O plus E VFX映画時評 2025年10月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
,
,
の順で,その中間に
をつけています)
■『ワン・バトル・アフター・アナザー』(10月3日公開)
今月のトップバッターは,文句なしにこの映画だ。この秋一番の重厚な大作で,オスカーノミネートは確実だろう。そう感じたのは,勿論,試写を観終えてからであり,この片仮名表記の題名には魅力を感じなかった。レオナルド・ディカプリオ,ショーン・ペン,ベニチオ・デル・テロの競演は仰々しいだけで,162分の長尺映画は退屈なだけではないかと懸念した。
予約したマスコミ試写の前日に届いたプレス資料は極めて簡素で,惹句の他に,ストーリー欄はたった4行しかなかった。監督や主演俳優の言葉もない。配給会社はやる気がないのか? 内容が薄く,駄作と思っているからか? いやいや,そんなわけはない。高額ギャラの3大スターを揃えて,162分ものB級コメディであるはずはない。もはや美男とは程遠くなった近年のレオ様の容姿では若い女性ファンの集客は期待できず,毎回演技賞狙いかと思う本格派ドラマの主演を続けている。そう考えながら,概要はロクに読まず,監督名は見ていなかった(注:長文のProduction Notesは後日届いた。米国公開前で,日本語訳が間に合わなかったのだろう)。
映画は,メキシコ国境に近いオタイメサ移民収容所から始まる。時代表記はないが,現代ではないことは確かだ。主人公のパット・カルフーン(L・ディカプリオ)は極左革命グループ「フレンチ75」のメンバーで,仲間からは「ゲットー・パット」と呼ばれ,リーダー格だった。女性戦士ペルフィディア・ビバリーヒルズ(テヤナ・テイラー)らと収容所を襲い,拘留されていた移民の脱獄が成功する。この過程で,ペルフィディアは収容所の指揮官スティーブン・J・ロックジョー(S・ペン)を拘束し,性的な辱めを与える。その後,フレンチ75は政治家事務所,銀行,電力網への攻撃を繰り返す。この辺りの描写は生々しく,日本人には馴染みの薄い米国南部や収容所の実情を,映画ならではの描き方から学べた。
パットとペルフィディアは事実上の夫婦関係になり,ペルフィディアは女児シャーリーンを出産したが,革命運動を重視し,パットと娘を捨てて出て行った。銀行強盗に失敗し,警備員を殺害したペルフィディアはロックジョーに逮捕されるが,仲間の情報の密告を強要され,その引換えに刑務所収監は免れて,メキシコに逃亡した。卑劣なロックジョーがフレンチ75メンバーを追い詰め,次々と射殺したので,パットはボブ・ファーガソンなる偽名を名乗り,娘はウィルと名付けて身を隠した。
それから16年後,薬物中毒のボブは聖域都市バクタン・クロスに住み,美しく育ったウィラ(チェイス・インフィニティ)と暮らしていた。一方,反移民政策に邁進するロックジョーは警視に昇進し,白人至上主義の秘密結社に入会する。ボブの同志を捕えたロックジョーは,ボブとウィラの居所を知り,軍をバクタン・クロスに派遣した。ここから,物語は急旋回する。とりわけ,約60分が過ぎ,ウィラが誘拐された辺りから,やや退屈だった映画の雰囲気もテンポも変わり,後は一気呵成のアクションサスペンス映画となる。B・デル・トロは,ウィラの空手師範の「センセイ」ことセルジオ・サン・カルロスとして登場し,ボブが彼に助けを求める。後は観てのお愉しみであるが,終盤に驚きの事実が判明する…。
予想通り,ディカプリオ主演で軽い映画などなかった。相変わらず熱演で,誰もが誠実な父親ボブを応援する。一方,ロックジョー警視は見るからに変人で嫌な奴だ。こういう役のS・ペンは実に上手い!デル・トロは,いつもより軽い役だが,上記2人とのバランスで意図的な演出なのだろう。好い味を出していた。娘ウィラ役の新人女優C・インフィニティはなかなかの美形で,演技力もあり,本作でブレイクすることは確実だろう。
エンドロールを見て,初めて監督・脚本・製作がポール・トーマス・アンダーソン(PTA)であることを知った。彼の映画の宣伝文句には,必ずと言っていいほど,三大映画祭(カンヌ,ヴェネチィア,ベルリン)の監督賞を制覇した3冠王であることを強調している。それは筆者には,観客無視の難解で身勝手な演出で,批評家受け狙い,映画祭目当ての作品としか映らない。少し当欄でのPTA歴を整理しておこう。
出世作『ブギー・ナイツ』(97)『マグノリア』(00年4月号)は才気走っていたが,全く面白くなかった。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(08年5月号)はダニエル・デイ=ルイスの強烈な演技に感心したが,感動はしなかった。『ザ・マスター』(13年4月号)は,ホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技を引き出した監督の才能は認めても,やはり映画は好きになれなかった。この両男優を再び主演に据えた『ファントム・スレッド』(18)と『インヒアレント・ヴァイス』(14)はしっかり試写は観たのだが,紹介記事を書く気になれなかった。ところが,この監督の評価を変えたのは,『リコリス・ピザ』(22年5・6月号)であった。こんな爽やかで,素晴らしい青春映画を撮れる監督なのかと驚いた。これまで筆者の目が曇っていたのか,それとも五十路に入ってPTA自身が大人の監督に成長したのか…。既にそう評価していたのだが,同作とはかなり趣きが異な本作は,本格的な正統派のドラマである。極左革命集団と極右秘密結社が登場する群像劇が面白かった。母が原因で父と娘が警察に追われるという基本骨格はトマス・ピンチョン作の小説「ヴァインランド」から着想を得たという。文句なしに,本作はPTAのBest1であり,来年のアカデミー賞予想は,(現時点では)彼を監督賞の一番手に挙げたい。
本作で映像的に感心したのは,終盤のカーチェイスに登場する直線道路である。あの凄まじい上下のうねりの光景を捉えただけで撮影賞にも値する。一体どこでこのシーンを撮影したのだろう? 音楽も印象的であった。同日に観た『ローズ家 崖っぷちの夫婦』(今月のPart 2で紹介予定)は軽快な音楽の連続で,統一感があった。それに対し,本作は全く統一感がなく,てんでバラバラだ。それでいて,個々のシーンには見事にマッチしていた。
■『ジュリーは沈黙したままで』(10月3日公開)
何やら意味深な題名だが,原題はオランダ語で『Julie zwijgt』,英題は『Julie Keeps Quiet』であるから,ほぼ直訳である。ただし,『…沈黙を続ける』『…沈黙を守る』では味気ないが,これを『…沈黙したままで』としたことで,一気に詩的な香りが漂う。同じ「Quiet」でも,『クワイエット・プレイス 破られた沈』(21年5・6月号)のように,音に反応してエイリアンが襲って来るホラーなら,こんな表現にはしない。予告編を見ると,主演と思しき少女が友人らと会話を交わしているから,『ブラックドッグ』(25年9月号)の主人公のように失語症なのではなく,ある事柄に対してだけ意図的に口を開かないのだと分かる。国内配給会社の言語センスに感心するが,内容を分かっていてこの言葉を選んだからには,主人公のジュリーは思い悩んで口をつぐんでいると想像してしまう。観客の好奇心を誘う見事な邦題だ。
ベルギー映画で,主人公はテニスクラブに所属する15歳の少女ジュリー(テッサ・バン・デン・ブルック)である。同じクラブ生の中からは頭1つ抜けた実力で,奨学金を受給し,将来を嘱望されていた。ところが信頼していたコーチのジェレミー(ローラン・カロン)が指導停止になり,彼はクラブに出入り禁止となる。彼の教え子の1人,アリーヌが不可解な自殺を遂げたためだった。クラブ所属の全選手がジェレミーの指導について問われるヒアリングが実施された。彼の特別指導を受けていたジュリーには厳しい質問が浴びせかけられたが,ジュリーは何一つ答えようとはしなかった。
ジェレミーとは接見禁止だったのかは不明だが,彼からからジュリーにメールは入るし,外で顔も合わせていた。新しいコーチのバッキー(ピエール・ジェルヴェー)に関して,ジェレミーは「彼の指導では駄目だ」とこき下ろす。ベルギー・テニス協会の選抜試験が迫る中,ジュリーは日々の練習を怠らず,トレーニングに励むが,心は揺れ動いていた。それでも度重なる調査で,ジュリーは口を閉ざし続けていた……。
ジュリー役の女優は初めてのオーディションで選ばれた新人で,最初のテニスプレイのシーンを見ただけで,これは本物だと感じる。素人が数ヶ月練習したのではなく,セミプロ級のテニス選手だ。鼻筋の通ったノーブルな顔立ちで大人っぽく見えるが,現在は19歳,撮影時には16〜17歳であったようだ。映画としては,サーブの練習風景,筋トレシーンもしっかり描いていた。上記で触れた俳優の他では,ジュリーの父親役のクーン・デ・ボウが渋く,娘に寄り添う姿で良い味を出していた。
宣伝文句に「大阪なおみも認めたベルギーの才能」とあったので,そんな若手選手の実話なのかと思ったら,それは監督のことだった。本作の監督・脚本は,これが監督デビュー作となるベルギー人のレオナルド・ヴァン・デイルである。脚本としては,教え子が自ら命をたったとしてもそれがコーチの責任なのか,影響はあったとしても,本質的には本人の責任ではないのかと感じながら観ていた。映画中でその答えは出て来ない。ジュリー自身が答えを出せず,沈黙を続けていたという設定なのだろう。監督は「ジュリーが沈黙する姿を見て,なぜ沈黙するのか耳を傾けてほしい」「ジュリーの沈黙は今,あなたのものとなった」と力説する。派手な演出はなく,静かに進行する映画であったが,分かったような気になった。なかなかの才能である。
■『火喰鳥を,喰う』(10月3日公開)
かなり刺激的な題名だが,原作小説がある邦画であることは知っていた。書店に平積みされていた「映画の原作本」の区画に,この書名の文庫本があるのを見かけたからだ。作者は「原浩」で,「角川ホラー文庫」の1冊であったから,和製ホラーとして映画化されると想像できた。試写案内が届き,早速申し込んだが,「火喰鳥」とはどんな鳥か,果たして食べられるのか分からなかったので,映画を観る前に少し調べてみた。オーストラリアやインドネシアに棲息するダチョウに似た大型走鳥類の総称で,空は飛べない。赤色のトサカや首の肉垂が火を食べているように見えるので,この名前がついたらしい。日本の動物園でも飼育されているが,表記は「火食鳥」の方が一般的なようだ。映画撮影のために動物園の鳥を食べる訳には行かないので,そんなシーンがあるなら,きっとCGだろう。あるいは,CG製の火喰鳥が一斉に草原を走るシーンがあるかと少し期待した。
映画の舞台は信州のある村で,主人公の久喜雄司(水上恒司)と妻・夕里子(山本美月)は由緒ある一族の末裔であった。ある日,先祖代々の墓石に刻まれた名前の中で,祖父・保(吉沢健)の兄・貞市(小野塚勇人)の名前だけが削り取られていることが判明する。保は存命だが,貞市は太平洋戦争中に戦死した人物であった。まもなく,地元紙「信州タイムズ」で終戦記念特集記事を担当する記者・与沢一香(森田望智)とカメラマン・玄田誠(カトウシンスケ)が,貞市の従軍手帳が見つかったと言って久喜家にやって来た。その手帳には,大伯父・貞市が戦地・ニューギニア島で過ごした日々の日記が書かれていた。密林で必死で生きようとする執念が綴られ,「ヒクイドリ,クイタイ」なる文章があった。
その日を境に,雄司と夕里子は悪夢に悩まされる。さらに,玄田が「貞市は生きている」と叫んで倒れ,祖父・保が失踪し,夕里子の弟・亮(豊田裕大)が無意識で日記に新たな書込みをする等の不可解な出来事が頻発する。真相を探るべく,夕里子が超常現象専門家の北斗総一郎(宮舘涼太)に事件の解明を依頼した。北斗は雄司,夕里子の同級生であったが,彼が夕里子に横恋慕していたため,夫婦間を割くような発言をする。次第に存在しないはずの過去が現実世界を侵食して行くようになり,彼らはやがて驚愕の真相を知ることになる……。
原作の舞台通り,ロケは長野県の安曇野,松本周辺で行われた。久喜家の屋敷には,立派な建物の旧家が使われていた。そこで展開するおどろおどろしい物語は,さながら横溝正史の推理小説を彷彿とさせた。それもそのはず,原作は横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞作であった。ただし,北斗総一郎は金田一耕助のような謎解きの名探偵ではなく,事件を複雑にする不愉快な人物だった。ホラー製はあったが,本格ミステリーではなく,オカルトあり,パラレルワールドありの「何でもあり映画」に過ぎなかった。きちんとした「種明かし」なしの結末で終わるのが残念だった。
それでも物語の行方がどうなるのか熱心に観たのは,ストーリーテリングの巧みさだと感じた。本作の監督は元松竹社員で,どんなジャンルの映画も器用にこなす本木克英だった。基本骨格は原作に忠実だったが,+αのエンディングに好感がもてた。それは,常に観客の印象を大切にする本木監督の配慮だと思う。[付記:被り物とCG製の「火喰鳥」が,ほんの少しだけ登場する。]
(以下,10月公開作品を順次追加します)
()