コンピュータイメージフロンティアIII
電脳映像空間の進化(8)

サイバーエージェント:電脳世界の代理人(その1)


 プロローグ

 今月はまたインタビューから,我々独自の取材とルポによる記事に戻る。連載としては,話題がアチコチに飛んで行くので,まとまりがないように感じられるかも知れない。別にWebの時代だからといって,ハイパーリンクを気ままに張り巡らせているわけではない。ゲストの都合や取材先のアポの関係で,こうなってしまっただけである。ご容赦願いたい。後で単行本にする時には,もう少し一貫した流れにまとめ直すつもりだ。
 さて,今回のテーマは「エージェント」である。「サイバースペース」を取り上げた今回のシリーズでは,絶対にはずせない話題だ。本シリーズでは,第I部第11回(1992年11月号)で‘Knowledge Navigator’等に登場する電子秘書について論じた。また,第II部でも「擬人化エージェント」に関する研究例をいくつか紹介している。「エージェント」は,現在最も研究開発が活発な分野の1つであり,その後の動向を再整理したかったテーマである。
 色々と調べものをしているうちに,1回分では納まり切らずに2回に分けざるを得なくなってしまった。
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1. 次はエージェントの時代

 さまざまなエージェント

 「エージェント」という概念は,人工知能(AI)分野ではかなり前から存在していた。人間の代理として知的な作業をする独立したモジュールである。
 マルチメディア分野で「エージェント」が注目を集めたのは,何といってもアップル社のプロモーションビデオ‘Knowledge Navigator’である。1989年作のこの作品で,コンピュータ内に存在する電子秘書が描かれていた。持主である主人と対話し,スケジュールを管理したり,電話番をしてくれる電脳世界の住人である。ビデオの中では,実際のタレントが演じていて,画面内にはめ込み合成されていた(写真1)。想像上の産物であるが,21世紀にはこのように自然言語で対話できるインタフェースが実用化されるのだなと思わせた。Personal Digital Assistantという言葉はここから生まれた。
 後を追って制作された他社のイメージビデオにも,類似の執事や秘書たちが登場していた。ヒューマン・インタフェースの研究分野では,爾来この種のエージェント達を一つの理想像と捉えて,その実現に向けた努力がなされている。
 その一方で,人の姿や形をしていない「エージェント」もしばしば耳にするようになってきた。中島洋氏が仕掛けた日経産業新聞の特別企画コラム「サイバースペース革命」(1995年10月より連載開始)では,第1部「吹き荒れるインターネット旋風」の中で,「脚光浴びる新たなエージェント」として取り上げられている。この少し前に,ゼネラル・マジック社が開発したTelescriptが,サイバーエージェントの代表格として話題を呼んでいた。日経産業の記事は,このTelescriptの予想外の不振を話の枕として,インターネット上で存在し始めた情報検索等の代行サービスについて言及している。「エージェント」が,産業誌が取り上げる流行語のひとつとなったのはこの頃からである。
 実際,その後もWWWの世界では,情報の収集と整理をサポートしてくれるソフトウェアやサービスが「エージェント」と呼ばれるものの中心である。WWW上を動き回って情報を集めてくるプログラムもエージェントであり,個人の好みに応じて情報を選り分けて届けてくれるサービスもエージェントである。人間が煩わしいと感じる仕事を片付けてくれるものなら,姿は見えなくてもエージェントなのである。
 1997年9月3日マイクロソフト・エージェントが正式にリリースされた。これは,GUIでユーザーとの対話に用いる姿のあるエージェントである。Genie,Marlin,Robbyの3つのキャラクタが提供されていて(写真2),音声認識・合成による対話機能とキャラクタ・アニメーションによる動作の表示機能がついている。Active X対応のスクリプトで,アニメをプログラムできるようになっている。GenieやMarlin達をダウンロードするだけで知的作業を代行してもらえる訳ではない。彼らは,自分で開発したり,サードベンダーから提供されるモジュールにとってのフロントエンドに過ぎない。親しみやすいキャラクタを用意することによって,エージェント・アプリケーション開発が進むことをねらっての方策である。
 学界関係では,Communications ACM(1994年7月号),人工知能学会誌(1995年9月号),IEEE Expert(1996年12月号),情報処理学会誌(1997年1月号),IEEE Internet Computing(1997年8月号)が特集を組んでいる。また,1997年2月には,Autonomous Agentsの第1回国際会議が開催され,61件の論文が発表されている。今,「エージェント」は最もホットな研究テーマなのである。エージェント・プログラム間のメッセージ交換の方式,ネットワークを動き回るエージェントの記述言語,人工生命体としてのエージェント等々,理論的・実験的あらゆる研究でにぎわっている。
 「マルチメディア」も焦点が定まらなかったが,「エージェント」も負けず劣らず分かりにくい。エージェントのメンタルモデルだの,依頼行為の適切性条件だの,環境同定型学習だの,こむずかしい用語が出てくると,ますます分からない。「オントロジー」に至っては,コンピュータサイエンスの素養のある研究者でも,まず1回聞いただけでは理解不能である。
 それでいて「エージェント」が何となく親しみが持てるのは,擬人化して考えられるからだろう。画面から直接語りかけてくる妙齢の美人エージェントも,電脳空間を徘徊する姿なきエージェントも何となく夢がある。人それぞれがイマジネーションを働かせることができるテーマは,成長分野として大いに有望なのである。

 エージェントの定義と分類

 話がやや固くなるが,文献中からエージェントの定義や機能の分類を探してみよう。
 H. S. Nwanaは,「ソフトウェア・エージェント」と題した解説論文の中で,
「ユーザーの代わりに仕事を達成するために行動する能力のあるソフトウェアやハードウェアの要素」
と定義している。表題は「ソフトウェア」なのに
「ハードウェア」も含めて考えているのである。
 エージェント間のメッセージ交換の標準化をめざして1996年9月に設立された非営利団体FIPA(The Foundation for Intelligent Physical Agents)では,もっとハードウェア寄りで,
「ある環境の中に住む実体で,環境内の出来事を反映するセンサーデータを解釈し,環境に影響を与えるモーターコマンドを実行するもの」
と定義している。
 こう考えると,ロボットも立派なエージェントなのである。組立てラインの産業用ロボットはあまり「エージェント」という感じはしないが,『スターウォーズ』の通訳ロボットC3POなら「電子執事」と言われてもうなづける。
 FIPAは,発起人であるL.Chiaringloneが,身体性を持たせることを強調して‘physical’という言葉を入れたようだが,実際の活動はソフトウェア的なアプローチが主である。コンピュータやネットワーク内で稼動しているのはもちろん「ソフトウェア・エージェント」である。
 エージェントをその役割で分類するならば,ユーザーの仕事を代行する「タスク・エージェント」と,ユーザーと対話する「インタフェース・エージェント」に分けられる。「インタフェース・エージェント」は,互いに協調しながら働く多数の「マルチエージェント」の中で,人間のお相手だけを仰せつかった特定任務のエージェントだと考えることができる。
 インタフェース・エージェントの中で,人間に似せた姿を持つものを「擬人化エージェント」(Anthropomorphic Agent)という。顔の表情だけでなく,身体を動かせるものは‘Animated Agent’であり,犬や猿など動物の形をしたものも含めて‘Life-like Agent’ともいう。リアリティがあり,ユーザーが存在感を感じるものは‘Believable Agent’とも呼ばれる。
 エージェントが持つべき性質としては,
の3つがあげられている。
 「自律」と「学習」は,従来からの人工知能プログラムや知能ロボットの具備すべき能力と考えられてきたが,知的エージェントとして大きくクローズアップされてきたのが,マルチエージェント間でコミュニケーションし協調できる能力である。「分散協調」というのは,研究的には魅力的なキーワードであり,分散AIは,やや行き詰まったAI研究の一つの打開策となっている。
 一方,新しいプログラミング・パラダイムとして,AOP(Agent Oriented Programming)という考え方も登場している。ここでいう「エージェント指向」というのは,「オブジェクト指向」の延長線上にある。各プログラム・モジュールがカプセル化され,メッセージを受け取って起動するのが「オブジェクト」であるのに対して,オブジェクト同士がメッセ−ジを交換し,自律的に動作し得るものが「エージェント」であると考えられている。この考え方に基づいたプログラミング環境がいくつか提案されている。ほとんどのOSがマルチプロセス対応となり,コンピュータが簡単にネットワーク結合できる時代になったから,こうしたエージェント間の情報交換が現実味を帯びてきたのだと考えられる。
 しかしながら,「分散協調」はめざすべき姿であって,実在しているエージェント・システムが,必ずしも協調動作している訳ではない。むしろ,孤立(isolated)して,特定の仕事を代行しているものの方が大半である。
 ‘Isolated vs. Cooperative’という対立概念とは別に‘Stationary vs. Mobile’という対比もある。同じサイトに定住しているエージェントに対して,ネットワーク上を動き回るものを「モバイル・エージェント」という。前述したゼネラルマジック社のTelescriptは,モバイル・エージェントの記述言語の代表的な開発例である。
 「エージェント」が持つべきその他の機能としては,「即応性」(Reactive),「適応性」(Adaptive),「時間的継続性」「問題解決機構」なども見受けられるが,明確な定義があるわけではない。「自律性」「学習能力」とも関連が深く,言葉を並べているだけといった感もなくはない。

 共通項があるはずだ

 Dr. SPIDER 今回もしっかり勉強して,よく調べてくれましたね。
 Yuko 調べれば調べるほど,かえって分からなくなってきました(笑)。
  AI分野もHI分野も,インターネットの世界もロボットの世界も,何でもかんでもエージェントですね。「○○エージェント」「〜エージェント」と言葉はいくらでも作れますからね。
  用途別でしたら,スケジュール管理をしてくれる「カレンダー・エージェント」。取引の仲介をしてくれる「マッチメーキング・エージェント」。Web上の情報を扱う「インフォメーション・エージェント」という言葉も見られます。
  「トラベル・エージェント」(旅行代理店)に「シークレット・エージェント」(秘密諜報員),それは前からあったか(笑)。あなたは記号処理的なAI分野が専門だったから,まだアタマがついて行けるでしょうが,旧世代の私には分散協調のAIは難解ですね。せいぜい論文読みは代行して下さい(笑)。
  読むだけでなく,やさしく解説しろというんでしょう。それなら‘Pedagogical’(教育的)エージェントというのもあります(笑)。私もそんなの欲しいんですけどね。
 少なくとも,文献を収集するのはインターネットがあるおかげでずいぶん楽になりました。でも,AI分野の論文とWeb世界のツールに関する情報とでは落差がありすぎて,一口に「エージェント」といっても,今何が起こっているのか混乱してしまいます。
  そこを何とか噛み砕いて解説するのが,このシリーズの役目でしょう。一見別々の技術に見えても,そこには何らかの共通項や技術開発の流れの必然性があるはずだと思います。

2. インターネット上のエージェント

 好みの情報を選り分けてくれるアシスタント

 本シリーズの主対象はサイバースペースである。となると,エージェント技術の実用度を調べるのは,やはりインターネットに関するエージェントから入ることにしよう。
 堂々と知的エージェント・サービスと銘うっているのは,アンダーセン・コンサルティング社の運営する「バーゲンファインダ・エージェント」のサイトである。WWW上のバーチャル・モールをめぐって,音楽用CDの安い店を探して来てくれるサービスである。ユーザーは,このサービスのページでアーティスト名とアルバム名を入力する。ここのエージェントは,9つのCD専門店(Eミュージック,CDユニバース,CDランド等)のホームページをサーチし,約1〜2分で最も安い店のページを返してくる。そのページでクレジットカード番号を打ち込めばすぐ注文できるから,インターネット専門のCDショップにとっても共存共栄のサービスなのである。
 確かに自分で1軒ずつ訪ねて廻る必要はなくなるから,立派な代行業である。あまり「知的」という感じがしないのは,「最も安い店」という単純なロジックで,自律にも学習にも無縁だからだろう。
 ソフトウェア・エージェントとして,もう少し高い評価を得ているのは「ファイアフライ」である。MITメディアラボの女性研究者Pattie Maesが作ったファイアフライ・ネットワーク社のエージェントで,かつてはRingoと呼ばれていた。商用化されてこの名前になり,サーバソフトとして$4,000〜$30,000で発売されている。
 対象は,音楽と映画とウェブ・ページの3種類で,好みの似た人の勧めるものを紹介してくれる。このエージェントの仕組みは,次の通りである。
  1. ユーザーは,自分の好みを提示する。例えば,好きなアーティストをテキスト入力し,同時にランダムにリストアップされたサンプルを7段階で評価する。
  2. エージェントは,登録者の中から似た嗜好をもつ人,即ち同じような評価を与えた人を探す。
  3. この該当者が好みだと判定したものを,ユーザーに提示する。
  4. このユーザーは,(1)に戻って推薦されたものを評価する。
 上記のプロセスで使われている技術は,ACF(Advanced Collaborative Filtering)と呼ばれている。パターン識別法の1種であり,もとはそう新しい技術ではない。多数の参加者があって初めて,その効果が表われるサービスである。ファイアフライ社自身は,Bignoteという音楽に関する情報交換のサイトを設けている。同社によると会員数は100万人以上という。
 ファイアフライ社は,ディレクトリ・サービスのYahoo!と提携している。My Yahoo!と呼ばれるパーソナライズド・サービスの一部に,このエージェント機能が実装されている。
 WWWを対象としたエージェントは,大体このようなレベルである。スタンフォード大学LIRAは,やはりユーザーの好みを反映したウェブページの紹介システムである。カーネギーメロン大学のWebWatcherやMITのLetiziaは,今見ているページから次の辿るべきリンクを勧めてくれるエージェントであり,カリフォルニア大学アーバイン校のDo-I-Care Agentは興味あるページに重要な更新があったことを知らせてくれるエージェントである。
 いずれも情報のフィルタリングという点では一致している。WWWは世界中のどこかで絶えず更新があり,常に拡大し続けているので,マニアといえどこれを個人ですべてウォッチする訳には行かない。それゆえに,代行して欲しいサービスの筆頭が情報の選択なのである。
 実用性という点では利用に耐える代行作業であっても,果してこれが「知的エージェント」の振舞いなのであろうか?問い合わせに対して応答を返すだけのシステムであって,ユーザーのコンピュータに存在しているエージェントがネットワークを巡り,答をもって帰ってくる訳ではない。使われているのは,WWWで標準のサーバー/クライアント通信である。
 Bignoteのサービスでは,個々のユーザーにエージェントがつき,エージェント同士が情報交換しておいてくれるという説明がなされることがある。これはメタファに過ぎない。すべてがBignoteのウェブサイトで処理されており,エージェント・プログラム同士が交信しているのではない。単純なパターンマッチングによる検索に比べて,自分の「好み」を反映して,少しでも情報を選り分けてくれると感じさせるところに,電子秘書らしさを感じさせてくれているのに過ぎない。
 ソフトウェア・エージェントの研究者達の求める条件を全く充たしていなくても,これを「エージェント」と呼ぶのは,擬人化して考え得る便利さがあるからだろう。ただの「プログラム」か「エージェント」と見るかのポイントの1つは,その振舞いに人間らしさを感じるかどうかのようだ。ならば,音声で応答したり,表情をもったインタフェース・エージェントを導入することにより,もっと「知的」と感じるエージェントに育てることができるだろう。この問題はあとで詳しく論じることにしよう。

 まだ発展途上のモバイル・エージェント

 情報選択といった実務的な応用とは別に,ネットワーク上を動くモバイル・エージェントとそのためのツールについて調べてみよう。
 モバイル・エージェントというのは,ネットワーク上を移動し,他のサイトに自身を移して稼働できるエージェントである。固定型のエージェント同士が情報交換するには常時接続している必要があるが,多数の分身をネットワークに送り出すことができれば,通信のコストの削減につながると考えられている。いつどこへ行っても自分の行動すべき仕事を知っているという点で「自律的」であるとされている。
 前述したように,ゼネラル・マジック社のTelescriptはモバイル・エージェントの記述言語の先駆的な開発例であった。1994年ソニーが携帯情報端末「マジックキャップ」にこのスクリプト言語を採用し注目を集めたが,商業的には成功しなかった。
 最近,モバイル・エージェントの研究開発にJavaを用いたものが急増している。Javaアプレットがネットワーク上の移動に適していて,Javaの処理系がインターネットで容易にできるようになったことが大きな要因である。即ち,ベースにJava言語を用いれば,これを拡張するだけでエージェント記述言語となり得るという訳である。
 その代表例は,日本IBMが開発したAgletsである。Agletsサーバーを立ち上げ,GUI操作でエージェントの生成・送出・消去等が行えるようになっている。データベース・アクセス,ウェブサイトのモニタリング,会合のスケジューリング等の応用例も示され,この分野の開発例としては進んでいる。
 従来,エージェント間のメッセージ交換記述言語としては,KQML(Knowledge Query and Manipulation Language)が研究分野で用いられてきた。KQMLを用いたエージェントは,モバイルでないものも多いが,「知的エージェント」に属する研究例がほとんどで,ウェブを対象としたものも公開されている。
 とまあ,以上のように文献から得た情報を整理してみたのであるが,実のところ何ができて,どの程度役に立つのかよく分からない。概念が先行して,実用化が難しい「協調性」よりも,インターネットとJavaが与えられたことによりエージェントの「可動性」に注目が集まりかけている傾向は感じられる。しかし,まだそこまでなのである。
 一体何をめざしているかと,この種のエージェント開発環境の研究者に問えば,エージェントに求められる多様な機能を実現できる枠組みを提供することが目的だと答えることだろう。汎用化・抽象化が俗人に分かりにくいのは世の常であるが,まだ抽象化されたエージェントに代行して欲しい仕事がないことも事実である。
 かなり高度なソフトウェアであるのに,こうしたエージェント・システムの大半は商用と称しながら無償で提供されているのである。開発環境がプロダクトなのだから,サービスで儲けようという訳ではない。いずれの会社も,まだこれから伸びると見て,先行投資してデファクト・スタンダードをねらっていると考えるしかないようだ。

 一般化をあわてるな

  サーチエンジンで「エージェントサービス」を検索していたら,「学術的なエージェントの定義にとらわれず,個人の要求に対して(静的ではなく)パーソナライズされた何らかのサービスを実施しているサイトに対して,評価を行っている」と明言した評価レポートのページが引っかかって来ました。実務派の人たちは,学者世界の定義や分類にはウンザリして,こういうことを言いたがるんですね。
  でも,この評価レポートに出てくるものすべてを「エージェント」と呼ぶには,ちょっと抵抗がありますよ。いくら役立つサービスならいいとはいえ,単に最初に表示されるページに何を載せるかを設定しておくだけのマイクロソフトのカスタマイズ機能までエージェントだなんて…。
  それに比べたらファイアフライは,十分エージェントの類いに入るでしょう。P. Maesは,自律的なエージェントも研究している有名な研究者でしょう。その一方で,こうしたサービスを商用化するんだから,いかにもアメリカですね。
  IEEE Internet Computing誌の彼女のインタビューを読んだら,技術的には新しくないが,インターネットで世界中の人がつながったことの意義を強調していました。WWWはもともと知識共有のメディアとして作られたので,その特性を生かすべきだと。
  巨大な知識ベースを作ろうとした,かつてのAI研究からはだいぶ変わってきましたね。
  重要なのは分散化した適応的システムの考え方だそうです。彼女は,環境をモニタリングし,自律的に動くことを研究しながらも,エージェント同士のメッセージ交換をそんなに重視していないようです。モバイル・エージェントの必要性もよく分からないと…。
  それは,私も同感ですね。必要性が認識されていないうちに,一般化・抽象化を急ぎ過ぎたシステム開発は成功しませんよ。方法論はまるで違うけれど,かつてのエキスパート・システム構築ツールのように,話題にはなるがほとんど使われない,ということになりかねないと思います。

3. 人工知能国際会議

 名古屋での夏の祭典

 去る8月23〜29日,名古屋国際会議場で第15回人工知能国際会議(IJCAI-97)が開催された(写真3)。日本での開催は1979年以来で,18年振りである。一時期のAIブームは去ったとはいえ,この分野の最高峰の会議であり,世界各地から1400余名の参加者があった。純学術系の国際会議としては,この不景気の中でよく人を集めた方である。
 実のところ,この会議の準備は何年も前から行われていた。開催地も横浜,岐阜…と二転三転し,ようやく名古屋に引き受けてもらったという経緯がある。名古屋財界のサポートを仰いだ上に,主要企業には参加動員がかけられた。本音で言えば,民間企業にとって今のAI分野にはあまり魅力は感じられない。それでもAI分野にはコンピュータ・サイエンスの源流としての何かがあり,いずれまた新しいコンセプトを打ち出して復活してくるだろう,いやしてきて欲しいという期待がある。
 何とか開催にこぎつけた祭典であるが,IJCAIの国際常設委員会は格式が高く,論文採択率もかなり厳しい。それだけに,発表論文は地道な基礎研究が多く,学習や自然言語処理関連が主流である。全216件の発表の中で,Distributed AIのセッションは12件。これはすべてエージェント関連の論文であった。内訳は以下の通りである。
 情報の収集や選別に関しては,Information Retrievalのセッションがあったが,ほとんどが数式が並ぶ理論的な論文ばかりだ。前述のWeb Watcher以外は,Webを対象にしている訳でもなく,エージェントらしくもない。IJCAIでは,最もお固いエージェント研究の真髄だけが登場しているのである。
 ‘Modeling Social Action for AI Agents’という招待講演もあったが,これは聞かなかった。
 併設の技術展示やイベントがいくつもあった。中でも,一際注目を集めたのはロボカップである。これはロボットによるサッカーのワールド・カップである。何年か前から,マルチエージェントの協調的行動や分散制御の問題解決例として,サッカーゲームで実験・検証するという研究が進められてきた。この種の研究は,一旦ゲームのルールが決められると,参加チームが急増する。大学の研究室にとっては,学生が熱中するテーマである。第1回大会が,RoboCup-97として名古屋で開催されると聞いてから研究を始めたチームも少なくないようだ。

 人気イベントに成長しそう

 RoboCup-97の競技は,ソフトウェア・ロボット(コンピュータ・プログラム)同士が対戦する部門と,実機ロボットがボールをシュートする部門に分かれている。前者はシミュレーション・リーグと呼ばれ,サッカー用マルチエージェントがコンピュータ・ネットワーク上で対戦した。このリーグには,9ヶ国20チームが参加し,ドイツのフンボルト大学チームが優勝した。
 実機ロボット部門は,その大きさによって,さらに小型部門(スモールリーグ)と中型部門(ミドルリーグ)に分かれている。大型部門がないのは,将来人間と等身大のロボットがサッカーできるようになるのを待っているようだ。スモールリーグには4チーム,ミドルリーグには5チームの参加があった。
 5台のロボットが,分散協調しながらボールをパスし,敵陣のゴールにシュートする。この単純なゲームだが,現実にはこれが容易ではない。ロボットによる視覚では,なかなかボールを見つけられないのである(写真4)。練習ではそこそこのパス回しができていたのが,本試合となると初対戦の敵ロボットがいるので,衝突を回避する機能ばかりが働いてしまい,互いにほとんどが動けない。
 ロボット同士が対戦するロボコンだと敵を倒すだけであり,多くの場合参加者がリモコン操作でロボットを動かしている。ロボカップのサッカーロボットには,敵と味方を識別し,チームプレーする能力が要求されているのである。ところが,自律的プログラムというのは,レベルが低いと厄介なものである。まるで状況判断ができていないし,まだ協調的行動をとる以前の実力なのだ。
 テレビ局の取材もあり,黒山の人だかりの中で行われた試合の大半は,ロボットの特別ルール「デッドロック時の仕切り直し」の連発であった。クリンチばかりしているボクシングのようなものである。まるで試合になっていない。オウン・ゴールもしばしばだ。やがて,自分でカラ回りして煙を出すロボットも続出してきた。  
 中型部門では,大阪大学(浅田研究室)と南カリフォルニア大学が,引き分けで優勝を分け合った(要するに点が入らないのだ)。一方の小型部門では,カーネギーメロン大学が優勝した。このチームは,個々のロボット間の情報伝達は実装せず,上方のカメラでコート全体を映し,自軍と敵軍の配置を中央のコンピュータが分析して,行動を指令したという。これは,グローバル・ビジョンと呼ばれている。今後,中型部門ではこのやり方は禁止される。まだまだ環境認識を伴う自律分散協調というのは難しいことを示している。
 サッカー後進国の日本であるが,ロボカップに関しては,ワールドカップに出場するだけでなく(同点)優勝までしてしまった。実際,ロボカップ日本委員会は,国際ロボカップ委員会をリードする立場にある。海外では,米,仏,伊とスカンジナビアの4つの委員会がある。
 RoboCup-97は,インターネットのライブ中継やメディアの報道で世界的にも大きな注目を集めるようになった。来年(1998年)は,本物のワールドカップに合わせてフランスで開催され,2002年にはもちろん日本で再度開催される。その間も,AIやロボット関連の国際会議と併催でロボカップが見られそうだ。
 1997年,コンピュータのチェス・プレーヤは,既に人間を負かすレベルまで達した。チェス・プログラムの研究からは,先読みアルゴリズムや並列計算などの成果があったのに対して,ロボット・サッカーには,分散協調のほか,戦略の決定,センサや視覚など魅力的な研究テーマがぎっしりと詰まっているという。この物理的エージェント達は,人間の代行をしてくれるわけではない。それでも,サッカーという具体的目標に問題設定しただけで,これだけ研究そのものが活性化されるものなのかと感心した。沈滞気味だったAI研究に新しい風が吹いてきたことだけは確かなようだ。

 擬人化エージェントも勢揃い

 マルチエージェントの理論的論文と物理的エージェントであるロボットの両極端だけがあって,人間らしい姿をしたソフトウェア・エージェントはないのかというと,それはIJCAI本会議に先立つ2つのワークショップに登場していた。32ある付属開催のワークショップのうち,「Intelligent Multimodal System」(W16)「Animated Interface Agents: Making Them Intelligent」(W5)が,擬人化エージェントを本格的に取り上げていたのである。
 「Intelligent Multimodal System」の方には,エージェントとは関係のないマルチモーダル・プレゼン・ツールの話題も含まれていたが,「Multimodal Anthropomorphic Interface Agents」というセッションが組まれていた。
 これは,単なるインタフェース・エージェントでなく,擬人化されている上にマルチモーダル対話できるエージェントなのである。即ち,このエージェントは,ユーザーと音声で会話し,表情を変化させる。ようやく,Knowledge Navigatorの描くエージェントに近づいてきたようだ。東大,電総研,東芝から発表があったように,この分野の研究では日本は結構進んでいるのである。
 もう一方の「Animated Interface Agents」ワークショップは,そのものズバリ,擬人化エージェントのオンパレードであった。顔と手だけがあって仮想空間を案内してくれるSteve(南カリフォルニア大),動きは稚拙だが全身の動きがついているJack(ペンシルバニア大),目の動きと手のアクションがすばらしいジョニー(電総研),アニメっぽいキャラクタがウェブ・ページを案内するWebPersona(ドイツAI研究センタ)等々である。結構あちこちで研究されているのだなと感じた。やはり,姿・形のあるエージェントは親しみがもてる。どこまで出来ているのか,役に立ちそうかがビデオを見れば直感的に分かるからである。
 サテライト・ワークショップに入っていて本会議でこの話題がないのは,まだ発展途上だからか,それとも純粋なAIでないと思われているからだろうか。AIとの関わりを考えながら,「擬人化エージェント」研究をあえて次の3つに分類してみた。
 (a)知的会話ができるエージェントの擬人化
 自然言語による人と機械との対話,質疑応答システムの発展形として,擬人化したインタフェースをもたせる方向である。質問のバリエーションやユーザーの状態によって,適応的な応答・行動をとる。AIの一分野であるが,実在感を増すためにエージェントの表情や声の抑揚をつけている。自由な文章が発話できるよう,音声規則合成が用いられていて,その分声の質は不自然になる。
 (b)教師やガイド役エージェントの擬人化
 Pedagogical Agentと呼ばれる種類で,あまり高度な対話ではなく,一方的な説明や定形の質問に答える程度のものが多い。定形文の読み上げには,規則合成でなく予め録音されている音声が使えるので,その分音質もよい。エージェントには,CGアニメ風のキャラクタが有効で,GUIの一部として親しみやすさを強調し,ユーザーの理解を支援している。AI(人工知能)というより,CAI(Computer Assisted Instruction)の分野からのアプローチといえる。
 (c)エージェントの人間らしさの追求
 対話システムとは切り離して,仮想人間(Virtual Human)のリアリティ向上のみを目的とした研究も盛んになっている。感情表現から,人の顔の表情や身体の動きへの変換,声と口と顔の筋力の動きとの同期,応答時の抑揚や間の取り方といったことも研究されている。
 擬人化エージェントの振舞いを見ていて,よく出来ているなと感じるのは,大抵プロのアニメータがデザインしたCGキャラクタの動きである。研究者だけで作ったものは,かなりお粗末でシステムの機能そのものが未熟だと思わせてしまう。エージェントの持つ自律性や学習機能で賢さを感じる以前に,目に見えるエージェントに実在感を感じさせられるかが勝負なのである。
 技術的な評価だけでなく,アート的なセンスで直感的に訴えるインタフェースの重要性。ヒューマンインタフェースやCG分野では当り前のことが,AI分野にも及んできたようである。アートとテクノロジーの結合,この流れをキャッチできないようでは,AI研究はまだバブル崩壊後の低迷から抜け出せないだろう。

 これからどんどん進化する

  1つの国際会議と関連イベントだけで,基礎研究からアニメやロボットの実技まで,硬軟とり混ぜて実に様々なエージェントがありましたね。
  まさに硬軟,ハードからソフトまで(笑)。
ロボカップは楽しみにしてたんですが,まだこんなレベルかと驚きました。
  これが実問題環境の難しさです。
  技術展示で置いてあったソニーのペット・ロボットの方がずっとリアルでした。猫や猿のような仕草で可愛くて…。あれも,アート的センスを盛り込んで仕上げてあるからですね。
  ロボカップは第1回を開けたことに意義があります。これから,どんどん進化するでしょう。大阪大学の浅田稔監督(教授)は,10年以内に人間型のロボットが出場し,40年後までには本物のブラジル・チームを破るだろうと語っていました。そんな先のことは,誰も分からないんですけれどね(笑)。
  チェスもチャンピオンを破るまでにはそれくらいかかりましたから,案外いい線かもしれませんね。
  擬人化エージェントも,表情やアクションなどまだまだ本物らしくないでしょう。
  顔画像をテクスチャとして貼り付けたエージェントは気味悪いですね。中途半端に人に似せようとしても,親しみはわかず逆効果です。マンガっぽいキャラクタの動きの方が,私は好きです。かといって,GUIの一部や,ウェブ・ページの説明にいちいち登場して欲しいとは思いませんね。余り必要性は感じられないというか…。
  それはあなたが日々今のコンピュータをフルに使っているからでしょう。現状肯定派には次は見えないんですよ(笑)。個人の好みもあるでしょうが,私はあっていいと思うけどなぁ。銀行のキャッシュ・ディスペンサでも,ウェブ上でのショッピングでも,可愛いエージェントがお相手してくれる方がいいですよ。もはや,パソコンを使いこなせないオジンの発想ですが(笑)。
  いまのGUIに付加する程度でなく,全く新しいインタフェースとして本格化するなら,世の中も受け入れるかもしれませんね。静止画を見た時にはつまらないと思った電総研のジョニー君は,アニメで見ると,まばたきや手の動きにその新しさが感じられました。
  若い男性エージェントの方がいいわけか(笑)。じゃあ,実際に動いているのを見に行きましょうか。対話しに行くから待っているように,連絡しておきます。さしずめ,「ジョニーへの伝言」ですな,これは(笑)。

付録 SFX映画時評
 ■『男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花[特別篇]』(松竹)

 今年(1997年)の夏は,故人を偲ぶ催しがいくつもあった。日航ジャンボ機墜落13回忌,E.プレスリー没20周年…。寅さん=渥美清の1周忌にも追悼本の出版や追悼番組がいくつもあるだろうなと予想していたが,その前(6月)に『特別篇』の製作発表があった。旧作をリニューアルして,満男(吉岡秀隆)の回想という形の作品にし,CG合成で寅さんも登場するという。
 『虹をつかむ男』の次にどんな追悼作品をと考えているところへ,『スター・ウォーズ《特別篇》』の成功があったためだろう。営業政策としても賢明なやり方だ。これまで特撮も寅さんも論じてきたこのコーナーとしては,何をおいても取り上げざるを得ない。
 リニューアルに選ばれた作品は,第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(1980年)。リリー(浅丘ルリ子)4部作のうち,沖縄を舞台にした第3作目で,シリーズ屈指の名作とされている。山田洋次監督の記者会見の弁では,「第1作,第2作では古すぎるし,いま沖縄に注目が集まっているから」とのことだった。シリーズ全48作の丁度折返しを過ぎた頃の作品であり,第26〜29作も佳作・力作揃いだ。最も油の乗っていた時期で,山田監督の最も好きな作品の1つだという。私はリリー第2作目『寅次郎相合い傘』(第15作,1975年)の方が好みで,この作品はそんなに好きになれなかったのだが,まあ一般的には妥当な選択だろう。
 11月22日公開というから,この号の付録に入れようと計算して試写会を待ち焦がれた。寅さん映画を見たこともないYukoを連れ,過去にリリーの登場した第1作,第2作を解説をしながら松竹本社に出向いたが,ちゃんと映画の冒頭の回想シーンに名場面がダイジェストされていた。新しいファンに,この1作だけを見ても理解できるようにとの配慮である。
 問題の寅さんの合成シーンは,営業マンの満男がたたずむ東海道線・国府津駅で登場する。反対側のホームに現れ,列車越しに何やら語りかける叔父さんの寅次郎。高々10数秒である。正直言って物足りなかった。このプロローグのあと,旧作が間にはさまって,エピローグで現在に戻る。ここでもう一度合成シーンがあるのかと期待していたが,何もなかった。もう少しファン・サービスをしてくれてもいいと思うのに…。
 技術的には,第48作『寅次郎紅の花』や『虹をつかむ男』の合成シーンよりは工夫してあったようだ。付写真1に見るように,他の作品から切り出した寅さんの新しいシーンへの合成には,影を取り変倍をかけている。『フォレスト・ガンプ』のように,昔の映像に新しい人物を埋め込むのならクロマキー合成が使えるが,この場合はそうは行かない。1コマずつ寅さんを切り抜いてくるしかない。そのためか,輪郭部にやや不自然さが感じられた。
 第2カット(付写真2)は,助監督に寅さんの衣装を着て振りをつけ,顔だけ差し替えたらしい。合成技術の未熟さを隠すためか,前に列車を通過させて誤魔化しているのは巧みな逃げ方だ。
 ILMレベルとまでは言わないが,もう少し凝った長い合成シーンを見せて欲しい。日本のCGプロダクションの実力はそう低くないのだから,松竹がもう少し金を出せば済むことだと思うのだが…。
 リニューアルの費用は,主に音響側に使ったようだ。セリフは別として,音楽も効果音もほとんど取り直してドルビー・ステレオ化してある。オープニング・タイトルと八代亜紀が唄う主題歌の部分で,その違いは歴然だった。作品途中の効果音でも,今までとは違う『男はつらいよ』が強く感じられた。
 音だけ撮りに沖縄まで出かけたのだろう。嘉手納基地に発着する軍用機の騒音はことさら凄かった。17年前の寅とリリーの夢物語を借りて,今も続く沖縄の基地の現実を音で強く訴えている。山田洋次の主張である。
 満男(吉岡秀隆)の回想であるのに,『寅次郎ハイビスカスの花』で最も残念だったのは,満男役がまだ「中村はやと」だったことである(吉岡秀隆は第27作から登場している)。それも結構出番が多いから,この違いは目立ってしまった。たとえILMに発注しても,ここはリメイクしようがないだろうが…。
 これまでにも数回見た映画であるが,じっくり追悼作品としてみると,確かによくできている。セリフも演出も映像も素晴らしい。寅とリリーの沖縄生活は,シリーズ中でも最高の寅さんの至福の時間である。
 それでいて,私がもう1つ好きになれない理由が分かった。沖縄の民家の離れでの「リリーの愛の告白シーン」である。寅さんファンとしては,このシーンを見るのが辛いのだ。感情移入し過ぎといわれるだろうが,自分の過去の不様な行動を見ているようで,あまり再現して欲しくないのである。寅さんファンの日本の男は,ある時は寅さんになりきって,またある時は義弟の博の冷静な目で現実世界を眺めている。自分の持つ二面性を,この映画の中の2人のキャラクタに見ているのである。どちらの目で見ても「日本人の心」を丁寧に描いていることが,この長寿シリーズの人気の秘密だったのだろう。
 来年以降もまだ『特別篇』が作られるのだろうか?あと1作で50作だから,切りとしてはいいだろう。ファンとして予想(期待?)しておくなら,満男と泉の新婚家庭で行方知れずの叔父さんを偲ぶというスタイルだろう。今度は,吉岡=満男の登場する第27作以降で選ぶとすれば,どの作品だろう?暗に海外へ行ってしまったことにするなら,ウィーンが舞台の第41作『寅次郎心の旅路』あたりだろうか。いずれにせよ,もっと奮発して合成シーンをたくさん入れて欲しいものだ。
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 日常生活のリアリティ

  山田監督から,「今まで,名前は聞いたことがあるが,見たことのない若者達にも,この機会にぜひ見てもらいたい」とのメッセージがありますが,如何でしたか?
  結構面白いんですね。テレビで断片的に見たことはあるんですが,通して一本見たのは初めてなんです。17年前の作品といっても,映像はきれいだったし,あまり古く感じませんね。
  『スター・ウォーズ』は特撮映画だったから,技術の差で古さを感じたんでしょう。この映画は,当時の日本の世相がごく自然に描かれていると言う点でも,後で見て興味深いんですよ。普通の日本人の日常生活のリアリティがあるんです。
  まだ赤電話で10円玉を使っていましたね。JALのスチュワーデスの制服も,そういえば…って感じで(笑)。私の小学生の頃で,懐かしく感じます。
  じゃあ,もっと若い世代には実体験がなくて駄目かな?『カサブランカ』や『ローマの休日』を見る感じで,名作として見るんじゃないですか。
  もっと時間が経ってから,かえって新しく感じるのかもしれませんね。
  いま,カーペンターズやビーチ・ボーイズが若者に受けているようなものですね。ダイアナさんのおかげで,今頃エルトン・ジョンにも陽の目が当たってきたし…(笑)。
  吉岡秀隆さんが,このシリーズで売り出したというのも知りませんでした。寅さんの甥だったとは…。
  彼の回想という設定はいいのに,合成シーンは少なくて残念でしたね。
  あっという間でした。実写同士の合成なのに,CG合成といっているのは変ですね。CGの寅さんと聞くと,モデリングやモーション・キャプチャで寅さんを再現したのかと思ってしまいました。
  前から,あれはCGじゃないと言っているのに改めないんですよ。少なくとも,合成シーンをセールスポイントにしているんだったら,用語ぐらいまともに使ってくれよと。
  このCIFシリーズを読んでもっと勉強してもらいましょう(笑)。

 DVD−画質的には合格点

 寅さん映画をDVDソフト化して発売するという発表があったので,試写会の後,それも見せてもらいに行った。
 まず第1弾としては5作品(第1,9,17,30,38作)が発売され,2年間かけて全48作(+特別篇)をDVD化していく計画だ。松竹と東芝の共同製作というから,DVDの盟主東芝としては,今一つ弾みのつかないDVDプレイヤの普及に,寅さんの力を借りようとしたに違いない。
 筆者自身は,DVDをCOMDEXやビジネスショウで横目で見ても「まあこんなもんでしょう」と思っていた。市販品は見ていなかったが,松竹まで足を運んでまで見てみようと思ったのだから,やはり寅さんの威力は絶大だ。
 松竹本社4Fのオフィスで,大型ワイドTVの画面で見せてもらった第9作『柴又慕情』は,なかなかのものだった。吉永小百合も倍賞千恵子も,若くてものすごくキレイだ。いやいや,評価しに来たのはDVDの再生画質だ。これも十分キレイだった。VHSビデオより圧倒的にいいのは当然として,LDよりもいいなと思う。
 ショウ展示されている時の画質は,チャンピオン・データを持ってきているし,裏で何をやっているか分かったものではない。民生品の実売もので,ここまで来ていればまず合格だ。もっとも,画質は映像ソースに大きく依存するが,今回はこのDVDソフト化のためにテレシネからすべてやり直したという。努力の跡は見られる。
 それでも,よく見るとMPEG系のコーデックらしい輪郭のノイズは少し感じるところがあった。余り一般には知られていないが,MPEG2,ひいてはDVDソフトの規格では復号化(再生)の方式だけが定められていて,符号化については全くフリーである。即ち,良いエンコーダがあれば,その分もっと画質は上がるのである。東芝のエンコーディング技術の実力のほどはよく知らないが,今後もっと向上しても不思議はない。
 ビデオパッケージと比べて,DVDならではの機能も色々と付いている。主要キャストやスタッフの紹介,予告篇やポスターを呼び出すメニューがついている(付写真3)。この辺りはCD-ROMと同じような感覚で作られている。再生は,2倍速,8倍速の早送りができる。聴覚障害者のため,日本語字幕を出すモードも設定されている。
 もっと嬉しいのは,単なるワイド化だけでなく,シネスコ・サイズで再生できることだ。16:9のビスタ・サイズ全盛だが,『男はつらいよ』全作品はシネスコ・サイズで撮られているので,劇場公開時のキャメラ・ワークを再現できるのはファンとしては有難い。
 価格は,各タイトルとも5,800円。これで急速にDVDの普及に繋がるかというと,うーん,その判断は難しい。DVD専用プレーヤで7万円台。そんなに高くはないが,ソフトがどれだけ揃ってくるかだろう。ディズニー作品は,来年3月にパイオニアから発売されるという。今でも,洋画,アニメ,アダルトを中心に毎月数十タイトルくらいは出ているようだ。一気に広めるには,セル市場だけでは苦しく,レンタル市場に出廻るかどうかだろう。それはまだ少し先のようだ。
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