O plus E VFX映画時評 2024年5月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『マイ・スイート・ハニー』(5月3日公開)
 4月号の最後が暗く重いテーマの映画ばかりだったので,今月は明るく楽しい映画から始めたい。まずは,韓国製のラブコメディからである。と言っても,若い男女の爽やかな恋物語ではない。45歳と41歳の中年男女のカップルである。主演男優はユ・ヘジン。名前で分からなければ,『コンフィデンシャル/共助』シリーズで,北朝鮮のイケメン刑事とコンビを組む韓国側の醜男刑事と言えば,すぐ思い出すだろう。同シリーズでは結構アクションもこなしていたが,社会派映画『1987,ある闘いの真実』(18年7・8月号)では刑務所内の情報を外部に漏らす看守役,歴史映画『梟―フクロウ―』(24年2月号)では主人公の処刑を命じる半狂乱の国王を演じていた。かなり芸達者な脇役俳優だが,彼が恋愛映画の主役とは驚いた。俳優歴27年で初めてで,オファーがあった時,本人も何かの間違いだと思ったという。
 その彼の恋のお相手なら,超デブでド近眼の不美人だが,心優しい女性あたりかなと想像してしまった。ヒロインはジャッキー・チェン主演作『THE MYTH/神話』(06年3月号)で韓国のお姫さまを演じていたキム・ヒソンだった。その紹介記事では「かなりの美形」と書いている。当時は28歳,現在の実年齢は46歳である。役柄の41歳どころか,まだ30代半ばにしか見えない飛び切りの美人女優だ。TVドラマで「視聴率女王」と称される人気スターなので,この2人が恋愛劇を演じるというだけで,韓国人もビックリの話題作らしい。
 主人公チャ・チホ(ユ・ヘジン)は,天才的な味覚をもつ製菓会社の開発研究員で,仕事一筋の人生で全く女性とは縁がなかった。一方,シングルマザーのイ・イルヨン(キム・ヒソン)は,ローン会社勤務で,返済が滞る債務者に電話で督促する係である。ある日前科者のソクホ(チャ・インビョ)に督促したところ,「借金は弟が払う」と逃げまくる。その弟がチホで,ひょんな出来事から2人は親しくなり,何度も一緒に食事をしたり,運転を教えたりする関係になる。恋愛経験の全くないチホはイルヨンに夢中になってしまい,仕事が手につかない。その挙句,退職すると言い出すので,上司や同僚たちは慌てて,2人の仲を裂こうと妨害工作を始める……。
 余りにも不釣り合い2人のラブラブが微笑ましかった。夢中になったチホの狼狽ぶりは,まるで中学生の初恋だ。妨害行為にめげず愛を貫きたいチホを,思わず応援したくなってしまう。最後はハッピーエンドが予想できる単純なコメディなのだが,これが頗る面白い。
 余談だが,劇中で何度も登場する「キンパ」なる食べ物は初めて知った。様々な具が入った韓国風の太巻らしい。酢飯ではなく,ゴマ油と塩での味付けなのと生ものは入らないのが,和風の太巻との違いのようだ。早速食べてみたくなった。食欲をそそる映画である。

■『青春18×2 君へと続く道』(5月3日公開)
 次もラブストーリーだ。残念ながら,悲恋の物語らしい。監督・脚本は,『新聞記者』(19) 『ヤクザと家族 The Family』(21年1・2月号)の藤井道人監督だというので,迷わずに観た。社会派監督のイメージだが,『余命10年』(22年Web専用#2)は見事な純愛悲恋物語だった。「青春18×2」というので,18歳(高校3年生か大学1年生)の男女のロマンスかと思ったが,そうではなく,18歳とその18年後の出来事が描かれている。いいセンスの題名だが,監督の発案ではなく,台湾人のジミー・ライの紀行エッセイ「青春18×2 日本漫車流浪記」の映画化作品とのことだ。日台合作で,18歳の前半は台湾,18年後の36歳が日本を巡るロードムービーとなっている。
 高校生のジミー(シュー・グァンハン)は,バイト先のカラオケ店で日本人バックパッカーのアミ(清原果耶)と一緒に働く内に,4歳年長で天真爛漫なアミに恋心を抱く。映画への同伴,夜道のバイク2人乗り等,2人の距離は急速に縮まるが,突如アミが帰国することになり,ジミーは意気消沈する。そして18年後,人生につまずいて帰郷した36歳のジミーは,帰国後のアミから届いていた昔の絵葉書を思い出し,彼女と交わした「約束」を果たすべく,日本へと旅立つ……。
 前半と後半の切り替えが見事だった。ジミーを演じる人気俳優の実年齢は33歳だが,高校3年生を見事に演じていた。一方,監督とは3度目のタッグとなる清原果耶は役柄通りの22歳。しっかりジミーよりも年上に見えた。後半の日本では,鎌倉,松本,長岡と辿り,アミの実家がある福島県只見町へと旅する。彼女のその後は想像できたが,道中で知り合う人物たちとの交流の描写が素晴らしい。台湾人俳優ジョセフ・チャン,道枝駿佑,黒木華,松重豊,黒木瞳の順で登場する助演陣の演技も監督の演出力も絶品だった。
 最終地が福島県だったので,(原作になくても)何か3・11への言及があるかと想像したが,何もなかったのが少し残念だった。日本での決着の後,台湾に戻ってからのラストの収め方も秀逸だった。映画の終盤に登場する絵の出来映えにも感心した。いい映画だ。

■『バジーノイズ』(5月3日公開)
 次は合作でも18年後を描く映画でもなく,ピュアに邦画で若者だけが登場する青春音楽映画である。原作は,むつき潤作の同名コミックで,かつて「ビッグコミックスピリッツ」に連載され,斬新な音楽表現がSNSで話題を呼んだという。コミックが原作の場合,本編を観る前に原作(特に冒頭部分)を試し読みし,絵柄と実写との整合性を確認するようにしている。本作で特に興味をもったのは,コミックでは絶対に表現できない音を,映画ではどのように表現しているかであった。かねがね「ビッグコミック」連載のジャズ漫画「Blue Giant」の実写映画化を待ち望んでいたが,まだ実現していない。その分も含めて,本作の音楽的出来映えに期待したのである。
 主人公の清澄(川西拓実)は,全く人付き合いをしない世捨て人のような青年で,マンションの管理人をしながら,夜は1人で音楽作りに没頭していた。PC利用のDTM (DeskTop Music)で打ち込みや作曲をして,自室で音を奏でていたのである。ある夜,階下から聞こえる音楽に魅了された上階の女性・潮(桜田ひより)がベランダから窓ガラスを割ってやって来る。マンションを追い出された2人は共同生活を始めるが,彼女が清澄の音楽をSNS投稿したところ,一気にバズり(注目を集め),清澄は音楽バンドと関わることになる。作曲依頼される存在となり,初のCDアルバムを聴かせようと帰宅すると,荷物と共に潮の姿は消えていた……。
 キャッチコピーは「圧倒的共感ストーリー」である。筆者の世代が若者映画を観た時,自らの若い頃に転写して共感できるか,最近の若者の生態に感心するだけかのいずれかだが,本作の場合は後者だった。ただし,この種の音楽オタクの存在は理解できるし,若手ミュージシャンのインデペンデント音楽界の実情も把握できた。劇伴音楽は心地良く,ラストのライヴシーンで主人公が歌う主題歌がそのままエンドロールに繋がる演出は見事だった。若手監督・風間太樹の映画は初めてだったが,なかなかの実力者で,かなりの凝り性だと感じた。
 本来の目的であった音楽コミックの実写(実音)映画化には満足したが,1つだけ大きな不満がある。原作の舞台は「神戸市舞子」で,右手に明石大橋が見える光景が基調である。ところが,本作で清澄が音楽を作っている海辺は,どう見ても横浜みなとみらいの「臨港パーク」で,正面に遠く見えるのは「ベイブリッジ」だ(巧みに目立つインターコンチネンタルHの姿は隠してあるが)。それでいて,ヒロインの桜田ひより(千葉県出身)には,慣れない関西弁を話させている。完璧主義者でありながら,山形県出身の監督には,この関西弁の不自然さが感じ取れないのだろう。それならいっそ,横浜を舞台に脚色し直すべきだったと感じた。

■『無名』(5月3日公開)
 見応えのある映画だった。中国製のスパイ映画だが,007やM:Iシリーズのようなお軽いエンタメではない。1940年代前半から大戦後すぐの時代まで,上海を中心に暗躍した諜報員の活動を大きな事件と絡めて描いた歴史大作映画である。監督・脚本・編集がチェン・アル,W主演でトニー・レオンとワン・イーボーの2大スター競演が宣伝文句となっている。トニー・レオンは,代表作を挙げる必要もない香港映画の至宝だが,他の2人は知らなかった。ワン・イーボーは,これが映画初出演だが,歌手,ダンサー,ラッパー,バイク・レーサーでもある人気絶頂のイケメン男優で,話題性に富んでいる。チェン・アルは中堅の実力派監督だが,前作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』(16) で中国映画監督協会・最優秀監督賞を受賞し,舞台も同じ上海であることから期待を集めた。
 中国共産党と国民党の対立に侵略者日本軍が絡む政治情勢の中,戦局の見極めや互いの機密情報取得に多数のスパイが暗躍していた。国民党・汪兆銘政権の政治保衛部のフー(トニー・レオン)は,共産党の秘密工作員から国民党に寝返ろうとするジャン(ホアン・レイ)を面接し,共産党幹部の情報を聞き出していた。一方,イエ(ワン・イーボー)はフーの部下でありながら,日本軍スパイのトップ渡部(森博之)とも繋がる二重スパイであった。騙し騙されの諜報活動の中,ジャンが5年間共に暮したチェン(ジョウ・シュン)の過去やイエの婚約者ファン(チャン・ジンイー)の殺害が加わり,物語は複雑化する。物語は一方向に進行せず,細切れに過去の出来事が挿入され,観客は種明かしへの納得と意外な過去に対する驚きで,監督の演出過多の編集に翻弄される。
 まず素直に全編を観たが,時間軸上の往復を正しく理解できなかった。幸いオンライン試写であったので,メモを取りながら,一時停止や巻き戻し含む2度目の視聴で,ようやく人間関係や前後関係を把握できた。映画館で一度だけ観る観客には辛い映画だと思う(もう一度映画館に来させるための策略かも知れない)。
 その一方,本作の格調高さを支えているのは,上海の古い町並みを再現したオープンセットや精巧な調度品で,1940年代を描き出していることだ。使用言語は,中国語(北京語)・広東語・上海語・日本語であり,場所と会話者に応じて,中国語を使い分けるきめ細かさだ(我々には違いは分からないが)。日本軍の兵士たちが語り合うシーンには,中国人俳優で代用せず,きちんと日本人俳優を起用し,正しい日本語のセリフを話させている。
 1931年の満州事変,1937年の日華事変への言及,満州国の傀儡政権や関東軍の実態,中国における日本軍の人民弾圧や極悪非道な処刑等々,日本の描き方の正確さに畏れ入る。1976年生まれの監督が,約80年前の政治情勢や出来事をここまで把握していることに驚いた。かなりの日本通らしく,上海の日本料亭の宴席での料理,芸者の着物・踊り・三味線から,日本軍兵士の軍服やランニングシャツ姿まで,完璧だった。当時の中国の描写も同じように正確なのだろうと想像してしまう。
 劇中で男性はどんどん死んで行くのに,ファン以外の主要な女性は生き残る。監督はフェミニストで,女性に甘いようだ。それは戯れ言として,観て損はない。131分の映画に学ぶべき歴史がぎっしり詰まっている。50歳以下の日本人も,この映画で多くを学べるはずだ。

■『人間の境界』(5月3日公開)
 ホーランド映画で,ベラルージから同国へ入国してくる難民の実態を描いている。思い出すだに辛いという意味では,先月公開の『マリウポリの20日間』と双璧である。同作の直後に観たのだが,月が変わった後,すぐに書く気になれず,同日公開の5本の中で最も後回しにしてしまった。原題は『Green Border』で,ポーランドとベラルーシの国境地帯にある原生林のことで,ここで難民の押し付け合いの非人道的なことが起きている。木々は深い緑だろうが,映画は冒頭の数秒以降はモノクロ映像でだった。それによって,目を覆いたくなる惨状が,よりリアルに思える。純粋なドキュメンタリー映画ではないが,実際に起きた出来事を再現した準ドキュメンタリーである。
 映画は「家族」「 国境警備隊」「活動家たち」「ユリア」「エピローグ」の章建てで構成されている。描かれる時代は2021年10月(即ち,ロシアのウクライナ侵攻の4ヶ月前)で,シリア難民の6人家族らがベラルーシの空港に降り立つ。亡命の手配師に高額の謝金を支払い,国境を越えてEUのポーランドに入り,スウェーデンに向かう計画だ。ところがポーランド内で国境警備隊に捕まり,拷問・飢餓・レイプが待つベラルーシに追い返される。再度ポーランドへの越境を試み,有刺鉄線を挟んでこれを繰り返す内に,死亡する者も出る。一帯は低体温症や溺死も頻発する「死の地帯」と化していた。この惨状の原因は,EUを混乱させるため,ベラルーシ政府が「難民を楽園のEU内に安全に送り届ける」と誘い出し,シリアの他,アフガニスタン,シリア,イラク,イエメン,コンゴ等からの大量の難民を「人間兵器」として送り込んだからだ。対抗するポーランド政府は,武装集団の国境警備隊を組織し,国際法を無視して難民をベラルーシ側に追い返す政策を実行に移していた。
 冒頭から続く過酷な物語で,途中で観るのを止めたくなった。中盤以降,警備隊員に召集された青年の心の葛藤,政府方針に疑問を感じた支援活動家たちの行動が描かれるようになり,ようやく心が少し和んだ。後半は,活動家の1人,セラピストのユリア(マヤ・オスタシェフスカ)の行動を描いている。自ら逮捕・収監されながらも,支援活動を続ける彼女の奮闘によって,何名かが救われる場面があり,こちらも救われる思いになる。
 監督・共同脚本は,女性監督のアグニエシュカ・ホランド。同国の名匠アンジェイ・ワイダに師事し,多数の社会派映画を生み出して,彼女も既にベテランの域に達している。当欄では『ソハの地下水道』(12年10月号)『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(20年7・8月号)を紹介し,いずれも評価を与えている。
 数名のプロの俳優以外は,難民出身者,活動家が演じたという。6人家族の父親役,祖父役は難民出身の俳優である。ユリカを演じた女優M・オスタシェフスカは,A・ワイダ監督の名作『カティンの森』(09年12月号)でも主演女優であった。森の場所は違えど,彼女は悲惨な出来事を描いた2つの映画を結んでいる存在である。また『君はひとりじゃない』(17年8月号)では,本作同様,セラピストを演じていた。本作のユリアをそうしたのは,同作をヒントにしたのかも知れない。
 エピローグの映像と数字に愕然とした。2024年2月26日(ロシアの侵攻から2日後)のウクライナからポーランドへの国境検問所に押し寄せた難民の映像である。当初から2週間で難民を200万人受け入れたという。ウクライナ難民と中近東からの難民で,なぜこうも扱いが違うのか,ポーランド政府に問い質したい。

■『胸騒ぎ』(5月10日公開)
 試写を観終った直後から,さて,どういう紹介記事にしようか迷った映画である。まず,デンマーク&オランダ合作のホラー映画というのが珍しく,興味をそそられた。プレス資料で「ブラムハウス」の名前が目に入り,欧州市場にまで手を延ばすかと思ったが,同社が本作のリメイク権を得たとのことだった。ホラー専業の同社が目を付けたというだけで,設定や脚本は文句なしのお墨付きも同然である。「血も凍るような恐怖」「今年,最も不穏な映画」「ラスト15分が本当に恐ろしい」なる他誌の評で,ますます楽しみになった。
 イタリアへの休暇旅行で知り合った2組の家族が意気投合する。後日,デンマーク人のビャアンとルイーセ夫妻は,オランダ人のパトリック夫妻から「週末,我が家に遊びに来ませんか」との招待を受け,娘アウネスを連れてフェリーでオランダに渡る。人里離れた家で再会を喜んだまでは良かったが,会話を交わす内に違和感を感じるようになる。町も山中の景観も美しく,料理も美味しそうだったが,音楽だけは最初から不穏で,観客にも身構えろと暗示しているかのようだった。同家の息子アーベルの様子も気味悪かった。何度も途中で帰ろうと思い立つが,夫妻から説得され,思い留まる内に溝は深まり,遂に取り返しのつかない事態に……。
 怪獣やゾンビや死霊が出て来る訳ではない。これまでのホラーとは異質の怖さだ。ラストでそれが解消されて,爽快になることはない。観終っても不快感が残る映画だ。監督・脚本は,俳優出身のデンマーク人で,これが長編3作目となるクリスチャン・タフドルップ。「これは風刺映画で,自発的に不快にしてあるから,不穏で恐ろしい映画になっているはずだ」と言う。悪意のある人間に対して,善人ぶると身を滅ぼすという教訓であるらしい。
 そんなに不愉快なら勧めないかと言われれば,そんなことはない。監督の意図通りの不快感が得られるか,怖い,怖いと言われた最後の15分がどれほどのものかを楽しむ映画である。ちなみに筆者の場合は,さほど怖くはなかったが,しっかり不快に感じた。ジェームズ・マカヴォイ主演のハリウッド・リメイクも観るつもりだ。

■『鬼平犯科帳 血闘』(5月10日公開)
 今年公開の邦画の中で,最も待ち遠しかった映画だ。何しろ,1年以上の前の『仕掛人・藤枝梅安』(23年2月号)の記事中で既に本作のことに触れていたほどである。池波正太郎生誕100周年記念企画の一環であり,新キャストによる映画化作品3本の内の最後の1本だ。「鬼平犯科帳」は数ある池波作品の中でも人気,知名度ともにNo.1であり,何度もTVシリーズ化されているが,映画化はこれが2度目である。主演が十代目・松本幸四郎であることが,本作のセールスポイントだ。TV版の最初の主演が祖父の初代・松本白鸚(八代目・松本幸四郎),人気を不動にしたのが叔父の二代目・中村吉右衛門であったから,血筋として申し分ない。強いて心配したのは,七代目・市川染五郎時代の若々しい印象が強く,祖父のような風格を出せるか,叔父が定着させてしまった「鬼平=吉右衛門」のイメージを払拭できるかだった。
 ファンとしての注目は,長短編合わせて単行本20巻(文庫本25巻),全135話の原作内,何を使った脚本になるかであった。副題の「血闘」(第3巻収録)が発表された時,見事な選択だと感心した。盗賊の娘であった「おまさ」(TV版では梶芽衣子が演じた)が,密偵にしてくれと長谷川平蔵を訪ねる話であり,おまさを救いに平蔵が単身盗人宿に乗り込むのが見せ場であるから,新しいファンへの入門編としても適している。ところが,登場する盗賊の名前が「凶賊」(第4巻収録)のものであったので,この2話を併せた脚本と想像できた。よって,原作の短編,さいとうたかを作画のコミック,吉右衛門版のビデオを各2話分しっかり眺めて本作に備えた。本作を映画館で観ようという観客の大半は,根っからの鬼平ファンか,これを機にそうなろうと志す新参者と思われ,以下は同好の士のためのガイドとして記した。
 主演の幸四郎の鬼平は何の問題もなかった。かなりの体重増ですっかり貫録がつき,叔父の初演の頃よりも重みがある。声色はかなり真似ていて,これは鬼平だと感じる。実子の八代目・市川染五郎が出演するというので,てっきり息子・辰蔵役だと思ったが,これは外れた。まだ部屋住み時代の暴れ者「本所の鬼銕」役である。なるほど「凶賊」では,銕三郎が無頼者相手に大立回りを演じる。鬼平がどっしりしていたので,助演陣のおまさ(中村ゆり),相模の彦十(火野正平),久栄(仙道敦子),木村忠吾(浅利陽介),佐嶋忠介(本宮泰風)らが,吉右衛門版の見慣れた俳優でないこと気にならなかった。
 物語は,おまさの密偵志願と簪に結んだ紙縒りでの伝言以外は「血闘」の要素はなかった。よって,残念ながら,おまさの裸身が登場するシーンはない(笑)。盗賊の頭・網切の甚五郎(北村有起哉)の畜生働きや平蔵を料亭「大村」に誘い出す手口,芋酒屋の主人・鷺原の九平(柄本明)にまつわるエピソードは,ほぼ「凶賊」通りである。殺陣のシーンはたっぷりあり,鬼平の剣の技も堪能できる。CGで描いた江戸の街も上出来だった。
 ではなぜ『仕掛人・藤枝梅安』のように評価でないかと言えば,定番の逸話も多数盛り込み過ぎで,駆け足気味だったからである。梅安のような裏社会の暗殺者でなく,長谷川平蔵には人徳者としての側面を強調し,ゆとりのある物語展開の方が好ましかったと思う。本作を製作した「時代劇専門チャンネル」では,この新キャストで既に新春に「本所・桜屋敷」を放映し,さらに2作品を放映予定だという。そのためだけに定期契約して視聴する余裕のない鬼平ファンも少なくないと思われるので,劇場用映画も何作か作って欲しいものだ。

(5月後半の公開作品は,Part 2に掲載しています)

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