O plus E VFX映画時評 2024年11月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
をつけています)
(11月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『リュミエール!リュミエール!』(11月22日公開)
今月は格別対象作品数が多く,試写を観て,記事を書くのに追われている。そんな中で急遽一般劇場公開が決定した映画があり,しかも映画の神髄に迫る作品であるので,Part 2はこの映画から始めることにした。
既に紹介した『リュミエール!』(17年12月号)の続編である。前作は映画の生みの親であるオーギュストとルイのリュミエール兄弟の輝かしい業績を描いたドキュメンタリー映画で,彼らが現代まで残る映画の基本方式を確立したことと,10年間に自ら製作した1,422作品の中から108本を紹介していた。本作は,その選択で漏れた残りの中から,追加版として厳選された110本のそれぞれに克明な解説をつけて構成されている。
実は,映画生誕130年を記念して来年パリで公開予定のドキュメンタリー映画なのだが,第37回東京国際映画祭(2024年10月26日〜11月6日)で特別上映されたのを機に,一気に日本で劇場公開してしまうことになった。日本の映画ファンは,製作国よりも先に,世界で最初に映画館で観られるのであるから,何と嬉しいことではないか。しかも110本の短編の大半は,これまで知られていなかった映像ばかりである。
1895年12月28日の記念すべき一般公開の前に,3月22日に科学技術者相手の発表会が開催されていた。そこで上映されたのは3日前に撮影したばかりの『工場の出口』であった。何度も観た映画史に残る映画だが,同じ構図で数テイクあり,それを3画面並べて見せてくれるのは初めてだ。今回,門から出て来る女性たちが,華やかな花飾りの帽子を被っていることに気付いた。およそ工場労働者らしくない。それもそのはず,これは工業製品を大量生産する工場ではなく,兄弟の映画会社であった。退勤時でなく,昼休みに映画撮影するからと呼びかけて社員に玄関まで出て来させたのである。道理で,帰宅途中でなく,和やかに話しながら歩いている。意図的撮影であるが,この映画制作会社にはこういう職員が働いていたと分かり,当時の人々の様子を動画として記録・保存しておく価値があったことを示している。
前作と同様,4Kリマスター映像であるため,いずれも驚くほど鮮明だ。「大西洋横断汽船の前からみた荒天の模様」では,船首に押し寄せる荒波が見事に記録されている。フィルムの保存状態が良いと,ここまでクリアに再現できるのかと記録媒体としての価値を再認識した。すべてサイレント映画のはずが,美しい音楽とナレーション付きで,完璧な修復に付加価値をつけている。音楽は,同時代の音楽家ガブリエル・フォーレの曲だそうだ。
撮影場所は,パリ,リヨン,ヴェネチア,ナポリ等の欧州に留まらず,ニューヨーク,アジアではベトナムのサイゴン,日本の京都,東京等に及んでいる。日本の農村の水車や食事風景が印象的だった。市街地の光景からは,当時の庶民はこんな着物を着ていたのだと分かる。
驚いたことに,1900年のパリ万博当時,既に75mmフィルムが存在していた。ルイはそれで映画撮影したものの,当時の技術では劇場公開できなかった。現存する10本の内,本作に2本が収録されていた。まさに至宝だ。監督・脚本・編集・プロデューサー・ナレーションは,リュミエール研究所所長のティエリー・フレモーで,各50秒の映画の全てに哲学的・美学的観点からの意義,映画的視点からの撮影方法に関して解説している。
■『チネチッタで会いましょう』(11月22日公開)
映画ファンなら,題名から次も映画に関する映画であることが分かるはずだ。川崎市にあるシネコン? いや,それでも間違いではないが,本作の場合は,ローマ近郊にある映画撮影所のことを指している。かつて『道』(54)『白夜』(57)『甘い生活』(60)等の名作を生み出した。などと言うと,その撮影所の跡地と思われがちだが,まだ実在する欧州最大の撮影所であり,邦画の『テルマエ・ロマエ』(12)もここで撮影された。遺跡のように思われるのは,ついついイタリア映画の全盛期に作られたルキノ・ヴィスコンティ監督,フェデリコ・フェリーニ監督の映画名を出してしまうためかも知れない。
本作の監督はナンニ・モレッティ。1976年に監督デビューした名監督で,21世紀に入ってからは『息子の部屋』(01) 『ローマ法王の休日』(12年8月号)等を生み出している。初期は自らの監督作品に俳優として出演していたが,本作でも久々に主人公ショヴァンニを演じている。自らの監督人生を振り返って描いた怪作(?)だと思えるコメディタッチの映画である。
映画の冒頭で,サーカスの動物達の運搬があり,ライオンや虎がいる。場所は映画の撮影所であり,まさに本物のチネチッタ撮影所である。プロデューサーである妻パオラ(マルゲリータ・ブイ)に支えられ,ジョヴァンニは5年の1本のペースで40年間映画監督を続けてきた。新作には並々ならぬ意欲で臨んでいて,テーマは1956年のソ連のハンガリー侵攻である。彼は共産主義に関する政治映画のつもりであったが,主演女優(バルバラ・ボブローヴァ)は「これは恋愛劇だ」と製作方針に異議を唱える。一方,自らが製作担当の別の映画に苛立つ妻は,精神分析医に通っていて,あろうことかジョヴァンニに離婚を切り出す。慌てたショヴァンニは娘に相談するが,娘が彼に紹介したボーイフレンドは,彼とほぼ同年代の老人だった。肝心の映画の撮影所会議では,エンディングを巡っての意見が合わない。信頼していたフランス人プロデューサーのピエール(マチュー・アマルリック)はNetflixに売り込むと豪語したが,彼は詐欺師であり,資金不足で撮影は中断してしまう……。
ショヴァンニが「自分は時代に取り残された」と感じ始めるという自虐的な映画だ。混乱の中でも,撮影風景や過去の多数の名作のシーンが流れるなど,映画愛に満ちた映画となっている。(少しネタバレになるが)最後は大勢が赤旗を振り,大通りを行進する映像が延々と続く。本作の原題『Il sol dell'avvenire』,英題は『A Brighter Tomorrow』で,未来に向けてのメッセージのつもりなのだろうが,筆者にはこの行進の意味がピンとこなかった。それを正しく理解できる監督ファンのための映画であり,そうでない観客には向かないと感じた。
■『Back to Black エイミーのすべて』(11月22日公開)
テーマは映画から音楽に移る。グラミー賞5部門受賞,27歳で早世した英国人歌手エイミー・ワインハウスの半生を描いた映画である。原題はシンプルな『Back to Black』で,この歌手の最大のヒットアルバムの題名である。本作も伝記映画の範疇に入るのだろうが,歌手としてデビュー時の17歳からアルコール依存症で他界する27歳までを描いた劇映画である。生い立ちから紹介し,本人や多数の関係者のインタビューを含むドキュメンタリー映画は,既に『AMY エイミー』(16年7月号)を紹介してあり,サントラ盤ガイドも書いた。
改めて劇映画を作るなら,エイミー役を演じる女優を起用するしかなく,同じく英国人で1996年生まれのマリサ・アベラが抜擢された。TVドラマが中心で,映画にも数作品の出演経験があるが,主演は初めてだ。撮影開始時に26歳という年齢が大きな決め手となったと思われる。監督も英国人の女性監督サム・テイラー=ジョンソンで,当欄では『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(10年11月号)を紹介している(当時は旧姓のS・T=ウッド名義)。ビートルズ結成時の若き日のジョン・レノンを描いた劇映画であったので,こういうジャンルの映画が得意なのだろう。
ファーストアルバム「Frank」が話題を呼んで順調な歌手人生を歩み始めたが,次のアルバムやライブ活動の方針を決める会議で,父ミッチ(エディ・マーサン)やレコード会社と意見が合わず,エイミーは部屋を飛び出してしまう。バブで出会った男ブレイク(ジャック・オコンネル)と恋に落ちるが,彼が元カノと寄りを戻したことから,エイミーは酒浸りの荒んだ生活を送り,問題ばかり引き起こす。身を案じたマネージャーが勧めるリハビリ療養も拒否し,薬物にも手を出す。そこにブレイクが戻って来て2人は秘密裏に結婚するが,再度関係は悪化し,ブレイクは暴行罪で逮捕される。パパラッチの餌食にもなり,エイミーのアルコール依存はさらに進んでしまう…。典型的な破滅型芸能人の物語で,ダメ男によって人生を狂わされる様子は,観ていてつらかった。
それでも,音楽映画としての出来映えは上々だった。印象はミュージカル映画に近い。演じるマリサ・アベラは本人に余り似ていないが,ミニスカートがよく似合う。ステージでの歌唱シーンも様になっていて,次第にエイミーに見えてくる。圧巻は遠隔中継で出演したグラミー賞表彰式のシーンである。ただし,この映画には大きな欠点があった。プレス資料には「劇中エイミー・ワインハウス楽曲」と書かれたリストがあったので,歌は歌手本人の声だと思ったのに,アカペラや歌い直しのシーンもあり,どう考えても俳優M・アベラが歌っている。それでいて,サントラ盤には彼女の歌はなく,本人歌唱の既発表曲ばかりだった。何という一貫しない制作方針だ。オースティン・バトラーが演じた『エルヴィス』(22年Web専用#4)のように,俳優には口パク演技で通させ,ハスキーで魅力的な歌手自身の歌を流した方がずっと好い伝記映画になったと思われる。残念だ。
■『リターン・オブ・ザ・キング:エルヴィス・プレスリー低迷と復活』(11月13日配信開始)
Netflixから1週間以上前に配信が始まっているが,上記と対にして語りたいために,Part 2に入れた。上記はドキュメンタリー映画『AMY エイミー』の後に作られた劇映画であるが,こちらはその逆順である。エルヴィスの伝記ドキュメンタリーは過去に何作もあるが,本作はベスト1と言える出来映えだ。副題の「復活」とは,1969年のラスベガス・インターナショナル・ホテルでのライヴ公演ではなく,その前年の12月3日に米国NBSで放映された『Singer Presents ... Elvis』である。通称「NBS Special」や「'68 Comeback Special」と呼ばれている。単にTV局内のスタジオで立って歌うのではなく,正方形の特設ステージの周りを囲む聴衆の前で歌うライヴショーを収録したものを中心に構成されていた。
映画の冒頭は,10年ぶりのTV出演,7年ぶりのライブ公演で彼が緊張していて「出たくない」と言い出すエピソードから始まる。そのステージを少し見せただけで,デビュー当時からの出来事をなぞる伝記映画に入る。爆発的なヒット,親世代からの拒絶反応,TV&映画への出演,徴兵されドイツでの基地生活,除隊後の活動等は定番だが,かなり忠実なドキュメンタリーである。コメンテーターは,バズ・ラーマン監督,元妻のプリシラ,作家のライト・トンプソン,歌手ではブルース・スプリングスティーン,ダーレン・ラヴ等の10数名で,内6〜7人が何度も登場する。彼らのコメントが絶妙で,的を射ていたことが,この映画の価値を高めている。
その後の低迷期への批判がかなり辛辣だった。マネージャーのトム・パーカー大佐批判は勿論で,ビートルズの出現,ベトナム戦争反対,政治的メッセージを含む歌が増え,ボブ・ディランの詩も登場する。とりわけ,当時のエルヴィスの様子を語るプリシラの回顧が生々しい。その一方で,エルヴォスの原点は教会での賛美歌であり,ゴルペル・アルバムでグラミー賞を3回受賞したことへの言及もある。これに触れた伝記映画は初めてだ。21歳になったプリシラへのプロポーズに関するシーンも,初めて観る映像だった。
そして,冒頭のTVスペシャルの準備へと戻る。パーカー大作の平凡な企画よりも,休憩中のジャムセッションが躍動的で,その路線に変更される。ステージのオープニングは“Trouble”と“Guitar Man”のメドレーだった。立ち上がって歌う“Blue Suede Shoes”が絶品で,セクシーな語り口,汗,シャウトで会場は興奮のるつぼとなる。最後は白いスーツ姿で歌う新曲“If I Can Dream”(明日への願い)で幕を閉じる。オースティン・バトラー主演の『エルヴィス』でも再現されていたが,やはり本物は迫力が違う。エルヴィス33歳時の「復活」である。Netflix配信の音質もよく,ライヴを堪能できた。劇映画,ドキュメンタリーともにA・ワインハウスよりも数段上である。若いファンに彼の輝かしい業績を知ってもらうには,2本とも観ることを勧めるが,1本だけとなると,このドキュメンタリーの方を勧める。
■『バーン・クルア 凶愛の家』(11月22日公開)
近年公開が相次いでいるタイ映画だが,当欄で紹介するのはこれが3本目だ。1本目は『プアン/友だちと呼ばせて』(22年7・8月号)で,余命僅かな青年が親友と一緒に元カノを順に訪ねるという異色の青春ロードムービーであった。2本目の『卒業 Tell the World I Love You』(23年8月号)は,男子高校生間の友情がテーマの青春映画であった。タイ映画は「青春ドラマが熱い」を標榜していたので,3作目の本作も当然そうかと想像したのだが,どう考えても副題の「凶愛の家」はホラーっぽい。と思ったら,これが全くのホラー映画である。実は,タイ映画の本流はホラーやスリラーらしい。それも単なる恐怖映画ではなく,大半が心霊・呪術・占いが登場するオカルト・ホラーで,ハリウッドを凌ぐ勢いとのことである。少し調べてみると,原点となったヒット作は『心霊写真』(04)で,ハリウッド・リメイクも作られている。近年の公開作品では,『呪いのキス 哀しき少女の恋』(19) 『MEMORIA メモリア』(21)『女神の継承』(同)等が,この範疇に入るようだ。それを知ったからには,目の肥えたホラーファンを満足させるレベルなのかを点検すべく,シビアな目で本作を観ることにした。
主人公ニンを演じるのは人気女優でモデルのニッター “ミュー” ジラヤンユンで,なかなかの美形だ。ホラーに美人は付きものだから,まずこの関門は合格点である。ニンは夫クウィンと7歳の娘インの3人暮しだったが,賃貸用マンションの住人が退去したというので点検に訪れたところ,部屋は荒れ放題で設備も派手に壊れていた。借主は既に海外に移住して高額の修理費は請求できない。不動産屋は,最低限の修理をした部屋に自分たち3人が移り,豪華なコンドミニアムの自宅を他人に貸して収入を得ることを勧める。夫はこの案に大反対だったが,入居希望者がやって来た途端に態度を豹変し,すぐに元医師ラトリーと40歳の娘ヌッチの2人に貸してしまう。
入居後に,その家で不思議なことが次々と起きる。夜中にカラスの大群が押し寄せ,隣家の犬が殺される。毎日,夫は午前3時45分になると家を出てしまう。夫が娘に贈った人形が不気味で,奇妙な声を出す。娘インにラトリー母子がつきまとい,首には奇妙な形の傷ができていた。ニンは,これがカルト集団の印章であり,夫はその集団にマインドコントロールされていて,娘が邪悪な力に狙われていると察知する。娘を連れて家を出ようとするが夫に阻まれ,ニンも集団信者であった不動産屋に襲われ,身柄を拘束されてしまう…。
中間点のここまでは,徐々に恐怖感を煽るオーソドックスな演出だった。ここで場面は一転し,11年前に同じ家に住む少女が同じ人形をもっている物語が始まる。誰もが,この家で不幸な出来事があり,人形に呪いがかかっていて,それがカルト集団の行動と関わりがあると予想するはずだ。ただし,その後の展開と演出が意外だった。それは明かさず,実際に観て,愉しんでもらうことにしよう。ミステリー分野の小説や映画の構成としてはしばしば使われる手法であるが,筆者がホラー映画で観るのは初めてだ。その分,新鮮に感じた。実話に着想を得た脚本で,監督はソーポップ・サクダービシット。タイの「家系ホラーの巨匠」に相応しい出来映えだった。
■『海の沈黙』(11月22日公開)
Part 1ではフランス映画を4本続けたが,ここからは邦画が4本で,今月は計8本になる。秋は邦画の意欲作が多く,本作もその内の1本だ。原作・脚本は,北海道にシナリオライターを育成する私塾「富良野塾」を設け,名作『北の国から』シリーズを生み出した巨匠・倉本聰で,「どうしても書いておきたかった」と語る長年の構想の映画化である。その倉本脚本のTVドラマを多数演出し,映画では『沈まぬ太陽』(09年11月号)『Fukushima 50』(20年Web専用#1)を生み出した若松節朗が監督となると,重厚な人間ドラマに違いない。主演は本木雅弘だが,助演陣にも錚々たる俳優の名前が並んでいる。
世界的画家の田村修三(石坂浩二)が自らの個展の会場で,代表作の1つを「自分が描いた絵ではない。贋作だ」と発言する。過熱報道の中,その絵を長年保有していた美術館の館長・村岡(萩原聖人)は,田村の妻・安奈(小泉今日子)に無実を訴える遺書を残して自殺する。同じ頃,北海道・小樽の海岸で,全身に刺青を入れた女性の死体が発見される。田村の依頼で贋作の謎を追う中央美術館の館長・清家(仲村トオル)は,海外で発見された完成度の高い贋作と同じ作者だと見抜き,かつて天才画家と言われたが,ある事件から姿を消した津山竜次(本木雅弘)が浮かび上がる。田村の過去を知る美術愛好家の謎の男・スイケン(中井貴一)が津山の番頭役を務めていて,彼らもまた小樽にいた……。
いきなりミステリータッチで始まるが,贋作が本物以上の場合,「美」とは何かを問うテーマらしい。なるほど東大・美術科卒業の倉本聰らしい構想の脚本だ。日本の刺青文化が西洋の美術界に与えた影響に関する蘊蓄も含めて物語は進行する。その中で,かつて安奈は津山の恋人であったこと,田村・安奈・津山・スイケンは美大の同級生であったこと,38年前の学生時代に津山が起こした出来事で彼が美術界を追放されるのに,田村も深く関与していたこと等々が明かされて行く。
前半は,見事な調度類,美しい景色も織り込まれた「大人の映画」を感じさせる格調の高さだった。田村,津山の描いた絵画も,大家と天才に相応しい作品に思えた。後半は小樽の地で再会を果たした津山と安奈のラブストーリー,余命宣告を受けた津山の狂気を帯びた創作意欲が描かれ,荒々しいタッチの展開となる。
全体的には意欲作ではあるが,ミスキャストにより作品全体が壊れていると感じた。田村役の石坂浩二だ。計算上,60歳前後らしい田村・安奈・津山・スイケンを演じる石坂・小泉・本木・中井の実年齢は,83歳,58歳,58歳,63歳である。後3人は誤差の範囲として,石坂浩二だけが親子ほどの年齢差だ。昔からの出演作を見てきた観客には,石坂と本木が同級生のライバルには見えず,渋い中年の兵ちゃんとアイドルのキャンキョンが夫婦とは冗談だろうと感じてしまう。大家役に石坂浩二を配したかったなら,せめて15歳年長の先輩にし,安奈は田村の妻でない女性で済むことだ。同級生関係を維持したいのなら,中井貴一を田村役,仲村トオルをスイケン役にシフトすれば,収まりも悪くない。キャスティングで失敗した分,同じ配給会社の『本心』に負けている。
■『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』(11月22日公開)
題名からは洋画のように思えたが,しっかり邦画だった。堂々と「詐欺師」が入っているので,間違いなくコンゲーム映画であり,結末で観客も欺く映画だろうと想像できる。しかも単独犯でなく,複数名の詐欺師チームとなると『オーシャンズ11』(02年1月号)のような知的で洒脱な犯罪映画を期待してしまう。監督・脚本が,あの大傑作『カメラを止めるな!』(18年Web専用#3)の上田慎一郎だと知って,さらに期待が膨らんだ。本作にゾンビは登場しないが,劇場用長編第2作『スペシャルアクターズ』(19年Web専用#5)はカルト集団の詐欺を暴く映画であったから,同作以上の見事なドンデン返しを楽しみにした。
さらに大きな期待を寄せたのは,前作までのような無名俳優揃いではなく,内野聖陽,岡田将生,小沢征悦という豪華キャスティングであったからだ。とりわけ,『八犬伝』(24年10月号)の葛飾北斎役で存在感のある演技が光った内野聖陽が生真面目で冴えない税務署員・熊沢二郎役で,NHKの朝ドラ『虎に翼』(24)と『ラストマイル』(24年8月号)で人気沸騰中の岡田将生が天才詐欺師・氷室マコトを演じる。この2人がタッグを組んで詐欺行為を働く。それだけで話題性は十分だった。
映画は刑期を終えた氷室の出所シーンから始まり,熊沢が氷室に大金を騙し取られるエピソードへと続くが,詳しい物語展開は省略しよう。それぞれ訳ありだったが,2人は曲者揃いの詐欺師集団「アングリースクワッド」を結成し,脱税王の富豪・橘大和(小澤征悦)を罠に嵌めて10数億円を奪い取る計画を立てる。Netflixドラマで話題を呼んだ「地面師」が重要な役割を果たすことに,思わずニヤリとしてしまう。計画は完璧に思えたが,詐欺だと敵にバレていて,終盤はハラハラするが,しっかりドンデン返しで決着をつけてくれる。あまりコンゲーム映画を観たことのない観客は,見事な筋立てで,分かり易い種明かしだと満足することだろう。それもそのはず,本作はオリジナル脚本ではなく,2016年の韓国製のTVドラマ『元カレは天才詐欺師 38師機動隊』(全16話)が原作であり,詐欺の手口自体は巧妙だった。
ところが,見慣れた目からは,キャスティングや演出に不満があった。まず,さりげなく挿入すべき伏線が露骨に登場するので,これが後で詐欺ネタに使われるに違いないと察知できてしまう。ビリヤードのイカサマ解説も詳し過ぎる。最後の種明かしシーンもくどかった。何よりもピンと来ないのが,主役級の3人の配役と演技である。内野聖陽のルックスがいつもとまるで違い,こんな凡庸な役は演技派の彼には似合わない。岡田将生,小澤征悦の演技もわざとらしく,かなり不自然に感じた。笑いが笑いになっていない。意外性を狙ったキャスティングのつもりが,監督の演出意図を汲み取れず,俳優がどう演技すべきか戸惑っているように見えた。3流俳優相手なら,これまでの上田監督流の演出で通用したのだろうが,一流俳優揃いで監督が気負い過ぎたのだろうか。唯一,税務署員・望月さくら役の川栄李奈だけがイメージ通りで,なかなかの好演だと感じた。
■『正体』(11月29日公開)
シンプルな漢字2文字の題名で,同月公開だったので,しばしばPart 1の『本心』と混同してしまった。いずれも原作小説を巧みに改変した映画化で,実力派監督がしっかり描けば良い映画になる典型例である。こちらの原作は染井為人の同名小説で,監督・脚本の藤井道人が正統派の社会派映画,ロードムービーとして描いている。それぞれ『新聞記者』(18),『青春18×2 君へと続く道』(24年5月号)で実績は折り紙付きであり,安心して観ていられた。テーマは「冤罪」で,殺人犯として死刑判決を受けた受刑囚が脱走し,顔を変えながら363日間の逃亡生活を送る物語である。袴田事件の「再審→無罪」の後だけに,公開のタイミングは絶妙だ。
日本中を震撼させた死刑囚・鏑木慶一の脱走シーンから映画は始まる。仮病を使って救急搬送され,そこで暴れて脱走するという手口だった。題名は「冤罪」「逃亡犯」でもいいかと思ったが,顔を変えながら全国各地に潜伏し,「正体」がばれると間一髪で逃げ出すので,この題名も悪くない。潜伏先は,大阪→東京→長野と移る(原作とは少し違う)。彼を執拗に追う担当刑事・又貫征吾(山田孝之)は,彼に出会った沙也香(吉岡里帆),和也(森本慎太郎),舞(山田杏奈)を取り調べるが,各々の鏑木像は全く別人のようだった。やがて,彼が逃亡を続けようする真の目的が明らかになってくる……。
冤罪事件と分かっているので,身柄確保,再審の結果は,容易に想像できる。問題はその過程の描き方だ。原作通りでなく,素直な逃亡経路順の進行が分かりやすかった。本筋とは別に,沙也香の父親(田中哲司)が痴漢の冤罪で捕まるエピソードも映画全体を引き締めている。再審の判決主文読み上げを音無しにして,傍聴席の様子で分からせる演出は見事だった。俳優では,いつもは髭面で悪人が似合う山田孝之が,髭なし,整髪,背広姿の刑事で登場するのは珍しい。それでも,上記『アングリースクワッド…』の内野聖陽の税務署員ほどの違和感はなかった。名作TVドラマ『逃亡者』でリチャード・キンブルを追うジェラード警部のイメージで観るとピッタリくる。女優陣では,吉岡里帆が抜群で,惚れ直してしまった。その他の助演陣は,前田公輝,西田尚美,原日出子,松重豊,木野花らで,かなり充実していた。
そして,何と言っても刮目すべきは,主演の横浜流星である。これまで,『きみの瞳が問いかけている』(20年9・10月号)『嘘喰い』(22年1・2月号)『流浪の月』(同Web専用#3)『ヴィレッジ』(23年4月号)等を観てきて,当初は演技を酷評していたが,一作毎に演技力も増している。武闘派のイメージが強かったので,これだけ端正な顔立ちとは気が付かなかった。とりわけ,『春に散る』(23年8月号)のボクサー役からの変身ぶりが見事だ。本作は文句なしに彼の代表作となるだろう。
■『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』(11月29日公開)
邦画の最後は,良質のドキュメンタリー映画である。被写体は,元SMAPメンバーの森且行。ただし,この映画を観るまで,「早めに脱退してレ-サーになったのが1人いたな」程度の認識で,フルネームも,その後何をしていたかも知らなかった。そりゃそうだ,中年以上の親父が一々男性アイドルグループの離脱者の活動まで知る訳がない。この種の映画評を書いていて気になるのは,香取慎吾,草彅剛,最近は稲垣吾郎である。
てっきりカーレーサーだと思っていた。オートレースは実物はおろか,映像すら見たこともない。競馬,競輪,競艇とならぶ公営ギャンブルの1つで,傾斜角度の大きい周回コースを高速バイク走行する競技と知っていただけである。映画は,大半の走行車が接触事故で転倒する壮絶なシーンから始まる。その模様を主人公らしき人物がコース外から見ていたので,これが森且行であり,彼がこの事故に遭遇したのではないことが分かる。おそらく筆者のようなオートレースの実態を知らない初心者に,いかに危険な競技であるかを理解させる目的での導入部なのだろう。600ccの軽量バイクで,1周500mのオーバル(楕円)コースを6周するのが標準で,最高速度150km,ブレーキなしの走行だという。なるほど,競馬やF1よりも圧倒的に危険性が高い競技だ。
森且行はびっこを引いて歩いている。SMAP離脱の時,お互い日本一になろうと約束したという。それなら,その目的を達成するまでの苦難を描いた実録映画だと思った。ところが,あっさり前半で,2020年11月に日本一になってしまう。あれっ!? それじゃ,残りはどうなるのか? その栄冠の82日後に,前を走るレーサーの落車に巻き込まれ,大怪我をする。多発肋骨骨折,肺挫傷・肺血胸,腰椎破裂骨折,骨盤骨折で,体内に24本のボルトを入れる。医師からは,レース復帰どころか,「良くて車椅子生活」と宣言される。そこからの凄まじいリハビリ生活とレーサー復活が叶うかを描いた映画であった。
1年5ヶ月後に試走路を走行するが,すぐに違和感を感じる。右足がダメだった。更なるリハビリで,2 年 3 ヶ月ぶりの復帰戦がクライマックスだった。途中で早くも先頭に立つが,残り4周もある。果たして勝てるのか,いや無事にゴールできるのか? レースを見守り,祈りを捧げる担当医師と同様,こちらも直視し難かった。レース結果と彼のその後は観てのお愉しみとしておこう。
映画の途中で,写真を中心に,少年時代から兄・久典と共にオートレーサーを目指した姿が映る。もの凄い美少年である。不謹慎ながら,実はジャニー喜多川の性的加害に我慢できずにSMAPを離脱したのではないかと想像してしまった。その後,彼の不屈の精神,レーサーとしての卓抜な技量,周りへの感謝の念,等々を観ていて,そんな疑念は吹っ飛んだ。素晴らしいドキュメンタリーである。この映画を観た誰もが彼のファンになり,今後の活躍を追いたくなることは間違いない。
■『ザ・バイクライダーズ』(11月29日公開)
上記と同じくバイク映画だが,時代も国もバイクが果たす役割も,映画から受ける印象も全く違う。共通項はオートバイだけと言っても良いくらいだ。レーサーではなく,バイク好きの荒くれ男たちの集団の過激な行動や内部抗争を描いた映画である。米国の写真家ダニー・ライアンが,シカゴに実在したバイカー集団「Outlaws Motorcycle Club」で4年間,自ら行動を共にしながら描写した写真集「The Bikeriders」(初版1968年)を基にしている。
物語は1965年から始まる。語り手は若い女性のキャシー(ジョディ・カマー)で,映画の最後まで彼女の回顧録の形式をとっている。それまで不良とは無縁の日々を送っていた彼女は,ある酒場で無口なバイク乗りのベニー(オースティン・バトラー)と出会って意気投合し,2人はたちまち恋に落ちる。たった5週間で結婚に至る展開の早さに少し驚く。地元の荒くれ男を束ねていたのはジョニー(トム・ハーディ)で,ベニーはその側近だったが,群れることを嫌い,狂気的な一面を持っていた。彼らは「ヴァンダルズ」と称するクラブとなり,各地に支部ができるほど急速に拡大する。当初はただの無法者だったが,次第に犯罪に手を染める。クラブ内の治安は悪化し,敵対クラブとの抗争も日常化する。ジョニーは自ら立ち上げたクラブが制御不能になったことに苦悩し,キャシーはバイクと暴力に明け暮れるベニーの危うさを不安視していた。そんな中で,ついに「ヴァンダルズ」内で最悪の事態が起こる……。
『フリー・ガイ』(21年Web専用#4)で魅惑的なヒロイン,『最後の決闘裁判』(同Web専用#5)で存在感のある原告の妻を演じたJ・カマーは,本作では語り手として物語を牽引している。『エルヴィス』(22年Web専用#4)で本人に似せた演技が話題を呼んだA・バトラーは,本作では自然体に見え,こちらの方がずっと魅力的だ。2人は似合いのカップルに見える。T・ハーディは少し老けたと感じるものの,今月号で酷評した『ヴェノム:ザ・ラストダンス』のような崩れた感じはなく,黒い革ジャンが似合うリーダー役に相応しかった。衣装も街並みも見事に再現されていて,映画の中から激動の1960年代の荒々しさが伝わって来た。
‘60年後半,筆者は高校生から大学生であり,同年代の若者と同様,バイクやスポーツカーに憧れた。当時まだ暴走族がいなかったのは,皆貧しく,バイクを買うだけの資力がなかったに過ぎない。世の中の変革期であり,米国ではJFKの後も弟ロバートやキング牧師の暗殺が続き,公民権運動からベトナム戦争反対の嵐が吹き荒れた。日本では,東京五輪から大阪万博への高度成長の一方,69年が学園紛争のピークだった。欧州でも反戦や反権力の潮流が押し寄せ,音楽界では頂点に達したビートルズが解散し,喪失感に溢れていた。当時15歳以上であった人なら,自分の人生がどんな影響を受けたかを思い出しつつ,この映画を観るに違いない。
監督・脚本は,『MUD -マッド-』(12)等でカンヌの常連のジェフ・ニコルズ。てっきり彼も激動の60年代の洗礼を受けた世代かと思ったら,1978年生まれであった。この監督は,特定の時代や地域特有の映画でありながら,いつの時代にも通用する話を描きたかったと言う。かつて兄に紹介されて眺めた写真集のインタビューに魅了され,その中から普遍的なものを見つけたようだ。最後のシーンで,それが分かったような気がした。
■『JAWAN/ジャワーン』(11月29日公開)
今月はインド関連の映画2本で締め括る。昨年紹介した『PATHAAN/パターン』(23年9月号)を覚えておられるだろうか? ボリウッド映画界の大スター,シャー・ルク・カーンが主演の痛快スパイアクション映画であった。題名も同形式の本作の主演も同じシャー・ルク・カーンであり,爽快感も観客満足度も全く引けを取らない。ただし,今回の主人公は元スパイではなく,現役の女性刑務所の所長であり,彼が服役中の女囚チームを率いて社会悪の一掃に挑む娯楽映画である。そう聞いただけでワクワクする。少しだけ異なるのは,監督のアトリーはタミル語映画界の新進気鋭で,ボリウッドとコリウッドのタッグで実現した昨年度興収No.1作品であることだ。
ここで少し整理しておこう。「ボリウッド」とは,大都市ムンバイ(旧名:ボンベイ)を中心とした映画産業の愛称であり,主に連邦公用語のヒンディー語の映画を製作している。一方,タミル語は最南部のタミル・ナードゥ州の公用語であり,映画産業の中心地コダンバッカムにちなんで,タミル語映画界は「コリウッド」と呼ばれるようになった。本作は,コリウッドの監督アトリーが脚本・撮影・編集等にコリウッド映画人を起用して撮ったヒンディー語のボリウッド映画となっている。
映画は,インド北部の川で流れてきた男を母子が助けるシーンから始まる。村に運ばれてからも,男はずっと眠り続けていた。祭りの夜,武器を携えた集団が村人達を次々と殺害するが,眠っていた男が覚醒し,敵の一味を全滅させる。自分が誰だか分からないこの男が,後で大きな役割を果たす伏線らしいと想像できる。映画の舞台は30年後のムンバイへと移る。地下鉄がハイジャックされ,人質の女性アーリアの父親カリが4000億ルピーを送金する。実はカリは悪徳武器商人であり,奪われた金は彼に収奪されていた農民70万人の口座に振り込まれていた。刑務所所長アーサード率いる女性受刑者チームの犯行であることは観客には明かされるが,警察には犯行集団を正体不明であった。次は保健大臣を銃撃し,負傷させて拉致し,医療現場の腐敗・汚職を暴く事件を起こす。警察側では,辣腕女性捜査官ナルマダが捜査に乗り出す。ところが驚いたことに,アーサードとナルマダの見合い話が持ち上がり,2人は結婚する。
物語は進行し,カリ側の反撃でアーサードが捕まったところで不思議なことが起る。観客には何が何だか分からないが,これもエンタメゆえの演出だ。後半でこの謎が解き明かされるのだが,ここからは観てのお愉しみとしておく。例によって,歌って踊るシーンも交えながら,軍の銃器調達の不正を暴く痛快譚の他に,環境破壊問題への警鐘,さらには参政権の重要さまで説いている。主人公は,「安易に考えて宗教だけで候補者を選ぶな,5年間の政治を任せるに足るか,国の未来を考える人物を選べ」と演説する。娯楽映画でこんな国民教育まで盛り込むとは立派なものだ。唯一の欠点は,171分の長尺であることだ(これがインド映画の標準だが)。映画館でその時間を費やす余裕があるなら,観て損はない。
■『コール・ミー・ダンサー』(11月29日公開)
インドの貧民層の青年がクラシック・バレエのダンサーを目指し,夢に向かって奮闘する姿を描いている。というと劇映画に思えるが,完全な実話で異色のドキュメンタリー映画である。ただし,ドラマチックな展開は,よく練られたサクセスストーリーを思わせる出来映えだ。大半はインドのムンバイで撮影されているが,映画国籍は米国である。ダンスシーンはたっぷりあるが,ボリウッド映画ではないので,楽しそうに歌って踊るシーンはない。遥かに真剣勝負で,人生がかかったダンスの世界が被写体である。
映画は,当人マニーシュ・チャウハンの語りから始まり,ストリートダンスに興じる映像からは物凄い才能を感じる。ダンス大会で注目を集めた彼は,ダンス学校への入学を勧められたが,両親に反対される。祖父も父もタクシー運転手の労働者階級には,プロのダンサーは縁のない世界であった。それでもスクールを見学したマニーシュはダンスを諦め切れず,通い始めるが,そこで出会った気難しい教師イェフダ・マオールとの出会いが彼の人生を変えてしまう。イスラエル出身の名のあるバレエダンサーで,有能な教師でもあったが,既に欧米や母国で彼の居場所はなく,75歳でインドに移住していた。バレエに魅せられたマニーシュは,他のダンスを捨て,大学も中退してしまう。この時彼は既に21歳であった。もう1人,若い14歳のアーミル・シャーも輝く才能の持ち主であり,イェフダにとっても2人を一流に育てることが生き甲斐となる……。
イェフダの指導は厳しかったが,2人の才能が群を抜いていることは一目瞭然だった。Part 1の『ネネ -エトワールに憧れて-』(24年11月号)とは,国も歴史も異なるが,才能ある若手を育てようとするマインドは同じだと感じた。アーミルは15歳で英国のロイヤルバレイ学校に奨学金つきで入学する。インド人で初の快挙だった。残されたマニーシュとイェフダの指導関係は続くが,遅咲きで年齢が高いマニーシュは,もはやどのバレエ団にも入れなかった。クラシックからコンテンポラリーへと転向することになり,スポンサーを見つけ,イスラエルに向かうが,ここでも才能は認められたものの,採用枠がなく,どこにも雇用されなかった。止むなく,最後のチャンスとして米国に渡り,そこでの努力が実って,NYのダンススクール「ペリダンスセンター」の正式団員になるまでが本作で描かれている。
過去に何度もバレエ映画を紹介し,とりわけパリ・オペラ座の国営バレエ団のトップレベルのダンサー達を当たり前のように見てきた。マニーシュほどの才能がありながら,正式団員は狭き門ということを知って驚いた。一方,ダンス教師としてのイェフダも魅力的な人物である。彼は多くの弟子を育て,慕われ,感謝されている。本作の監督レスリー・シャンパインは,そんな弟子の1人である。ダンサー引退後,映像業界に転じた彼は,本作でイェフダをもう1人の主人公として描いている。
なお,本作の途中で,マニーシュが映画に本人役で登場し,その出演料を両親に手渡すシーンがある。その映画はNetflix製のドキュメンタリー映画『バレエ 未来への扉』(20)のようだ。筆者は未見だが,時間ができれば,是非本作と見比べたいと思う。
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