーダーの名前がプラヤであることを知り,残りの手下の顔写真も撮影した。
 その日からブライアンは,1年後の12月24日に全員皆殺しにして息子の敵を討つ計画を練り始めた。連日身体を鍛え,凶器の扱いや格闘技の訓練を重ねる姿に,妻サヤはついて行けず,家を出てしまう。ギャング団の在り処は突き止めた上で,聖なる夜が近づくと標的を1人ずつ殺して行き,遂にプラヤの自宅に潜入するが……。
 セリフは一切なかったが,サイレント映画ではない。効果音はあり,TVのニュースの声は流れている。ブライアンの耳は聴こえるのだから,夫人は話しかければ済むのに,スマホのチャットで会話している。これはセリフなしで通すためのご愛嬌と解釈した。劇伴音楽も控え目で,視線や分かりやすい挙動だけで十分アクション映画として満足できるレベルに達していた。字幕はTVからの声と看板の文字だけである。字幕翻訳料は文字数でなく,映画の尺の長さで決まるものだが,この映画でもその基準で支払われたのかと気になった(笑)。
 厳しいトレーニングの模様は,CIA内の訓練よりも遥かに迫力があった。複数の銃器を身に着け,爆弾や防弾チョッキまで準備する姿は,まさにプロ級である。ヴァッセル刑事も加わってのプラヤ邸でのラストバトルは延々と続き,正にジョン・ウー節全開を感じさせてくれた。この調子で,まだまだ現役を続けてもらいたい。

■『バーラ先生の特別授業』(4月11日公開)
 アクション映画5本の最後に入れたが,本来はその範疇の映画ではない。題名通りの教育映画で,荒廃した公立校の数学教師が魅力的な授業で生徒達の尊敬を集め,学校教育を立て直す感動の物語である。この種の心温まる映画は欧州映画が多かったのだが,本作は歌って踊ってのインド映画である。定番の歌謡ショーに加えて,教育改革を妨害しようとする悪人一味を熱血教師がなぎ倒す小気味良い武闘が,ボーナスシーンのように盛り込まれていた。銃撃も爆発もカーチェイス登場しないアクションだが,爽快度は5作中のNo.1だった。韓国のベテラン刑事の執念もリーアム・ニーソンの狙撃も,ジョン・ウーの演出をもってしても,この爽快感には敵わない。
 1990年にインドは経済自由化への舵を切り,1993年に教育制度の大改革を実施する。多数の私立学校や予備校が生まれ,授業料に応じた質の高い教育が受けられるようになった。その結果,富裕層は私学に殺到し,有能な教員も引き抜かれる。必然的に貧困層だけが通う公立校は荒廃し,家計を助ける生徒は学校に通うことすらしなかった。教育熱心な国で起こりがちな現象である。
 チョーラワラム村の公立校に赴任してきた数学教師のバーラ(ダヌシュ)は,どうせ生徒は誰も来ないと言う他の教師に対して,3日間あれば全員を登校させると宣言する。彼は村の各戸を訪れ,学校に来たがっていた子供たちの心を掴み,全員出席を達成する。授業内容も好評で生徒達は全員バーラ先生を大好きになる。ところが,嫉妬する他の教師が学校を去り,バーラは物理・化学も担当する。さらに私立校と予備校を経営する権力者ティルパティ(サムドラカニ)の卑劣な妨害と戦うことになる。(詳細は省くが)父母の無理解と生徒達からの信頼の繰り返しで,学校から追われて村の空き地での仮設教室での授業,それも壊されて,ビデオ収録した授業を映画館で上映する等の苦難の日々が描かれる。最後に残った46人全員を共通試験の上位100人以内に合格させるが,またしてもティルパティの策略が待っていた……。
 公平な授業を邪魔するカースト制,女性蔑視の偏見に立ち向かう姿の中で,「万人に平等な教育機会を与えることの大切さ」「高等教育で得た知識と経験が人生を豊かにする」と説くバーラ先生の教育理念に頭が下がる。あまりに立派な先生過ぎて,こんな人物など有り得ないと感じ,これはインド政府の教育PR映画ではないかと疑った。実際は,長編4作目となるヴェンキー・アトゥルーリ監督が,コロナ禍の中で「教育の公平さ」を痛感し,公教育制度の改善で国家賞を授与されたランガイヤ・カデルラ氏の半生をモデルとした映画を企画したそうだ。
 それにしても,生徒達が全員学校に来たがり,若い美人で生物担当のミーナクシ先生(サムユクタ)とはたちまち相思相愛になって婚約し,悪人どもを何度も成敗する展開は,調子が良過ぎる。こんな単純な勧善懲悪は,映画として底が浅いと感じた。その一方で,娯楽が少なく,識字率が高くないインドでは,少し破天荒な娯楽映画を介して国民教育するのも有りかなと思えてきた。
 その上で1点だけ抱いた疑問は,バーラ先生の数学授業内容がそんなに魅力的なのかどうかだった。 あの内容は,現在の日本の高校生の7割以上は理解できない。教養と人間性の大切さを訴えるなら,国語・社会・外国語の授業を介して,文学・哲学・環境問題を学ばせるべきだと思う。それが数学・物理・化学・生物になったのは,劇中の目標が「医学部工学部共通試験」であったためだろう。当時のインドの国策がこの両学部偏重であったことは,この映画から伺い知ることができた。

(4月後半の公開作品は,Part 2に掲載しています)

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