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O plus E誌 2001年5月号掲載
 
 
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『リトル・ニッキー』
(ニューライン・シネマ作品
/ギャガ-ヒューマックス配給)
 
       
      (2001/3/1ギャガ試写室)  
         
     
  いかにもアメリカ的なギャグとパロディのラッシュ  
   ニューライン・シネマ,ギャガ配給で魔界をテーマをした作品で,VFXとして取り上げるに足る内容と聞くと,本欄でもお馴染みのB級ホラーの逸品かと思ったが,全編ギャグとパロディのオンパレードのノンストップ悪乗りコメディだった。
 主演は,今やトム・クルーズ,ハリソン・フォード級のギャラを稼ぐというアダム・サンドラー。コメディ系の俳優は,アメリカではビッグネームでも日本では一向に受けないことがある。ベテランではスティーヴ・マーティン,若手ではこのアダム・サンドラーがその代表格だろう。『ウェディング・シンガー』(98)『ウォーター・ボーイ』(98)で大ヒットを飛ばし,シンガー・ソングライターとしてもグラミー賞にノミネートされたと聞く売れっ子アダム・サンドラーの作品は,昨年冬に『ビッグ・ダディ』(99)を見たが,今一つピンと来なかった。日本では,いつ公開されたのかもよく分からなかった。
 この『リトル・ニッキー』は,総製作費100億円というだけあって,配給元も力が入っていて,ホームページのフラッシュ・アニメーションもよくできている。アダム・サンドラーの名もこの作品で,少し知名度が増すことだろう。
 ニッキー(アダム・サンドラー)は,地獄を統治する魔王の3男坊。不肖の息子達にはまだ次期魔王の座は譲れないと引退時期を延期した父親(ハーベイ・カイテル)に造反し,長男のエイドリアン,次男のカシアスは自分たちの魔界を造ろうと地獄の門を閉ざして人間界に向う。門を閉ざされ,悪の魂を受け入れられなくなった魔王の身体は,徐々に崩れ始める。兄達の手から人間界を守り,地獄を元通りにするために,おぼっちゃま悪魔のニッキーが立ち上がる。というのが,あってもなくてもいいようなストーリーだ。
 ヒロインのパトリシア・アークェット,監督のスティーヴン・ブリルともに馴染みがないが,むしろ盲目の神父役で登場するクエンティン・タランティーノ(名作『パルプ・フィクション』の監督)はじめ,多彩な脇役陣のキレまくり,ズッコケのギャグがこの映画の魅力だ。
 
 
ボリュームたっぷりの多彩なVFX
 予想した以上にVFXの分量は凄かった。『悪いことしましョ!』(00)と同様,悪魔や地獄をテーマにすればどのようなSFX/VFXもあり得るが,物量作戦では本作品の方が数段勝っている。写真に見られるように,ボリュームたっぷりの視覚効果を堪能させてくれた。
(a)エイドリアンが出てくる「鼻ほじり大会」 (b)口から瓶に吸い込まれるカシアス
(c)頭におっぱいがはえた門番 (d)髪の毛が燃えるNBAの司会者ビル・ウォルトン
(e)火を吹く寝起きのニッキー (f)蜘蛛男になっての脱出作戦
写真 多彩な視覚効果シーン
   担当は,リズム&ヒューズ,POPフィルム,ピクセル・マジック,等々のスタジオ数社。技術的には斬新なものはないが,この種のコメディにはこのクオリティで十分だ。いや,一昔前なら1つずつ論じるに足るレベルの視覚効果が,ここでは次々と登場することに驚くべきかも知れない。例えば,『永遠に美しく…』(92)では首がぐるっと360度回転するシーンに,『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)ではダン少佐の膝から下が見事に消されていたのに感動したはずが,今ではそれを当たり前のように感じてしまう。
 ニッキーのお守り役,しゃべるブルドッグ「ビーフィ」の登場シーンは数多い。『ベイブ』(95)のリズム&ヒューズ社が参加しているからには,今や伝統芸ともなったアニマル・トーク技術が随所で駆使されていることだろう。中でも,ニヤリと笑うビーフィの表情はVFXに違いなく,これだけでも一見の価値はある。
 パロディも満載のようだが,このテンポとセリフでは,我々日本人には半分も理解できていないだろう。『スーパーマン』を思い出させるヒロインとの空のデート位は誰でも分かるが,意味不明のシーンも少なくない。有名人が実名で登場するのもウリのようだが,ヘビメタのカリスマ,オジー・オズボーン,NBAの名センター,ビル・ウォルトン,NFLのスター・クォーターバック,ダン・マリーノと聞いても,分かる日本人は多くないだろう。
 その味付けを理解できなくても,このコメディ映画は結構楽しい。エディ・マーフィほどの普遍性はないものの,『オースティン・パワーズ』ほどのおバカ映画ではない。全編口をひん曲げたまましゃべるアダム・サンドラーの演技は少しクサイが,志村けんのおかしさや,かつての萩本欽一の人気を考えればこれも納得できる。
 日本映画の全盛期,子供の頃よく見た喜劇映画の楽しさを思い出すと,邦画にもこういう映画がもっとあってもいいなと思う。最近の映画に我々は,芸術性や感動を求め過ぎているのではないか。そう思う半面,この種のドタバタは,テレビに任せておけばよいという意見にも頷けるところがある。
 
   
   
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