O plus E VFX映画時評 2025年2月号掲載

映画サウンドトラック盤ガイド


■「A Complete Unknown (Original Motion Picture Soundtrack)」
(Columbia Records Group)


通常版(CD, 配信)
シングル配信版
アナログLP盤

 映画本編『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の公開日が2月末日であったため,そのサントラ盤ガイドの掲載は翌月になってしまった。どうせ遅れるならと数日待ったのは,できればアカデミー賞の結果を飾り文句にしたかったからである。作品賞を含む8部門ノミネートであったから,何か1つは受賞するだろうと思った(願望した)のだが,残念ながら無冠で終ってしまった。多くの観客から好感を持たれる映画であったが,部門別となると飛び抜けたものがなく,どの部門でも2番手評価であったのかと思う。ハンデとなったのは,音楽映画でありながら,「作曲賞」「主題歌賞」の対象外であったことだ。劇中で歌われたのは全て既発表曲であったからである。優れた新曲をエンドソングとして挿入していれば,「主題歌賞」の有力候補になったのではと思われる。
 さてサントラ盤の紹介である。最近はMP3でのデジタル配信は当然あり,CDもアナログLPも販売されているが,特に日本国内版はない。アルバムとしては,CDと配信は下記の23曲入りで,LP盤は16曲入りである。映画に先行して,21.“Like A Rolling Stone”と4.“Girl From The North Country”の2曲がシングル扱いで配信されていた。

1. “Highway 61 Revisited” *
2. “Mr. Tambourine Man” *
3. “I Was Young When I Left Home” *
4. “Girl From The North Country” **
5. “Silver Dagger”   Monica Barbaro
6. “A Hard Rain's A-Gonna Fall” *
7. “Wimoweh (Mbube)”   Edward Norton
8. “House Of The Rising Sun”   Monica Barbaro
9. “Folsom Prison Blues”   Boyd Holbrook
10. “Don't Think Twice, It's All Right” **
11. “Masters Of War” *
12. “Blowin' In The Wind” **
13. “Subterranean Homesick Blues” *
14. “Big River”   Boyd Holbrook
15. “The Times They Are A-Changin'” *
16. “When The Ship Comes In”   Timothée Chalamet & Edward Norton
17. “There But For Fortune”   Monica Barbaro
18. “It Ain't Me, Babe” **
19. “Maggie's Farm” *
20. “It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry” *
21. “Like A Rolling Stone” *
22. “It's All Over Now, Baby Blue” *
23. “Song To Woody” *

*:Timothée Chalametの単独歌唱
**:Timothée Chalamet & Monica Barbaroのデュエット

 本編記事中にも書いたが,収録曲はすべて映画に登場する俳優たちの歌唱である。即ち,ボブ・ディラン役のTimothée Chalamet,ジョーン・バエズ役のMonica Barbaro,ピート・シーガー役のEdward Norton,ジョニー・キャッシュ役のBoyd Holbrookである。映画より先にこのサントラ盤を聴いて,T. Chalametの歌が本人そっくりなのに驚いた。ディラン自身がかなり癖のある歌い方なので,物真似しやすいと言える。さしずめ,森進一や桑田佳祐の歌真似のようなものである。癖がある上に歌は下手なので,1960年代前半の録音と比べるとChalametの方が歌唱力が上で,このアルバムの方が音質も良い。この映画を機に,後年の音質の良いディランのアルバムとこのサントラ盤を往復して聴いたが,いずれがディランかすぐには分からなかった。
 ジョーン・バエズとM. Barbaroを比べると,バエズの方が高音の伸びが好く,当然歌唱力も上だ。それでもM. Barbaroの歌唱力も大したもので,十分バエズの歌として通用する。B. Holbrookが歌うJ・キャッシュの代表曲2曲も上出来である。こちらも真似やすい歌い方だが,ステージ上の仕草まで含めると,本人かと思ってしまう。彼の伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』を撮ったジェームズ・マンゴールド監督であるから,さぞかしOKが出るまで注文が多かったことだろう。名優Edward Nortonが歌うのは初めて見たが,かなり様になっていたのに感心した。ハリウッド俳優はレベルが高い。劇中ではもう1, 2曲歌っていたが,このアルバムに1曲だけは残念だった。
 この映画のために,Chalametはディラン作の40曲を歌ったという。きちんと数えなかったので,全曲映画で使われていたかは分からない。短くバックグランドで流れるだけの曲もあったかも知れない。映画中の歌のシーンは,曲を流しながらのアテレコでも音は後入れのアフレコでもなく,臨場感を重視して全曲すべて歌を生撮り(本番映像収録時の同時録音)したという。ところが,その撮影前にChalametは事前に何曲かスタジオ録音を終えていたので,それはこのアルバムに使ったという。一部か全部かは分からないが,このアルバムの曲は完成度は高いもののライブ感がない。
 さてサントラ盤に収録された23曲だが,ディランが他人の曲をカバーした曲やラジオから流れるLittle Richardの曲などは収録されていない。曲順も,映画中での出番通りではない。なぜか後半に登場する“Highway 61 Revisited”がトップで,途中で登場する“Mr. Tambourine Man”が2曲目である。代表曲なら12.“Blowin' In The Wind”(風に吹かれて)をトップにすべきだ。その他はほぼ登場順と思われるが,映画の最初の重要場面で歌う“Song To Woody”(ウディに捧げる歌)が入っていないのが残念だ。大混乱になる1965年のニューポートのステージで歌った19.“Maggie's Farm”以降はこの曲順で間違いない。映画のエンドロールには,劇中に登場した21.“Like A Rolling Stone”, 12.“Blowin' In The Wind”, 2.“Mr. Tambourine Man”の3曲が再度流れる。劇中曲と雰囲気が少し違ったので,これはディランやバエズ本人の歌唱かと思ったのだが,そうではなかった。映画中は生録版であり,エンドロールの3曲はこのサントラ盤に収録されたスタジオ録音版だと思われる。
 余り詳しくない読者のために,上記以外の注目すべき数曲を解説しておこう。10.“Don't Think Twice, It's All Right”(くよくよするなよ)は,ディランの曲でも最もフォークらしい曲で,“Blowin' In The Wind”のB面にカップリングされた曲である。多くのフォークシンガーがカバーし,ディラン自身よりもPPM(Peter, Paul & Mary)の歌で大ヒットした。筆者は長年PPMがオリジナルだと思っていた。今回シングルカットされた4.“Girl From The North Country”(北国の少女)も2枚目のアルバム収録の初期ヒット曲だが,フォークというより英国風の美しいバラードである。このアルバムでは両曲ともバエズとのデュエットで歌われているように,バエズのソロアルバムにも収録されている。他では,Rod Stewart, Joe Cocker, Leon Russell, Neil Young, Sting等のロック系の歌手がカバーしているのが興味深い。
 もう1曲挙げるなら,バエズ役のM.Barbaroがソロで歌った8.“House Of The Rising Sun”(朝日のあたる家)である。作者不詳の米国民謡ともいうべき曲で,ディランの歌もデビューアルバム「Bob Dylan」(62)に収録されている。彼が憧れるWoody Guthrieが1941年に吹き込んでいるので,その影響かも知れない。日本人の多くがこの曲を知ったのは,1964年に発売されたThe Animalsの大ヒット盤である。Beatlesの出現で,英国のロック・バンドの曲が世界中に溢れ出した時代であった。それ以降,このAnimals風の歌い方が定番になっている。日本では,まずザ・モップスがカバーし,その後,浅川マキ,綾戸智絵,ちあきなおみ,藤圭子,八代亜紀等の歌唱力のある女性歌手が,「朝日楼」の題名で「怨歌」として歌っていることが多い。当欄で紹介した『PERFECT DAYS』(23年12月号)の中で,主人公(役所広司)が通う小料理屋のママ役の石川さゆりがギター伴奏をバックに歌う「朝日楼」が印象的だった。今回,あれっと思ったのは,日頃よく知る英語の歌詞とは少し違っていたことだ。J・バエズのアルバムを聴くと,よく知られた方の歌詞で歌っている。作者不詳の歌であるから,今回の歌詞のバージョンで歌うこともあるのだろう。
 ともあれ,Timothée Chalamet演じるボブ・ディランの若き日は,歌唱も含めて絶品である。公開週の国内週末興行成績では,映画はアカデミー賞で破れた『ANORA アノーラ』や『ブルータリスト』に圧勝している。映画での歌唱とこのサントラ盤アルバムでは少し印象も違うので,聴き比べる価値があるとお勧めしておく。

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