コンピュータイメージフロンティアIII
電脳映像空間の進化2

楽観主義でサイバースペース革命

ゲスト:中島 洋
(アスキー総合研究所)

プロローグ

 前回「2つのサイバースペース」という見方をご紹介しました。3次元擬似体験空間と電子化社会空間です。後者の代表選手は,何といっても日経産業新聞の「サイバースペース革命」のキャンペーンでしょう。そこで,日本経済新聞社でマルチメディア関連報道の中心的役割を果たして来られた中島洋編集委員を,ゲストのトップバッターとしてお迎えすることになりました。
 昨年の暮からお声をかけていたのですが,インタビューが実現するまでの間に日経を退職され,アスキー総合研究所に移られてしまいました。それならそれで,一歩引いた立場から日経時代のマルチメディア報道も含めて振り返っていただくことにしましょう。
 まだ不慣れな私は,中島さんの書かれた『マルチメディア・ビジネス』と『イントラネット』(いずれも,ちくま新書)を予習して,お車が到着するのを待ちました。
) 


 日経新聞きってのコンピュータ通

 Dr. SPIDER 移られたばかりでまだ頭も切り替わっておられないでしょうが,むしろ従来のお立場のままでお願いします。すなわち,マルチメディアを煽ったジャーナリズムの代表,ビジネス側からの視点というスタンスですね。一方,私は私で技術屋側の視点,日頃の主張を対比的に述べさせて頂きたいと思います。
 Yuko 私が進行係ということで…。
 中島 洋 私も一度お話してみたいと思ってたんですよ。だいぶ借りもあるようですし。
  日経さんからは仕事がら,しょっちゅう取材を受けています。中島洋編『マルチメディア早わかり』というビデオにも登場させられました(笑)。
 中島 それはそれは(笑)。あれはもうだいぶ前ですね。
  94年作成でした。私は昨日初めて見たのですが,もう一昔前という感じがしました。
 中島 94年は「マルチメディア革命」の連載を始めた年ですね。日本で一気にマルチメディアが盛り上がった頃です。94年上期の連載をまとめて『マルチメディア最前線』という本にしました。
  では,その連載にいたるきっかけあたりからお願いします。
 中島 マルチメディアという言葉が聞こえ始めてから,もう10年くらいになりますか。
  80年代の後半からですね。
 中島 パソコン世界の人たちが中心になって,「次はマルチメディアの時代だ」と言い出した。ところが,言葉だけ先行して,そのイメージがつかめない時代がしばらく続いた。90年代に入って,ようやくそれが見え始めてきた。マッキントッシュを始めとして,コンピュータがテレビ電話としても使えるぞという感じがしてきました。テレビ電話ということは,コンピュータがテレビにも電話にもなるということです。
 何やら新しい商品像が見えてきた。これが93年頃です。よく分からないマルチメディアを,テレビと電話とパソコンが結びついたものとして説明することにしたのです。
  ちょっと乱暴ですけど,そういうイメージを吹聴しておられましたね。
 中島 厳密には違っていても,学者の世界じゃなきゃ構わない。物事には厳密に言わない方が判りやすい場合もある(笑)。間違ってても,大きく間違ってなきゃいいだろうと。
  91年にアップルからQuickTimeが出てきた頃に,マルチメディアが本物らしくなりました。幕張メッセでマルチメディア展示会が始まったり,ジョン・スカリーなどを呼んで,参加料が7〜8万円もするセミナーをやっておられましたね。
 中島 いくつもやりました。まだそれは先端技術フォーラムという感じですね。アップルびいきの記者がいて,彼にアップル社の特集を組んでもらったら,その中にマルチメディアという言葉が繰り返し出てくる。そんなところから,徐々にイメージが固まってきて「マルチメディア革命」へとつながったのです。
  自然にそのリーダーになられたのですか?
 中島 日経の中ではずっとコンピュータに関わってきましたからね。昭和55年頃に,アスキーの西さんフ依頼でビル・ゲイツに逢った記憶があります。「これがマイコン革命だ」の取材班もやりました。当時のメンバー5人はいずれもそうそうたる面々でしたね。私は農林水産省記者クラブに在籍しながら,これをやっていました。毎日2ページくらい書いたけれど,書くことが有りすぎて困るくらいでした。
  ずっと産業部におられたのですか?
 中島 昭和48年入社,49年に産業部に入って以来ずっとですが,途中3年ほど日経マグロウヒルに出向しました。いまの日経BPですね。そこで日経コンピュータと日経パソコンを創刊しました。うかつにこれをやったことから,コンピュータが得意と誤解されて,それが私の人生を少し歪めてしまった(笑)。
 ま,そんなことからコンピュータ分野で問題があるとすぐ呼ばれたり,連載の提案も随分してきました。「マルチメディア革命」以前にも,情報何とか時代とか色々やりました。90年代に入って,情報化の動きがマルチメディアという言葉で集約的に説明できるのではないかと。シンボリックな意味でマルチメディアを使い出したのが,あの連載です。あれは,いわばキャンペーンですね。

 マルチメディア報道のA級戦犯

  そのキャンペーンは大いに世の中に影響を与えました。産業界は皆,中島組に煽られて,バスに乗り遅れてはと…(笑)。何しろ圧倒的な取材力ですからね。
  何人くらいのチームだったのですか?
 中島 特別取材班は10人位です。だから,2週間に1本書けばいいわけです。普通の記者は週に10本位書いていますから,楽に思われるんですが,結構きつい取材でした。皆さんが知っていることは書けないので,プレッシャーも大きかったのです。
  海外取材も少なくないですね。
 中島 取材班の人間は,少なくとも1回は海外に出すことを条件にしていました。1人で年に3回行く記者もいましたね。先端情報は若い人の方が強いですから,どんどん新しい情報を拾ってくる。DECとかサンとか,外資系を取材していると色々なものが引っかかってくる。それでアメリカに行くと,想定していた以外のものがまた見つかる。
  それを操る親玉が中島さん。日経のミスター・マルチメディア。世間を騒がせた首謀者。敬意を込めて言うなら,日本のマルチメディアをこうしたA級戦犯(笑)。
 中島 そうなんです,A級戦犯。A級戦犯は,いざとなると日経新聞と一緒に沈没しなければならない。でも,私はお先に脱出してしまった(笑)。
  キャンペーンというからには,新聞社としての明確な意志があったということですね。報道姿勢が予め決まっているというか。
 中島 世の中が重心をシフトしやすくするよう,積極的にキャンペーンを打ってきたと言えます。必ずしも現実を写しているのではない。そうしたいなら,一番大きな建設業界ばかりを報道することになる(笑)。
 変化の激しい所,しかもそれが5年10年経った時に大きな産業になり,重要な役割を果たすと思われるものを探して,できるだけ早くそちらにシフトできるようにする。どうせそちらに向かうなら,できるだけ早く進ませてあげようと…。
  俺たち日経が日本の産業界を動かしてやっているのだと(笑)。
 中島 いえいえ,そんな大それた(笑)。産業をエンカレッジして,その産婆役を果たすというか,その意識はありました。
 これは私の信念なんですが,工業社会としての日本の社会はすでに終焉しつつある。どういう社会かというと,モノ作りが規格化され,標準化された社会。あるいはそれを目標にしてきた社会。生産プロセスもそこに携わる人間も規格化され,没個性になっている。それが大量に出てくるというのが,工業社会にとって理想の姿なんですね。明治以来の義務教育が,個性を発揮しないマニュアル通り働く人間を作ってきた。それが戦後になり,高度成長にぴったりと当てはまった。
  堺屋太一流に言えば「最適工業社会」ですね。まだ今の日本の体質はそのものですよ。終わりつつあるというより,このままでは生きて行けないから,終わらさざるを得ないと言うことでしょう。
 中島 その通りです。同じことをアジアがやり始めて,日本の競争力はどんどん低下している。そこで次の社会への脱皮を図って行かなくては,日本の明日はない。次の社会は,はっきり判らないまでも,情報化社会,マルチメディア社会であるだろうと。その意識を高めて産業の重心をシフトさせて行くのが我々の役目ではないか,と考えてキャンペーンを張りました。
  その基本ポリシーは読み取れます。皆で騒げば,大筋ではその方向に進むでしょう。しかし,予測と願望は違います。中島さんの願望を日本経済新聞の権威ある予測だと受け取って,大きな期待をする人がいる(笑)。
 中島 それがねらいでもあるんですが(笑)。
  私は自分のマルチメディア格言集というのを作っているのです。その1つは「報道の大きさと市場の大きさは比例しない」というんです(笑)。
 中島 これから大きく育っていく市場なんですよ。実際,情報通信産業は大きく成長した。私は,昭和50年に富士通の担当になったんですが,そのときの売上高が2700億円。いま,連結で4兆円近いでしょう。同じ頃,年商4000億円だった食品メーカーは,現在でもせいぜい6〜7000億円ですね。この間,いかに情報通信産業が伸びたかが分かります。

 マルチメディアは業態革命

  未来だけを見つめていて,いま利益が出ている市場のことは報道されない。そこが分かっていない人もいます。マルチメディア報道でずるいなと思うのは,巧みに話題をすり変えるでしょ。CD-ROMに映像が入ることを騒いでおいて,次は情報ハイウェイ。双方向CATVをさんざん報道したかと思うと,次世代ゲーム機だ,インターネットだ,CALSだ,NCだと。
  いま,多チャンネル・デジタルTVですね。
  ある時はパソコン寄り,またある時はテレビ寄り,またまたある時は通信寄りと,7つの顔の多羅尾伴内みたいで(笑)。話題の中心を次々と移していって,全部マルチメディアとかいうから,マルチメディアが何だか分からないと言われる。
 中島 それだけボリュームがあるということでしょう(笑)。サイズが大きいほど,産業の置き替わりも急ピッチで進むんではないかと。
  中島さんはオプティミストだなぁ(笑)。私は根っからの技術屋だから,そこまで楽観的になれません。羨ましい限りです。
  ご著書を見ると,お二人ともニューメディア・ブームと違って,マルチメディアは本物だといっておられますね。趣旨は違うのかも知れませんが,さっき話題になった日経ビデオの中でも「ニューメディアは21世紀の夢を語っただけだが,マルチメディアは90年代の現実だ」とおっしゃっていました。
 中島 そんなこと言ってましたか(笑)。かつてのニューメディア・ブームというのは,メディアの革命だけだったんです。マスコミ自身の革命です。新聞が衛星放送に変わるとか,CATVが伸びるとか,印刷・出版業界に新しい技術が入り込むというメディア業界内の革命だったんです。
  革命と呼ぶほどでもなかったですよ。
 中島 マルチメディアはそうじゃない。一般の企業の中にも入り込んでくる。電子メールが普及してそれがマルチメディア化して,企業内での経営革新を引き起こす。一種の業態革命ですね。SISを分析してみると,組織そのものが情報システムによってどう変わるか,経営トップが戦略的に意志決定するという事例が見えてくる。ここにテレビの映像が送れたら業態革命が一気に進むと感じたんです。
 ニューメディアの頃は,新聞産業は生き残れるのか,印刷業が新しい投資をすべきかと悩んでいた。そういう業界内での問題とは,レベルもボリュームも違うんです。
  そうかなあ。それは最近ついた屁理屈で,地域電話会社とCATVの合併や買収など,随分熱心に報道されてたようにも思うんですが(笑)。
 私のマルチメディアの捉え方は全然違っていて,ようやくコンピュータとネットワークの手の内に映像が入ったんだと。ニューメディアは技術的に大した進歩じゃなかった。サービス開始に乗っかるかどうかだけの話題だった。ところが,コンピュータが速くなり,メモリも大きくなり,そしてネットワークも太くなって映像がなんとか扱えるようになった。これまで何十年にわたって私のようなディジタル映像屋が蓄えてきた技術の蓄積が,ようやく陽の目を見るんだと。実時間で映像を再生したり,対話したりという1つの壁を越えた。その上,技術的バックグランドがあるのだから,一過性のブームでは終わらない。そう思ったのです。
 中島 私は,技術は苦手なんです。でも,技術が良く分かる方を何人も知っている。技術者の結論を伺い,私なりの判断で社会がどう変わるかを見てるんです。
 でも,ニューメディア時代のINSのことが頭の中に強く残っていたのでしょうね。ネットワークがないとマルチメディアは本物にならないという感じはありました。その名残りがあって,今度はあらゆる産業の問題だという実感が湧いたんでしょう。

 インターネット上陸が転換点

  「マルチメディア革命」から「サイバースペース革命」へと変わったのは,どうしてでしょう。やはりインターネットが契機ですか?
 中島 「マルチメディア革命」の連載の第1期,5月の末に「インターネット上陸」というタイトルでやりました。いま思うと,あそこが大きな転換点でした。
  Mosaicが話題になった頃ですか?
 中島 そうです。93年の11月頃にフリーソフトとして出てたんです。1〜2月頃に耳にはさみ,取材を始めたら,6月位にはWWWサーバーが10数個あるらしいと分かった。がんセンターとかNTTの草の根サーバーだとか,まだ数えるほどでした。本格的なのは,サンマイクロで見せてもらいました。世界中のサンの事業所がつながってるんだと。今から思うとインターネットでなく,あれはイントラネットでしたね(笑)。
 これは話題になると感じました。マルチメディアより,もう少しイメージが具体的になったという印象で,ネットワークを使った新しい社会体系が出来そうだと。それで,第2期はインターネットを軸としてやりました。
  『マルチメディア革命95』(1995)という本になっていますね。その次の『サイバースペース革命』(1996)とは,ほとんど同じような内容ですよ。名前を変えただけに見えますが。
 中島 本当はそうなんです(笑)。マルチメディアより一歩進んだ状況を表現するのに「サイバースペース革命」という言葉に変えたのですが,結局記者が集めてくるエピソードは今までの延長線上になってしまう。思い通りにはならないものです。
  「サイバースペース」という言葉の是非まで議論しようと思ったのですが,こう正直におっしゃられては気が抜けました(笑)。結局,インターネットへのシフトが鮮明になったということですね。
 中島 そうです。中身はあまり変わっていません。
  「サイバースペース」という言葉は,すんなりと受け入れられましたか?
 中島 いや,社内で抵抗はありましたね。大議論になりました。ほとんどが「何のことだか分からない」と。「分からないから新鮮味がある」という意見,「分からないと読者がついて来れない」という意見に別れました。結局,当時の編集長が「サイバースペースで行こう」と決めたんです。これは日経産業新聞で,95年10月からの連載です。
 ところが,日経新聞の編集局長からは「そんなわけのわからない名前は載せねぇ」と拒否されてしまった(笑)。だから日経新聞じゃ「サイバースペース」は使えない。同じ連載チームが書いた記事が,本誌では「ネットワーク最前線」という風にタイトルを変えていました。大変な抵抗があったんです。
  へぇー,そうですか。そのころ「電脳空間」という言葉は使っていましたか?
 中島 誰も言ってませんでしたね。 
  新聞にはいつも括弧つきで(電脳空間)と添えてありますね。どなたが,そうされたんでしょう?
 中島 慶応大学の松下先生は,かなり早くから使ってましたね。日本語訳については担当者が事例を10いくつも持ってきたんですが,「電脳空間」には反対しました。ますますわけが分からなくなると。
  これは,先月号に載せた「サイバースペース」の説明の変遷です(97年5月号,p.37,参照)。もともと「サイバー」は「電脳」そのものではないですよ。
 中島 電脳はコンピュータですね。「ネットワーク上の」や「仮想の」という意味は出てこない。ちょっと違うなとは思いましたが,適当な代案がなくて,仕方なくそうなってしまいました。
  中島さんが「サイバースペース革命」を撒き散らしたから,その分だけ「電脳空間」も定着してしまいましたよ。やっぱり,A級戦犯(笑)。
  インターネットは凄い勢いで増えて,サービスも充実してきていますが,まだコミュニティという感じはしません。共有体験ができる本当の「サイバースペース」にはなっていないと思います。
 中島 将来はなるでしょうけど,まだ新しい社会体系にはなっていませんね。サイバースペース本来の意味を捨象しないようにしっかり取材しろということですね(笑)。

 ボブ・メトカーフは引き立て役

  インターネットのもつ意味は,もうあちこちで語られているのですが,何がここまで大きなインパクトになったのでしょう?
  また,私流の格言集を出しますと(笑),「R&Dリソースは有限。あらゆる可能性を実現できるわけではない」と言い続けてきたのです。中島連載チームがいかに囃し立てようと,全部が末広がりに伸びるわけではない(笑)。開発投資が集中したり,競争原理が働いたところだけが予想通りに成長するという意味です。ゲーム機はその典型例で,インターネットはもっとすごい。誰もが予想できないくらいでしょう。
 私はこれは参入障壁が低かったからだと思っているのです。パソコンとモデムがあって,ダイヤルアップIPサービスに加入すれば,誰でも参加できる。HTMLをちょっと覚えれば,自分でホームページも作れる。世の中一般の興味も,パソコン界の投資もすべてここに集中した。ここまで揃えば伸びない方が不思議です。一方,そのあおりを食ったのが,広帯域のマルチメディア通信実験。ネットワークを光ファイバ化するにも,ATMスイッチを入れるにせよ金がかかりすぎる。実験まではやれても,投資効果がすぐに見えないから,お客はついてこない。VODもテレビ会議も遠隔医療も,WWWに食われちゃったんです。
 中島 マルチメディアであれインターネットであれ,ビジネスの道具になるには,整えるべき条件が3つあるのです。1つ目は,誰もがパソコンを使いこなせること。情報リテラシーの普及ですね。次にハードウェアの普及で,安いパソコンや携帯情報端末が浸透すること。最後にネットワークの利用料金が安くなること。情報インフラの整備と言い換えてもいいでしょう。いま,この最後の通信料金が最大の問題ですね。でも,インターネット・ビジネスが花開くための前提条件は着々と整いつつあると言えるでしょう。
  そうした楽観的な予想に対して,ボブ・メトカーフの「インターネットは崩壊する」という予測がありましたね。あれはどう感じられましたか?今日はここにそれ(表1)を用意したのです。

     表1 ボブ・メトカーフ氏の10の予測
(1) 巨額投資の割に見返りがないことに大半の企業が96年1月決算で気づく
(2) デジタルマネーによる商取引はほとんど成立しない
(3) ネットサーファーはテレビに戻り,インターネットでは広告市場が成立しない
(4) 高速回線を電話会社が独占,WWWは窒息する
(5) 安全性が危機にさらされ,イントラネット(企業ネットワーク)が拡大する
(6) 標準化をめぐる争いが起こり,インターネットが分断され,価値が減っていく
(7) TCP/IPは負荷に耐えられない
(8) プライバシーの問題からインターネットへの反動が起こる
(9) 結局動画が扱えず,ユーザーの拡大が見込めない
(10) ポルノページがなくなるにつれ,ファンが逃げていく

 中島 彼は96年中に崩壊すると予想したんだから,もう結論は出たでしょう。見事にはずれたということです。
  まあ,この10ケ条はすべて本気ではなくて,ちょっと斜めに構えて警鐘を発したということでしょう。
 中島 人間は困難に直面すると,それを克服しようとする力が働く。敵が前に立ちはだかるとファイトが湧くんです。メトカーフは,僕を強くするためにこれを言ってくれたのかと…(笑)。
  さすが,中島さんは稀代の楽天家(笑)。
  では,1つずつチェックしてみて下さい。
 中島 (2)はまだ時間がかかるという意味で
しょう。これから解決されてくると,結構いけるんじゃないですか。(5)で,彼はインターネットとイントラネットを分けて考えていますが,対置させて考える必要はないでしょう。どちらも伸びますよ。
  中島さんは『イントラネット』という本を出しておられますが,そこに書いてあることを言ってくれているのでは…。
 中島 そうですね。(5)は,いい意味で当たっているのかな(笑)。(6)は起こらなかったし,今後も起こらない。(7)は,これから先,ちょっと心配ですね。
  私はTCP/IPは本質的に動画伝送には向いてないと思っています。蓄積してある映像の配信はまだしも,ライブ中継やテレビ会議のような同期型は苦しい。IP接続という方式自体が,非同期のデータのやり取りを前提としているからです。ISDNのような回線交換で帯域を保証しているのとは,根底が違っているのです。
 中島 努力の対象として何とかなるでしょう。
  そう言われるとねぇ,その通りなんですよ(笑)。TCPの上位のRTPとか,マルチキャスト技術とか,研究開発のパワーもここに結集しているので,向いてはいないまでもあの手この手でかなりのところまで解決するでしょう。技術の進歩とはそういうものです。それじゃ中島さんの思う壷だな(笑)。
 中島 あと,(8)と(10)は一部の国で起きているけれども,ファンがどんどん逃げて行くほどのことではない。この予想はアメリカよりも日本での方が話題になったんじゃないですか?朝日新聞の原編集委員はこれが好きでね,何度もくり返し取り上げてました。
  日経さんが囃すものを朝日が冷や水をかけたがるのは,もう構図になっているでしょう(笑)。Newsweeksも7月頃話題にしていました(写真1)。
 中島 ありましたね。まぁ,これで何をどう克服して行くかという問題点がクリアになったということで,かえってプラスになったんじゃないかと。また楽天的と言われるでしょうが…(笑)。
  そのせいでしょうか。96年10月からの連載「サイバースペースの未来」はことさら元気が良かったようです(図1)。「メトカーフ予言を覆せ!」と書いてありました。
  中島イズムが前面に出てましたね。エンジン全開。メトカーフはサカナにされて切り刻まれ,私はダシに使われました。電子メールで取材を受けたんです。いついつまでに意見を言え,日経のホームページに載せてやるからと(笑)。

 昔スト破り,いま革命の煽動者

  この辺で「マルチメディア革命」から今までのことを振り返っていただきましょうか。世の中がどう変わったかを。
 中島 さっき申し上げた通り,情報通信産業が次の時代の基幹産業として育ってきた。現実に業態革命がもう起こっている。その変化を感じさせるのは,電子メールの急速な普及です。日経新聞が昨年行った調査では,何らかの形で電子メールを導入している企業が,大手2000社のうち約40%です。そのうちの60%以上で経営トップが電子メールを使い始めている。全体で約25%,4人に1人ですよ。使い始めは面白がって,何にでも使いたがる。ゴルフコンペの約束とかです(笑)。
  そうなると嬉しがって他人に言い触らす(笑)。4人に1人ということは,ちょうどコンペで1組に1人いるわけで,皆に知れてしまう。
 中島 25%という数字は十分に普及するための爆発点を越えたと言えます。電子メールまでくるとインターネットまでは後ほんの一歩です。彼らがネットサーフィンを経験することによって,情報伝達手段の劇的な変化に気づくでしょう。いま,イントラネットによって業態革命が起こると叫んでいるのは,こういう背景があります。
  BPR (Business Process Reengineering) やSPR (Social Process Reengineering) という言葉をよく使っておられますね。
 中島 企業内の革命がBPR。そして,その延長線上で,もう少し社会を広げて地域内のイントラネットで情報革命が起こる。社会生活の変化を伴うもので,これをSPRと呼んで『マルチメディア・ビジネス』の中で再三使いました。
  私は中島さんほど元気印じゃないんだけれど,結構影響を受けて,平気で「マルチメディア革命」とか「ディジタル映像革命」とか言うようになりました。「革命」なんて,技術者にとってはおいそれと使える言葉じゃないんですけどね(笑)。
 中島 SPRというのを何て訳そうかと考えていたらね,日本インフォミックス社長の村上さんに言われたんですよ。そういうのを日本語で「革命」と言うんですよって。情報によって社会の仕組みが変わるんだから,これは「革命」なんですよ,やっぱり。
  アルビン・トフラーも堺屋太一も結局同じことを言っていますね。ちょっと表現と事例が違うだけで。
 中島 予言の方向は皆同じです。あらゆる宗教家が,皆終末だというのと同じですよ(笑)。
  そういう情報化社会論は,大体10年おきに出てくるんです。この前がニューメディア・ブーム,その前がマイコンが登場した頃。もっと前だと昭和40年代の前半にもありました。大学に大型計算機センターができ,NHKのコンピュータ講座や情報処理技術者の認定試験が始まった頃です。
 中島 ありましたね。まだ学生時代でしたが。
  その頃の本を読んだら,いまと同じことを言ってますよ。これからは情報だ通信だCATVだって。あなたなんか,まだ生まれていない時代ですね。
  40年代前半ならそうですね。
  大阪万博も大学紛争も知らないんだから,高度成長を直に体験した我々とは世代が違います。私は中島さんとは同い年で,団塊の世代。全共闘世代です。
 中島 私はちょっと違うんです。スト収拾派だった。あんな騒ぎで世の中は変わらない。政治的には無意味だと思った。田村さんはどうしていました?
  私は迎合しやすい方だから,典型的なノンセクト・ラジカル。朝日ジャーナルを毎号すみずみまで読んでいました。今から考えたら「はしか」みたいなものです(笑)。
 中島 私も読んでいたけど,何か違うなと感じていた。こんなものは「革命」じゃないと。
  当時はスト破りの反革命分子で,その分のエネルギーでいま「マルチメディア革命」を煽っているわけだ(笑)。これは見出しになりますね(笑)。
 中島 社会を変えるという点では,「マルチメディア」も「サイバースペース」も間違いなく「革命」です。特に,大学が後追いになっているということからも,そこに変化が感じられます。
  渦中にいながらも,その変化が肌で感じられることには同意します。

 当たり外れも,たまにはあるさ

  大きな方向性はともかく,個々の出来事の当たりはずれはいかがですか。『マルチメディア・ビジネス』では,VOD(ビデオ・オン・デマンド)を本命視しておられましたが。
 中島 あれは外れました。考えたより技術的に難しかった。もう少し技術的に時間がかかるということでしょう。
  この点は私の予想が正しかった。日経新聞社から出した『デジタル映像』の中で,VODの事業採算は成り立たないと明言しています。
  「不採算から来る事業化見送り,潮が引くような興味の減退,反動としての技術開発費の大幅削減…」(p.170)とまで書いてありますね。
  これはちょっと考えれば分かることです。いまのペンティアムPROクラスのCPUとMPEG2デコーダと通信インタフェースをセットトップ・ボックスにもたせて,これを3〜400ドルで作れという。その上,フルディジタル化して記録した映画を2時間近くも専用で転送してきて,1本4〜5ドル。こんなのが端末のコストでも,サービスのコストでも引き合うわけがない。いくら「自宅でビールを飲みながら手軽に好きなビデオを安い利用料で楽しめるのなら,マルチメディア時代よ早く来たれ!」(p.48)と中島さんが書いておられても,無理なものは無理なんです(笑)。
  「テレビがマルチメディアに成人して行く」(p.37)と書かれていたのはいかがですか。
 中島 これはまさに今そうなりつつあります。
  えーっ,そうですか!? TVチューナーつきパソコンもインターネットTVも,どれも失敗してますよ。
 中島 それは売り方が問題なだけです。本質的にはそうなります。パソコンをテレビにするというのと,テレビをパソコンにするのと両方のやり方があります。ところが,気がつくのが遅いのはテレビの側です。それはテレビのメーカーが日本だからで,パソコンはアメリカが中心。アメリカ対日本の対決なんですね,これは。WebTVとか,マイクロソフトのぶち上げたBroadcast PCとか,パソコンをテレビにする構想がどんどん進んでいます。少なくともビル・ゲイツは,そうなると考えている。
  これには異論があるなぁ。またそうやって煽られるから,メーカーの上の方がオロオロするんですよ。マイクロソフトも,OSとそれに密着したアプリケーション・ソフト以外は,大抵はずされてますよ。アットワーク構想もVODのタイガーも日経さんは大きく扱ったけど,どこかへ行っちゃいました。
 中島 でも,パソコンとテレビがくっつくのは時間の問題でしょう。
  どういう商品設定にするかが大問題で,単に売り方が悪いと一蹴されたんじゃたまったものじゃないですよ。これからはインターネットTVだと言われてすぐ作る方も,報道を信じて買う方もかなり軽率ですがね(笑)。
 かくなる上は,マスコミの功罪についてもっと議論をふっかけてみましょうか。アメリカ対日本の図式にして,ハイビジョンを駄目にしたのはむしろ日本のマスコミでしょう。
 中島 ハイビジョンは開発から30年もかかってしまった。その間に世の中はアナログからフルディジタルに変わってしまった。
  それが短絡だというんです。筑波万博の頃にはもう技術的にはでき上がっていた。これを家電レベルで普及させるには時間がかかる。放送規格の常としてそれが政治問題化している間に,話題がアナログ対ディジタルにすり変わってしまった。
 中島 ハイビジョンで突き進んでいたら,日本はがんじがらめで身動きが取れなかったと思いますよ。NHKも家電業界もハイビジョンが壁で次に進めない。MPEGが出てきた時にテレビとパソコンが一緒になると気づくべきだった。そんな時にハイビジョンに多大な投資をしていていいのかと。
  確かにディジタル圧縮技術の進歩は急で,放送規格のMUSEは時代遅れだった。だからといってアメリカのATVがハイビジョンにすべて取って替わるだけのレベルに達していない。ハイビジョンを袋叩きにしたお蔭で,業務用の機材も1000本系のものはほとんど新製品が出てこない。カメラもスイッチャもVTRも,間違いなく5年間停滞している。
 中島 家電業界の中にもディジタル化を急げという声は強いんですよ。
  折からのマルチメディア・ブームで,「アナログ vs. ディジタル」,「アメリカ vs. 日本」の問題にしてしまったマスコミの罪は大きいと思います。いつもアメリカは先進的で日本は遅れていると劣等感を植えつける。G.ギルダーやN.ネグロポンテの論調に,郵政省の放送行政局長や中島さんまでが乗ってしまったのではと。
 中島 いや,彼らに同調したのではなく,江川さんと示し合わせてもいません。私は私なりの判断でBSはディジタル化すべきだと長年言ってきたのです。哲学をもってやってきています(笑)。ものごとを整理すると対立図式になりますが,世の中の流れというのを最も重視しているのです。でもあの時は,NECの関本さんやソニーの大賀さんにさんざん叱られました。お前は死ねといわんがばかりに(笑)。
  日本経済の応援団であり,製造業の舵取り役の日経新聞としては,もうちょっと軟着陸できるよう導いてくれていたらと思いますね。

 日米格差は縮まるか?

  話題を未来へ向けましょうか。「サイバースペース革命」はこれからどう進むのでしょうか。
  マルチメディアの初期に比べて,技術の寄与が減りつつあると感じますね。インターネットもイントラネットも,あれは使い方の問題でしょう。技術的にはいま中だるみで,政策や報道,企業の提携などが注目を集めている気がします。
 中島 それは技術開発の中心がベンチャー企業へ移ってしまったからでしょう。インターネットの最先端技術はアメリカのベンチャー中心です。ベンチャーの経営者の強気な発言を聞くと,技術も報道したような雰囲気になってしまいますね。大学に取材に行くとちょっと感じは変わるんでしょうが,いまサイバースペースの世界を引っ張っているのは産業界ですからね。
  研究開発が経済効果に直結しなくなったのか,そういう風に報道されているせいなのか。
 中島 むしろ,そのままビジネスに結びついているからじゃないですか。この報道はキャンペーンではなく,事実を伝えているつもりですよ(笑)。アメリカで出てきたものが,そのまま日本で根づくかは問題ですが。
  コンピュータやネットワークに関する限り,日米間に大きな格差があるという話が多いようですが,この格差は縮まりませんか?
 中島 当分は,まあ10年以上は縮まらないでしょう。それならアメリカの技術を早く定着させて,日本はそれを輸入していけばよい。それを日本のインフラにしている間にアメリカはさらに先に進むでしょうから,当分技術輸入の自転車操業になるでしょう。
  そういう報道をされるから,皆アメリカの方を向いてキョロキョロする(笑)。日本でいい研究開発があっても見向きもしない。だから,大学も企業の研究所も自信をもってアピールしない。実際以上に格差があるように見える。
 私は結構縮まると見ている1人です。変化の激しい間はアメリカ主導で,そのペースがダウンしてくると日本の出番でしょう。何しろ,意志決定のスピード,社会の構造が違うから,先端技術と騒いでいるうちはアメリカでしょうが。
 そもそも最近ちょっとベンチャー礼讃論が強すぎると感じます。日本はまだそこまで社会を変えられない。むしろ,一流大学と大企業の相思相愛が強まっていますよ。中学入試までがブランド志向化している。そんな国で誰がベンチャーを志すのか疑問です。資産家の息子なら,私だってトライしますがね(笑)。アメリカのコンピュータ業界では,かつてNo.2の座を得たDECもアップルも没落していっている。一方,日本では21世紀もやっぱり東芝,NEC,ソニー…が生き残っていると思いませんか。
 中島 大企業は潜在的に過剰な従業員をかかえているから,そう冒険はできないでしょう。これからの日本は,工業教育を受けなかった若者が世に出てくる。ベンチャーは工業教育で優等生じゃなかった人達が成功しているんです。新しい発展分野での成功者が増えれば,後に続く若者は少なくないでしょう。
  それがサイバースペース分野だということですね。
 中島 アメリカだって昔は大企業主導だったんです。それがいま先端技術分野を中心に大きく変わりつつある。これは人類の経済システムの必然の変化だと考えています。
  アメリカ流をそのまま輸入するのではなく,簡単ではないけれど,日本は日本流のやり方ナそれを達成するでしょう。
 中島 そのためには教育の仕組みから変えなきゃならないでしょう。この数年のうちにそうなるというより,変えて行かなきゃ未来はないと信じています。だいぶサイバースペースからは離れてしまったけれど,こんなところでしょう。
 & 本日はどうも有難うございました。
(1997年4月7日収録)

エピローグ

 いかがでしたか?私も対等以上に話してしまったのですが。
 お二人の立場の違いからの意見は出ましたが,「サイバースペース論議」にはなりませんでしたね。
 中島氏にとっては,「サイバースペース革命」は「情報革命」や「情報通信革命」でも構わないんですよ。言葉を変えただけとはっきり言われてしまっちゃ,「サイバースペース」の定義云々には踏み込めません(笑)。
 かなり本音で,フランクに話して下さいました。
 超楽観主義者,楽天家ですな。負けます(笑)。何であれ,あれだけのキャンペーンを長期間続けられたのですから大したものです。一流です。
 どんな言葉を使おうと,産業界を変えて行くのだという明確な意志が感じられました。
 次の社会への脱皮が必要と感じているジャーナリズムからの「洗脳情報」ですね(笑)。あそこまでその主義・主張をオープンにされちゃ,こっちも一層そのつもりで読むしかないです。あれは,事実というより日経の意志なんだと。
 本物かどうか疑ってみるべし,ということですか?
 疑ったから信じないということではなく,判っていたうえで日経のキャンペーンに乗るという手はありますね。何しろ影響力が大きく,大筋ではそっちに向けられてしまうんですから(笑)。
 騒ぐところにビジネス・チャンスありということですね。
 あるけれど易しくはないですよ。ハイリスク,ハイリターンなのです。中島氏は,その成功譚を紹介することにより,世の中をエンカレッジしているんですよ。
 時期と形態に差はあるでしょうが,誰もこの社会変革に意義は唱えられませんね。
 そういう意味じゃ,かつてマルクス・レーニン主義を信じていたのとあまり変わらん気もしますけどね。おっと,こんなこというと中島氏に叱られそう(笑)。

付録 マルチメディア書評コーナー
■岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社,本体1,942円,1995年)(☆☆☆)

 何しろ面白い。表題でドキっとさせられ,読んでみるとまっとうな情報社会論で,読了してみてやっぱりユニークだなと感じさせる。新刊ではないが,新鮮に感じたのでお薦めの書として☆☆☆をつけた。
 著者は,1958年生まれの作家,プロデューサ。1985年にアニメ,ゲームの制作会社GAINAXを設立し,94年から東大教養学部でマルチメディア・ゼミの講師を担当しているとある。ブームの当初,「マルチメディア」とつく本はすべて買って読んだという。私もそうである。新刊時にはこの本の存在は知らなくて,電通総研の広報誌「Human Studies」に彼の講演とディスカッションが載っているのを見て知った。
 「洗脳社会」という恐ろしげな命名であるが,「脱工業社会」「マルチメディア社会」を著者流に解釈した結果である。アルビン・トフラーの『第三の波』や堺屋太一の『知価革命』は,「画期的な着眼点」をもっていながらも,「イージーで現実離れした予測」しか提供しなかったと断じている。現在の価値観や社会システムのままで未来を予測するから,何となく不自然で魅力に乏しい情報化社会しか描けていないのだという。そーだ,その通りだ。私もそう感じていた。
 じゃ,次世代は何なのだというと,「自由経済競争社会」から「自由洗脳競争社会」にシフトする。科学至上主義,物質的豊かさを求めた時代から,「自分の気持ち」至上主義,精神的豊かさの時代になるという。「マルチメディア中世」「モノ不足・情報余り」の社会ともいっている。他人の価値観に影響を与える行動をすべて「洗脳」と呼び,マルチメディアはそのための強力な手段となる。ふーむ,この辺りの分析はなかなか鋭く,説得力もある。ネットワークによる情報発進力のもつ意味を鋭く捉えている。
 「自由の気持ち」を大切にする時代の表れとして具体的にあがっている事例は,パソコン通信やコミックマーケット,「オタク文化」である。どうもここらになると,私にはイマイチよく分からない。そういう若者の価値観が次なる社会の主流であるような,やっぱり何か違うような…。この著者の主張を是とするなら,旧世代の私の価値観では理解できないことになるから仕方ない。
 中島氏のインタビュー直前の週末にこの本を一気に読んだので,その影響がインタビューにも出てしまった。オプティミストの中島氏であれ,幾分ペシミストの私であれ,団魂の世代の論じる情報化社会は,まだ「自由経済競争社会」の枠の中にあるなと感じながら議論していたのである。(

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