O plus E VFX映画時評 2026年10月号掲載

その他の作品の論評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)


(10月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『わたしの知らない子どもたち』(10月16日公開)
 後半は何をおいても西川美和監督のこの最新作からだ。邦画ならまず絶対に外せない監督の1人である。いや,その筆頭格と言っても良い,さほど多作な監督でなく,前々作『永い言い訳』(16年10月号)から前作『すばらしき世界』(21年1・2月号)まで4年余,前作から本作までが6年弱であるから,じっくり準備して丁寧に描いた作品に違いない。本作の時代設定は太平洋戦争末期から昭和22年春までの約2年間である。ほぼ『ゴジラ−1.0』(23年11月号)と同時代である。その戦後の時代風景を描いた「白組」が,本作も担当というから,その意味でも絶対外せない映画となった。
 映画は戦争末期の疎開先の小学校のシーンから始まる。主人公は音楽家の父をもつ少女・茅野琴子(小八重葵美)は,一緒の東京からやって来た少女たちと講堂のピアノ弾いて戯れていたところ,地元の児童たちからは揶揄され,女性教師・曽根文美子(二階堂ふみ)からは国民としての意識が低いと注意される。日々の学校生活は,軍国主義教育一辺倒に染まっていた。  終戦になり琴子は東京に戻ったが,大空襲で焼け野原になった自宅周辺は跡形もなく,両親は行方不明で生死も定かでなかった。同伴して来た文美子は孤児となった教え子たちに施設に入るように勧めたが,琴子は両親は生きていて,連絡があるはずと固辞した。さりとて行き場のない12歳の琴子は,盗みを働いたり,ガード下で靴磨きをしたりして餓えを凌いだ。靴磨き仲間の大人の女性が進駐軍相手の売春で生きていることを知った琴子は,女性であることを捨て,髪を切って「吉田茂男」と名乗り,他の少年達と行動を共にする。闇市を仕切るヤクザ菊沢組から仕事をもらっていたが,彼らはまとめて矯正施設「水上寮」に送られ,さらに陸から離れた孤島に収容された。島での生活は過酷を極めた。
 ここまでが約90分もあり,戦後の名残りが残る時代を知る筆者には,観ているのが辛かった。これがオンライン試写であったなら,途中で投げ出したかも知れない。新聞記者・諸積(坂東龍汰)が取材に来た辺りから物語は動き出す。子供たち4人は海に飛び込み,島を脱出する。琴子の父の友人から依頼を受けた文美子が琴子の行方を探し,少年として生きていることを突き止める……。
 残る60分は,さすが西川監督と言える見事な着地点であった。終了後に試写会場では拍手が起こった。おそらく,批評家も観客も絶賛し,いくつも賞を獲ることは確実だろう。それでも,この映画に最高点を付ける気にはなれなかった。何故なのか,自問自答してみた。
 ビジュアル的には白組が描く戦後日本は何の問題もなかった。さすがオスカー受賞の実力スタジオだ。現代人が見たら,これが闇市そのものだと思うだろう。問題はこの時代に生きた人々の描き方である。孤児たちの環境は過酷であったが,彼らを見守る人々,とりわけ著名俳優(役所広司,田中裕子,岡田准一,吉田羊ら)が演じる人物の眼差しが温かく,彼らは優し過ぎる。これは『すばらしき世界』の「不寛容と善意が入り混じった世界で,後者が勝つ」という構図と全く同じだ。戦後すぐの日本人には孤児をいたわる余裕などなかった。筆者の小学生時代の級友たちの家庭の貧困を思い出しても,それが分かる。西川監督が描く孤児への思いは,終戦直後のそれではなく,豊かな時代から描く弱者への気遣いに過ぎないと感じてしまう。「火垂るの墓」の孤児たち,「アメリカひじき」が描く闇市を本物だと思えるのは,その時代を生きた作者・野坂昭如の作だからである。
 子役俳優の演技にも触れておこう。主演の小八重葵美の演技は絶賛に値する。惜しむらくは可愛過ぎて,髪を切っていても少年には見えない。周囲の大人も少年仲間もすぐに女性だと気づくはずだ。その意味ではミスキャストである。少年たちのリーダー将吉役の羽山由一郎も素晴らしかった。どんな俳優に育って行くかが楽しみだ。

(以下,10月後半の公開作品を順次追加します)

()


▲Page Top