O plus E VFX映画時評 2026年4月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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(4月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『ソング・サング・ブルー』(4月17日公開)![]()
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素晴らしい音楽伝記映画であった。映画の題名を見た時に,すぐにNeil Diamondのヒット曲を思い出した。若い頃,彼のLPレコードは数枚買っていたし,ベスト盤で何度も聴いた曲だったからである。ただし,この曲にまつわる映画だという確信はなかった。“Song Sung Blue”は「ブルーな気持ちで歌った唄」という意味だが,英語の決まり文句かも知れないし,主人公のそんな気持ちを描いた映画に過ぎない可能性もあったからである。
ところが,やはりN. Diamondの自作曲の題名だった。1972年のヒット曲である。日本での知名度は低いが,米国人なら大抵は知っているかつての人気歌手だ。主演は,『X-Men』シリーズのウルヴァリン役でお馴染のヒュー・ジャックマンだという。なるほど,男くさい野性的なルックスは似ている。抜群の歌唱力も『レ・ミゼラブル』(13年1月号)『グレイテスト・ショーマン』(18年2月号)で証明済みだ。だとしても,なぜ“Song Sung Blue”なのだろう? N. Diamondの最大のヒット曲は“Sweet Caroline”であり,映画ファンはフルCGアニメ『シュレック』シリーズのエンディングに使われていた“I’m A Believer”の方が耳慣れているはずだ。
N. Diamondの伝記映画ではなかった。彼のトリビュートバンドである「Lightning & Thunder」なる夫婦デュオの馴れ初め,コンビを組んでの大成功,2人に起こる衝撃的な出来事を描いている実話ベースの映画だった。既に彼らの音楽活動を描いた同名のドキュメンタリーがあり,それを改めてドラマ化した伝記映画なのである。本作の映画評で,この2人を「中年の物真似バンド」「そっくりさん歌手カップル」と書いている解説があったが,それは全く正しくない。何が違うのか,N. Diamondの曲を聴いたこともなければ,デュオのステージ映像を観たこともない素人評者の戯言であることは後述する。
ミルウォーキー育ちの歌好き青年のマイク・サルディーナ(H・ジャックマン)は「Lightning(稲妻)」なる芸名で長年ステージに立ち,様々な歌手の歌真似をして来たが,既に中年に差しかかり,スターになる夢も潰えていた。いつものように懐メロ歌唱ショーに出演した時,同じような歌手クレア(ケイト・ハドソン)と出逢い,意気投合する。彼女からN. Diamondの曲を歌うことを勧められる。マイクはN. Diamondを敬愛する余り,彼の歌真似はしなかったのだが,「自分の解釈で歌えば」と提案され,目からウロコが落ちる。2人でデュオを組むことになり,彼女は「Thunder(雷鳴)」と名乗ることにした。2人はそれぞれ娘がいるバツイチ同士だったが,まもなく結婚し,夫婦デュオとなった。
前半は2人の出逢いから,ステージでの成功で人気者になる快適な展開であった。後半は,実話らしく,少し辛い物語だった。(少しネタバレになるが)クレアは大事故で車椅子生活となること,2006年にマイクが落命する顛末を描いている。そして,彼の葬儀での弔事やクレアの歌に誰もが感動する物語として結んでいる。
2008年のドキュメンタリーはマイクの追悼映画と企画された映画であった。彼らのステージ映像や同作の一部はYouTubeで何本も観ることができる。およそN. Diamondとは異なるアレンジや演出で歌っていることが分かるはずだ。そもそもデュオで歌っている時点で「そっくりさん歌手」ではない。強いていえば,本作のステージ演出は本人たちに似せているが,H・ジャックマンの歌唱はN. Diamondに似ていて,マイクよりも圧倒的に上手い。K・ハドソンの歌もクレアよりも数段上で,スタイルもルックスも比較にならない。労働者階級の歌手たちが人気者になり,夢を叶えたことへの賛辞としての映画化であるが,それを超一流の人気俳優たちが演じたことで,音楽も演技も最高レベルに達していた。
ただし,K・ハドソンのことは,本作までよく知らなかった。『あの頃ペニー・レインと』(00)で,まさにそのペニー・レインを演じて,GG賞助演女優賞受賞,アカデミー賞にもノミネートという経歴以外は,目立つ大作にも起用されていない。本作は大抜擢に相当するが,歌唱力の確かさにも驚いた。父親が歌手,母親が女優という血のなせる業である。本作の終盤は正に主演級であったが,普通に考えれば,主演はH・ジャックマンであり,彼女は準主演だ。今年のアカデミー賞予想記事でも書いたが,彼女が「主演女優賞部門」にノミネートされたのが残念でならない。「助演女優賞部門」でのノミネートなら,間違いなくオスカーを手にしていたと思う。
■『これって生きてる?』(4月17日公開)![]()
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ユニークな題名だったので,当然それが気になった。何かを指さすか,つつきながら発する言葉のようで,小動物を想像した。原題も疑問符つきの『Is This Thing On?』だったが,この英語の意味が分からなかった。ネット検索したら,司会者やコメディアンがマイクをトントン叩きながら発する決まり文句で,「あーあー,これ入ってる?」を意味する確認言葉だという。それが転じて慣用句となり,相手が無反応な時に「ちゃんと聞こえてる?」「え,ちゃんと伝わってる?」と確認する軽い自虐・困惑・孤立感を含む表現のようだ。小動物は関係なかった。
本作のテーマは中年夫婦の危機で,人生の転機に差しかかり,新しい生き方を見出して行くヒューマンドラマである。監督・脚本・製作は,男優のブラッドリー・クーパーで,これが長編監督3作目だ。デビュー作『アリー/スター誕生』(18年11・12月号)はいきなりアカデミー賞3部門ノミネート,次作『マエストロ:その音楽と愛と』(24年1月号)は7部門ノミネートを果し,監督として才能豊かであることを証明した。両作とも主演男優賞候補であったが,本作では脇役の1人である。
本作の時代設定は現代,舞台はNYマンハッタンで,主人公のアレックス(ウィル・アーネット)は,長年連れ添った妻テス(ローラ・ダーン)との間に2人の男児を設けていたが,結婚生活の終わりとして別居生活を始めた。友人宅のパーティでは普段通りの夫婦を演じたが,帰路の車中で,もはや帰る家が違うことに気付き,アレックスは電車を降りる。ダウンタウンに戻り,「オープン・ツリー・カフェ」なるレストランに入ろうとしたが,財布を持っていなくて,席料が払えなかった。地下にあるコメディクラブに出演すると席料15ドルはただになるというので,急ぎ名前を書き,飛び入り出演した。与えられた時間は3分,慣れないマイクに向かって,支離滅裂なトークであったが,結婚生活の破綻を赤裸々に語ったところ,観客の笑いを誘った。
この場所は,スランダップコメディの殿堂と言われる「コメディ・セラー」で,駆け出しコメディアンの修業の場であった。アレックスはすっかり病みつきになり,出演を続ける内に,腕を上げて行った。一方,テスは元バレーボールの有名選手だったが,2028年LA五輪代表コーチを目指して,旧友のレアード(ペイトン・マニング)と交際を始める。ある夜の食事後,レアードがテスを「コメディ・セラー」に連れて行った。その日は,アレックスがメインアクトと出演する日であった。彼はトーク中に,浮気したことで妻への思いが再燃したと告白する。それを聞いたテスは衝撃を受け,終了後に口論となるが,仲直りし,その夜,2人は関係をもつ……。
その後,親友夫妻やアレックスの両親も巻き込んだ結婚生活談義となるが,この夫婦の結末はほぼ想像できるだろう。コメディクラブでのオープンマイク(飛び入り)出演が,アレックスにとってのセラピー的役割を果していたこと明らかだが,コメディクラブは本来そういう場ではない。邦題を「生きてる?」としたのは,マイクテストだけでなく,彼にとって人生を取り戻すきっかけになったことも暗示していた。手の込んだ題名だ。途中でそれを感じ始めるだろうが,いきなりこの映画を観た観客は,前提や立場が違い過ぎて,この夫婦の別居の動機や復縁の理由にリアイティを感じなかったと思われる。
物語展開を正しく理解するには,「オープン・ツリー・カフェ」も「コメディ・セラー」も名だたる店であり,米国を代表する大物メディアアンを排出したこと,「オープンマイク」と「メインアクト」の関係,コメディトークにおける決めセリフ「パンチライン」の重要性を事前に知っておいた方が好い。さらに,この物語は主演のW・アーネットの知人のコメディアンの体験がベースとなっていて,アーネット自身が本作の脚本執筆を担当したことも知っておくと,一層味わいが増す。
■『FEVER ビーバー!』(4月17日公開)![]()
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上記は邦題がユニークであっただけで,脚本も演出&演技もまともな劇映画であった。一方,本作は何から何までユニークで,飛び切りの異色作である。もう30年弱,この映画評を続けているが,異色度では過去作すべてと比べてもBest 3に入ると思う。と言っても,全く難解で何も理解できない映画ではない。全編を逆回しや白黒反転にして,観客に頭の中で組み立てることを強いる変種でもない(そういう短編を観たことはあるが)。映像フォーマットとしては真っ当な映画である。
では,何がそんなに異色なのかは,なかなか言いにくい。モノクロ映像,一切のセリフなしのサイレント映画であるが,現在ではマイナーな存在でも,映画草創期には全作品がそうだったのだから,映画史の中では特異な存在ではない。演出的には徹底したドタバタ喜劇であり,バスター・キートンのナンセンス映画を思い出す。原題は『Hundreds of Beavers』で,人間の主人公が多数のビーバーたちと戦うアクション映画だ。このビーバーがCG製でもアニマトロニクスでもなく,中に人間が入って演じる「着ぐるみ」の動物なのである。それとて,かつての『キング・コング』(33)も,円谷プロ製のウルトラマンや怪獣も着ぐるみであったのだから,この点でも,さほど特異な映画と言えなくなる。個々の要素ではそうでも,全部揃って古風なタッチで描き,それを現代の映画館で上映しようするので,最近の普通の映画を見慣れた眼には,格別に異色に感じてしまう。
監督・脚本・製作・編集は,米国ウィスコンシン州出身のマイク・チェスリック。登録者数160万人超をもつYouTuberである。一方,主演・脚本・製作が,彼の高校時代からの相棒のライランド・ブリクソン・コール・テューズである。制作期間4年間,撮影は氷点下の環境で14日間,総製作費は僅か15万ドルで,2022年9月からの1年余の間に世界各地36のファンタスティック映画祭に出品している。製作者は,徹底した映像オタクであり,カルト的なファンを持っているようだ。
物語は真剣に追うに値しないが,一応書いておこう。主人公のジャン(R・テューズ)はリンゴ酒販売を正業にしていたが,凶暴なビーバー達がリンゴ園に忍び込んで,爆発騒動を起こしたため,彼は職を失い,冬の荒野で路頭に迷った。ウサギを捕まえて食べようとしたが,狩猟も射撃も下手糞だった。毛皮猟の達人(ウェス・タンク)と出会い,彼に弟子入りして猟師となった。師匠が狼に襲われ落命したので,縄張りを引き継ぎ,毛皮商人(ダグ・マンチェースキー)と取引を始めた。ジャンは商人の娘(オリビア・グレイブス)に恋をしたが,父親が結婚を許す条件は,何百匹ものビーバーの毛皮を持ってくることだった。かくして,ジャンはビーバーを大量虐殺するための方法を思いつき,ビーバー軍団と戦うことになる。彼らはしたたかで,警察組織や法廷をもち,ダムやロケットまでもつという文明社会を形成していた……。
愛嬌ある顔立ちの着ぐるみで,たどたどしく歩く姿がユーモラスだったが,殺戮は生々しかった。スラップスティック喜劇は素朴で,最初の内は愉しめたが,やがて退屈で,苦痛に感じ始めた。そもそも全くサイレントであるので,ストーリーを追うのに凝視している必要があり,かなり疲れた。ドタバタアクションは何度も使い回しているので,それにも飽きる。それでもラスト15分の攻防はかなり見応えがあった。上映時間108分は長過ぎる。せいぜい40分程度で十分だ。
ビーバーを含む動物たちは着ぐるみか人形だったが,グリーンバックや多重合成のVFXはたっぷり使われていた。全編で1,500カットだという。そもそも着ぐるみのビーバーは6体しかないので,それを100匹以上に見せるには,同じビーバーを多数コピペして画面を埋めているに違いない。ジャンが空を飛んだり,流氷の上を移動するシーンは,勿論トリック撮影である。
【付記】このVFX多用作をメイン記事扱いしようかと迷ったのだが,見送ることにした。理由は2つある。この数ヶ月,メイン記事の完成版が積み残し多数で,時間的余裕がないためである。もう1つは,本作のVFXメイキング映像は公開されているものの,技術水準が低く,せいぜい高校生の文化祭レベルであったからだ。
■『今日からぼくが村の映画館』(4月17日公開)![]()
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ちょっと珍しいペルー映画である。この題名だけで,ペルー版『ニュー・シネマ・パラダイス』だと分かる。原題は『Willaq Pirqa, el cine de mi pueblo』で,前半はペルーの公用語の1つ,先住民の言葉である「ケチュア語」で,「語る壁」を意味している。後半はスペイン語で,「el cine = 映画(映画館)」「de mi pueblo = 私の村の/私の故郷の」であるから,邦題はほぼ直訳である。それを「ぼくが…」と表記しただけで,主人公は幼い少年であると予想できる。いや,青年でもおかしくないのだが,おそらく小学校高学年の少年で,彼が映画に魅せられる物語だと感じるのは,映画ファンなら誰もが『ニュー・シネマ…』の世界を想像してしまうからだろう。予告編で確認したら,まさにそのものズバリの素朴な少年だった。少年が映写室に入り浸るのはまだしも,彼自身が映画館になるとは一体どういうことか? 『ニュー・シネマ…』を超える物語なのかと期待した。
時代設定が現代であれば,ペルーの最近の都市風景や文化水準を知る愉しみがあったのだが,時代は1970年代前半,舞台となるのはアンデス山中の小さな村であった。それはそれなりに,美しい山々の景観を堪能でき,当時の教育制度や人々の生活ぶりを知ることができた。広い草原での農業や牧畜が主で,村民の大人の大半はケチュア語しか話せず,文字も読めなかった。学校に通う子供たちだけが,スペイン語を話せ,読み書きもできた。
その内の1人,シストゥ少年(ビクトル・アクリオ)は風に乗って飛来したチラシを眺め,目を輝かせる。少し離れた町に定期的にやって来る「移動映画館」の宣伝ビラであった。彼はロバを引いて,農作物を売りに町に出た機会に『燃えよドラゴン』を観て,ブルース・リーに夢中になる。一挙一頭足を真似て解説したため,村民たちは目を輝かせた。大人も一緒に大勢で出かけたが,英語版映画のスペイン語字幕が読めない大人たちは物語が理解できず,苛立ちと疎外感から,子供が映画を観ることを禁止しようとした。共同体の女性リーダーのママ・シモナ(エルメリンダ・ルハン)の計らいで,シストゥは村民代表として週に1回映画を観て,その内容を「語り部」として皆に伝える役となった。彼は,キング・コングやチャップリンの真似をして解説し,人々を喜ばせた。シストゥにとって至福の時間であったが,やがて移動映画館は姿を消し,やって来なくなった。映画愛に溢れるシストゥ少年は,思い切った行動に出る……。
なるほど,シストゥ君は『ニュー・シネマ…』のトト君よりも利発で,映画解説者,映画作家としての才能の持ち主であった。本作の監督はペルー人のセサル・ガリンドで,これが長編2作目である。多民族国家のペルーでの先住民族への差別問題,当時の教育制度をほのぼのとした映画の中に盛り込ませていた,本作は,ケチュア語映画として史上最高の興行収入を達成した。
その半面,低予算映画としての限界も感じられた。『ニュー・シネマ…』(88)は堂々と映画愛を描いた作品であることをアピールし,劇中で『カサブランカ』(42) 『自転車泥棒』(48)『ローマの休日』(53)等の名作の名シーンを使っていた。一方,本作では,ポスター掲示はハリウッド映画の『燃えよドラゴン』(73)『魔人ドラキュラ』(31)を使いながら,劇中で上映されていたのは香港映画『ドラゴン危機一発』(71)やメキシコ映画『El vampiro』(57)であった。ハリウッド映画は映像使用権許諾が高額であったためだろう。また,本作はスペインのゴヤ賞へのペルー代表にはなったものの,スペインや欧米諸国では一般公開されず,映画館で上映されたのはメキシコだけであり,今回の日本公開が2番目である。ペルー大使館の支援があってのことだろうが,この心温まる良作の日本公開を決断した配給会社に拍手を送りたい。
■『オールド・オーク』(4月24日公開)![]()
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英国の名匠ケン・ローチ監督の最終作品だという。現在89歳,2年前の87歳で撮った映画であるから,まだ早過ぎる。C・イーストウッドは94歳で『陪審員2番』(24)を,山田洋次監督は93歳で『TOKYOタクシー』(25年11月号)を公開したのだから,まだまだやれるはずだ。と言っても,本人がそう発言しているのなら仕方がない。
これまで彼の映画は何本も観てきたはずだったが,気がつけば,当欄には『ジミー,野を駆ける伝説』(15年1月号)『わたしは,ダニエル・ブレイク』(17年3月号)の2本しか紹介していなかった。前作『家族を想うとき』(19)を見損ねたので,本作は絶対に見逃してはいけないと待ちかまえていた。前2作の舞台は「イングランド北東部」のニューキャスルであったが,本作は同じ北東部のダラム州の旧炭鉱町を舞台としていた。常に労働者階級の視点での映画を生み出すローチ監督であるから,炭鉱閉鎖により長期の失業問題で苦しむ場所を選んだのだろう。最も英国社会の階級格差が凝縮した地方のようだ。
その町にシリア難民を乗せたバスが到着する。政府の難民受入先指定に反発する市民が,彼らに暴言を吐き,暴行を働く。一瞬,既に英国はECから離脱し,難民受入を回避したはずではと思ったが,時代設定は2016年であった。国を二分したブレグジット問題の国民投票は2016年6月であったから,まさにEU離脱が決定する直前を描いている(実際の離脱は2021年1月末)。常に第三世界からの移民を支持してきたローチ監督であるから,労働党が離脱を主張していたのが許せなかったのだろう。
暴行現場の写真を撮った若い女性ヤラ(エブラ・マリ)のカメラを,過激な青年が叩きつけて壊してしまった。気丈なヤラは臆することなく,彼に賠償請求を求めた。それを取り成して,自分の店で修理しようと提案したのは,パブ「オールド・オーク」をオーナーのTJ・バランタイン(デイヴ・ターナー)であった。彼は善良な男でカメラ・マニアであったが,妻を亡くし,人生に疲れ切っていた。そんな彼もヤラと出会ったことで,次第に友情を育む。
慈善団体の事務員ローラ(クレア・ロッジャーソン)と共に難民たちに対する支援を続ける内に,市民の難民に対する拒絶反応も和らいできた。そんな時に問題の火種となったのは,パブの奥にあった一室である。パブの常連客たちが彼らの集会のための利用を懇願したが,TJは頑なで,妻との想い出が詰まった部屋を彼らに開放しようとしなかった。その一方で,難民の子供たちへの食料配布の場所としての提供を許したため,常連客たちの怒りが爆発する。親友のチャーリーの裏切りで,部屋が物理的に利用不能になったことを知ったTJは,落胆して海に向かう…。
詳しくは書けないが,最終的には市民と難民の間の分断が埋まり,連帯感が生まれることは想像できるだろう。それがケン・ローチ映画の真骨頂である。ただし,筆者の本作に対する評点は,『わたしは,ダニエル…』と『ジミー,野を…』の中間である。最高点ではない。劇中の終盤近くで,TJに「国の半分は腐っている。移民の楽しみを奪った」と発言させていることを残念に思ったからだ。元々,左翼であることを公言していたローチ監督であるが,彼がかつて党員であった「労働党」に対する失望感の吐露の場に使っているとしか思えなかった。
辻褄合わせのようなラストシーンは,説明不足で少し粗っぽ過ぎる。『わたしは,ダニエル…』のような感動はなく,これでは余韻は残らない。最終作をこんな風に使ってはいけない。きっとローラ監督も後でそう考えて,改めてもう一作撮ろうと思い直してくれることを期待している。
【付記】配給会社が公式サイトやプレス資料で,本作や前2作の舞台を「イギリス北東部」と書き,他のメディアや映画雑誌までがそれを追随しているのは,決定的な間違いである。通常の日本語では,イギリス=英国=連合王国であるから,その「北東部」はスコットランドのアバディーン市周辺になってしまう。英語では「The North-East of England」なのだから,ここは「イングランド北東部」と書くべきである。そうでないと,ニューキャスルやダラム州にはならない。それでは,ローチ監督や相棒の脚本家ポール・ラヴァティが,英国社会の諸問題を抱える場所としてこの地域を選んで3部作を描いた意味が失せてしまう。
■『ツイッギー』(4月24日公開)![]()
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原題もそのまま『Twiggy』だが,この題名なら内容に全く紛れはないはずだ。元々「小枝,細枝」を意味する英単語の普通名詞であるので,他に名乗る人はなく,あの伝説の「ミニの女王」の伝記映画に違いない。体型もルックスも唯一無二であったので,彼女を演じられるような若手女優などいない。となるとドラマ仕立ての伝記映画ではなく,現在の本人も登場するドキュメンタリー映画に違いない。
それはしっかり当たっていたのだが,ここまで書いて気がついた。約60年前に大ブームを引き起こした彼女の姿を覚えているのは,高齢者だけではあるまいか。ビートルズと同時期にBritish Invasionと呼ばれた英国文化の世界進出を担った中心人物の1人であるが,ビートルズの知名度は別格である。その後,元祖スーパーモデルであった「ツイッギー」の名が人口に膾炙することはなかったので,最近の若者は全く知らないだろう。
でも,今なぜTwiggyの伝記映画が作られたのだろう? British Invasionの基となったのは,1960年代半ばの英国の若者文化の爆発的な開花であり,その社会現象は「Swinging London」と呼ばれていた。そう言えば,数年前に『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』(22年11・12月号)があったことを思い出した。「ミニスカート」を生み出した服飾デザイナーのMQの伝記ドキュメンタリーであった。その監督は,MQを「永遠の憧れ」する英国人女優のサディ・フロストで,本作も同じである。監督デビュー作がヒットした以上,次に撮りたくなったのが,MQのミニスカートを世界に広めたTwiggyの伝記映画であることは,全く自然な流れだ。
Twiggyの本名はレズリー・ホーンビー。1949年9月19日ロンドン郊外の生まれで,撮影時は74歳,現在は76歳である。伝記映画であるが,幼少期は写真が少し出るだけで,ファッションモデルとして爆発的な人気を得るに至った過程が詳しく描かれている。
元々美形の少女として注目を集めていたが,当時のモデルはグラマラスな女性が多く,英国人にしては背が低く,極端な痩身(168cm, 41kg)の彼女を売り出すのに,中性的な妖精のイメージを与える戦略が練られた。大きな目を強調するため,アイメイクを工夫することになり,目の上と下に大きな付け睫毛をした。初めてその顔を鏡で見て,本人が驚いたという。脚が棒(stick)のように細かったので,細枝を意味する「Twiggy」と名乗り,髪はショートカット,MQ製のミニスカート姿でデビューした。1966年1月,16歳の時である。膨大な数の雑誌が取り上げ,TV出演やインタビューが相次ぎ,一気に世界的トップスターとなった模様がアーカイブ映像を中心に語られている。本作は当時の「Swinging London」の盛り上がりを,欧米の若者に伝える役割を果している。
インタビュー等で登場する関係者は31人に及び,ブルック・シールズ,ダスティン・ホフマン,ポール・マッカートニーと彼の娘のステラが含まれている。当時は女優やモデルを格下に見る風潮があり,最も印象的だったのは,米国でウッディ・アレンと対談した際,彼が上から目線で彼女に侮蔑的な発言をする場面であった。
日本への初来日は1967年10月で,前年来日のビートルズに勝るとも劣らぬフィーバーであった。168cmは日本人から見ると背が低いとは感じず,彼女に憧れてミニスカートが一気に広まった。スポンサーがトヨタ自動車,森永製菓であったことは今でも覚えている。同年の東京モーターショーで,金色塗装したボンドカーのTOYOTA 2000GTの車体の横でポーズをとっていた。森永製菓の棒状チョコレート菓子「小枝」が発売されたのは1971年だが,勿論TV-CMにはツイッギーが登場していた。今も販売されているロングセラーである。
この伝記映画中で,本人のインタビューは全盛期から現在まで何度も登場する。娘カーリーに関する語りでは良き母親だなと感じる。初婚相手とは死別したが,再婚相手とは40年以上も仲睦まじい夫婦生活を送っている。今も芸能活動は続けているようだが,トップスターでない普通の妻,母,祖母としての姿が観られたことを嬉しく感じた。こういう伝記映画もいいものだ。
モデルはたった4年で辞めたようで,その後,女優・歌手になったと聞いていたが,本作を観るまで,GG賞で新人賞,主演女優賞を受賞,ブロードウェイ・ミュージカルに出演してトニー賞を獲ていたことは知らなかった。歌手としての彼女の歌は聴いたことはなかったが,本作中では10数曲彼女の歌が流れる(大半はBGMとして)。ただし,映画の冒頭とエンドロールの最初の2度“Be My Baby”が使われていた。1963年に女性トリオのThe Ronettesが歌った大ヒット曲だが,Twiggyのイメージに合っているし,何よりもプロ歌手として十分通用する歌唱力であった。筆者の音楽コレクションに同曲は48曲入っているが,早速YouTubeからダウンロードして,Twiggyカバー版を49曲目として入れた。
■『LOST LAND/ロストランド』(4月24日公開)![]()
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文句なしの力作である。この映画を作った監督とスタッフに敬意を表し,その情熱と苦難を労いたいたくなる一作であるが,さてどこからどう語ろうかと悩む映画であった。テーマは故郷を追われた難民の映画というので,またかと思いつつも,じっかり凝視し,その実態を伝えるのも映画評の役目の1つと思い,心して観ることにした。
対象地は何処なのか? 世界で最も迫害されている民族」の1つ」と言われている「ロヒンギャ族」が対象と分かったが,名前を聞いたことがある程度で,アジアのどこでどういう理由での迫害なのかはよく知らなかった。不勉強を恥じて,にわか勉強を始めた。仏教国のミャンマーのラカイン州に住む民族で,大半がムスリム(イスラム教徒)である。バングラディッシュから来た不法移民という扱いで,国籍を与えられず,迫害を受け続けていた。2017年の大規模弾圧により,100万人以上がバングラデシュ等に逃れ,現在もそこでの難民キャンプ生活を送っているらしい。少し思い出した。あのアウンサンスーチーが,自らは自宅軟禁を解かれ,国家顧問として実質的権力を握っていたのに,この大規模弾圧に介入せず,国際的非難を浴びた。あの時に無視された少数民族が「ロヒンギャ族」だったのだ。単なる不介入でなく,無作為の迫害助長であるから,国際的名声が失墜したのも当然である。その後の軍部のクーデターで再度監禁されたが,全く同情はしなかった。
隣国の難民キャップで過ごす姉弟が,生き別れになった家族との再会を果すため,遠く離れたマレーシアに旅立つ過程を描いたロードムービーだという。次なる疑問は,一体誰がこの旅に同行して,映像記録を残し,映画に仕立てたのかであった。驚いたことに,日本人監督の藤元明緒で,彼が脚本・監督・編集を担当していた。この監督の名前を知らなかったが,既に『僕の帰る場所』 (17) 『海辺の彼女たち』(21) で国際的評価を受けている。それぞれミャンマー,ベトナムとの合作で,東南アジアへの関心が高いようだが,いずれも舞台は日本であった。
一方,本作は,演技未経験のロヒンギャ難民約200名が参加してロヒンギャ語で話し,全編現地でのロケ撮影である。彼らの記憶を頼りに,逃亡過程を再構成した物語であり,ドキュメンタリーではない。過去作の成功から複数機関の助成を受けたのだろうが,ロヒンギャ語通訳を介しての現地撮影というだけで,頭が下がる。嬉しいことにナレーションは,『あんのこと』(24年6月号)ですっかりファンになり,その後も応援し続けている河合優美であった。本作のナレーションも彼女の顔を思い浮かべつつ聞き入った(尤も,毎度その役に見事に化けているが)。
難民キャンプで暮らす 5 歳のシャフィと 9 歳の姉ソミーラは,叔母と共にマレーシアへと旅立つことにした。パスポートがないので,密航業者が手配した漁船に乗った。道中落命した老人を海に葬り,毎日ムスリムとしての祈りを捧げる。描写はリアルだ。何日もかけ,ようやくタイの陸地に着いたが,バイクに分乗させられ,マレーシアに向かう。難民カードを渡され,米国への移住を考える家族もいる。トラックでの移動で金を請求されたので,姉弟は山の中へと逃げる。ずっと歩いてリアカーを拾い,弟を乗せて姉がそれを引く。ゴミを漁って食べ物を見つける…。
この後は素直に映画を観て頂こう。2人が生き延びて目的地に辿り着けるのか,祈る気持ちで観てしまうこと必定だ。16日目,21日目,28日目…と道中での経過日付が入る。脚本は綿密に作られたが,文字文化のない出演者には口頭伝達しかなかったので,すべて順撮りしたという。その分,物語展開は極めて分かりやすかった。2人は実の姉弟であったので,呼吸もぴったり合っていた。特に弟シャフィの演技力に感心した。
この映画の企画と製作に敬意を表しつつも,感じた欠点を少しだけ書いておこう。これまで『人間の境界』(24年5月号)『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』(同6月号)等,何作も難民が国外を目指す映画を描いて来た。純然たる難民ではないが,『君は行く先を知らない』(23年8月号)も非合法で国外脱出を図る映画だった。本作の前半はリアルに感じたのだが,後半の姉弟だけの展開は「作り物」感があり,他の難民ものような緊迫感や感動を感じなかった。純然たるドキュメンタリーでなければ,語られた実態を脚本化するしかないが,そこに監督の恣意性が入り過ぎると「物語」だとしか感じない。それが少し残念だった。
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