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O plus E 2022年Webページ専用記事#7

『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』

(ウォルト・ディズニー映画)


オフィシャルサイト[日本語]
[11月23日より全国ロードショー公開中]

(C)2022 Disney


2022年11月17日 大手広告試写室(大阪)


『魔法にかけられて2』

(ウォルト・ディズニー映画)


オフィシャルサイト[日本語][英語]
[11月18日よりDisney+にて独占配信中]

(C)2022 Disney Enterprises, Inc.


2022年11月18日 Disney+の映像配信を視聴

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


本家ウォルト・ディズニー映画2本への辛口メッセージ

 11・12月号ではMCUとDECUの対決で2本まとめて論じたが,今回はディズニー作品2本をまとめて俎上に乗せて論じる。マーベル・スタジオ,ルーカスフィルム,ピクサーと,ドル箱映画を生み出す製作会社を傘下に収めただけでなく,20世紀スタジオ作品まで支配下に入れたディズニー配給網だが,この2本は正真正銘,本家「ウォルト・ディズニー映画」の作品である。片方は伝統あるWalt Disney Animation (WDA)の第61作目『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』で,もう1本は10数年前の実写映画のヒット作『魔法にかけられて』(08年3月号)の正統な続編だ。
 この2本をカップリングすることは,当欄にトップページで早々に予告しておきながら,(工事中)を外すのに1週間以上もかかってしまった。まず,その言い訳からしておこう。前者の『ストレンジ…』は,紙媒体最後の11・12月号で書きたかったのだが,マスコミ試写が1日違いで入稿締切に間に合わず,断念せざるを得なかった。後者のDisney+での配信開始は,さらにその後であった。いずれも11・12月号の校了後,発行日前に観たので,この2本をまとめて論じることにした。早めに書くつもりで宣言しておきながら,遅くなってしまったのは,11・12月号の残務整理(加筆&画像追加して,このWebサイトへのアップロード等々)に追われていたからである。
 いやいや,そうではない。正直に言えば,半分足らずは書いておきながら,1日延ばしにズルズルと遅らせてしまったのは,映画の出来映えに感心せず,余り書きたくなかったからだ。昨年の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(21年Web専用#5)や『マトリックス レザレクションズ』(同#6)と同じで,酷評を少し控えるべきか,それとも期待外れだったことを正直に伝えるべきか逡巡し,執筆意欲が湧いて来なかったからである。
 迷った挙句,全くの私見であるが,愛情を込めた辛口メッセージとして,この両作を論じることにした。以下,そのつもりで読んで頂きたい。


世界観は大仰すぎるが, 地下世界のCG描写は絶品

 フルCGアニメのWDA61作目の原題は,シンプルな『Strange World』だ。副題がなくても,キービジュアルだけで,CGで描いたカラフルな別世界が舞台であることは容易に分かり,ディズニーアニメならではの演出に期待した。広報宣伝では「ディズニー史上最も“不思議な世界”と“驚愕のラスト”」なる触れ込みだが,後者はともかく,“不思議な世界”が見事に描かれていることは間違いなかった。

【登場人物とあらすじ】
 舞台となるのは,架空の国の「アヴァロニア」で,主人公は平凡な農夫のサーチャー・クレイド(声:ジェイク・ギレンホール)だ。物語冒頭で,名だたる冒険家の父・イェーガー(声:デニス・クエイド)が青年サーチャーを連れて雪山探検に出かける。サーチャーは道中で強いエネルギーを発する植物を見つけ,これを成果物として探検を終えることを提案するが,父イェーガーはそれに反対し,姿を消してしまう…。
 植物は「パンド」と名付けられ,貴重なエネルギー資源として珍重され,アヴァロニア国の経済を支える主要産業となる。サーチャーもそれを栽培する農場を経営するようになり,妻子と共に穏やかな生活を送っていた。ところが,各地のパンドが腐り始めていて,このまま放置しておくと国家存亡に関わる危機だと判明する。その原因を探るため,原発見者のサーチャーが調査探検隊を率い,その根を辿り,地下世界に向かうことになる…。
 息子イーサンと愛犬レジェンドが探検のための飛行船に忍び込んでいて,それを追って妻メリディアンも地下世界にやって来る。さらに,この広大な地下で行方不明だった父イェーガーと遭遇することになり(写真1),クレイド一家が不思議な世界で大冒険を繰り広げる…。


写真1 地下世界で行方不明だった父イェーガー(右)に遭遇 

 人物設定での要諦は,父イェーガーが偉大な冒険家であるのに,サーチャーは冒険嫌いであり,息子イーサンは祖父に憧れ,冒険好きだということだ(写真2)。即ち,3世代で,2組の父子の嗜好の違いと家族愛を描いた物語となっている。


写真2 冒険好きの孫は尊敬する祖父と意気投合

 監督は『ベイマックス』(15年1月号)『ラーヤと龍の王国』(21年Web専用#1)のドン・ホール。脚本は,後者の『ラーヤ…』の脚本を担当したベトナム系のクイ・グエンが再起用されている。青少年の冒険物語もディズニー作品の得意とするところであるが,筆者は見終わった直後から,さほどの出来映えでなく,ある種の違和感を覚えていた。長所を述べるのは後にして,まず違和感分析から先に語る。

【低評価要因:伝統あるディズニーアニメらしさの欠如】
 結構好き嫌いが分かれる作品であると感じたのだが,既に評価や興行成績が出揃っている。評論家筋の評価はまずまずだったが,観客の評価の出だしは驚くほど低かった(その後,少し持ち直したが…)。北米での興行成績は,公開週に第2位であるが,2週間前に公開の『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(22年11・12月号)を抜けないばかりか,金額は1/4以下である。何と,製作費1億5千万ドルに対し,稼ぎ時の公開週の週末3日間で,興収はたった1,190万ドルとのことだ。このままでは大赤字は確実だろう。
 そこまで酷いとは思わなかったが,筆者と同様,好きになれない何かがあったのだろう。ズバリ言えば,ディズニーアニメらしからぬテーマで,それが愛すべきディズニー作品への期待に応えられなかったからだと思う。
 ■ ネタバレになるので書けないが,“驚愕のラスト”なる宣伝文句も適切でないと感じた。ディズニーアニメらしくないという意味では軽い驚きではあるが,さほどのサプライズやドンデン返しがある訳ではない。メタレベルの壮大なテーマという意味では,手塚治虫のライフワーク「火の鳥」を彷彿とさせる部分もあるが,この大仰な世界観が家族愛の物語とフィットしていない。強いて言えば,『インサイド・ヘッド』(15年7月号)のような小難しい会話を乱発したピクサー作品の方が似合っていて,ファミリー映画として絶対的な信頼を得ているWDA作品らしくない。
 ■ 定番の家族愛を盛り込んでファミリー映画を装っているが,実はメッセージ映画だ。真のテーマは小中学生には難解だと思う。本作品で描かれた生態系の意図を正しく理解するのには,医学,生物学,環境学の知識がいる。少なくともそれを踏まえて描いている(その分,後述のようにビジュアル的には素晴らしかったが)。この映画の感想文は,大学生のレポート課題にもできるくらいだと感じた。
 ■ ディズニープリンセスも登場しなければ,ラブロマンスもない。そもそも男性中心で,美女も登場しない。そうでないディズニーアニメも何作かあるが,全くその要素がないのも淋しい。お得意のミュージカル映画要素も全くない。歌があるのは1曲だけだ。オリジナルスコアは悪くはないが,地味だった。それゆえ,楽しい冒険映画としてのワクワク感が感じられない。
 ■ ディズニー作品は白人至上主義,人種差別,ジェンダー的偏見との批判を受けるのを気にし過ぎではないか。主人公のサーチャーにゲイへの憧れがあるような描き方をしておいて,それでいて妻子がいる。これでLGBTQ要素を入れたというのはおこがましい。冒険嫌いの平凡な農夫のサーチャーの妻メリディアンはパワフルな黒人女性だ。操縦や運転を見事にこなし,家族をまとめる愛すべき女性であるが(写真3),意図的に有色人種として描いているという「わざとらしさ」を感じてしまう。


写真3 操縦・運転は肝っ玉母さんのメリディアンにおまかせ

【高評価すべき点:地上も地下もビジュアル的に秀逸】
 ■ 圧倒的に地下世界が多いが,前半に少し登場するアヴァロニア国の地上部分の描写も悪くなかった。サーチャーの農場は美しく,エネルギー資源に恵まれた豊かな国だと分かる。市街地は古風な欧州の都市と近未来の近代的な都市の合わせ技で,もう少しじっくり見せて欲しかったくらいだ。空に何かが飛んでいるのも,パンドのおかげなのだろう。
 ■ 地下世界の広大さに圧倒される(写真4)。飛行船で探検に出かけるほどの広さで,中には海のような空間もある(写真5)。紛うことなく,ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」(1864)に端を発する王道の秘境探検ものだ。古くは『地底探検』(59),当欄で紹介した『センター・オブ・ジ・アース』(08年11月号)が映画化の代表作だが,E・R・バローズ作のSF小説を映画化した『地底王国』(76)も同系列の映画である。地下世界の壮大さは,そのいずれよりも素晴らしい。CG技術ゆえの産物とも言えるが,優れたデザイン力なしでは,ここまで描けない。印象としては,『アバター』(10年2月号)のパンドラ星の景観に通じるものもあるので,それを進化させたはずの来るべき『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(12月16日公開予定)とも見比べてみたい。


写真4 壮大さに圧倒される。色調は,ほぼこの色に統一。

写真5 地下なのに,海のような空間も

 ■ その広大な地下世界は1つではなく,いくつかの世界に分かれているが,キーカラーは紅色に統一されている。個性ある個々の世界を辿る,ある種のロードムービーとなっている。ゲーム化したり,テーマパークのアトラクションにすることも考慮に入れた設定なのだろう。それぞれの世界に,不思議な生物がいるが,その造形もなかなか見事だ(写真6)


写真6 随所に奇妙な生物が棲息している。さすがStrange World。

 ■ その中で特筆すべきは,地下世界の案内役を務めるスプラットなる軟体動物だ(写真7)。目鼻はなく,手足だけが識別でき,スライムのようにクネクネと変形する。可愛いという意見と,気味が悪いという声に分かれている。既にキャラクターグッズとして商品化されているが,映画本編の評判が今イチなので,グッズ販売にも影響するかも知れない。


写真7 仲間になった軟体動物のスプラット
(C)2022 Disney. All Rights Reserved.  

 ■ ともあれ,地下世界全体のモデリング量,レンダリング量は相当なものなので,このビジュアルを観に行くだけでも価値があると言っておこう。


出来映えは今イチだが, やっぱり美形のプリンセスはいいなと感じる

 一方の『魔法にかけられて2』は,劇場公開されず,いきなりDisney+でのネット配信となった。かつてディズニーアニメの続編は,少し質を落として,最初からVHSビデオやDVDで発売するのが定番商法だったが,実写映画の続編をネット配信から始めるのは珍しい。ディズニー配給網は,11月,12月に大作の公開が目白押しなので,その混雑を避けたのかも知れない。
 前作は見事なまでのディズニーアニメのセルフパロディで,ディズニープリンセスのハッピーエンドぶりを強調した娯楽映画であった。名作アニメの名シーンを知っているほど,ギャグやパロディが楽しめる趣向になっていた。ちょっとおさらいしておこう。
 舞台はアンダレーシアなる魔法の国で,主人公は森に住む美しい娘ジゼルだ。怪物に襲われたところをエドワード王子に救われ,一目惚れした2人は結婚の約束を交わす。ここまでは見事なまでのシンデレラ・ストーリーだ。それを快く思わなかった継母のナリッサ女王は,ジゼルを井戸に突き落とし,魔法の国から追放する。意地の悪い継母の存在もお決まりで,ここまでの10数分がクラシックなセル調2Dアニメで描かれていた。
 ユニークなのはその後で,井戸の先はニューヨークの街に繋がっていて,実写(+VFX)映画となる。急に大都会に来て戸惑うジゼル(エイミー・アダムス)が引き起こす騒動が笑いを誘うが,エドワード王子やナリッサ女王も井戸経由で追いかけて来て,さらに大騒動となる。そんなジゼルを見守ったのが,バツイチで子持ちの弁護士ロバート・フィリップ(パトリック・デンプシー)で,やがて2人は惹かれ合い,結ばれる。メデタシ,メデタシという訳だ。
 実写パートでエドワード王子を演じたイケメン男優のジェームズ・マースデンも王子様役に適していたが,何といっても驚いたのは,ジゼル役に抜擢されたE・アダムスの美しさ,清楚さで,これ以上ないと思えるプリンセス顔だった(写真8)。当時既に33歳の無名に近い女優だったが,10歳は若く見えた。同作で一気にブレイクし,その後多数の作品に起用された。『ナイト ミュージアム2』(09年8月号)で演じた女性飛行士アメリア・イアハート役,『マン・オブ・スティール』(13年9月号)に始まるDCEUの4作品でのスーパーマンの恋人ロイス・レイン役も,まさにハリウッド娯楽作品が求める美形のヒロインそのものであった。その一方で,アカデミー賞では,『アメリカン・ハッスル』(13)で主演女優賞,『ダウト~あるカトリック学校で~』(08) 『ザ・ファイター』(11年4月号)『ザ・マスター』(13年4月号)『バイス』(19年3・4月号)で4度ノミネートされる等,演技力も高く評価されている(ゴールデングローブ賞では,主演女優賞を2度受賞している)。


写真8 前作のジゼル(エイミー・アダムス)は輝くような美しさ 

 さて,それから15年も経ったが,続編の本作は,監督がケヴィン・リマからアダム・シャンクマンに交替したものの,主要キャストはそのままの役柄で再登場し,中身も前作から15年後という設定だ。前作を振り返る2Dアニメの後,やはり実写シーンに変わるが,ジゼルを演じるE・アダムスがかなりの中年太りで,これがかつての美しいプリンセスかと驚いてしまった(写真9)。現在48歳で,美人女優もさすがに少し容色が衰えたなと感じることはあったが,ここまでの体形変化は女優としてかなりのマイナスだ。夫ロバート役のP・デンプシーはなかなかいい老け方をしているし(写真10),エドワード王子役のJ・マースデンは単純に15 歳分エイジングした感じなのに(写真11),彼女1人だけ劣化度合いが激しい。


写真9 15年後のジゼルはかなり肥満体形に
(この画像はマシな方で,他の衣装ではもっとムチムチ)  

写真10 夫ロバートを演じるP・デンプシーは渋い老け方

写真11 左:前作のエドワード王子,右:本作のエドワード王子と妻ナンシー

 二の腕,胸などはいかにもムチムチで,もう少しゆったりした服を着せれば良いのに,肥満ぶりが殊更強調される窮屈な衣装であった。ところが,物語が進むにつれ,それは目立たなくなるので,冒頭シーンは意図的に増量した体形での撮影だったのかも知れない。15年の時間変化で,NYで幸せに暮らしていたプリンセスの退屈と堕落を体形で象徴したのかと思われる。
 その後のフィリップ一家は,ロバートの連れ子の娘モーガンを含む3人家族で,マンハッタンの高層アパートで暮らしていたが,ジゼルに女児ソフィアが産まれ,手狭になってしまった。窮屈な生活に疲れたジゼルは,新たな幸せを求めて,郊外のモンロービルでの一戸建てに移ることにしたが,NY生活を忘れられないティーンエージャーのモーガンから猛反発を受ける(写真12)。慣れない地域での生活はトラブル続きで,ジゼルはこの町を魔法で故郷のアンダレーシアのようにしてしまうが,これがさらなる混乱を引き起こしてしまう……。


写真12 家族4人で郊外の家に移ったが,トラブルの連続

 前作の原題は『Enchanted』で,英単語「enchant」には「魔法をかける」「魅惑する」の意味があり,その両方の意味で使われていることは前回述べた。本作の邦題は単に「2」を足しただけだが,原題は「Disenchanted」だ。即ち,「魔法が解けてしまった」「日常生活に幻滅した」等々の意味を込めているようだ。マンハッタンでの生活と郊外の生活の対比は皮肉たっぷりで,ジゼルとモーガンの価値観の違い,幸せの意味合い,それぞれの幻滅の度合いなどが本作の主テーマとして描かれている。アンダーレシアを理想の国としてかけた魔法の失敗もしかりである。
 こう書くと,上記の『ストレンジ…』のように大げさなテーマに思えてしまうが,そんな高尚な映画ではない。あくまで「ディズニープリンセスの誤算と新たなる幸せを求めての出来事」程度の軽い内容である。
 以下,CG/VFXの利用とディズニー映画に対する筆者の私見である。
 ■ 2Dディズニーアニメを基にした実写VFX大作としては,『マレフィセント』(14年7月号)『ジャングル・ブック』(16年8月号)『美女と野獣』(17年5月号)『ダンボ(19年Web専用#2)『アラジン』(同5・6月号)『ムーラン』(20年9・10月号)『クルエラ』(21年Web専用#3)等々,多数の名前がすぐに浮かぶ。いずれも質的に当時の一級のCG/VFX技法が使われていたし,分量も多かった。それに比べて,残念ながら,本作のVFXシーンはかなり控えめだった。やはり,劇場公開を見送る程度の力の入れ方だったのかとも感じた。
 ■ それでも,随所に登場するCG/VFXシーンは楽しく,質的には低くなかった。まずは,NYのアパートのベランダにやって来て歌う鳩とネズミ(写真13),新居の庭には,鹿,ウサギ,アナグマ,スカンクなどが顔を出す(写真14)。魔法の結果ではなく,普通に動物をCGで描いただけであるが,簡単に何でも描けることは,物語に潤いを持たせてくれる。掃除用具,食器,調理家電が歌い,踊るのは,魔法のなせる技だが,これも実に楽しい(写真15)


写真13 ベランダにやって来た鳩とネズミ

写真14 新居の庭には,鹿とウサギ(上)やアナグマとスカンク(下)も顔を出す

写真15 魔法のパワーで,キッチン用品たちが踊り出す

 ■ アンダレーシアとNYを繋ぐ井戸は健在で,妖精が発する金粉のような物質が溢れ出し(写真16),その中からエドワード王子や妻ナンシーが現れる。同じように,前作でお馴染みのリスのピップが現れて,魔法の杖を渡してくれる(写真17)。ジゼルの心を癒してくれるのも,嬉しいシーンだ。CG/VFXの主担当は動物描写が得意のMPCで,他にBarnstorm, Crafty Apes,Lola Visual Effects等が参加している。


写真16 アンダレーシアに通じる井戸からはこんな物質が溢れ出す

写真17 リスのピップが魔法の杖を持って来てくれた

 ■ この続編,義理の娘モーガン中心の物語と報じられていたが,全くそんなことはなく,やはりジゼル中心の映画であった。そもそも,このモーガン役に抜擢されたガブリエラ・バルダッチノには,全く魅力を感じなかった。前半で世間知らずの小生意気な娘として描かれているのは,意図的にそういう役柄なのだろうが,和解して心が通い合う後半とて,普通の平均的な若い女性であり,特に美人でもなければ,演技が素晴らしい訳でもない。ディズニープリンセスとはほど遠い存在として,彼女を起用したのだろう。その一方,後半のジゼルは生き生きとしてきて,どの俳優よりも美しい(写真18)。やはり夢物語のヒロインは,これくらいの美形であって欲しいと感じさせる演出だ。


写真18 やはりヒロインは誰よりも美しい
(C)2022 Disney Enterprises, Inc.  

 ■ 上記の『ストレンジ…』とは異なり,随所で本作はミュージカル仕様となり,ディズニー映画らしい輝きを放っている。数々のディズニーソングの名曲を生み出してきたアラン・メンケンが,前作同様,音楽を担当しているからだ。勿論,ジゼルがソロで歌い,踊るシーンが最も様になっている。余談だが,ネット配信映画では,容易に音声言語や字幕を変更して,途中から別の言語で視聴できるメリットがある。世界中が対象のDisney+では,27カ国語が切り替え可能であった。今回,数曲を7~8カ国語に切り替えて試してみた。メンケン作の劇中歌は,英語では素晴らしかったが,日本語ではその良さが全く感じられなかった。フランス語,スペイン語,イタリア語はさほど違和感を感じなかったが,デンマーク語やトルコ語ではしっくり来ない。中国語や韓国語は日本語より酷く,滑稽味を帯びて聴こえてしまう。これは他国語の歌手が下手だからではなく,言語構造や発音の違いで歌詞が曲とマッチせず,原曲の良さが失われてしまうためだろう。
 ■ 誤解を恐れずに私見を述べるなら,世界中で確固たるブランド力を誇るディズニー映画の本質はファミリー映画であり,その中心はミュージカル仕立てのラブロマンス,とりわけ王道はプリンセスものであるべきだ。小難しい社会派テーマ,政治的メッセージ,LGBTQファクターなどはなくていい。そんなものは映画賞狙いの単館系作品に任せておけば済むことだ。人種差別発言は避けるべきだが,良作を製作している自信があるなら,外野の批判など気にすべきではない。たまには有色人種のヒロインであってもいいが,無理に肌の色が異なるカップルを作らなくてもいい。入場料や受信料を払って観る側は,自分の肌の色や,宗教,民族,貧富の差に関係なく,憧れの存在としてディズニープリンセス映画を観ているはずだ。白雪姫,シンデレラ,ラプンツェルの継母は,思いっきり嫌な女として描いて構わない。妙に実は好い人に描く方が,気味が悪い。自分の孫たちを見ていると,Disney+で繰り返し見ている映画は,上記に当てはまる作品だということが実感できる。その観点からすると,やはり『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』はディズニーらしくなく,『魔法にかけられて2』はもっと練れた脚本と大量のVFXで豪華に描いて欲しかったところだ。


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