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■『失くした体』 :不思議なテイストの映画である。別項の『クロース』同様,本作もアカデミー賞長編アニメ部門にノミネートされてから初めて知ったフランス製のアニメ作品だ。やはりNetflixから配信されているが,こちらは全くの2Dセル調のクラシックなアニメ画法である。舞台はパリ,切断された手(右手の手首から先)が病院を抜け出し,街を闊歩して,元の持ち主である青年ナウフェルの身体に戻ろうとする物語である。途中,ネズミ,ハト等に襲われながらも窮地を脱するロードムービー仕立てになっている。手が自らの意志で行動するという設定がユニーク過ぎるくらいユニークだ。何か物に触れるたびに過去の記憶が蘇るが,子供時代の想い出はモノクロで描写し,それ以外はカラーで描かれている。手が思い出す回想の中で,孤独な青年ナウフェルと図書館司書の女性ガブリエルのラブストーリーも進行するが,絵も会話もシンプル過ぎて,この物語に没入できなかった。普通の実写映画にした方がラブストーリーとして楽しめたと思うが,それでは(CGで描いたとしても)手がリアル過ぎて気味が悪かっただろう。原作は脚本家であるギョーム・ローランの小説「Happy Hand」で,これまで多数の短編アニメで活躍してきたジェレミー・クラパン監督が長編デビュー作として選んだ題材だ。既に,第43回アヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞のクリスタル賞と観客賞をダブル受賞,第47回アニー賞では長編インデペンデント作品賞を受賞している。いかにも単館系の作品で,批評家受けはするだろうが,個人的には好きになれなかった。上映時間は81分だが,このネタには長すぎる。10数分の短編の方が成功していたと思う。アカデミー賞にノミネートされたのは,意図的に異なる国やジャンルの作品を入れてバラエティを増したかったからだと想像する。
■『アンカット・ダイヤモンド』  :主演はアダム・サンドラーで,本作ではNYの宝石商を演じている。米国では多数のヒット作をもつコメディ俳優だが,日本では知名度も人気も上がらないことが定着した感がある。当欄で取り上げるのも,かなりの駄作だった『ピクセル』(15年9月号)以来だ。印象に残る代表作もすぐには思い出せない。過去作のリストを見てようやく思い出したのは,シリアスなテーマで好演だった『再会の街で』(08年1月号)だけだった。本作は彼の代表作となり得る出来映えで,ギャンブル依存症で借金まみれになり,常に取り立て屋に追われているダメ男を演じている。妻子にも見放される口先だけの破滅型人間で,これまでどうやって経営者を続け,家庭生活を維持してきたのかが不思議なくらいだ。例によって,マシンガンのような台詞の連続で,借金取りや観客をも幻惑する。実世界で出会ったら,およそ付き合いたくない人間だが,役柄としては面白く,展開や結末が気になるタイプのクライム・ムービーだ。明確な犯罪は犯していないのだが,いつそうなってもおかしくないと感じさせる『闇金ウシジマくん』(12〜16)の世界である。中盤に流れるビリー・ジョエルの “Stranger” が,本作のテイストと見事にマッチしていた。物語を引き立てていたのは,元NBAの名プレイヤーで,実名の本人役で登場するケヴィン・ガーネットだ。なかなかの演技力である。本作は,彼の現役時代という設定で,NBA試合での得点や勝敗が,主人公の大博打の対象となっている。監督・脚本はベニー&ジョシュ・サフディの兄弟で,当欄で言及するのは初めてだが,終盤の盛り上げが上手い。結末では衝撃が走るが,この物語なら有り得る着地点だと納得した。原題は『Uncut Gems』。劇中で登場するのは,終始エチオピア産の「ブラックオパール」なので,どうして邦題では「ダイヤモンド」なのか,最後まで理解できなかった。
■『阪神タイガース THE MOVIE~猛虎神話集~』(評点なし):当欄4度目の「評点なし」だ。これまでは,難解で筆者の手に負えない映画に対して,低い評価にする訳にも行かず,止むなくこうしたことが多い。本作には「難解さ」は全くない。むしろ「南海は既にないが,ずっと阪神ファン」と洒落を言いたいくらいだ。球団創設85周年記念の公式ドキュメンタリーで,2週間の限定公開だそうだ。85年間の60年以上,小学校低学年からのファンだが,最初から「阪神タイガース」を応援していた訳ではない。当時,そんな球団は存在しなかった。俗称は親会社名の「阪神」でも,正式の球団名は「大阪タイガース」だったからである。そんな拘りまで吹聴したくなる筋金入りのファンゆえ,客観的な評価は与えられないので,敢えて「評点なし」にした次第だ。元より,虎キチ以外の観客は当てにしていない映画で,評点など無用だろう。案内役として,甲子園球場をバックした4代目ミスタータイガースの掛布雅之が再三登場する。すっかりデブになったが,人懐っこい笑顔でタイガース愛を振り撒く。記録映像は,1985年の「バックスクリーン3連発」から始まる。妥当な選択だ。掛布と岡田が,槙原の配球を分析し,心理状態まで解説してくれるのが嬉しい。続いて,1973年の江夏の延長11回自らサヨナラホームランによるノーヒットノーラン達成。熱烈ファンの石坂浩二が,現在の江夏本人に当時の心境をインタビューする……。という風に,ファン心理をくすぐる場面が続々と登場する。珍しかったのは,歴代の名遊撃手列伝のパートだ。これを,松村邦洋が元監督・吉田義男の声色で解説するから,抱腹絶倒である。ちょっと残念だったのは,かつての二枚看板の内,村山実投手の映像はあったが,名投手・小山正明の姿が全く登場しなかったことだ。バッキーからのメッセージはあったが,バースへのインタビュー映像もなかった。新庄の敬遠球サヨナラヒットはないのか!? と憤りかけたら,見逃しそうなところに,しっかり挿入されていた。いやぁ,大満足,大満足。エンドロールで,観客一同が手拍子しながら,「六甲おろし」を大合唱するための映画だ。
■『黒い司法 0%からの奇跡』  :いい映画だ。数ある裁判ものの映画の中でも,心に沁みる出色の感動作である。丁々発止の法廷劇ではなく,あからさまな黒人差別で死刑判決を受けた冤罪事件に対して,新任の弁護士が奮闘し,再審にこぎつける困難さを中心に描いている。ハーバード・ロースクール出身のエリートでありながら,「真の正義」のため冤罪事件と闘った無欲な弁護士の実話である。その名は,ブライアン・スティーブンソン。『マリッジ・ストーリー』(19年Web専用#6)の離婚訴訟専門の弁護士とは大違いだ。原題は『Just Mercy』だが,本人の回顧録が原作で,その邦訳本「黒い司法 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う」(亜紀書房刊)の題名を踏襲している。本作で描かれているのは,1987年南部アラバマ州で起きた若い女性の殺人事件で,全く事件とは無縁の黒人男性ウォルターが逮捕され,死刑判決が下されている。仕組まれた証言,白人の陪審員や判事の言動が生々しい。既に公民権運動は落ち着き,非白人への差別も減っていた頃かと思ったのに,この時代にまだこんなことが公然と行われたいたのかと,驚きを禁じ得ない。監督は,日系アメリカ人を母にもつデスティン・ダニエル・クレットン。主演のスティーブンソン弁護士役に『クリード チャンプを継ぐ男』(16年1月号)のマイケル・B・ジョーダン,被告人ウォルター役に『Ray/レイ』(04)のジェイミー・フォックスという豪華キャスティングだ。共に実在の本人と似ているというのも,ハリウッド作品ならではの配慮だ。ストレートな演出で,奇をてらっていないので,映画祭向きではないが,こういう映画こそ見て欲しい。インデペンデント系作品でなく,大手のワーナー・ブラザースが映画化したということも言及しておきたい。
■『PMC ザ・バンカー』 :2つの意味で驚愕の映画だった。韓国映画で,北との軍事境界線で起きた攻防を描いたサバイバルアクションだ。時代は2024年,主人公は韓国の民間軍事会社の凄腕の傭兵エイハブ(ハ・ジョンウ)で,米国CIAから彼へのミッションは,地下通路から亡命して来る北の要人の安全を確保することだった。簡単なはずのこの任務が,依頼主CIAの策謀,仲間の裏切りで破綻し,要人は瀕死の重傷を負う……。それだけなら,定番のアクション映画だが,政治的背景の設定に驚いた。初めから堂々と,米国の現職大統領が自らの大統領再選を有利にするために仕組んだ計略だとしている。「マグレガー大統領」と称しているが,数年前に北朝鮮の最高指導者と歴史的対話を果たし,対立候補は民主党としているから,誰が考えてもトランプ大統領だ。ウクライナ問題で弾劾裁判にかけられるくらいだから,大統領選が近づけば,支持率回復の人気取りのために,北朝鮮を利用したこれくらいの策略は十分有り得る(と観客に思わせる)。北からの要人の正体が分かって,さらに驚く(すぐに分かるが,お愉しみに)。何で,彼が亡命してくるんだ? 後半は,この混乱に乗じて,中国軍が侵略して来る。いくらフィクションとはいえ,今の韓国で,こんな生々しい近未来設定が許されるのかと驚いた。中盤から後半では,心肺停止となった要人を蘇生させ,地下30mからの脱出を試みる。要人の専属医師(イ・ソンギュン)の協力を得ての医療行為の描写は面白かったが,いくら何でも荒唐無稽すぎる。終盤のパラシュート降下に至っては,驚きを超えて呆れ果てた。よく考えれば,米国大統領の任期は最大2期8年だから,2024年に再選ということは,2020年に選出され,2021年に就任した新大統領のはずだ。トランプのはずはない。本当は,2020年の出来事として,実名で描きたかったのだろうが,さすがにそれは遠慮したのだろう。韓国大統領は無能で無視されているのか,全く登場しないし,日本への言及も全くなかった。それに気付いたのは後からで,そんなことを考える余裕を与えない一気呵成のサバイバル映画だった。
■『シェイクスピアの庭』 :冒頭のナレーション,火災のシーンの後,英国の美しい風景が続く。偉大な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの晩年を描いた映画であるから,400年以上前の風景として見せるのに,一体どの町を被写体にしたのだろう? 多少VFXの力を借りたにしても,現存する町並み,庭園風景で通用するとは,驚くべきことだ。監督・主演は,数々のシェイクスピア劇を演じた舞台俳優で,映画でも『ヘンリー五世』(89)『から騒ぎ』(93)『ハムレット』(96)を生み出したケネス・ブラナー。本作では,そのシェイクスピア自身を演じるから,まさにこれ以上ない存在である。この文豪を主役にした映画と言えば,真っ先に『恋におちたシェイクスピア』(98)を思い出すが,本作はそんな軽いタッチのラブコメディではない。断筆した失意の文豪が,20数年振りに故郷に戻り,妻子と再会し,17年前に亡くなった息子を悼むため,特別な庭を造ることを決意する……という物語である。助演は,8歳年上の妻アン役にジュディ・デンチ,長年の知己サウサンプトン伯役にはイアン・マッケラン。先のミュージカル映画『キャッツ』(20年1・2月号)で猫の姿で歌い踊っていた老俳優2人も,本作ではブラナー監督の求める格調高さに気圧されたのか,演技がやや硬い。沙翁の代表作からの引用と思しき台詞が随所で登場する(本当か?)。聞いたこともない花の名前も出て来て,英国製の「植物図鑑」が欲しくなるくらいだ。海外古典文学の素養のない身には,敷居が高過ぎた。譬えて言えば,近松門左衛門の晩年を仲代達矢が演じ,草笛光子,田中邦衛らが助演の邦画で,「曽根崎心中」「心中天網島」の台詞が出て来るのを,外国人が理解しようとしているようなものだ。ま,そこまで極端ではないが,筆者の観賞力では,この物語に没入できなかった。そこで,古風な邸宅やその内部の調度類,当時を忠実に再現したであろう黒基調の衣装,広大な英国式庭園をひたすら眺めていた。実に絵画的であり,伝統美である。日本では大坂冬の陣,夏の陣の時代に,こうした文化を作り上げていた英国は凄いなと,改めて実感した。
■『Fukushima 50』  :日本人なら必見と言いたい映画だ。2011年の,あの東日本大震災で起きた福島原発での大惨事に際し,未曾有の災害を最小に留めようと,現場で必死に闘った人々の奮闘を描いたドラマである。早くから,本作の製作が発表され,広報にも力が入っているが,それに相応しい力作に仕上がっている。毎年3月11日前後に定番のTV番組が組まれ,被災地の現状が報告されている。「忘れてはならない教訓」とは思いつつも,「もう見たくない」と感じる視聴者も少なくないようだ。そんな在り来たりの報道番組とは一線を画す,渾身の人間ドラマである。ドキュメンタリー・タッチで始まり,この種の邦画の典型的なテンポで進行する。何が起こったのかは,全国民が知っているので,奇をてらわない演出が好ましく感じた。主演は,福島第一原子力発電所1・2号機当直長・伊崎利夫役の佐藤浩市,同所長・吉田昌郎役の渡辺謙で,この2人のコンビネーションが絶妙だ。後者の吉田所長の名前は誰もが知っているが,伊崎当直長(実際は,伊沢郁夫氏)や他の登場人物名はすべて変名のようだ(歌舞伎版の「忠臣蔵」じゃあるまいし,何のためにそうするのか?)。破壊される前の原発の全景はCGで描かれ,中央制御室,緊急時対策室,計器類は大規模なセットが組まれている。きっと綿密な調査,証言から忠実に再現しているのだろう。CGは,他にヘリ,津波,爆発等々の描写に使われているが,悪くない。邦画としては水準以上だ。監督は,『沈まぬ太陽』(09年11月号)の若松節朗。前作の『空母いぶき』(19年5・6月号)は駄作だったが,脚本とVFXが絶悪だっただけで,演出は悪くなかった。その想いもぶつけたかのような力強い演出で,後に海外から「Fukushima 50」と呼ばれた現場職員たちの壮絶な闘いを描いている。途中で何度も目頭が熱くなる。その一方で,現場の邪魔にしかならなかった総理のバカぶりは呆れる。多少誇張があるにしても,まさに憲政史上最低の首相だ。官邸や東電幹部の無能ぶりも,取材から聴こえて来た現場の本音の声だろう。当時筆者は,東電の他部署の管理職や社員の当事者意識のなさを,関西電力経由で聴いていただけに一々頷けた。本作を観れば,「原発は再稼働してはならない。全廃すべきだ」との思いを強くすることだろう。本作に対して,願わくば,もう少し詳細な現場地図を示し,どの時点でどこが破壊されたのか,位置関係も含めて解説して欲しかった。また当時のニュース映像をもっと多用すべきだし,現在の福島原発の生の姿,汚染水を溜めた膨大な数のタンクも見たかった(政府や東電が写させないのか?)。社会派映画としては,エンドロール前の字幕で,なお残る避難民の数,現場関係者の現在の仕事,放射能被爆者の数なども示すべきだったと思う。
■『仮面病棟』 :洋画メジャーの「ワーナー・ブラザース映画」ブランドで邦画の配給が始まったのは2006年で,我が国の映画興行成績で「邦高洋低」が定着し始めた頃のことだった。『デスノート』シリーズの成功を経て,2010年頃から本格的に製作にも参入し,『るろうに剣心』『アウトレイジ』等のヒットシリーズを生み出している。オリジナル脚本より,『藁の楯 わらのたて』(13年5月号)のように,原作がある作品の方が出来がいいのは,物語の骨格がしっかりしているからだと感じる。本作は,ミステリー作家・知念実希人の同名小説の映画化で,原作者と木村ひさし監督が共同脚本で名を連ねている。ピエロの仮面をつけたコンビニ強盗犯が,人質をとって近くの病院に立て篭もるという筋立てだ。主演は病院の当直医役の坂口健太郎で,共演は犯人に銃で撃たれて負傷した女子大生役の永野芽郁である。前半はホラー・サスペンス調だったが,院長(高嶋政伸)の不可解な行動,ベテラン看護師の殺害で,次第にサスペンス・ミステリーの性格を帯びてくる。原作者・知念実希人が現役医師だけあって,院内の描写はリアリティが高い。彼が期待のミステリー作家と聞けば,真犯人の正体は大体読める。それでも,動機と事件の種明かしシーンは愉しみであり,期待を裏切らない出来映えだ。
■『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』 :カナダ人俳優で,監督として高く評価されているがグザビエ・ドランの最新作である。前作『たかが世界の終わり』(17年2月号)は,「監督の意図や結末を知って観た方が演出の妙を味わえる映画」と評したが,本作も物語の設定と登場人物の役割を予め頭に入れてから観た方が味わい深い。邦題の『…死と生』は,日本語なら「生と死」の方が座りがいいと感じるが,原題は『The Death & Life of John F. Donovan』だから,ほぼ直訳だ。実際,映画の展開はこの言葉の順である。若手人気男優のJ・F・ドノヴァン(キット・ハリントン)の死から物語は始まり,彼と100通以上の文通をしていたというルパート少年(ジェイコブ・トレンブレイ)が現れるが,周囲からは信用されず,辛い思いをする。時代は11年後に変わり,大人になって同じく俳優となったルパートが,女性ジャーナリストのインタビューを受け,回想シーン中でジョンとルパートの交流の実態が語られる。まさに「死と生」の順なのである。2組の母との子の物語でもあり,心の内なるものを巧みな台詞で表現している。イケメン俳優,天才子役,そして3人のベテラン女優が,この物語を盛り上げる。少年の母親役のナタリー・ポートマンが,ますます綺麗になっていた。謎解きではないが,少しずつ真相が解き明かされる展開は,ミステリー・タッチとも言える。個々には見どころが多い映画なのに,イジメやLGBT等,話題を盛り込み過ぎて,全体像が散漫になってしまった感がある。音楽も盛り沢山だが,少し騒々しく感じた。
■『恐竜が教えてくれたこと』  :この題から,どんな映画を想像する? おそらく主人公は少年で,何か人生な大切なものを学ぶ映画だろう。冒険物語か,ラブコメディか,あるいは恐怖体験か…。ホラーではないだろうと想像したが,ほぼ事前予想通りの映画だった。オランダ映画で,舞台となっているのは,同国北部のテルスへリング島だ。家族4人で過ごす1週間のバカンスで,避暑地の美しい島を訪れた11歳の少年サムが,島の美少女テスに出会って貴重な想い出を作る。勿論,恐竜は登場しないが,「地球最後の恐竜は,自分が最後だということを知っていたのか」と真剣に悩む少年が主人公である。原作は,アンナ・ウォルツ作の小学校高学年向けの児童文学「ぼくとテスの秘密の七日間」(フレーベル館発行)だが,映画もこの題の方が良かったと思う。2015年に青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選定されただけあって,思春期の少年少女の揺れ動く心,家族のあり方を繊細なタッチで描いている。明るい砂浜,サルサのリズムも印象的だ。途中まで『ムーンライズ・キングダム』(13年2月号)のような展開を想像したが,だいぶ違った。国も場所も結末も全く異なるが,印象としては『テラビシアにかける橋』(08年1月号)に近い。「優れた児童文学は大人も夢中にさせる」の好例だ。監督は,将来を嘱望される若手監督のステフェン・ワウテルロウトで,これが長編デビュー作である。
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