O plus E VFX映画時評 2025年7月号掲載

その他の作品の論評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


(6月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『私たちが光と想うすべて』(7月25日公開)
 題名に拘る当欄であるから,まずその話題から入ろう。GG賞の監督賞,非英語映画賞のノミネート時点でどんな映画か気になっていた。極めて詩的な題名で,これがインド映画だとは思えなかったからである。邦題は英題『All We Imagine as Light』のほぼ直訳だが,邦題の方が香り高い。プレス資料にあった「多種多様な光がスクリーンから零れ落ちる」「世界中に光を届ける新たな傑作かがこの夏,日本を照らし出す」なる惹句に痺れた。国内配給会社の担当者の言語センスに感心した。そして映画全編が,文字通り繊細な光と洗練されたサウンドに溢れた映画で,見事に「詩的」な逸品であった。
 舞台は大都市のムンバイで,世代や境遇,性格も異なる3人のインド人の女性の物語である。看護師をしているプラバ(カニ・クスルティ)は有能な看護師で,職場での信頼も厚く,仕事一筋の毎日だった。親が決めた相手と結婚したが,ドイツで仕事を見つけた夫からは1年以上も連絡がなかった。生真面目な彼女に対して,ルームメイトとして同居する若い同僚看護師の(アヌディヴィヤ・プラバ)は陽気で,心から通じ合う関係ではなかった。アヌにはイスラム教徒の恋人シーアズ(アジース・ネドゥマンガル)がいたが,異教徒との結婚は親が許さないので,周りにも秘密にしていた。3人目は病院の食堂で働く年長の調理師パルヴァティ(チャヤ・カダム)で,高層ビル建築のために自宅からの立ち退きを迫られていたが,亡夫が残した居住証明書が見つからず,苦境に立っていた。弁護士に相談したが,勝ち目はないという。
 病院内な様々な出来事が描かれる中で,ドクター・マノージ(アジース・ネドゥマンガル)はプラバに優しく接してくれた。雇用計画が満了したドクターは他の土地に移る前に,プラバに想いを告白したが,彼女はそれを受け容れることはできなかった。裁判で争うことを断念したパルヴァティは故郷の村に戻ることに決め,プラバとアヌはその旅に同行する。そして,神秘的な森や洞窟のある海辺の町で思いがけない出来事に遭遇し,自由に生きたい彼女たちは人生を変える決意をする……。
 監督・脚本は,ムンバイ生まれのパヤル・カパーリヤー。複数の短編で注目を集めた後,初長編はドキュメンタリー作品で,本作が長編劇映画のデビュー作である。高層ビル建設が進む中で平均的庶民の生活水準はまだまだ低い大都会ムンバイの大雑踏から映画は始まり,素朴なラトナギリの浜辺の小屋でのラストまで,様々な光を映像美として表現している。同時にこの「光」が,「自由,希望,夢,未来」を象徴する言葉として使われている。なるほど,カンヌ国際映画祭グランプリ受賞の他,100以上の映画祭でのノミネート,25の受賞は伊達ではない。
 インド映画のイメージを一新する映画であった。映画の大半はムンバイ(旧名:ボンベイ)が舞台だが,所謂「ボリウッド映画」(ヒンディー語の商業映画)ではない。出演者は全員インド人俳優,撮影はすべてインド国内だが,映画国籍はフランス,インド,オランダ,ルクセンブルグで,欧州中心の資本調達で製作されている。歌って踊り,エンタメ中心のボリウッド資本の基準なら,こうした詩的な映画は作られなかっただろう。

■『エレヴェーション 絶滅ライン』(7月25日公開)
 次は「詩的」とはほど遠く,「恐怖」「凶暴」「戦慄」「凄惨」といった二文字の方が適したサスペンス・ホラー映画だ。原題は単に『Elevation』だが,「昇進」「高尚」の意味ではなく,本作では「海抜」「標高」の意味で使われている。監督はマット・デイモン主演作『アジャストメント』(11年6月号)で監督デビューしたジョージ・ノルフィで,同作の準主役であったアンソニー・マッキーが本作の主演である。また同作のヒロインであったエミリー・ブラントの主演作『クワイエット・プレイス』(18年9・10月号)のプロデューサー,ブラッド・フラーが本作でも製作を担当するという因縁の映画だ。『クワイエット…』シリーズとは酷似したプロットなので,同シリーズのファンなら楽しめること保証付きである。
 同じく,ある家族が正体不明の怪物から逃げ延びるサバイバル映画だが,今回の怪物リーパーは音に反応するのではなく,臭い,呼吸,熱等の多彩なセンサーで人間を検知し,瞬時に襲いかかって殺害する。その一方,標高2,500m以上には絶対に上がって来ないという特性がある。この怪物が突如出現して,人類の95%が死滅して3年,残る5%の人類がそのライン以上の山岳地帯に追いやられて暮している状況で物語は始まる。
 怪物に襲われた妻を失ったウィル(A・マッキー)は息子ハンターと,コロラド州のロッキー山脈の2,640mの高地にあるロスト・ガルチ保護区の集落で暮らしていた。肺疾患がある息子の酸素フィルターが残り僅かであることから,麓のボルダーまで降りて調達しようとする。彼は鉱夫だった頃に使ったパイプ状の鉱山トンネルを使って移動する計画を立てたが,途中何度か危険地帯を通る。怪物退治方法を研究する科学者ニーナ(モリーナ・バッカリン)は怪物が発する磁場を検出する計器を開発していたため,ウィルの友人のケイティ(マディー・ハッソン)と共にこの山下りに同行することになる。道中でスキー場や山小屋を経由し,リーパーの襲撃を交わしながら,ニーナのかつての研究所に辿り着く。ここで目的のフィルターを得たウィルは独りで保護区に戻ろうとするが途中多数のリーパーが彼を待ち受けていた……。
 尻尾の長い醜悪な怪物は勿論CGで,『クワイエット…』の怪物よりも出番が多い。危険ラインは元の英語版では8,000ft(2,438m)であるが,日本語字幕では全て切りの良い2,500mとなっていた。その数値でも物語には支障はない。なぜ10cmの違いもなく,ぴったりその標高なのかが不思議であったが,終盤で怪物の正体が判明すると納得が行く。主人公が生き延びることは誰もが予想するが,辻褄合わせがしっかりしているので,恐怖を散々味わった観客は満足感が得られる。
 主演のA・マッキーは,かつて助演が大半で,せいぜい準主演であったが,『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』(25年2月号)での新キャプテン役で見慣れたためか,空は飛ばなくても誠実で逞しい主人公に見えた。随所で登場するロッキー山脈の美しさが絶品で,見事に怪物の醜悪さを補って余りあった。

■『木の上の軍隊』(7月25日公開)
 魅力的な題名で,一体何だろうと思った。太平洋戦争時に,終戦に気付かず,約2年間を木の上の生活を送って生き抜いた2人の日本兵の物語だという。となると誰もが思い出すのは,米領グアム島で1972年に発見された横井庄一氏とフィリピン・ルバング島から1974年に帰還した小野田寛郎少尉である。本作の2人は,山下一雄少尉(堤真一)と新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)であったので,小野田&横井両氏の体験を組み合わせたバデイ物語かと思ったら,こちらも実話だという。隠れていたのはさほど南方の島ではなく,沖縄県伊江島で沖縄本島から9kmしか離れていない。この2人の日本兵のことを知った作家・井上ひさしが書き残した数行のメモが原案で,その遺志を継いで「こまつ座」の2013年初演の舞台劇でこの題名が使われた。
 時代は1945年4月,伊江島には当時東洋一と言われた滑走路をもつ日本帝国陸軍の飛行場があった。既に戦況は悪化と一途であったが,この島を占領すべく米軍の侵攻が始まり,激しい攻防戦の様子が描かれる。もうこれだけで,沖縄戦がいかに悲惨であったかが体感できる。爆撃で母(城間やよい)を失い,親友の与那嶺(津波竜斗)ともはぐれた沖縄出身の新兵・安慶名(あがな)は,上官の山下少尉と合流し,銃撃の中を命からがら大きなガジュマルの木の上に逃げ込んだ。ここまでが約30分で,ようやく映画のタイトルが登場する。
 その後も。食料を求めて時々木を降りる以外は,ずっと木の上に身を潜める生活であった。山下は長期戦を覚悟し,援軍が来るまでその場で待機するという決断をする。恐怖と飢えの耐乏生活であった。4ヶ月後,日本はポツダム宣言を受諾し,終戦となったが,2人はそのことを知るよしもなかった。戦後も米軍は伊江島に駐留し,米軍基地は日に日に大きくなった。基地に捨てられた食料と物資から彼らの生活は落ち着いたが,依然として「2人の戦い」は続いた……。
 見事なまでの反戦映画である。監督・脚本が沖縄出身の平一鉱だから尚更だが,沖縄が受けた大きな傷跡,戦後80年経っても尚も続く屈辱的な扱いに対する想いが込められている。映画撮影はすべて沖縄県内で行われ,その大半は伊江島でのロケであった。印象的な大きなガジュマルの木も,この映画のために島内のミースィ公園に移植されたという。
 他の俳優も少し登場するが,W主演の2人の出番が8割以上だった。2人のサバイバルライフもそこそこ描かれているが,全く戦争体験,育った環境が異なる2人の会話が大半だ。戦争観,人生観が語られ,その対比が興味深い。対立状態はユーモアを交えて描かれ,次第に協力し合うようになる2人の様子は微笑ましい。やがて,山下が故郷に残してきた息子の姿を安慶名に重ねるようになるのはヒューマンドラマそのものだった。堤真一,山田裕貴はともに好演だ。2人とも既に名のある俳優だが,本作は思い出深い作品になったことだろう。

■『事故物件ゾク 恐い間取り』(7月25日公開)
 邦画が続く。言うまでもなく,5年前の『事故物件 恐い間取り』(20年7・8月号)の続編である。『続・事故物件…』とせず,途中に「ゾク」を入れたのがユニークだ。「ゾクゾク」するような恐怖が迫り来る感じを与えようとしているのだろう。監督は引き続きJホラーの旗手・中田秀夫監督であるから,外れはないと保証付きだ。
 原作は「事故物件住みます芸人」を名乗る松原タニシの体験記で,彼自身はまだそれを続けているというから,この5年間の追加体験かと想像してしまう。実際にこの間にシリーズ3作目が出版されている。となると,「売れない芸人・山野ヤマメ」役の亀梨和也もゾク投かと思ったが,主演はリブートされていた。主人公はタレントになる夢を諦めきれず福岡から上京した「桑田ヤヒロ」で,アイドルグループ「Snow Man」の渡辺翔太の映画単独初主演である。お笑い芸人が主演ではなく,普通のタレントを起用するという方針は前作を踏襲している。
 上京したヤヒロは,ひょんなことから知り合った芸能事務所社長・藤吉清(吉田鋼太郎)を頼るが,彼から「事故物件住みますタレント」として売り出すことを勧められる。まだ「事故物件」なるものを知らなかったヤヒロは,不動産屋からそれが何たるを教えられるから,前作を見ていない観客にも親切だ。映画は前作と同様に複数話構成で「必ず取り憑かれる部屋」「いわくつきの古旅館」「降霊するシェアハウス」といった事故物件を転々とし,悪霊に取り憑かれやすいヤヒロに怪奇現象が次々と降りかかる。それをTV出演やSNSのネタに活用した。
 多彩な助演陣が登場するのは,前作の成功からグレードアップしたことを感じさせる。とりわけ,ヒロイン・春原花鈴役は畑芽育が可愛く可憐で,この種のホラーにはぴったりだった。上記3話は,例によって筆者には怖くも何ともなかったが,まずまず標準的なJホラーである。実はメインの第4話が控えていて,内容紹介は箝口令が敷かれている。さすが中田監督と思わせる出来映えとだけ言っておこう。前作同様,原作者の松原タニシも「ある役」で登場する。もう1人,名前を出せない登場人物もいるのだが,それも観てのお愉しみだ。
 筆者にとって残念だったのは,前作で絶品だった大阪の不動産屋のオバちゃん役の江口のりこが見られないことだった。前作の舞台は大阪で,しかも最後に死なせてしまったので再登場は無理なのか…。いや,加藤諒のように別の役で再起用してもいいし,いっそ亡霊役で再登場させるのも面白かったと思う。

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