コンピュータイメージフロンティアIII
電脳映像空間の進化4

Tangible Bits:サイバースペースと人間との
物理的な接点

ゲスト:石井 裕
(MIT メディアラボラトリー)

 プロローグ

 今月のゲスト石井裕先生は,3月号の「番外編 マルチメディア:峠の群像5」でもご紹介した通り,MITメディアラボで大活躍中の,今もっともクールな研究者です。お名前は,グループウェアやCSCW(Computer Supported Cooperative Work)分野でよく知られていますが,最近はTangible Bitsと称する新しいテーマで華々しくご研究中とのこと。サイバースペースと私たちの実存する世界とのインタフェースについての斬新なアプローチということで,お話を伺うのを楽しみにしていました。
 このシリーズのゲストはいずれ劣らぬ論客揃いなのですが,石井先生の機関銃のような早い語り口には,Dr.SPIDERで慣れてるはずの私もビックリ。同じ収録時間でも,データ量で倍はあろうかというテープ起こしには,随分時間がかかってしまいました。
 では,いつもよりも一段と中身の濃い議論をお楽しみ下さい。
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 AIの洗礼も受けた

 Dr.SPIDER メディアラボへ移られて,ますますヒューマンインタフェース分野の寵児としてご活躍中の石井さんが,今回のゲストです。
 今日語っていただく「タンジブル・ビット」(Tangible Bits)は大きな話題となりそうなコンセプトですが,やはりかつてのTeamWorkStationやClearBoardの話から入っていただきましょう。
 Yuko CSCWに興味を持たれたのは,いつ頃からですか?
 石井 裕 NTTに入社したのが1980年です。まだ電電公社の時代で,横須賀電気通信研究所でした。その頃から,電気信号の通信ではなく,人間同士のコミュニケーションを研究したかったんです。まだCSCWやグループウェアという言葉も全くない頃です。
  CSCWシンポジウムの最初は1986年でしたよね。
 石井 MITからロータスに移ったアイリン・グライフが,CSCWという言葉を作ったんです。それ以前からEメールによるコラボレーションはあったし,Computer Mediated Communicationという言い方もしてたけれど,CSCWの名の下に研究者達が一堂に会したのが86年です。
  グループウェアはどうなんですか?
 石井 グループウェアという言葉も85〜6年頃から使われだしていました。
 僕は,84年頃から電子メールを使ったワークフローシステムに興味があって,人々の間のドキュメントの流れを半自動化したり,フローを追跡するシステムを作ってたんです。グラフィカルに帳票の流れを記述して,電子メール機能を使って分散型コンピュータに解釈・実行させるシステムで,CookBookというんです。
 その頃は,AIや知識ベースの全盛で,まだ若かったから,AIで何でもできる,世界を記述することでコンピュータが何でも支援してくれるのだと信じていました。
  情報分野の研究者なら,必ず一度はその洗礼を受けてますね。
 石井 実際は,オフィスの業務は例外だらけで,予め記述した知識通りに動いてくれるわけじゃない。例外事象が起きても,目的が分かればその問題を回避する別のプランが立てられると思っていたけど,それが甘かった。
 MIT教授のカール・ヒューイットが言ったように,オフィスは「オープンシステム」だからすべてを予測できるわけじゃない。一方,テリー・ウィノグラードは,‘Understanding Computers and Cognition’という名著の中で,合理的に人間の行動の理由をすべて説明できるという仮定はナンセンスで,我々人間の行動の多くはirrationalだと言っています。この2つの知見に触れて,なぜ自分のシステムに限界があるか分かったんです。
  オフィス業務は比較的定型的と言われるけれど,それでも,現実の仕事はAI流の知識表現で扱えるほど単純じゃなかったということですね。

 批判してもらって光栄です

 石井 このある意味での失敗から,コンピュータを使うということに関して,自分は手段と目的をはき違えていたんじゃないかと考えるようになったんです。それじゃ,一切の知識表現も記述もせずに,場だけを提供することで一体何ができるんだろうかと。これが,TeamWorkStationの出発点なんです。
  互いの手元を写すビデオカメラからの映像を重ね合せるのでしたね(写真1)。作業空間がビジュアルで共有されているという…。
 石井 アイデアは単純でそれだけなんです。カメラはイメージをキャプチャするだけで,コンピュータはビデオイメージの出力機械に過ぎない。ポイントは,何の解釈もしないで単に映像の合成だけで,他に何の制約も構造もないということです。
  いつ頃思いつかれたんですか?
 石井 88年に着想を得て,89年にインプリメントを終えて,90年のCSCW'90という国際会議でデビューしたんです。
  評判はどうでした?
 石井 非常に好評でした。シンプルな原理だけど,それまで誰もやってなかったことを,名前も知られていない日本人がやって来て…(笑)。プレゼンのスライドにも力を入れたし,ビデオもたくさん用意して行ったんです。
  AIのコンセプトとかセオリーは日本人は弱いけれど,見せれば分かるビジュアルなものは得意ですね。
 石井 英語で説得力のある議論はできないけれど,一発アイデアで見せられるものは訴えやすいんですよ。
 それでも,分かりやすいと,今度はまともに批判も来るんです。面白いのは,コンピュータ・サイエンティストからの批判で,「コンピュータをコンピュータとも思わない失礼な使い方だ。コンピュータの持つインテリジェンスをまるで使ってない」と(笑)。また,データベース理論の高名な研究者からは,shared workspaceというけれど,おまえのやっているのはsharedじゃないと。
  DB屋のいう共有は,統一的に管理していて,共通のプロセスでアクセスできるということでしょう。
 石井 共有というなら誰もが変更できなきゃいけないという。TeamWorkStationでは,それぞれのレイヤがセパレートされていることは自然であり,他人のメモを僕が勝手に消すなんてナンセンスですよ。変更して欲しいなら持主にそう頼めばいい。考え方の違いで面白かったですけれど…。
  DBアクセスの基本は,トランザクション処理で,実時間で対話しながらデータをシェアするなんて概念はないからでしょう。
 石井 ビデオ屋さんからは,普通映像を重ね合せるのは汚くすることで,トンデモナイと言われた。コンピュータ屋とビデオ屋の両方から批判してもらって,大変誇りに思っていますが(笑)。
  TeamWorkStationは確か商品になっていましたね。
 石井 はい。あまり売れませんでしたが(笑)。将来通信費が安くなって膨大なデータが送れるようになった時,それをどんな風に仕事に使えるかという問いの1つの答えにはなってたんでしょう。かつて,ワークフローをテキストベースのEメールで処理するCookBookをやっていた頃は,「それじゃ,トラフィックは増えないよ」と当時の部長に言われてましたから(笑)。
  NTTとしては,B-ISDNによるマルチメディア通信を大いに吹聴している頃だったから,格好のネタだったんでしょう。
  テレビ会議の研究グループとの交流はあったんですか?
 石井 影響は受けてます。でも,テレビ会議屋さんはトーキング・ヘッド(talking head)を見せることを中心に考えていた。それじゃビデオの魅力は十分に出せない。僕のは,トーキング・ヘッドを超えたリアルタイム・ビデオの新しい使い方を見せたというのが価値だったんでしょう。
 テレビより劣るものは許せない
  お互いのレイヤを大切にして,かつ重ね合わせるというアイデアをもう一歩進めたのが,ClearBoard(写真2)ですね。
  ワークスペースと顔を合わせる空間をシームレスに統合しようという触れ込みでした。
 石井 デスクトップ・メタファ,マルチウィンドウに毒されていた自分への自己批判から,新しい空間のインターコネクションのメタファをNTTの同僚だった小林稔君と一緒に探して,「ガラス板」のアイデアにたどり着いたんです。これは,91年にインプリメントを終えて,CHI'92に投稿して非常に高い点数をもらいました。
  こうやってCSCWの世界をリードする面白い研究をやってこられて,今はちょっと別の方向に向かわれたんですが,現状をどう評価されますか?マルチメディア時代だというのに,期待されたほど同期系のビデオ通信は伸びなくて,非同期系のビジネス用グループウェアばかりが広まっています。
 石井 ビデオ通信はまだコスト的に高すぎて,こうすればビデオが生きるという決定打が出てこない。TeamWorkStaitonを商品化した時も,顔はなくてもいいから,もうちょっと安くならないかと言われた。コストが大きなネックで,ブレイクスルーが出てこないんだと思います。
  PCベースでそこそこ安いのも出てきているけれど,今一つですね。インターネット上で動くCU-SeeMeはタダだけど,やはりそう一般的にはなっていませんね。
 石井 皆不満なんですよ。テレビが世の中の映像品質のスタンダードで,それよりクオリティの低いものは許せない。普段肉眼では見ることのできない遠い天体の映像を見る時には意義を感じても,見慣れた顔の映像にお金を払う気にはなれない。テレビ電話は何度も話題になりながら,いつも十分に盛り上がらず,あのAT&Tもさんざん失敗した。
 これに対して,ロータスノーツやWWWを用いたイントラネットの非同期系のグループウェアは,Eメールやスケジュール管理と結びついて,いま,ものすごい勢いですね。しばらくは,こっちがメインストリームでしょう。くやしいけれど(笑)。
 通信コストも含めて,タダ同然に使えるようになった時,我々の提案したアイデアがいつか採用される時が来るんじゃないかと…。
  そうかなぁ。最大公約数をねらって一般的な概念でアプローチするから,中途半端になっている。限られた世界の同期型でも,コストパフォーマンスが合う応用はあると思います。もっと金持ちのユーザをねらえばいいのに…(笑)。
 石井 お金持ちと言えば,医療,金融ですね。確かに一般的なオフィスのフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションにエネルギーを傾注しすぎて,ワークスペース,ワークコンテンツを考えることをおろそかにしていたといえます。
  CSCW屋は哲学的な論議が好きで,具体的に役立つところまでアプリケーションを仕上げてこなかったんじゃないかと感じます。
 石井 それは同感です。

 白黒テレビ時代のPDA

  では,そろそろメインテーマの「タンジブル・ビット」のお話をしていただきましょう。
  CSCWから,どうしてこのテーマになったのかあたりから…。
 石井 メディアラボに移った時に,ネグロポンテ所長から,今までと違った新しい仕事をしろと言われたんです。それで,どうせ新しいことをやるなら,リスク覚悟で大きなビジョンを示そうと思いました。考えてみれば,今のGUI(Graphi- cal User Interface)の源流は30年くらい前からあって,ほとんど進化していない。
  皆,マルチウィンドウにビットマップにマウスで…。
 石井 それをくつ返すコンセプトとして,「タンジブル・ビット」と言い出したんです。で,話の初めに出す写真はこれ(写真3です。子供の頃の写真で,脇にソロバンが置いてある。
  石井さんのホームページにも貼ってありますね。2才で既にPDAを使っていたと。
  どういう意味なんですか?私には分からなかったんです。
 石井 だってソロバンは,パーソナルに使えて,典型的なディジタル表示で,計算をアシストしてくれるでしょ。
  そうですね。でも,PDAというと,ニュートンとかザウルスみたいな携帯情報機器を想像してしまいます。
 石井 それこそ,今の閉塞状態にあるGUIそのもので,ソロバンの方がはるかに多機能で,子供にとってイマジネーションが湧く素晴しいツールですよ。計算するだけでなく,楽器にもなるし,電車やバスのような乗り物のオモチャにもなるし,背中を掻くのにも使えるし(笑)。
  楽器ですか?
  昭和30年代では,立派に楽器でしたよ。トニー谷はこれを奏でて一世を風靡したんです。
  何ですか,それは?
  あなたの生まれる前だから,知らないだろうなぁ。ボードビリアンで,ソロバンを指で弾いてリズムを取りながら唄って司会をしてた。
 石井 私は覚えてます。白黒テレビで見た記憶が…。
  白黒テレビも知りません(笑)。
 石井 パーカッションとして使えるということは,触れる感覚があり,音として感じるものがあるということです。ソロバンの名手の思考プロセスは研究テーマとしても面白い。
  暗算は,視覚的パターンとして覚えている。
 石井 本来の機能としても,入力デバイスであり,ディジタル表示器であり,メモリでもある。
  今でいう,マルチモーダル・インタフェースですね。
 石井 そうですね。もう一つ覚えているのは,昔,母が家計簿をつけている時,ソロバンをはじく音が聞こえた。子供心に遊んでくれとは言い出せない状態だと分かる。バックグランドで聞こえる音が,アウェアネスを伝えるメディアであり,インタフェースになっているんです。
  西洋人はソロバンなんて知ってますか?
 石井 見たことはあるみたいです。東洋から来たもので,触れる感覚の楽しさを説明するのに好都合なんです。じゃ西洋には,こういう工芸品で文化的な物がないのかというと,いっぱいある。例えば,ドローイング用の道具です。図面を書くためのペンや定規は,木や真鍮でできていて,手に馴じむように作られている。
 また,この前ハーバード大学のミュージアムに行ってみたら,昔の科学器具がたくさん展示してあった。時を測ったり,天体の運きを予測したり,計算したりする様々な工芸品とも芸術品ともいえる文化的遺産がこんなにあったのに,どれも今じゃ学校や仕事場から消えてしまっている。皆,パーソナル・コンピュータに置き換ってしまったのです。
  ドローイングやペイント用のツールといえば,パソコン・ソフトだと思いますね,今じゃ。
 石井 子供たちがあたり前のように楽しんできた,あの指で触れる自然な感覚を取り戻したい。それが,「タンジブル・ビット」の発想なんです。

 次はビーイング・フィジカル

  アイコンとマウスに特化しすぎた今のコンピュータに対するアンチテーゼなんですね。
 石井 そうです。いまのPCのGUIは抽象化し過ぎなんです。もっとも,Xerox PARCからアルトが出てきた時には,それはそれでびっくりしました(笑)。それまで,ビットマップディスプレイなんて見たことなかったんですから。
  私は,ディジタル画像処理屋だったから,画素ベースで考えることは当り前だった。むしろ,オーバーラッピング・ウインドウの方に驚きました。複数の画面が欲しいと思ったけれど,3台くらいディスプレイを並べておくことしか思いつかなかった(笑)。でも,デスクトップ・メタファという考え方は,個人の事務処理をアシストするのは良かったかも知れないけれど,今はコンピュータやネットワークが扱う世界がもっと広がってますね。
 石井 インターネットでつながってしまって,我々は,今では現実世界にいると同時にサイバースペースにも存在しているんです。このパラレルな存在の間を取りもつインタフェースが,ビットマップ・スクリーンとマウスだけじゃ情けない。我々人間はphysical beingであって,サイバースペースから溢れ出てくる膨大なビットストリームを受け取めるには,四角いフラットなディスプレイだけではアンバランスすぎる。マウスで情報をクリックするだけではなく,直接情報に手で触れる,肌で感じる,この感覚を取り入れたかったんです。
  それが「タンジブル」なんですね。
 石井 そうです。「ペインティッド・ビット」から「タンジブル・ビット」へ,GUIからTUI(Tangible User Interface)へというのが,僕らのぶち上げたスローガンなんです(図1)。ビットからアトムへの回帰と言い換えてもいいです。
  トニー谷の次は,鉄腕アトムか(笑)。
  「タンジブル」は,日本語にはどう訳すんですか?
 石井 「触れることができる」とか「感じられる」とか「実体のある」とか,辞書には載っているでしょう。
  「いじれる」は駄目なんですか?
 石井 空気はいじれるのかなぁ?手触りだけでなく,風の流れとか,日射しとか,小川のせせらぎとか,自然界から得る情報は,皆この感覚なんですよ。僕も,初めはgraspableを使っていたんです。それじゃ余りに狭くて直截的すぎると批判を受けた。そしたら,帰国子女の人から「石井さんの言いたいのは,tangibleということじゃないのか」と言われたんです。
  tangibleはgraspableを包含して,もっと広いんですね。
 石井 触れて感知できるタクタイル(tactile)な感覚で,水も空気も含めた直接的なインタラクション。
  触って感じる,肌に感じる…。
  何か,いやらしく聞こえますね(笑)。

 玉はころころ,ロープはゆらゆら

 石井 こうやってブチ上げた「タンジブル・ビット」というビジョンですが,具体的に触れる物をインタフェースにしようという考えと,もう1つ人間が周辺知覚として感じる部分に,音や光や風の流れといったアンビエント(ambient)なメディアを使おうというのがキーコンセプトです。
  「アンビエント」って何ですか?
 石井 周りを取り巻くというか…。環境全体をインタフェースにしたいという願望から,「アンビエント・メディア」という言葉を使っています。
  全く馴染じみのない言葉ばかり登場させますねえ(笑)。
  ずばり日本語では,何ですか?
 石井 うーん,弱ったな…。今は思いつきません。グリコです。
  えっ!?
  「お手上げ」ってことでしょう。ほら,ランニングシャツ着て,両手を上げて走っているあのマークですよ(笑)。グリコ・森永事件も迷宮入りで,お手上げでしたね(笑)。
 石井 言葉はともかく,我々が大いに啓発された事例が先にあったんです。我々の研究は後でお見せするとして,こっちを先にご紹介しましょう。
 1つは,デュレル・ビショップというアートの学生がデザインした‘Marble Answering Machine’という作品です。外から電話がかかってきて,メッセージが録音されると,マーブル,マーブルチョコレートのマーブル。これがコロっと出てくる。この玉をつまみ上げて電話機にセットすると,音声のメッセージが聞こえる。返信のところへ置くと,自動的にダイヤルして発信者へつないでくれる。この玉は,物理的な存在であり,それでいて形のないボイス・メッセージに1対1に対応している。情報を物理的に具体化しているというか…。そのコンセプトが,我々のいうgraspableにピッタリだったんです。
  コンセプトだけで機械はないんですか?
 石井 マクロマインド・ディレクタで表現したコンセプトの他に簡単なプロトタイプが作られたと聞いています。
 ビットがアトムに対応しているから,玉を別の電話機のところへ持って行っても聞ける。「玉を失くした」と言って,伝言を忘れた言い訳にもなる(笑)。そういう存在が,このタンジブルなマーブルです。
  そういえば,マーブルチョコのおまけにアトムのシールがついてました。中学生の頃,随分集めたもんです。
  ???
 石井 私も一生懸命集めてました(笑)。
  それは知りませんが,そのチョコは今でも売っています。
 石井 で,これは物理的な存在だから,3ヶ月家を留守にして帰ってみると,部屋中マーブルだらけで,足の踏み場もなくなっている(笑)。そんなブラックジョークもあるんです。
 もう1つは,ナタリー・ジェレミエンコというアーティストの作品で,Live Wireと言います。8フィートのビニール・ロープが天井から張ってあって,回転するディスクの先にこのワイヤがぶら下がっている。イーサネットを流れるパケットのトラフィックの量に応じてモーターが廻り,ワイヤがぐるぐる廻り始める。そうすると,空気が揺れて音が出る。空気のバイブレーションから,コンピュータやネットワークの利用状況が分かるわけです。
  システムの管理者は,いちいちターミナル上でログを見なくても,稼動状態が分かるということですね。
 石井 これなんか,バーチャル世界の出来事をフィジカルに表現して,アンビエント情報として流している良い例です。ナタリーがXerox PARCに滞在した時に作った作品で,この仕事には,大いに影響を受けました。
 では,我々のグループでやったmetaDESKとambientROOMのビデオを見ていただきましょうか。

metaDESKのビデオ・デモ
 Tangible Geospaceのファイコンは,実際の建物の模型です。何も表示されていない机にドームのファイコンを置くと,そこを中心とした地図が写し出されました。ファイコンを机の上で移動すると,それに連れて地図も瞬時に動きます。これならウインドウの横や下のスクロールバーをマウスで動かすよりも,ずっと使いやすそうです。
 もう1つの建物(メディアラボ)を置くと,今度は2つの建物間の距離と位置に応じて,地図の縮尺が変化したり,向きが回転したりします。こんなにスムーズに地図の映像が変化するのは,やはりコンピュータが速くなったおかげですね。2つのファイコンを持って自由自在に操っている様子はとても気持ち良さそうで,ビデオからも「タンジブル」の感じが伝わってきます。
 小型ディスプレイでできたアクティブ・レンズは,両脇を手で持って机の上部の空間を動かせます。丁度,そのディスプレイ面の方向から見た空中からの3次元シーンが映し出されます。位置や向きを変えると,まるでMITキャンパスの上を空中散歩している感じです。自分で操縦して動かせる感覚が面白そうです。
 なるほど,metaDESKの応用としては,とても良くできたシステムと感じました。でも,この大仕掛けの机はオフィスワークには向かないようですね:-p。
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 ウォークスルーはジョギング・シューズで

  metaDESKのメタってどういう意味ですか?
 石井 「デスクトップ・メタファ」をメタファとして作った机だからです。一種の語呂合わせみたいなものですね。デスクトップ・メタファのアイコン,ハンドル,ウインドウの概念をフィジカルな世界にもってきたからです。
  アクティブ・レンズとパッシブ・レンズの意味もよく分からないです。
 石井 パッシブ・レンズは,ただのガラス板ですが,虫眼鏡のように使えます。環境がインテリジェントであると,レンズのある場所が分かって所望のイメージを写し出せるんです。一方のアクティブ・レンズは,6次元のポインディング・デバイスがついているLCDスクリーン。2次元の地図を3次元の鳥瞰図に変換して眺められます。
  放っておいて映るのが「パッシブ」で,自分で何かを映し出せるから「アクティブ」なんですね。
 石井 そうです。デバイスが,ただのガラス板なのか,LCDスクリーンなのかで主体性が違ってくるんです。
  「ファイコン」と「ファンドル」も,そんなに機能が違うように思えないんですが…。
 石井 もともとは別なんです。MacのGUIだと,プログラムそのものを示すのがアイコンで,マックドローを開いて,四角とか丸とかを掴んでリサイズするのがハンドルです。操作する取っかかりのあるものですね。アイコンの物理化ということで「ファイコン」を思いつきました。しかし,これは物理的な実体をもっているがゆえに,ハンドルとしてのアフォーダンスももってしまう。ハンドルとアイコンという抽象世界では別の概念が,フィジカルな世界では不可分のフュージョンを引き起こすことが分かってきました。
  これをバーチャルリアリティ(VR)の世界に持ち込めませんか?いま,どんどんフォトリアリティも上がっているし,イマーシブ・ディスプレイも盛んです。
 石井 フルバーチャルな世界のリアリティが上がろうと,どうインタラクションしようと,掴むという感覚が大切で,物を表現するファイコンの方に興味があって…。
  Tangible Geospaceは電子化した地図というバーチャルな存在を肯定しているんですよね。触るところだけ自分の実体験と近いものをいうのなら,イマーシブなディスプレイの前でタンジブルなものを掴んでインタラクションするという手もあるんじゃないですか。
 石井 そういう発展性もありますね。でも,データグローブはフリーハンドで空気を掴むような空しさがある。もっとタクタイルな感覚が欲しいんです。
  対話デバイスとして抽象化したことに意義があったんだと思いますが,タンジブルな感覚はうすいですね。じゃあ,操縦桿をもってウォークスルーやフライバイするのはどうですか。
 石井 それだったらいいです。アクセルペダルを踏むとか,シフトレバーや操縦桿を握るとか,そういうスペシャライズされたインタフェースで運転や操縦する身体感覚,それが大事だと思うんです。
  本格的なフライトシミュレータは,そのタンジブルな感覚を保ってきたと言えますね。
  VRの街をウォークスルーするんだったら,ジョギング・シューズを履いてやりたいです。
 石井 そう,その感覚ですよ(笑)。

ambientROOMのビデオ・デモ
 メディアラボのペットであるハムスター(poopyという名前らしい)がカゴの中で車輪を回しています。するとambientROOMの中にあるマウス型のファイコンが振動しだしました。自宅のハムスターが運動しているかどうかが,オフィスにいながらにしてわかるというわけですね。このマウス型のファイコンを天井のアンビエント・ディスプレイに近づけると,今度は天井に波紋の影が揺らぎ始めました。情報の出力先が変更されたからなのです。天井のアンビエント・ディスプレイには,浅い水槽がついていて,上から光が当たっています。ビット情報の変化によって浮子が引っ張られ,水面に波紋を生じさせているそうです。凝っていますね。
 次は小さなガラスのボトルのファイコンです。コルクの蓋を開くと,車の騒音の音が鳴り始めました。このボトルの中にネットワーク・トラフィックの情報が入っているのです。コルクの蓋を閉めると,また静かになりました。ただのボトルに見えるのに,どうやって蓋の開け閉めがわかるのか不思議です。
 最後に出てきたのは時計です。これもただの時計じゃありません。時計の針をぐるぐる回すと雨音がしてきました。この音はその時刻のメールの量を表しています。ザーザーと雨の降る音がする時は,メールがたくさん届いていたということになります。また,この時計は照明と連動していて,時刻によって光の方向が変わります。これなら窓のない部屋にいても,時の経つのが自然に感じ取れるわけですね。
 こんな部屋も悪くないなと思いました。
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 メディア・ラボは「王様のアイデア」

  面白いですね。お話だけでなく,こういう物というか,部屋まで実際に作ってしまわれるんですから,すごいですね。
  私もこのお仕事には感心しているんですよ。実は,私は先日訪問した折,実物を見ているんですよ。バックグラウンドからの情報というか,部屋全体のフィーリングというか,そう「アンビエント」なんですね(笑)。この感覚は,ビデオで見ても絶対に伝わらない。絶対にこの中に座って実感してみないとダメなんです(笑)。
 石井 身体全体がインタフェースということで,檜のバスタブも考えているんです。水流や温度調節可能なものを作って,全身で北米の天気の変動を肌で感じたりできる。
  この前見た変てこな筒(写真4)は何ですか?
 石井 レインスティックです。サボテンの枝の中に,石とか砂とか貝殻を入れた南米ペルーの楽器です。傾けると中の粒が流れて,それが雨が降っているような音がするんです。あれを傾けるのはタクタイルで面白いんです。発想を得るための道具として,こうした色々なおもちゃで遊んでいます。
  探してこられるだけでなく,新しいおもちゃも作っておられるんですね。
 石井 物理とか化学に造詣があって,センサとか材料レベルで遊んでしまう「アトム・ハッカー」がMITには何人もいます。コンピュータのハッカーは「ビット・ハッカー」。彼らは「アトム・ハッカー」です。電磁波で硬くなったり柔らかくなったりする液体とか,バイブレーションとか…。
  まるで「王様のアイデア」ですね(笑)。
 石井 そうです。変なものを一杯作っているんです。
  面白いんですが,この研究はそれでもディスプレイに制約があり,そこがネックになるという気がします。
 石井 まさにその通りで,ものすごくスペシャルです。
  現実世界で昔から使っているものをそのまま使える時はいいけれど,それだけじゃ足りない。サイバースペースにはものすごい種類の情報で溢れかえっているので,それを馴じみの深いどのディスプレイに変換するのか,マッピングの方法が問題になるでしょう。
 石井 だから,余計に面白くて,難しい研究対象がまだいっぱいある。ゼロからその文法を作らなくちゃならない。誰も今まで真剣にそういうことをやってこなかったから,我々はハーフ・クレイジーというか…。
  クレイジーというより,むしろまともな探究心でしょう。我々の子供の頃,石とか縄とか,そういう物だけで色々な遊びをしましたね。ああいう感覚というか,知覚のようなものは,どんどん廃れていってるでしょう。従来のサイエンスの枠組では説明できないかも知れないけれど,技能の世界にヒントがあるような…。
 石井 これからは,Art & Science, Art & Technologyで考えるべきなんです。アーティストから学ぶものはものすごく多くて,感性に訴えるメディアは,サイエンスの根拠があろうが,なかろうが…。
  数学は自然界を近似して表現するツールに過ぎないでしょう。数式や論理式は万能でないとしても,事例ばかりじゃ進歩はないんで,やはり一度抽象化,一般化するという行為は必要だと思います。
 石井 まだコンセプト,フレームワークのレベルで,僕らはいま例を作って見せている段階です。最終的に従来のサイエンスの枠組に入らなくても構わないと思っています。
  ニューサイエンスを作られたらいいんじゃないですか。それくらい大きなトレンドになるコンセプトだと思いますよ。

 所長さんは寛大

  新しいアイデアいっぱいの夢のあるテーマを聞かせていただいたんですが,この「タンジブル・ビット」の意義をもう少し広い観点から整理してみたいと思います。
  サイバースペース内の情報を小さな四角いディスプレイの枠の内に閉じ込めておかずに,物理的なインタフェースとして捉えようという考え方ですね。でも,サイバースペース内は騒がしすぎて,閉じ込めておいた方が静かでいいこともあるんじゃないですか。例えば,電子メールは自分で開いて見ない限り出てこない。うっかり,音や風の流れにしてタンジブルにしてしまったら,うるさくて仕方がない。郵便受けにどうでもいいDMがたまるだけでは済まずに,はね廻ってたりする感じで…(笑)。
 石井 さっきの3ヶ月たまったマーブルですね。ドアを開けたらどっと溢れ出てくる(笑)。あらゆるものが,勝手にエージェントによってマッピングされてきたら,それは騒がしくてどうしようもないです。何をどういう風にコントロールするかは,ユーザ自身が自分で規範をもつことでしょう。
  溢れ出して目立った方が好都合な場合もあるでしょうね。個人の感性に訴えるのがタンジブル・ビットだということは,それだけ個人の好みもあるわけで,使い方が難しいですね。
 石井 カスタマイズが容易でなければ誰も使いませんから,そういった視点からの検討も要ると思います。
  では,その個人の嗜好の問題は解決できるとして,こうした物理世界に立脚するという考え方は,Augmented Reality(AR)やUbiquitous Computingのコンセプトに通じるものがあると思うのですが,そこは如何ですか?
 石井 「タンジブル・ビット」もある種のARですよ。でも,シースルー眼鏡でCG映像を重ね合わせるのとは,もともと目指すものが違っていると思います。
 一方のマーク・ワイザーのUbiquitous Computing。これもARの一種で,現実世界のいたる所にCPUを埋め込んでしまおうという考え方ですね。これはこれで素晴らしい新しいパラダイムを与えたと思うけれど,やっぱりいまのGUIを引きずったままで,コンピュータだけ隠そうとしている。僕らは,この考えを超えなきゃいけないということで,それとは一線を画したTUIを主張しているんです。
  「タンジブル」というのは,ビットじゃなくて,アトムなんだということですね。これは,ネグロポンテ所長の『ビーイング・デジタル』に対する真っ向うからの反論なわけですね。
 石井 あの本がバカ売れで,ビット礼讃,ディジタル礼讃の傾向が強調されましたが,何か根本的におかしいんじゃないか。ビットはアトムにtransduceされない限り人間には感じられないのに,ディジタルということだけでhypeしてしまっている。ずっとそう思ってたんです。
  Hypeってなんですか?
 石井 盛り上がっているという意味です。
  所長さんに逆らって平気なんですか?
  ウチは恐ろしいと言いたいんでしょ(笑)。
 石井 ニコラス・ネグロポンテがすごいのは,いまのディジタル・テクノロジーへの大きな時代のうねりを,10年以上前に予見したことです。グランド・ビジョンを出しつつ,色々なものを可視化して世の中に見せた。Demo or Die,見せられないなら死んじまえということで,一発派手なデモで打ち出す。しかし,その実用化については,産業界の役割だと割り切っているようです。
 彼のもう1つのすごさは,同じような金太郎飴的人間は集めようとしない。共通のゴールも示さない。アトム・ハッカーがいて,ビット・ハッカーがいて,アーティストがある。意図的にカオス状態というか,るつぼ状態を作り出して,そこから独創的なアイデアが出てくることを期待している。
 だから,僕みたいなのが勝手なアプローチをやることは,むしろ奨励されています。
  それがcenter of excellenceのもつ見識,実力というもんでしょう。
 石井 実は,ニコラスもメディアラボも,少し前からドラスティックな方向変換をしているのです。
 ‘Things That Think’というコンソーシアムがあって,ディジタル中心の発想から我々の物理世界に近いところまで戻ってきている。だからこそ,アトム・ハッカーがメディア・ラボのあちこちにいるんです。それだけ,新しい方向に向けて既に大きくハンドルを切ったということですね。『ビーイング・デジタル』はその前の時代の総決算なのかも知れません。
  なるほどね。最近よく聞くWearable Computerなんてのも,メディア・ラボならではの新しい話題ですね。
 石井 世の中はこれから「ディジタル」で盛り上がる。その間に我々は,物理世界との新しい幸せな結婚,ビットとアトムの幸せな共同生活を考えていきたいと思っています。
  どうも有難うございました。
(1996年12月16日収録)

エピローグ

 連載の4回目,インタビューとしての出番は3人目の扱いにしたが,収録は最も早く,昨年12月の石井氏の帰国時のことである。内容のバランスから回を遅らせたのが主たる理由だが,もう一つ,この内容の学会での公表が3月のCHI'97(於アトランタ)だったからでもある。その影響を聞いてから載せたいと考えた。
 果たせるかな,前評判は高く,会場は満員で立ち見もあったようだ。そして,本文にも名前が出ているゼロックス社のマーク・ワイザーからは,「21世紀の技術を予感させてくれる素晴らしい研究だ」と絶賛されたという。
 そうだろう,そうだろう。私の見立てに狂いはなかった。必ず大きな反響があると,ambientROOMに入った時から思っていた。このインタビューは,その反響以前のまだ素朴な石井氏の語りである。かえって,その中には,この新しいコンセプトへの素直な情熱が込められていると感じられる。
 こうしてまとめ直してみると,先月の廣瀬通孝氏と何かと共通点が多いと感じる。実際の語り口調や業績はまるで違うのだが,コンピュータ,メディア,ヒューマンインタフェース等 に対する基本的姿勢に近いものがあるのだろう。先端技術をやるなら,面白いことをやりたいという点では完全に一致している。
 メディアラボというメジャーな存在に,石井氏のパワーが乗った形で,これから次々と面白い研究成果が出てくるに違いない。注目されればされるほど,好循環を生むことだろう。楽しみに見守りたい。
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付録 SFX映画時評
 ■『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(ユニバーサル映画)

 先月号のこの欄で予見した通り,やっぱりILM(Industrial Light & Magic)社の実力のほどが気になって,『ロスト・ワールド』も『スター・ウォーズ/帝国の逆襲《特別篇》』も見に行ってしまった。
 予想通り,第1作の『ジュラシック・パーク』よりも恐竜の種類も迫力も登場場面もぐーんとアップしている(付写真3)。4年間でSGIワークステーションのパワーもアップしたから,その分CG映像だって作りやすくなっていて当然だ。それは十二分に実感できる。
 『スター・ウォーズ《特別篇》』で書き加えた怪獣なんて,『ロスト・ワールド』の恐竜たちに比べれば,学芸会の作品みたいなものだ。ILMにしてみれば,ちょいとしたアルバイト感覚で作ったんじゃないかと思えてしまう。『帝国の逆襲《特別篇》』のリメイクもその程度の出来栄えだった。一方,こちらの恐竜たちの迫力,動きはすごい。技術的というより,技能的なところで一段と磨きがかかったと感じる。
 しかし,ただそれだけなのである。単独で評価すれば,パニック映画としては高得点を取れるだろう。でも,007や『ターミネーター』のように,第2作の方が上出来という訳には行かなかったのである。
 第1作で死んだはずのイアン・マルカム(ジェフ・ゴールドブラム)を生き返らせ,主人公にした意味が表われていない。マイケル・クライトンの原作が,複雑系やカオス理論をテーマにするため,この天才数学者を復活させてしまったので,それに従わざるを得なかったのだろう。『インデペンデンス・デイ』でもいい味を出していた彼を生かしていないのは惜しい。
 主役はTレックスだが,助演恐竜賞(?)を贈るなら,小さなコンプソグナトス(コンピー)たちだろう。人にまとわりつき,おどけてはね廻る可愛く恐ろしいこの小恐竜の振付けは出色だ。アニマトロニクスとCGを併用していることは分かるが,どこでどう使い分けているのかは素人目には区別がつかない。作品としての評価は☆☆だが,彼らの演技は☆☆☆としておこう。
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 ILM製CG恐竜図鑑

  前作よりも迫力はかなりアップしてましたね。
  そうですか?私は,同じように感じました。初めて見た時が衝撃でしたから…。前作をビデオやテレビでしか見てない人には一度映画館で見るものいいと思います。
  続編の限界ですね。ゴジラにしろ,ジョーズにしろ,パニックものの固定ファンは,続編でも見に来てくれるでしょう。お盆映画だから,お化け屋敷みたいにカップルで行くものいいんじゃないの。
  私は,もっと明るい映画の方が好きです(笑)。2作目はストーリーで勝負しても良かったのに,人物の描き方は貧弱でした。主役は完全にTレックスですね。
  もうCGのモデルデータがあるんだから,そりゃ何度でも登場させられますよ。それもノーギャラでね(笑)。今回は,その分の開発パワーは新しい恐竜作りに向けたんでしょう。そうすれば,また第3作でも使えます(笑)。
  それなら,一匹ずつ名前とか,特徴とかをスーパーを入れて解説したら良かったと思います。
  ハドロサウルス,草食,体長4〜12m,ずんぐりとした恐竜で300もの臼歯を持つ,といった感じですか。恐竜図鑑ですな(笑)。今回は,技術的革新性はなかったけれど,レベルは確実に上がっているし,またまたILMの実力を見せつけられたというところですね。

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