O plus E VFX映画時評 2023年10月号掲載

映画サウンドトラック盤ガイド


 映画『リバイバル69 伝説のロックフェス』全体のサントラ盤は存在しない。「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」は12時間ものコンサートだから,丸ごと収録したアルバムが無理なのは理解できるが,こういう映画を公開するなら,主要アーティストのライブ歌唱数曲ずつを入れた2枚組のコンピレーションOSTくらい作っても良さそうなのに,その労はとらなかったようだ。
 映像作品はと言えば,当日の模様を16mm フィルムで記録していたD・A・ペネベイカー監督が『Sweet Toronto』なる70分の映画を1971年に制作していて,日本でもTV放映されたそうだが,筆者は知らなかった。いま調べて見ると,後述のThe Plastic Ono Bandの全8曲の前に,Bo Diddley, Jerry Lee Lewis, Chuck Berry, Little Richardが各1曲入った全12曲分の映像のようだ。即ち,この4人は前座扱いである。その映像作品がDVD化されたのは,今世紀に入ってからのようだ。
 Jerry Lee Lewis, Chuck Berry, Little Richardに関しては,個々の全演奏の映像作品があったようだが,詳しいことは分からない。非公式のものも多く,現在公に入手できるものがあるのかも定かでない。現在の感覚からすれば不思議に思われるだろうが,若い世代のために少し整理して語っておこう。
 DVDが普及し始めるのは1990年の末期であり,それ以前の家庭用ビデオデッキの普及は1970年代後半であった。レンタルビデオが一般化するのは1980年代後半で,その頃の販売用のセルビデオはかなり高額商品(大抵は1万数千円)であった。コンサートの映像をVHS化しても,個人ではまず買わなかったから,よほどのヒット映画以外は殆どセルビデオ化されなかった。
 音楽の記録媒体では,CDが普及するのは1980年代の半ばである。その前はカセットテープの時代で,音楽を聴くに耐え得る品質のカセットデッキ(記録&再生装置)の普及は1970年代の半ばである。それまでの低品質のカセットテープは,ぜいぜい語学学習用であった。即ち,1970年代中期以降に,音楽を手軽に聴くために,音楽ファンはFM放送か,購入またはレンタルしたレコードから音楽をカセットテープに入れ,ラジカセやウォークマンで聴いていた。即ち,このコンサートが開催された1969年頃,家庭で音楽を聴くには,レコードを買うか,ラジオから流れる曲を聴くしか方法がなかった。逆に言えば,それゆえコンサートのライブ公演は価値が高かったと言える。
 閑話休題。今回のドキュメンタリー映画の対象である「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」のライブ演奏の音源で,現在入手できるサントラ盤2枚を紹介する。


■ The Plastic Ono Band「Live Peace In Toronto 1969」
(Apple Records)



 米国ではコンサートのほほ3ヶ月後の1969年12月12日に,The Plastic Ono Bandの演奏だけを収録したアルバム(LP盤)が発売された。日本では翌年の2月5日に発売となり,筆者はすぐに購入した記憶がある。現在,このアルバムは,CD, LP,その上にカセットテープでも購入できるし,MP3ダウンロードやストリーミングサービスもある。
 当時の邦題は「平和への祈りを込めて」で,演奏者は「ジョン・レノンとプラスティック・オノバンド」,発売元は東芝音楽工業であったと記憶している。ジョンとオノ・ヨーコがこの名前のバンドを結成したことは既に海の向こうから伝わって来ていて,ビートルズの解散かまもなくと噂されていた。ライブ盤であるから,どこかの公演で収録したと思っただけで,それが今回のような初期ロックンロールのリバイバル・コンサートであり,このバンドの初公演であったことは,今回の映画で初めて知った。歌詞カードの曲目解説の前にトロントでの公演とくらいは書いてあったのかも知れないが,既に手元にないので,どれだけの情報が載っていたのかは確認できない。他のBeatlesのLPは全て残っているのに,これを手放したのは,後述のように中身が期待外れだったからかと思う。よって,今回改めてMP3音源を入手して,聴き直した訳である。
 計算すると,当時の筆者は大学4回生で,卒業間際である。高校生時代はドーナツ盤(シングル盤のこと)を買うのが精一杯であったが,大学生の卒業間際ともなると,バイトで稼ぎ,すぐにLP盤を買う資力があったようだ。Beatlesのアルバムとしては,「Abbey Road」と「Let It Be」の中間の時期に当たる(録音とは逆順の発売だった)。すかさずこのLP盤を買ったのは,1曲目の“Blue Suede Shoes”を聴きたかったからだ。まだこの頃でも,60年代ポップスやその前のロカビリーの方が好きだった。Beatlesのアルバムはカバー曲中心の2枚目までが好きで,少し拡げても,5枚目の「Help!」までが許容範囲で,「Rubber Soul」以降はさほど好きでなかった(というか,ついて行けなかったと言う方が正しい)。「Abbey Road」も1曲目の“Come Together”はお気に入りだったが,B面のメドレーの価値を理解できていなかった(今では,ベストアルバムとして繰り返し聴いているが)。その程度の耳のポップスファンであったが,ジョンの歌うロックンロールの名曲“Blue Suede Shoes”を聴くためだけで,このアルバムを買う価値はあった。
 さて,このバンドが当日のステージで歌ったのは下記の8曲である。バンド名だけが先にあり,実はメンバーも決まっていなかったことは,Wikipedia(英語版)に詳しく書かれている。ジョンとヨーコ以外のバックメンバーは,Eric Clapton (Guitar), Klaus Voormann (Bass), Alan White (Drums)の3人である。ジョンはジョージを誘ったが断られ,身代わりにEric Claptonを選んだ。マネージャーはOKしていたが,Eric Claptonは当日の朝になって聞かされ,1時間でヒースロー空港に駆けつけたという。リハーサルはトロントに向かう機中で行い,知っている曲だけにしたというのにも驚く。機内でそれを耳にした乗客は,さぞ喜んだことだろう。

(注)余談だが,ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦が,ソロ活動開始後,ロックバンド「サディステック・ミカ・バンド」を結成した。勿論,ジョンとヨーコのバンド名のもじりで,ミカ夫人がヴォーカルとして参加している。

 1. “Blue Suede Shoes”
 2. “Money (That's What I Want)”
 3. “Dizzy, Miss Lizzy”
 4. “Yer Blues”
 5. “Cold Turkey”
 6. “Give Peace A Chance”
 7. “Don't Worry Kyoko (Mummy's Only Looking for Her Hand in the Snow)”
 8. “John John”

 1曲ずつ解説しよう。バンドの紹介の後も,まだかなり音合わせに時間に時間がかかっていて,1:45くらい経ってから,ようやく演奏を始めている。1曲目はロックンロールのクラシックと言える名曲だ。Carl Perkinsが1955年に作って自身で歌った曲だが,Elvis Presleyの初期の代表曲扱いされている。彼の最初のアルバム「Elvis Presley」のA面の最初の曲だから,まさにロックンロールの代表曲なのである。ラスベガス公演のロックンロール・メドレーでもしばしば歌い,衛星中継されたハワイ公演やNYマジソン・スクウェア・ガーデンでの昼の部でも歌っている。Beatlesとしては,ジョンはハンブルグ時代にこの曲を何度も歌っていたと思われる。同じくロックのスタンダードの“Johnny B. Goode”や“Long Tall Sally”にしなかったのは,作者のChuck BerryやLittle  Richard自身がこのコンサートで歌っていたからだろう。
 2曲目の“Money (That's What I Want)”は,オリジナルはBarrett Strongが1959年に歌ってヒットさせたR & Bの名曲だが,ジョンが気に入ってライヴ公演で再三歌っている。この強烈な歌詞が,皮肉屋のジョンに合うのだろう。勿論,ジョンの歌唱力の方が圧倒的に上だ。Beatlesの2枚目のアルバム「With The Beatles」の最後に入っていて,今やBeatlesのオリジナル曲だと思われている。1番目のアルバム「Please Please Me」の最後の曲“Twist And Shout”に比肩する絶唱曲として選んだのだろう。このコンサートでは,ジョンは慣れた感じで歌い出しているが,バンドの演奏はまだ手探り状態だ。それでも,Eric Claptonの間奏ソロはさすがだ。
 3曲目の“Dizzy, Miss Lizzy”は,Larry Williamsが1958年に作って自ら歌った曲である。Beatlesとしては,5枚目のアルバム「Help!」の最後に収録している。ポールがストリングをバックに淡々と歌った“Yesterday”の次が,ジョンがシャウトするこの曲だったから,対比が強烈だった。4曲目の“Yer Blues”になってようやくBeatlesのオリジナル曲が登場する。9作目で2枚組LPの「The Beatles (White Album)」の2枚目のB面2曲目に収録されていた曲だ。題名通り,ブルース調のロックだが,インド滞在中にジョンが作ったそうだ。曲としては,Elvis Presleyの“Heartbreak Hotel”を意識していていると思われるパートがある。この3曲目,4曲目ともなると,バックの演奏も息が合い,熱を帯び始めている。それもそのはず,前年暮に「The Rolling Stones Rock and Roll Circus」にジョンとヨーコが参加した際,Eric Claptonを帯同して,彼のギターでジョンは“Yer Blues”を歌ったそうだ。その前歴があるから,最小限のリハーサルで済むこの曲を選んだのだろう。
 次の2曲は,ジョンのソロ活動の起点となった曲だ。シングル盤の収録・発売はこのコンサートとは逆順である。“Give Peace A Chance (平和を我等に)”は,このコンサート前の1969年7月に発売された曲で,題名通りの反戦歌,プロテストソングである。2曲ともThe Plastic Ono Band名義であるが,この曲の時点ではバンドの実体はなく,演奏は何人かの知己に頼り,その場にいた数人(含,ヨーコ)にコーラスをさせている。“Cold Turkey (冷たい七面鳥)”は,トロントでの演奏が先で,翌月にシングル盤の収録をしている。ドラムにはリンゴ・スターが参加したようだ。
 以上がLPのA面であり,最後の2曲がB面で,いずれもヨーコが歌っている。いや歌っているというより,奇声を発しているだけで,これが歌かと思う。今回の映画の一部では,比較的音程がしっかりしているパートを使っていたが,他は聴くに堪えない。まだ最後のDoorsの演奏が残っているのに,このヨーコの部分で会場を後にした観客も少なくなかったという。いくら偉大なるジョンとはいえ,よくまあこんなヨーコを人前に出したものだ。当時の我々は「日本人の恥」と感じていた。ポールならずとも,こんな女に蹂躙されるビートルズは解散したくなったことだろう。
 思い出せば,このB面は聴く気になれず,後年,A面の4曲目までをカセットに収録し,LP盤は売ってしまったのだと思う。“Blue Suede Shoes”は惜しくなかったのかと言えば,1975年2月に発売されたジョンのLP「Rock 'N' Roll」(全13曲,2004年に4曲追加)が圧倒的に素晴らしく,そちらばかりを聴くようになっていた。まさに,トロントでの「Rock & Roll Revival」のマインドを1人で実現したかのような選曲と熱唱である。


■ Chuck Berry「Toronto Rock & Roll Revival 1969」
(Sunset Blvd Records)



 Jerry Lee Lewis, Chuck Berry, Little Richardの3人それぞれのライブ映像があったというが,CDやLPで現在も入手できるのは,このアルバムだけだ。YouTubeでは,Jerry Lee Lewis, Little Richardの当日の出演映像が約10曲ずつが見られる。かつて発売されていた映像作品から抜き出して,誰かが投稿したのだろう。
 ともあれ,このアルバムはトロントのコンサートでのChuck Berryの全歌唱のようで,彼のベスト盤に近い選曲である。

  1. “Intro”
  2. “Rock & Roll Music”
  3. “School Day (Ring! Ring! Goes The Bell)”
  4. “Johnny B. Goode / Carol / Promised Land”
  5. “I'm Your Hoochie Coochie Man”
  6. “Maybellene”
  7. “Too Much Monkey Business”
  8. “Nadine”
  9. “Reelin' And Rockin'”
 10. “Sweet Little Sixteen”
 11. “Memphis”
 12. “My Ding-A-Ling”
 13. “Wee Wee Hours”
 14. “Goodnight Sweetheart Goodnight”
 15. “Johnny B. Goode (Reprise)”

 デビュー曲は1955年の“Maybellene”で,ベストアルバムの1曲目となっていることが多い。当日の観客もよく知って入いるようで,喚声も一際大きい。
 最も知名度が高いのは,1958年の“Johnny B. Goode”だろうか。多数の歌手にカバーされていて,Elvis Presley, Beach Boys, Cliff Richard, Carpentersらは,しばしばステージで歌っている。日本では,スパイダースやキャロルもレコード収録していた。一気に知名度を高めたのは,映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)で,主人公のマーティ(マイケル・J・フォックス)が歌ったことだろう。1985年からタイムワープして1955年の世界に行ったマーテイが,プロムのダンスパーティの檀上で,エレキギターを弾きながらこの曲を歌い,会場は興奮のるつぼとなる。それを聴いたバントメンバーのマーヴィン・ベリーが従兄弟のチャックに電話して,「新しいサウンドを探しているって言ってたな。ちょっとこれを聴いてみな」と受話器をステージ向ける。それを聴いたChuck Berry がロックンロールの大スターになるというジョークだが,このシーンで笑ったのは,ロックファンだけだっただろう。
 1957年の“Rock & Roll Music”は,Beatlesが4枚目のアルバム「Beatles For Sale」でカバーしている。Beach Boysもカバーして,アルバムにも入れ,ライブでも歌っているが,ジョンの歌唱が断然かつ絶対的に素晴らしい。Chuck Berryの曲ではないが,“Twist And Shout” “Please Mister Postman” “A Taste Of Honey”等,いずれをとってもBeatlesのカバーの方がオリジナルよりも格段に上である。
 1958年の“Sweet Little Sixteen”も,Chiff Richard, Animals, Hollies, Jerry Lee Lewis等,多くの歌手にカバーされている。ジョンのソロは前述の「Rock 'N' Roll」に収録されているが,Beatlesとしてのカバーは「Live At The BBC」で聴くことができる。特筆すべきは,少しメロディーをアレンジし,題名も歌詞も変えたBeach Boysの“Surfin’ USA”だ。彼らのコンサートの(アンコール前の)最終曲として歌われる代表曲だが,原曲がChuck Berryのこの曲と知らない人が多い。ロックンロールを見事にサーフィンの名曲に化けさせ,美しいコーラスを添えたBrian Wilsonの音楽センスの高さが感じられる編曲である。残念ながら,Chuck Berryの歌唱力は足下にも及ばない。
 1959年の“Memphis”は“Memphis, Tennessee”と呼ばれることもある。Elvis Presley, Beatles, Jan & Dean Johnny Rivers, キャロルらがカバーしている。
 という風に,若い頃からChuck Berry自身の歌やそのカバー版を繰り返し聴いていたが,今回のドキュメンタリー映画やこのアルバムで,改めて彼がロック界の与えた影響の大きさを再確認した。余談だが,それでいながら,今回あるビデオを見るまで,彼がかなりの長身であることを知らなかった。大抵の動画では,お得意のダックウォークの恰好ばかりだったからである。上記のジャケット写真は背面からの撮影なので脚の長さが分かるが,ダックウォーク・ポーズの前からの写真だと,背の高さが全く分からなかった。

()


Page Top