コンピュータイメージフロンティアIII
 電脳映像空間の進化(1)

2つのサイバースペース


プロローグ

 このCIFシリーズを計画したのは1991年春だった。少しインタビューを貯めておいて連載を開始したのが,1992年1月号(no.146)である。もう5年以上も前のことである。
 当時は,就任したばかりのアル・ゴア副大統領が情報通信革命の旗手だと知る人はほとんどいなかった。インターネットはまだ研究者達だけのコミュニケーション手段で,WWWもモザイクもなかった。QuickTimeで動画をパソコンで操作できる環境が出始めていた。マルチメディアにとってはMacが先行していて,Windowsは明らかに後発だった。
 あれから5年。ノートパソコン携帯族が増えた。ホームページを持っていないことが恥ずかしくなる時代である。話題の変遷も技術の進歩もすごいなと改めて感心する。研究者/技術者稼業をやって四半世紀,こんなに目まぐるしかった時代はない。最近「ドッグ・イヤー」(犬の1年。時間感覚が人間の6〜7倍)という言葉を耳にするが,まさに言いえて妙である。
 第I部12回分の連載をまとめて大幅に加筆した『電脳映像世界の探検』(オーム社,1993年)の「まえがき」に,「このマルチメディア・フィーバーの背景に,画像分野にとって10年に一度,いや20〜30年に一度の地殻変動の兆しを感じる。後年になって『ああ1990年代前半のあのときに,この大きな変動が始まっていたのだな』と思う。そんな気すらするのである」と書いた。この後半は当たりだろう。しかし,前半は違っていた。20〜30年に一度どころか,今では100年に一度じゃないかと感じている。
 第I部の最後に(初代の)が「機会があれば,5〜10年後にコンピュータイメージ処理が与えたインパクトをもう一度眺め直してみたいですね」と結んでいる。もうその5年目に入ったのだ。通信カラオケの導入やビデオゲームの3D・CG利用は当たり前になり,誰でもインターネットで映像発信できるようになってしまった。「テレビジョン学会」から「テレビ」の名が消え,今年から「映像情報メディア学会」と改称した。本家G.ギルダーもさぞかし驚いていることだろう。
 あらゆることを回顧するには,まだこの「革命」のまっ只中である。それでも第・部では,第I部で語ったことを検証しつつ今を再確認したいと思う。テーマは「サイバースペース」。「マルチメディア」に代わってキーワードとなりつつあるこの言葉の意味するところを分析し,技術的・社会的意義をCIF流に扱ってみようと思う。


1. マルチメディア革命からサイバースペース革命へ

 サイバー社会は花盛り?

 「サイバーマネー」「サイバーモール」「サイバーショッピング」「サイバーファッション」「サイバーシティ」「サイバーデモクラシー」「サイバーセックス」…。産業紙やハイテク雑誌にこんな言葉があふれている。少し前までは「マルチメディア」に端を発して「ディジタルメディア」「インタラクティブ・メディア」「インテリジェント・メディア」「仮想メディア」「感性メディア」…と所かまわず「メディア」オンパレードだったのが,すっかりハイテク流行語の座を「サイバー」に奪われてしまったかのようだ。
 上記の「サイバー」(cyber)は,ほとんど「コンピュータネットワーク」と同義語で使われている。いまやそれも「インターネット上の」と言い換えてもよいくらいである。
 ネットワーク上の仮想都市を「ネティ」(nety),その住民を「ネティズン」(netizen),そこでの生活規範を「ネチケット」(netiquette)と呼ぼうという声もあったが,いま一つ流行らない。バズワードの接頭語としては「サイバー」の圧勝のようだ。「スーパー」「ハイパー」の次に来る何やら新しいフィーリングを与えるのだろう。
 その語源は,ウィリアム・キブスンが1984年に書いたSF小説『ニューロマンサー』に初めて登場した「サイバースペース」(電脳空間)という言葉に由来しているのだという。少なくとも「サイバースペース」に触れるときには,大抵そう書かれている。

 もはや日常語?

 日経産業新聞が1994年4月から続けていた連載コラム「マルチメディア革命」を,1995年10月から「サイバースペース革命」に,1996年10月からは「サイバースペースの未来」へと改称した。CD-ROM,ビデオゲーム機,双方向CATV,携帯電話等,焦点を次々と移しながら語り継いできたマルチメディアの話題の中で,インターネットのウエイトが大きくなったのである。
 「サイバースペース」という言葉が市民権を得るのにこのコラムが果たした役割は小さくない。連載をまとめた単行本『サイバースペース革命』(日本経済新聞社,1996年)とその続編『サイバービジネス最前線』(同,1996年)の「まえがき」の中では,それぞれ
 ・「当初は耳慣れなかった『サイバースペース』という言葉も,マルチメディア技術がインターネットを軸に開発した世界として,急速に認知されつつある。」
 ・「連載当初は奇異な響きさえあった『サイバースペース』という言葉も,日常会話に登場するようになった。」
と記されている。そして,「サイバースペースの未来」の最終回(1997年3月17日)では,
 ・「連載当初,SF映画まがいのタイトルに戸惑いの声も上がったが,『サイバー』という言葉はほぼ日常語として定着した。」
とまで書いている。微妙な表現の違いの中に,取材班の果たした仕事への自信のほどが窺える。

 辞書にもそこそこ載ってます

 W.キブスン(黒丸尚訳)『ニューロマンサー』(ハヤカワ文庫SF672,1986年)の中には,確かに「電脳空間(サイバースペース)」という言葉が頻出している。しかし,幻想を与える仮想の世界に浸り込んでいる描写があるだけで,きちんとした定義はなされていない。「電脳空間(サイバースペース)デッキ」という端末があり,中にCPUが入っているような記述があるが,操作法や機能にについては書かれていない。映画的描写で,すでにその世界に当然のように存在していることが描かれているだけである。
 用語集や辞書が,この言葉をどのように記述しているかを調べてみた(表1)。辞典類は改訂年度にもよるが,まだ収録率は高くない。『大辞林第二版(1995)』には入っているが,『広辞苑第四版』(岩波書店,1991年)や『大辞苑』(小学館,1995年)には見当たらない。『三省堂国語辞典』(1992年),『小学館国語大事典』(1989年),『学研国語大事典』(1988年)等の大型辞典にないのだから,そのハンディ版にはもちろん入っていない。

表1 各種辞典にみるサイバースペース(Cyberspace)についての記述
出典 記載内容
現代用語の基礎知識 1997
 [自由国民社]
全世界がコンピュータネットワークによって形成されるSFの三次元空間。
imidas '97
 [集英社]
(1)電脳空間。コンピューターグラフィックスなどで表現され,擬似体験できる空想上の空間。(2)コンピューターネットワーク上に作り出される仮想的な世界。
知恵蔵 1997
 [朝日新聞社]
コンピュータで生み出す仮想空間。
読売新聞のホームページ
 「ミニ時典」(96年4月30日)
CYBERSPACE。電脳空間と訳す。コンピューターの中に広がる実際の物理的な空間ではない,仮想の空間のこと。
コンサイス・カタカナ語辞典
 [三省堂,1994年]
電脳空間。コンピューターグラフィックスなどで擬似的に体験できる想像上の空間。
ランダムハウス英和大辞典第二版
 [小学館,1994年]
コンピュータ・ネットワークが張り巡らされた未来空間。
英和中辞典
 [旺文社,1997年]
コンピュータが作り出す情報[通信]空間。
大辞林 第二版
 [三省堂,1995年]
コンピューター-ネットワークなどの電子メディアの中に成立する仮想空間,情報宇宙。特に人間の身体知覚と電子メディアが接合して生まれるメディア環境。アメリカのSF作家ギブスン(William Gibson 1948)が小説の中で描いた。
国際化時代のためのカタカナ語・略語辞典
 [旺文社,1990年]
電脳空間。世界全体に広がるコンピューターのネットワークの端末と脳を直結することによって作り出される拡張された意識空間。人間と機械が直接的に融合した近未来社会を扱うSF小説・映画で描写されている。
Webster's New World College Dictionary 3rd Edition
 [Webster,1995年]
The electronic system of interlinked networks of computers, bulletin boards, etc. that is thought as being a boundless environment providing access to information, interactive communication, and, in science fiction, a form of VIRTUAL REALITY.

 英和辞典でも,比較的新しい『新コンサイス英和辞典第二版』(1994年),『新英和中辞典第六版』(研究社,1994年)にも収録されていない。『ジーニアス英和辞典』(大修館,1994年)や『新グローバル英和辞典』(三省堂,1996年)はcyberspaceでなくcyberpunkを拾っていた。「サイバーパンク」とは,『ニューロマンサー』が生んだSF小説の新ジャンルである。
 さすが,毎年改訂される3大現代用語集の最新版はしっかり拾っている。それでも『現代用語の基礎知識』には,やっと1996年版から項目名に登場したのである。『imidas』では,長い間(1)のみの記載だったが,97年版で初めて(2)の表現が追加された。
 それぞれの記載内容は,ほとんど同じようであって微妙に違う。原典の描写に近いか,現時点での世の中の用法に近いかの差である。「コンピュータグラフィックス」や「擬似体験」を含むか,含まないかが分かれ道になっている。このCIFシリーズ第・部では,その違いにこだわって「電脳空間(サイバースペース)」論議を展開してみよう。

 電脳はコンピュータじゃない

  Dr.SPIDER 調べものご苦労さまでした。
  Yuko 辞典も用語集もたくさん出版されているのにびっくりしました。英語圏はどうかなと思ってオンライン辞書も調べてみたんですが,cyberspaceは見つかりませんでした。図書館で見つけた新しいWebsterには,表1のように載っていました。
  94〜95年頃が境目みたいですね。ちょうどインターネットの普及と一致しますね。サーチエンジンではどうでした?
  Alta Vistaで30万件,Infoseekで15万件も出てきました。
  サイバースペース内でサイバースペースを探すんだから,それくらいあるでしょうね。
  Infoseek Japanでは,「サイバースペース」が72件,「電脳空間」だと5件です。サービスの規模と範囲が全然違うので,日本では「サイバースペース」が低調だとは言えないと思います。
  ところで「電脳空間」の「電脳」って何だか知ってますか?
  え!? コンピュータのことじゃないんですか?中国語で。
  大体の人はそう思っているみたいですね。確かに中国ではコンピュータのことをそう言ってます。でも,『ニューロマンサー』に出てくる「サイバースペース」は,特殊(トロード)に接続してコンピュータ内のデータを視覚的に再構成する幻想世界なんです。だから「電脳空間」。コンピュータネットワーク上の仮想空間なら「電脳網空間」になるはずですよ。
  そうだったんですか。脳に電極なんですか。いかにもSFらしいですね。
  では,W.キブスンの世界,サイバーパンクのさわりを垣間見てみましょうか。

2.W.キブスンと電脳空間3部作

 SF界のニューウェーブ

 W.キブスンは1948年サウスカロライナ州コンウェイ生まれ,現在はカナダ在住のSF作家である。1977年作家デビューし,いくつかの短編で名をなし,最初の長編『ニューロマンサー』(Neuromancer;1984年)で一躍SF界に旋風を巻き起こした。『ニューロマンサー』は,ヒューゴー賞,ネビュラ賞等,SF界の5つの大賞を受賞,5冠を達成した記念碑的作品で,パソコン雑誌,ロック雑誌,ビデオ雑誌,美術雑誌,広告会社の社内報までが競ってギブスンを語った,と文庫本の解説に書かれている。
 続編の『カウント・ゼロ』(1986年;邦訳:ハヤカワ文庫SF735,1987年),『モナリザ・オーヴァドライヴ』(1988年;邦訳:ハヤカワ文庫SF808,1989年)は,『ニューロマンサー』と併せて「空間電脳(サイバースペース)」3部作と呼ばれている(写真1)。そこに描かれる近未来のハイテク社会,荒涼とした無機的で退廃的な都市風景。特に『ニューロマンサー』の冒頭の描写は映画『ブレードランナー』のロサンジェルスのダウンタウンを想起させるとして話題になった。
 速いテンポの展開とコンピュータ関連用語の多用から生み出すポップカルチュア感覚。その象徴が「電脳空間(サイバースペース)」なのである。ここから,「サイバーパンク」と呼ばれるSFのジャンルができ上がった。ここで,「サイバー」(cyber)は「サイバネティックス」(cybernetics)からとった言葉で,「パンク」(punk)とは「不良」「ちんぴら」の意で「パンクロック」の「パンク」なのだそうだ。
 「サイバースペース」が『ニューロマンサー』で初めて登場したというのは書誌学的には正しくない。1982年の「クローム襲撃」(Burning Crome)という短編[浅倉久志他訳『クローム襲撃』(ハヤカワ文庫SF717,1987年)に収録]の中で,一度だけ「サイバースペース」という装置名が登場する。ただし,訳者の浅倉氏はカタカナのままで「電脳空間」とは訳していない。この短編は『ニューロマンサー』の原型とも呼べる作品で,描き方もテンポもそっくりだ。
 上記の3部作では,黒丸尚氏はすべてカタカナのルビ付きで「電脳空間(サイバースペース)」で通している。原語をカタカナで添えるのはSFの翻訳ではよく使う手だが,黒丸氏の翻訳には特にこれが多い。無線(ワイヤレス),生体素子(バイオチップ),操作卓(コンソール),連結(リンク),入力(インプット),没入(ジャックイン)…といった具合だ。原文の味を残そうとするためだろう。確かに,カタカナのルビが音として耳に伝わってくる感じがある。一方漢字の訳語の方は視覚的にその意味を伝えてくる。ちょうど,洋画の字幕スーパー版を見ているような感覚を与える。
 余談ながら,この音の感覚をW.キブスン自身が意識したのか,日本の地方・社名がやたらと出てくる。冒頭の千葉市(チバシティ)は特に有名で,新宿,原宿,東京湾(トウキョウベイ),上野公園(ウエノパーク)の不忍池も出てくる。日立,富士電機(フジエレクトリック),三菱銀行(ミツビシバンク),朝日新聞,JAL,ソニー等の実名を勝手に登場させてリアリティを上げるのかと思えば,電脳空間(サイバースペース)デッキにはホサカだのオノ=センダイだの,聞いたことのないメーカー名も登場する。欧米人に分かろうと分かるまいと,エキゾチックなフィーリングを与えるのに日本語名を多用しているのだという。
 耳慣れぬ単語を駆使して「フットワークで読者を眩惑する」というキブスンのやり口は,現代作家のイメージを強調するようだ。意図的に「電脳空間(サイバースペース)」をあちこちに登場させ,読者の想像力をかき立てているのだろう。

 サイバースペースの描写

 3部作からいくつかの描写を選んでみよう。
 ・「電脳空間(サイバースペース)。日々様々な国の,何十億という正規の技師や数学概念を学ぶ子ども達が経験している共感覚幻想─人間のコンピュータ・システムの全バンクから引き出したデータの視覚的再現。考えられない複雑さ。」(『ニューロマンサー』,p.90)
 ・「その空間とは,考えられないほど複雑な人類の共感覚幻想,マトリックス,電脳空間(サイバースペース)。そこでは巨大な企業の熱中核がネオンの新星のように燃え,データが稠密なあまり,ほんの輪郭以上のものを察知しようとすると感覚過負荷をきたす。」(『カウント・ゼロ』,p.76)
 ・「男の額に電極(トロード)ネットが貼り付けてあり,左耳の後ろのソケットから出た黒いケーブルただ1本が,担架台の縁沿いに固定してある。スリックがそれをたどっていくと,全体の上部構造をなす装備(ギア)の中心を占めそうな,どっしり灰色の装置(パッケージ)に行き着く。擬験(シムステイム)だろうか。そうは見えない。なにかの電脳空間装置(サイバースペース・リグ)だろうか。」(『モナリザ・オーヴァドライヴ』,p.35)
 ・「電極(トロード)を着ければ,そっちに出て行け,世界じゅうの全データが積み重なったひとつの巨大なネオン都市。人はそこでぶらついたり,いわば把握したり。視覚的に,だ。というのも,視覚的にできないと,あまりに複雑で必要とする特定のデータに行き着けないからだ。」(同上)

 といった風である。この他には,ほとんど説明的な記述はない。よく読んでみると,「視覚的再現」とか「世界じゅうの全データ」とかの表現はあるが,コンピュータグラフィックスやコンピュータネットワークという直截的な用語は出てこない。日本語の解説に出てくるだけだ。あるいは,キブスンやその他のサイバーパンク作家がそう語ったことがあるのかも知れない。皆が実現方法を想像しているうちに,表1のような表現になってしまったのだろう。
 電極を貼り付けてあるとは書いてあるが,脳とコンピュータ端末を結ぶという表現は出てこない。しかし,小説の冒頭の章から,人工臓器移植や生体改造を受けた登場人物が現れる。ここから,表1のカタカナ語辞典のような「ネットワーク端末と脳を直結」もありそうだと感じさせてしまうのだろう。

 サイバーと電脳の由来

 「サイバースペース」の語源となった「サイバネティックス」は,ノバート・ウィーナーが提唱した人間や動物の情報の通信や制御に関する学問分野である。生体の脳・神経系をモデルとした工学的理論が展開され,ここから制御工学や情報理論も生まれた。大抵の英和辞典には,cybernetics=人工頭脳学と記されている。一方,cybernationは,cybernetics+automationで製造工程の自動制御のことである。cyberとはもともと,ギリシャ語で「船の舵取り」の意味だったという。「ネットワーク上の」とか「仮想の」という意味はどこにもない。
 生体系をモデル化した機械も「サイバネティックス」であるから,ロボットも改造人間もその範疇である。「サイボーグ」(cyborg)はcybernetic organの略である。かつては,SF界でサイバーといえば,まずこの手の話題を想像したのである。
 したがって極とから,「サイバースペース」を「電脳空間」と訳したのは,ごく自然な訳だったのだろう。黒丸尚氏もプロの翻訳家であるから,中国語の「電脳」くらいは知っていただろう。なんとなく知っていてうまく掛け言葉的に使ったのかもしれない。ただし,この翻訳の時点(1986年)では,コンピュータの意味だとわかる読者はほとんどいなかった。
 わが国に「電脳」という言葉を紹介して積極的に使ったのは,東大の坂村健氏である。自分でもそう自負しているようだ。彼は1980年代半ば頃から自らを「電脳建築家」と称していた。Computer Architectのことである。彼のトロン計画が広く報道され,それにつれ「電脳」の使用頻度も増えていった。1987〜88年頃のことである。
 マルチメディア・ソフト製作会社に(株)電脳商会というのがある。(株)アスキーからのスピンアウト組の(株)ハイテクラボ・ジャパンからさらに分家したベンチャー企業である。社長の西澤利治氏以下が香港旅行をした折りにこの言葉を気に入り,社名に入れたという。これも1987年である。
 翻訳家の黒丸尚氏がコンピュータ界のこんな動きを『ニューロマンサー』の邦訳時に事前に察知していたとは考えられない。「マイクロプロセッサ」を「微細処理装置」,「メインフレーム」を「本体」と訳していることからも,コンピュータ業界通であるとは思えないのである。
 M.ベネディクト編『サイバースペース』(NTT出版,1994年)という本がある。哲学,社会学,建築学,視覚芸術,ヒューマンインターフェースの研究者等が集まって「サイバースペース会議」とやらを1990年と1991年に開いた。そこでの発表をまとめたのが原著で,1991年の出版物である。W.キブスンも同書に「アカデミーリーダー」という小文を寄稿している。
 この本をNTTヒューマンインターフェース研究所のメンバーがプロの翻訳家のアシストを得て邦訳した。かなり分かりにくい本である。訳すのにも相当手こずったに違いない。この本の中では,すべて「サイバースペース」に統一されていて,一度も「電脳空間」という訳語は使われていない。本稿を書くに当って,翻訳メンバーの一人に問い合わせた。「電脳空間」という言葉を聞いたことはあったが,まだ一般的ではなく,技術用語としてはためらわず「サイバースペース」とした,という答えが返ってきた。92〜93年頃でも,まだそうだったのである。
 SF界にのみ使われていた「電脳空間」をマルチメディアの世界に持ち込んだのは誰なのだろう?W.ギブスンの意図とも,黒丸氏の意図とも別に「サイバー」という接頭語が広まったのはもう少し後のことである。

 訳者の没後に大流行

   「電脳」のニュアンスの違いはよく分かりました。でも,本当はどういうつもりで「電脳空間(サイバースペース)」とされたか,訳者の黒丸さんに確かめたらいいと思うんですが。
  それができないんですよ。1993年に亡くなられたそうです。この名訳が,ここまで流通することを知らずにね。残念ですね。
  坂村先生と黒丸さんと日経サイバースペース取材班のトータルパワーで,「電脳空間」がいま日の目を見つつあるということですね。
  「陰の世界」が「表の世界」に出てきたって感じだね(笑)。ところで,あなたはこの手の作品は好きですか?私は,こういうタッチの作品はどうも文体が苦手です。今回,3部作の全ページに目を通してみたけど,これは字面を追っただけです。まさにフルテキストサーチ(笑)。『ニューロマンサー』に何度もチャレンジしたけど,途中でいやになって結局ギブアップしました。
  私はまだ半分足らずしか読んでませんが,そんなに違和感はないですよ。私の好みじゃありませんが,若い男性なら夢中になる人も多いだろうなと思います。
  世代の差かなぁ。それじゃ,一緒に没入(ジャックイン)して共感覚幻想を体験するわけには行かないな(笑)。

3. 新旧2つのサイバースペース

 2つの用法あり

 日本語の「電脳」論議はこれくらいにして,原語のCyberspaceに戻ろう。W.キブスンの3部作がコンピュータ界に与えたインパクトは小さくなかった。この刺激的な言葉は,未来技術を志向するコンピュータサイエンティスト達にとって,精神的なバックボーンとなり,W.キブスンは,コンセプトリーダー的存在に祭り上げられた。
 もともとSF小説とコンピュータサイエンスの間には親近感のようなものがある。サイバーパンク小説の描く近未来社会は,一世代二世代前のスペースオペラと異なり妙にリアルである。クールだがノリの良い感覚は,西海岸のコンピュータサイエンティスト達のもつカウンタカルチュアの香りとも符合する。
 Cyberspaceという言葉をまず積極的に使ったのは,バーチャルリアリティ(VR)の研究者達であった。Cyberspaceは,コンピュータ内に構築するVirtual Spaceとほぼ同じ意味で使われた。VR分野にとっては,3D・CGは当たり前の技術であり,この空間のデータを視覚的に提示することは大前提であった。擬似体験もまた仮想空間に当然備わっているべき機能である。
 この仮想空間のネットワーク化は不可欠の技術要素ではなかった。不必要というのではなく,ネットワークでの利用は,強く意識されていなかったという方が正確だ。しかし,VPL技術の普及の端緒を切ったVPL社のRB2システムのRB2とは,Reality Built for Twoなのである。つまり始めから,2人が共感覚幻想をもてるような設計になっていたのである。
 筆者が初めて技術分野でCyberspaceという言葉を聞いたのは,1990〜91年のことである。ほぼVR関連用語だと思っていた。これは,現在世の中で広く用いられている「電脳空間」とはだいぶ違う。いまや,「電脳空間」といえばコンピュータネットワーク上に形成された電子化社会空間である。利用者の分身が出会うネットワーク都市空間だと言い換えてもよい。そこでは,人々が情報交換をしたり,商取引をしたり,といった社会生活を営むものとして語られている。
 VR空間体験と共同社会体験では随分と違う。いずれも電子化されたパラレル・ワールドでの仮想体験ではあるが,W.キブスンの描いた「電脳空間(サイバースペース)」のそれぞれ別の側面だけを捉えてしまっているのである。このシリーズでは,上記の2つの用法があることを認め,便宜的に「第1のCS」と「第2のCS」と呼ぶことにしよう。

 それぞれのサイバースペース接近

 第1のCSは,直接脳に電極はセットしないものの,HMD(Head Mounted Display)を装着して動き廻る姿は十分にSF的である。仮想空間に没入し,時空を超えた世界に浸りきる感覚は,原作の描いたドラッグ中毒的表現に近い。
 最近のVRシステム研究例として,米空軍のアームストロング研究所では,手足を使わず脳波で飛行機を操縦したり,耳の後ろに電気刺激を与えることにより動きを感じさせる前庭ディスプレイの研究をやっている。図1に示す「サイバーリンク」というのは,電極をつけたヘアバンドから脳波と筋電位を測る入力装置である。これなどもともとの「電脳空間装置(サイバースペース・リグ)」にかなり近いと言えよう。

図1 サイバーリンク

 「第2のCS」の原形は,ルーカス・フィルムが開発した「ハビタット」(Habitat)と言えるだろう。コンピュータネットワークのユーザの1人1人が,自分の化身(アバタ)を電子化社会に送り込み,ゲーム感覚で仮想都市共同体験を楽しむ。これは,パソコン通信で人気を呼んだ。日本では1990年から富士通が,このサービスを提供している。前述の『サイバースペース』(NTT出版)の中では,この「ハビタット」の社会的意義と教訓を大真面目に論じた論文も収録されている。最近は類似システムが何種類も出廻り,化身のリアリティも増してきている。
 コンピュータネットワークさえあれば,「サイバースペース」だというわけでない。在庫管理や物流管理の情報システムは誰もそう呼ばなかった。「サイバースペース」というからには,そこに複数のユーザが共有体験できなくてはならない。
 そうでない利用法がほとんどであるのに,最近は,インターネットを「サイバースペース」そのものだとする風潮も見られる。インターネットでは,チャットもできるしショッピングもできる。いまや堂々たるコミュニティを形成している。しかし,一人でネットサーフィンしたり,一方的な情報配信を受けたり,共有体験とは呼べない用途も多々ある。それでも,原典にある「世界じゅうの全データが積み重なった」とか「日々様々な国の,何十億という…」といった表現からは,The Internetしかこのポジションを取りえないことになる。WWWとブラウザの登場以来,視覚化という点でも原義に近づいてきた。

 右脳空間 vs. 左脳空間

 まず「第1のCS」が登場し,遅れて「第2のCS」が市民権を得た。この事実は,表1の『imidas』の(1)と(2)に正確に反映されている。いまや,「第2のCS」が圧倒的に優勢になり。「サイバースペース」はインターネットの代名詞になってしまったことが,同表中のWebsterの記述に表れている。
 あまりの優勢ぶりに,かつて本当に「第1のCS」の意味で使われていたのかと,いぶかってしまった。「サイバースペース」がVR用語であったことは間違いない。その証拠に,キブスン自身,前述の小作品「アカデミック・リーダー」の中で「ゴーグルとグローブをつけ,ヴァーチュアル京都をスロットに入れる…」と書いているし,はっきりVirtual Realityという言葉も使っている。もちろん,VPL社RB2の登場(1989年)以後の小作品の中でのことである。
 いやいやそれどころか,原典の3部作の中では,
 ・「パイロットたちが巨大なヘルメットとぎこちなく思える手袋を着け…(中略)…テクノロジーが進化するにつれて,ヘルメットは小さくなり,…」(『モナリザ・オーヴァドライブ』,p.84)
という記述まである。これは1988年の作品だから,VRという言葉の出現より以前のことである。W.キブスンは,SF作家だけあって米空軍のスペースコクピット計画のことを知っていたのだろう。
 その一方で,
 ・「地球全体のマトリックスとはリンクがないから,そのデータは電脳空間(サイバースペース)を経由したいかなる攻撃も免(まぬが)れる。」(同書,p.241)
から,これはファイアーウォールとイントラネットのことを予見していたのだという声もある。経典を色々と解釈して,それぞれに理由づけするのは楽しくはあるが,我々は工学的意義の方を考えたい。
 「第1のCS」と「第2のCS」を対比的に捉えるならば,「第1のCS」は利用者が身体性を保ちながら没入する空間メタファである。そこでは,視覚だけではなく,聴覚や触覚・力覚も大きな意味をもつ。この物理空間との類似性,即ち感覚のリアリティを向上させることにVR技術の存在意義がある。
 一方,「第2のCS」は,データの商業的価値や個人の認証・安全性等が話題になっている。社会的空間としての行動規範のリアリティが重要性を増している。
 かなり粗っぽく言うならば,「第1のCS」は感覚的であり右脳的機能の擬似体験の場である。これに対して「第2のCS」は,理論的であり左脳的機能の代理体験の場である,と言えるのではないだろうか。

 ARPAの局長が創始者

  インターネットがこれだけ話題になる前,CIFシリーズ第I部を始める前から「サイバーウェア」という会社があったのです。何のことだか分かりますか?
  サイバーモールのブティックで売っているドレスやスーツですか?セーターや下着も買えるのかしら?
  それじゃカタログ通販ですよ,まるで(笑)。
  違うんですか?かなり前だとすると,VR分野ですね。分かった!ゴーグルをはめ,手袋をつけて女の人が立っている写真。光ファイバが張ってあって,身体の動きをコンピュータに伝送するとか…。
   それはデータスーツですよ。ウェアは,wearじゃなくwareですよ(笑)。3次元形状を入力する距離測定装置のメーカーです。顔の周りをぐるっと廻る全周型のスキャナが話題を呼びました。それが「サイバーウェア」です。
   ネットワークじゃなく,3Dの方からきた「サイバー」の例だとおっしゃりたいんですね。
   その通りです。
   「第1のCS」と「第2のCS」の対比で,「右脳的」と「左脳的」だというのは面白い見方ですね。
   この二分法で,もう1つ面白い事実をあげましょうか。ARPAって知っていますね。
   アメリカの国防省の高等研究計画局とか言うんでしょう。ARPAネットがインターネットの始まりだと聞きました。
   先端的なコンピュータサイエンスの研究に,特にAIにはかなりの予算を投じてくれたのがARPAです。その初代局長は,J.C.R.リックライダーといいます。この人がARPAの体制を作った。そして,2代目がI.サザーランド博士です。
   CGの創始者ですね。HMDもこの人が最初に作ったんでしたよね?
   ええ,VRの原点でもある訳です。そして3代目の局長がR. テイラー。この人がARPAネットの推進者です。つまり,2代目局長がVRの種を蒔き,3代目局長がインターネットにつながる源流を作ったのです。
   ちょうど「第1のCS」と「第2のCS」に当たるわけですね。うーん,これは象徴的で面白いですね。

4.サイバースペースの輝く未来

 VRML─2つの世界の橋渡し役

 「サイバースペース」という言葉の現実的な用法を意図的に2つに分けて考えてみたが,当然その間を橋渡しする話題もある。VRML(Virtual Reality Modeling Language)は,WWWの世界で3D・CG空間を表現するための枠組みである。VRの名がついているが,発想としては「第2のCS」寄りで,まだこのツールで表現出来る空間の写実性や臨場感は高くない。
 VRMLに関する最初の成書M.Pesce "VRML"(New Riders,1994年)のサブタイトルは,'Browsing & Building Cyberspace'である。両分野を股にかけ,最も原典に近い「サイバースペース」の達成を目指すのだという意気込みが感じられる。
 VRMLを活用したホームページ例はまだそれほど多くない。まともなVRMLビューアを稼働できるクライアントマシンが限られているので,情報発信側も躊躇しているのだろう。「2Dで十分で,なぜ3Dが必要なのか」という声もある。しかし,ビデオゲーム・ソフトの大半が3D・CG化したことを考えると,VRMLの普及はこれから加速するものと思われる。
 こうした懸け橋役以外にも,「第1のCS」と「第2のCS」の自然な接近が起こりつつある。まず,「第1のCS」VR分野では,Networked Realityという言葉を頻繁に耳にするようになった。本格的なLAN/WAN環境下で稼働し,かつ臨場感や没入感が高いVRシステムがようやく出てきたのである。
 一方の「第2のCS」側では,VRML以外にも,可視化・映像化の技術が目白おしである。単純な静止画によるWebページを,アニメーション,ライブ映像配信等の技術で彩りを添える試みは次々と具現化している。Webページ間のリンク構造を可視化して見せるWeb Visualizationも,話題を呼びそうだ。ますます広大になり,複雑になるWWW情報空間を視覚化して把握しようというのは,原典の3部作が推奨している通りである。

 いざ電脳映像空間へ

 接点を見い出すと同時に,この連載では各々のCS独自の技術進歩も見定めて行きたい。「第1のCS」は,これを閉じた電脳空間と考えるのではなく,現実世界を交叉する仮想世界を作るという考え方が注目されている。これは,Mixed RealityやAugmented Realityと呼ばれている。フルCGを前提とした従来のVRシステムは,現実世界と融合したMR/ARシステムに取って替わられることだろう。
 「第2のCS」独自の問題として,電子決済の方式や,法規制の緩和など社会・経済面での話題が沸騰している。それはそれで,21世紀の電子化社会のあり方を考える重大項目である。技術的な発展としては,エージェント技術を用いた分散協調型のサイバースペースが伸びて来るだろう。
 これだけ急成長した分野の周辺には,面白い技術開発テーマもビジネスチャンスも溢れている。そこへ向けて,人的にも資金的にも膨大な投資がなされているのだから,この魅力的な分野が進歩しないわけがない。世の中の耳目を集めつつ,この巨大な情報空間はますます充実し,かつ増大して行くに違いない。皆がそう思うからまた自己誘発的に開発と成長のエネルギーが湧き出てくるのである。
 しかしながら,マルチメディア革命の最初のフィーバーの頃を振り返ってみて,マスコミが報じたほどには進歩しなかったものも少なくない。本シリーズでは,業界紙が喧伝する話題をいつものように自分達の目で見て確認して行きたいと思う。
 今回論じた「サイバースペース」の様々な解釈を全て承知した上で,本シリーズを『電脳映像空間の進化』と題することにした。


付録:マルチメディア書評コーナー
 ■三浦文夫:『デジタルコンテンツ革命』(日本経済新聞社,1680円,1997年)(☆☆)

 「メディア」だ「メディア」だと騒いだ後は,「コンテンツ」である。容れ物・媒体の次に中身の話に転じて興味を惹こうとする魂胆がミエミエである。いかにもそういった題のつけ方だ。
 猫も杓子もコンテンツ制作者を志すか,コンテンツビジネスに参入しろというのか。製造業やその関連流通業に関わる者にはそうそうアタマが切り換わらない。そもそも「コンテンツ」や「タイトル」制作といった水商売とは肌合いが違うのだから,妙な煽り方をくれるなよ。
 と,かねがね思っていたが,表題ほどは軽薄な本ではなかった。副題は「映像・音楽ビジネス最前線」である。その業界の模様と,デジタル化の影響を時間を追って,素直に述べてくれている。業界通ぶった嫌味もない。文章も平易で読みやすい。ビジネス書の体裁をとらずに,新書版として出しても良い内容だ。
 「音楽のデジタル化」,「映像制作への衝撃」から入って,収益構造や著作権保護にも話が及ぶ。業界内でどう受け取られるかは知らないが,少なくともこれまで「マルチメディア革命」を吹き込まれ,「コンテンツ」が気になり出した層にはよく分かる良書である。
 「第VIII章 融合するメディア」からは,やはりよくあるメディア論で,インターネット,CATV等の話題になる。著者は,経済学部卒の電通マンであって技術者でもクリエータでもない。技術的な話題は,記述はそう多くないが,よく勉強されていて表現も正確である。少なくとも書かれていることには,大きな欠点はない。
 あらを探すとすれば,この表題ならばマルチメディアタイトル制作やビデオゲーム業界にも話題を移して,その実情と収益構造を述べてもらいたかった。そこまで求めるのは,欲張りすぎだろうか?

Dr. SPIDER(田村秀行)& Yuko(若月裕子)
(株)MRシステム研究所


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