コンピュータイメージフロンティアIII
電脳映像空間の進化3

バーチャルリアリティは脳外革命

ゲスト:廣瀬通孝
(東京大学)

プロローグ

今月のテーマは,前回の中島氏との全く逆の視点,学界畑でかつバーチャルリアリティの側からの電脳空間論である。VRといえば,この人をおいてないということで,東京大学総合試験所の廣瀬通孝助教授にご登場願った。
 とにかく売れっ子で,あちこちの講演会やパネルディスカッションでもしばしばお名前を見かける。それでいて,いつ聞いても話は新鮮で新しい発見がある。また聞きたくなるのである。飄々とした語り口調の中に,いくつも鋭く現在を捉えた表現が散りばめられている。それが意識の高い聴衆をして,思わず「なるほど」と頷かせるのだろう。
 過密スケジュールの中を,無理やりお願いしてこの連載のために時間をさいてもらった。
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 EPCOTで感動した

 Yuko 私も何度か先生のご講演を拝聴したのですが,今日はバーチャルリアリティ(VR)技術の意義を振り返ってから,サイバースペース論ということで。
 廣瀬通孝 最近,こちらとは直接のお付き合いもあるし,改まって何を話せば良いんでしょうかね。
 Dr. SPIDER 私がVRに興味をもったのは,VRブームが来てからです。廣瀬先生はまだお若かったのに,その分野の第一人者として登場しておられた。
 廣瀬 いや,お恥ずかしい。
  ということは,VRという言葉がない頃から既に研究をやっておられたことになりますね。
 廣瀬 立体視とか全天周ディスプレイとか,3次元を操作するデバイスを作ってみようと,色々やっていました。
  では,先生のもともとのご専門から伺えますか。
 廣瀬 研究室では,ヒューマンインタフェース全般がテーマでした。ロボット関連が中心で,それにソフトの生産性とかメンタルストレスの測定などもやっていましたね。
  石井威望教授の研究室ですね。
 廣瀬 そうです。そんな中で,僕自身の修士論文はキーボードの最適配列みたいなことでした。博士論文は内容が変わりまして,分散ネットワークだったんです。ワークステーションをどう配列するか,マイクロコンピュータのシステムをどう組み立てるかという…。
  機械工学のご出身なのに,まるで純然たる情報系ですね。
 廣瀬 そうですね。たしかに,はじめのうちはヒューマンインタフェースを考えるにも,Xerox PARC流の情報,情報したやり方で考えていた。つまり,ブラウン管がありその中に文書があって,それがワークスペースでありデスクトップなんです。作業というのは紙に何か書くことであり,ここからウィンドウシステムが出てくる。でも,僕らにしたらそれだけじゃつまらないねと。
 もともとの機械工学の立場からすれば,作業現場は机じゃないんです。エンジン・ブロックをドンと机の上に置いたりはしない(笑)。我々の作業をコンピュータが支援してくれるなら,もっと3次元を扱える環境を作りたいなと考えたんです。
  いつ頃のことですか?
 廣瀬 82,3年頃です。博士課程を終えて,石井先生から「お前,先生になっていいよ」って言われた。のれん分けしてもらったんだから,新しいテーマを考えなくっちゃということで,今のようなことを漠然と思いついた。これはオフィシャルな理由です。
  裏があるんですか,何か?
 廣瀬 83年だったかな。休暇をとってゴールデンウィークに友達と海外に行ったんですよ。色々な所を廻って,フロリダのEPCOTセンターにも行った。大画面とか立体映像とかを,初めて見て感動したんです。恥ずかしながら…。つくば博より前ですね,あれは。
  筑波の科学万博は昭和60年,1985年です。タイガースが優勝した年だから,よく覚えています(笑)。
 廣瀬 大型映像を使う博覧会の原型でしたね。そういうのがブームになりかけていた。こういう映像とコンピュータをつないで,3次元をやれたら面白いなと考えた。純然たるコンピュータの研究じゃないし,僕らにしかできないのは,こういう分野だと思い込んで…。
  我々はちょうど先月EPCOTセンターに行ったばかりなんですが,そんなに沢山立体映像はありましたっけ?
 廣瀬 眼鏡かけて見るのがいくつかありましたよ。オムニマックスみたいな大画面も結構あって…。ショックが大きくて正確には覚えていないけど(笑)。
  立体はコダック社の提供している3Dシアターくらいでした。中身は違っていると思いますが。
 廣瀬 そのコダックの偏光メガネを持って帰ろうとして,叱られました(笑)。ともかく,こういう派手で面白いものをやってみようと。動機は不純なんです(笑)。
日本に戻ってきて,映画はフィルム技術でできるけれど,コンピュータで立体映像を見るにはどうしたらいいかを考え,あやしげなシステムも沢山作りました。
  コンピュータでの立体視は,まだなかったのですか?
 廣瀬 あったでしょうが,すごく高かったと思います。少なくとも我々のところは手が出なくて,自作で機械式のシャッタを作りました。
  液晶シャッタ眼鏡が実用になったのは,この10年のことですね。
 廣瀬 HMD (Head Mounted Display) もバイクのヘルメットを改造して作りました(笑)。余りHMD系統の歴史も知らずに,我流でやっているうちにVRのブームが来たのです。

 データグローブとの劇的な出会い

 廣瀬 もう一方で,分散処理の研究は,東京電力との共同研究がもち上がってきたんです。電気を配るのにそんな複雑なアルゴリズムはないと思ってたら,何百万ステップという巨大なシステムを運営しているのですよ。
  何たって,大独占企業ですからね(笑)。
 廣瀬 「このままどんどん巨大になったらどうする?」と技術のトップが心配して,分散処理のソフトを真面目に考え始めたんです。85年くらいのことですね。
 ニューラルネットはどうだ,ホロニック・コントロールでやったらとか,要するに中央制御室がネットワーク全体に指令を与える方法の模索ですよ。ここまで巨大なシステムだったら,その構造が見えなきゃ面白くないよね,ということからビジュアリゼーションに向かったんです。
  いま話題のインフォメーション・ビジュアリゼーションを,その頃からやっておられたのですね。
 廣瀬 フローチャートに始まって色々な仕掛けを考えたけど,普通のブラウン管の中での可視化じゃつまんない。次元数が決定的に不足だと皆が言い出したから,それじゃもう一方でやっている3次元の方とつなげちゃえと(笑)。
  有名なご研究で,大抵のVRの本に載っていますね(写真1)。
  VRブームが来て,そこに東電さんが乗ってこられたのかと思ってたのですが,違うんですね。他ではVRでテニスだスキーだとゲームめいたことをやっているのに,ソフトウェアの可視化を取り上げるのはすごいなと感心してたんです。
 廣瀬 前からやってただけです(笑)。でも,そういう訳のわからないことを企業との共同研究でやれたのは,石井先生や東電の現在の最高顧問の三井さんのお蔭なんです。「面白いから絶対にやりなさい」って応援してもらいました。
  金持ちは懐が深いんですよ(笑)。
 廣瀬 最初は4Hzくらいのシャッタ眼鏡で,重役相手に「こうすると立体に見えます」ってやっていた。目を凝らしてやっと飛び出して見える程度で,今から見れば笑っちゃうようなものでしたけれど(笑)。
本格的な技術はないかと海外も探し廻ったんです。87年のトロントで劇的な出会いがあった。たまたま,CHI+GI '87という会議に行ってみたら,そこにVPLの連中が来ていて,データグローブの話をしたんです。まだVRという言葉はなく,新しい時代のインタフェース・デバイスという位置づけでした。ポヒマス・センサなんかも,その頃初めて知ったんです。恥ずかしながら。
  手袋状の対話デバイスなんて,情報屋にはちょっと思いつけませんね。
 廣瀬 3次元でソフトウェアを扱うには,3D空間を見るディスプレイや,ハンドリングする装置が絶対必要と感じていたんです。機械式の3次元マウスなども作ってたんですが…。とにかく,データグローブで「これだ!」と思った。
  常に問題意識をもっておられたから,劇的な出会いだったのですね。
 廣瀬 そういうことで,日本で最初にデータグローブを買ったのは東京電力なんです。大学用にも1個買ってもらいました。三井物産に輸入代理店をやってもらって,1つ300万円くらいしてましたね。
  HMDのアイフォンはまだなかったのですか?
 廣瀬 ないです。Macで動かしていました。画面に手が出てきて,キュッキュッと。東電の三井さんが見て「何だ,これは!?」と驚いて(笑)。
 こうなると本格的に立体映像を見せられる仕掛けも欲しくなって,ステレオグラフィックス社を紹介してもらいました。これで全体としてそう恥ずかしくないシステムが出来上がった。こんなのが欲しいなと思って試作しているうちに,次々といいのが揃ってきてラッキーでしたね。やっぱり同じようなこと考えている人がいたんだなと(笑)。
  それだけ先を見て研究テーマを選んでこられたということですよ。

 大フィーバーの渦中での原体験

  では,VRが一気に話題になった頃のことをお聞かせ下さい。
 廣瀬 VPL社がVRという言葉を言い出したのが1989年ですね。ちょうどこの年にアメリカに留学したんです。U.C.バークレイのSchool of OptometryのStarkという先生のところです。ここは検眼医学部なんです。半分工学部で半分医学部みたいなところです。
 そこの下見も兼ねて,5月にCHI '89に行ったんです。そのころには,VPLも少しまともな会社になっていて,展示ブースも出していました。HMDもあって,'Virtual Reality Arrives'と書いてあったんです。正確にはRB2システムは6月の発売なんだけれど,学会の展示会というので事前に出してたんですね(写真2)。
  バーチャルリアリティという言葉はそれまでなかったのですか。
 廣瀬 なかったですね。いい言葉だから,僕らもすぐそれを使おうと。アイフォンもすぐに注文しました。7月に納品を見届けて,すぐアメリカに向いました。慌てて買って1年間眠っていたことになりますが(笑)。
  マイロン・クルーガーの『Artificial Reality』という本が先にあったんじゃないですか。
 廣瀬 僕らがその存在を知ったのは,VRの登場より後ですよ。留学中は時間があるから,それを全部読んだんです。自慢じゃないけれど,全部読破した数少ない洋書の1つです(笑)。
  じゃあ,VRが一気に広まった記念すべき年に本場で過ごされたんですね。
 廣瀬 サンフランシスコやシリコンバレーは近いし,ものすごく盛り上がっていましたね。すごかったですよ。日本もほぼ同時発火ですが,騒々しさは日本どころの話じゃなかったと思います。
  日米のタイムラグはかなり小さかったですね。90年にはもうテレビや雑誌でさんざん取り上げられていました。このCIFシリーズで松下電工のシステムキッチンやATRの臨場感通信を体験しに行ったのが,91年の後半でした。わずか2年足らずで応用までが出てきてたんですから,すごいスピードです。
 廣瀬 服部桂さんが『人工現実感の世界』を書いていたのが,ちょうどその頃です。日本に帰ってきたら翌日電話がかかってきて,「取材させろ」って。どこで調べたんだか,さすがジャーナリストです(笑)。
  91年の発行です。私も含めて,ほとんどの人があの本でVRを勉強しましたね。学会誌の解説や論文よりも,ずっとリアルで面白かった。
 廣瀬 舘先生と一緒に作った『バーチャル・テック・ラボ』(工業調査会,1992年)って本あったでしょ。
  少し後ですね。大抵同じ話題が出ていました。
 廣瀬 スタートはそっちの方が早かったんですよ。出るのが遅れて抜かれてしまった。だから,大学の先生に本を書かしちゃいけない(笑)。
  スピードじゃジャーナリストには負けますよ。廣瀬先生の『バーチャルリアリティ』(産業図書,1993年)はさらに後でしたが,しっかりした単行本ですね。
  私も勉強しました。
  よくあんなブームで引っぱり廻されておられる中で,あれだけの本を書かれましたね。普通,売れっ子の先生からまともな本は出てこないんですが,当時から感心していました。
 廣瀬 一度,まとまった本が書きたかったんですよ。自分のオフィスで書くのは苦手で,ほとんど喫茶店で書きました。
  一番ホットな年での留学体験がその情熱のもとだったんでしょう。
 廣瀬 何しろすごい時期でした。帰る年の2月か3月にSanta BarbaraでVRの会議があり,トム・ファーネス,マイロン・クルーガー,スコット・フィッシャーなどの有名人も一同に集まった。NASAのスティーブ・エリスはバークレイに講師で来ていて,そんな雰囲気の中で何が話題で何が問題なのか一気に分かった。英語は上手くなくても分かるんですよね。
 そういう意味では,昔のスタイルの海外留学を体験してしまったわけです。向こうの面白い文物を見て,それをもとにしてというか…。
  貴重な原体験ということですね。

 触ったり歩き廻れるリアルさへ

  その後はどういう研究に進まれたんでしょうか?
 廣瀬 当初は,HMDをかぶってグローブをはめて,それなりに嬉しかったんですよ。だけど,すぐ飽きちゃったんです。なぜかっていうと,写実的なリアリズムが全然ないからです。「バーチャルリアリティってのは,一番リアリティがないね」と誰かに言われた。
  CGの表現能力には限界があるし,HMDの液晶デバイスの解像度は悪いし…。
 廣瀬 そこで全周型で写実的なリアリティが出せるバーチャルドームを作ったんです。テレプレゼンスは普通実写ですよね。それなら,実際のカメラで撮った映像を仮想のドーム・スクリーンに貼りつけて,HMDで眺めまわそうと考えてシステム(図<1)を作ったんです。
  これはかなり早い時期でした。立体視にはされなかったんですね。
 廣瀬 できなくはなかったけれど,まずこういう実写で広視野のものを作ってみたかった。今ならネットワークでつないで,動画だって見られますね。このバーチャルドームで実際にデータを入れてみて気がついたのは,全周というか半球状にしても,上の方はほとんど見るものがない。空ばっかり(笑)。プラネタリウムならそれでいいんだけど,下も入れたいなと。結局,この絵(写真3)のように上に45°,下に27°の形に落ちついたんですよ。完全に足元までは見えませんが。
  イマーシブ・ディスプレイと実写映像系のご研究がその後も続いているわけですね。
 廣瀬  CGのポリゴンで満足しないというのは,田村さん達のところも同じでしょう。
  先生からかけていただいた最初の言葉は「似てますね」でしたよ。私はアチコチで廣瀬先生の研究センスが抜群だと言い触らしているんですが,あれは自分を褒めていることになるのか(笑)。
  触覚のディスプレイもやっておられたみたいですね。
 廣瀬 触覚や力覚も大事だからやろうって騒いだんです。機械系なんだからロボット技術は得意なはずで,もっとそれをやろうと。いま豊橋技科大にいる広田先生が,僕のところのドクターコースにいたんです。彼もいろいろなものを作りましたね。
  その辺りは羨ましいですね。画像処理屋も昔はコンピュータにいろいろなI/O機器をくっつけるのが好きだったんです。いつの間にか,1人1台のワークステーションをもつことが目標になり,皆プログラムしか書かなくなってしまった。会社に入ってからは,ソフト系が弱いということで,OSやGUIに強い人間を育てすぎて,モノをいじれる技術者がいなくなってしまいました。
 廣瀬 そうなんですよ。モノづくりは一見VRと対極にある技術のように見えて,VRの研究者がやっている内容は極めてリアルなんです。触るとか歩き廻れるといった感覚は,それまでのコンピュータ技術にないものでしょう。いまVRの研究者にとって何が必要というと,お金も要るけれど,もっと欲しいのはスペースですよ。CAVEはその典型ですけれどね。

 映像のほら穴作り

  CAVEというのは大型の壁面ディスプレイで囲った空間ですね。
 廣瀬 もともとはイリノイ大学の研究グループが作った装置で,3m×3mの背面投写型のスクリーンを前・左・右・床に置いて立体映像を投影してたんです(図2)。言ってみれば「映像のほら穴」ですよ。
  廣瀬先生はいち早くCAVEに注目されて,「次はこれだ」っておっしゃってましたね。今度はCAVEとの出会いを聞かせて下さい。
 廣瀬 1992年のSIGGRAPHがシカゴであって,その展示会にイリノイ大学の連中が出してたんです。
  CAVEの論文は,1年遅れでSIGGRAPH93の論文集に載っていました。
 廣瀬 2時間も並んでやっと入れたんです。すごかったですよ。イリノイ大学だけじゃなく,サンマイクロも同様なほら穴形立体映像システムを出していた。圧倒されたのはクオリティなんです。最初が4Hzの立体視だったから,僕らはクオリティに対するコンプレックスをずっと持っていたわけです。だけど,本当に実用にしようとすると,あるクオリティを越えないと駄目だと思っていたし,その仕掛けが必要だと思っていた。
  この場合も問題意識をもっておられたから,すぐ高い評価をされたんですね。
 廣瀬 東電との共同研究だって,初めから大画面路線だったんです。3次元空間の文字が読めないようなHMDは使わなかった。視野角を広く取りたいと思っていながら,平面どまりで終わっていた。何で考えつかなかったかというと,日本だからでしょうね。そんな空間がどこにでもある訳じゃなかったから…。
  早速,六本木か何かでやっておられたでしょう。
 廣瀬 CGでも立体映像でもないけれど,とりあえず実写映像を前・左・右・上の4面に投影できるのを作りました。あとで「はいれるテレビ」って名づけました。六本木の超一等地のアークヒルズの地下にこれを置かせてもらった。都市環境のシミュレーションということで場所を貸してくれたんです。
  装置より場所代の方が高いくらいでしょう(笑)。その後,東大に本格的なCAVEを作っておられるんですね。
 廣瀬 会計年度上はもう動いていることになっているんですが(笑)。設計やり直したり,土木工事からやったりで結構時間がかかってるんですよ。
  私は昨年ミニCAVEを体験させてもらったんです。本物を体験してから,このインタビューだと良かったのですが。
 廣瀬 でき上がったらご案内しますよ。
  オリジナルの4面に対して,天井もつけて5面もあるらしいですね。
 廣瀬 さっき下が重要だと言ったけれど,じゃ上は本当に要らないか,というと棄てられない。都市計画の場合には空の情報って結構大事なんです。高層の建物に囲まれて圧迫感がないか,パッと見て分かった方がいい。床があると町を歩いている時の地面が描ける。それで5面で行こうっていうことになった。
 最初は気楽に考えていたんです。もともとは4面だった。それを気が変わって,突然5面にした。「ゴメンナサイ,5面にします」って(爆笑)。設計全部やり直しで,冗談じゃすまないんですけれど。

 総長直属の梁山泊

  これ(写真4)が,CGで描いた完成予想図ですね。
  部屋が中に浮いているみたいですね。
 廣瀬 床だけなら映像は上から反射できるけれど,天井をつけたから床を持ち上げるしかない。そうでないとプロジェクタの置き場所がないからです。
  話には聞いていても,CAVE体験した人はまだそう多くないでしょう。いま世界中で何台くらいあるんでしょうか?
 廣瀬 10台位でしょう。どこまでCAVEと呼ぶかにもよりますが…。CAVEはイリノイ大学のトレードマークなんです。本当は,ソフトも含めて彼らの方式を導入したものだけがCAVEと名乗れるんです。イリノイはMosaicで痛い目にあったから,CAVEの権利はしっかり守ろうとしているんじゃないかな。
  じゃ,東大のは別の名前にするんですか?
 廣瀬 そろそろ愛称をつけなくちゃと思い,いま学生に名前を募集しています。SPACEだとか,CABINがいいとか,煙草みたいだけど(笑)。
  東工大のはNet VROOMと言ってたみたいです。
 廣瀬 ここでは名前のことは置いておくとして,イリノイ大学の本校とNCSAに各1台。国立研究所に2ヶ所。CAVEの開発者の女性研究者が独立して,アイオワ州立大学でも作ってた。ヨーロッパに2ヶ所。日本では東大,東工大,今度NTTが新宿に作ったICCにも入ったはずです。岐阜県も作ろうとしていますね。
  イタリアにもあるみたいですよ。VRAISのビデオ集で見ました。イリノイ大の名前も謝辞に入っていました。それとも,あれは本家の装置を利用した映像作品だけだったのかな?
  東大のはどういう用途に使われるんですか?
 廣瀬 共同利用の実験装置なんですよ。総長直属のIML (Intelligent Modeling Laboratory) というのが管理元で,農学部の敷地にあります。扱いとしては風洞や大きな水槽なんかと同じで,いろいろな分野の先生に開放するんです。流体力学の数値計算結果とか分子構造とか,味もそっけもないものを見せることになるでしょう。
  元祖イリノイ大学もサイエンティフィック・ビジュアリゼーションが主目的でしたね。
 廣瀬 ああいうものを作るとすぐコンテンツ論議になりがちですが,極めて古い工学部的な利用でいいと思っているんです。むしろ,学生の梁山泊になるとか,学科の壁を越えて異分野の先生方がプロジェクト方式で集まれるとか,そういう場になればいいなと考えているんです。
 文字通り皆さんが没入されればいいですね。

 VRは外転した脳だ

  EPCOTでの衝撃から始まってCAVEに至る歴史を一通り聞かせていただきました。ここらで,VRの意義を再考することにしましょうか。
  最近のご本では,「電脳都市」や「メディア重工業」と書いておられますが,それをもう少し詳しくお願いします。
 廣瀬 研究を始めてしまってから,自分達が何をやっているのか考えてみたくなるじゃないですか。93年頃から自分の心理分析を始めたんです。VRは,人工知能学会などでもよく話をしろと言われるんです。AIの研究者とは距離的には近いですよね。でも,議論していて何か咬み合わないことがしばしばあるわけです。そこで,本質的な違いがあるんじゃないかと考え始めた。
 AI研究は,ずっと賢いコンピュータを作るのがテーゼだったわけですよ。なぜ賢くしたいかというと,コンピュータを脳だと考えている。コンピュータを人間の代行する存在とするには,この代理の脳を賢くしなきゃいけない。
  脳の機能そのものは分からなくても,人間の知的活動をモデル化し,それをシミュレートしようという考え方でAI研究が進められてきました。
 廣瀬 それを否定するわけじゃないけれど,VRは人工の脳味噌を作ろうというものではない。ヒューマンインタフェースは道具であって,自律的に動くコンピュータの研究とは目的が違う。そういう結論に達したんです。
  AIとHIは,方法論には互いに学ぶべきものがあるけれど,目標そのものは違いますね。
 廣瀬 そこで「さらば脳よ」って話をした。これは結構勇気のいることでね。周りが脳だ脳だ,知的だ,インテリジェントだと言っている中で,「そんなものいらない」っていうわけでしょう(笑)。じゃあ,脳をメタファとして考えないなら,VRにとってのコンピュータは何なのかというと,活動する空間じゃないかと。
ブレンダ・ローレルの『劇場としてのコンピュータ』って読みました?
  スタンフォード大学のブックストアで見つけて買ったけれど,何だかよく分からなかった。変な本ですね。いまは日本語訳も出ています(写真5)。
 廣瀬 僕もよく分からなかったけれど,そういう言い方があるならば,もう少し一般的に「空間としてのコンピュータ」とも言えるんじゃないかと。
  その空間というのは,3次元空間なんですか?それともインターネットのような情報空間ですか?
 廣瀬 もっとボヤーっとした,自分が活動できる場所とか…。
  入り込める,動き廻れるといった感覚でしょう。
  環境ですか?
 廣瀬 そんな感じですね(笑)。脳に対する空間,そんなことを考えているうちに,養老先生の話を聞いたんです。
  NHKの『脳と心』に出演されてた養老孟司先生ですね。『涼しい脳味噌』なんてエッセイ集もありますよね。
 廣瀬 面白かったのは,「都市が脳だ」という話です。都市というのは空間として存在しているわけで,養老先生によると,それが脳なんだと。どうしてかというと,人間の作り出したものは,すべて人間の脳が考えたものだからだと。これ,面白いでしょ?
  それじゃ,人工物は全部脳なんですか?
 廣瀬 人間の知的営み,その結果生まれたものは,皆脳が転化したものであると。都市や都市を構成する人工物は,脳を映し出す鏡のようなもので,これが養老先生の「脳化都市」なんです。僕は,これを聞いて嬉しくなってたんですよ。脳と空間に関連ができたと。
 もう1つ,アフォーダンス理論もそうですね。あの考え方だと環境の中に脳がある。空間にドライブされる恰好で,我々の知的活動が行われる。その意味では空間は我々の第2の脳なんです。VR技術が作る仮想空間は,脳をべろんと外側に折り返したようなもの,「外転した脳」だと言ったんです。
  その言葉は,昨年お聞きして気に入って,私もよく使っています。ちゃんと「廣瀬先生のお言葉で…」とクレジットを入れていますが(笑)。
 廣瀬 普通,脳といったら内部の世界のことですよね。空間は自分の外側の世界ですよね。XとXのような関係だから「外転した脳」という言葉を使ったんです。
  そう,それで提案なんです。いまこの話題で本を書いたらベストセラー間違いなし。題して『脳外革命』(笑)。

 情報には重さがある

 廣瀬 空間をコンピュータで作るというけれど,さっき話したCAVEなどは,実空間を作っているのか仮想空間を作っているのか,分からなくなってきてます。あれだけ大規模で高精度なものを作ろうとすると,重厚長大型の技術が必要となってくる。CAVEをやってみて,つくづくそう感じたんですよ。
 情報技術は軽薄短小の代表で,80年代はそれがもてはやされたでしょう。でも,空間型の情報処理を本格的にやろうとすると,建築技術のような重厚長大型というか,重工業型の技術が支えなければ実現できないんです。
  何が違うんでしょうね。設計の方法論ですか?
 廣瀬 我々がCAVEを作ろうとした時に,まず映像から考えますね。強度計算からは入らない。画質とか表示速度とかを気にして,建物の構造とか耐久性は考えませんね。
  どんな形をしてようと映りゃいいんだと。
 廣瀬 ところが,先の話で4面を5面にしたときも,持ち上げた床面1つとってみても,これは強化ガラスを使うしかない。それだけでコストがぐんと上がってしまったんです。大きなスペースが要るというので,天井をとってしまった。大空間の中にCAVEが浮かんでいて,後からCAVEの床を作る設計になっている。この後から作るというのがものすごく大変だということが分かり,そんなことなら建物の床を抜いておいた方がはるかに簡単だったんだと。
  建物全体を吹抜けにせず,下から投影する部分だけ地下にすりゃ良かったということですね。
 廣瀬 スクリーン会社もフレームの強度計算はするんですが,今回のようなのは初めてだと言われてしまいました。情報は重さのないピュアな存在だと考えたがるけど,現実の世界と関わりだしたとたんにそうじゃなくなるんです。
  どういう意味ですか?
 廣瀬 図書館の建物は情報を入れる建物でしょ。本は重いから,普通の建物よりはるかに強くなくてはならない。発表用の資料も,沢山作ってOHPシートにして持ち歩いたら重くて仕方ない(笑)。
  ディスクの中にあるものをプリントアウトしようとするとえらく時間がかかるし,紙の使用量もどんどん増えていますね。
 廣瀬 昔からコンピュータ・ルームには大規模な空調が入っていますね。一般オフィスのコンピュータの発熱量もバカにならない。いまや知識集約型産業というのはエネルギーを食うんですよ。
 実際,東京電力は夏の電力需給ピーク時に,コンピュータルームの温度を1〜2度上げてもらうことも検討しているんです。つまり,世の中の電力供給に影響を及ぼすほどコンピュータはエネルギーを消費する存在なんですよ。製鉄所に比べれば軽薄短小でも,シグマの量で利いてくるので全体としては相当なもので,電力会社も脅威に思っています。
  コンピュータが速くなる,ストレージが大きくなるのに任せて情報を蓄積していると,本当に活用しようとした時に問題が出てくるということなんですね。
  いまの話で,「相対論のパラドックス」を思い出しました。光速に限りなく近く運動すると時間はほとんど経過しない。そこで,光速で宇宙を一廻りして地球に帰ってくると,宇宙飛行士は年をとっていないから浦島太郎になってしまう。
  いつまでも若いのはいいですね(笑)。
  そうはならないという説もある。光速移動中は確かに地球から見ると時間は経っていなくても,減速して地球上に着陸する間にその分の時間が一気に経過するんだという。竜宮城の玉手箱みたいなものです(笑)。
 廣瀬 聞いたことありますね。
  それと同じで,膨大なディジタル情報をDBシステムやハードディスク内にせっせと貯めこんでいるうちはいいけれど,アナログ世界に持ち出して見ようとすると,その分の負荷がどっと出るんだと。重さもあるし,熱も出る。サイバースペースからバック・トゥ・ザ・リアルワールドすると,物質的つけが全部廻ってくる(笑)。
 廣瀬 意識しなきゃならないのは,我々は現実世界にいることです。我々の動いている原理は,現実世界の中の原理だということでしょう。

 爆発的ヒットは難しい

  これからの行末を占うのに,これまでのVRの進歩をどう評価されますか?イベントのアトラクションとしては,VRはやや飽きられてしまった。思ったほどHMDは普及しなかったけれど,それでいてテレビゲームは驚くほどリアルになった。
 廣瀬 商社やメーカーの人が思うほどにあのタイプのHMDは広まらなかったかも知れないけれど,いいセンスのアプリケーションも出てこなかったですね。画質的にはまだプアですが,それが解決したから爆発的に広がるという問題でもないでしょう。
 ゲームについていえば,リアリティは上がったといっても,まだ映画なみのクオリティにはなっていない。じゃあ,映画なみのゲームができたなら皆がやるかといったら,それは別の問題です。こういう議論は技術の枠をこえているでしょう。
  同感ですね。爆発的というのは,技術的な進歩と経済的効果と,それに社会現象のような複合要因が重なりあって初めて生まれるんでしょう。新聞記者とか企業経営者は,すぐそこへ至るシナリオを求めたがりますが(笑)。
 廣瀬 「たまごっち」みたいに突然ということもありますが…(笑)。やりたい内容ははっきりしていて,それに向けての技術開発は順調すぎるほど順調だと思いますよ。ただ,VRブームの初期の頃にイメージしたものとは少し違うかも知れない。
  ともあれ,HMDとグローブでという初期のスタイルが,そのまま形で伸びるとは限らなかったと。
 廣瀬 その一方で,テレイグジタンス体験らしきものは,驚くほどの勢いで伸びているでしょう。カメラとPHSをつないだりして,いとも簡単に遠くへ映像を送れるようになった。
  インターネットが起爆剤です。インターネット経由でライブ映像がどんどん発信されています。遠隔地のカメラもブラウザから制御できます。そっちも私の本業の1つですが…。
 廣瀬 考えてみたらすごいことで,それが当たり前に思えて,VR関連の人達はその変化に気づいていないという面もあるんです。
  このCIFシリーズでは,「サイバースペース」をVR的な3次元空間体験とインターネット的な電子社会体験に分けて対比的に考えているんですが…。
 廣瀬 VRを狭い意味で捉える必要はないですよ。VRはイマーシブで3Dで,というのは1つの実現形態に過ぎない。でも,技術者は1つの方向で高いレベルの体験を目指して研究して行かなきゃと思うんです。いまのインターネット程度で満足していたら,技術はそこで停まっちゃいますからね。
  分けているのは,現状の分析と発展の方向性を見定めやすいようにと考えているからです。インターネットの世界ではVRMLも出てきたし,VR分野でもテレイグジスタンスはもともとネットワーク利用を考えていた。2つの境界はそんなに明確じゃないとは思っています。

 仮想と現実のポジティブな混ざり方

  順調すぎる技術開発では,廣瀬先生はどの辺りを目指しておられますか?
 廣瀬 さっきもお話しした空間型情報処理ですね。一旦,コンピュータの中に空間が作られると,外界の情報を積極的に取り込みたくなってくる。そして,我々の住む実空間との関係が密になってくるんですよ。仮想と現実が入り乱れてくるというと,かつては,VRに浸り切ってしまうオタクみたいな子供が沢山出てくるって問題視されましたね。あれは,仮想と現実が区別できないというネガティブな混ざり方。
 一方,ポジティブな混ざり方があることが分かってきた。現実世界の中に情報技術が入ってきて,のぞきメガネで見ると現実世界であると同時に,コンピュータの世界であるというのが一般的になってくるでしょう。Augmented Reality や Mixed Realityという考え方です。
  リアルとバーチャルの融合は,次の大きな課題のようですね。私たちもそこを目指していますが,廣瀬先生のお考えを聞かせて下さい。
 廣瀬 Augmented Realityが注目されるようになったのは,コンピュータで作れる仮想世界の限界が見えてきたからでしょう。自然環境がもつ情報量は多く飽きがこないのに対して,人工的な空間は単調で情報がリッチじゃないんですよ。情報に深みがないというかな。リアルな世界からデータを仮想空間に取り込むAugmented Virtualityの考え方は,映画でもゲームでも盛んに用いられ始めたでしょう。モーションキャプチャもその類なんですよ。実世界の情報密度の高さを知り,それを利用しだしたということだと思いますよ。
  実世界から取り出して,貼りつけて,動かせるだけのコンピューティング・パワーが備わってきたからだとも言えますね。リアル空間とバーチャル空間を重ね合わせるとなると,問題となるのは空間的な対応づけでしょう。
 廣瀬 我々は「ここ」といって場所を指し示せるけれど,それをコンピュータに理解させる方法が要るんです。3次元位置センサのテクノロジーは,空間型情報処理で大きな意味をもってくると思います。さっきのモーションキャプチャもそうだし,もっと身近なところでは,カーナビに使われているGPSもそうなんですよ。自分の絶対位置を知ることができるということは,画期的なことじゃないかと思うんですよ。
  廣瀬先生は,GPSのもつ重要性を力説しておられますね。
 廣瀬 いまは「ここ」といっても,それを固定できないけれど,近い将来GPS座標系で言えるようになる。時間だとグリニッジ標準時があって,「いま何時?」といった時に答えられるのと同じことです。
 今では誰でも腕時計をしているけれど,昔の人には考えられないことだった。腕時計を身につけることによって,いつでもどこでも時間が分かるようになり,生活も仕事も一変した。つまり時間軸の中で自分の絶対時間を知る方法を手に入れたんですよ。同じようにGPSの精度が上がれば,空間的な絶対位置の計測機能が腕時計並みになる。本来時間軸と空間軸はリンクしているはずなんです。
 これが手に入れば,コンピュータに規定される世界と,何の制約もない生の世界が一緒に存在して,それが関連づけられるんです。そういう意味で混ざるというのはいいことなんです。
  これまでHMDにポヒマス・センサをつけていたけれど,今後はクルマだけでなく人もGPSセンサをつけて街を歩くんですね(笑)。

 これからのシナリオはマルチ

  まだちょっとイメージが湧きにくいですね。イメージしたとしても,また違う発展の仕方をするんでしょうが…。
 廣瀬 そもそも未来へのシナリオは,どれをとっても常にマルチなんですよ。未来予測というのは,その時見えている技術の延長線上でしかやらないからはずれる。
例えば,20世紀の初頭にジャンボを夢見た人達がいたわけです。彼らにとっては,それは飛行船のスタイルで,巨大飛行船が世界の空を舞うとイメージしてたんです。その次の時代なら,空中戦艦ヤマトですよ。でっかいヤマトが空飛んで,敵地を爆撃すると皆思ってたはずです(笑)。
実際はそうじゃなくって,ミサイルだか人工衛星だか,別の凄いやり方で達成できることになる。かつての技術で外挿した形にはならなかったというのは,むしろよくあることで…。
  古い枠組みの中で予測しても,未来は見えてこないということですね。
 廣瀬 さっき話したEPCOTセンターへ,3〜4年前にまた行ってみたんです。10年振りくらいでね。そしたら,まるで面白くない。「俺,どうしてこんなのに感動したんだろう」って(笑)。少し考えてみると「未来都市」「未来の交通」「未来のエネルギー」として描かれていたものが,苦笑してしまうくらい古いんです。つまりあれは「過去から見た未来」だった。一部は新しくしているんでしょうが,基本的枠組が変わっていない。
  そうでしたね。人類の歴史やエネルギーの発達なんかはよく出来ていましたが,未来生活の描き方がひどかったです。
 廣瀬 昔,テレビで見た『サンダーバード』。あれですよ。10数年前に作ったSF映画っぽくて。
  『2001年宇宙の旅』だってそうですよ。その当時の技術を使うから,描き方にも限界がありますね。
 廣瀬 ともすればわれわれがイメージしがちな未来都市は,ああいう感じなんです。手塚治虫のマンガに書かれてたような(笑)。
  固定観念でものを見てしまうんですね。
 廣瀬 コンピュータのイメージ,情報処理のイメージもこれからかなり変わって行くと思いますよ。新しい文化やライフスタイルを生み出して初めて,VR技術が世の中に受け入れられたと言えるんじゃないですか。
  本日はどうも有り難うございました。
(1997年4月16日収録)

エピローグ

 今回は,先生の書かれた『電脳都市の誕生』(PHP研究所,1996年)を勉強して,インタビューに備えました。お話しは,話題が豊富で楽しく,インタビューの予定時間もあっという間に過ぎてしまいました。やっぱり本よりも現実体験ですね。リアルタイムでの対話は,情報としての深みが違います。それを会話文にして,どれだけ読者の皆様にお伝えできたのかが心配です。
 バーチャルリアリティという言葉以前からの研究スタンスを伺って,廣瀬先生の先見性に改めて感心しました。そして,これからの技術の方向性については,「未来へのシナリオはマルチ」というお言葉がとても印象に残りました。この分野はいま急速に進展中ですから,「サイバースペースの未来像」は何百通りにも書き得ることでしょう。
 その中でなるべく正しいイメージを描くためには,正しい情報の整理が不可欠です。私たちのこの連載では,その一助となるような整理と分析を試みてみたいと思います。
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付録 SFX映画時評
 ■スター・ウォーズ《特別篇》(20世紀フォックス映画)

 『フォレスト・ガンプ/一期一会』で,ILM (Industrial Light & Magic)社はケネディ大統領やジョン・レノンの記録フィルムと主役のガンプ(トム・ハンクス)の合成シーンを成功させた。この時から,あらゆる過去の映像作品が新しい素材となったのである。同時に,次はきっとかつての名作がディジタル技術でリメイクされて出てくるだろうなと思った。そして,それは予想通り,ILMの名を世に知らしめた『スター・ウォーズ』だった。
 1977年の作品だから,もう20年にもなる。すごい衝撃だった。映画をこんなに面白く作れるのかと,その制作手法に感心した。監督のジョージ・ルーカスは,当時まだ33歳。その才能の輝きと,それを生かしうるハリウッド映画界の懐ろの深さにもアメリカらしさを感じた。
 この映画が,いまのハリウッドを駄目にしたという声もある。大作主義とワンパターンなアクションの連続が,映画人の心を蝕んでいるという。その是非はともかく,ディジタル映像技術全盛時代に,SFXの代表作である『スター・ウォーズ』をリメイクして再登場させるとは,大した商魂だ。
 親が見た想い出の名作を数十年後にリプリントし,次の世代の子供達に再公開して稼ぐというのは,ディズニー・アニメの得意技である。『スター・ウォーズ《特別篇》』は,ディズニーランドの「スターツアーズ」を楽しんだ若者にも,ディジタル技術によるリメイクだというだけで違いを確認したくなるオールドファンの心にも訴える。実に賢い商売だ。
米国では,1月末の特別篇第1作の公開の後,第2作『帝国の逆襲』,第3作『ジェダイの復讐』を1ヶ月おきに再公開し,たちまち大ヒットとなった。他の映画会社は,話題作をこれに対抗させるのを諦め,公開を延期したという。
 日本でも,かなり早目から3作セットの鑑賞券や,メイキング・ブックの再発売など,興味を惹く見事なまでの営業戦略だ。新刊の『ジョージ・ルーカス伝/スカイウォーキング《完全版》』(ソニーマガジンズ)とやらの帯に,「なぜルーカスはスター・ウォーズ《特別篇》を製作したのか?」とあるので買ってみたら,1983年発行の本の再訳で,特別篇のことは何も書いてなかった。ここまでくると詐欺に近い。
とりあえず,旧作のビデオを見直してみた。これまでにも何度も見たが,今回は5年ぶりである。いま見ると何とも古めかしい。ビデオの画質のせいもあるが,明らかにかなり昔に作ったSF映画だと判ってしまう。
例によって,メイキング本で注目ポイントを予習してから試写会に臨もうとした。ところが,今回の試写会は1回しかやらないので,我々のような似非映画評論家(?)の席までは用意してくれなかった。ジョージ・ルーカスの指定の音響設備でしか上映できないので,試写会にも劇場を借りなければならないからだという。仕方がないので,一般公開を待ち1800円払って見ることになった。

 これもまた「過去から見た未来」

  やっぱり古いなと感じてしまいました。廣瀬先生と同じで「この映画に昔どうしてそんなに感動したのか」と…(笑)。
  私は結構楽しんでしまいました。でも,リメイクのせいじゃなく,ストーリーとキャラクタ設定の良さだと思います。音の迫力もすごかったです。3Dの感じがよく出ていました。
  ルーカスご自慢のTHXサウンド・システムですね。音響効果もディジタル処理で作り直したというだけあって,最新作のレベルに達しています。それに比べて,視覚効果の方は時間と金をかけた割にはイマイチでした。
  小動物と怪獣と乗り物を書き加えた程度でしたね。画質的にもちょっと違和感があるので,すぐ分かりました。怪獣の動きも,『ジュラシック・パーク』の恐竜にそっくりでした。
  あなたに見破られるようじゃ,しれてるなぁ(笑)。
  付写真1は,第3作にしか出てこなかったジャバ・ザ・ハットとハリソン・フォード(ハン・ソロ役)の共演場面ですね。このシーンが追加されたということは,未使用のフィルムが残っていたのですか?
  シナリオにはあったので一応撮っておいたのでしょう。そこへCGのジャバを登場させたんです。今じゃ恐竜が描けるんだから,これくらいは当然です。
  インターネット時代にジャバはぴったりですね。
  それはJava。こちらはJabbaですよ(笑)。
  全体として昔の作品だと感じてしまうのは,どうしてなんでしょうか?
  まず1つはフィルムのせいでしょう。退色はディジタル処理でそこそこに復元できても,もとのフィルムの粒子そのものが粗いんです(付写真2)。今はフィルムの品質が格段に改善されています。
  なるほど。画質の良いシーンと悪いシーンの差も,気になりました。
  大道具や小道具の材質の違いも影響あるでしょう。駆動装置の精度やプラスティック成型技術などが向上しているから,表現力も豊かになっているんです。
  帝国軍兵士のコスチュームなど,いかにもゴツゴツしていますね。当時の宇宙飛行士の服みたいです(笑)。
  注射器や押しボタンなどの小道具も,まだ予算が少なくて市販品を使ったせいか,時代を感じさせますね。今ならCG技術が物理的にないものまで描いてしまいます。この映画のセールスポイントの1つであった光線銃は,オプチカル処理というフィルムへの多重露光を使って合成していたんです。今なら当然CGを使っているところです。
  確かにそういった合成シーンは特に画質も悪かったようです。表現技術で作った時代を感じてしまうんですね。
  想像の自由度に表現技術が制約を課してしまうんでしょう。表現できそうにないと,想像力の方も湧いてこないとも言えます。
  この映画もやはり「過去から見た未来」なんですね。
  今回のインタビューのテーマ通り,映像技術がもっと進歩すれば,未来はもっと何通りにも描けることでしょう。
  そうしたら,またまたリメイクして新特別篇が出てくるんでしょうか。
  これまで特撮映画評をやってきましたが,もうちょっとハリウッド流の大作主義,キャンペーンには飽きてきましたね。
  この3部作の公開期間中に,『ジュラシック・パーク』の続編『ロスト・ワールド』も公開予定だそうですよ。
  ILM社の技術がリメイクと新作でどれほど違うのか,やっぱり見ちゃうのかなぁ(笑)。

ホスト&アシスタント
Dr. SPIDER(田村秀行)&Yuko(若月裕子)
[(株)MRシステム研究所]

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